水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
一人酒

昨日、私が所属する美術集団、すさび会の新年会が開催されました。
これは、総会?も兼ねてです。
総会に?マークを付けたのは、一応年度決算の報告をするのですが、
別に監事がいて監査をしたりとか、することもありませんし、
仲間内のお金を預かっているという感じの会計さんですから、
通帳を調べようとかの空気もなく、
決算報告も、誰も真剣に聞いてないんですね。
第一、年間総支出額が12万円ですから、いささかその面では雑に扱われてしまうんです。
なので、総会的要素は1〜2分。


後は次々出てくるお料理を楽しみながらのおしゃべりタイム、という事です。
会員の一人が、フランス料理のお店の奥方なんで、
そこでの新年会です。
で、なぜかこの会では、酒飲みがほとんどいなくて、
ビール派が半分。
その他アルコール系が2割ぐらい。
残りはノンアルコール系ですので、先ずは飲みすぎで乱れる、なんてことはありません。
まあ、その面ではおとなしいもんです。


こういう時でも、私はビルは飲みません。

場が場ですから、白のグラスワイン。

私がビールを好まないのはいくつか理由があります。
ビールは、陰陽で言ったら、陰のお酒なのではないか、と思っています。
ビールで酒席を過ごすと、先ずすぐに腹が膨れてしまう。
次に、料理をおいしく食べれない。

そしてなぜか、鬱っぽい酔い方になってしまうんですね。
それと、あのビター感が、舌にあまりいい影響を与えるとは思えないのです。
確かに、ドイツあたりの、
ソーセージなど結構脂っこいものをつまみに食べるときには、
口の中を洗うという感じになるのでしょうが、
繊細な味付けを楽しむ和食とかフランス料理には、
いささか味覚を楽しむ上では、邪魔になると思っているのです。
いや、もともと苦いのが、字の通り苦手なんですね。

 

酒席のルールと言うか、過ごし方と言うか、ま、酒席ですから飲み方と言うか、

なんとなくここも、変化が著しくなってきました。

場にもよりけりですが、酒席の目的の一つにコミュニケーションを図る、
という事があると思うのです。
で、事実、一度酒席で酒を差しつ差されつしながら、

話をした相手とは、一気に距離が縮まりますでしょ。
注がれるという事は、自分のペースが乱れるという事は確かにあります。
しかし、ビール瓶を手にして、酌をしようと言う相手の行動は、決して悪いものではないでしょ。
その人なりに、グラスが空いたから、注ぎましょうか、という事なんですから。
決して余計なお世話ではない。
気にかけていただいている、と捉えればありがたいことです。
また、逆に、気にかけています、と言う合図のように酌をするわけですから、
確かに、コミュニケーションは進むはずでしょ。


しかし、最近、いくつかの理由で、差しつ差されつが減ってきたように思うんですね。
これは酒席に参加する人の意識が微妙に変化したのと併せて、
飲み方自体が変わってきたからです。
例えば日本酒での猪口って小さいですよね。
考えてみれば、一口用の容器でしょ。
ですから、猪口で飲もうとすると、年中差し続けることになる。
で、ここで、面倒だから、とグラスなどに切り替えると、
酌をする、杯で受ける、と言うやり取りの頻度が一挙に減ってしまうでしょ。
これは酌のやり取りが面倒、というように、人間関係をぶっきらぼうに考えると、
最初っから枡酒のようにグラスでもらうようになるんですね。
誰も注ぐというかかわりが持てなくなる。
また、ビールなどは、かつて、ほとんどがビンビールでしたが、
最近は生が主流です。
つまりジョッキでビールをもらうので、酒客同士で、注ぐという事がなくなりました。

 

そういえば、私がビールが嫌いな理由は、
自分の好みのコンディションでビールが飲めない事でしょうか。
もう少し減ってからがいい、というのに、注ごうと言われれば断れないでしょ。
で、結局注いでもらう。

年中生暖かい気の抜けたビールを飲み続けることになる。
と、これが嫌なことの理由かもしれませんね。
かといって、ジョッキの量は多すぎて、結局最後の頃は、
同じく生温かくて気の抜けたビールになっていることが多いんですね。
そう考えると、酒席のコミュニケーションって、
変質しつつあるのかもしれません。

 

おひとり様、という言葉がはやりましたが、
人はだんだん群れを嫌うようになってきたようです。
正にドクターXですね。
一人酒、と言う飲み方が増えてきたのです。
ある居酒屋で、カウンターで1人で酒を飲んでいる人がいて、
その隣に座っている人も一人で飲んでいて、
ふとしたきっかけで話を交わすようになる。
そういえばあなたはいつもおひとりですが、
一人で飲むのが好きなんですか、と聞く。
ええ、あれこれ余計な気を使わずに、酒を楽しめますから
私は一人で飲むのが好きなんです。
そうですか、私もその通り、一人が気楽でいいですね。

いやほんと、一人が一番。
なんか私達は、気が合いそうですね
じゃあ、今度一緒に飲みましょう。
いや結構ですね。
と、人ってそんなもんじゃないですね。

 

| 水嶋かずあき | グルメ | 11:13 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
耐震診断アプリ

天災は忘れたころにやってくる、とよく言われました。
のど元過ぎれば熱さ忘れる、という言葉もあります。

 

東日本大震災の時に東北3県を襲った大津波。
で、町の名前は忘れましたが、結構な数の被害者を出したある町のことです。
大津波が襲来し、海辺の建物をなぎ倒し、
併せて、多くの人命を奪った津波が引いて、
やれ一段落と、人々が復旧に取り掛かった時のことです。
海岸線から数百メートル離れた所に、
身の丈ほどの石碑が倒れていたんですね。
確かにそこに石碑があることはだれも記憶にあったのですが、
その石碑になんという文字が刻まれていたかは、
誰も覚えていなかったのです。
で、ともかく、石碑を起こして、もう一度もとのようにしようと、
大勢の人間が力を合わせ、えいや、と立てたのですが、
その時改めて、石碑に刻まれた文を読んでみると、
先人が、かつてその地方で発生した津波の被害のことを記録として書き、
なおかつ、この石碑よりの海寄りに家を建てるな、
と忠告を与えたものだったそうです。


