水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
大臣の資質

改めて言うまでもないことですが、
日本の社会では、自治体としての地方と、中央としての国政があって、
それぞれの方向性に判断をする議員がいます。
国会議員、(都道府県)県会議員、(市町村)市会議員ですね。
で、これまた言うまでもないことですが、
国会議員は、国のことを考え、県会議員は県のことを考え、
市会議員は市のことを考える係です。


とはいえ、国会議員さんたちは、出身地域での選挙に勝たなくてはいけないので、
自分の足元の地域のことも考えます。
同じく、県会議員も県全体のことを考える係なんですが、
出身市町村の事情も県政に反映するべく、
地域のことを考えます。
つまりなんだかんだと、二股を掛けて、活動するわけです。


ですから、国会議員の場合、
国全体をどういう視点で見るかという事と併せて、
出身地域の利権代表でもあるわけです。
ま、ここまでは、一般的国会議員のあり方としては、
普通のことだと思うのです。


ところが、大臣に任命された瞬間、
基本的に、国全体のことを考える比率が無限に上がります。
何とも表しがたいのですが、
一般国会議員の時は、地元対国の比率が5対5だったとしましょう。
しかし、大臣になるという事は、もう一つ上の段階を要求されます。
それは、単に、行政側に移るというだけでなく、
国全体への目配りが求められ、
それまでの地元対国の比率より、国への比率が高まり、
例えば、2:8とか、1:9ぐらいになるはずです。
このことができることが、いわば大臣の資質の最低条件、
と言っていいでしょうね。


だらだらと前置きが長くなりましたが、
「東北で、あっちの方だったからよかった」と言ってしまった
今村雅弘復興相のことです。
このブログで個人に対する誹謗は控えているんですが、
(唯一北のカリアゲ君は別)
こればっかりは、常識的な判断の範疇を何段階か飛び越えた発言でした。
もともと、この間から、記者とのやり取りなどで、もめていましたが、
その様子の報道など見る限り、
余りにも切れやすいタイプのようで、
このような反応の仕方って、
もしかしたら、認知症の気があるんじゃないか、と思えるほどです。

私の父が、後年認知症だったようで、

訳も分からず切れていましたから。

あの温厚な父がどうして、と思うようなことまで口にしたのですが、

思えば、あの言動も認知症という病のせいだったのかな、と思っています。

ま、ともかく、あんな発言って、どこから湧いてきた思いなんでしょうね。
だって、私達一般人が、100人が100人、
東北での震災に、東北だったからよかった、なんて思いますか?
ありえない思考回路ですよね。
あんなにたくさんに人々がボランティアに行き、
なけなしの小遣いから、募金箱に志を入れ、
例のふるさと納税だって、被災直後は記録的な納税を、
被災地各地にしたんです。
国を挙げて、いや、外国も含め、
被災の中心であった、岩手、宮城、福島の支援をしてきたわけでしょ。
18500人の死者行方不明者。
その後の関連死3800人を加えれば、
2万人を超える人が犠牲になった地に向かって、
東北でよかった、なんて口に出すというのは、
大臣と言う行政のトップ、

しかも国会議員と言う国のことを考える係の人間が言う言葉でないでしょ。


今まで、何人もの大臣が失言をしてきましたが、これはその最大級のものでしょ。
最近特に大臣の資質を問われることが多いですね。
法務大臣も、防衛大臣も、大丈夫かよ、と思えるような言動がある。
これって、実はその程度の人しかいないんじゃないか、
という気がするんですね。

人材不足と言うより、その程度の人が国会議員になっていることがある、

という事実を認識すべきでしょ。

あきらめるわけじゃありませんが、
ま、そんなもんだ、と考えるのも、ありでしょうか。
 

| 水嶋かずあき | あれこれ | 09:56 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
とんだとばっちり

以前見たアメリカ映画で、
強がって粗暴な行動を繰り返すチンピラが、
何かの原因で対立し、度胸試しと、車二台で崖に向かって走る。
で、先にブレーキを掛けた方が負け、
と言う勝負をする。
要はチキンレースのこと。
その結末は忘れてしまったのですが、
何やら悪質な遊びだな、という印象しか残りませんでした。


だって、確実に勝つには最後までブレーキを掛けなければいいのですから。
でも、崖から落ちて命を失う。
栄光は得られないけど、命は残る、とどちらを選択するかでしょ。
確かに、ぎりぎりでブレーキをかけ、ぎりぎりで崖の上にとどまれば、
勝利と言う栄光を得ることはできるのでしょうが、
だからなんだの世界でしょ。


北朝鮮とアメリカの争いをチキンレースと見立てる人がいます。
でも、これは大違いです。
だって、ブレーキを掛けるタイミングが悪く、
崖に落ちたとしても、それぞれのレースの車の中には、
北のカリアゲ君も、アメリカのトランプ君も乗ってないのですから。


先ほどのアメリカ映画のチキンレースは、
運転している者の命がかかっている、という事が前提です。
堅固に守られたなどこかの司令室で命令を発しても、
直接自分の命にかかわりはないのですから。
ここが国対国の戦争の最大の問題点なのです。


過酷な環境の戦場で、銃弾や砲弾をかいくぐり、
泥水の飲んで敵と戦っている兵士たちに、
戦え、と命令を発している連中は、
はるか後方の安全な場所のクーラーの効いた部屋で酒を飲んでいるんですから。
ですから、見た目はいかにもチキンレースのような様相であっても、
自分の命とは遠い所の出来事への決断ですから、
感覚としては全くチキンレースではない、と思うんですね。


確かに、駆け引きとしては、それぞれの動きの理由が明快ですから、
どこかで、進むのか引くのかの
決断が必要でしょうけど、私は現況では、
揚げた拳を振り下ろす理由が不明確だと思うので、
ドンパチはあると思うんです。


