水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
記憶にございません

私は、中学をかなりいい成績で卒業し、高校に進学しましたが、
高校入学直後から、なぜか、記憶能力が著しく減退したのです。
正直、中学までの記憶力はまあまあでした。
授業中の先生が話すことと、教科書に載っていることを、
しっかりと記憶していれば、テストはほぼ100点は取れるものです。
我が友人が、中学時代に成績が良かったのは、
それはお前がテストの受け方がうまかったからだ、と言ったことがありました。
で、実際、いかにテストの点がいいか、という事が、基本的に成績に関係しますし、
テストは、冷静に見ると、実は、今まで教えられたことをどこまで記憶しているか、

という事のテストなんですね。
それまで、100点満点が普通だったのが、

高校に入るとがっくりと数字を落とし、時に0点なんてこともありました。
さまざまな授業の内容を、なんとしても記憶にとどめられないのです。
この高校時代のふがいなさは、

ある意味、自分の人格形成に役に立ったと思います。
だって、それまでの、おれは天才かも、と思っていた意識が、

おれはバカなんだ、になったんですから。
ま、ともかく、私入学当初の順位を、周囲はすいすいと追い抜いてゆくのです。

1年生の三学期には、学年400人中366番でした。
ですから、ともかく、東大とかのそこそこの大学に入るには、
記憶力テストが行われているので、
記憶力がよくなければ合格しない、と理解したのです。
他の人間的資質はチェックされないんですね。
なぜなら、数値に表しがたいからです。


その記憶力の優秀さの象徴が東大です。

何も、東大卒業生への偏見を持っているわけではありません。
ただ間違いなく記憶力は素晴らしい人たちである、

という事は無条件で認めるべきだと思うのです。

 

さて、昨日の国会の閉会中審査が、テレビでも大々的に放映されましたが、
あの映像を見て、自民党関係者、関係閣僚、そして安倍首相の答弁を、
そうかもしれない、と、肯定的にとらえた国民はごく少数だったんじゃないかと思います。
それほど矛盾に満ちた内容だったと思うんです。
ともかく最悪なのは、一言、記憶にございません、で済ませてしまうことです。
記憶になければ、どんな罪を犯しても無罪なんでしょうか。
80、90のお年寄りならともかく、まだまだ働き盛りのあの世代の人で、
しかも、きっと優秀な成績で優秀な大学を卒業されていると思うんです。
それらの人が、あんなに簡単に気を記憶をなくしてしまうんでしょうか。
まあ、正直な感想を言えば、あれはウソでしょ。


記憶がない、と言えばそれ以上の追及がない、という事で、そういってるんですね。
黒、と断定されるより、不名誉は付きまとうけど、グレーの方がもっといい。
なぜなら、正義や誠実さなどより、保身と我欲の思考で判断しているからです。
ちなみに、記憶にないと言い張った、和泉補佐官、柳瀬局長ともども、
東大卒です。記憶力がよくないと入れない大学です。

 

もう、あんな茶番はやめてもらいたいですね。
大半の国民は辟易としてると思うのです。

なぜ辟易としているのか、と言うと、
今更ながらしらを切り続けている連中が、白日の下で問い詰められても、

まだ平然と嘘を承知で答弁をしているという事です。

この様相は単純に、与党対野党であり、政対官のいい争いでしょ。
どこをどう見ても、国民のための議論になっていないですよね。

 

話はがらりと変わります。
黒澤明監督が数多くの秀作を手掛けてきましたが、
その中でも、傑出しているという評価の作品が「生きる」です。
1952年(昭和27年)10月に公開されました。
65年前のことです。
主演は志村喬。モノクロ、スタンダード、143分。

これはあるお役所に勤める主人公の晩年の行動を描いたものです。
劇中ラストの頃、志村演じる主人公が「ゴンドラの唄」を口ずさみながら
ブランコをこぐシーンは、見たことのある人は目に焼き付いていると思います。


あらすじは、
役所の市民課に30年勤め続ける渡辺課長は、
毎日変わりのない日常を過ごし、黙々と仕事をするばかり。
そんな時、身体の不調を感じ病院に行き、自分が胃がんであることを知る。
あまり時間が残されていないことを知った渡辺は、
これまでの人生を考えて苦悩する。
初めて欠勤をし、貯金から5万円をおろし夜の街を歩く。
知り合った小説家と遊び回るも空しい気持ちが残る。
偶然、街で出会った同僚の女性 小田切とよと何度か食事を一緒にする中で、
その若さ・生命力に魅かれていく。
渡辺は、とよに胃がんであること・生き方への悩みを告げる。
そこで、とよから「何か作ってみたら?」と提案され、
渡辺の新たな人生が始まる。
数日ぶりに出勤し、渡辺は人が変わったように仕事に打ちこみだす。
以前から、たらいまわしにされていた公園建設に精力的に取りくみ、
各方面に粘り強く交渉し、公園を完成を目指す。
やがて命をかけた努力が実り公園が完成する。
ある雪のふる晩、その公園のブランコに座り揺られながら、
渡辺は息を引き取る。
と言ったストーリーです。
まだ見たことのない人は、DVDなどもありますので、
是非とも一度見てください。


人とは、人のために生きてこそ人である、といった、ごく素朴な思いが伝わってきます。

この映画を、今日も展開されるであろう
国会で言い合っている人たちにぜひ見てもらいたいものですね。

 

| 水嶋かずあき | あれこれ | 09:40 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
明日は土用丑の日

