水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
平成もあと10日あまり

平成もあと10日余り。
天皇陛下は、ここにきて、退位のためのさまざまな行事、儀式に連日のように関わられ、
その都度、それがニュースで報じられています。
美智子さまとともに、それぞれの地の人たちの歓迎に、にこやかに手を振られているシーンを見ると、
今までご苦労様でした、と、その労をねぎらわずにはいられられません。

 

私は、昨年、退位をしたいと陛下から要望が出された時に、
どんな立場の人なのか、どんな考えでそういったのか、よく分かりませんでしたが、
その時期も含めて、ややこしい議論を持ちだした人たちがいましたね。
単純に、天皇陛下がそういってるんだから、そうすればいいじゃないか、と思ったんです。
第一その理由が、お年を召され、健康にも体力的にも不安を感じたんだろうと思うんです。
そして、責任感の強さと、誠実な人柄から、

形ばかりの立場にいることがたまらなく思えたんでしょうね。
まあ、ある意味、責任感のなせるわざとして、身を引く、という決断をされたんだと思うんです。


かなりの紆余曲折のもと、

勘違いした政界、また皇室関係者たちが、生前退位を受け入れることになりました。

この退位に関わる諸行事を見ていて、やはり大変な役務を負ってきたんだなあ、

というのが、改めての感想です。

 

昭和が終わった時、私は44歳でした。
まだまだ現役パリパリ。
全国の青年会議所のさまざまな勉強会などに講師として飛び回っている最中です。
平成に改元されて、三日目。
たまたま沖縄地区の青年会議所の新年総会の、後援を依頼されていました。
確か、ダークスーツを着、黒いネクタイを締めて行ったと思います。
その新年総会で、何人かの役職者が、いわゆるえらい順に、

新年のあいさつ代わりに、スピーチをするのですが、
この様子を出番待ちで、ステージの横で聞いていました。
雰囲気としては、新しい時代が始まる、という明るい意気込みと、
昭和天皇の崩御を悼む気持ちが混ざり合って、何とも、半端な雰囲気だったんですね。
何より、違和感を感じたのは、会長の挨拶が終わっても、

その他の役員の挨拶が終わっても、一切拍手無し。
これは妙なもんです。

「…と言うことで、どうか本年も皆で頑張りましょう。…」
と、スピーチが終わると無言で頭を下げる。
会場のメンバーも、頭を下げる。
もちろん無言で。
で、私はなぜ拍手をしないのか、と司会の人に聞いたんです。
崩御の報があってから、日本全体で喪に服し、歌舞音曲を控え、

お楽しみ的なイベントは次々と中止を発表していましたので、
派手なふるまいを慎もう、ということで、

その会場でも拍手をやめようということになったのだそうです。
とはいうものの、スピーチする人も、また聞いている人も、

なんとなく、違和感を感じていたんですね。
セレモニーの進行に、区切りがないというか、締まりがないのですね。
そこで、私は、司会の人に、
拍手をしないことが、慎みを持っているということではないでしょ。
拍手が、弔意を損なう事はない、と考えます。
確かに、天皇陛下の崩御は、忌むことではあるけど、

新しい時代の幕が開けるということとセットなわけだから、
これを受け入れるということは、礼を失することだとは思えない、と言ったのです。
司会の人は、では拍手をしてもいいですかね、と念を押すので、
私は、いいのではないか、と答えました。
で、次の登壇者から、拍手が復活したのです。

 

昭和から平成への転換は、このような雰囲気の中で進められたので、

なんとなくじめじめした状態だったんですね。
しかし、平成から令和への転換は、生前退位ということもあって、
実に、腰を入れて、平成を振り返ることができましたし、
あたらしい元号への思いも、様々に受け止められ、
その意味では、明るく、希望に満ちた空気の中での改元になった、と、
改めて、前の改元の時との比較をしてしまいます。


その意味でも、生前退位というのは、素晴らしい選択であったと思います。

 

