水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
福祉の望ましい扱い方

20年前の話です。
私の紅谷町の店の奥に、事務所がありました。
旧料亭の座敷をそのまま使っていましたので、

事務所というには、妙に風情豊かなところでした。
そこの部屋には、楕円の会議テーブルがあって、
10人ぐらいは卓を囲んで会議ができるような大きさだったのです。


当時発足したばかりのナパサクラブの連中がよくやってきて、

クラブの運営や、番組構成の打合せなどをしていたものでした。
クラブは、番組単位のグーループの集合体で、
それぞれ自立して運営されていたのです。
私は、そのころは金曜日の午後3時からの
グルメグルメグルメの担当でしたが、
新たに木曜日にも枠が広がることになって、
その新しい枠には、後藤さんが責任者として、番組の構成を練ることになったのです。
で、その第一回の会議の時のことです。


私は仕事中でしたので、その楕円卓の横の事務机で、
デスクワークをしていましたが、
隣と言っても、ひじが当たるほどの距離なので、
話をしている内容を、ついつい聞いてしまいます。
で、どうやら、木曜日のテーマを福祉に絞ろう、と言うことになったようなんです。
ついては、その内容をどうするかについてさまざまに意見を出し合っていました。

その経緯を聞きながら、ついつい、私はその会議に口を挟んでしまったんです。
と言うのは、福祉と言うテーマはかなり難しい、と思っていましたので。
こんな風に言発言しました。


「健常者と障害者の間には、実に微妙な溝があります。
実際、健常者は障害者の感覚や感情を忠実に把握できていない事が多いのです。
ほぼ、すべて推測です。
きっとこんなだろう、と。
そこで、過剰に感情を乗せて、ある種の同情的な視点で捉えたとすると、
彼らにとってみれば、時に有難迷惑に近い感覚になる場合もある。

要は押しつけの同情ですね。
かといって、冷静に距離を置かれたら、それは薄情な行為となってしまう。
私は、障害者とのささやかな交流の経験から、
ジャストフィット、と言うことがなかなか難しい、と感じています。
それは、何より、障害者自身が、自分の障害に対して、そのとらえ方が千差万別だからです。
ある同じ行為だって、人によって、薄情だ、と言う人もいれば、
そこまでされる必要はない、と言う人もいます。
要は、大事なテーマだけど、取り扱いが大変難しい」と。
そこで、次のような提案をしました。
まず第一段階として、福祉に関するテーマを障害者である彼らとともにつくる。
どこにどのような人がスタッフになってくれそうか、
これは、金のわらじで探し回る。
エンジニアでもいいし、構成を考えるプロデューサーでもいいし、
しゃべり手でもいい。
ともかく現メンバーと障害者の混成チームを作る。
そして、ある期間の中で、ステップアップを図りながら、

最終的に、障害者だけで番組制作をする、
と言うものでした。
で、後藤さんはこれを大変よく理解してくれて、
結果的には、この流れで番組作りを見事に展開し、
最後は、エンジニアもパーソナリティも全部障害者で構成したチームが出来上がったのです。
この中に、ろうあの方がいて、幾分か発声はできるのですが、
正直、何を言っているのかよくわからないのですね。
ですから、局に、しばしば、何を言ってるんだか分からない、と言うクレームの電話が入るんです。
で、そのたびに、実はこれはかくかくしかじかの趣旨で、
番組を制作しています、と説明すると、100%理解してもらえたのです。
時に、クレーマー自身の不明を詫びる人もいましたし、
最後は激励してくれたものです。


正直、福祉をあつかう、と言うことはむずかしものです。
過剰な情も、不足する情も、微妙に問題を作り出してしまうんです。
先日の24時間テレビと言い、NHKの番組で提起された、感動ポルノと言い、
それぞれ、何か視点がヅレているような気がするんです。


確かに難しいテーマですが、人間としての同じ根っこで考えればいいことで、
なにが健常で、なにが障害なのか、整理してみる必要がありそうです。


感動ポルノへの反発から、パラリンピックへの偏見が生まれることが心配です。

 

| 水嶋かずあき | あれこれ | 09:41 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
犬も歩けば棒に当たる

最近の日本語と言うと、いささか乱れすぎではないか、と思っています。
簡単に「超」を付けてみたり、やばい、を連発したり、はんぱねえ、が標準的に使われたり、
日本語が持っている情緒とか、倫理観、社会観、哲学観など、
すっかり無視されているように思うのです。


これは学生時代に、ある授業で聞いた話です。
私は、専攻科目が演劇専修でしたので、このような場面があったのだと思うのですが、
しばしば、近松門左衛門とシェークスピアが比較研究されたのです。
日英の代表的劇作家です。
で、担当の教授は、よく考えてみろ、いま、君たちが近松を読もうと思ったら、
古文の知識がないと読み切れないだろ、と。

