水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
誰が責任を取るのか

物事は、どこかで誰かがある判断をして、
進むか退くか、変更するか、などを決めます。
誰かとは、個人に場合もあれば、集団の場合もあります。
単純に、個人の場合はその責任を深く負います。
集団の場合は、ほぼその責任に対する受け止め方は軽いものです。
しかし、責任を取らずに済むわけでもないですし、
責任を免れるわけではありません。


ここに来てこれらの決断と責任に関するいくつかの具体的なことが表面化してきました。
東京の築地移転の問題です。
豊洲のことが、むしろヒステリックに思えるほど、加熱して取り上げられています。
加熱した要因は、決断のプロセスと、決断した個人または集団の存在が不明確だからです。
ここが早々に明らかになっていれば、ここまでこじれなかっただろう、と思うのです。


オリンピックに関してもまたそうですね。
決断する人が誰か、良くわからない、と言う、妙な組織形態であることと、
ここは俺に任せろと言い切れない組織委員長の優柔不断なところが、
この後も大きく物事をあいまいにしてゆくことになろう、と思われます。


一番不思議なのは、どちらの問題も、議会が蚊帳の外に置かれていることです。
ここで二元性と言う地方自治体の構造を整理してみれば、
はっきりしてくるのですが、
どのような流れで物事が決定されるのか、と言うことです。
基本は職員が、外部のコンサルとか、市民有識者とか、一部外部の人と連携して
素案を練り上げます。
何度か、庁内でもチェックされることもありますが、
原案はあくまで担当者が整理し、これを議会にあげます。
特に、新たな予算がらみの案件は、議会のチェックが必要になります。
それ以外は、年度予算案の範囲内であれば、細かいチェックはしません。
つまり、地方行政での事業の展開は、事業案と予算案がセットになって提案され、
これを議会で審議します。


くどいようですがこの流れを再度整理すると、
予算額も、事業内容も議会の承認が無ければ実行できないのです。
おおむね、提案は可決されるものですが、
やはり、理不尽な内容であると議会が判断すれば否決されます。
平塚の議会でも、提案が否決されたことがありました。
つまり、逆に言えば、議会を通るということが実施に対するGOサインであり、
議会はチェックした、と言うことになるわけです。


ですから、これもよくわからない事なんですが、
オリンピック予算が何倍かに膨れ上がる、と言うこと自体、
誰がチェックしてGOサインを出したのか、と言うことになるでしょ。
要するに、今もめている豊洲の問題も、オリンピックの問題も
議会がしっかりチェックしていたら、起きるはずもないんですね。
議会は何しているんだ、と言うことでしょ。
不思議とこれに言及するメディアが少ないんですね。


これも、集団での判断と言う形態が、その責任の所在をあいまいにしてしまうのです。
集団での判断と言うのは、実に重要な成果をもたらせます。
そもそもがこれが民主主義の原則なんですが、
複数の人間がかかわるということで、
広い視野で物事を見ることができる、
細部にわたってチェックできる、
共通の理解を広く広げることができる、などの利点があります。
何よりも結論に対して多くに支持を得やすい、ということがあります。
これに反して、個人的な判断は、
結論が偏りやすい、不利益をこうむりそうな対象に対して、配慮が欠けがちになる、
などのいわゆる独善ともいえる状態を招きがちですが、
決断が速い、とか、将来への展望性がある、などの利点もあります。


で、東京の問題だけでなく、
核燃料サイクル施設のもんじゅをどうする、と言うこともこれに似ています。
何を根拠にあのような金食い虫を作り出したのか、その決断は誰がしたのか、
国会はきっちりとチェックしたのか、など、
一般国民はよく知らされていないでしょ。
未来展望として、夢のような核処理施設である、とは聞いていましたが、
何をどうするのか、あまりにも高度な科学的な内容なので、
へえ、そうですか、と言うしかない。
きっとなんとかなるのだろう、と。

何しろ名前からしてもんじゅだから、相当な知恵ものに違いない、と。
ところが、どうも先が見えない、となってきた。
私は、勘に過ぎませんが、実はとっくに先が見えなくなっていたんだろうと思うのです。
少なくとも5年やそこいら前には、実は誰も、これで何とかなる、

と言う確信を持てなくなったのではないか、と思うんです。
全くの推測ですが、だとしたら、5年間の研究、維持に使われた

膨大な予算に対する責任はだれが取るのか、でしょ。
結局、なんだかんだと国民の血税から支払われるのです。
使った金を戻せ、とは言いませんが、
せめて、誰かが責任を取るべきではないか、と。
どのように獲るのかはともかく、
どこの誰か、ぐらいは明確にすべきだはないか、と思うのです。
なぜなら、このような不始末は延々と繰り返されてきたでしょ。
にも関わらず、無くならない。

それは責任の所在をお何時もあいまいにしてきたからです。

 

大きな決断には大きな責任が伴う、という大原則がおろそかにされているからです。

ここらで、そういう悪例から脱却すべきだと思うのですが。

 

| 水嶋かずあき | あれこれ | 10:26 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
DEBATE

アメリカ大統領候補のディベートを見ました。


最近とみに、ディベートという手法が定着してきて、
実際この手法を、企業の戦略的な会議や、
社員教育として取り入れているところも多くなってきているようです。


もともとは、議論・討論の技術としては、古代ギリシアが発生と言われていますので、
最近の手法とは言い難い所があります。
その歴史の1ページ目には、ソフィスト、ソクラテスやプラトンのような

哲学者たちによって担われていた問答法・弁証法があって、

これらは、アリストテレスの著作を通してまとめられた、
と言う経緯があります。
あの、古代ローマの映画などで、大理石造りの議場で、
当時の論客たちが、とうとうと意見を述べるシーンなどを見たことがありますが、
それなりに、人間の意志を通す、と言うある種の本能は、
ディベートと言う討論の形態にも、現われていたのです。