美智子さまとの婚約の報は、私が浜岳中学3年の時、
たまたま用事があって出向いた職員室で、女性の先生が号外のようなものを手にして、
一騒ぎしていたのを見て、私も、何やらめでたいことになったようだ、と認識したのです。
その時の職員室のシーンは今でも覚えています。
ですから、私たちの世代は、そこから天皇陛下と時代を共にした来たのです。
もちろん、勝手に共にした、と思っているだけですが。

 

先日の天皇の記者会見で、在位30年に渡る様々な思いを語られましたが、
一言一言に、誠実さがにじみ出ていました。
ただ単に、天皇陛下のお言葉、として聴いた方も多いと思いますが、
美智子さまへ、人生の旅をともをしてきた、という思いなど、
誠実に生きるということの教えに満ち満ちていたと思うのです。
私は、人生の伴侶として、共に暮らしてきた我が妻への思いを、
お言葉に重ねて聞きました。
おかげさまなんだな、と。

 

昨日の伊勢神宮への訪問で、天皇陛下としての最後の地方訪問になった、ということですが、
この後、上皇としての気ままな旅行を楽しまれることを期待しています。
もちろん、美智子さまともどもです。

 

話しは変わりますが、
天皇家の継承として、男子であることの条件が、前面に出ていて、
女性・女系天皇に対するアレルギーがまだあるようですが、
今回の改元で、元号と、その時の天皇の関係を調べていて、驚いたのですが、

かつて女性天皇は何人かいたんですね。
その数、10名です。

いまさら、タブーでもなんでもないでしょ。

その時の状況に応じたものだと思うんです。
男が跡を継ぐというのは、もう古い考えですね。
男女均等社会を作ろうと、下々は考えているわけですから、
天皇家の継承も、そこは、も少しフレキシブルになっていいんじゃないか、と。

 

まずは、例の、政界、皇室関係者の人たちが、頭を切り替えないといけないですね。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 10:22 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
三茄子

東海大学が、東京の渋谷に拠点を置き、総合大学としての形態を整えたものの、
次第に手狭になり、新たなキャンパスを東京以外のところに設けようと、
その候補地の検討をしていた時のことです。
当然複数の候補地が挙がったのですが、そのうちの一つが平塚市だったわけです。
場所は、北金目。


で、創立者である松前総長が、その候補地のいくつかを視察したんですね。
そこで、候補地の一つである平塚に、下見にやってきました。
この時、西に富士の雄姿が、思いのほか大きく見る事が出来たんですね。
ちなみに、そこから富士山頂までは、およそ50キロほど。
この富士が見えるということがえらく気に入り、結局平塚に湘南キャンパスを建設することになったのです。
確かに、金目や片岡あたりの道から見える富士は格別雄大なものを感じます。

富士がよく見えるというので、平塚の地を選択した人がほかにもいます。

あの、徳川家康公です。
家康公は、大の鷹狩り好きで、平塚の地にしばしば足を運んだそうです。
初めのうちは、豊田の青雲寺などを休憩所代わりに使っていたようですが、
何度か来るうち、どうせなら、別荘を構えてしまおう、と考えたようです。
まあ、天下人ですから、別荘の一つや二つ何てことない。
とは言え、ただの家ではなく、御殿と称される立派なものだったようです。
で、それなりに場所選びをして、今の中原御殿に建てることにしたんですね。
この時、今でいう建築プロデューサーたる人が、最終的な場所選びをし、
中原になったわけですが、
この時の条件が、御殿から富士が展望できる、ということのようでした。

 

家康公は、出身が駿府ですから、幼少のころから、朝に晩に富士山を仰ぎ見ていたのです。
正に、心のランドマークタワーだったわけですね。
ですから、おそらく戦乱の時代にあっても、あちらこちらと飛び回る中、
ふるさとに戻って、富士を見ると、きっとほっとするものがあったんだと思います。
まあ、その時代ですから、高い建物もなく、家もまばらだったでしょうから、
遠い、近いはあっても富士の姿を見えるところは、それなりにあって、

その都度、故郷のことを思い浮かべていたのかもしれません。

 