そんな大災害は、一生のうちそう何度も経験するわけでもなく、
人々の記憶も薄らいでしまうので、
このように石に刻み、将来の子孫に警告として建てたはずなんですね。
でも、のど元過ぎれば、熱さを忘れるんです。
現に、そこの住人達は、被害にあって初めて、

石碑に書き込まれていたことを確認したくらいなんですから、
いつか見慣れた景色として、誰も注意を払わなくなってしまったんですね。
そして、天災は忘れたころにやってくるなんです。

 

私達は、大きな災害に出会うたびに、次はなんとか被害を減らそう、
と知恵を絞ります。
そしてそれを次に伝える。
おかげさまで、多くの犠牲者の命と引き換えに、私たちは身の安全を守るすべを身に付けてきました。
何より建築基準法を強化し、耐震性を向上させてきました。
そもそも、地震は大地の造営活動ですから、
これは人間の力ではどうにもできない。

そして、地震による被害の大半は、
人間が作ったものによる被害なんですね。
活断層の真上の原っぱはともかく、普通の大草原ともいえるような原っぱの上にいた時に、
大きな地震が起きても、被害は発生しないでしょ。
でも、人間が作った家の中とか、構築物の近くでは、時に身体的な被害を受けます。
地震の被害は、人間が作ったものによって、発生する被害なんです。
つまり、地震に強い建物を作る、という事が防災の基本なんですね。

 

で、このたび、南海トラフ巨大地震などに備え、阪神高速道路会社が
スーパーコンピューター「京」を活用し、
総延長260キロに及ぶ全線の同時被害予測に取り組む、

というニュースがネットで紹介されていました。
世界屈指の計算能力を持っている京を使えば、
さまざまな状況を瞬時に計算し、被害を具体的に測定できる、と言うわけです。
それはそうですね。
人間がぐだぐだ計算しているうちに、あっという間に答えを出すんですから、
さまざまな状況への対応策をシミュレートしてくれるわけです。

 

地震によって受ける家屋の被害には、三つの要素があります。
一つは、そこの地盤です。
硬くしっかりした地盤の上に建っている家は、軟弱な科地盤の上に建っている家より、
何倍か丈夫だそうです。
ちなみに、2倍としましょうか。
この時しっかりした家が倒れないぎりぎりの震度でも、
弱い地盤の上の家は倒壊してしまう可能性が大なんです。
ま、何倍か、という事はそういう事でしょ。


そして、二つ目は、建築年度です。
少なくとも昭和56年以前に建物は、かなりやばいと思った方がいい。
素人が、家を眺めまわしたって、その建物が地震に強いか弱いかはよく分からないのです。
ですから、耐震診断をした方がいいです。
平塚市では、この耐震診断は無料ですから、
不安がある人は必ずやるべきです。


で、三つ目は、構造です。
平屋で、部屋が細かく分かれていて、屋根材が、軽量のスレートなどの場合、
かなりがんばれます。
逆に、広間がたくさんとってあって、二階建てでしかも瓦で屋根が葺いてある、
と言った場合、かなり危険です。
で、これらは、素人でも、地盤については、ネットで調べられますし、
建築年度については、これまた、登記所で調べられますし、
家の構造については、これまた目視でも出来ることです。
出来れば、これらの条件を入力すると、
ある程度の耐震性が判断できる、と言うアプリでもあるといいですね。
なにも、京を使うまでもないのですから。

| 水嶋かずあき | 環境 | 09:59 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
記憶のブラックボックス

テレビの番組で、比較的好みのものと言えば、
バラエティ系では、クイズ番組です。
クイズ番組でも、ピンからキリで、芸人レベルを対象としたクイズ番組もあれば、

とてつもないハイレベルの知識の持ち主の大学生とか、高校生などの、

非常識な知識の持ち主と言いたくなるような回答者が登場するクイズ番組もあり、
それぞれに、結構、納得してみています。

 

芸人系のクイズ番組は、時に、驚くほどの低レベルの質問で、
それをまともに取り上げている構成も、
いささか、お遊びが過ぎるんじゃないか、と思うほどですよね。
確かに、小学校何年生とかのレベル、と言ったうえでの出題なのですが、
それにすら、低正解率だと、芸人やタレントさんの知的レベルが疑ってしまいますよね。
これは、視聴者にある種の優越感を与えるためなんでしょうか。
なんだ、こいつら、とばかりにです。
ですから、番組制作の意図がよく分かりません。

 

一方、クイズ王決定戦みたいな、超難問のクイズは
これまた見ごたえがありますね。
正解のかけらすら思いつかないような質問を、
すらすらと答える回答者を見ていて、
こいつの頭の中はどうなっているんだ、と思います。
そして、その優秀な頭脳に敬意を抱くんです。
大したもんだ、と。

きっと人間の本能の中に、優秀な頭脳に対するあこがれがあるんですね。

 

かみさんと一緒にクイズ番組を見ていると、
自然に、それぞれが回答者になっています。
で、自分なりの答えを口にします。
そして正解が発表される瞬間を待って、
当たれば得意満面です。
さあどうだ、とばかりですね。

実は最近、気になることがあります。
といってもまあ、当然というか当たり前のことなんです。
そもそもがクイズの回答と言うのは、
正解となる知識がもし過去にストックしてあれば、そこを探し出す作業をすることが、

クイズへの回答です。

もちろん、とんちとか、考え方で回答する場合もありますが、

基本は知ってるかどうか、つまり、思い出せるかどうか、と言うわけです。
で、ええと、確か、とか思いながら、頭の中を検索します。
見つけるのに、すぐの場合も、時間がかかる場合もあります。
回答を聞いて、そうだ、そうだったんだ、と、
ストックはしてあったものの、見つけられなかったことを悔やむんですね。
いや、番組に出ているわけでもないので、だからといって、なんてことはないんですが。


で、気になることと言うのは、
この検索時間がどんどん伸びて時間がかかるんです。
ですから、どうやら正解を見つけられたとしても、もし早押しだったら、
絶対に勝てないくらい遅いんです。
この記憶がすぐに取り出せない状態は、年々ひどくなってきていて、
時に数日かかることがあります。
一番多いのは、人の名前。
ええ、なんて言ったかな、を繰り返し頭の中をめぐらせるのですが、
いったん、記憶の盲点に入り込むと、なんとしても出てこない。
却って、考えるほど、それはブラックボックスの中に入り込んでしまうんですね。

 

