水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
「なると」の正しい置き方

本当にどうでもいいことが今日の話題です。
余りにばかばかしいテーマなのでよ、読み飛ばされても結構です。

 

さてそのテーマですが、ラーメンに載せる「なると」の正しい置き方です。

正式にはなると巻と言います。

そもそも最近のラーメンは、もやしの炒めたものが載っていたり、
焼のりが添えたあったり、また、メンマが無かったり、と、以前に比べると、多少の様変わりをしています。
今の定番は、煮玉子、叉焼、のり、メンマ、刻み葱ですね。
で、ふた昔前のトッピングは、叉焼、メンマ、茹でたほうれん草、それに、なるとです。
かなり違うでしょ。
この中でも、イの一番にすたれたのが、なると。
ほとんど今では見かけません。
でも、いまだに、昔風のトッピングをしているところでは、なるとは定番です。
飲食業組合連合会で運営している競輪場のラーメンには、このなるとが載っています。
で、作業をしているところを見ていると、100%、ともかく一個入れる、という作業をしています。
なるとというのは、ご存知でしょうが白い練り物の周辺がギザギザしていて、
その中心に赤く色付けした練り物が渦巻き状に巻かれています。

これは、鳴門海峡に発生する渦潮が原型になっています。
で、このなるとを3仭宛紊棒擇辰董▲蕁璽瓮鵑両紊忘椶擦襪錣韻任后
まあ、ちょっとした彩の一つですね。
それほどうまいものでもないですけどね。
でも、なぜか定番の一つでした。
で、切ったものを平たく置くと、裏表があるので、渦の方向が変わるんです。
右向きか左向きかです。
調理場ではそんなことお構いなしに、ともかく一個を乗せる。
したがって、物によっては、右向きなるとと左向きなるとのどちらかになります。
まあ、どっちでもいいと言えばいいのですが、
正しくは、右向きに渦を巻いているのが正解なんです。

 

さてその根拠です。
こんな記事をネットで見かけました。

徳島県鳴門市と兵庫県淡路島の間にある鳴門海峡では、
世界的にもまれな自然現象「鳴門の渦潮」を観賞することができます。
他に、長崎の西海橋の下でも渦巻きは見ることができます。
で、その渦潮が左右どちらに巻いてるのだろうか、というのがこの記事のテーマ。

そもそも渦潮はどうやって発生するのかですが、
鳴門観光汽船の若山勇輝さんの回答。
「鳴門海峡は中央部が深く、本流と呼ばれる潮流が抵抗なく速く流れています。
その両岸は浅瀬になっていて流れが緩やかなので、本流の速い流れと両岸の緩やかな流れの境目付近で、
本流の速い流れに巻き込まれるような形で渦潮は発生します」と。
まあ、特殊な地形になっており、潮の干満によって水位差が生じる為という事なんですね。
そこで、では、どちら向きの渦になるのか、尋ねると、
「鳴門の渦潮は、南流時は鳴門側に、北流時には淡路島側にのみ多く発生します。
つまり、右巻きの渦潮がほとんどです」という驚きの答えが返ってきた、と。


結論は、鳴門の渦は右巻の時計回りということです。

で、これは地球の自転が関係しています。
北半球では通常できる渦は右回り。
南半球では左回りになります。
ふろの栓を抜いたり、洗面器にたまった水を流す時など、水量が減ってくると渦巻現象が見れます。
これが北半球と南半球は逆になるんですね。
ただ、風呂桶なんかは、排水口の位置とか、構造によって必ずしもそうでもない場合があるようですが、
ごく普通のボールかなんかに、バラランスの取れた排水口を付けた場合、
北半球では右回り、南半球では左回りとなるんですね。

 

以前テレビの番組で、これを実験していました。
アフリカの赤道直下で実験したんです。
赤道というのは地球の自転では、最も大きく動く場所です。
で、その赤道の線を引いた道の向こうとこちでやってみたんですね。
つまり、自転の影響を受けやすいところで北と南の違いを調べようというわけです。
線からおよそ200メートルほど離れた北で実験すると、右回りの渦ができます。
で、今度は線から200メートルほど南に行って同じことをすると、左回りになるんですね。
たかだか数百メートルの違った場所で、南と北の影響が異なるんですね。
この実験を見て驚いたことを記憶しています。

 

つまり、北半球に存在する鳴門海峡では右回りが理にかなっているわけです。
ということはですよ、ひっくり返せば左巻きになる切ったなるとでも、
発生の鳴門海峡の渦巻きが原点ですから、
それにならって、右回りの置き方をすべきではないか、と。

 

ね、どうでもいいばかばかしい話題でしょ。

| 水嶋かずあき | グルメ | 10:34 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
読書のための環境を作ろう

私は、たびたびこのブログでも書いてきたように、
本を読むということが大の苦手なんです。
最大の理由は、その内容に集中するあまり、進行がやたら遅くて、
結果として途中で放棄しつぃまうからなのです。
で、段々と読書離れが進み、今ではほとんど読まなくなってしまいました。

 

そんな私ですので、正に、医者の不養生、紺屋の白袴みたいなことになりますが、
読書は大事なことではないか、と常々思っているんです。
まあその証左になるかどうかはともかく、
私の祖母が亡くなった時、祖母・チサの名前で、平塚の図書館の子ども図書室に
チサ文庫なる書棚とそれを埋める本を寄付しました。
これは私が提案し、おじおばをかき口説いて実現したのです。

 

その後、父が亡くなった時も、そこそこの書籍を寄贈しました。
今でも水嶋忠彦寄贈とラベルが貼ったものがあります。

 

そして、私が会長を仰せつかっている平塚の飲食業組合連合会では、
ここ数年、定例のようにして、市内小中学校の図書室に図書の寄贈を続けています。
まあ、単純に本があることが読書につながり、
その結果が、子どもたちに深い思考力を育て、豊かな感性を育むであろう、と期待しているからです。