確かにそうです。

訳注のない原文をすらすらとは読めません。
一方、今のイギリス人でも、シェークスピアは、普通に読む。
これは、日本語が、比較的変化しやすい言語だからだ、と言ったんですね。
私は、日本語の変遷を勉強したわけではないので、
これを単純に受け入れてしまい、はやり言葉から、日本語が変化してゆくことを
容認するようになってきました。
ある意味、進化だし、ある意味仕方ないことだ、と。
だって、世の中変わるし、新しい概念が登場するし、
それらを受け入れなくては、時代の流れを作り出せない、と思ったからです。
ですから、明らかに誤用であっても、多くの人がそれを使い始めれると、
それはそれで存在してしまうんですね。
いい例が、一生懸命です。
もともとこんな言葉はありませんでした。
本来は一所懸命でした。
これは、武士が、いくさの時に、守るべきものを命を懸けて守る、と言う意味だったはずです。
あるものは、その合戦の時に、東の大門を死守するように命を受けた。
この東の大門をなんとしても守る、そのためには命を懸ける、
と言うのが、大門と言う一所であり、それを命がけで守るというのが、
懸命と言うことだったのです。
ま、なんとなく音が似ているから、誰かが一生懸命と誤用したのでしょうが、
これが、一般的になってしまうと、もはや認めざるを得なくなって、
日本語の辞典に載るようになるんです。
違うな、と思っても、まあそれは流れでしょうから、受け入れざるを得ないし、
そうは世の中、混乱が起きることもない、と言う、
日本人のおおらかな気質もあるんでしょうね。


さて、とはいえ、です。
平常に使われている言葉に、妙に、ことわざが少なくなってきたように思うのです。
学生時代、秋田の友人の家に遊びに行った時、
そこのおふくろさんが、何か言うたびに、諺を引き合いに出すのです。
朝起きて、もう家事を始めておふくろさんに、朝が早いですね、とか言おうものなら、
そりゃあ早起きは三文の得、っていうじゃないか、と言う具合です。
私たちの世代は、会話の中で、大人たちから、ことわざを絶えず聞かされてきました。
そして、それは、日本人として生きてきた知恵だったわけです。
親のアドバイスを無視して、失敗をすれば、
親の意見となすびの花は、百に一つの無駄もない、とか言われるんですね。
言われてみれば、そりゃそうだ、と。
そもそもことわざの中には、凝縮した哲学が込められていましたし、
倫理、道徳ともいうべき、社会性を促す意味合いが含まれていたように思います。


こんなデータがありました。
日本人の中学生、高校生、大学生、49歳以下、50歳以上の各世代別に、
100問ほどのことわざを提示し、その理解度、認識度を調べたのです。
言うまでもなく、年を取るほどその認識は深まる、と思うでしょ。
たしかに、50歳以上の世代は、しっかりとことわざを理解していました。
で、問題は中学生、高校生、大学生の世代です。
基礎的なことわざ、15問に限って言えば、
中学生が他の世代より正解数が高かったのが、6問もあるんです。
で、大学生と中学生の対抗では、大学生は5勝10敗と大負けです。
この理由は分かりませんが、ある時点での教育、と言う問題なんでしょうね。
気になったのは、49歳以下が結構点が悪かったことです。
ことわざと言うのは、口伝の文化だと思うんです。
どこかがへこんだら、そのあとを回復するのは難しい。

口伝というのは、世代から世代に伝わるからです。
その意味で、折角培ってきた日本人の生活の知恵を
何とか維持させてゆきたいものだ、と思うのです。


その類のアプリが作れないでしょうかね。

 

ちなみに、犬も歩けば棒に当たる、というのは、そのことわざテストで、

ほぼ、どの世代も100%近く正解したものです。
 

| 水嶋かずあき | あれこれ | 09:48 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
防災の基本は、防災意識

イタリア中部での地震災害で、280人超が犠牲になったそうです。
正直、地名を言われても、なかなかピンときません。

あの長靴の、ふくらはぎあたり、と言ったところでしょうか。

せめて、イタリア中部と言う理解しかできませんが、
バルマーレに在籍していた中田英寿さんが、最初に移籍したペルージャのあるところです。


現地からの映像では、がれきも片付いていないようなので、
おそらくこの数は増えそうです。
中部ラクイラでは2009年、300人以上が犠牲となる地震が起きたことなど、
そもそもイタリアは地震の多い国の一つです。
今回の震源地からはほぼ同じ距離のまち、ノルチャは、
かなりの震度だったにもかかわらず、死者を出しませんでした。
もっとも、歴史的建造物の多くは、内装が破損するなどの被害はありました。
それでも、ノルチャの住民は、死者を出さなかったことについて、
過去の大地震の経験を生かし、耐震工事や迅速な避難を心掛けた成果だ、
と言っているそうです。


このノルチャは、普段は、観光客が多く訪れる街だそうですが、
今は誰もいない、とか。
まあ、それは、いくら地震に強いまち、といったって、
昨日の今日の話ですから、それはそうでしょうね。
ノルチャの町では1979年と97年にも大きな地震があり、

多くの人が壊れた建物の下敷きになって命を落としました。
その教訓を踏まえ、住民の大半が国の補助金などを活用して自宅に耐震工事を施した結果、
今回の地震では家屋全壊を免れることができたのです。
これに対し、周辺の自治体は過去の地震でそれほど大きな被害に見舞われなかったため、
本格的な対策がなされなかったのだそうです。