その昔、大学の入試を受けた時に、
地理の問題で、10ほどある気候区のうちの一つを答えるという内容のものがありました。
で、質問を読んだ瞬間、いきなりこのブラックボックスに入り込んでしまったんですね。
冷静さを取り戻そうと、その質問への回答は飛ばして、
次に移り、全部終わったところで、時間的に余裕があったので、
最後にそこに戻ったんです。
そして、では、と気候区を次々に書き出したんです。
10のうち9は軽々と思いだしましたが、
何故か、肝心のその一つだけが思い出せない。
不思議なもんでしょ。
時に記憶と言うのは、普段使っている言葉や、普段会っている人の名前や、
実に何てことなないことほど、
一度、闇に隠れてしまうと、なかなか思い出せないものなんですね。


私は、一時、カリフラワーとブロッコリーのどちらかを思い出せないことがありました。
ブロッコリーという名称を思い出せると、カリフラワーのことが出てこないのです。
逆もありました。
カリフラワーという言葉を思い出せたときは、ブロッコリーが隠れてしまうんです。
これは自分にとって、なぜかわからない健忘症的な現象で、
ほぼ、5年ほど続きました。
まあ幸いなことに、そのどちらかが出てこなくても、生活で困ることはないことですから、
自分の中で溜め込んでおけばいいことです。
しかし、どうして両方をいっぺんに思い出せないのか、
不思議でならなかったんですね。
とはいっても思い出せないものは思い出せない。
ですから、この記憶呼び出し障害を、そこそこに悩んだことがあったんですね。
ま、これまたなぜか、あるときから、ちゃんと思い出せるようになりました。

 

で、一難去ってまた一難。
今度は、そんな単品的なことではなく、
ごっそりと多くのことが思い出せない状態になってきました。
いやこれは現在進行中です。
ただ救いがあるのは、時間をかけらば、なんとかなる状態です。
先日も、友人の竹田君のことを思い出し、さてなんという名前か、
思いだそうとしたら、ブラックボックスに入ってしまったんです。
名前が出てこないけど顔は結構リアルに出てくるんです。
極端な話、住まいも、かみさんの顔も、仕事も、
しゃべる言葉の特徴もいろいろ思い出すのですが、
名前だけでてこない。
で、ま、いいか、と諦めたんです。
ところが、2日して、突然出てきました。
それも、道を歩いていて、思い出したんですね。
思わず、歩きながら、そうか、竹田だった、と独り言を言ってしまいました。

 

| 水嶋かずあき | あれこれ | 10:20 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
判断基準が雑すぎる

まあ、市民と言うのは、ある地域に暮らし、ある地域の行政のやり方に
完全に満足するという事はないようで、なんだかんだと不平不満を持つようです。
行政側だって、右から左まで、様々なニーズに、人力としても財力としても
きちんと答えられるわけもなく、
どうやったって多少の文句は言われるもの、
ということが前提になっているのではないか、と言う気がします。

 

ま、ともかく、私もいくつか不満を感じていることがあるんですが、
その最大のものは保健行政ですね。
以前、このことに関しては、書いたことがありますが、
まあ今回も似たり寄ったりです。

 

私は、地域のイベントに、何かと顔を突っ込む癖があって、
いくつかのイベントに何らかの役割を背負っています。
で、路上イベントなどでは、立場的に、
飲食関係のブースの保健所の許可を取る係りになることがあるんですね。
ですから、今までも何回か保健所に出向き、係りの方とのやり取りをしてきたのです。
で、毎回感じることなんですが、
基本的に、彼らはNOと言います。
もちろん、それは規定内での行動をこちらが示した場合は、
許可をくれるのですが、ちょっとでもずれると、もうダメなんですね。
その条件のうるさいこと。

イベントなどで、よく見かけると思いますが、
1BOXの自動車の中に、調理設備が施してあるキッチンカーと言われる車があります。
これは、保健所から調理行為が認められた車なんですが、
原則、移動先での調理行為ができるもので、
通常の飲食店舗と同等の扱いを受けているものです。

 

ある時、キッチンカーの許可を取りに行ったことがあるのですが、
当然規定があります。
その最大の条件が、シンク(流し)が三つに分かれていなくてはいけないのです。
1BOXとはいえ、軽自動車の荷台の面積なんていいとこ一坪もないでしょ。
そこに、このシンク、給水施設、排水をため込むポリタンク、調理台、ガス台、排気ファンなど、
まあ、ミニキッチンの機能を満載させるわけです。

当然その中で作業をしますので、人間が動くスペースも必要です。
その中で、シンクは三槽と言うわけです。
結果として、三つに仕切りますので、一つの面積がA4ぐらい。
したがって、まともな使い方ができないんですね。
だったら、一槽の方が、衛生的に処理できるでしょ、という事を、
担当者に提案したことがあったんですが、
彼らは、窓口での対応は、個別判断を交えないんですね。
要はそういう決まりだから、と。

 

で、さらに、あるイベントで、同様に許可を取りに行ったら、
出展者のリストを見て、これら人の住まいは平塚か、と聞くんです。
まあ、全員平塚だったので、そうです、と答えました。
で、ふと疑問に思ったので、もし平塚以外のものの場合、
どのような対応になるのですか、と質問したら、
許認可を下ろした行政での許可が必要になる、と言うんですね。
これには驚きました。
だって、移動車という事ですから、平塚市内で活動をするとは限らないわけでしょ。
それこそ、走ってどこにでも出かけ、その先で調理品を販売するのです。

許認可の条件に、許可を出した行政領域に限る、なんてことは書いてないのですから。
で、私は、茅ヶ崎で出そうと、平塚で出そうと、許可は許可なんじゃないですか、と正したら、
なんと、それは茅ヶ崎さんの裁量で、出した許可なので、
平塚では関知しない、と言うんです。
じゃあお伺いいたしますが、平塚と茅ヶ崎では、許認可の条件が異なるんですか、
と聞いたんですね。
さらに驚いた答えは、
そういう問題ではなく、
茅ヶ崎で出したのは、茅ヶ崎の権限で出したものですから、
許可の条件とかの問題ではないんです、だって。
要は縄張りなんです。

 