現に、今に伝わる中原御殿の絵、今でいう建築パースのようなもの、では、
中原御殿全体の形と、その後ろには、富士の山が描かれています。
私は、この家康公の富士好きと、鷹狩が趣味ということと併せて、
どうも、一富士二鷹三茄子(なすび)は、家康公の好みを並べたものではないか、
と考えていたんですね。
ですから、茄子については、これといった確証がなかったものの、
三つ挙げたもののうち、二つが家康公の好みと思えば、三つ目もそうだろう、と。
で、いろいろと調べてみると、どうもそうらしい。

 

従来、縁起のいいものとして、一富士二鷹三茄子、ということが言われてきました。
確か、初夢に見るととくに縁起がいい、という吉祥として一般的に受け止められていましたが、
その根拠がどうもあいまいだな、と思っていたのです。
だって考えてください。
富士は、日本一の山ですから、まあ吉祥と言えますよね。
まして、富士は不死に通じますので、誰が何と言おうと、ダントツの吉祥でしょう。
で、鷹がどうして吉祥なんだ、と思いませんか。
確かに勇壮な砦、しかも、生物界においての食物連鎖上、最上位にいますが、
そこそこ好みが強くないと、鷹を挙げるのは違和感があるでしょ。

 

まして三番目は茄子ですよ。
どうして茄子が縁起いいんでしょうね。
これはまあ、よく実がなるということから、子孫繁栄とかの解釈をするんでしょうか。
親の意見と茄子の花は千に一つの無駄がない、といわれます。
解説するまでもないのですが、枝に咲かせた茄子の花は、何一つ無駄なく実を結ぶ、
という事ですから、かなり収穫が多い、というイメージがあるんですね。
ですから、それなりの吉祥と言えば吉祥なんですが、、
もう一つしっくりしない。
何しろ縁起のいいものベスト3に入るということがピンとこないでしょ。

 

で、この時点で私は大いに疑問を持っていたんですね。
前述のごとく、調べてみると、縁起がいいかどうかはともかく、
家康公の好みと一致してるじゃないか、と。

すると、諸説の中に、家康公の好んだ茄子というのがあって、
なんと品種まで絞り込んでいるんですね。
それは、折戸茄子だそうです。

 

静岡県三保の折戸で主に栽培されていて、

文献に徳川家に献上されていたという記録が残されているそうです。
現在の折戸なすは野球ボールほどの直径でまん丸の球状の茄子です。
その昔、徳川家に献上されていた折戸なすは、親指ほどの大きさだった、という記録があります。
まあ、小茄子ですね。
辛子漬けでもするとよさそうですね。
江戸城で、家康公がふるさとで栽培された茄子を、殊の外好んだとしてもこれは不思議じゃないですね。

 

最近、平塚の観光協会から、中原御殿で、かつて家康公が鷹狩を楽しんでいたという史実にちなみ、
家康弁当なる物を作らないか、という話が持ちかけられました。
私は、どんな内容が想定できるんか、と考えたのですが、
何をさておいても、茄子を使った一品は入れるようだろうな、と考えています。
まあ、今時ですから、ネットをあれこれ検索すれば、

家康公の好みを知ることができるのではないか、と思うんです。
いつか全体の構成ができたらこのブログででもお知らせします。

| 水嶋かずあき | グルメ | 10:51 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
教育は協調性・社会性涵養の場

PTAにおける強制入会については、しばしば問題化されてきました。

法的な拘束もないのだから、参加しようと参加しなかろうと勝手じゃないか、と言うことです。

 

そもそも、日本でPTAが発足し、学校教育の一つの組織として定着したのは、
必要に迫られていたからです。
終戦後の、財力もない地方自治体で、十分な教育的環境を整えることが難しく、
ここは、父兄の支援をいくばくかいただけないか、というのが、本音だったわけです。
ま、一応、父兄と先生とのアソシエーションとかいうことになっていますが、
実態はそんなところだったと思います。

 