以下、勝手な想定です。
北はメンツがあるし、リーダーが見識が浅く、凶暴な性格なので、
アメリカは口先だけだ、と、様子見程度で、ミサイルを発射する。
もちろん実験と称してです。
アメリカは、そこで、これはICBMだったとして、
戦略基地にトマホークを何発か打ち込む。
一応、それ以上は攻撃をしない。

敵のミサイル開発の拠点をたたいた、と言う成果を発表し、
警告、と言う範囲にとどめる。
そこで、北は、なに、アメリカ本気じゃん、と思う。
かと言って反撃はできない。

つまり日本へのとばっちりはないと思うんですね。

北は、あわてて中国に仲介を頼む。
で、見た目静かになるんですね。
当然緊張は極限状態ですが、動きがない。


もちろん北もアメリカも口は達者ですから、
あれこれ言い合うんですが、軍事的行動はそこまでなんです。

 

さ、そこで問題です。
ああだこうだと言いながら、核実験とミサイルの発射実験は

継続しそうな雰囲気なんですね。
結局、何一つ問題は片付かない。
しかし、ここで、ひそかに北の内部で謀反が起きる。
軍部は浮足立っていますから、これらを押さえられない。
中国としては、へたな状況になると、自国の安全保障にかかわるので、
あれこれ内政に手を出して、
中国傀儡政権の樹立を図るんです。
ともかく、問題はあのカリアゲ君の頭の中身なんですから。
その意味では、傀儡政権であろうと、

バカなことをするやつがいなくなっただけましか、と言う状態になる。
ここで、アメリカの面子が立つ結末になれば、一件落着になるのではないか、と。

 

さあ、問題は実はそこからなんですね。
我が国の問題です。

目の前で、小規模ながらドンパチがあったわけですから、
日本の安全保障についてより強固にするべき、という風潮が強まります。
当然、防衛費は増大し、憲法改定への動きは強まります。


なんだかんだと、このことが最大のとばっちりになんじゃないか、と思うんですが。
 

| 水嶋かずあき | あれこれ | 13:44 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
49%へのおもいやり

最近よく聞くポピュリズム、という言葉があります。
もともとは、19世紀末にアメリカで始まった一種の政治運動だったのですが、
最近よく聞く、という事は、
その頃のポピュリズム的傾向が、世界のあちらこちらで現れはじめたからです。

フランスの大統領選挙も、ポピュリズムがチェックされる選挙、と言ってもいいでしょう。

 

ポピュリズムとは、19世紀末、アメリカ南部や西部で盛り上がった農民運動から結成された
人民党(ポピュリスト)が原点になります。
その背景は、アメリカにおける急速な工業化のため、
農産物の価格が下落し、その結果、農業に携わっていた人たちが、
自由放任だった市場経済に対して政治が介入すべきと主張したのです。
そして、その後の大統領選に大きな影響を与えるまでになったのです。
現在は、民主党がその趣旨を受け入れたため、政党としては消滅しました。

ポピュリズムとは、問題を単純化して争点とする、とか、
大衆の欲望に相対する敵に対して攻撃する、などが特徴です。

一種の大衆迎合と言う戦略の一つです。


トランプ氏の選挙戦がいい例です。
仏大統領選に立候補している国民戦線ルペン党首は、
今の政治は民衆を侮りすぎている、とポピュリストを自任しています。

このほか、むしろブームなのか、と思えるほど、
国内外に敵対集団を想定して、
政治的主張に結びつけ、政治権力を把握しようとする
ポピュリストたちが、国政選挙に出てきました。
ポピュリズムにも長所短所があります。
マイナス面は、なんといっても攻撃的な姿勢が基本ですから、
過激になりやすい。
確かに大衆に受け入れてもらうには、仮想敵、反権力という図式は、
もっとも受け入れやすい構図です。
したがって、主張を受け入れる人たちと受け入れない人たちの距離を作ろうとします。
極端な話、我らの主張を受け入れないのは、我らの敵だ、というわけです。
したがって、多くの場合、そうでない人々を否定しますから、
国民がしばしば二分されてしまうのです。


そこで、結果として、51%を確保すればいいのですから、
そこを目指す。
で、選挙で当選すれば、同じ国民じゃないか、と、合一を図る。
二分しておいて、合一を図るという矛盾した行動になるのです。
この辺りは、トランプ氏の選挙戦と、
当選後のことを思い起こせば分かると思います。
そして、内政のさなか、反対勢力が政策に対する不満を唱えると、
またポピュリズム的なパターンとして、
反対勢力の欠点を過激にアピールする。
そして、二分された状況を修復することを主張する、
と、この繰り返しをします。

 

基本は、51%にあるのです。
実権を確保するのには、51%は条件です。
そこで、その内容はともかく、とりあえず過半数を味方に付ける、
という点がポピュリズムの基本ではないかと思うのです。
つまり、過半数分の人々の賛意を得る事であって、
その賛意の中身と質は問わないんですね。
思慮深くなくてもいい、経験が浅くてもいい、
見識にかけていてもいい、感覚として、
主張をなんとなく受け入れてくれればいいのです。


そのためのロジックとしては、
単純で、過激で、多くの人が不満に感じがちな論点を前面に出す。
そうだそうだ、と言う烏合の衆の掛け声が活力になるのです。
しばしば、民主主義との比較が行われますが、
そのほとんどのシステムが類似しています。
51%と言う判断決定のシステムは同じです。
過半数がすべてなんです。


49%の人の不幸も、51%の人の幸福に無視されることもあります。
と考えてみると、
民主主義って一体何なのか、でしょ。
ポピュリズムとどう違うのか、でしょ。

 