まだ、鰻屋の看板を下ろす前のことです。
「明日は土用丑の日」
と言う貼り紙が、ウナギの養殖業者から、
丑の日の1週間ぐらい前に、荷とともに届けられたもんです。
これは、幅24,5センチ、長さ70センチぐらいのサイズの白い紙に、
朱色で印刷されていて、この「明日」と言う部分には、
またその面積分「本日」と言う小さい紙が添えられていて、
本番前日は、そのまんま。
翌日は、明日の部分に本日を上から貼る、というものでした。
つまり、前日から、土用丑の日をPRしようと言うポスターだったんですね。
うちの親父が、冗談ですが、丑の翌日に、
昨日、というのを貼ったらどうか、と言ったことがありましたが、
クリスマスイブの翌日ケーキを買うようなもので、
これって、なんか売れ残り感がありませんか。
でも、実際、丑の前後は、それなりに売れたんですね。
もちろん本番の売上高には遠く及びませんでしたが。


さて、今日はその「明日は土用丑の日」です。

こんな記事がネットで紹介されていました。
それは坂東太郎と言う、鰻のブランドのこととです。
記事では、天然以上、と言う人もいる、と紹介。
もともとは、25年前、千葉県銚子市のウナギ卸問屋「忠平」が売り出したものです。
発売当時、鰻屋の業界で話題になりました。
この時のセールスポイントは、鱈などのすり身のホワイトミールを使って、
体質改善を施し、臭みのない、しっかりした身に仕立てた、というのです。
その頃の主流だった養殖法は、ブラウンミールと言われる鰯をすったもので、
これだと、身が酸化しやすく、身がもろくなってしまう、という欠点があったんです。
その昔、養殖物でも、このブラウンミール以前のものは、
身に張りがあって、焼いている最中に、崩れるという事がありませんでしたが、
ブラウンミールの時代になってからは、
脂ののりはよくなったものの、身が崩れやすくなり、
焼くのには苦労したものです。
で、この坂東太郎は、味以外にそのような身の張りも改善されていて、
なかなかの商品なんです。
ではどこでこのうなぎを食べられるか、となると、これが難しい。
やたらのうなぎやでは扱っていないんですね。
もし見つけられたとしても、高い。
うなぎってそれでなくても高いでしょ。


今年は、しらすうなぎの確保がうまくいったらしく、
幾分か安くなったとはいえ、まだまだ高級品ですものね。
うなぎは、一匹が生で、250グラムぐらいのものが、油の載りもよく、
おいしいと言われています。
したがってこのサイズが、人気があるんですが、
それ以外の理由が、一本を上下二枚に切り分けた状態で、焼き上げ、
お重に載せると、ちょうどご飯にいっぱいになるんで、
見栄えがいい、というのもあります。
ま、鰻の消費の大半は、丑の日なので、
出来れば明日食べるのが本道なんですが、
かといって、鰻やは込むし、値も張る。
で、ついついスーパーかなんかの焼き上がりの冷凍の解凍物を買うことになると思うのですが、

といったって、年に一度のことでしょ。
ですから、滅多に食べないんですから、
ここはちょっとだけ手間をかけてスーパーのものをおいしく食べましょう。


,燭譴鮑遒蠅泙后醤油1、味醂1、砂糖1。

もちろん比率は好みで変えてください。
これを弱火で、3〜40分煮詰めます。
当初分量の7〜8割ぐらいに煮詰まったら、火を止めます。
∧饒から鰻を取り出し、水道の流水で、身についているたれを落とします。

私は、この類のうなぎのたれをおいしいと思ったことはありません。

出来ればすっかり洗い落としてください。
フライパンに1センチほどの水を張り、沸騰させ、
これに鰻の皮を下にして入れます。約1分から1分30秒。
フライパンから、フライ返しなど使って取りだします。
すでに柔らかくなっているので、崩れないように気を付けてください。
ぅ▲襯澆離丱奪箸砲海譴鯤造戞▲ッチンぺーなどを押し当て、水けをふきとり、

上から刷毛でたれをまんべんなくぬります。
ネ焦で温めておいたグリルにこれをいれ2〜3分焼きます。
たれの付き具合ですが、途中、もう一度たれをぬります。
炊き立てのご飯を丼に盛り、たれをまんべんなく掛けます。
Г海譴乏焼を乗せて出来上がり。
グリルで焼くときに、バットの隅にお茶の葉を乗せると、これが焼けて香ばしい香りが付きます。
ちょっと手間ですが、こうすると、うなぎやさんのうな丼とそん色ないうな丼が食べれます。
試してみてください。

| 水嶋かずあき | グルメ | 05:59 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
あれもこれも、って欲かいてない

私達は生物です。
地球46億年の歴史に培われた生物なんです。
そして同時に、この地球は、誕生と同時に、
奇跡的な環境を得ました。
一つは、太陽との距離です。
要は、暑くもなく寒くもなく、です。
さらに、地球の総重量も適切でした。
これも、大きすぎず小さすぎず。
その後、月が誕生しますが、これもラッキーでした。
地球との距離の関係で、その後、海に満ち引きの現象をもたらしたのです。
実は生命活動で、月の位置がとても重要だったのです。

 

ま、細かい話はともかく、
しばしばこの地球が奇跡の星、と言われるのは、
生命体にとって、こんな望ましい環境があったという事が、
奇跡だったわけです。
詳しい要因はまだまだ未知の世界なんですが、
と持角、地球上に生命が誕生しました。
そして、気の遠くなるような歳月の中で、分化し、進化してきたのです。


この地球上に誕生した命は、与えられた環境の変化の中で、
時に絶滅し、時に進化をして、その形態は現代に至っています。
過去に5度の大量絶滅があった、という事ですが、
なぜ大量絶滅したのか、と言うと、
それまでの環境が激変したからです。

そのきっかけは様々に憶測されています。
大量の殺人光線が降り注いだ、とか、火山の噴火が延々と続いたとか、
大きな隕石が衝突したとか、
要は、その状態の中で生き延びてきた環境があって、
これの大気組成が変わったとか、気温が変わったとか、
それまで生命を支えてきた条件がずれ始めて、
そのずれについてゆけなくなると、
脱落するんですね。