 

さらに、この10月から、盲学校でのリーディングにボランティアとして参加しています。
これは、月に2回、盲学校に行き、そこの生徒さんに1時間ほど、本を読み聞かせするんです。
本に書かれた情景を心に浮かべることで、
想像力を持って、物事をとらえられるようになればいいな、と思っているんですね。

特に、彼らは通常の本が読めないわけで、点訳されたものには限界があるから、

本を読み聞かせする機械は大事なことだ、と考えたからです。

 

しかし、現実の世の中は、読書離れが進んでいるとか。

3日に公表された国際学習到達度調査で、日本の高校生の読解力低下が浮き彫りとなりました。
文部科学省では、その背景をいろいろと列挙していますが、
間違いなく、本や新聞などをよく読む生徒の方が平均点は高くて、
読解力低下の結果には、読書量の減少が影響しているようなんですね。
日本の読解力の順位は、前々回の2012年調査では過去最高の4位だったものが、
今回は15位と急落したのです。
また、読書習慣のある生徒の読解力のみならず、その他学科の平均点も高かったのです。
小説などを月数回以上読む生徒の平均点は531点で、読まない生徒より45点高く、
新聞を同頻度で読む生徒の平均点も、そうでない生徒より33点高かった、というデータがあります。

 

また、他のアンケートでは、活字離れが進んでいる実情も明らかになりました。
新聞を月数回以上読む割合は21・5%で、9年前の09年調査に比べ36・0ポイント減少。
雑誌を読む割合も30・8%で、33・8ポイント減少した、ということです。

間違いなく読書離れが、人として必要な資質を身に着けるのに、障害の一つになっている、
と考えてもおかしくありません。

 

だからこそ、読書習慣を身に付けられる環境を整備する事も大事なことなんです。

家庭環境として、家に蔵書数が多ければ、小さい頃からの読書習慣が学歴にも結びつくというデータもあります。
20〜39才を対象に、「15才の頃に家にあった蔵書数」と「大学進学率」の関係について、
早稲田大学人間科学学術院教授の橋本健二さんが分析しています。
それによりますと、家に10冊以下しか本がなかった人の大学進学率は23.1%。
対照的に501冊以上あった人は76.4%も進学していた、というのですね。
まあ、よく言う貧困問題をこれに絡ませることが多いのですが、
貧しいだけでなく、親が後ろ姿で、この教育をしてゆくという大原則を
今の大人が忘れてしまったのではないか、と。
物に目を奪われている間に、心を育てることをないがしろにしてしまったわけです。

 

先日、平塚信用金庫に年金を下ろしに出向きましたら、
店頭にあるパンフレットがありました。
それによりますと、本を寄贈する定期預金の制度がある、というんですね。
通常、0.01%のところ、0.03%の利息になるというんです。
ま、この程度の利息では焼け石に水みたいなもので、利率自身はどうってことないのですが、
肝心なことは、この定期を組むと、金庫として、その収益から本を寄贈する、というんですね。
すでに平塚の図書館に2700冊寄贈したとか。
いや、正に地域貢献のいい例でしょ。
どうせ、0.01%しかつかない普通預金ですが、

そのいくばくかを定期に切り替えようかな、と思っています。
そんなことの積み重ねで、日本の子どもたちの豊かな感性が身に付けられれば結構な事でしょ。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 09:45 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
嘘を排除する宣誓

目鼻口、手足に胴体、その形状とか動かし方とか、
いくつかの要因を整理し、その条件に適った動物を人間と言っています。
例えば、DNAの比較をしても、わずか数%しか違いがないと言われている
類人猿の、チンパンジーやボノボ、オランウータンやゴリラなども、
二足直立歩行と言う動きが違うので、人間とは別に分類されています。


じゃあ、これらの機能を兼ね備えていれば、人間なのか、ということですが、
時に、「奴は人間じゃねえ」などと人格を否定することがありますが、
何かが欠けているからなんですね。
これは肉体的な何か、またはその動きの問題ではなく、いわゆる精神、心の問題なわけです。
あえて一言で言うなら、それは良心と言うことだと思います。
不思議と、ほとんどの人間は良心を持っています。
良い心を持ちなさい、などと教育を受ける以前に、普遍的に備わっています。

テレビの旅番組などを見ていると、現地の人々と様々な触れ合いの中で、
いい人と出合えた、という印象を持つことが圧倒的に多いのは、
いい人=良心を持った人、ということだろうと思うんですね。
つまり、人は原則、良心を持ったいい人なんです。
これは性善説とか、性悪説とは関係なく、もともと人間としての機能として備わっている、
と言う事なんですね。


ただ、残念なことに、人の姿かたちのように、目には見えない。
そこが最大の問題なわけです。

この良心に反することが、日常の中でしばしば現れます。
地位、立場、面子にすがること。
金銭欲に負けること。
希薄な責任感による自己保存に陥ること。
(人のせい、部下のせいにすること)
怨恨、差別による偏見を持つこと。

この良心を希薄にする要因は様々ですが、人は自分をよく見せようと、
しばしば良心に反した行動をとります。
要するに嘘です。
嘘は、良心の反対語なんですね。


自分は心中、気が付いていても、人は疑うことが精いっぱいで、
心の中までは手出しができないんですね。
だから、せめて、嘘はつくなよ、という言葉で自制を促すしかないのです。
この良心に反する言動への規制は自覚にゆだねるしかない。

 