防災意識の差が、現れたのですね。
今回の地震で、

地震多発国でありながら、被災地では建物の耐震化が進んでいない実態が浮き彫りになり
地震に備えるイタリア全体としての国民意識の不十分さも指摘されています。

しかし、ある意味イタリアそのものが抱える問題なんですが、

ご存知の通り、歴史的な建築物を多く抱える国ですから、

この保全との両立の問題もあり、対応は容易ではなさそうです。


私は、この報を受けた時、東日本大震災のほぼ一か月前に発生した、

ニュージーランドのクライストチャーチの地震を思い浮かべました。
この時は、日本人の多くが巻き込まれて犠牲になりましたが、
要は石積みの建物で、一見丈夫そうですが、揺れに弱い構造で、
耐震補強工事などがなされていませんでした。

そのために、がれきの下敷きになると、命に関わることが多いのですね。
世界中、割と、この状況に近い所が多いように思うのです。
建物の構造的な耐震性もさることながら、
地震の備えとしての考えが、安易すぎるんですね。


これらは、日本と比較できませんが、私は日本も似たり寄ったりだと思うのです。
私は、かれこれ20年以上、防災活動をやってきました。
当然非力ですし、十分な説得力もないのですが、
いつも感じることは、いくら言っても、さほど認識は改まらない、
と言うことです。
過去に、関東大震災、と言うとてつもない災害に見舞われたところにも関わらず、
のど元過ぎれば熱さ忘れる、と言ったらいいのでしょうか、
自分たちは地震と縁のない所に住んでいる、
とでも思っているのでしょうか、
防災意識がいささか低く、安易すぎる、と思うのです。
とやかく細かい部分はともかく、
防災の根本は、死なない事なんです。


ノルチャのまちは、建物の一部は損壊しましたが、
大きなけが人1人出さなかったのは、
まちとして、防災意識が高かったからです。


イタリアでは、2000年以降には本格的な耐震基準などが定められました。
しかし、その適用は新築の建物のみで、古い建物の耐震化が大きな課題となっていたのです。
国では、建物の耐震化のため10億ユーロ(約1140億円)を用意したそうですが、
活用は進みませんでした。
制度の問題が指摘されていますが、
要は、馬を水飲み場につれてゆくことはできるけど、
その馬が水を飲むかどうかはまた別の問題だ、
などとたとえられるように、
意識と言うのがキーポイントになってくるのです。

 

このようなニュースが届くたびに、

他人事ではない、と思ってくれる人が増えてほしいと思います。

イタリアでの犠牲者のご冥福を祈ります。
 

| 水嶋かずあき | 環境 | 13:12 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
朝弁慶名入番傘出来

6月21日のブログでも触れましたが、
平塚出身の十両力士、朝弁慶関に、
湘南の和傘職人、杉崎さんに、朝弁慶の名入りの番傘を作ってもらい、
これを贈呈しよう、と言う企画を進めてきました。


朝弁慶関は、平塚出身の関取としては、二百何十年ぶり、と言う事で、
江戸の頃までさかのぼるそうです。

雷電と相撲を取った記録が残っているということですから、

(すみませんしこ名は忘れました)

とてつもない昔の話で、それ以来ということですから、これは大変なことです。

 

で、まあ、これは、柔道金メダルのベイカー君のように、
我が街としては誉有る事じゃないですか。

そこで、周囲に相談したところ、
皆二つ返事で賛成していただきました。
そもそも杉崎さんは、小田原出身なんですが、一時市役所に勤務、
その後、一念発起して、和傘職人の道を目指すことになったのです。
で、現住所的には茅ヶ崎なんですが、
近々、平塚に引っ越してくる予定のようで、
その意味では、番傘を贈られる方も、作る方も平塚と言うことになります。


で、この傘には、力強い文字が書かれているほうがいいでしょ。
パソコンかなんかから、江戸文字を落として、傘に転写したところで、
なんか通り一遍のような気がしたんです。
そこで、書は、荒井だるま店の荒井星冠さんにお願いしたんです。


荒井さんは、数年前から、私が会長を仰せつかっている美術家の集団である

すさ美会に入会されて、毎年の作品展に、実に大胆な書を出品されています。
こういう美術展などは、搬入日にそれぞれ持ち寄って、
館内に展示をするんですが、
その作品を最初に見た時に、とてつもなく驚いたんです。
一期一会と言う書だったんですが、
今迄の常識を覆られたくらい、大胆で、奔放で、力強い書だったんですね。
以来、彼の才能には、一目も二目も置いていたんです。
ですから、この話がはしまったときは、文字を書くのは荒井さんしかいない、
と決めていました。
幸い、彼も、快く引き受けていただき、
やはり思っていた通りの豪胆な、朝弁慶の三文字が書かれたのです。
これを受けて、杉崎さんは作業に入ります。
杉崎さんから、7月の末に、胴張ができました、と連絡があったのです。
胴張とは、組み上げた傘の骨に、和紙を貼り付けたもので、
この後、紙に油を敷き、最後の仕上げをするのですが、
いわば、第一段階終了、と言った感じでしょうか。
まずは思ったより、うまい配置で文字が書き込まれていました。
その後、細工は流々、仕上げをごろうじろ、とばかりに、
和傘は完成しました。