例えば、一番近い大量絶滅の時は、いまから、6550年前の、
例の隕石衝突によって恐竜一族が死滅したと言う大量絶滅のことですが、
この時、すでに誕生していた哺乳類がなぜ生き残ったのか、なんですが、
それまでの生物に完備していなかった横隔膜を持っていたから、
という説があります。
これによってそれまでより薄くなった酸素を巧みに取り入れることができた、と。


ま、いずれにしても、生物は、環境に適した進化をするもので、
この進化の選択を間違えると、絶滅に向かうわけです。
つまりですね、生物は選択し続けてきたという事です。
わずかな変化の中で、たまたまより環境に適応性が高かった種が、
その子孫を多く残せるので、そういう特性を持つようになる。
それを積み重ねれば、特性として生物界の中で生き残ってゆける、というわけです。
何やら、少し専門的な話ですが、生物学者がある理論を発表しました。


ドイツの研究者なのですが、
「加速に必要な時間が、ある動物が到達できる最高速度の決定的な要因だ」と言うのです。
何の意味がある研究なのか、と思うでしょ。
まあ、彼らのレポートを整理してみましょう。
「動物が加速する際に、筋肉は瞬間的にエネルギーを取り出せる無酸素運動で動く。

無酸素運動で使えるエネルギーが尽きたときが最高速度になるが、

無酸素運動で筋肉が利用できるエネルギーは多くないという。」と。
そりゃそうでしょ。

もし多くて、無限に近ければ、
ボルトは、1時間10分でマラソンをゴールします。
だから、なんだの理論でしょ。


で、こう続けます。
「従来知られている理論に従えば、

体重が重いほど理論上の最高速度が上がるとされている。
しかしこの理論では、大型動物として知られるゾウやシロナガスクジラが、

中型のチーターやカジキマグロほど速くないことが説明できない。」ですって。
で、その後、延々と二次曲線のグラフなど参考にしながら、
恐竜などの速度を試算しているのですが、
私は、単に肉体的特徴だけで、動物の移動速度は測れない、と思っています。
特に、体重が重いほど最高速度は上がる、という視点がいささか脆弱な理論ですよね。


そこで反論。
まず、動物がなぜ速く移動しようとするのか、です。
歩くより、走る、走るより車、車より飛行機、というのは、単にせっかちなだけ。
それは人間だけ。
いわゆる動物が速く走るのは、2つの理由があります。
一つは、食べられないため、つまり捕食者から逃げおうせるためです。
次に、肉食の場合、餌を確保するためです。
神様は実に適切な配分をしています。
100辰離粥璽襯疋瓮瀬螢好箸、マラソンで優勝できないのと同じです。
チーターは地上最速の動物と言われていますが、
短距離走者ですから、長々と獲物を追えません。
これが、速度も速く、持続力もあったら、地上は、チーターで尽くされてしまいます。


実は、食べるための能力進化もさることながら、
食べられないための能力も重要なんです。
フォワードの攻撃力が優れていることは望ましいことですが、

ディフェンスがしっかりしていないと、ゲームには勝てません。
昨日のベルマーレは、もろくも3点取られてしまいました。
これじゃあ、勝てません。


で、生存競争をかけた争いから身を守る方法は、2つ。
一つは、逃げ足が速いことです。
もう一つは、大きいことです。
ハイエナが、カバを襲うことはありません。
大きいという事は、戦うテンションが上がらないのです。
小さいと、それだけで、ハンディを感じてしまうんですね。
特に野生の動物は、具体的な敵の情報を十分に持っていないですから、
勝てそうか勝てそうもないか、を本能的に判断するです。
それは、見た目がとても重要な判断材料ですから、
負けたくないという動物の願望から、「

体を大きくする、というDNAが優先的に選択されてゆくんですね。
したがって、生物種は、原則的に大きくなろうとするんです。
したがって、体が大きい、という事と、足が速いという事は、
原則ととして両立するとは限らないんですね。
そもそもが目指すところが違うからです。

それは大きくて足が速いことは、生存率をおいに高めるでしょうが、
大きいことは餌を多く必要とします。
したがって、ある一定の領域では、生存数に限界があるんですね。

 

まあ、あちら立てればこちら立たずです。
何でもかんでも手に入れようとするのは間違いだ、
と神様が決めたんでしょうね。

 

でも人間はそれを目指していませんか。

| 水嶋かずあき | 環境 | 11:02 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
多分保身の弁

週明けの24日には、閉会中審査で、
いよいよ安倍首相の登場との報道が出ています。

なんとなく、どんな展開になるのか、予測できますよね。

だって、これって、ある種の大人の口げんかでしょ。
情けないですね。

国を代表する人たちです。

少なくとも、選良と言われている人たちです。

それが、白昼堂々と嘘を言い合い、非難し合う。

日本の子ども達には見せたくない光景ですね。

 

野党としては、安倍夫人、加計理事長の出席を拒否したとか。
まあ、その時点で、失点を重ねたくないという思惑が働いたのでしょ。
要は、疑惑を着かれれば、真っ黒なので、ぼろが出る、
だからここは、人目にさらされないようにする。

拒否したということ自体、黒です、と言っているようなもんでしょ。
自民党としては、うちの親分のかみさん、また大の親友をかばってやらなきゃ、

と言う集団忖度でしょ。
正直言って、こういう判断をする与党への信頼は薄れるばかりでしょ。
ここまで支持率が下がってきたのは、
内閣への不信感ではなく、安倍首相に対する不信感でしょ。
それが、与党そのものまで広がるという事は、政党とは何なのか、という事になりませんか。

 