キリスト教徒の国々では、その両親の代名詞として「神」が登場します。
神こそ反良心を規制する存在、概念と捉えているのだと思います。
外国の映画などの裁判所のシーンで、証人が発言をする前に、
聖書に手を乗せて、神のもとに、何事も隠さず、付け加えず、真実のみを話します、と
宣誓する場面を見たことがあるでしょう。
日本では、聖書に対する概念が希薄ですから、
この「神」という自己規制の代わりに、良心と言う言葉を使います。
つまり、神=良心、と捉えて間違いではないのです。

 

例えば、国会で証人喚問が行われますが、これについての法律が定められています。
「議院における証人の宣誓及び証言等に関する法律」と言います。
その第三条に、宣誓を行う場合は、証人に宣誓書を朗読させ、且つこれに署名捺印させるものとする。
とあって、宣誓の文言までが定められています。
その宣誓書には、「良心に従つて、真実を述べ、何事もかくさず、
又、何事もつけ加えないことを誓う」と記載されていなければならない、とあるのですね。
国や文化、宗教の違いはあれ、人には最後の最後ぎりぎりに自覚できる良心と言うものがあるのです。
そこに唯一頼るしか嘘を排除できない、と言う情けない所があるのですが、
様々な自己保存が働くと、人は簡単に良心を捨ててしまうんですね。
人間として重要な要因を放棄するということです。

 

このような宣誓文に署名捺印し、かつ読み上げるということは、
嘘つき排除のシステムとしてこれしか手がないからなんですね。
確かに、様々な状況を想定すれば、時に証人喚問をして、

ことを明らかにしなければいけないということはよく理解できますけど、
と言うならですよ、平素の議論も、これまた国会と言うこの国の最高の言論の符であるなら、
良心に基づいた言葉であることを要求されるわけでしょ。
わけありの人を呼び出して、嘘つくんじゃないぞ、と言ってるんですから、
その立法府における言論も、嘘であってはならないはずです。

 

そもそも議員としてバッジを付けた瞬間に、この宣誓をしたことになる、と考えるべきですね。

正式な手続きは知りませんが、当選証書を受け取るときに、

この宣誓書にサインをする、と言うことになればいいと思うんです。

国会中継など見ていて思うんですが、平然と自分たちは良心をかなぐり捨てて、
嘘の付き合いをしているじゃないですか。

 

少なくとも、総理大臣と言うのは行政府のトップです。
1億2千6百万人のトップに立っているんです。
つまり、国民の範として、最高の良心を持っていなければならない。
と思いませんか。
私は、安倍さんの基本的な考えなどについて、著しい違和感は感じませんが、
あの嘘だけは受け入れられない。

 

嘘つきは泥棒の始まり、ということを子供の頃聞かされました。
泥棒とは犯罪者であり、人間として端くれ、クズだという概念でした。
嘘をつくと、そんな人になってしまうよ、という諭の一つだったと思います。

大人になると、みんな忘れちゃうのかな。

 

| 水嶋かずあき | あれこれ | 12:45 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
食べれるということ自体への感謝

来年早々には76歳になります。
で、再来年には喜寿を迎えます。
この時には、少しばかりにぎやかな集いをもってみようか、と。
こう言うところは親父譲りですね。

 

ま、ともかく、思えば長々と生きてきたものです。
とは言え、平均余命ではあと10年ほどあの世に行く猶予がありますので、
もう少しのお付き合いをお願いしします。

 

さて、いままでの人生を振り返って、実に良い時代にうまれてきたもんだ、と
我が身の幸運をかみしめる時があります。
きっと10年前に生まれてもそれは異なるような気がするんです。
だって太平洋戦争の過酷な環境を多感な少年期で過ごすわけでしょ。
きっと今のような心情で時代を迎えられなかったろう、と思うんです。
正直、なにより、暮らしてゆくという上で、その状況はひどすぎるでしょ。

 

私の母が、戦時中を振り返って、
あのころ夢だったことがある、と。
それは家族そろって(父は召集で不在でしたから)どこか野原に出かけて行って、
鮭の缶詰と白米のおにぎりを腹いっぱい食べる事だった、と。
実に素朴な夢でしょ。

私はこの話を思い出すたびに、本当に歯を食いしばって生きてきたんだな、と思うんです。
いまだったら、毎日でも叶うじゃないですか。
そんな程度の事が、夢だったのだそうです。

 

私は、この話を小学生のころに聞かされて、
すでに世の中落ち着きを取り戻していましたから、
鮭缶におにぎりなんて、まあまあ十分に可能な時代です。
子どもながら、そんな厳しい時代だったんだ、と思ったものです。
ですから、19年に生まれたということは、戦時中ではありましたが、
赤ん坊ですから、そんなことの経験の記憶もないわけです。
確かに物心ついた時でも、かなり厳しい食糧事情ではありました。
でも、食卓はそれなりに食材を調達できるようになりつつありましたから、
貧しい食卓であったとはいえ、それが不満だとか惨めに感じたことはありませんでした。

 

何が幸せな時代に生まれてきたか、と言うと、
生活そのものが底辺から始まったということです。
水は庭先の井戸から汲み上げました。
ですから、水道の蛇口をひねれば水が出るということに感激したのです。
風呂は、どこぞの焼けた廃工場の資材置き場から、ドラム缶を調達してきて
これをレンガを組んだ土台の上に置いて、下からまきを燃やすという、
いわゆる五右衛門風呂でした。
人ひとりがタテになってやっと入れる容量です。
何より、スノコが水面に浮いていて、最初に入るときこれを下まで降ろすんですね。
これが失敗すると、そこのとてつもなく熱い鉄板を踏んでしまう。
私はまだ子供でしたから、親に手伝ってもらってスノコ板を下まで沈めたものでした。
ですから、体を横にして入れる風呂に入れるようになった時は、これまた感激したものです。