そこで、今日、午後6時から、その贈呈式が行われます。
高砂部屋では、もう20年来、夏になると、この平塚で恒例の夏合宿が行われ、
総合公園内の土俵で、稽古が行われるのですが、
これに前後して、後援会で、激励会のような集いが開催されるのです。
今年も開催されるので、これに便乗して、番傘の贈呈式を行おうというものです。
贈呈は、湘南高砂部屋後援会の会長の相原さん、
以前か化粧まわしを贈呈した時の、いわば朝弁慶後援会長的な立場の竹内さん。
そうそう、番傘の贈呈とともに、白い相州ダルマが贈呈されます。
もちろん、荒井星冠さんの作。
達磨はご存じのとおり、七転び八起き、の縁起物。
ですから、7敗したって8勝すればいいのが相撲の世界。
この七転び八起きにかけて、転んでも転んでもまた起き上がって、頑張りぬくようにと、
白達磨が贈呈されます。
これには、出席者の方に寄せ書きをして戴こう、と言う趣向です。
そう、頑張れ朝弁慶、と。


ちなみに、この一連のストーリーは、9月1日からのSCNクラブアワーとしての
市民クラブTVの枠で放送されます。
とはいえ、きょう、あすと撮影したものをが含まれますので、
編集は、大わらわですね。
SCNさん、すみませんいつもいつもご面倒掛けまして。

 

皆さま、ぜひご覧ください。

 

| 水嶋かずあき | あれこれ | 09:51 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ホンネとタテマエ

3年前のことです。
紅谷町の22階建てのマンションに移り住んで、
一息ついたころ、その年度の理事をすることになりました。


大体、この類、自治会とか町内会とか、マンションの理事とか言うのは、
なんとなく誰もが敬遠するんですね。
暇っかき(収入を伴わない仕事)になるから、とか、つまらなそうとか。
そこで、ほっとけばやり手がいなくなるのと、
逆に暇人がいつまでも役職を続けて、妙な利権が発生したりする。
時に金銭がらみの不祥事が起きたりするといけないので、
大体単年度任期。
と言うことは、なんだかんだと、輪番になっていて、
それが平等と言うことのようですが、
要は、何年かに一度割り当てが回ってくるということなんです。


で、引っ越した年、いきなり当番になっていたわけです。
私は性格上、受けたことはちゃんとやり抜く、を目指してきたので、
つまらなそうなマンションの輪番理事でも、
それなりに活動したんですね。
だって、そのことで、マンションの環境が改善されたら、
いきなりそれは自分に返ってくるわけでしょ。
できることはやる、と言うのは、当然のことではないですか。


そこで、日頃感じていたコミュニティ意識の薄さを何とかしたい、と思ったんですね。
何しろ一つ屋根の下で、100世帯以上の人が暮らしているんです。
この問題をほっといていいわけがない。
たとえば、松風町時代は、家の門を出て、どこに行こうと、
隣近所の人に会うことはあまりありませんでした。
極端な話、同じ町内の人と会って挨拶、と言うのはあまり経験がなかったんですね。
時に裏の家の人はどんな人か、なんて知らなかったですから。
ところが、マンションでは、ここが違うんです。
玄関は共通ですから、出入りのたびに誰かとすれ違います。
エレベーターで一緒になる。
子供連れの人なんか、ついつい話をします。
いくつになったか、とか、話題は何でもいいのです。
この間まで普通に歩いていた人が、
杖かなんかついていると、どうしました、とか聞くでしょ。
学校帰りの子供たちには、お帰りなさい、と声を掛けますよね。
いわば、一つの屋根の下でともに暮らしている人、と言う実感があるんですね。
に、しても、ちょっとまだまだ隣人としての意識が弱いというか、
コミュニケ―ションの取り方が微妙にぎくしゃくすることがあるんです。
そこでなんか行事をすることで、コミュニケーションを円滑にする

きっかけを作ろう、と考えたんですね。


ちょうど、夏が始まったころだったので、その月の理事会に、
屋上で花火見物をしないか、と提案したんです。
いや、ただの見物ではお遊びだけになるので、屋上避難訓練をかねて、と言うことにしたんです。
まさに、ホンネとタテマエの使い分けです。

花火がタテマエか、避難訓練がホンネか、あるいは逆か、微妙なところですが。
そもそもは、このビルは、高さが60メートルちょっと。
で、万一火災が発生したらどうなるか、と言うことなんですが、
平塚市にある消防のはしご車の最高到達距離が45メートル。
15メートル足りないんですね。
そこで、設計時にこの問題をどうするか、と言うことになって、
結局、屋上にヘリポートを設け、ここから避難してきた人を救い出そう、と言うことになったんですね。
厳密には、ヘリコプターが着陸すると、その重量がかかるんで、そこまでの強度がないので、
ホバリング、といって、少し浮いた状態で、次々と人を乗せて避難させる、と言うことなんです。
まあ、ざっとした感じで言えば、屋上にヘリポートがある、と。
しかし、日頃、むやみに入るな、と言うことになっているから、

実際はだれも屋上に言ったことがないんですね。
そんな中で避難訓練を兼ねた花火見物をしよう、と言ったら、
管理会社の担当者が、やたらとそういうことをするのはまずい、と言い始めたのです。
そこで、カチッと来た私は、こう言いました。
このマンションの管理は、実務としてはあなた方に委託していますが、
その運用の方向性を決めるのは、住民であるこの理事会です。
私達は、あなた方に管理される立場ではありません。
まして、いざ災害が発生した時、行ったこともない場所に、どうやって行くんですか。
行き方がわからないために、命にかかわることが発生した時、