私の感覚ですけど、同じ自民党員だって、
賢く、先見性を持ち、誠実で、心豊かな人格者って、いると思うのです。

多くの国会議員の中には、一部とはいえ、

ごく普通の人が、たまたまあるいきさつで議員になってしまった人もいるわけで、
これらの人たちの資質を考えれば、人間としてもごく並みのレベルなはずで、
まして、政治家としては、必要な資質が欠落しているんだと思うんですね。
ともかく、問題は、誠意が欠落しているということです。
良心も、薄くなっている。
ただひたすら、保身と権勢欲だけが膨らんでいて、
そのためには、嘘をつくことも気にならない。

むしろ、技とか知恵と捉え、したり顔をしているわけです。


このブログでたびたび主張してきましたが、
どんな嘘も嘘と判定する機械があって、一切の嘘がつけない状況だったら、
日本の国は、もっと生産性が豊かになり、相互の信頼性が深まり、
皆、安寧の生活ができるようになる、と思うんですね。
言い換えれば、世の中の様々な問題の原点に、嘘があると思うのです。

だから問題になる。
誠実に生きよう、と思うなら、良心に問いかけながら、行動をし、言葉を選ぶと思うのです。
そういう気配をあまり感じない。
そう、日本の政治家にです。


おそらく、政治家の方々な中には、良心の塊のような人もいるはずです。

しかし、なかなかそういう人の声は国民に届かない。

 

確か、高校の時に、悪貨は良貨を駆逐する、という言葉を学びました。
意味は、品質のよい通貨と品質の悪い通貨が、

同等の額面で、しかも同時に流通させた場合、

質のよい良貨は、できれば手元に置いておこうと、
保管されたりして、流通しにくくなりますが、
とかく、質の悪い悪貨は、さっさと手元から離そうとして、
使われるので、
結果として、悪貨が出回り、良貨は流通することがなくなる、
という意味です。
これが悪貨が良貨を駆逐する、という事です。

 

で、これは貨幣にとどまず、どうも政治の世界でもあるんじゃないか、と。
どう考えても、悪貨的政治家が、しゃしゃり出て、政局を作り出す。
元来の良心豊かな政治家は、その陰に隠れてしまう。
もっとも、引き下がって、物言えぬという政治家もだらしがないですね。
要は、物言えば唇寒し、という事なのでしょうか。
とするなら、これもまた、消極的ながら保身の一つでしょ。

 

さて、24日以降の閉会中審査はどんな展開をするのでしょうか。
マイクに向かって、あの安倍さんが、顔を赤らめ、
あのですね、とかの言葉を多用しつつ、
結局質問をはぐらかしながら、真実を語ろうとしないのでは、と思うんです。

 

最近トラぶっている様々な政治家の会見なんかでは、
なんだかんだと保身の弁に終始するでしょ。
どうして、この国で最も優れた誠実さを持つ人格を国民は選び出さないのでしょう。
人格で選ばれない、比例代表制と言うシステムも問題なんでしょうね。
いやはや、入り口から出口まで、問題だらけですね。
この国、どうなっちゃうのか。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 09:52 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
すき焼きの語源

なぜか、この暑いさなかに、ネットにすき焼についての記事が掲載されていました。

 

もともとの出典は、昭和7年の朝日新聞東京版に掲載された

「通人がきめたすき焼のコツ」という記事に関わることです。
その原点の内容は、割り下を先に入れ、砂糖、酒、醤油を入れるという二重の味つけ、

材料はチビチビ入れ、温度を平均に保たせながら煮てゆく、という「コツ」の紹介でした。
で、この投稿の1週間後、読者投稿欄に反論として、
「すき焼の弁−−来歴と実際の食べ方」というその語源にまつわる投稿がなされたのです。
それによると、

「明治以来の頑固な武士、堅気な人達は、動物を食べる者を忌み嫌い、

家に置かず、鍋すらも使わせなかった。

そこで牛肉業は農家のすきの先を借り、こっそり隠れて食べた」

という、いわゆる“鋤焼き”説だったそうです。
「鋤は、平であるから醤油が差せませんから、みそで周囲にドテを築き、
その中に脂ぼう一片をいれて溶かします。
煮立ったら肉を焼きますと、鍋とは異なったよい香りと味が致します。
すき焼は決してはじめからわりした等を用ゐて……などといふのは当りません。」
といった内容のでしたが、

昭和の初期にあっても、
ツッコミどころに敏感なのは、今のSNS同様、
その4日後、この投稿欄はまたもすき焼きの話で埋め尽くされたそうです。

 

さ、そこで、諸説あると言いますが、もっとも、本道に近いすき焼きの説を
紹介します。


古来、竃神(かまどがみ--台所の神様)の戒めとして、
家畜の肉を食べることを忌避してきましたが、キリスト教の渡来とともに、
日本人も牛肉を食べるようになります。
室町末期から江戸初期に至る時期は、かなり盛んだったようです。
その後、仏教的禁制が行われ、好ましくないもの、とされます。
そして、江戸の末期、からは、
これらの禁忌も解けたものの、多年の習慣から、
日常で使われる鍋などは使うことを避けたようです。
普通母屋では神仏を祀っていますから、
肉類を食する時は、いつもの鍋を使わないばかりか、
納屋、または屋外において食べたようです。
この時鍋代わりに使われたものが、鋤(すき)です。
 
そもそも鋤は、今はすたれましたが、重要な農作業の道具で、
スコップのような形状で、鉄製のやや細長い真っ平らな、
いわば小舟で使うオールのような形状をしています。
鍬(くわ)もスキと読むことがありますが、
これは、柄の角度が鋭角なので、手めに引く力をもって作業をします。
横から見れば、鍬は刃と柄に角度がありますが、
鋤は、まっすぐなものです。
で、使い古した鋤を肉を焼くときに使ったので、鋤焼と言われるようになったとか。