かつて、私は議事法と言う、会議の進め方を教わったことがありました。
なかなかすぐれた指導書だったんですが、それに、こう書かれていたのです。
この会議において、次の人の権利を守らなければならない。
一つ、多数者の権利。
一つ、少数者の権利。
一つ、欠席者の権利。
一体何を基準に何を守るのか、という事ですが、
はっきりと、少数者と欠席者を掲げているという事の理念に感銘を受けました。
実際、最終的には、多数決で物事を決断しますが、
絶えず、少数者と欠席者への配慮をし、
結論そのものに思いやりを含めてゆく、
と言う精神が素晴らしいと思うんですね。

 

そう考えると、51%と言う単純な基準も、
むしろ、49%に対する思いやりによって成立する、
ということが、民主主義じゃないかと思うのです。
勝つまでの51%に対しては
ポピュリズムも民主主義も見た目はそうは変わらない。
しかし、勝ったのちに、49%に対する配慮と言うのがあるのが、
民主主義じゃないか、と思うんです。
とりあえずは、この民主主義と言うのは、
人類がたどりついたもっともすぐれた社会管理システムなのです。

 

ただ、まだまだ進化させることはできると思っていますが。

 

| 水嶋かずあき | あれこれ | 10:19 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
交雑の挙句・・・

地球が誕生して46億年。
少なくとも今から1億年前までは、哺乳類のかけらさえ存在していなかったのです。
その頃は、恐竜の全盛期。
白亜紀(約1億 4500万年前から6600万年前)の最後の頃、
恐竜におびえながらひっそりと登場したのが、
我らが人類の先祖の哺乳類でした。
大隕石の衝突で恐竜は絶滅し、地球の主役が交代します。
様々な進化、分化の結果、
哺乳類の中から、キツネザル系の樹上生活をするサルが登場し、
やがて、細かく分かれて、進化し、
直立二足歩行を行う人類の先祖が、
東アフリカの大地溝帯で誕生します。
およそ500万年前のことです。


つまりまだまだそのころは、サルの一種だったわけです。
やがて、この直立二足歩行をするサルも、徐々に進化し、
アフリカを出て、ヨーロッパ、中東、アジアをはじめ世界の各地に散ってゆきます。
もちろんアフリカに残ったものもいました。


歴史などで学んだと思いますが、
クロマニヨン人、ネアンデルタール人、
アジアではジャワ原人、北京原人など、
各地の遺跡から、その進化過程が知られるようになりました。
そして、およそ20万年前に我らが始祖たるホモサピエンスが
北部のアフリカに出現します。
そしてこれまた、アフリカを出て、世界の各地に散ってゆきます。
この時、先行していたネアンデルタールと、各地で競合し、
争いと、交雑が行われたようです。
つまり、我らが祖先は、それまで発生してきた様々な人類の中で、
もっとも凶暴で、繁殖力が旺盛だったようです。
ですから、同形種の人類にもかかわらず、
先行の人類を打ち負かし、戦の戦利品として、敗者の雌と交合し、
その子孫を作り出してきたのです。
動物学的に言うと、種と種の壁は、
交雑した時に、ハーフを作り出せるかどうか、が基準です。


DNAが絡み合わなければ、いくら交合しても、子孫は作れません。
しかし、極めて近い種で、それがDNAとして絡み合えば、
交雑種が生まれるのです。
つまり、現代の人類は、先行したネアンデルタールなどとの交雑種そのものなのです。
まあ、二足直立歩行する動物仲間、という事ですね。
もっとも、ネアンデルタールは、
ホモサピエンスとの戦いに負けて、絶滅しました。


さて、ホモサピエンスは、その後、世界の各地で、独自に進化し、
肌の色も、見た目の骨格も、特徴を持つようになりましたが、
これとて、ダーウィンが見たガラパゴスでのフィンチと同じことです。
ヨーロッパの鼻が高く色が白く、目の青い人種も、
アフリカの肌が黒く、鼻の低い人種も、
アジアの、やや小柄で、黄色い肌で、黒髪の我らがアジア人も、
皆、元が一緒ですから、交雑して中間種を作れるわけです。
現代に至って、移動が簡易になり、交流が増えてくると、
いったん別れ別れになったものの、また交雑により、
均一化が進むのではないかと思うんですね。
パレットの中で、様々な色が混ざり合って、
全体として同じ色になるようなものです。

 

千葉県富津市の自然動物園で飼育しているニホンザルの
DNAを鑑定した結果、164頭のうち、
57頭が特定外来生物のアカゲザルとの交雑種であることが判明したため、
殺処分したと発表しました。
飼育から逃げ出したアカゲザルが群れとなって、
自然動物園の周辺に出没し、ニホンザルと野生化したアカゲザルとの交雑が
進んだようである、という事です。
どうも、飼育しているニホンザルが檻の隙間などから外に出て、
アカゲザルとの交雑に歯止めが利かなくなった、との見解なんです。
まさに動物の本能でしょ。
一種の不倫ですよ。
挙句の果てにハーフが生まれ、これが殺されてしまった、
という物語ですよね。


なんか切ない話ですね。
もともと私たち自身が交雑の結果なんですから、
突然サルの世界に、規範も持ち込んでも、
何の意味があるのか、と思いませんか。
このことで、テロが収まり、不法な移民がいなくなり、
世界の経済が活性化するわけではないでしょ。
生態系への悪影響と言いますが、
コントロールできない原子炉の事故のほうが、ずっと大きな悪影響でしょ。


人間の不遜さの表れですね。
人間の基準って、こんな横暴なんでしょうか。

| 水嶋かずあき | 環境 | 14:28 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
ストライクかボールか