ディベートとは、ある種の公的なテーマについて、
異なる立場に分かれ議論することを言います。
これはディベート本来の解釈です。
そもそもディベートは、ディスカッション等とは、異なるものはずなんですが、
一般にはこれらの区別なく「ディベート」ないし「討論」と呼ばれることが多いようです。


昨日のトランプVSクリントンの討論会は、
看板としてDEBATEと書かれたものが掲げてありましたが、
あれでは、超公儀の言葉の使い方で、誤った使い方である、と言う見方も強いのです。
ディベートを様々な教育目的のために行われる事がありますが、
教育的目的を持ったディベートこそ、本来のものである、と言われています。
それは、説得力を競い合う競技の形で行われ、
対極する視点に、問題の掘り下げから、
広い視野を養い、相手の立場を尊重する、
と言う能力を養える、とされているからです。
しばしば、この効果を民主主義的な成果、と評価することがあります。


さて、そのアメリカ大統領候補者のディベートですが、
残念なことに、本来のでべーと的な要因は、見るべきものがありませんでした。
実は、最初の30分ほどで眠くなってしまったんです。
同時通訳の語調が、どうしても単調になりがちだ、と言うことと、
内容が、レベルの低い、言い合いの様相になってきたからです。
正確には、言い負かし合い、とでも言った方がいいでしょうか。
欠点を取り上げ、言われた方も負けん気を見せて言い訳をする。
物事の本質を掘り下げたり、
より建設的な考えを披歴したり、と言う討論には程遠かったでしょ。
いくつかのメディアが、それぞれの評価をしました。
どっちが優勢だったとか、
ある場面で、苦しい言い訳をした、とか、
質問に答えていなかったとか、
様々な側面でチェックをしていましたが、
これは、このディベートを通じて、これからのアメリカがどうなるのか、
問題の解消と、明るい未来の構築について、
どれほど語られたのか、と言うチェックをしていないですね。


大手メディアも押しなべて、どっちが優位だった、のような評論に終始していました。
どっちが良かったか、なんて実は、有権者が判断する話で、
メディアの役割としては、どの程度の質の討論が行われたか、
と言う、社会の目を持って評論すべきでしたね。


私達は、日常の中で、様々な判断をします。
頭の中では、様々な要素をチェックし、最終的な結論に至ります。
これはあるプロセスで、一人ディベートをしているんです。
GOの要素は何と何で、それによって得られるもの、
また、STOPの要素は何と何で、それによって失うものは何か、
など、と自分の中であれこれ考えて、結論を出しますが、
人とのやり取りでは、この一人ディベートをしっかりしておくと、
ぶれずに説得がしやすくなりますし、
時に、見逃していた要素に気が付くことがあります。
いずれにしても、ディベートと言うとカッコいいのですが、
要は、自己主張による我が意を得んがためのもので、
競い合い、と言う基本的な構造が原点にあります。


争わずに済ませる方法の議論を、誰か真剣に開発する必要があるでしょ。
古代ギリシャの知恵に負けないような。
 

| 水嶋かずあき | - | 11:21 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
湘南物語その4

1664年、鴫立沢に、崇雪が草庵を結びます。


なぜ鴫立沢だったのか、は、おそらく、崇雪が西行を敬愛していたからだったろうと思われます。
五智如来を持ち込んだ、という事実(現存しています)を鑑み、
さらに、西行を祀る西行寺を建立したい、という願望があったことから、
出家した崇雪が、草庵で暮らすという選択をした時、
鴫立沢が最適地である、と判断したのだと思います。


さて、謎学の旅に掲げていたテーマの一つが、
誰が、崇雪に湘南清聖絶地によく似ている、と言ったのか、です。
可能性から言って、本場湘南をよく知っている人が、
こちらにやってきて、私の故郷によく似た風景です、と言ったか、
こちらに住んでいた人が、本場湘南に行き、帰ってきて、
この辺りは、よく似た風景です、と言ったかでしょ。
私は圧倒的に前者の方が可能性が高いと思いました。
実はいろいろ調べていくうちに、分かったことなんですが、
湘南、と言う地域は、
中国の五名山と言われている五つの山の一つで、
南岳衡山と言う山を取り囲んだ地域なんです。
この南岳衡山は、その昔、達磨大師が、南の海路を経て、
中国に仏教をもたらすのですが、その本山となったところで、
南禅六派と言われる、臨済宗、曹洞宗など総本山がふもとに散在しています。
まあ、霊山の一つです。
今でも、数多くの禅宗の寺があって、私たちはこの中の
最も歴史がある古南台寺と言うところに行き、

そこの住職から話を聞くことができました。
で、17世紀の頃、禅宗を布教するために、

禅僧が、日本に出かけてゆくということはありえたのか、と、質問しましたら、

明の時代に入って、中国は大航海時代を迎え、航海術が格段に発達したので、
日本に渡航するということは、冒険でも危険でもなく、普通に行われていた、と。
したがってどの宗派とは言えないまでも、

禅僧が、日本にわたっていったということは、不思議でもなんでもない、と言うことでした。


そこで私は、次のような仮説を立ててみました。
ある宗派の禅僧が、布教のため日本に渡ることになります。
博多辺りに上陸し、一糸路東に向かいます。
目的は禅宗の寺々を巡り、さらなる布教をすることと、
日本における禅宗の原点となった、鎌倉の円覚寺・建長寺などの

いわば本山的な寺に表敬訪問するためです。
何日かかかって、東海道に足を踏み入れ、さらに何泊かして、鎌倉にたどり着きます。
そこでしばらくの間、旅の疲れをいやすように逗留し、
きっと禅宗のさまざまな談義をしたのだと思います。
崇雪は、出家をしましたが、帰依したのは、禅宗でした。
このことは、鎌倉の寺々でも知られたことでした。
この中国湘南からやってきた禅僧に、この話が伝わります。
いよいよ帰ることになり、鎌倉を立つとき、

念のため、大磯の鴫立庵に立ち寄るようすすめられます。

 