これに類する話は山ほどあって、
多分その大本は、県にさかのぼり、さらに厚生労働省にまで、さかのぼるんだろうと思います。
おおもとで、こうせい、ああせい、と言う許認可の条件を決める。
それを、なんの議論もなく現場は受ける。
おにぎりは現場で握ってはいけない、となると、全国一斉に
それを基準にした指導が行われる、という事です。
ですから、現場でおにぎりを握ると、
どういう問題が発生するというんですか、という質問に窓口は答えられないのです。
ですから、当然、シンクは3槽と言う基準は死守するんですね。

 

先日、愛知県蒲郡市のスーパーで、
食品衛生法で禁止されたヨリトフグの肝臓が販売された問題が、
テレビでも取り上げられていましたが、
このニュースを見た時、
きっとこれはこの地域では普通に食べられていたんだな、と思ったんです。
ある意味、その地域の食文化なんですね。
食べてもだいじょうぶ、と言う長年の経験から来ているものです。
ヨリトフグと言う種類は毒性が極めて低く、
この愛知地方では肝も食べられるという食習慣があったわけです。

私は、このヨリトフグの扱いには、厚生労働省の判断が間違っていると思うのです。
それは、かつて、沖縄でこのヨリトフグの毒性を調べたら、
一部にテトロドトキシンが含まれていた、と言うので、
以来、ヨリトふぐの肝を食べてはいけない、と言う通達を出したわけです。
で、フグの毒と言うと、ふぐが内在的に持っていると思いがちですが、
実は後天的に持ち込むんですね。
そもそもフグの毒は、ビブリオ属と言われている真正細菌によって生産されるアルカロイドの事で、
いわば、細菌が体につく、その細菌が毒を生産する、と言う2段階方式なんです。
ですから、ビブリオ属の真正細菌がいないところで育てれば、
無毒のフグが生産できるという事なんですね。
実際そういうフグを養殖しているところがあります。


で、おそらく、その検体を確保したところの海域が、
真正細菌が多くいたところだろうと思うんですね。
でも、愛知の海域には、その細菌がいない、という事で、
ヨリトフグの肝臓は無毒だったのだろう、と、私は推測します。

 

言い換えれば、行政と言うのは、時に味噌くそ一緒にしてしまうんですね。
地域の特性を無視したり、不要な縄張り意識で、行政をしたりと、
まあ、その不定見ぶりは、悪しき前例主義に、すっかり侵されているようです。
私は、このスーパーのご主人に、大いに同情します。
不運でしたね、と。

| 水嶋かずあき | グルメ | 10:25 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
本当に必要なのか

マンションで大規模修繕、と言うのがよく行われます。

ビル全体に足場を組んで、ネットを張り巡らせている建物を見たことがあると思うのですが、

外壁のタイルの修繕や塗装の塗り替え、防水関係などの工事を行っています。
我がマンションでも、本年に大規模修繕が行われることになりました。


そもそもが、築12年目を目標に積み立てをしてきていて、
この積立を全戸がしているわけですから、ある意味、12年経ったら、
大規模修繕をします、という事への同意は取れている、という事ですね。
まあそこが下地にはなっているのですが、当マンションにお住いの方々は、
あまり細かいことに口出しをする方がいなくて、
今回の計画も、ほとんど異議もないまま総会で承認されたのです。

 

私は、大規模修繕検討委員会と言う委員会の委員長を仰せつかっていました。
これは、いつごろに、どの程度の規模で行うのか、という事と、
その工事監理と、施工業者を決定するなどの下準備をすすめる委員会です。
まあ、まあ、これもスムースに諸事を決定し、
いよいよ実施という事になったのです。
この委員会はそのまま、平行移動をし、大規模修繕管理委員会になる予定です。
つまり、大規模修繕工事がスムーズに実施できるように、
住人と工事業者の間のコミュニケーションを図り、
発生しがちなトラブルを事前に対応し、
工事の結果に住民が満足できるような工事の実施を進める、という事です。

 

何しろ、大規模修繕となると、億単位の工事になりますので、
その責任は重いものがあるのですが、
その割には、結構気軽に進めてきました。
そして、最近になって、あることに気づいたのです。

 

いや今さらですみませんが、結構重要なことです。
それは、大規模修繕と言うのは、どこまで必要なことなのか、
と言う基準が極めてあいまいである、ということなんですね。

まず第一に、たとえば築15年までに実施しなければならない、
なんて法律や決め事、また行政的な指導などないようなんですね。
要は、誰かが、ぼちぼちやった方がいいですね、と言ったんですね。
それが、なんとなく、まあこんなもんだろうと、
ほぼ12年から15年ぐらい、と言う世間が盲目的に理解している慣習的な期間になっているのです。
いや冷静に考えれば、おかしな話でしょ。

我が、マンションも、上から下まで様々な個所をチェックしましたが、
例えば、外部廊下の塗装が、はげかかったところもあれば
なんでもない所もある。
防水加工をした部分でも、当初と変わらないところもあれば、
浮いているところもある。
要は、きっと工事人の腕なんでしょうね。
下手な奴が担当したところは早くさびる。
旨いやつが担当したところはいまだに大丈夫、みたいな差がある、という事です。
これを建物全体に広げて考えると、
旨い工事人がやった塗装工事の建物は、20年たっても大丈夫、かもしれません。
ところが、へたくそな工事人がやった場合、10年持たないかもしれません。
これはどこか箇所とかではなく、建物全体の話です。
したがって、実は、世間が一律に考えがちな大規模修繕のインターバルと言うのは、
建物ごとに、微妙に異なっているはずなんですね。

 

大規模修繕に疑問を持ったのは、こう言うことがあったのです。
外壁のタイルが、年月とともに浮いてきます。
叩くと、カラカラと響くような音がするときは、浮いている、つまりはがれかかっている、という事です。
これが、コツコツというような堅い音がすると、まだ密着しているという事ですね。
で、うちの場合、あちらこちらサンプリングして叩いた結果、3%が浮いていると言う数字が出ました。
これに従って工事費が積算されるんですね。
そして、取り換え用のタイルの発注をします。
さ、そこでです。
3%と言うのはサンプリングとして叩いた結果ですから、
場合によっては、3%を超える場合もあるし、それ以下という事もありうる。
まあ、全体は、やってみなくては分からない、という事です。
ふ〜んそんなもんか、と思っていたのですが、

ちょっと待て、3%と言うのは、修繕をしなくてはいけない数字なのか、どうか、
という事が客観的にだれも説明できないんですね。
要するに、ぼちぼちですね、程度の話で、
もし放っておいたらどういう現象が、何年後に発生するのか、
なんて誰もわからないんです。
これは工事人そのものもわからない。
工事監理人もわからないんです。