私が、中学3年生の頃、浜岳中学で、ブラスバンド部を立ち上げよう、ということになりましたが、
なんとしても楽器を買うお金がない。
そこで、全校生徒の協力の下、廃品回収と称して、家での不用品を集め、
これを売って資金を確保しよう、ということになったんですね。
当時、すでに結成されていた応援団(ま、ちょっとばかりガラの悪い連中が仕切っていましたが)が、
先頭に立って、企画を進め、なんだかんだと購入の資金を集めたんですね。
まあ、これも親の理解と協力のおかげでの成果だったわけでしょ。

 

時代は流れ、物的な支援がそれほど要求されなくなってきました。
また、教室の運営も、当時、50人から多いクラスは60人弱の生徒数だったのが、
今は、ほぼその半数。
教室の運営も以前から見れば、きめ細かに出来るようになったはずです。
したがって、以前から見れば、学校として、PTAの存在意義が薄くなってきたのでしょうね。
そうなると、学校運営で、PTAに関わるエネルギー、時間が負担になってきたんですね。

 

まあ時代の流れで組織の変節は必ずあるもので、
これも仕方ないと思うのですが、
それでも、子どもの教育に親が関わるということは、教育の本質から言って当然のことなんです。
そこで、PTAという組織に参画するかどうかとは別問題にありますが、
その組織から外れて、本来の親と学校の連携等を含めた教育システムが機能するのか、

となると、教育の本質からそれることになるのではないか、と思うんです。

 

私は、教育という人間が作り出した一つの人間養成システムの目的は、
社会性の涵養にある、と考えています。

 

かつて、浜岳中学でPTAの役員をした時、こんなことがありました。
まず第一回目の役員会でのことです。
この回は、お母さま方も初めて顔を合わせるということもあり、

組織の基本になる役員選出のタイミングなんですね。
で、クラスで、それぞれ委員会に所属することを振り分けられると、
今度は、委員会別に集まって会合を開きます。
そしてそこで、委員長、副委員長以下の委員会役員を決めて、
委員長に選任された方が役員会を構成するんです。
ですから、委員会で決定された順に、会議室にやってきて、

揃ったところで第一回の役員会が開催される、という段取りなんですね。
で、毎年、広報委員会の委員長の選出が難航する。
つまり誰もやりたがらないんです。

というのは、当時、県でも表彰されたくらい浜中の広報誌紙が充実していて、
その編集には、やたら手間がかかるんですね。
まあ、顧問の先生の力と言えば力なんでしょうが、これにお母さんたちがなかなかついてゆけない。
で、そもそも各学級での広報委員になるだけでも難航するのに、それを束ねる広報委員長となると、
皆、尻込みをして、なり手がいない。
大体、第一回の役員会では、広報委員長を選任できす、不在となることが多かったんです。
その時、私は広報委員会担当の副会長を仰せつかっていたので、
広報委員会の第一回会議に出席しました。
そこで、担当副会長として挨拶をさせていただいたのです。
大雑把には、こんな内容でした。
「皆さんはご自分のお子さんに、物事に積極的に取り組む人間になってもらいたいと願っていませんか。
さて、親は子の鏡になるべきです。

そう願っているんだったら、まずは親自身が積極的に物事に取り組み、

その後姿を子供に見てもらうことも大事だと思うのです。
ここでは、そのいい見本として、積極的に委員会の仕事に取り組むことをお願いしたい、

と同時に、その役員も積極的に引き受けていただきたいと思います。」と。
すると、なぜか、数名の人から委員長候補として挙手していただき、

あっという間に、委員会役員が決定したんですね。
私が委員会を終え、役員会の部屋に戻ってきたとき、

あまりに早く決定したので、他の役員さんに驚かれたものです。

 

つまり、学校は教育の最前線。
家庭も教育の最前線。
ここでどんな人間になってもらいたいのか、という人間像が一致しなければ、真の教育はできないでしょ。

 

我が友人で、中学校のPTAの会長を経験したものが、がこんなこと言ってました。
夏前に、プールの清掃をすることになったのだそうです。

で、PTA会員に協力を求めたところ、
はかばかしい反応がない。
そこで、さらに募集を掛ける際に、こう言う文言を付け加えたのだそうです。
このプールはあなたのお子さんが泳ぐところです、と。
すると、改めて参加の意志を表す親が増えた、と言うのですね。