この禅僧は、東海道を東に向かって旅をしているときに、

高麗山のふもとから、花水川に差し掛かった時、
急に開けた北の方角に目をやります。
そして、はるかに眺望できる大山を見ます。
これは私たちも視認しましたが、衡陽のまちから見た南岳衡山の姿とうり二つだったんです。
ですから、この禅僧も、大山を見た時に、

南岳衡山によく似ている、と思ったに違いないのです。
平塚の宿場町の街並みを抜け、さらに東に進むと、

今度は馬入のわたしに差し掛かります。
この川の風情が、衡陽のまちに流れる湘江にまたよく似ているんです。
川幅と言い、その流れが持つ風情ですね。
この馬入川と大山の組み合わせは、湘江と南岳衡山の組み合わせと、

どんぴしゃだったんですね。
禅僧は、このあまりにぴったりの様子に、きっと心動いたはずです。
鎌倉を立ち、今度は西に歩を向けます。
大磯の鴫立庵には、躊躇なく訪れたはずです。
迎える崇雪もきっと大喜びしたと思います。
あのご先祖がいた湘南からの珍客ですし、同じ禅宗に身を置く同志としても、
こんな素晴らしい出会いはありえないようなことだったと思うのです。
禅僧は一晩泊ることになり、夜を徹して二人は語り合いました。
そして、日本語は決して堪能ではなかった禅僧との会話には、
しばしば筆談が買わされたはずです。
なぜなら、漢字と言う共通の言語があったのです。
その会話の中で、禅僧は、著盡湘南清絶地と書きました。
意味は、すでに述べてきたとおりです。
崇雪は、自分が暮らしているところが、

あこがれの湘南というところと、その景色がよく似ていると言うことが、
ことのほかうれしく思い、これを石に刻むことにしたのです。
この時、崇雪は、石屋にどんな字にしようか相談します。
あれこれ考えた挙句、ここに、禅僧が書き残した筆談の紙があり、
そこには、墨痕鮮やかに七文字が書かれていたのです。
これにしよう、と崇雪は言います。
石屋はその字を見て、少しの間躊躇します。
字はさほどうまいとは言いかねるものでした。
崇雪は、これは筆談をしたものだ、

書き終わるのが、もどかしく思えるほどの速度で書く。
だから、時に乱筆になるものだ。
でも、本人が書いたものだから、それを尊重しよう、と。
結局、前日の筆談したものを石屋に彫らせることにします。


あの石碑をご覧になったことがありますか。
私は正直、どうしてこんな字を彫ったんだろう、

と疑問に思うほど、それはあれた字だったのです。
こうして考えてみると、なんとなくそうではないか、と思えるんですね。
まあ、なんだかんだと、想像の世界ですけど。

| 水嶋かずあき | 平塚のこと | 10:04 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
湘南物語その3

湘南の話に戻ります。


私が、最初に湘南に関する文書に接した時は、
著盡湘南清絶地、と言う石碑の解釈は、
「ああ、湘南と言う地は、清らかなることこの上ない」
と解釈されていました。
清らかなることこの上ない、というのは、なかなかの妙訳だと思います。
ただ、最初の著盡の解釈が、ああ、ではおかしいでしょ。
嗚呼とかなら話は分かりますが。
そこで、いろいろ調べました。
と、この著は表すですから、そのように表現している、でいいでしょ。
盡は盡すですから、この両方を並べれば、表し尽くしている、となります。
つまり、とてもよく似ている、と言うことです。


で、中国湘南地方の衡陽のまちに行った時、
表敬訪問として、市庁舎を訪れ、副市長さんたちと会談をしました。
この席には、副市長、他の役職者のほか、現地の新聞記者も何人か同席していました。
その席で、私は、この7文字を書いて、記者たちに見せるようにして、
私達のまちには、この文字が刻まれた石碑が建っています。
しかし真の意味を私達は知らないのです。

どなたか分かったら教えてください、と。


私は、これは七言絶句で、そのうちの1行分の文字だろう、と考えたのです。
翌日、その席に同席していた記者のある方が、
こんな漢詩を見つけました、と報告してくれたのです。
それは、5文字、4行の五言絶句でした。
私の予想と反したのは、この5文字は最初の一行目だったのです。
しかも、厳密に言えば、湖南清絶地、とありました。
清絶の意味は日本で解釈していたのに近かったようです。
ただ、これも一つの問題があったんですね。
ま、ともかく、誰の作かは知りませんが、原作が存在していて、
しかもかなり有名な作品であることは間違いないようです。
ここで、想定できることは、
湖南清絶地の五文字と、頭の2文字は、別の人間が発したものだ、と言うことです。
そもそもある五文字に、ある人が、2文字付け加えた、と言うことです。
問題はそれが誰なんだろう、と言うことです。
さて、この7文字の解釈をすれば、
清らかなることこの上ない湘南の地に、何とよく似ている事だろうか。
と言う意味です。
もちろん、それは鴫立庵で言われたことで、
崇雪は、自分のご先祖の故郷、湘南に、今自分が庵を組んでいる地が、
よく似ている、と言われて、とてもうれしい思いをしたのです。
つまり、ああ、と言う解釈では、この話は始まらないのです。
そして、よく似ているらしいぞ、と言うことが、少しづつ広まり、
いつの間にか、湘南、と言う中国の地名で言われるようになったのです。
湘南と言う言葉が、広く広まっていった背景には、
中国から流入する文化は、日本人にとって敬意を感じる事でしたし、
その文化の源流はまさに憧れだったんですね。
特に、李白や杜甫などが活躍したのは、この湖南省が中心で、
洞庭湖の付近や、この湖に流れ込む湘江の流域などが、
しばしば漢詩などで取り上げられて、その作品は日本に伝えられていましたから、
当時の文化人は、まさに、羨望に近いものを持っていたと思います。
この湖南では、洞庭湖や湘江などの美しい風景を
瀟湘八景と言う名勝地を八つ定めていたようですが、
これらは、後に、金沢八景、とかの八景もののもとになったものです。
平塚にも、さらにまねた平塚八景と言うのがありますね。
ひと昔前に、ニューヨークにあこがれた若者たちに
相通ずるものがあり、
当時の人たちは、湘南にあこがれたんですね。