 

考えてみてください。
100枚のうち97枚は健全なんです。
3%と言うのは、これはある種の兆候なのか、手を付けるべき数値なのか、と言うことです。
現実的には、足場を組んで、地上高65辰旅發気旅事をしなくてはいけないのか、
という疑問があるんですね。
3%と言う状況で推し量れる全体の劣化状態があるとは思うんですが、
客観的、物理的なデータでもあるんでしょうか。

よしんば、あったとして、だったら、壁をたたいて、ぼちぼちですね、と決めるべきで、

築12年だから大規模修繕をやる、と言うのはどうも腑に落ちないんですね。

 

で、今更のように気づいたのですが、
これって、もしかしたら、建築業者のご都合で決めたインターバルじゃないか、

と言う気がするんです。

 

| 水嶋かずあき | あれこれ | 09:59 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
鰻は絶滅危惧種B2

元鰻屋としては見逃せないレポートがネットに掲載されていました。


国際環境NGOグリーンピース・ジャパンがウナギを食べる成人を対象に
「ウナギの消費に関する意識調査」を実施したのだそうです。
そして、その結果、ニホンウナギが絶滅危惧種であることは回答者1086人のうち約4割、
シラスウナギに密漁など不正取引の可能性があることは7割以上が知らなかったそうです。

 

これだけ情報があふれかえっている世の中でも、
人にとって当たり前というような情報も、知らない人は知らないわけです。
で、毎年、土用丑の日が近付くと、
恒例のように、鰻がテーマになったコーナーがワイド番組に登場しますが、
もう、くどいほど、鰻は絶滅危惧種B2に指定されたことは報道されてきました。
しかし、実態は、4割もの人が知らなかったというんですね。
ま、そんなものかもしれません。

生態としての関心より、食材としての関心の方がはるかに大きいわけです。
まして、シラスウナギを川に俎上する直前で網ですくう
いわゆる、シラスウナギ漁ついては、
微妙な法制があるので、密猟の場合がある、という事なんですが、
これについては、実は、あれはいけない事なんだ、
と言われても、食べることと直接的な関係ではないので、
知らない、が7割はまあ仕方ない数値でしょ。
まして、設問文言が、不正取引の可能性という表現ですから、
このデータはさほど重要ではないでしょ。


それより、実はうなぎは絶滅危惧種なんです、と聞いて、
あ、そうだったんですか、と答えた人の50%が
だったら食べるのやめようか、と答えたそうで、
これは、結構素直な回答ですね。


アンケートと言うのは、実態とか、意識とかの調査をするという一方、
その質問に答えることによって、
ある種の啓もう活動を並行して進めることができるのですが、
これはそのいい例ですね。

これでいくらか、ニホンウナギの現状が理解してもらえば結構なことなんですが、
だからと言って、まだ半分は、鰻を食べるのをやめようとは言ってないということでしょ。
ま、確かにうまい食材ですから、たまにはいいじゃないか、となるんでしょうね。

 

そもそもニホンウナギですが、
これは、北半球の太平洋側のうなぎの種類で、
マリアナ海溝のさるところを産卵場とするうなぎの一種で、
確かに、他の地域のうなぎと比べると、
食材としては優れたものを持っています。
まあ、日本人は、鰻大好き民族ですね。
古くは、万葉集に大伴家持の歌が載っていて、
「石麿に われ物申す 夏痩に 良しといふ物そ 鰻取り 食せ」
と言われているくらいですから、
その昔から食べられていたわけです。
しかし、年々その漁獲量が減ってきて、
それこそ50年ぐらい前から、人口繁殖が研究されてきました。
ですから、当時のうなぎ関係業者は、一日も早くその技術が完成しないか、
と首を長くして待っていたのですが、その成果は遅々として得られず、
結局、今になっても、親を産卵させ、その卵を孵化させ、
成鰻にまで仕立てあげるというところは、見えてきてはいるものの、
商業ベースに乗せるには至らないようです。


研究開発がもたついている間に、
心配の通り、シラスウナギの漁獲高が激減してしまいました。
このシラスをもとに養殖をするのですから、鰻の生産高も激減したわけです。

不思議ですね。
その食材そのものが、絶滅危惧種に指定されているのに、
シラスウナギを捕獲し、養殖し、調理して食べることに何の制限もないんですね。

またためらいもない。
ウナギはウナギで、太古の時代から、一定の生態を維持し、
その繁殖を続けてきましたが、
人間が、ウナギの繁殖のメカニズムを超えられないわけです。
しかし、うまいから食べ続けている。
まあ、どう見ても先はないですね。


そこでです、せめて、川口で捕獲の網をすり抜け、
川に定住し、成長して、産卵のためにマリアナ海峡まで帰ろうとする
わずかな天然ウナギぐらいは、捕獲制限を掛けたらどうなんでしょうね。

天然ウナギの捕獲を禁止するということです。
そもそも種が激減したのは、
マリアナ海峡に戻れる個体数が減ってしまったからなんですね。
ですから、これは分かりやすいでしょ。
川でのウナギ漁を禁止すれことぐらいしか資源回復の手立てはないのです。

ウナギ漁で生計を立ててきた人にしてみると、
死活問題になると激怒されそうですが、
この方法が一番効果ががあるはずです。


時代の流れなんですから、これは仕方ないでしょ。
つまり、私もおいしいウナギを食べたいものですから。
そのために効果的な方法を取るべきでしょ。

 

| 水嶋かずあき | - | 10:20 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
日本人なら…

私は、今までに、ネットの2チャンネル系で、
平塚のまち、平塚の住人への誹謗と言うか、
根も葉もない非難の言葉が羅列されているスレを何回か読んだことがあります。

そのたびに、暗い気持ちになってしまうんですね。


そもそもが、平塚は、太平洋戦争の際、軍需工場が多かったため、
大規模な空襲を受け、焼け野原となって、
無傷に近い他の周辺都市から見れば、大きなハンディキャップを負いました。
終戦後、復興期に入ると、国の復興支援策を優先的に受けて、

道路区画の事業など、インフラの整備などに当てられてきました。
また、競輪事業の認可を受けるなど、周辺都市から見れば、
かなり優遇策がとられ、何かとうらやましかったようです。