 

確かに学校の施設だけど、うちの子も使うんだ、という、
公的部分と私的部分をうまく重ねたわけです。

実はPTAの諸活動は、すべて、この公的部分と私的部分が重なり合っているんですね。
何より、社会性を涵養するという教育の大原則から考えても、
組織に参加しないということは、協調をしないということに通じませんか。
これが、子どもにいい影響を与えるわけがない。
全体との調和ができないということは、人間として問題を抱えこむことになるでしょ。

人間の根本をいかに涵養するか、という大原則を、法的な整備ができていないという理由で、
PTAの組織運営をないがしろにしていい理由にはならないと思うんです。

 

時代が変わったとはいえ、親の軟弱さが、

子どもに悪影響を与えなければいい、と願わずにはいられません。

 

| 水嶋かずあき | あれこれ | 10:03 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
なぜ拘束するんだ

おそらく、ほとんどの国、地域では、共通している問題を抱えているはずです。
それは、日本的表現で「地方創生」という言葉で表されます。


まず、人類が構成しているコミュニティ、つまり集団的な生活の場があって、
ここから外れて生きてゆくことはできない。
あの孤島で暮らしたロビンソンクルーソだって、最後は社会復帰しますし、
その途中だって、現地人のフライデーと生活を共にします。
まあ、何かを食べ、衣服をまとい、雨露をしのぐとなったら、
よほどの事情がない限り、世間とのすべての縁を切って一人で暮らすということ自体はありえない。
要は人類は、社会的集団的生存方法のもとで棲息してい動物なわけです。
で、たくさんのさまざまな個性が寄り集まっているのですから、
そこに様々な差が生じる。


たとえば、なにか危険な状態が発生して、ともかく逃げなきゃいけない。
さっさと安全圏まで逃げるものもいれば、もたもたする人もいる。
足の速さ、体力、様々な肉体的能力の差があるわけですから、逃げ遅れる人も出てくるわけです。
全員が同等の安全性を確保できるわけではありません。


当然、これは生活の質の問題にも当てはまります。
経済的な格差はここに大きな影響を及ぼします。

そして、現代社会では、この格差というものが、
都会と田舎、という地域性にまで影響するようになってきます。
まあ体で言えば、手足の先というか、毛細血管がますます細くなっているわけでしょ。
心臓近くの細胞と、指先の細胞の差になってくるんでしょうね。

 

ま、当たっているかどうかわかりませんが、
明治維新の時の薩摩、長州、土佐は、それぞれ、江戸から見れば、
薩摩は九州の先端、長州は本州の先端、土佐は、四国の裏側、という地理的な位置でした。
きっとなんだかんだと中央の恩恵が受けにくい所だったでしょうし、
距離がある分、情報も不十分なものだったのではないか、と思うんですね。
ですから、その分、自立をする精神が培われたのだと思うのです。

 

世界の国の中でも、独立するとか、中央ともめるのは大体離れた地方です。
スペインのカタルーニャ地方。
イギリスの北アイルランド。
中国のチベット、新疆ウィグル。
まだまだたくさんありますが、
そのほとんどが首都とは離れた地域なんです。

日本でも歴史的にみると、地域によっては独立運動と無縁でないところがあります。
ま、表面化していませんが、沖縄は独立を選択する可能性ゼロではないですね。
なんと、終戦後ですが、かつてあの伊豆大島で独立運動が起きたことがありました。
首都には近いのですが、海の上の島ですから、その意味では、
前々から、中央との十分なコミュニケーションがとれていなかったんでしょうね。
もし独立していれば、最も近い海外になっていたわけです。

 

要は、世界中、どんな政治体制の国であっても、中央との物理的、心理的距離があって、
そこが遠いほど、やはり関係も薄くなるわけです。
薄くなれば、中央に対する反発も生まれてくるというものですね。

 