そもそもが平らで、狭い面積のものですから、
今のような割り下を使って、焼くというより煮るという感じの調理法ではありませんでした。
で、どのようにして食べたのか、と言うと、
豆油(たまり醤油のこと)に付けておきます。
いわば下味をつけておくのです。
これを熱くなった鋤の上に乗せ、肉の色が変わると
これを食した、という事です。
この時、鋤の端の方にゆずの輪切を乗せる、と記録にはあるので、
きっと、肉の臭みを消すためにそうしたのではないか、と思います。


なぜすき焼きと言われるようになったのか、
どのように食べていたのか、これでわかると思いますが、
関東大震災後、急速に肉食が広まるとともに、
鉄鍋が用いられるようになり、その調理法が多様化します。
すき焼きだから、と言って、熱した鉄鍋に肉を焼き、
頃を見て、割り下を入れる、という手順を主張する人がいますが、
焼き方としては鋤焼の原点を守っているようですが、
実際は、たれを入れた後は結局煮ることになるので、
これは中途半端と言わざるを得ません。


要は、すき焼の原点は、鉄板焼きなんですね。
しかし、鉄鍋を使うようになってからは、
この原則も崩れますので、
後はそれぞれの流儀に任せるのでいいと思います。
割り下を作っておいて、これで煮るでもいいですし、
肉をいったん焼いて、砂糖醤油で味付けをするでも正解です。


私は、コンスタントに同じ味で食べられる、という意味で、
割り下派です。
主に、割り下の比率は、
酒1・みりん1・醤油2・出汁2だそうですが、
これでは甘みが足りません。
いや、私の場合です。
もともと甘味が好きなんですね。
ですから、砂糖で甘味調整をします。
おおもとの鉄板焼き風すき焼では、
ほぼ、肉を焼くことに専念したと思います。
汁もないのに、豆腐だの白滝だの調理しずらいでしょ。
ですから、現在の標準的すき焼は、ねぎ、なぜか春菊、白滝、
焼き豆腐がセットになっていますよね。
それぞれ妙に相性がいいので、現代にいたるまでに進化したのだと思ます。


ちなみに、もう一つのすき焼語源説は、
肉を薄く切るためにすき切り(薄くハスに切る)をしたから、
と言われていますが、これはあまり説得力がありませんね。

ま、いずれにしても、おいしく食べるのに、決まりごとはありません。

 

| 水嶋かずあき | グルメ | 06:53 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
後味すっきり

ベルマーレ好調ですね。
シーズンを折り返したところで、まずは首位をキープ。
2位アビスパ福岡とは、僅差の勝ち点1つしかありませんが、
1位は1位。
立派なもんです。


各試合をつぶさに観戦したわけではありませんが、
まずはなんだかんだと守備が固いですね。
秋元が復帰してきたのがよかったんでしょうね。
で、2位の福岡は、攻撃力があります。
以前、ベルマーレで活躍し、

記録ずくめの好成績でJ1に昇格した時の攻撃のかなめだった

ウェリントンが、福岡の得点に多くからんでいます。
一昨年の昇格時に、彼のずば抜けた攻撃感覚が目に焼き付いていたので、
翌年、J1復帰時に、ウェリントンの名前が無くて、
がっかりしたんです。
これは私見ですが、遠藤も永木も持って行かれたのは痛いと思いましたが、
ウェリントンの不在が一番応えたんじゃないかな、通っています。
で、昨年は敢え無く降格。
ま、しかし、チョウ監督が残ってくれたので、今年に期待したんですが、
まあ、見事に頑張っています。


攻撃力がいささか弱いので、後半はそこをどう修正するのか、
ともかく、けが人を出さないように、気を付けて、頑張ってもらいたいです。


さて、1994年、J1に当時のベルマーレ平塚が昇格し、
それまでサッカーなんか見たこともないものが、観戦するようになったのです。
で、最初にサッカーの持つゲームの進行で、疑問に思ったものが、
観客の視点と、レフリーの判断の誤差でした。
ま、よくあることなんですが、
ハンドとしての認定の仕方とか、ファール、しかもイエローカードなどが絡んだ場合とか、

時にPKの判断とか、思わず、そりゃないだろう、と思うような誤差が、
レフリーと観客の間に生ずることもあって、
最初のころは、どうしてレフリーをもっと増やさないのか、と思ったんですね。
まあ、単純にピッチ内をもう一人の副審がいるだけで、
かなり近くで進行が見れるわけですから、
誤審は減るだろう、と。
こう言う主張をすると、
いや、サッカーはそもそもそういうスポーツなんだ、と言われましたが、
実態を言えば、観客たちはあとで、ビデをで確認できるわけで、
誤審は誤審で残るんですね。

まあ、一度出た判定ですから、受け入れますけど、心底素直に受け入れているわけじゃない。

そんなビデオなどの道具がなかったころは、
一番近くで見ているのはレフリーなんだから、
観客席の判断と違っていようと、
彼らの判断でいいのだ、と言う言い分が通っていたわけです。

しかし、再確認をスローで鮮明に確認できるようになると、

これらの意見も、少しづつ色あせてきた訳です。
つまり時代の進化に併せたゲームの在り方と言うのが、求められる。


特に、誤審によって、勝ちと負けが逆転したような場合は、
余計怨念が残りますよね。
そもそも、そのゲームは相手のチームとともに、レフリーの笛の吹き方によって、
有利になったり不利になったりします。
大体、試合を開始して10分ぐらいたった時点で、
このレフリーでは勝てない、という印象を持つことがあります。
これは、ほぼ当たります。
なぜなら、サッカーは流れのゲームですから、
流れを作りやすい笛の吹き方と、チームのゲームの組み立ての相性が良いかどうかも、

勝ち負けに影響するんですね。

 

まあ、時代の流れと言いましたが、
やっとそのへんの兆候が出てきたようです。

 