これは、以前、商工会議所の関係で横須賀市の視察をした時、
商業関係の職員が、終戦後、平塚に次々と振興のための予算が割り当てられ、
とてもうらやましいと思った、と言っていたので、
改めて、周辺の町は平塚のことをそういう風に感じていたのか、
と気づいたんですね。


そんなやっかみの気持ちが背景にあったのかもしれませんし、
もしかすると、平塚市民の品性が欠けていたのかもしれませんが、
何かというと、平塚いじめのような感情があるようです。
特に、相模川以東のまちは、平塚に対して優位性を感じたいらしく、
何かと、難癖を付けたがる傾向がありました。
私達にしてみれば、悪意を持って、他都市の批判をした覚えはありませんし、
私たちのどこが悪いのだろう、と思うんですね。


こんなスレが立っていたことがありました。
テーマは平塚競輪場です。
多分、周辺都市の人たちだと思うのですが、
競輪場と言うのはばくち場の一つだ、
いやしい品性のものが集まってくる、
そこの上がりを、市の財政にしている平塚は、
品性に欠ける。
と言ったことを、かなり口汚くののしるように書き込んでいるのです。
仮に、市政運営の財源の一部に、
競輪場の上がりである品性のないお金を使っている、としましょう。
しかし、現実として、競輪場の上がりが大きく、
行政としてはとても魅力的であった時代があって、
しばしば、近隣都市の主催競輪と言うのが行われていました。
つまり、平塚競輪場での開催権を、ある月委譲してもらって、
例えば、藤沢市主催とか、鎌倉市主催とかの開催をし、
その時の上がりを譲り受ける、という事です。
要はおこぼれ頂戴、という事です。
たとえ品性のないお金であっても、平塚ひとりが儲けていて「ずるい」という事です。
ま、そういう思いがあるんだったらどうぞ、と平塚は開催権を譲っていました。
これは、売上から、必要な経費を引いて、いわば純益を渡す、
という事です。
まあ、周辺都市にしたら、うまい話でしょ。

名義一つで収益があるんですから。
ところが、時代とともに、売り上げが減ってきて、
旨味が少なくなってきたんですね。
すると手のひら返しのように、主催権の返上を始めたのです。
今ではゼロです。


何年か前、平塚競輪場で、鎌倉市の主催競輪があって、
それにかかわる費用の請求をしたところ、鎌倉市はその支払いを拒否したのです。
私はその品性のなさに驚きました。
ま、何かの事情があったのだとは思いますが、
一地方行政体が、ある取り決めの中での失払いを拒否したんです。
これは裁判沙汰になって、結局は鎌倉が敗訴し支払うことになったのですが、
こうなると、平塚と、鎌倉では、どちらが品性が欠けるか、という事でしょ。

 

ま、そんなことはともかくです、どうも平塚は、
あまり好かれるタイプの街じゃないようなんですね。
でも、よく考えてください。
何が悪いってわけでもないし、誰が悪いってわけでもないでしょ。

実は、このように、なんとなく風評のようなもので、
人が判断されるという事があるものです。

 

その最たるものが、ナチスがしたユダヤ人への差別的処置ですね。
私達は、西欧社会の成り立ちとか、宗教的な対立の根などについて、
十分な知識がありませんが、
客観的に言って、ユダヤ人の何が悪かったんだろうと思うんですね。
あの第二次世界大戦のさなか、ただユダヤ人と言うだけで、見下げられ、迫害を受け、
挙句の果てにホロコーストとして、殺害される、
と言う惨劇が展開されたのです。
侮蔑、差別、偏見と言う、人間として最も醜い心の動きです。
しかし、その立場は、なかなか日本人には理解できません。

 

外遊中の安倍総理が、リトアニア中部カウナスで、
第2次大戦中にナチス・ドイツの迫害から多くのユダヤ人を救った
日本人外交官、故杉原千畝氏の功績をたたえる「杉原記念館」を昭恵夫人とともに訪れた。
と言うニュースがネットで紹介されていました。
そこで、首相は見学後、記者団に
「世界中で杉原さんの勇気ある人道的行動は高く評価されている。
同じ日本人として本当に誇りに思う」と語った。
そうです。

 

杉原さんは、生前、その勇気ある行動をたたえられると、
必ずこうコメントしたそうです。
「私は特別なことをしたわけではない。
日本人なら誰もが、同じことをしたと思う」と。

 

そう、私たちは、そういう心を持った日本人なのです。
その日本人であることを誇りに感じている日本人なのです。

時々思うんですね。
2チャンネルで、荒々しい言葉で、世の中のさまざまな現象を
誹謗中傷して悦に入っている人たちは、日本人じゃないのかもしれない、と。

 

| 水嶋かずあき | あれこれ | 11:40 | comments(3) | trackbacks(0) | - | - |
防災と言う概念

昨日、平塚の美術館の一室で、防災フォーラム@平塚、という
防災のためのセミナーが開催されました。
主催は東海大学で、災害に強い平塚市を目指して、と言うサブタイトルのもとに、
東海大学と平塚市がコラボして、
地域連携をさらに推し進めようという意図も含まれているようです。

 

防災と聞いて、是非ともお勉強しておきたいと、思い、
あの寒い中、1時開会に間に合うように、自転車をこぎこぎ会場に向かいました。
会場は、すでに多くの人が着席していて、この類のセミナーの割に参加者が多いのですが、
よくありがちな前の方の席は空いていて、
後ろの壁際の席はびっしり座っている、というパターン。
なんだかんだと100人弱の参加者数。

予定としては、1時にスタートして、4時半終了と言うロングランのセミナー。
正直、夕方の予定もあり、こりゃ、申し訳ないけど、途中退席と、決め込みました。
で、内容なんですが、
JAXAの衛星利用運用センターの所長さんとか、
国土地理院の応用地理の担当者とか、が、先ず招待講演をします。
パワーポイントを使って、
災害発生時におけるそれぞれの分野のノウハウをいかに活用するか、みたいなテーマなんですが、
基本的に、日本地図が前提の解説なわけです。
せめて、神奈川県が地図の最大部分になっていなければ、
災害に強い平塚市を目指す、というテーマから浮くでしょ。