以前のブログでも再三にわたって、触れてきましたが、
日本という国が、何を政治理念として運営されてきたか、ということですが、
このような地方が持つマイナス要因をいかに埋めるべきか、
ということが重要なテーマとして認識されていて、
それを地方創生、という概念で実行してきたのです。
全国総合開発計画がそれです。
これは、時代とともにその選択領域を変えてきましたが、
基本となる概念は、中央に集まりがちな様々な力を地方に分散させようという、

政治的なメカニズムの一つでした。
この考えは、基本的にはどんな国の中央政府でも持っているものです。
それは、中央政府、立法府を形成しているいる議員の先生方が、
地方出身であり、それぞれの地盤の利権代表でもあるからです。
日本でもその通り。
ですから、その本質が肯定される限り、

塚田前国交省副大臣の下関北九州道路に関する発言が、世間には避難されましたが、

別な角度で見てみれば、
代議士は国のことと併せて地域の事との二面的な利権代弁者なわけですから、
さして非難するには当たらない、と思うんですね。
まあ、たまたま、忖度とかの言葉に敏感になっている政治家が多かったという事でしょ。
私は、ごく普通の現象だと思っています。

 

さて、地方創生が基本的な理念になって、政策の展開を進めてきているものの
その実は上がりにくいんですね。
それが証拠には、この全国総合開発計画は、4回にわたって書き直しをし、

様々な要因をその対象としてきましたが、
結局、中央がますます肥大するという現象を食い止めることはできなかったのです。
あたかも、引力の大きい惑星が、周囲の隕石などを集めて大きくなってゆくのに似ているんですね。
これは、企業などの金力の強い所が、収益を上げて、拡大してゆくのと同じようなことです。
金力だか、引力だかはともかくです。

 

ですから、これは地方の宿命のようなもので、何らかの流れを作り出さない限り、
水が高きから低きに流れるように、中央から地方への逆流現象は生まれないのです。
ま、ほぼ、そのための政策的な手は尽きた、と思っていたところ、
ふるさと納税というシステムが発案されました。
まあ、最初はどんなもんだか、と疑心暗鬼だった地方も、

少しずつそれによる税収が見込める実例が出てくると、
本腰を入れ始めたのです。


地方は、人口は増えない、さらには減少する。
高齢化が進む、つまり、生産性の高い住民は減る、ということで、
人口という売り上げ、生産性という客単価の両方が目減りしてゆくわけですから、
個性的なまちづくりに回す余力がなくなってきているんですね。


そこで、やりようによっては、わずかながらでも知恵と努力でいくばくかの収入を得られる、
というのがふるさと納税だったんです。
これは、原則としてですが、単に自治体の収入が増加すること以外に、
地域の地場産業の振興にも結び付いていました。
都城で、宮崎牛の返礼品が人気を博せば、新たな販路が開拓できたようなものでしょ。

今回、返礼率3割以下、地場産品、というせっかくの制度を拘束しました。

この新制度の中で、ふるさと納税の制度取入れに手を挙げたのは、46道府県。
唯一、東京は手を挙げませんでした。
だってそうでしょ。

東京への集中解消の一手段としてのふるさと納税なんですから。

 

せっかく、地方への血流を良くしようという政策陽の目を見てくるようになったのに、
その基本的視点すら失い、中央の言い分を受け入れてしまう議員連中も、

頭悪いんじゃない、と思いますね。
考えが浅すぎます。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 09:51 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
佐々木小次郎

4月13日。
佐々木小次郎の命日だそうです。
ということは、ご存知「巌流島の決闘」で、宮本武蔵と戦い、
敗れ、命を落とした日、ということです。

13日には、小次郎の慰霊祭が勝負の舞台となった山口県下関市の巌流島で開かれました。

 島にある舟島神社で神事の後、小次郎の名が刻まれた石碑の前で約100人が冥福を祈り、

小次郎の剣術を継ぐとする京都府亀岡市の道場の代表と門下生約40人が、

小次郎の技「つばめ返し」を再現したそうです。

 