だれがどんな責任を取るんですか。
防災と言う観点でも、何かをきっかけとして、

躊躇なく屋上に避難できる訓練は必要だ、と。
これにはさすがに、管理担当者の反論できず、

かなりスムーズんこの企画が認められたのです。


今年で三回目です。
150人ほどの人が参加されます。
何しろ、飲み放題食べ放題の大懇親会みたいなものです。
もっとも、この150人前の料理は、私が一手に作ります。
まあ、凝ったものではありませんが、
おいしくビールを飲める程度の料理と、

子供たちがお腹いっぱいになるような食べ物は十分に用意しています。


ちょっと遠めですが、馬入河口で打ち上げられる花火を眺めながら、
年に一度の納涼会が今日、開催されます。

避難訓練を兼ねて。

 

| 水嶋かずあき | あれこれ | 04:38 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
一村一品運動

平松守彦元大分県知事が逝去されました。
平松さんについては、まさに知る人ぞ知る、と言うことですが、
むしろ、知らない方が多いと思います。


私は、20代後半から青年会議所に所属し、
当時、組織のテーマであるまちづくりについて、

何かと勉強をすることになりましたが、
その中の一つで、平松さんの提唱した
一村一品運動という、実践型のまちづくり運動に触れ、
大いに啓発されたものです。


おそらく多くの自治体がこの事例の勉強に
大分県を訪れたものと思います。
今でこそ、すっかり大分の観光の定番コースになった
湯布院も、当時盛んにまちづくりを進めている最中で、
さる旅館の主が、中心になって、
牛喰い絶叫大会をしたり、観光辻馬車を運行したりと、
ちょっと変わったイベントの仕掛けをしたりして、
徐々に観光客を確保するようになり、
まさに、今や、国内でも有数の温泉地に仕立てあげました。
これも、一村一品運動の成果の一つだと思います。


おそらく日本中が、わが故郷をもっと発展させたい、と思っているはずです。
何十年もの間、極端に言えば、終戦直後から、
日本の国は、東京一極集中の流れを、食い止められませんでした。
したがって、人は減る、伝統的な地域の習俗は壊れる。
小さくて、交通不便な所ほど、コミュニティが壊れていったのです。
とはいえ、ふるさとを愛し、そこに根を下ろした人々はいるわけで、
それらの人にとって見れば、村おこし、まち作りによって、
自分たちの生活圏に潤いをもたらせたら、と願うわけです。
しかし、何をやったらいいのかわからない。
どこから手掛けたらいいのか、わからない。
この素朴な疑問に、実に簡明に平松さんはヒントを出したのです。


どこの村でも、どこのまちでも、その地域特有の自慢できるものがあるだろう、と。
すると、傍からどう評価されるかはともかく、
指を折ってみれば、あれ、これと、ふるさと自慢を挙げられるんですね。
平松知事は言いました。
そう、その指を折ったものはあなたたちの宝なんだ、と。
それも磨き上げて、自分の故郷の売りにしてゆこう、と言うことだったんです。
ある村では、葉物の野菜が特産でした。
ある村では、地名のついた和牛が特産でした。
ある村では、年に一度ですが、特異な祭が開催されていました。
ある村では、そびえる何とか山の景観が売り物でした。
それぞれ自慢できる得意のものがあるじゃないか。
これを一つ一つの村が、もっと積極的に売り出してゆこう、と。
そうなんです。
地域には、得手のものと不得手のものがある。
まちづくり、村おこしにあっては、第一に、得手を取り上げることが重要なんです。
なぜなら、それは、その地域の気候風土、伝統的民族性、技能、自然環境などが、
その地域独特のものとして培ってきたものだからです。


たとえばです。
平塚の中心商店街では、七夕祭で培った、中空にものをぶら下げる技術があります。
私は、パールロードの理事長をしていた時に、
この技術を生かすべきだ、と考え、
スターライトフェスティバルを提唱しました。
今はいささか衰退していて、ただのクリスマス用の電飾になってしまいましたが、
始めた当初は、それはきれいな電飾が掲出されたものです。
これは、中空にものをぶら下げる能力を活用する、と言う発想が原点でした。


人に、長所と短所があるように、
地域にも、長所と短所があります。
人間の能力を伸ばす方法の一つに、短所をいかに減らすかではなく、
長所をいかに伸ばすか、と言う訓練法があるように、
地域にとっても、いかに長所を伸ばすか、と言うことが大事なんです。
平松知事はこの原則にのっとって、
一村一品運動をすすめ、
閉塞感にあえぐ県下の村々に元気を与えたのです。


平松守彦元知事。
大分市に生まれ、旧通産省基礎産業局総務課長などを経て、副知事に就任。
1979年から2003年まで6期の長きにわたって知事職を全うされました。
その功績は大きなものがあったと思います。
ご冥福をお祈りします。
 

| 水嶋かずあき | あれこれ | 07:38 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
人の命の軽重を問う

賛否両論、と言うのは、よくあることです。
ほんのわずか見方を変えただけで、
賛成にも反対にもなる。
どんなことでも、いい面と悪い面を併せ持っているものです。
ですから、どの面で見るかで判断が分かれてしまいます。
まさに、そんないい例が、フィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ大統領です。
彼は、強硬な発言で衆目を集め、(そう、米大統領候補者のトランプ氏のように)
選挙で勝ち抜けて、大統領職に就きました。
選挙戦の中で、犯罪の撲滅を公言し、
そのもととなる麻薬犯罪者の一掃をするため、
何万人であろうと、殺害する、と公約したのです。
正直、こんな選挙公約があるのか、と驚きますが、
まあ、それほど、この国は麻薬におかされているんでしょうね。
彼は有言実行の人で、前任のダバオ市長当時、治安の極悪な町を、