当然今では、なんてことのない食べ物も、滅多に口にできず、
いわゆる贅沢品でした。
それですから、うなぎを初めて食べた時なんて、鮮明に記憶しています。
海老フライを食べた時もそうです。
場所、一緒に食卓を囲んだ人たち、すべて鮮明に記憶しています。
こんなうまいものが世の中にあったんだ、と。
きっとそんな幼少期の経験が、今でもうなぎ大好きで、何かというと海老フライを食べるのは、
人生を形作る貧しい経験が基礎にあったからではないか、と思うんですね。

 

その後、長じて少年時代から青年時代に成長してゆきますが、
それに伴い世の中豊かになってゆき、あわせて、食文化も多彩になってゆきました。
今では、ごくごく普通においしいものを食べるでしょ。
時々思うんですが、今の食卓って、あのころの特別な日の食卓ですよね。
お誕生日とか、節供とか、何か特別な記念すべき時に食卓の並んだものが、
今では、夕食の食卓に当たり前に並ぶ。
だからおいしいものに対する感激も鈍くなってしまっている。
私達の時代のように、おいしいものに出会った感激、なんて、今の時代の比じゃないでしょうね。

 

こう言う感激を味わえる時代に生まれてきた、ということは実にすばらしいことでしょ。
正直、少し早すぎた人、すこし遅れた人に対して、申し訳ないと思うくらいです。

 

| 水嶋かずあき | グルメ | 15:08 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
見切り五百両

11月21日、ほぼ2週間ほど前、ということになります。
この日のブログで、見切り千両と言うテーマで、桜を見る会について、私の考えを述べました。
かなり、市政が続いてきたから、

政権にすがりつくのはいいけど、そろそろ見切り時じゃないの、という趣旨でした。

 

で、この間、さらに問題は悪化しました。
例のマルチ商法で、詐欺を計り、たくさんの人から金を巻き上げたという
いわば犯罪会社、ジャパンライフの社長が、招待状を受け取り、
しかも、この招待状を画像に取り込み、プロジェクターで、
客を集めた席で投影し、わが社は総理大臣から招待状をもらうような信用のある会社です、と。
まあ招待状を悪用し、商売に使い、しかも大規模な詐欺行為に使われた、
という経緯が明らかになってきました。

まあだまされた人たちは、とんでもないことだ、と。

当然極めて不愉快に思っているでしょうね。


ネットでは、犯罪に使われたからと言って、それは罪ではないだろう、と。
なんとこの記事を書いた論客殿は、
そう言うんだったら、ジャパンライフの新聞広告を掲載した新聞社にも罪が発生するだろう、と主張するんです。
すごい屁理屈ですね。

正に安倍政権のちょうちん持ち。

だって、新聞社と言うのは、広告料が重要な収入源なわけでしょ。
つまり、得るものがあるから紙面を貸すわけじゃないですか。
だったら、この招待状を出した側に、なんらかの利益が発生している、と言う事になりませんか。

 

ま、論客殿の言い分はさておいて、
桜問題はさらに進展してきましたね。

ジャパンライフの被害をこうむった人の中の一人がテレビの取材に応じていました。
あの時、あの桜を見る会への招待状を見せつけられたおかげで、

うっかりと信用してしまった。

私の中で、あの招待状が与えた影響は大きい、と。
となるとですよ。
これは犯罪に結果的に加担してしまったわけで、
論客殿の言い分のように、安倍総理に罪はないにしても、

道義的な責任がない、とは言い切れないでしょう。
安倍ご当人は、よく知らなかった、とか、
お得意の、事務方が処置したことだ、とか、あれこれ言いますが、
多くのリーダーは部下のミスを自分の責任と捉えるものでしょ。

安倍首相は、今までなんらかのミスが発覚すると、

ほとんど、官僚を主体にした責任体制を作り、
自分は責任逃れをしてきました。
いや、私にはそうとしか思えません。

 

そもそも、リーダーと言うのは、ミスが起こらないように管理するのが最大の仕事です。
組織が動くのですから、すべてを掌握しているべきだ、と言うのは過酷な要求です。
ですが、ミスが起きないような体制づくりや、企画、計画、仕事の進展などで、

そういう問題が発生しないように管理するわけです。
ですがそれでも発生した場合、これは私の責任です、と認めることが重要なんです。

たぶん、官僚の何割かが、現政権の責任転嫁体質を、

心中ひそかに批判しているんじゃないか、と思うんですね。

 

話は飛びますが、責任転化体質といえば、韓国がそうですね。
基本的に、自らが責任を取る、と言う文化がないようです。
日本では、責任を、時に人の分まで負ったりしたものです。

侍精神とは、そういう責任を取ること、それを命を持って購う事なんですね。
その昔、武士道と云うは死ぬ事と見付けたり、とまでそのお意義を突き詰め炊きました。
責任の取り方として、死と交換したくらい、道義をを重んじたものです。
時に、これは武士ばかりか、男の生き様として、

義を見てせざるは勇無きなり、とまで言って、正義を重んじてきました。
つまり立場とか地位、財産とか、世間体などを超えて、
男の望まし生きざまを、責任をとる、という言葉に託してきたのです。

 

よくドラマなんかであるセリフですが、
どうか皆思うようにやっていただきたい。
何かあったら、この私が責任を取ります、と。
ですから、少なくとも、私たちの世代の男と言うのは、
時に、責任転嫁を最も嫌ったものです。

かといって、責任転嫁を受け入れる時代になったとも思えませんが。

 

さて、こう見てきますと、そろそろ責任の取り方を考えるべきではないでしょうか。

なにより、自民党内で、安倍一強とか言って、猫の首に誰も鈴を付けない。

つまり、この問題に対する自浄作用が全く発揮されていない。

自民党自体の体質も問われることになります。

 

ねえ安倍さん。
2週間前までは見切り千両でしたが、いささか時期を失してきたのですが、
いまなら、見切り500両で済みますけど。

| 水嶋かずあき | - | 11:07 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
旅の恥はかき捨て