ま、ともかく、
日本の湘南の原点となる、中国湘南をつぶさに見て、結論は、
間違っても海の文化ではない。
むしろ山の文化だ、と言うことです。


私は中国から帰ってきて、一体、どこの景色を見て、
湘南とよく似ている、とその人は思ったのか、と、
鴫立庵辺りから、移動しながら、中国湖南省で見た形式と一致するところを探してみました。
やはりあったんです、そっくりなところが。
それは、馬入河口から眺めた大山の景色です。
ついつい、海と言う概念にとらわれてきましたが、
実は、その人は海を見てよく似ている、と言ったんではなく、
山を見て言ったんですね。
南ではなく北を見たのです。
間違いなく、その人が見て、なんとわが故郷に似ている事か、
と感じたのは、花水橋から馬入河口までの間のことです。


改めて、実は湘南の原点は平塚にあった、と言うことですね。

| 水嶋かずあき | 平塚のこと | 09:55 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
イチゴのスムージー

まずは、昨日の弦斉まつりのご報告です。

何よりも、前日までしとしと、時にざあざあ雨が降りましたが、

嬉しいことに、朝から快晴のお天気。

野外イベントを企画すると、

何よりお天気がいいかどうかが、勝負の分かれ目になりますからね。
私が担当したのは、競作食道楽弁当なんですが、

マリールィーズ、竹万、松鱗亭、それと我が舟平の
4軒が、販売をしました。
で、昼前には他店のものは完売したのですが、
ちょっと欲張って多めに作った我が食道楽弁当が昼すぎても少し残り、
最後は値引き販売で、どうやら完売しました。
で、もうひとつの担当が弦斎カフェ。

弁当が四苦八苦だったんですが、こちらはまずまず。
ここは3年目なので、おおむね見当はついていたのですが、
今年新登場のイチゴスムージーは、まだ手探り状態。
このPOPにはこんなことを書きました。
「むかしむかし、弦斉さんのお屋敷には、
それは大きな苺畑があったそうな。
東京からたくさんのお客様がやってきて、
苺狩りを楽しんだそうな。」
みたいなことを書きました。

ちなみに一杯200円。


こういうイベントって、もちろんある意味なんでもありなんですが、
出来れば、なんかのテーマがほしいでしょ。
たとえば、食道楽弁当は、弦斎さんの著書食道楽に、
記述してある調理法に限る、とか。
ですから、食道楽弁当の掛け紙には、献立名と、その後ろに
食道楽の春夏秋冬の巻別と、そのページ数を書くことになっています。
これがないと、ただのお弁当になってしまうでしょ。


そこで、イチゴなんですが、かつてかなりの面積で、弦斉さんの屋敷の敷地内に
イチゴ畑があって、弦斉さんの東京の知人、友人などが、家族連れで、
汽車に乗って、平塚までやってきて、イチゴ狩りを楽しんだそうです。
これは、写真にも残されており、
イチゴ畑でイチゴ狩りをしている楽しそうな様子が写っています。
そこで、イチゴ畑のご縁で、イチゴのスムージーを販売したのです。


たまたまだったんですが、我が家でジューサーを買って、
なぜか以来、朝食後にフルーツジュースを飲む習慣ができたんですね。
ところが、しばらくすると、ネタが尽きてきます。
もちろん同じものでもいいのですが、
ふと買い物の中に果物を入れそこなったりすると、
さてどうしよう、と言うことになります。
そこで、非常用に、冷凍食品売り場で、マンゴーとイチゴの冷凍したものを
買ってきたのです。
で、ある時、ネタが切れたので、冷凍の引き出しから、イチゴを取り出し、
これを何粒かミキサーに入れ、牛乳とお砂糖を入れて、
ミキサーを回しました。
私としては、苺ミルクジュースを作るつもりだったのです。
で、回し終わって、と言うのは回転音から判断して、まあ、こんなところだろうと、
ポットから中身を取り出すと、
妙にどろどろしたまま中身が出てきたのです。
なんかこれってスムージー状態じゃないか、と。
確かに、苺はカチカチに凍っているのですから、
砕いたところで、凍った部分は残っていて、どろどろになります。
ストローと言うより、スプーンでしゃくって食べる感じですね。
これがうまい。
もちろん、マンゴーもスムージーになりました。


で、弦斉さんの所には、苺畑があったわけですから、
マンゴーのスムージーはともかく、
イチゴのスムージーはありだろう、と判断して、
今回の弦斉祭りで売り出してみたわけです。
もちろん、偶然に近いいきさつでしたし、本当のスムージーとはどういうものか、
と言うことも知らなかったので、
さあ、ネットで、いろいろ調べましたが、要は、まちがいのない作り方でした。
ですから、初仕事ながら、正々堂々と、苺のスムージーの看板を挙げたのです。


すると、これが大人気だったんですね。
早々と用意した材料はなくなり、途中追加したんですが、

それでもまた足りなくなり、
何と、二度も途中で材料を補給するという羽目になるほど、
たくさんの方が、お買い求めいただいたんですね。
実際、お客様からは、なかなかおいしいと好評でした。


材料・作り方は簡単です。
冷凍のイチゴ、牛乳、砂糖、これだけです。
これをそれぞれ適量、ミキサーのポットに入れて、スイッチを押すだけ。
結構手軽に作れます。
ミキサーお持ちの方、是非ともためしてください。


湘南物語、今日はお休みです。

 

 

| 水嶋かずあき | グルメ | 10:08 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
湘南物語その2

今日は八重咲町の村井弦斎公園で、弦斎祭りが開催されます。

例によって、弦斎に関わるフェアが展開されますが、

私たちは、競作弦斎弁当の販売と、弦斎カフェを担当します。

カフェでは、今年から、新商品、イチゴスムージイを売ります。

ぜひとも出かけ戴き、弦斎商品の数々をお求めください。

お待ちしています。

 