強権で対処し、治安を取り戻した、という実績もあって、

その信望は、熱いものがあるようです。
実際、彼は有言実行の人で、麻薬犯罪者に対して、厳しい対応に出ました。
何しろ、自首するなら殺さない、と公言したんです。
そして、あろうことか、1000人以上の人が殺害され、

これについて、彼は、まだ、たった1000人だ、と言ったそうです。
警察以外の、自称自警団も加わって、この非警察組織によって、

400人以上の人が、殺されているそうです。

 

西部劇では、荒くれ者が、勢いに任せてハンギングツリーと言う、
リンチをするシーンがよく出てきましたが、
まあ、あんなもんなんでしょうね。
裁判もなく、ちょっとしたタレこみで、みんなで寄ってたかって殺害するんだろうと思います。

きっと、何パーセントか、無実の人も含まれているんじゃないか、と言う気がします。
まさに、21世紀のこの世で、驚くほどの野蛮な状況が展開されているんですね。
国民は、正義の味方が白馬に乗ってやってきた、ととらえているようです。
横暴で暴力的な手法ですが、それでもこの大統領の人気は衰えず、
いわゆる内閣支持率みたいなものは、85%まで上昇しているとか。


そこで、米国務省のアナ・リッチーアレン報道官は、
フィリピンでの超法規的殺人について懸念を表明し、
人権を尊重した上で法律を執行するようフィリピン政府に求め、
その被害者の数は1800件にのぼる、と公表したそうです。
で、その報道官は
「フィリピンで麻薬犯罪への関与が疑われる個人の超法規的殺害が
報告されていることを懸念している。
米国は法の原則や正当な法の手続きを信頼しつつ、
普遍的な人権を尊重するものであって、
こうした原則こそが長期にわたる治安の推進につながると確信している」

と言ったのですが、
当然、超硬派のドゥテルテ大統領ですから、

これらの批判するのは「ばかげている」と激しく反発し、
内政干渉をしないよう警告した。

挙句の果てに国連の事務総長もこれに触れたので、
なんだったら、そんな無礼なことを言う国連から脱退するぞ、と

ドゥテルテ大統領が言ったとか。


まあ、正直、他人事みたいにこのやり取りを見ているのですが、
言われるフィリピンも、いささか過激すぎますし、
言ってるアメリカも、人のことは言えないだろう、と。


昨年一年間で、銃で死亡したアメリカ国民は、3万1千人を超えたそうです。
一日、85人、すごいことでしょ。
警察官が銃で殺した市民は、1200人ですって。


正直、目くそ鼻くそを笑う、ってこのことですかね。
何かの理由があるにせよ、人の命の軽重はないんじゃないですかね。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 10:29 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
濱田純一さんのご冥福を祈ります

梅屋の濱田純一さんが、ご逝去されました。
確か私より8〜9歳年下のはずです。
ちょっと若すぎますよね。


ほぼ、一世代若い彼ですが、私はこの上なく敬意を抱いておりました。
おおらかで、堅実で、社会性にあふれる素晴らしい人でした。
たとえば、梅屋の建物を、
地震が発生し、帰宅困難者が出た場合、
一時的な避難所にする、と言う協定を市と結び、
駅前と言う立地を活用しての社会奉仕をしています。
先日のことです。
裏通りの所に駐輪所を作りました。
短時間の場合無償で止められるところです。
私が、どう考えても、儲かる話じゃない、と思うけど、と言うと、
ま、これも社会奉仕の一つ、と淡々としていました。


そもそも梅屋さんは、終戦直後は、今の東横インあたりの場所にあって、
大きく衣料品の販売をしていました。
戦後の平塚商業隆盛期に、今の紅谷町に進出。
一挙に、地方都市の百貨店としての地位を築き上げます。
当時は、エスカレータがついているだけでも、
近代的なお店だと、子供心に思ったものです。
確か、屋上には、ミニながら遊園地風のアトラクションが設置されていたはずです。
先代の濱田さんと私の父が親しくお付き合いをしていたこともあって、
それぞれ代が変わっても、よいお付き合いをさせていただきました。
私が紅谷パールロードの理事長を仰せつかった時は、
何かと、サポートをしていただいたものです。


濱田さんは、それなりの見識をもち、平塚の最も大きな小売業のリーダーでしたが、
おごるところがなく、実に堅実な経営を目指し、
ご自身は、時間さえあれば、館内を巡回し、

お客様の様子を見、社員の声を聞くという、
実に商売熱心なところがありました。
少なくとも、私にはできないようなきめの細かさを持っていたと思います。
何よりも、敬意を抱いた点は、
彼の立場から、市内の経済系の諸団体や、商店街、商工会議所などの
そこそこの役職が振られてきたはずですが、これを受けませんでした。
普通、ちょっとばかりの規模の店を切り回すとなると、
そこそこに、その気になって、肩書きを欲しがるものなんですが、
彼にはそういうところはありませんでした。
そして、いつでも、私たちと同じ目線で、平塚商業のことを考えていた、と感じます。
私は、なんとなくですが、隣にいてくれる、と言う感覚を持っていたのです。
商店街のさまざまな会議や行事に、全く同レベルで行動を共にしてくれるんですね。
私達にしてみれば、あの大店の社長がです。