スポーツでは、タフで俊敏な肉体の動きと、
瞬時の判断をする脳の働きが要求されます。
ここがトレーニングのかなめと言ってもいいくらいですね。


で、鍛え抜かれたアスリート同士が、試合をするのですから、
それは、瞬時のジャッジが要求されます。
特に動きの速いスポーツは、ここが命取りになりかねない。
よく言う、誤審による勝敗の運不運みたいなものです。


最近は、微妙な判定をビデオなどで再確認することができるように、なりつつあります。
バレーやテニスなど、ライン際のON・OFFを確認するというシーンが、
ゲーム中たびたび出てきます。
特に球技の場合、球の速度が早いですから、
この判断は微妙になります。
すぐれた審判は、優れた動体視力を求められます。

 

秋田県のある町で、地の利を生かしたイベントを開催しようと、
冬場の雪の中で、雪上騎馬戦と言うのを企画しました。
私はたまたま企画段階で、そのことを知って、
企画担当者にその内容を聞いたのですが、
なかなか面白い企画内容だと思いました。
その中で、彼らが気にしたことは、
騎馬に乗っている大将が、戦いの結果、落ちる時に、
ほぼ同時だった時、どちらが早く落ちたか、という判定にきっともめるだろう、と。
そこで、知恵を絞って考えたのだそうです。
このまちの中で最も優れた動体視力を持っているのはだれか、と。
結論を言うと、剣道の審判じゃないか、という事だったんですね。
確かに、あの瞬間的打ち合いで、どっちが早かったか、とか、どこに打ち込まれたか、など、
ほぼ瞬時に判定するでしょ。
あの動体視力は並ではない、と言うので、剣道に審判に、
その雪上騎馬戦の審判を依頼したのだそうです。
後日この企画した人と再会することがあって、
雪上騎馬戦はいかがでしたか、と聞いたら、
いくつか問題があったけど、審判の選定は正解でした、と。

 

動体視力も肉体的能力の一つです。
それだけに、限界があります。

0・01秒までは判断できても、0・001秒の判断はできない。
そうすると、写真判定とか、ビデを判定になるわけです。
しかし、陸上の距離走や、水泳などの場合、ゴールが分かればいいのですが、

球技などの場合、ゲーム進行中での判断になるので、
これが取り入れるのはなかなか難しいようです。
しばしば流れが止まるわけですから、興をそがれないとも限らない。
様々なスポーツを見ていて、これだけコンピューターの能力が進化してきたんだから、
ここは機械の判断を取り入れてもいいんじゃないか、
と思うことがしばしばあります。


その第一が、野球の主審のジャッジです。
ちょっと大げさにストライクをコールするのも、
ある種のパフォーマンスとして見ていて楽しいと思うのですが、
拮抗した場面で、一球の判定で、勝負が分かれる場合があるでしょ。
これが、テレビなどでは、またビデオなどでも、
なかなかわからない。
時速150キロの球が、空中のどこを通ったか、なんて、瞬時に判断するのは、
とてつもない能力でしょ。
サッカーのゴールのように、枠があるわけじゃないんですから。
それだけに誤審はあると思うのです。


そこで、MLBでは、ストライクゾーンの判定の自動化について、
話題に上がっているようです。
もちろん、今が今、というわけではありません。
でも、こう言う話は、賛成派と反対派の真っ二つに分かれます。
おそらく、それぞれの言い分はもっともなはずで、
そこをどう判断するかでしょ。
ただひたすら公平と言う観点では、導入すべきでしょ。


これに関する、あるコミッショナーのコメントです。
「ここ20年でテクノロジーが我々に与えてくれたものを見ると、
技術そのものに反対するのは難しい、
遅かれ早かれ、我々はコンピューター化された
正確で速いストライク判定ができる技術を手に入れるだろう」
と言っているんですね。

 

先日ある方と、ナパサのこの人と60分と言う番組で対談したんですが、
ともかく、子どものころから野球が大好きで、
その道に進もうとも決意したそうですが、
体型の関係で断念した、という事でした。
とはいうものの、野球は好きで、今では孫が所属するチームの
コーチまでしている、という事だったんですね。
そこで、そんなに野球が好きなら、
生ビールを片手に、ナイターをテレビで見るなんて、この上ない良い時間でしょ、
と言ったら、
いや、やるのは好きですが、見るのはダメなんです、っというんです。


その理由が簡明でした。
時間がかかりすぎる、と。


ちなみに、ITなどで、ボールストライクの判定が出されると、
試合時間の短縮につながる、と言われています。
確かに、野球の時間は、かかりすぎですよね。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 09:58 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
第46回すさ美会展

今日はPRです。
5月2日(火)から7日(日)までの6日間、
すさ美会と言う美術愛好家集団の会展が開催されます。
場所は、平塚市美術館の市民アートギャラリーです。
入場料は無料。
このすさ美会と言うのは、現在、30名ほどの会員で構成されていて、
実に多様と言うか、雑多と言うか、その表現手段に何の規制もなく、
少しばかりの美意識とそれを表現する何らかの手段さえあれば、
会員になれるのです。


まあ、主には、絵画、書、写真、彫刻、工芸品、その他となっています。
絵画には、油絵、日本画の外に、切絵や、あと何と言うのか、立体的に表現したものや、
様々な手法のものがあります。