さて、話は昨日の続きです。

私たちは、湘南謎学の旅なるものを企画しました。
当時、平塚市の国際交流委員会なるものがあって、
その委員長さんへごあいさつに行きました。
実は魂胆があって、できれば、本場湘南の衡陽と言うまちと、
平塚とで、姉妹都市締結ができないか、と考えたからです。
世間では、湘南と言えば藤沢・茅ヶ崎の時代ですから、
新たな合併都市が湘南を名乗ったら、かなりきついクレームをつけてくるだろう、と。
そこで、こちらは、本場湘南のまちと姉妹締結をしている、と言う条件をちらつかせ、
本家争いを有利に進めよう、と言うもくろみがありました。

そのためにも、姉妹締結は有意義なステップになる、と考えたのです。
で、国際交流委員長を表敬訪問しよう、と自宅まで押しかけました。
来意を告げると、応接間に通され、委員長はふと姿を消しました。
しばらくして、一冊の本を手にして戻ってきました。
この本のあるページを開けて、その中身を見せてくれました。
本は小田原の地誌で、いわば小田原歴史全集みたいなものです。
そのページには、鴫立庵を建立した外郎崇雪は、中国上海から帰化した
陳外郎の八代目の二男坊である、と書かれていたのです。
委員長は、こう言いました。
「鴫立庵の宗雪は、中国人の子孫なんだよ。
それで、不思議なのは、どうしてあそこに石碑を建てたのか、
これがわかんないんだな」と。
この訪問は、崇雪が、外郎家の子孫であること、
さらに、どうして石碑を建てたのか、どうも誰もわかっていないこと、
と言うことが分かったのです。
そこで、私たちは、検証すべき謎を整理しました。
外郎家は本当に上海出身なのか、その真実について。
つまり、湘南と言う言葉を刻んだ石碑を建てたということから、
実は湘南出身でないのか、と言う仮説です。
著盡湘南清絶地と言う言葉は、七言絶句かなんかで、
前後にあと三行分の文字があるのではないか、と言うことで、
湘南の地で、その全貌を確認したい、と言う課題がありました。
そもそもが、日本では「ああ、湘南はなんて清らかですがすがしい所なんだろう」
とか訳されていたんですね。
著盡は、感嘆詞扱いで、ああ、とか訳していたんです。
考えてみればひどい話で、よくわからないから、
とりあえず、ああ、とかに訳したんですね。
で、もし、外郎家が湘南出身であるなら、外郎で販売している丸薬と羊羹は、
湘南の地に伝統的に存在していたのではないか、と。

そもそもが政府の高官だったんですから、商才に長けているとは思いません。
きっと、なんてことなく、丸薬も羊羹も身近なものとしてあったんじゃないか、ということです。

日本に帰化して、外郎を名乗りますが、中国での苗字は陳と言いました。
外郎の初代・陳宗敬は、当時、元の政府に仕える礼部員外郎という役職でした。
ところが、元は明に敗れてしまいます。
しばらくすると、陳のもとに、明の政府に仕えるないか、と言う誘いがあったそうですが、
これを断り、日本に帰化します。

初代はそもそも、陳でしたから、湘南の地には、陳を名乗る一族がいたはずなんです。
さらに私たちは、仮説と言うより妄想に近い想像を膨らましていました。
国の政府の高官と言う立場では、かなりの土地や財産を持っていたはずだ。
それらを全部捨てて日本に帰化するというのは、
よほど大きな出来事が、陳の本拠地である湘南であったに違いない、と。
まあ、それは元と民の戦いは中国のあちらこちらであって、
陳の住んでいるところでも合戦があり、その時に、
陳の家屋敷も巻き込まれたのではないか。
もう今更あそこには住めない、とかの判断も影響しただろう、など。
実に勝手気ままな創造でしょ。

実際、外郎家に伝わる話では、この甘い誘いも実は危険に満ちていて、

うっかり居残っていようものなら、命の保証はない、と判断したそうです。

ともかく、私たちに都合のいいストーリーは、外郎家は湘南出身である、
と言うことが、言えることだったんですね。

 

そして、もう一つの重大な謎、それは誰が著盡湘南清絶地という言葉を

崇雪に伝えたのか、ということです。

考えられるのは、こちらの人間が、中国湘南の地に出かけてゆき、

そこで見てきた景色が、大磯周辺の景色によく似ていた、と、

崇雪に語った、という場合です。

もう一つは、湘南の地にそもそも暮していた人が、こちらへやってきて、

崇雪に話をした、という場合です。

後者の方が可能性が高い、と思いました。

ですから、私たちは、湘南の地に、日本までやってくる何か要因があるはずだ、

と考えたのです。

謎を整理します。

ヽ囲魂箸肋兎扈仗箸任呂覆い。

 丸薬、羊羹が湘南の地で普通に存在していること

 陳という名字の人が多いこと

 元と明との合戦の現場が近いこと

日本にやってくる人が、いそうであるということ

 

などなどの謎を解くために、私たちは湘南に向かいました。

続きます。

 

| 水嶋かずあき | 平塚のこと | 10:12 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
湘南物語その1

やぶ枯らしさんへのお答えです。


そもそも、私たちが、湘南のルーツを探ろう、と思ったのは、
いくつかのきっかけがありました。
一つは、当時、湘南ひとまち研究会と言う組織を立ち上げていて、
その組織の活動目標として、
平塚のまちづくりを、大局的な視点で進めてゆこう、

と言うテーマを掲げていたことがありました。
そこで出てきたのが、中核都市づくり、と言う観点で、
近隣の市町を合併し、50万都市を作ろう、と言うものでした。
大雑把には、市外局番0463の地域を対象として考えよう、と言うものです。


で、当時の市町村合併の事例をいろいろ調べてみると、
もちろんうまくいった例も多いのですが、
ある程度進行していながらご破算になった事例もこれまた多くあったのです。
で、その要因を分析してみると、その大半が、直前で破談するのです。
結納を取り交わし、式の日取りも決まり、いよいよ挙式と言うその寸前に、
話が壊れてしまうようなものです。
で、その原因と言うと、これはほぼ100%に近い理由が、
新しいまちの名前に抵抗を示す人たちがいる、と言うことなんですね。