どこのまちだって、経済的に豊かでありたいと願っています。
そこで、何らかの活路を求めてあれこれ模索をします。
そのうちの一つが観光開発です。

 

平塚でも、観光協会などが主体となって、何らかの観光事業を展開し、
地域経済活性化の一助にしようと活動を展開しています。
しかし、なかなかうまくゆかない。
これと言ったネタがないのです。
そもそも地域経済の振興のためになぜ観光なのか、ということですが、
観光の基本的な概念としては、他の地域のお金が、観光によりその地域に落とされる、
つまり、観光と言う名の経済なわけです。

 

単純に、いくつかの要素でその地域にお金が落ちます。
一つは、移動を伴うので、交通機関へお金が落ちます。
次に、飲食が行われます。

まあ、頭数は口の数ですから、基本的に飲食の機械が物理的に増えるわけです。

時に宿泊施設などにもお金が落ちます。
さらに、拝観料とか入場料のような施設利用料金が得られます。
そして、土産物などに代表される、地域の特色ある商品が購買されます。
まあバランスが同であるかはともかく、
なんらかの経済的な要因が拡大するわけです。
ですから、どこでも、観光的事業を何とか進められないか、と、四苦八苦するわけですね。

 

ところが最近、時に、異常なほどのヒートアップ現象が、特定の観光地に発生しています。
よく聞くのが京都ですね。
外国からの観光客が、町の中にあふれかえっていて、
それぞれの文化の違いから、その地の生活の領域を侵すようになると、
逆に、観光公害のような状況になってしまいます。
中には、舞子さんの写真を撮ろうと、しばしばトラブルが発生しています。

特に海外の方々は、そもそもの文化観が違うので、
トラブルを起こしがちです。

 

でも、よく考えてみれば、観光と言うのは、他の地域からやってくることが原則なんですから、
それはそれなりに多少の文化観、生活観などが異なることが前提です。
さらに悪いことに、旅の恥はかき捨て、という言葉の通り、
自分の生活を根ざしていない地域なんですから、
多少の恥ずかしいことでも、調子に乗ってやってしまうことは十分にありうることです。
それでなくても、観光と言う状況は、テンションが上がっているわけですから、
いつもと異なることもしがちです。


つまり、文化観とか、日常性とか、さらには心理的な要因も含め、
観光と言うのは、トラブルが発生することが前提として承知する必要があるのです。
基本は地域経済に振興とかがあったわけです。
それに伴う何らかのディメリットがあったとしても、

多少のことは受け入れるべきでしょ。
観光客の振る舞いに嫌気がさしているなら、

観光と言うこと自体の本質の認識が足りない、ということですよね。

 

ネットにこんなニュースが掲載されていました。
宇治茶の主産地である京都府和束町は、
茶畑景観を楽しむ上でのマナー順守を呼び掛ける手ぬぐいとリーフレットを作成したそうです。
近年、町を訪れる観光客が増える一方、マナー違反が問題化しており、和束町の観光案内所で配布すると言うんです。
この10年ほどで、観光客も増えた分、マナー違反も目立つようになってきたのですね。

そこで、このような行動に出たのだそうです。

町が作成した手ぬぐいは、緑の布に白い字で「私は茶畑に入りません」と書かれたもの。
リーフレットも作成し、A5判で
「茶畑は私有地ですので、無断で入らないで」
「茶葉や茶の生産に係る道具には触れないで」
「ゴミは持ち帰って」など6つの注意事項が記載されています。

ま、確かに、観光客が増えてくると、痛し痒し。
こう言う問題が発生するんですね。

 

基本は、人間の心に中に巣食う、旅の恥はかき捨て、と言う残念な意識です。
自分の町ではそんなことをしないという事なんでしょうが、
他の地域では匿名性が高いので、
ついつい自制の心が緩んでしまうんですね。
普段は、そこそこに世間体がありますから、まあまあ真面目な行動をとるんですが、
時に見知らぬ街などでは、少しばかり乱れた行動をとりがちなんですね。

実際、私達が、よその土地に行くと、
時におおらかで開放的な気分になり、ちょっとばかりルール違反があったとしても、
軽く考えて、まあいいじゃないの、とばかり、
自制の心を忘れてしまうんですね。
ま、情けないものです。


明らかに、こういう意識は、良心そのものが失われたりするからなんです。

特に、外国の人の開放的な行動に眉をひそめることがありますが、
人のふり見てわがふり直せ、ですね。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 22:08 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
休むことの重要性

私たちの世代と言うのは、ともかく働く、休まず働く、

ということに価値を見出していたように思うんです。
休まずやることを偉い、と思っていたんですね。
根性がある、とかしっかりしているとか、責任感が強い、とか。
一年間休まず学校に行けば皆勤賞でした。
会社なんかでもそうでしょ。
皆勤手当なんていうものがあった。
ボーナスなんかの査定でも、出勤率は大きく影響したでしょ。
生産性とか、能力などもさることながら、皆勤と言うのは人柄のように考えられていましたね。
ですから、休むということは怠惰な時間と捉えていたくらいです。

 

私は、以前七夕を造るのに、豊田にある谷地工務店の作業場を借りていました。
様々な専門的な工具があるのと、

そこそこ広かったので、製作物を置いておけるという大きなメリットがあったのです。
仕事の合間を縫って、紅谷町から20分近くかけて作業場に行き来していました。
つまり行き帰りなど考えると、かれこれ1時間弱ロスするわけです。
ですから寸暇を惜しむように作業しました。
大体早くて午前10時ぐらいから作業開始です。
で、昼飯も食べずに黙々と作業を続け、夕方になると片づけをしてその日の作業は終わります。
およそ、7〜8時間は動き続けるわけですね。
谷地工務店の大工さんたちは、その作業場で次の建築予定の下仕込をします。
材木を切ったり、ほぞを掘ったりです。
で、見ていると、午前10時に30分の休憩をします。
この間、ほとんどだらっとしています。
で、10時30分に作業再開、12時にお昼の休憩。
弁当食べて、お茶飲んで、時間があれば、まただらっとしています。
午後1時再開、で、3時になるとまた30分の小休憩。
仕事は5時に上がります。
つまり8時から始めて、2時間仕事、30分休憩、1時間半仕事、