確かに、この時代ですから、災害に必要な情報は、
宇宙から見てた災害に必要な情報は十分に活用できるだろう、という事は分かります。
また、特に地形の変化を伴うような災害については、
国土地理院の情報は有用だろうと思うのですが、
正直、ピンとこないのですね。
少なくとも、平塚で、防災活動をしてきた私としては、雲の上の話なわけです。
正に、虫瞰図が必要な状況に、鳥瞰図の情報が
どこまで有用か、という感じなんです。


せっかく、地域との連携を、防災と言う観点で推進しようと
一生懸命に企画していただいたのですが、
主催側に、地域の実情というものが十分咀嚼されていないな、と思ったんです。
形の上では、大局的な観点での話、
さらに現場に絞り込んだ話など、
実に、練り上げられたトータルな構成ではあるのですが、
若干蛇足的な要素があったわけです。

 

大体、この類のセミナーの構成は、頭でっかちになり、

かつ、登場人物が多すぎる、という事になりがちです。
3時間半のセミナーにあれもこれもと詰め込むわけです。
その結果、どれも十分な時間が取れず、
それぞれが消化不足になりがちで、講演が終わって、質問は、と問いかけられても、
何を聞いていいのかわからないくらい、具体性がないんですね。
そもそも質問をするというのは、分からないから聞くわけで、
その聞くべきところがもともと分からなければ、
質問のしようがないという事でしょ。


基本的に、このフォーラムを構成した方々のお考えの中に、
そもそも、防災とは何を目指すことなのか、
という事が抑えられていないように思ったのです。

 

以前から私は、防災とは、
防ぎうる災害死、が軸になった活動のこと、と言う定義をしています。
つまり、防(ぎうる)災(害死)という事です。
確かに、個人や社会の財産が、損傷を受けることも大きな打撃ですが、
最大の打撃は、人の死です。
ですから、様々な防災活動がありますが、
基本は、災害死をどう防ぐか、という事を起点に
それぞれのテーマ展開を計画すべきなのです。
つまり、ある防災活動をしているグループがあったとします。
それは、先ず第一義として、その活動によって、死者を減らすことはできるのか、
という事なんですね。


例えばです。
熊本地震の死者は50名。
しかし、その後関連死として認定された方の数は120名です。
正直、異常に多い数です。
ちなみに、岩手、宮城、福島などの
東日本大震災の災害関連死の比率は8%前後です。
1万人で、800人、と言うのがそのデータでした。
しかし、熊本は240%です。
東北三県の実態の30倍と言う数値です。
どう見ても異常でしょ。

そもそも、直接死が発生するのは、その瞬間がほとんどで、
一難去った後に、様々な要因で、死を迎えることになり、
あの災害が無ければ生きていたはず、と言うのが、災害関連死です。


しかし、被災した、という事との関連性をどこまで認めるのか、
という事の線引きが不十分なんですね。
熊本の場合、関連死として認められると、500万円の弔慰金が行政から支払われます。
不届きな推測かもしれませんが、この制度に適応してもらおうと、
駆け込み的な認定が行われたのではないか、と邪推をしてしまいます。
正直、東日本大震災の大津波の後の地域の医療体制は、大きなダメージを負いました。
それは熊本の比ではなかったはずです。
にもかかわらず、30倍と言う関連死が出たという事こそ、
防災の本来の意味があるんじゃないでしょうか。


つまり、東北三県より、医療機能がしっかりしていたはずの熊本で、
こんなに関連死を出した、という事をしっかりと検証することが、
次なる関連死を減少させることになるはずで、

そのことそのものが防災でしょ。

 

つまり、昨日のセミナーも、こう言った、

より具体的な事がテーマになっているべきではないか、と思うんですね。
サブタイトルが災害に強い平塚市を目指して、と言うのですから。

| 水嶋かずあき | 環境 | 11:04 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
朝日の当たる家

実は、2月24日に、あるライブの司会進行をすることになったのです。
そのステージの演目に、朝日のあたる家、が入っていて、
さて、今まで結構雑にアニマルズの歌を聞いてきたけど、
この歌は、いったい何を歌い上げようとしていたのだろう、
と疑問になったんですね。
さあ、そうなると、いろいろと調べ回るわけですが、
その結果、世間は、かなりいい加減な解釈をしている、という事が分かりました。

 

アニマルズの朝日のあたる家、と聞いて、
ああ、あの歌ね、と思える人は、もしかすると
私と同世代ぐらいの、限られた人かもしれませんが、
一応、現段階での中間報告です。

 

まずは、この歌の経緯に触れておきますと、
17世紀に、イギリスのフォークソングとして歌われていて、

アメリカにわたり、1960年ジョーン・バエズがレコーディングし、
1962年にボブ・ディランが、さらに1964年にアニマルズが、
シングルを発表し、爆発的なヒットとなります。

 

まずはそのアニマルズ版の英語と訳語を載せます。

HOUSE OF THE RISING SUN(旭日館)

There is a house in New Orleans
They call the Rising Sun
And it's been the ruin of many poor boys
And God I know I'm one

ニューオーリンズに館があった
「旭日館」という館があった
そこは多くの若く貧しい少年らの廃墟だった
神よ、ぼくもその一人だった

My mother was a tailor
She sewed my new bluejeans
My father was a gamblin man
Down in New Orleans

母は裁縫を仕事にしていて
ぼくに青いジーンズを縫ってくれた
父はギャンブル狂で
ニューオーリンズに入り浸っていた

Now the only thing a gambler needs
Is a suitcase and a trunk
And the only time that he's satisfied
Is when he's all drunk

さてギャンブラーがいる物といえば
スーツケースとトランクだけだった
そして彼が満足するときといえば
酔い潰れているときだけだった

Oh mother tell your children
Not to do what I have done
To spend ther life in sin and misery
In the house of the Rising Sun

母よ、子供に言い聞かせてくれ
ぼくがしでかしたことをするな、と
罪と惨めさの中で生涯を送るな、と
朝日の昇る館で

With one foot on the platform
And the other foot on the train
I'm going back to New Orleans
To wear that ball and chain

片足をホームに乗せて
もう片足を列車に乗せて
ぼくはニューオーリンズに戻ろうとしている
その重りと鎖を付けるために

さらに、第1節が繰り返されます。

 

で、ここで問題になるのは、
タイトルの訳です。
こじつけのように、旭日館、とか朝日楼とか言いますが、
どうも、これは朝日のあたる家、でいいと思うんです。

この曲の解釈の中で、3行目のthe ruinの解釈が、
大きな影響を与えます。
ジョンバエズが歌ったバージョンでは、
Its been the ruin of many a poor girl
となっていて、もともとは女性が主人公の歌なんですね。
したがって、ここの解釈が、娼館と解釈されていて、
この主人公は売春婦だった、という事になります。