私は、この会の会長を仰せつかっていて、かれこれ、10年ちょっとになるのでしょうか。
原則として、毎年、油絵を出品しています。
ただ、2012年は提出できませんでした。
と言うのは、5月の開催目前で、重症筋無力症が発症し、手術の直前だったんです。
でも、普通に動けるのは動けたので、その年も何とか作品を描き上げようと頑張ったのです。
さすがに、毎年挑戦していた50号のサイズはあきらめたんです。
50号、と言うと、およそ3尺・4尺のサイズ、90僂裡隠横悪僂覆鵑任垢諭
例えば、25号の絵を2枚分になるのですが、
50号を描くのに、25号を描くエネルギーの倍かかる、と言うわけではないんですね。
多分、25号に使うエネルギーの3倍から4倍はかかるんです。
サイズが大きくなるってそういうものなんですね。
で、その年は、20号2枚出そう、と考え、描き始め、いよいよ仕上げに掛かろうか、
と言う段階に入って、どうしてもその先、筆が進まない。
よく言う気力と言ったらいいでしょうか。
キャンバスに向かうものの、イメージが全く湧いてこないんですね。
体の不調が影響しているのは実感していました。
何しろ、その会展の3週間後に、胸腺切除と言う大手術をしたんですから、
まあ、元気なわけがないでしょ。
さすがに、製作を断念し、搬入当日、会長として、お詫びを言いました。
本来、先頭を切って、作品を出さなければならない立場にもかかわらず、
不提出という事で申し訳ない、と。


で、その後は回復しましたし、
まして、現役引退しましたから、時間はある程度自由になり、
こつこつタイプの作品も手掛けてみることになったのです。
昨年は、木工で、春日灯篭を作りました。
やたら手間がかかったのですが、すべてのプロセスを楽しみながら
仕上げたのです。


今年は、少し趣向を変えて、書に挑戦してみることになりました。
テーマは絵献立です。

献立書きに料理の盛り方を見せた絵が描かれているものです。
サイズは、模造紙代の大きさ、油絵で言えば、50号クラス。
一応、開催期間に5月5日がはさまれますので、
端午の節供・祝膳御献立、という事です。
献立書きの形式は、一昨日のブログにも書きましたが、
時代と、その目的によって、様々なコース料理の形式があって、
これと言って統一されたものがありません。
そこで、相当な時間を費やして、日本料理の系譜を調べ上げたのですが、
正解がないんですね。
例えば、最初に出てくる一品は、
時に、前菜、と言ってみたり、先付と言ってみたり、ここが既に乱れています。
このようなことで言うと、造里(刺身のこと)も、向付と言うところもあります。
比較的コースの序盤に出てくる椀があるのですが、
これも、椀盛と言ってみたり、椀物と言ってみたりです。
煮物も、蓋物とか、炊き合わせとか、の表現を使い分けます。
そこで、今回の端午の節供祝膳は、本来の献立内容を十分に吟味したうえ、
書道的作品でもあるので、使う字について、あえて、作品的意味を加えました。
例えば、椀物、煮物、焼き物、となると、物が並びます。
これは面白くない。
そこであえて、椀物は椀盛に、煮物は炊合わせにしました。
物と言う字を重ねたくなかったからです。


また、献立に書かれる食材の表記も、
敢えて、難しい表現にしました。
例えば、コース終盤に出される止め椀(食事の時に出される味噌汁系のもの)に
三つ葉を浮かべてみようと思ったのです。
赤出汁味噌汁の具は、蓴菜(ジュンサイですが、まあ、これも読みづらいでしょ)
そこで、普通なら三つ葉と書くのですが、これもあえて、野蜀葵と書きます。
まあ、読めないでしょ。
千人で一人読めるかどうかです。
炊合わせは、竹の子が旬ですから、いわゆる若竹煮と言うものにしました。
竹の子と若布を盛り合わせたものです。
基本は別々に煮るので、煮た後、鉢に盛り込みますから、
このタイプの仕事は、炊合わせ、と言います。
さ、そこで、たけのこは筍でわかるでしょ。
若布は、普通に若布と書きますよね。
でも、これは美術作品ですから、そうやすやすと読まれるような表現はしません。
なんと、稚海藻と書きます。
まあ、こんなのは序の口。
ちなみに、この献立書きに書かれている、超難解な食材名について、
列記してみます。


\佚畴
∫聚
針俯荷
ち霑錨
セ慨湘
ψ準妖
塘蒿


どうです、ちょっと読めないでしょ。
気にしないでください。これって普通のことです。
でも、その読みが気になったら、是非とも、
会展の期間中に会場に足を運んで下さい。
解説がついていますから。
 

| 水嶋かずあき | あれこれ | 10:23 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
もう出ました

北朝鮮の核、及びミサイル開発が、
思いのほか進んでいるので、周辺国やアメリカが、
こりゃやばい、と警戒心を強めています。
確かにやばいですね。


テレビのワイドでも、状況分析を事細かにやっています。
昨日見た内容とそうは違っていないのに、ついつい又見てしまいます。
専門的な情報は、我々一般人には、テレビなどの媒体から得るしかないのですが、
これらの番組に出演する様々な分野の専門家ですら、
軍事行動が勃発するのかどうか、という事について、
その可能性は20%とか30%とか、中には10%とか言ってますが、
誰一人、0%とは言わないですね。
そりゃあ、情報収集能力や、問題分析能力が問われているわけですから、
誰も断言はできないでしょ。
外れたら、とやかく言われますから。


で、素人ながら、多くの危険性をはらんでいるのは理解できますので、
もちろん、これは穏やかな解決を望みますが、
正直、どのような手段で一時を納めても、
あのカリアゲ君が、勘違いしたまま暴走している限り、
口先だけの妥協に終わるんだろう、と言う気がします。
だったら、ここでいったん決着をつけるのもありかな、とか、
いろいろ考えるでしょ。

 

ここで、考える基準に、日本国民に被害が及ばない、
という事が条件だと思うんです。
いっそのこと叩いちまえ、とか言ったって、
それは自分がこの紛争に巻き込まれない、という前提ですから。
やれやれ!とけしかけているのは、
まちがいなくミサイルが平塚に飛んで来ることはない、と確信しているからです。