この決闘が行われたのは、戦国の騒乱も収まった1612年のこと。
あの巌流島、もともとは舟島と言われていたのですが、
武蔵と小次郎の決闘により、その名称を巌流島と変えました。
これは佐々木小次郎が、岩流小次郎と名乗っていたためだろうと思います。

 

で、たかだか400年前のこと、しかもすでに様々な事象は文献に書かれていたということを考えても、
もう少し歴史の正確な部分が、今に伝わってもおかしくないと思うのですが、
どうもあれこれ調べても、何一つこれだ、という核心的な真実を感じるものがないのですね。
それは、文献の筆者の主観がやたら前面に出てくることと、
ちょっとした詳細は、記憶の中で、書き換えられているということもあるようなんです。

 

例えば、武蔵側の見方としては、武蔵の養子である宮本伊織が、
武蔵の死後9年目に建立した小倉の顕彰碑「小倉碑文」に刻まれている文言によると、
「岩流(小次郎)は、三尺の白刃を手にして決闘に挑み、武蔵は、木刃の一撃でこれを倒した」と記されています。
ま、吉川英二の小説の通りですね。
しかし、小次郎側の文献では、
豊前国の細川家小倉藩家老、門司城代の沼田延元の家人が記した書によりますと、
武蔵は、小次郎との決闘の際、一対一の約束に反して弟子四人を引き連れ巌流島に渡り、
決闘では武蔵は小次郎を倒しますが、仕留めるまでには至らなかった。
その後、しばらくして息を吹き返した小次郎を、武蔵の弟子らが撲殺した、とあるのです。
小次郎の弟子らは決闘の真相を知り、大いに怒り、武蔵を襲撃するのですが、

武蔵は門司城に逃げ込んだ、とあります。
なんか、吉川文学の武蔵とは、イメージが違い過ぎるでしょ。

 

で、そもそも、なぜ決闘することになったのか、と言うと、
これも諸説あり、
武蔵も小次郎も、いわば流派を構えていましたので、弟子たちも多くいたわけです。
で、弟子らが互いの師の優劣で揉めたことが発端になり、
門人らの争いが一連の騒動を引き起こし、

その決着をつけようと、舟島での決闘が約されたとしている説があります。


一方、細川忠利に仕えていた武蔵は、忠利に従い、京から小倉に赴く途中で
小次郎から挑戦を受け、下関での決闘を約したと言う説もあります。


何より、滅茶苦茶なことは、
小次郎が、巌流島の決闘で敗れたのは、18歳、という文献もあれば、
50歳を過ぎていただろう、というのもあります。
これはあまりにも、ばらつき具合が激しいでしょ。
18歳と言えば、紅顔可憐の青年剣士とイメージになりますでしょ。
あの、背の高い桃太郎みたいな衣裳と顔つきは、18歳説が基本になっていると思うのです。
でも、18歳で、流派を構え、細田家に抱えられるとは思えないでしょ。
いくら天才とは言え、物干し竿というおよそ1メートルクラスの長太刀を操り、
つばめ返しという超高度な技を取得するのは、ちょっと想像しにく。
ま、真実は定かではありませんが、
諸説がどうしてこんなにばらつくのか不思議ですね。

 

で、小次郎の名前なんですが、
武蔵の伝記『二天記』の本文では「岩流小次郎」、注釈で「佐々木小次郎」と言っています。
また、他の文献では、津田とか、渡辺とか、
他には、上田宗入、多田市郎なども上がっています。
一体何が本名なのか、ですよね。

 

大体、何か、ある時代を代表する文書が、ばらつきの影響を与えてしまうようで、
正直、吉川英二さんの宮本武蔵の影響は、現代においては大きいようですね。

きっと誰もが覚えていると思いますが、巌流島の決闘のシーンです。
武蔵が遅れているので、いらいらしながら佐々木小次郎が待っている。
すると小舟で島にやってきた武蔵がひらりと岸辺に降り立つ。
小次郎は駆け寄って、波打問際に立つ武蔵に、
武蔵、遅い、と時間に遅れたことを非難する。
もうこの時点で平常心を失った小次郎が描かれます。
で、小次郎は、物干しざおをすらりと莢から抜くと、一気に武蔵に斬りかかる。
武蔵は、ひらりとそれを交わし、
舟の櫂を削った木刀を、頭上から打ち下ろす。
この一撃で、小次郎は絶命する。
勝負は一瞬のうちに着く。