1時間休憩、2時間仕事、30分休憩、1時間半仕事と言うことです。
つまり9時間の拘束で2時間の休憩を取っているわけです。
つまり、私が10時からぶっ通しで仕事している間、3回休むんですね。
時に、休憩とらねえと体が持たないよ、とかアドバイスをいただくんですが、
忙しい合間を縫ってやってることですから、そんな余裕はない、と答えるわけです。
で、ある時、と言っても何年か経ってのことですが、
ふと、私も休憩をとってみようと思い立ったのです。
多少年も取って疲れやすくなっていたのかもしれません。
で、ほぼ、彼らと同じように休むようにしたんですね。
そこで、気が付いたのですが、
休んでも作業の効率は変わらない、と言うことです。
休むことによって時に生じていたミスが激減しました。
頭が回る等になりますから、道具を探す時間が減りました。

私達、素人が大工仕事などすると、仕事が形になっていませんから、
その場その場の作業をするんですね。
つまり、使った道具を適当にその辺においてしまう。
そして、次にその道具を使う時に探すんです。
切り端の山に埋もれていたりするとなかなか見つけられない。
疲れてくると、この道具探しの時間が多くなるんです。


結局、休憩を取ることで、集中力も体力も回復し、
結果としては、そこそこの生産性を維持できますし、何より安全になるんですね。

大工道具と言っても今時は大半がモーターを回した電気工具を使います。
ちょっとぼおっとしてると怪我をするんですね。

 

元横綱の稀勢の里、現荒磯親方が、現役最後の肝心なところで怪我で万全の態勢が整えられず、
結果、引退に追い込まれましたね。
そこで色々と反省したそうです。

 

「ケガをしてからは、人間の体についていろいろと勉強させてもらいました。

暇さえあれば、人体模型のアプリを見ていたり。と。
骨格、関節、そして筋肉はどんな動きをするのか。
動きを頭で理解しつつ、復帰したらどんな動きをしようかとか、あれやこれやと考えていました。」


そうした勉強を進めていく中で、荒磯親方は、なぜケガをしたかがわかってきました。

「それは、稽古のし過ぎです。
人間の体にとって必要な、休養の重要性をわかっていませんでした。
私は1年365日、基本的に稽古を休まない人間でした。
それが強くなる唯一の道だと信じていたのです。
ところが、場所前と場所後にエコーで筋組織を調べてみると、
場所が終わってからは、1ミリか2ミリほど、筋肉が削れていました。

稽古をすればするほど強くなれると信じていた自分にとっては衝撃的な事実でした。
やればやるほど負担も大きく、筋肉が痩せていく。

私に必要だったのは休養だったのです。」

かなり重要な認識でしょ。


休むことも重要なんですね。

仕事を引退し、毎日が休みの人間が言うことではないのですが、

休んでいるばっかりの人には、聴かせたくない話ですね。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 10:09 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
鬼が笑うかも

あさっては師走。
なんか妙に季節感がヅレてしまったのでしょうか。
今年も残すところ一か月とちょっと、なんて常套句が不自然な感じがします。


師走になると、一気に忘年会シーズン。
以前は、紅谷町の舟平などでは、忘年会と言うと、正に掻き入れ時。

と、ここで、漢字が正しく使われたか、をチェックしました。
「かきいれどき」は「書き入れ時」が正解だそうです。
そもそもの意味は、商売で客が多くなると、帳簿に書き入れることが増えるので、
書き入れ時、という漢字を使うのだそうです。
知らなかった。

 

さて、私の浅学ぶりはともかく、
忘年会が幾分かおさまると、次はおせち料理です。
ですから、師走は、年賀状など、かなり計画的に準備しないと、
忙しさにかまけて、欠礼となることがあるんですね。
そんな状態の師走を過ごしてきたせいか、
現役引退を決めこんだ今は、逆に妙に手持無沙汰になってしまうんですね。
せめて、世間並みの師走感を味わおうと、結構訳の分からない理由を作って、
忘年会をいくつか計画しています。
その面ではまだまだ現役だぞ、というわけです。

 

さて、師走といえば、もう来年のカレンダーも準備され、
早速一部新年の予定を書き込んだりしますが、
何故か来年のことを言えば鬼が笑う、などと言うでしょ。
どうして笑われるのか、しかもなぜ鬼なのか、ずうっと疑問でした。
この笑うは、おかしくてゲラゲラ笑うではないんですね。
いわゆる、嘲笑の類の笑いです。
予測できるはずのない未来のことを言うと、鬼でさえおかしくてせせら笑うという事です。

でも、そんなこと言ってると、先のことの話はできないでしょ。
だから、笑われるからよす、と言うのではなく、
笑う奴っているもんだ、と言う方が正解でしょうね。

 