ビデオアシスタントレフェリー勉強会が開催されました。
「日本サッカー協会審判委員会は、
都内で行われたレフェリーブリーフィングで、
将来的なビデオ判定の導入に備え、
22日の国際親善試合鹿島アントラーズvsセビリアで
ビデオ・アシスタント・レフェリー(VAR)の勉強会を行うことにした」そうです。
これは、電子機器メーカーの協力を得て、
本番さながらのカメラなどが設置され、
リプレーなどの手順や操作などを学ぶそうです。

実にいいことですね。

様々な競技がビデをを活用しているのに、

サッカーだけが取り入れが遅かったと思うのです。


一番肝心なことは、サポーターが納得する判定に修正できることです。
明らかな誤審で試合の流れを決められ、まして敗戦となると

帰り道の気の重いこと。

 

後味すっきりと言うのもスポーツのだいご味でしょ。

 

| 水嶋かずあき | ベルマーレ | 12:44 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
雷はなぜへそを狙うのか

実は、昨日、ブログを打ち込んでいるときに、突然と天候が悪化し
雷が鳴り始めたんですね。
私の部屋の窓から、西の空は真っ黒な雲に覆われ、
時々、稲妻が走るのが見えるんです。
もちろんしばらくしてゴロゴロと言う音。
で、やはり気がそがれるでしょ。
何より、まだ文章の打ち込みの最中に、落雷でもあって、
停電でもしたらどうしようか、と。
だって、それまでのデータが飛んじゃうでしょ。
ですから、早いとこ打ち込んでしまおうと、
もう中身はともかく、気もそぞろに、一丁上がりにしてしまったんです。
で、のちに文章をチェックしたら、
とてつもない誤変換が何カ所もあって、
(いや、いつもありますけどこの日は特別多く)
改めて修正しました。

 

地震・雷・火事・親父、なんて言葉ももう古いですか?
なんとなく手におえない怖さを並べたもので、
親父は洒落にしても、雷は地震に次ぐ第二位の優先順位を維持しています。
その割には、雷の被害って、意外に少ないんです。
とはいえ、年間で、ほぼ15人前後とか。
まあ、多いうのか少ないのか、何とも評価できませんが。

雷による死亡で一番多い時期は7月がピークだそうです。
12か月を分母にした比率で言うと34%、
続いて6月の23%、そして8月の14%だそうです。
ま、夏の天災の一つですね。


で、不思議なデータがあるんですが、
落雷で死亡した人の82パーセントは男性だそうです。
雷は、なぜ男を狙うのか、これはよく分かりません。
大体が、野外で被害を受けるわけですから、
男の方が表をウロウロする確率が高いんでしょうね。


よく、ゴルフをやっている時に雷が鳴り始めたら、
避難せよとか言いますが、それはもちろんのことですけど、
実態から言えば、雷で死亡するのは、ゴルフより釣りが圧倒的に多いのだそうです。
おそらく、釣り竿の影響があるのかもしれませんね。
ま、それ以外に、つりが多くゴルフが少ないという事の最も説得力のある理由は、
ゴルファー達の間で「落雷の危険性」が浸透していたからだそうです。
まさにこれこそ防災でしょ。
きっとコースにぽつんと植わっている木の下などに逃げ込む、

という無知な行動はしないんですよね。

 

以前、エクザイルの野外コンサートで、落雷で亡くなったファンの方がいましたが、
この方は、木の下に逃げ込んだんですね。
ですから、身を守る、という事には多少の知識が必要です。
雨宿りと同じ感覚で大きな木の下に逃げ込むのは、実は危険なんです。
これは、まず、高い木には落雷しやすい、という事と、
雷には、即劇と、側劇の二種類があって、
高い木は即劇を受け、幹や枝から、高電流が周囲に飛ぶのだそうです。
で、木は電流を通しにくいのですが、人間の肉体は通電やすいために
そばにいた人の体を通って電気が流れてしまうのだそうです。
よく、金属を身に付けていると落雷しやすい、と言われますが、これは迷信。
金属も人間の体も、ほぼ同等の通電しやすさなんだそうです。
つまり、思いのほか、雷にとっては、金属の塊も、人間の体も、大差ないわけです。


で、具体的には、
高さ5m以上30m以下の高い物体(建物、塔、煙突、クレーン等)があれば、
てっぺんを45度以上の角度で見上げる範囲で、
その物体から5m以上離れた場所で
足を揃えてしゃがんでいれば比較的安全だそうです。
要は、高いものから少し離れるという事、
そして身を低くするという事です。
根元から1〜2m以内は側撃を受けやすいそうです。
とかく、人は即撃を怖がりますが、本当に怖いのは側撃だそうで、
意識の切り替えが大事ですね。


で、意外と安全なのは、自動車や飛行機、電車、バスなどの乗り物だそうです。
なぜなら金属で囲われた物の中に入らずに、
電流は金属を伝わって大地に流れこむためで、
中にいる人間などには目もくれないんですね。

 

よく、雷さんにへそ取られる、とか言われましたが、
これは、へそをかくすという姿勢が、身を屈めることになるという事と、
夏場に多い雷ですから、急に気温が下がったりするので、

腹を出したままでは、お腹を壊す、という意味もあるとか。

狙われるから、隠そう、と言う知恵の言葉ですね。
ま、いずれにしても、気を付けましょうね。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 10:32 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
在り難きこと

冷静に身の回りを一つ一つチェックしてみると、
実に、多様ながら、その一つ一つが「在る」という事に気づくはずです。
まずは、空気があるでしょ。
多分、適切な比率で、酸素とか、窒素とかの配合があって、
これと言っても息苦しくないですし、わたしたちの生命活動の
根底を支えています。


そして水がありますね。
実感としては、蛇口をひねれば水が出てくる。
これを飲んだり、炊事に使ったり、風呂に入れたり、洗濯したり、と、
これまた在ることが大前提になっていますね。