Aと言う市と、Bと言う町と、Cと言う村が合併することになったとします。
全体の割合から、A市の市民は、合併とはいえ、吸収するんだから、
新しい市の名前はAできまりだ、と言うわけです。
しかし、B町の町民も、C村の村民も、一寸の虫にも五分の魂、とばかり、
自己の存在を示す名称を主張します。
ご先祖から受け継いできた町や村の名前をそう簡単に、捨ててしまうわけにはいかない、と。
で、住民投票をするんですね。

A・B・Cどれにするか、と。
実にバカなステップでしょ。
だって、市の方が住民の数が多いので、Aと言う名称を押すでしょ。
で、投票して負けたB町も、C村も、じゃあやめた、となるのです。
ですから、最近の合併では、ほとんどが新市名をつけるでしょ。
でないと話が壊れるからです。
私たちは、50万都市のリーダーシップを握ったにしろ、

平塚という市名では話がまとまらない、と。

そこで、新市名を模索しました。
いろいろ出ましたが、結論は湘南市です。
まあこれなら、大磯も二宮も秦野も、受け入れてくれるだろう、と。
ところが、世間で、湘南とはどこからどこまでか、と言う論争があって、
逗子葉山あたりから、大磯までそれこそ千差万別なんですね。
私は、この論争が気になっていたので、広辞苑を調べてみたのです。
すると、このよう(当時は)記述されていました。
「湘南とは、逗子、葉山、鎌倉、藤沢、茅ヶ崎、大磯などのまちまちを言う」
ですって。

茅ヶ崎、平塚、大磯ならともかく、茅ヶ崎、大磯と、飛んでいるんです。
なぜ平塚の名前が載ってないんだ、と、ショックを受けたんですね。
さらに、自動車のプレートの湘南ナンバーが始まり、
それなりに世間の注目を浴びたのですが、
この時、湘南と指定されたエリア内で、なぜ平塚も湘南なんだ、ぐらいの
バッシングを受けたんですね。
これにはカチンと来ました。


平塚も湘南と言われるにふさわしい地理的な条件と歴史的な経緯を持っているはずだ、
と、漠然とですが思っていたんですね。
そこで、それを実証するために、湘南のルーツをじっくりとこの目で見て、
平塚だって湘南だ、と胸を張って言えるようになりたい、と言う、
まあ子供じみた発想かもしれませんが、そこいらも動機だったんです。

そして併せて、0463のエリアが、湘南を名乗るのにふさわしい、
と言うことの裏付けを取る作業でもあったのです。


で、ともかく本場湘南に行ってみよう、と言うことでツアーを組みました。
当然ですが事前にはじっくりと準備を進めました。

こちらで調べられることは調べ上げてゆこう、と。
そこで、まずは、大磯の鴫立庵の庭に建っている石碑が基本になりました。
ご存知と思いますが「著盡湘南清絶地」崇雪、と言うものです。
崇雪と言う人が、鴫立庵と言う名の庵を結び、その人が、石碑を建立した、と言うことです。
ここまでは、誰に聞いても間違いのないことです。
そして、この石碑によって、その周辺が湘南、といわれるようになった、
いわば日本における湘南と言う地域名の原点になった石碑である、
と言うことも、これは万人が認めるところです。
様々な古文書などの検証の結果、これは間違いのないことのようです。


そこで、この著盡湘南清絶地をもとに、
この石碑は何を意味するのか、と言うことと、

崇雪は、なぜこの石碑を建てたのか、と言うことを
調べることにしたのです。
調べるにしたがって、様々なことが分かってきました。

 

じらせて申し訳ありませんが、
この後は続編で。
 

| 水嶋かずあき | 平塚のこと | 07:38 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ローハイ!

歩行者が夜間に道路を横断中、

車にはねられた昨年1年間の全国の死亡事故625件のうち
96%の車のライトがロービームだったことが警察庁の調査でわかった。
同庁はハイビームを使っていれば防げた事故もあると見ており、

21日から始まる秋の全国交通安全運動の重点項目として

ハイビーム使用を呼びかける。

 

ですって。
この記事を読んで、真っ先に思い出したのが、
中国の湖南省に、湘南のルーツを探しに出かけた旅でのことです。
かれこれ20数年前のことでしょうか。
現商工会議所会頭の福沢氏など、一行7人で、湖南省の南、
湘南を訪れた時のことです。


湖南省と言うのは、上海から西に飛行機で1時間ぐらいの所で、
省の北の方に、どでかい湖、洞庭湖がある省です。
中国の人には、あの毛沢東が生まれたところ、と言う方が分かりやすいようです。
で、まずは、上海に到着、そこで、一泊して、翌日飛行機で

湖南省の首都、県庁所在地、とでもいうのでしょうか、長沙と言うまちに行きました。
で、ここで一泊。

翌日私達の専用バスでおよそ200キロほど南に行った

湘南地方の拠点都市である衡陽(こうよう)というまちにゆきました。
で、話と言うのは、その帰り道でのことです。
衡陽では1泊2日の滞在でしたが、ケジュールがパンパンで、予定が押せ押せになり、
長沙に帰る時間がいくらか遅れてしまったのです。
出発したのは、日も暮れかかったころ。
しばらく走ると、とっぷりと日は暮れてしまいました。
まあ、野道と言うか、山道と言うか、およそ人通りなどない道を、
ごとごととバスは走ってゆくのです。
今はきっと素晴らしく舗装された道になっていると思いますが、
その当時は、すれ違いがやっとと言うような道幅で、路面は凸凹。