その影響で、旭日館とかになりがちなんですね。
まあ、それはアニマルズ前の解釈です。
で、アニマルズは、これをboysに変えて、
主人公を男性にしました。
ここから、どうも混乱が始まったようです。

 

曲全体を眺めてみると、
この曲の基点なるのは、
どこかのまちの鉄道の駅におかれていて、
5節目で、列車の乗ろうとする場面がありますが、
この瞬間の歌なんですね。

ろくでもない境遇の中で、ぐれて、荒れた生活をしてきて、
挙句の果てに、犯罪に手を染めてしまう。
そして結局つかまり、New Orleansで、投獄されることになった、
そんな自分の暗い半生を、いささか後悔の念を持って
歌ったものです。

 

自分が育った家は、
割れた窓ガラスはそのまま、玄関にはごみがだらけで、
正に掃き溜めのような所で、(the ruinの解釈です)、
親父は、ばくち打ちの飲んだくれ、
兄弟もろくでなしが揃っているという家族。
絵に描いたようなみじめな人生を送り、気が付けば犯罪者になっていた、
と言うところでしょうか。

 

その暮らしていた家を、世間は嘲笑を込めて、
the Rising Sunと呼んでいたんですね。

この、光り輝く清廉な朝の光を浴びている家も、
実は暗い人生を送ってい住人がいる、
と言う光と闇の世界の対比を
曲のタイトルとして掲げたのではないか、
と言うのが私の解釈です。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 09:50 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
じじいが歩けば車に当たる

とても気になるデータ−が紹介されていました。

それは、横断歩道に人影を見かけた時に、
手前で、自動車運転者は、一時停止するか、どうか、と言うデータです。
調査をしたのは、JAF。
昨年の8〜9月に、全国各都道府県で、二カ所ずつ、合計94カ所で行われたそうです。
信号機のない横断歩道を通過した10251台が対象となりました。
その結果、歩行者が渡ろうとしている場面で一時停止したのは
なんと867台(8.5%)にすぎなかった、と言うのです。
つまり、基本的には横断歩道に立っていても、車は止まってくれない、
と言うのが現状なんですね。


で、盗人にも三分の理、と言いますので、
車を止めなかった人の言い訳を聞いてみると(複数回答)
まず、自分の車が停止したとしても対向車が停止しないから、停車する意味がない、ですって。
これは驚いた理屈ですね。

一分の理もないでしょ。
次に、後続の車がきておらず、自分の車が通り過ぎれば歩行者は渡れると思うから。
要は待ったとしても数秒の違いでしょ、というわけ。
う〜ん、これは二分ぐらいの理があるかな。
実はこの理由で、時々、私も一時停止をしないことがあります。
ちなみに、その時の走行状態にもよりますが、私はおそらく平均以上に止まる方だと思っています。
で、三つ目の理由は、横断歩道に歩行者がいても渡るかどうかわからないから、
ですって。
いや、渡るかどうかは、普通分かるでしょ。
それはそれなりの雰囲気を醸し出しているものです。

渡らないとしても止まるのが基本でしょ。
明らかにこれはいいわけですね。
一分の理もなし。

 

で、まあ、これは運転者側の言い分です。
ですから、その言い分がどうであれ、
歩行者には関係ないことで、こんな理由で、事故にあったらたまらないでしょ。


これは別のデータですが、
死傷者の約6割が道路横断中の事故なんです。

年間で、2000人弱の方々が、横断歩道で亡くなられるのです。
ま、被害者側から見れば、横断歩道は、超危険ゾーンと言うわけです。

しかしですね、また別のデータでは、歩行者にも問題がある、と言うのです。
歩行者側に原因がある場合は、
歩行中死傷者は、4割以上が重傷以上(重傷または死亡)となっており、
一方、原因がなかった歩行者では、重傷以上の死傷者は約2割にとどまっているそうです。
つまり、横断歩道を渡るのに、
その前後のゾーンの離れた場所を渡ったとか、
急に飛び出したとか、ななめ横断をしたとか、
まあ、正常な渡り方をしなかった場合、
その危険度は高まり、
正常な横断をしている人の二倍の確率で、死傷してしまうんですね。
これは結構な確率でしょ。


つまり、歩行者としても、護身的な意味もあって、
ちゃんと横断歩道を渡りましょ、という事です。
いくらみんなで渡れば怖くない、と言っても、
赤信号で渡ると、一挙に危険率は上昇します。

 

以前中国の福建省に行った時のことです。
突然、国家の命で、あるところに道路を造ることになり、
AからBと言うそれぞれ主要な町を直線で結ぼう、というわけです。
で、多分、この道路の設計を担当したものは、
地図を広げ、AからBに向けて、一本の直線を引いたんですね。
いや、それぞれの地域の生活形態なんか無視してです。
で、その計画通り工事を進めたものですから、
ある集落は道路でその生活圏を分断されてしまったわけです。
今までその集落内で動いていた連中は、その道を渡らないと用が足せないわけです。
かといって、信号はないし、ご丁寧に横断歩道なんか作ってくれない。
で、住民は片側三車線の道を渡るのに、
まず、車の途切れたころを見計らって、中央まで進み出るんです。
そして、センターラインに立って、次に、反対側車線の車の途切れる瞬間を待って、
一気にわたるんですね。
私はこの道を通った時に、センターラインに沿って、人垣ができるような光景を見て、
むしろ、車に乗っている方が怖い、と思ったほどだったのです。
まあ、なんだかんだと、あの状態では、死人が出たでしょうね。


でも、きっとそれなりに鍛えられてゆくんだと思います。

さ、その意味で、鍛えるにも鍛えようない年よりは、
この横断歩道での死傷者になってしまうんですね。
死傷者の年齢別・世代別では、
65歳以上の高齢者が多く、負傷者の約3割、
死者の約半数となっています。
ちなみに、また、高齢者の死者の75%は、
道路横断中に事故に遭っています。

いや、おちおち歩いていられないですね。


犬も歩けば棒にあたるですが、
じじいが歩けば車にあたる、と言う世の中です。

| 水嶋かずあき | - | 11:17 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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