東日本大震災のあった、3月11日、彼は胃がんの手術をし、
胃を摘出したのだそうです。
ちょうど、執刀の最中に、あの揺れが来て、医師たちは、
日頃の訓練もあってか、一斉に患者の上に覆いかぶさり、
体を張って患者の保護をしたそうです。
その少し前に、私は選挙のこともあって、会いに行きました。
彼は穏やかな表情で迎えてくれて、激励の言葉をもらったのです。
その時、そのような病状とは気づきませんでした。
術後、思いのほか回復が早く、会うたびに健康の話をしましたが、
順調な経過をたどっているんだ、と思っていました。
ここ二年ほど、会うたびにやつれた様子で、
あまり好ましくないのか、と感じていましたが、
ついに訃報に接することになってしまったのが、
残念でなりません。


心から、濱田さんの遺徳をしのび、ご冥福をお祈りいたします。
 

| 水嶋かずあき | あれこれ | 10:39 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
避難勧告発令

昨日のブログでは、平塚っていうのは、気候温暖なところで、
台風の影響はほとんどない、とか書きましたが、
すみませんでした。

いやいやなめちゃいけない。
今回は、まともに来ましたね。


テレビの番組では、関東都県、各市町村で、市内を流れる河川が、
氾濫危険水位に近付いた、と言うことで、
避難勧告や、避難準備勧告など、次つぎと発令しているようです。


12時10分に、
平塚市でも避難勧告が発令されました。
旭北地区、旭南地区の河川沿いに住んでいる市民に、
山下小学校に避難所を開設。
家にとどまる人には、2階以上の高い所に避難するように指示が出ました。
また、12時44分に、
金田地区、豊田地区の鈴川沿いに住んでいる市民に対して、
避難勧告が発令されました。
金田小学校、豊田小学校にそれぞれ、避難所が開設されているそうです。

 

私も、FM湘南ナパサで、防災番組を担当していますので、
それなりに、防災に関する情報については、ある程度の認識を持っているつもりです。
とはいえ、番組で取り扱う内容は、
およそ9割が地震・津波に対するものがテーマになっていて、
そのほかで言うと、大雨洪水などについてと、噴火などの対策が少々。
どちらかと言うと、あまり詳しいことは伝えていません。

いわば防災としてはマイナーな領域なんですね。
大雨洪水に対して、情報量が少ないということは、
一つは、事前に予知できるので、
地震のような突発性がない、と言うこと。

したがってある程度の準備ができます。
現在の治水環境においては、被害も最小に抑えることが可能で、
治水力は間違いなく向上しています。


先日、中国で大規模な水害が発生しましたが、
この時、中国に人たちは、なぜ日本では、このような災害が発生しないのか、
と不思議がっていましたが、
こればっかりは、地形の違いがあるということと、

国の治水行政のレベルの違いがあるんですね。

日本の水害の形は、実は二種類あると思っています。
一つは、一級河川での氾濫です。
これは、最近ほとんど聞かないでしょ。
今日は、県内の多くの河川で避難勧告が出されている情報が伝えられていますが、
その中に一級河川は含まれていません。
二級河川か、もしくは一級河川の支流の話です。
これには、建設省やら県、市などの治水の基準があって、
大雑把にいえば、一級河川は優先的に対策が実施されますが、
二級河川は後回しになりがちなんですね。

ですから、何かというと危険な状況になるのは、二級河川なんです。


妙だと思いませんか。
政治と言うのは、問題を解決することです。
まして、政治と言う字を分解すれば、
正しきを支えると言う、政と言う字と、さんずいに台による
治水と言う意味の治によって構成されています。
政治とは、正しきを支える祀りごと(裁判のようなもの)と、
流域の河川の氾濫から民と耕地を守る治水によって成り立っている、と言う概念です。
治水は、時の統治者の大きな義務でもあったのです。


にもかかわらず、大雨が降ると、狙われたように氾濫しがちな二級河川の治水は、
予算の関係か、おざなりになっているように思うんですね。
台風に限らず、ゲリラ豪雨が発生すると、水位が上がって危険な状態になりがちです。
二級河川と言うのは、水量を受け入れるキャパシティが少ない所のことです。
川幅も狭い、流域には、ぎりぎりの地域で人家がある。
ですから、いったん大雨が降ると、どうしても被害が出がちなんですね。
ま、じゃあ、今から、と言っても間に合いませんから、
せめて、被害が発生しないよう、祈るばかりです。

 

ちなみに鈴川、金目川は、かつてもしばしば洪水を起こし、

江戸のころの記録では、10年に一度は氾濫していた、という前科のある流域なんです。

1808年、およそ200年前のことですが、大水が出て、

その時にたまった水が、今の達上池です。

もちろんその後治水は進みましたが、

それでも地形のくせというのは、防災の基本ですから、

十分注意していただきたいですね。
旭地区の方々、金田、豊田地区の方々の無事を祈ります。

| 水嶋かずあき | 環境 | 13:32 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
台風一過

昨日は、平塚に大雨、暴風、洪水注意報が発令されました。
で、確かに時々雨脚が強くなりましたが、すぐに止んでしまい、
まあまあ、大したことなく天候は回復しましたが、
どうも、この平塚は、幸いかな、穏やかな天候のまちと言っていいと思います。