中央線などはなく、道路標識らしきものも皆無。
当然、路面を照らす照明器具などは設置されていません。
ガードレールやら路肩を示すような交通標識もなく、
ただ、10メートルおきぐらいに路肩に街路樹が植わっているだけのことです。
この街路樹の地上1.5メートルほどの所に白いペンキが20センチぐらいの幅で、
幹を巻くように塗られていて、しいて言えば、これがガードレール替りであり、
ここが路肩です、と言うような表示の役割りをしていました。
今から、25年から30年ほど前のことですから、
中国も一歩奥に入ると、インフラの整備など殆ど、手が付けられていなかったのです。

 

で、暗い夜道なんですが、なんとバスは前照灯をつけないのです。
室内も暗く、道を照らすものは何もなく、
ただひたすら暗い道を走るんですね。
みな、正直、これは危ないぞ、と、口々に言っていたのですが、
まあ、そういう運転方法なんでしょうね。

中国式というか、中国流というか。
もしかすると、中国人と言うのは、夜鷹のように、夜目が効いたのかもしれません。
で、10分に一回くらいは、対向車とすれ違うんです。
暗闇でも、なんとなく、向こうから車が来たな、と分かるんですね。
我々はそのたびに固唾を飲んで、様子をうかがっていると、
すれ違う10メートルほど手前で、パット前照灯をつけるんです。
向こうの車の同じように、ほぼ同じタイミングで点灯します。
で、通り過ぎるとライトを消すんですね。

向こうも消します。
つまり、きっとそういうルールなんでしょうね。
皆そうやっているんですから。
3時間ちょっとの夜道のドライブで、何十台かの車とすれ違いましたが、
すべて同じようなタイミングで付けたり消したりしていたんです。

もっぱら私たちは、何の意味があって前照灯を消すのか、
とその理由を議論したのです。
きっと、ある種の省エネなんじゃないか、と。
ただ走るだけなのに、無駄な電気は付けない、と。
でも、改めて、前照灯をつけるということの電気代が取られることはないだろう、と。
じゃあ、バッテリーに負担を掛けないという意味の省エネなのか。
電気の球を長持ちさせようという意味なのか。
まあ、議論百出。
で、結局はよく分からないで終わってしまいました。
たぶん、そんな習慣的な運転方法は、今はやっていないと思いますけど、

その頃の中国では、ロービームもハイビームも、全然関係ない話だったでしょうね。


ここに来て、96%というかなり具体的な数値が出てきて、
ロービーム問題として提起されたようですが、
私達と同年代のドライバーに聞くと、
ともかく、夜は視野が狭まって、普通に走っていても、なんとなく恐い、と言うんですね。
もう、ハイとかローとかの話ではないんです。
子供と一緒ですよ。
暗闇が怖いんです。
ですから、夜間はなるべく運転しないと言ってました。
私もそうです。
夜間は一挙に視野が狭くなるんです。
雨でも降ったら最悪です。
ですから、どうしてもスピードを落とす。
若い人でも、ロービームだと視野が狭くなるでしょ。
ローとハイのこまめな切り替えが必要でしょ。
その神経もなかなかのストレスです。
まあ、結論は、ゆっくり走れば、と言うことでしょ。


突然ですが、この文章を打っていて、昔の馴染みの曲を思い出しました。
フランキー・レインの歌で、
ローレン・ローレン・ローレン・・・・ローハイ
って歌詞です。
すいません、つまんない思い出話で。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 10:42 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
どうするベルマーレ

いまさらですが、私は真のサポーターではない、
と自覚しています。
真のサポーターたりえない一番の要因は、

競り合いのシーンに弱いということです。
どうもまともに見ていられない、と言う気の弱さがあります。
だったら見ずに、最後の結果だけ聞けばいい、

という、臆病なところがあります。

 

例の、ロシアWカップ、二次予選で、UAE戦の時、
実に楽しみにして、テレビの前に座っていたんですが、
最初の10分ほどで、余りに奇怪な判断をするレフリーを見ていて、
このレフリーでは、勝てない、と直感したんです。
サッカーのような、微妙なプレーの連続で得点をするというゲームは、
選手の実力もさることながら、審判の笛のふき方で、
しばしば勝敗を分けることがあるものです。
ですから、このレフリーでのゲームは勝てないだっろうから、
ひやひやしたり、いらいらししたりして見ることもない、
と、判断したのです。
ともかく要因が何であれ、ひやひやイライラが苦手ですから、
ベルマーレの今年のゲームも、なるべく見ないようにしていました。
とはいえ、ちらちらと見たりして、気には、していたのです。
で、その結果、一昨年、昨年と比べて、そのプレースタイルが
著しく変化している、と思ったのです。
単純に言えば、走らなくなった、と言えばいいでしょうか。


私の持論ですが、90分間ゲームして、得点は、いい所1〜2点。
ハーフ45分で1点というのは、ごくざらな話しでしょ。
そこで、ハーフで1点取るための行動を分析すれば、
1ゲームで、一人10キロ走ったとして、ハーフなら5キロ。
10人で、50キロです。
この50キロのうち、守備と攻撃が半々として、
つまり、ボールポゼッションを50%とすれば、
攻撃に掛けた走行距離総数は、25キロ、と言うことになります。
で、1点ですから、得点に結びつく有効な走りと言うのは、
おそらく直前の100叩⊂豺腓砲茲辰討錬隠娃悪辰發覆い隼廚Δ鵑任垢諭
でもまあ100辰箸靴董■横毅娃娃哀瓠璽肇詈の100辰任垢ら、
走るという行動の0.4%と言うことになります。
1パーセントにも満たない。

つまり大半が得点に結びつかない走りをしているということです。
これを無駄と思うか、と言うことですが、

実はこれがないと、得点されてしまうんですね。
ですから、やはり走るしかない。
一見、意味がないと思われる24,900辰倭っているからこそ、
有効な1点に結びつくのだ、と思うんです。
で、今年のベルマーレはこれがない。
誰かがどこかでインターセプトしたその瞬間、
かつてのベルマーレは一斉に全員がゴールに向かって走っていたように思うんです。
ところが、この感じが希薄なんですね。
無駄な走りが、意味のある走りにするかどうかは、
ともかく走ることから始まるんですね。
しばしば、遠藤が向けたとか、秋元がいなくなったとか、言いますが、
全く影響がないことはないと思いますが、それにしてもここまでの不振ぶりは、
もっとどこかに原因があると思うんです。