したがって、やはり、外交による解決を望んでいるわけでしょうけど、
これとて、信用できるかどうかですよね。
韓国は、慰安婦問題では何度も手のひら返しをしてきました。
韓民族と言うのは、その傾向があるのかもしれないですね。
妙に信用しきれない、と言うところがある。
北もそうだとすると、ここは、暴力的な解決方法も選択肢の一つか、と思ってしまうでしょ。


まあ、なんだかんだと言って、トランプアメリカが、
見た目、強気な出方をしていましたが、
ここにきて、結構弱腰なんじゃないか、という感じを受けています。
例のカールビンソンが、朝鮮半島に向けて航行し始めた、とかの情報があって、
何時になったら、着くのか、と思っていたら、
当初の予定の15日になっても姿が見えない。
テレビの相応の専門家ですら、何ら顔理由で、ゆっくりと速度を調整しているんだろう、
などと見解を述べていましたが、
実は向かっていなかった、という事が分かったんですね。
いや、来るのは来るらしい。
でも、その気があるのかどうかよくわからない。
行くと言っちゃったんでとりあえず行くか、みたいな感じでしょ。


今は、外食産業も充実していますから、出前、などと言う制度も、
ピザの宅配とか、一部蕎麦屋さん以外はあまり活用されませんが、
一昔前まで、何かと言えば出前を取り寄せていたものです。
で、ラーメン屋さんに、チャーシュ−麺3っとか注文したものの
ちっとも届かない。
そうこうするうち、上のお兄ちゃんが学校から帰ってきて、
じゃあ、追加しようと、催促の電話を掛けると、
電話口で、ああ、もう出ました、じきにつくと思います、とかの返事。
で、切り際に、あと一つ追加なんですけど、と言うと、
はい分かりましたと愛想のいい返事。
で、出前の配達がやってくると、追加のものまで一緒に届く。
たしかもう出たと言っていたのに、どうして追加のものまで一緒に届いたんだろうか、
なんて話がよくあったでしょ。
これを、もう出ました、という営業言葉として、ジョークにしたものです。
なんとなくなんですが、カール・ビンソンもこれ似てませんか。
もうぼちぼち着くと思います、なんていいながら、
まだ出ていなかったんですから。


実は、もう出てます、という出前の言い訳は、
絶対にやってはいけない事なんです。
舟平でもその昔出前を積極的にやっていた時代があったんですが、
この、その場しのぎの営業言葉だけは禁止していました。
簡単な理由です。
そんな手を使うと、信用を落とすんです。


漠然とですが、私はカールビンソンの情報を聞いて、

米軍の信用度が半分ぐらいになりました。

なんか本気じゃないな、と。
トランプは、しばしば本気だぞ、と北を恫喝していましたが、
出前の、もう出ました状態だったんですから、
本気じゃなさそうだな、と思います。


結局、northkrea  missile crisisも、
うやむやに幕が引かれ、潜在的な危機は一向に減少しないのでは、と思っています。

 

| 水嶋かずあき | あれこれ | 10:26 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
和食文化の流れ

和食が、ユネスコの無形文化遺産として登録されたのが、2013年。
厳密に表現すれば、和食--日本人の伝統的な食文化、と言うことですが、

登録後、何がどう変わったのか、または、登録の意義をどう活用しているのか、

と言ったところが、見えてこないんですね。


当然、食の世界は、めまぐるしく進化、変化しています。
なんだ、それ?と思っていると、ごく普通に浸透してきて、
特に、学生さんたちとどこかに何か食べに行くと、
知らないものを、次つぎと注文するんですね。
そこで、聞くは一時の恥とばかり、なにそれ?と、
食のプロの誇りを捨てて聞きます。
へえ〜、と言いながら、テーブルに届くと、一応食べてみる。
まあ、大体、びっくりするような料理ではなく、
だから何だ、みたいなものが多いのですが、
まあ、それにしても多彩になってきました。


以前、私のいとこが、浜松町で、アフリカ料理屋を開店した、
と言うので、尋ねてみました。
まあ、一応、インテリアとしては、精一杯アフリカを表現したんでしょうね。
よく、ハリウッドの映画で、日本趣味の強い主人公が過ごしている居間のインテリアが、
少なくとも日本の日本的な家でも、そんな装飾はしない、というような、
シチュエーションが設定されていることがあるでしょ。
それと同じで、まあ、きっとアフリカとはこんなもんだろう、と言う

勝手で、偏見のインテリアなんですね。
まずは、香港フラワーの類の、樹木とツタで部屋中が囲われていて、
確かにアフリカのジャングルっぽいな、と思ったんですが、
じゃあ、アフリカではジャングルの中で食事するのか、と思うでしょ。


で、メニューを見ながら、一応どんな料理か聞いてみたんです。
その質問に、それこそおどおどと答えてきたんですが、どうも釈然としない。
一体このアフリカ料理はどのように修得したのか、と質問したら、
特にそういうところで修業したわけではない、と。
実際の調理はどうしているのか、の質問に、厨房の中で本を読み読み作ってます、だって。

 

要は、少しぐらい本来とヅレていても、誰も本物を食べたことがないのだから、
誰も文句言わないんですね。
要はうまいかどうかです。
で、結局、2年ほどで店を閉めてしまいました。

 

とはいえですよ、なんだかんだと日本の食文化は、
実に鷹揚に他の国の食文化を取り入れてゆくんですね。
ですから、和食、と言う、日本の伝統的食文化も、
結構、へらへらと変化してきたんです。

 