何かと、台風など襲来のたび、被害の大きい各地での様子を見ると、
あのようなことはまず起きないですものね。
実感として、穏やかな気候のまち、と言えると思います。
有難いことです。


6〜7年前に、強い風が吹いた台風がやってきて、
翌朝、庭先に60センチ×90センチぐらいの面積で、重さ、10キロぐらいの
建築物の一部、と思われるものが落ちていました。
後で分かったんですが、
南側にあるマンションの廊下部分の目隠しに使われているもので、
フレームがアルミでできていて、中に厚いプラステックの板がはさんであると言う構造。
これが、いったんは屋根まで飛んできて、瓦を損傷し、そののち庭先に落ちたようなんです。
とんだ距離、およそ60〜70メートル。
もし、まともに頭に当たったりしたら、怪我どころか命にかかわったでしょうね。
まあ、その時以来、台風らしい台風が来ていませんものね。
ほんと、気候温暖なまちです。

 

今年は、台風の誕生が少ない、と言ってましたが、
ここに来て穴埋めするがごとく、量産しているようです。
9号、10号、11号と同時発生。
よく、テレビなどで、台風が通り過ぎた後、
台風一過、全国的に青空が広がるところが多いでしょう。
などと気象予報士が言うことがありますが、
この台風一過、と言う言葉を、うちのかみさんは、台風一家と問勘違いしていたようで、
ある時話がかみ合わないと思ったら、

一過と一家をとりちがえていた、と言うことが分かりました。
台風一家と言うのは、親や子供たちが、一家をなしてやってくる、と思っていたようです。
さてさて、今年の台風は、ここに来て次々と発生し、
まさに一家状態と言えると思います。
誰がお父さんで誰が長男だか、分かりませんが、
ともかく9号、10号、11号と三つ、太平洋上でうごめいていて、
一家総出でやってこられたら、一大事ですね。
特に、9号と10号は双子のような関係で、話がややこしい。
複数の台風が同時に存在する場合、相関関係の法則があるのだそうです。
これを藤原の効果と言います。
ふじわらのこうか、と音だけ聞くと、
何やら平安の頃、和歌でも読んでいた公家の歌人のような響きですが、
太平洋戦争中に、中央気象台長だった藤原咲平と言う方が、
それまでの気象学を整理して、複数の台風が同時発生した場合の
様々な変化、展開を法則化したんですね。
もしかすると、この後の天気予報に、この言葉が出てきて、
気象予報士が、詳しく解説してくれるかもしれません。
で、その藤原の効果、とは、
まず、予報が非常に難しく、予報誤差が大きくなりがち、と言うことです。
なんだ、なんだでしょ。
要は複雑な動きになるので、まずは予報の誤差が大きくなる。
つまり、気象の予報として、誤差が出るけどごめんね、
みたいなところが、第一に書かれています。
台風が1個の場合に比べ2個ある場合の誤差は1割増し、
3個ある場合は2割増しという調査も、過去にありました。
何に対して1割増しと言うのか分かりませんが、
あの太平洋戦争突入の頃のことですから、
ひまわりもなくて、現代と比べれば、情報収集力が二けたも三桁も劣っていたころのことです。
で、今のところこんなことを予報しています。
「北海道を中心とした北日本では、
台風11号の接近による大雨等に厳重な警戒が必要です。
また、東日本から西日本では、
台風9号と10号の相互作用により複雑な動きをしたのち、
上陸してくる可能性があります。
常に最新の台風情報を入手し、早めに行動をするなどの対策が必要です。」と。
なんだか法則と言うより、外れた時の言い訳けの布石みたいでしょ。


ところで先日のテレビ番組で、台風に関するクイズがありました。
それは、ここ30年間、台風が一つも上陸することがない年があった、
○か×か、です。
で、私は、そんなに詳しくないですから、多分なんだかんだと、上陸したんじゃないの、と、
×を選んだのですが、〇だったんですね。
で、未だに釈然としないのですが、
たとえば、南大東島とか、沖ノ鳥島(島かどうかもめていますが)も、日本の国土でしょ。
で、この上を通過すれば、上陸とみなすんじゃないか、と。
それと、気象学的になんですが、上陸とは、
台風の中心が基準になっているのか、と。
だって半径50キロ以内が風速40メートルだとしましょうか。
いや仮にです。
その場合、中心から外れた10キロ地点でも、その雨風の意影響を強く受けるでしょ。
こういう状況でも、中心が通過しないと上陸とはみなさない、と言うんでしょうか。
さらに、
よく、台風の末路として、中心の気圧が徐々に高くなり、
台風としてのパワーが無くなり、その後熱帯性低気圧に変わった、とか言われるでしょ。
つまり、組が解散した暴力団のようなものです。
で、この時、いつ、ただの低気圧になった、と判断するんでしょうね。
気圧とか、風速とか、何か基準があるはずです。
そのギリギリの境目みたいなときに、その中心が、ちょうど、日本の国土内だったら、
その場合も台風は上陸する、とみなすんでしょうか。

などなど、愚にも付かないことですが、疑問だらけなんですね。

 

ま、ともかく、今日は台風一過、素敵な青空が広がっています。
 

| 水嶋かずあき | あれこれ | 13:44 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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