水も大気も、私たちの生存の条件ですから、
私達はとかく生命の原則は、水と大気と考え、
他の星に水と大気はあるのか、と、地球外生命体の存在条件をチェックしますが、
これは単なる経験則の延長で、生命とはそういうものだ、と考えているからで、
水がなくたって、大気がなくたって、生命は存在しうる、と思うんです。

つまりことほど左様に、水も空気もあることが、ごく当たり前のこと

としてとらえている、と言うことになりますよね。


ま、それはともかく、
その命を支えるのが、エネルギー源となる食料です。

うまい具合に地球のあらゆるところから、食料を調達しています。
なんとなくスーパーの棚に置いてあるのが当たり前になっていますが、
冷静に考えれば、そういうものが「在る」という事で、
命を繋いでいるんですよね。

 

何をいまさら、大げさに考えているんだ、と思うでしょうが、
私たちの世代は(戦中派)、

ろくにものがないというところから人生が始まっていますから、

これらのものがあるという事が、当たり前と思っていないのです。
ま、正直、徐々に現況にならされてきましたが、
それでもどこかで、蛇口をひねると、水が出てくる、
そこに水が「在る」という事が、当たり前と思えないんですね。
電気用品のスイッチをひねれば、光ったり動いたり、
コンセントには、いつでも電気が待機しています。
基本的に切れることがないでしょ。


20年ほど前ですが、中国の内陸部を旅行したことがありましたが、
その地区を4分割して、4日に1日は電気が来ない日がめぐってくる、と言ってました。

今はそんなことないと思いますが、
たまたまそのころの、その地方ではそうだったのです。
帰国して、日本はありがたい国だ、と思ったことがあります。


ガスもそうでしょ。
コックをひねれば炎が出てきて、煮炊きができる。
風呂だって、自動で沸かせる。
私が子供のころは、薪で風呂を沸かしていましたから。

当然、薪割と言う作業もしました。
水は井戸を汲む。

薪で風呂を沸かす。
いやはや実に素朴な生活でした。
ま、それから見れば今は、天国です。
水も電気もガスも、いつでもそこに「在る」んです。


もちろん、生活を支える様々な要因もそうですが、
今、叩いているキーボードも私の目前に在るんです。
机の片隅には、ボールペンだのマジックペンだの、はさみやホッチキスだのが、在るんです。
いや、実にすばらしい環境です。

幾百、幾千、幾万もの、ものが身の回りにあるんです。
在るという事を再認識しなきゃいけませんね。
だって、あることが当たり前になっているところに、感謝は生まれないですから。
横柄な自己中心の傲慢さが育てられてしまいますから。


在って当然でなくて、
在ること自体が、ありえない事、と捉えることの方が大事でしょ。
ありがたいこと、とは、有り難いことですし、
文字の違いでけのことですが、
在り難いことなんですね。
空気も水も、食料も、電気もガスも、あって当たり前でなく、
在ることが、ありえないという意味のありがたきことなんですね。

 

そしてその基本中の基本、それは地球です。

在って当たり前になっていますでしょ。

もっと大事にしたいですね。

 

ありがとうをもっと真正面から受けとめ、もっと口にすべきでしょ。


そう、このブログを読んでいただくことも、ありがたきことなんですね。

いつもありがとうございます。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 14:28 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
危なげな平和

ある程度の継続性を志す組織を作るときは、
必ずその組織の原点を表現する綱領の制定をすべきです。


私は、いままで、そのような組織を作ってきたことがありましたが、
最初の作業は、いつでも綱領を作る事でした。
なぜなら、どんな組織でも、必ず人は入れ替わり、

時間の経過とともに、初心と言うものが失われがちなものだからです。
これは殆どの組織が、時代の変化、という事を理由に、その運営の目的を修正したりするものです。
ですから、逆に、綱領には、問題の本質をしっかりと位置付けることが必要なんです。
言い換えれば、時代が変わっても、人間の本質は変わらない、と。
ならば、その本質をしっかりと捉えて、

一つの集約された文言として表現すべきではないか、という考えなんですね。
この綱領というのは、いわばその組織の憲法とでもいうべきことで、
時にひも解き、じっくりとその真意をくみ取ることが大事ではないか、と思います。

 

さて、
現況では、国際化が進み、国対国の諸問題が、年がら年中外交のテーマになって、
調整が行われています。
ま、一応、その大枠として存在しているのが、国連。

おそらくあまり関心がないと思うのですが、この国連にも憲章が定められています。

まあ一種の綱領のようなものですね。
出来れば一度検索をして読んでいただきたいのですが、
その前文ともいうべきところにこんな風に記述されています。


「われら連合国の人民は、
われらの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い、
 基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小各国の同権とに関する信念をあらためて確認し、
 正義と条約その他の国際法の源泉から生ずる義務の尊重とを維持することができる条件を確立し、
 一層大きな自由の中で社会的進歩と生活水準の向上とを促進すること、並びに、このために、
 寛容を実行し、且つ、善良な隣人として互いに平和に生活し、
 国際の平和及び安全を維持するためにわれらの力を合わせ、
 共同の利益の場合を除く外は武力を用いないことを原則の受諾と方法の設定によって確保し、
すべての人民の経済的及び社会的発達を促進するために国際機構を用いることを決意して、

これらの目的を達成するために、われらの努力を結集することに決定した。」


と、多少長いのですが、一文一文意味ある表現で構成されていますでしょ。
当然ですが、第一次、そして第二次の世界大戦を踏まえて、
もう戦争なんかうんざりだ、という叫びが込められています。
正に世界平和を希求しようと言う姿勢がくみ取れます。