日本料理としての、いわゆるコース料理は、
鎌倉時代の精進料理が始祖のようです。
当時、禅宗が広く受け入れられ、それともに、菜食の精進料理が広まってゆきました。
で、日本における料理道的な傾向が生まれ、
包丁の技の向上とともに、料理の形態が進化してゆきます。
室町に入ると、これが、本膳料理として確立します。
そして、この時に併せて、出しの概念が生まれてきます。
つまり、人間の味覚には、旨味を感知する能力がある、というわけです。
この旨味に関しては、味の素の創立にかかわった池田菊苗博士の研究をはじめ、
昔から、甘い、酸っぱい、塩からい、苦い、に足して、旨味を挙げていましたが、
なぜか西洋では、この旨味についての認識は、現代になってからの話、と言うことと比較すると、
室町から旨味を追求してきた日本の食文化のレベルと言うのは、
相当のものである、と言えると思うんですね。


ま、ともかく、その後、千利休による茶道の確立とともに、
本来は、茶を楽しむための料理として発達した、懐石料理が
安土桃山時代に登場します。
そして、これは後に茶懐石と分化しますが、
茶のためのものから酒席のものへと変化し、
今の懐石料理の原型となります。
そして、江戸の頃は、まさに和食文化の花が開いた時期でした。
寿司もうなぎもそばも、庶民の食文化として進化します。
併せて、コース料理の本流である、本膳料理が簡素化され、
会席料理として定着します。
もちろん、明治維新後は、他国の料理が流れ込み、併せて、食材も輸入され、
現在に近い食材と料理のレパートリーが、日本の食卓を飾りました。
ですから、和食と言っても、
実はどこからどこまでが日本の伝統的なものなのか、
判然としないところがあるのです。


改めて、和食が無形文化遺産になったことの意義を、

もう一度洗い直す必要があると思うのです。
実は、和食の現場にいて、ユネスコのお墨付きを得たものの、
殆ど世間様の動きが、そのことにかすりもしていない、という実感があるんですね。

 

ま、私たちの努力不足もあると思うのですが。

| 水嶋かずあき | グルメ | 09:33 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
専門としての意味

様々な研究が、最新のテクノロジーで進められ、
そんなことまで分かるようになったのか、
と驚くような研究成果が時々レポートされます。
特に、食材と健康の関係、と言うのが、臨床的に実証されたり、
電子機器の中で証明されたりと、
まさに、日進月歩の進化を遂げていると実感します。


で、これらの研究に携わっている人にしてみれば、
ある仮説に基づいて、こつこつと先の見えないような研究を続けて、
ある成果を求めるのでしょうが、着実にゴールにたどり着くというわけではないでしょ。
何日も何日も顕微鏡を覗き続け、マウスにエサをやり続け、
仮説を立証しようとするわけです。


でも、期待する成果が見えるのは、まさにラッキーそのものでしょ。
しばしば、研究所での成果が、時にノーベル賞として評価されることがあるのでしょうが、
そんなのは、九牛の一毛、波打ち際の砂の一粒に過ぎないと思うのです。
あたら日の目も見ないで、結局、研究の世界から消えてゆく人は、
山ほどいるんだと思うんです。


したがって、何らかの形にしたうえで、その成果を公表できる、と言うこと自体、
大変すばらしいことなんですね。
ネットのあるコラムで、こんなことが報告されていました。
いささか専門的ですので、ほぼ原文に忠実に再現します。

 

「魚が健康的とされる理由は良質なタンパク質に加えて、
魚の皮の部分に多く含まれるオメガ3脂肪酸にある。
これには血液中の中性脂肪や余分なコレステロールを減少させる働きがあるため、
血液をサラサラにする効果が期待できる。」
と、これはなかなか結構なことでしょ。
「しかし、オメガ3脂肪酸は加熱すると過酸化脂質に変化する。
これは逆に血液を凝固させる効果も持つ。
カリッと香ばしく焼かれた焼鮭の皮は旨いが、
食べ過ぎるとかえって血液がドロドロになる要因となる。」
で、なんなんだ、言いたいことは。


さらに、まぐろなどの体内に水銀が蓄積されやすいとし、
まぐろの部位によって水銀の蓄積具合が異なり、もっとも多いのは頭部。
マグロのカマはマグロ好きにとって醍醐味だが、食べ過ぎに注意すべき、と警告しています。


また、
「高級食材として知られるフカヒレは美容や滋養強壮に良いとされているが、
デメリットもあるとする指摘もある。
米国のマイアミ大学医学部の研究者らが、
フカヒレに『β−メチルアミノ−L−アラニン』という神経毒が含まれていることを報告している。
この神経毒を摂取すると、アルツハイマー病や筋萎縮性側索硬化症の発症リスクが高まる。
フカヒレスープのフカヒレを残すのはためらってしまうところだが、
医学的な事実は受け入れておくしかない。」と。


なんだ、この一見アカデミックなレポートは、何を言いたいのか。
フカヒレは残せと言うのか。
よくその主張が分からないでしょ。

 

以前、心臓の調子が悪くなって、循環器の先生に診てもらいに行きました。
で、血液検査をし、後日、そのデータによる診断をしていただいたのですが、
何やらコレステロールの値がやたら高い、と言うことで、
注意を受けました。
玉子は1日1個以上食べないこと、と。
私は大の玉子好きなので、制限を受けたわけですが、
まあ、1日1個というのは許容の範囲だな、と思ったんです。
で、よせばいいのに、私は知ったかぶりをして、
先生、魚卵の類、たとえばイクラなんかですが、
これも、コレステロールが多いと聞きましたけど、と言うと、
すかさず、

水嶋さん、イクラを毎日食べるんですか?と言われたんですね。
ふと考えると、ここ3か月は口にしていないな、とその時思ったんです。
食べたとしても、寿司の軍艦でイクラを盛ったもの2カンがいいとこでしょ。

私は正直に、そう言えば、ここ何か月か食べていない、と言うと、

だからそれは問題じゃないんです、と。

 