で、来年の話です。

実は、来年の七夕祭りのデザインがほぼ仕上がったんです。
鬼に笑われそうです。
今年、いくつか失敗した点がありました。
何より、照明についてです。
私は、ここ数年で、七夕づくりを再開したのですが、
いくらか今浦島的なところがあって、
15年ほどのブランクの中で、勝手が違う部分が生じていました。
その一つが電気関係のことだったのです。
それは、今年の飾りの電気容量が大きすぎて、そのままでは対応が厳しい
と言うことになってしまいました。
なんとか電源を散らして、事なきを得たのですが、
電気工事をするものから、来年は注意して下さい、とのお叱りがあったのです。
まあ単純に言えば従来の白熱球を使用するのはやめてくれ、とのことなのです。
私は、まさかLEDを使うなんて夢にも思わなかったのです。
単純に、そんな高いものを、たかだか3日間のお祭りに使うなんて、
コストパフォーマンスが悪すぎる、と。
そこで、40wとか60wの白熱球を安売りのところで、
ほぼ1球100円程度で買っていたのです。
ところがあれこれ情報を集めてみると、

DAISOで、40wが108円(旧の消費税ですから)で売っているというんですね。
あのLED電球がですよ。
まさかの100均で売られていたんですね。
で、今日、DAISOに用があって、ついでに60wのLEDを買ったんです。
すると150円だというんですね。
まあ、40wが100円ですから、60wが150円でも驚かないのですが、
それにしても、ついこの間まで、ホームセンターなどの電球通売り場に行けば、
1000円前後だったように思うのです。
いやいや製造している会社の方には、その努力を称えたいのですが、
通常の白熱球と変わらないコストにまで下げたと言うのは、
相当の努力があったんでしょうね。

来年はLEDを使うことで、電気容量についてはカバーできそうです。

 

目まぐるしく進化する世の中についてゆくのが精いっぱい。
あまりの変化に、正に来年の予測など口にするのは、
おこがましいかもしれませんね。
でも、来年の七夕は、もう少しましな飾りにできそうだ、と思っています。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 19:03 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
習い性になる

桜を見る会の問題は、やたら底辺が広がってきて、
やれシュレッダーだの、安倍後援会だの、アッキ―枠だの、お呼ばれした芸能人のことだの、
雰囲気としては3面記事的な内容に変わりつつあります。
そもそもが政治問題なのに、3面記事的な要素の方が、受けがいいんですかね。
例えば、香港での区議会選挙で、民主派圧勝の話とか、
GSOMIA破棄回避で、韓国が混乱しつつあるとか、
トランプ大統領の弾劾のその後の様子とか、
もっと知りたいことはさておいて、
桜と沢尻で、話題満開状態。

 

で、よくよく観察してみると、
様々な社会事象、社会問題について、ともかく驚くほどの人が意見を言う。
ちょとばかり名前が売れている人が、ツィッターでささやくと、
何倍にも拡大されて、発言が取り上げられ、またこれに意見が付けられるなど、
炎上型の情報拡散が続いています。
ま、誰が何を言ってるかはわかるのが幸いなんですが、
その人の知名度で取り上げるんでしょうから、
一般のこれと言って意見を持たない人への影響を考えると、
そこそこ名前が売れていて、しばしばその発言が取り上げられる人は、

感情のまま、思うがままに物を言うのは自制したほうがいいんじゃないか、と思うんですね。

 

それらの人の中で、比較的注目されているのが、ホリエモンこと堀江貴文氏。
私は彼の発言を聞いて、なるほどと思うことが少ないのです。
どこか視点が違うのでしょうが、
申し訳ないのですが、彼が前科者である、と言う色眼鏡が外せないのです。
確かに罪を償い、刑期を全うしたのでしょうが、
それですべて帳消しになるというものではない。
前非を悔い続けなくてはいけない、と言うこともない、と思っていますが、
どこか、頭の隅に、私は日本の法を犯した人間である、

という思いは抱き続けるべきだと思うのです。
彼の発言からそれを感じないのですね。

 

驚いた発言がありました。
沢尻容疑者の麻薬汚染問題ですが、

多くの人が、麻薬について、厳罰化をする必要があるんじゃないか、と言ったんですね。
実は私も厳罰化をすべきである、と思っています。
以前もしばしばこのブログに書きましたが、罪と罰は、犯罪で得るものとのバランスで成り立っているんですね。
1人殺すより、5人殺す方が罪が重い。
100万円だまし取るより、1億円だまし取る方が罪が重い。
ワルは犯罪を起こす前に、ちらっと、割に合うかどうかを考えるそうです。
もちろんそんな理性的な状態ばかりとは思えませんが、
頭のスミで、捕まったとしても、これなら割りに合う、とか割に合わないとか、という判断をするんですね。
ですから、計量の大小は、犯罪の抑止に影響するはずです。
飲酒運転の計量が軽かった頃、やたら交通事故死が多く、年間で1万6千人を超えていました。

厳罰化をすることになり、今では4000人まで下がりました。

4分の1まで減らすことができたんですね。
そう言うものです。


で、ホリエモンは、ある発言の中で、麻薬そのものを擁護しているんですね。

一部合法化すべきだ、これと言って世間に迷惑をかけているわけじゃない、と。
だから、そうそう目くじらを立てなさんな、と言わんばかりにです。
いやとんでもない屁理屈です。
よく意味不明のできごとがあって、時に市民が巻き込まれることがあるでしょ。
どうしてそんなことしたんだろう、と。
こういう時はある確率で、麻薬をやっていることが多いですね。
だから、迷惑をかけていない、と言う論拠はないんです。
さらにホリエモンは、彼が服役していた刑務所の中で、麻薬をやっていた連中を様子を見ていると、
ごく普通の言動である、と言ってるんですね。
だから麻薬をすることはそれほどの問題を引き起こしはしない、と。
これも驚きの発言でしょ。

だって刑務所の中では麻薬をすることができないんですから、それは普通の言動を取るでしょ。
なんてばかばかしい論拠でものをいうんでしょうね。
したがって、麻薬について厳罰化を声高に言う人間は、浅はかである、と断罪しているんです。

 