要は、国連の原点は、戦争なき世界の構築、だったんです。


ですから、多少の時間がかかりましたが、
1980年に、人類すべての間に
「理解、寛容、平和共存」の精神を広める目的で、
平和に関する高等教育を行う国際機関として、平和大学が設立されました。
さらに、国際連合大学(大学院的性格の機関)も設置されました。
平和大学はコスタリカに建てられました。
その理由は、コスタリカには、軍隊がない、という実績をベースに
平和の在り方を研究しようという事です。
また、国際連合大学は、同じく軍隊を持たない国として、
これは日本におかれています。

いや、日本はそもそもそういう国なわけです。

 

さて、話は戻りますが、組織の綱領などでは、
あれこれと組織の目的を記述した後、最期の一文で、
「もって、世界平和の実現に寄与する」とかの文章が入ったものです。
いやなんとなくですが、私の若いころは、そんな風潮がありました。
今はほとんどないですね。
確かに時代は流れて、国際世界も大きく変化しましたから。
でも、どうでしょう、私達一個人にとって、
平和を求めるという事は、変わりないでしょ。
70年も経てば、のど元は熱さを忘れてしまうんでしょうか。

 

これは国際社会においてでさえ同じこと。

相変わらずさまざまな紛争が続いていますもんね。
こういう現象から、もしかすると、平和を希求する人対がいる半面、
争いごとを好む人たちがいる、というわけです。
なんだか二種類の人類が、この地球上には存在しているんでしょうか。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 09:20 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
地名、珍名

今回のような、北九州の水害とか、
今までも何度か経験してきた、大規模な地震とか、
どこかの特定の地域が被災すると、
そこの被害状況がテレビの画面で伝えられます。
で、そういう時は当然ですが、地名がテロップで表示されますよね。
テレビを見ながら、そういうところなんだ、と。
ま、初めて知る、というか、そんな地名のまちがあったんだ、
と言った感じになることがあります。


残念ですが、地方のあまり知られていない町の名前を聞き、
記憶に残るのは、大体ちょっとした災害とか、
殺人事件とか、まあ、あまり良くないことが多いですね。


私が、岩手県の雫石という地名を知ったのは、
やはり、大きな飛行機事故があったからです。
1971年、民間機と自衛隊機の空中衝突で、
たくさんに犠牲者を出しましたが、この時、頭に刻み込まれた地名です。


あわせて、テレビで登場する人の名前も紹介されますが、
そんな苗字があったんだ、というくらい、
これはほぼ毎日、新しい苗字の人に出会いますね。
いや、画面の上でです。
特に海外の人の名字は、オリンピックとか、サッカーの試合を見ていて、
そういう名前の人がいるんだ、
という感じになるのは年中行事ですよね。
当然なんかの意味があるんだと思いますが、
本当にいろんな理由で、その苗字をしょい込むことになるんでしょうね。


日本にどのくらいの名字の数があるか知りませんが、
こんなことを整理しているサイトがあります。
ちょっと紹介しましょう。
ただし、サイトによって、内容が違うのです。
なぜだかわかりません。
ですから、若干実態とはずれがあるかもしれませんが、
珍名さんとして、日本中で、いいとこ20名ぐらいと言われている苗字をリストアップします。
すいませんが呼び捨てです。


時計、農作、五月、姫(女優さんにいそうですね)、日傘
家神、団子、日ノ出、蜜柑、など。
読み方は、ほぼ普通の読み方です。
他のサイトでは、
砂糖、回り道、微笑(すてきですね)無敵、秀吉、素麺、
鮫、夢、わが娘は夢ですが、もしこの家に嫁いでいたら夢夢となりますね。
茶臼山(さきやまと読むそうです)陸上(くがうえと読むそうです。)
四月一日、(読み方はわたぬき、だそうです)

 

改めて、ふ〜んと言う程度ですが、
これが外国の人だと、結構面白い苗字の人がいます。
もっとも、その国では、ごく普通のことで、何もおかしくないのだと思うのですが、

日本語になると、妙な感じがするんですね。


ガンバリ国連事務総長特別顧問
バカ議員、ボリビアの上院議員
この、バカという名前は結構います。
パンティ外相 ネパール連邦民主共和国の外相 
フリン環境相 アイルランドの環境相
マンコ・カパック皇帝 インカ神話上の初代クスコ国王 
メガチンポ保険衛生相 、サントメ・プリンシペ共和国の保険衛生相 
タノム首相タイの13代・15代目の首相
ショーン・オチンコ 、アメリカのプロ野球選手
アホ首相 、フィンランド第58代首相
ムレチン、 ロシアのジャーナリスト 
イロイロ大統領、フィジー諸島共和国の第3・4代大統領 
マラ大統領、 フィジー諸島共和国の元大統領
フィージーは人材豊富です。
カルビー外相 イエメンの外相、やめられない止まらない。
アベ大蔵大臣 ソロモン諸島の大蔵大臣 日本にもいるでよ。
1997年5月に来日しています。 
ウンコビッチ元駐中国大使 ユーゴスラビアの元駐中国大使
正直これ最高でしょ。
ヤリ・マンティラ フィンランドのノルディック複合の選手、ゴールドメダリスト。
金玉 キムオク 金正日の第四婦人、読みはともかく字面がちょっとね。
パク・リナ 韓国の女優 
イ・ソジン 韓国の俳優
ハン・ジミン 韓志旼、韓国の女優、で、民進という事?
オマル・トルシエ、初めて知ったのですが、サッカー日本代表の監督を務めたフィリップ・トルシエの本名だそうです。

確かに、もろだと、みんなオマル、オマルと呼んだんでしょうね。


ま、この類のことって、言葉が違うんですから、当然ありうるでしょ。

 

猪股君と言う、わが友人がいるのですが、
彼が中国にゆき、名刺を出すと、大体にんまり笑われるそうです。
まずは、猪は豚のこと、で、股はまたですから、要は、ぶたのまたと言うことです。
妙な連想をされるそうです。
正にところ変われば、品変わるですね。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 09:10 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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