要は、あれがいい、これがダメと言っても、

毎日に近い状態なのか、どのぐらい食べるのか、そこが問題なんですね。
そもそも焼鮭の皮を毎日食べるのか、と。
きっといいとこ、焼き鮭の皮と言ったら、総量で20gあるかどうかでしょ。
まして、まぐろのカマを1年に何回食べるのか。
1回いいとこ100gがせいぜいでしょ。
さらに、フカヒレなんて、何年かにに一度の話でしょ。
医学的事実を受け入れろ、って、ずいぶんとつっけんどんでしょ。


せめて、体重60キログラムの人を標準として、
月間でこのぐらいとか、1日これくらいとか、

ある程度の分かりやすい分量に換算して初めて、それは医学敵警告となるのです。


その昔、環境汚染物質が含まれると言って、

あるデータを病理学の研究者が提示したことがありました。
マウスに、連続して何グラムを摂取させ、

1年したら、こんな風にがんができた、と言うレポートです。
詳細は忘れましたが、マウスの体重と人間の体重で換算した場合、
1日、数100グラムの原因物質を摂取する、と言った換算になっていました。
ありえないでしょ。
病気を治そうと、数百グラムの薬を飲むようなものです。
それだけでお腹いっぱいになっちゃう。

もう少し現実的な判断をしてもらいたいな、
と思いました。

そういう意味で、専門家であるべきでしょ。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 10:44 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
美人と言えど

浅田真央ちゃんが引退をし、
実に爽快な記者会見をしました。
実は、私はこのほとんどの時間を見入ってしまったんですが、
彼女の聡明で、飾り気のない様々な回答に、
多くの人が感銘を受けたと思うのです。
中には、国民栄誉賞、などと言う声も上がったりしているくらい、
多くの人から指示された存在でした。


同じ女性のアスリートである、レスリングの吉田選手や伊調選手との、
ごつい印象(失礼!)とは異なり、可憐な雰囲気が、余計拍車をかけたのだと思います。
あの、テレビでのアップの映像を長々とみている限り、
親しみのもてる顔の印象と言うのが、
彼女の評価を高める大きな要因になっていると思うのですね。


もちろん、前提としては、アスリート独特のひたむきさとか、
耐えがたきを耐えた過酷なトレーニングへの克己心とか、
実際身に付けた多くの技などがベースだったと思うのですが、
外見としての優位性は間違いなくあったろう、と思うのです。

 

これは、多くの女性アスリートに対して、
人が持つ印象として、好ましい外見を
アスリートとしての評価に
プラスアルファーの要素を重ねてしまうものです。

両方ともよく知らない選手同士が戦っているとします。

例えば柔道などの格闘技では、

ついつい見た目のかわいい子を応援してしまうんですね。

残念ですけどこれは仕方ないことでしょ。
そういう評価基準を人は持っているんですね。

 

1987年、大韓航空機爆破事件を実行した北朝鮮の元工作員で、
金賢姫という女性スパイがいました。
この航空機爆破事件で115名の人が犠牲になった大事件です。
のちの調査で、金賢姫が逮捕され、
興味深い北朝鮮の悪巧みなどが暴かれていったのですが、
あわせて、金賢姫の映像も流され、
その美人ぶりに、皆驚いたんですね。
無責任に、死刑にしちゃあもったいない、とまで言う人もいました。
しかし、韓国の裁判所は、死刑の宣告をしました。
ところが、その後、背景のさまざまな事情が考慮されたのだと思いますが、
なぜか恩赦を受けて、解放されたのです。
115人も殺しておいてですよ。
私は、このニュースが頻繁にテレビで流されている最中に、
金賢姫の美形に心よせる男どもが出てくるだろうな、と思いました。
現に、当時、獄中の金賢姫に求愛した韓国の男性が登場するなど、
いい女は特だね、ぐらいの事を言われていました。

恩赦の背景の一つに、金賢姫の美人振りが、多少は影響したんじゃないか、

と皆勘ぐったものです。

 

真央ちゃんと、金賢姫を併記して評価するのは大変失礼だと思うのですが、
ことほど左様に、人は美形には弱い、という原則的な心理を言いたかったのです。


これは、男が女を見るのと同様、女が男を見る場合も実は同様で、
男は見た目じゃないよ、とか言いますが、
同等の資質だとしたら、見た目は、決勝ポイントになり得ると思うのです。
テレビなんか見ていて、よくかみさんと話すんですが、
テレビに登場する人、
それは、タレントであれ、アスリートであれ、評論家であれ、
時に医師だったり芸術家だったり、また政治家であったり、
さまざまな分野の人たちに対する評価が、
見た目の評価が追加されることが多い、と思うんですね。
ぶっちゃけ、見た目が悪いね、とか、
なかなかの器量じゃないか、とか。


実際そういう人たちを見ながら、いったい何をもって美形ととらえるんだろう、
といつも疑問なんです。
ミスユニバースになった女性など写真で見ると、本当にいい女でしょ。
で、どうして、ほぼ万人がいい女と思うか、と言うことなんですよね。
そこが不思議なんです。
もちろん多少の好みはあると思いますが、
よしんば、入選を逃した第8位の人だって、
きっと目の前にやってくれば、ほれぼれとした目で見ると思うんですね。


でも、冷静に考えれば、それは骨格にまとわりついた、
肉と皮のありようでしょ。
人間そのものの本質ではない。
骨と肉と皮のありようなんですから。


一休禅師の高弟で蜷川新右衛門(にながわしんえもん)と言う人がいました。
この人の作でこんな歌が残されています。
「骨かくす皮には誰も迷いけん 美人と言うも皮のわざなり」
見事な歌でしょ。
そのとお〜〜り。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 11:10 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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