私は、FM湘南ナパサのこの人と60分と言う番組で、
ゲストとして、チョウ監督と話をしましたし、当時の大倉社長とも話をしました。
で、印象に残っているのは、監督も社長も同じサッカー論を持っていて、
ある意味、サッカーに取り組む姿勢、戦術などを共有している、と感じたのです。
彼らは、同じ釜の飯を食ってきた経緯があって、
おそらく年がら年中、理想のサッカー論を戦わせてきたんだろう、と。
想像に難くないですね。
実にすばらしい関係でしょ。
現場指導する立場と、会社をコントロールする立場の両者が、
たがいに敬意を持ち、共通の夢に向かっているんですから、
まさに最強のコンビだな、と思っていました。
所が何かの事情があったんでしょ、大倉社長がベルマーレを去ります。
きっとチョウ監督にしてみれば、片手を失った感じがしたんじゃないだろうか、と思うんです。
その意味で、ベルマーレのチームに漂う空気が変わったんじゃないか、と。
そういうものが、現場に影響する確率は高いと思いますし、
現実的に、今年の成績に表れているように思うのです。
きっとベルマーレのサポータは、一縷の望みは持ちつつも、
J2降格、と言うことを覚悟していると思うんです。
いっそのこと、心機一転で、来シーズンを見越した戦えに切り替えるのも、
重要ではないか、と思うのですが。

 

| 水嶋かずあき | ベルマーレ | 09:57 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
公魚、鰙、若鷺

お寿司屋さんへ行くと、熱めのお茶がたっぷり入った

肉厚で大きめの湯飲み茶碗が出されますが、
大体は、魚へんの文字が江戸文字の書体で書いてあります。
なじみのない魚は、あまり読むことができないかもしれませんが、
お魚やさんで見かける魚は、なんだかんだと読めるようです。


そこでまずは初級編。
JIS第一水準漢字と言う漢字のレベルが分けられていて、
その中の魚へんの文字のいくつかをご紹介すると、
鯵、鮪、鯖、鰯、鯉、鮒、鯛、鰆、鰤、鮎、鱸、

鰻、鰹、鮭、鮫、鯨、鱈、鱒、鰐、など。
ちなみに、
あじ、まぐろ、さば、いわし、こい、ふな、たい、さわら、ぶり、あゆ、すずき、
うなぎ、かつお、さけ、さめ、くじら、たら、ます、わに、となります。
魚へンでも魚でない字としては、寿司の鮨または鮓、この違いは知りません。
調べておきます。
他に、新鮮の鮮。
でさらにJIS第二水準漢字としては、
鮓・鮃・鮑・鮖・鮗・鮟・鮠・鮨・鮴・鯀・鮹・鯆・鯏・鯑・鯒・鯣・鯢・
鯤・鯔・鯡・鰺・鯲・鯱・鯰・鰕・鰔・鰉・鰓・鰌・鰈・鰒・鰊・鰄・鰮・
鰛・鰥・鰡・鰰・鱇・鱆・鰾・鱚・鱠・鱧・鱶
これは、半分詠めれば合格じゃないですか。


鮟鱇などのように、二文字使うものもありますが、
大体は一文字で表します。
魚へんとしては、無理に日本で作られたものもあるようで、これを国字と言いますが、
中には中国での意味と違うものがあったりします。


鰙と言う字がありますが、
わかさぎ、と読みます。
これはかなり音で追いかけた字のようで、国字ではないかと思います。
もっと露骨に、若鷺、などとも書きますが、こうなると、どう見ても当て字でしょ。
一般的には、公魚と書かれます。
料理の献立などに書かれるものとしては、公魚を使います。
鰙と書かれている献立を見たことはありません。
なぜ、わかさぎを公魚と書くのかと言うと、
漢字で「公魚」と書くのは、
かつての常陸国麻生藩が徳川11代将軍徳川家斉に
年貢として霞ヶ浦のワカサギを納め、

公儀御用魚とされたことに由来する、と言われています。
まあ、同じ魚でも一格上なんだ、と言うことでしょうか。


いわれてみると、小さいながら、高貴な雰囲気を持っているでしょ。
このいわれのもととなったように、ワカサギは、淡水系の魚で、
霞ヶ浦が、わかさぎの故郷と言っていいかも知れません。
県内では、相模湖や、芦ノ湖、また、県外では、山中湖や諏訪湖、と言った
著名な湖では、なんだかんだとワカサギが釣れますけど、
基本は、霞ヶ浦から移植したものです。


最近のニュースで、諏訪湖のワカサギが、大量に死んでしまい、
生き残ったのはわずか二割ほど、とか。
まさに絶滅寸前となったようです。
まあ、環境の整備をしつつ、霞ヶ浦から、また移植すればいいのでしょうが、
釣り上げたワカサギならともかく、
湖の中で死んでしまったとしたら、商品にならないですもんね。
諏訪湖の観光の資源としては、大きな痛手です。
ワカサギは、本当においしい魚です。
おいしい淡水魚と言えば、なんだかんだとベスト3は、鮎、鰻、ワカサギでしょうね。
この中の順位は好みもあると思いますが、
私はそれぞれの特徴から、甲乙つけがたく、互角じゃないかと思っています。


ワカサギも、北海道産あたりの、冷水域で獲れたものは、
生臭さもなく、ワタを抜かず、そのまま調理しても、何の違和感も感じません。
特に、天ぷらとしてさっと揚げたてなんか、
何匹でも食べられるほど、
あっさりとしていておいしいものです。
素焼きをして、甘露煮にしてもいいですし、
大きめのワカサギだったら、フライも絶品ですね。
何より、時期によっては、とてつもなく安いというのがいいですね。
もう少し気温が下がってくると、
ワカサギの旬になります。

 

| 水嶋かずあき | - | 17:55 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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