厳罰はそういう行為を強く規制しようとしている、いわばよくないという考え方があるからです。
シンガポールでは、禁煙エリアでタバコを吸うと8万円の罰金。
いままで、別にいいだろう、と考えていた人は、注意するようになるでしょうね。
まして一度罰金を払った経験があれば、二度としないでしょうね。
その8万円で何が変えるか、何を食べられるか、と考えたら、

たばこを吸いたいという衝動をコントロールできるようになるはずです。
ちなみに、シンガポールでは、唾を吐いたら8万円。
なんと小便をしてトイレの水を流さなければ8万円です。
シンガポールの町がきれいなわけは、きれいでありたいという気持ちを法制化し、
罰則で規制しているからです。


習い性になる、と言いますが、繰り返していると、自然とそうなるんですね。

残念ですが、時に厳罰は効果があると思うんですね。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 10:12 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
邪魔にならない年寄りになる

近頃、時々感じるのですが、皆見てくれが若くなって来たでしょ。
知り合って、少し親しくなると、ずけずけと年齢を聞くようになります。
いくつですか、などとダイレクトなのは、ちょっと憚られるので、
さりげなく干支を聞いたりするんですが、時にピンとこなくて、
結局何年生まれかと、つまるところ年齢を聞くのと同じことなんですが、
そうすると、昭和何年です、とか言う。
素早く計算して、年齢がわかる。
で、見た目と大体違うもんでしょ。
おおよそ5歳やそこいらは若く見えます。


例えば、昔の70歳は、結構なジジババでした。
でも、最近の年よりはさほどの風体ではないですよね。
特にテレビで出ている芸能人など、本当にそんな年だったっけ、と感じるでしょ。

で、ある時こんなことを聞きました。
人の見てくれで、若く感じるとします。
60歳が50ぐらいとか、80歳の人が60そこそことか、
妙に若く感じる人がいるでしょ。
この場合、体力的にも、感じられる年齢に近いのだそうです。
つまり、見た目と肉体的年齢はほぼ一致するのだそうです。
見た目、いかにもよぼよぼしているのは、やはり肉体的にも老化しているんだそうです。


よく思うのですが、子供のころの童謡で、
「村の外れの船頭さんは、今年60のおじいさん。
年を取ってもお舟を漕ぐときは、
元気いっぱい櫓がしなる、それ、ギッチラギッチラギッチラコン」
と言う歌詞でしたよね。
なんと60歳のおじいさんがとても元気だと言うんです。
なんか今時なら、生産年齢ですから、元気は当たり前でしょ。
ごく普通に仕事して働いていますね。
60歳です、と言ったて、誰も驚かない。

日本人全員が若くなって元気で、年を取っても昔のようによぼよぼしているわけじゃない。
さ、そこで、だったら働いてもらいましょう、ということになりました。


その一つ、
全世代型社会保障検討会議が開催されました。
で、医療や年金、高齢者の働き方などの制度見直しを軸とした12月の中間報告へ詰めの議論を行ったそうです。
医療ではこの会議の民間メンバーから、75歳以上の後期高齢者が医療機関で払う自己負担を

現在の原則1割から2割に引き上げる案が強く提案されたようです。
確かに、高齢者は病気になりやすく、しばしば病院に掛かります。
かく言う私も、7年前に発症した重症筋無力症のメンテナンスとして、
定期的に病院に検診に行きます。
ちなみに、ある薬を飲まなくてはいけないのですが、これが高い。
たまたま50日分を処方してもらったのですが、これが4万3千円。
これは3割負担の額。
つまり、残りの7割、14万余りは国が負担しているわけです。
最初、薬代を支払ったとき、え、43000円?と驚いたのです。
一日に換算すれば、私が880円負担し、国が2930円負担する。
ちなみに年間で、私と国で139万円のお金が必要なんです。
なんと、国は年間で107万円の負担をしているわけです。
これは個人のことなので、国全体としてはどんな数字なのか知りませんが、
具合の悪いジジババが病院に押し掛けてゆきますけど、
それに応じて、国としてはかなりの負担を強いられるというわけです。
まあ、2割負担は仕方ないでしょうね。


それが高いというなら、病院に行かなければいい。
誰だって好き好んで、病気になるわけじゃないのですが、

ある奴はぴんぴんしていて、ある奴は病に倒れる。
これも、運不運と捉えるしかないでしょ。

ちなみに診療カードが病院ごとに発行されていますが、
私も歯医者、眼医者、皮膚科、神経内科、整形外科、耳鼻科、などなど、
まるでトランプができるんじゃないか、というくらいカードを持ってます。
と言うことは、なんだかんだとどこかが具合悪くなるわけですね。
となると、病院に行く。
だから、国の医療費も結構な額でしょ。
確か日本の昨年度医療費総額が40兆を超えた、とか聞きました。
これは私たちジジババを含め、何とかしなきゃ、という問題でしょ。
でないとこの後、若い人たちが年を取った時、医療制度は破たんしないとも限らない。
今のうちに少しでも出来る事はしておくべきでしょ。
まあ、そのため2割負担になったとしても、これは仕方ないことですね。

 

あわせて、働き方改革として、離職年齢を引き上げようと言うことのようです。
できるだけ、年とっても働け、と。
これは、二つの方法があると思います。
一つは生産性を落とさないために、年配者も生産に携わる、ということ。
で、もう一つは、引退した人が、より積極的にボランティア活動をし、
社会の負担を軽減させるということです。


まあ、いままで、給料をもらって、色々と支えられてきたんですから、
せめて、支えられた分の千分の1でも、万分の1でもお返しができればいいでしょ。
人生の借りを少なくしてあの世に行きましょ。


その意味でも、何か少しは世の役に立つことを手掛けたらどうでしょうかね。

邪魔にならない年寄りを目指すことも大事でしょ。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 22:31 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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