というシーンでしょ。
そもそも、武蔵は時間に遅れていなかったそうです。

 

ま、すべて小説なんですから、作られているのでしょうが、
なんだかんだと私達は、それが真実に思い込んでしまうんですね。

何の因縁か、昨日、福井の一条の滝に行きました。
そこは、小次郎がつばめ返しを会得したという記念の地で、
小次郎の銅像が建っていたんですね。
一枚、小次郎と並んで記念写真を撮ってきました。

| 水嶋かずあき | - | 10:51 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
栄枯盛衰、人間万事塞翁が馬

人生山あり谷あり、とか、よくいいます。
確かに、その通り。
いい時もあれば悪い時もある。

いいことが続くこともない代わりに、
悪い時ばかりが続くわけじゃない。

 

最近そんな人生経験を顕著に体験した人が、
テレビのバラエティ番組で、面白おかしくそのプロセスを紹介する番組をよく見ます。
実際経験しているということは、つまらないドラマよりはるかに説得力があり、
ツイツイ見入ってしまいます。

「激レアさんを連れてきた」というのは、オードリー若林の仕切りもさることながら、
弘中アナの整理されたボードも興味深く、なかなかのレベルのバラエティだと思うのですが、
何より登場人物の貴重な体験が面白いですね。
正に、山あり谷ありの典型のような人ばかりなんですが、
その数奇な経験は、激レアと言うだけのことはありますね。


NHKの『逆転人生』はまさにそのもの。
仕切りがちょっと、しゃべり過ぎでうるさい感じがしますが、
全体の状況を、足で稼いで、構成に厚みを持たせているところなんか、さすがNHKだなと感心。
また、『THE突破ファイル』などもあって、ちょっとした流行りのようです。
この類で言えば、しくじり先生も、まあそうなんでしょうか。
登場する先生役が、基本、芸能人なんですが、
まさに山あり谷ありのプロセスとその裏話を巧みに組み合わせて、
教室スタイルのスタジオで、かつてしくじった人が、なぜしくじったのか、を解説します。

 

改めて考えてみれば、これらの番組は、人生そのものなんですね。
だから人気があるのかも知れません。

この類のものを、逆転バラエティーというのだそうです。

 

まあ、これ等で言わんとすることは、人間万事塞翁が馬、ということですね。
ご存知と思いますが、この物語、なかなかよくできていますので、
ちょこっと解説を付けます。
これは、中国の淮南子(えなんじ)の人間訓に出てくる話で、
「昔、中国の北辺の塞(とりで)のそばに住んでいた老人がいました。
ですから塞翁というのですね。
で、その老人が飼っていた馬が、胡(こ)の地に逃げてしまうのです。」
胡というのは、中国にとっての外国という意味があります。
胡桃(くるみ)胡瓜(きゅうり)胡椒(こしょう)胡麻(ごま)など
食べ物だけでもいろいろと胡がつくものがあって、これらは、外国から中国に持ち込まれた食材で、
よその国から来た桃、ということで胡桃なんですね。
瓜は瓜でも外国から伝えられた瓜なので、胡瓜というわけです。
さて、この馬は胡、つまり、国外に逃げて行ってしまったのす。
「すると近所の人たちは、何と不運な事だろうか、と塞翁に同情します。。
しばらくすると、この馬が帰ってきます。
そして、うれしいことに、胡の駿馬(めすうま)を連れて帰ってきたんです。
すると、これはもうけものと、一頭増えたことを近所の人たちは祝福します。
ある時、この馬に塞翁さんの息子が乗って、落馬し、足を折ってしまいます。
すると、近所の人たちは、その不幸を慰めます。
とんだ災難だったと。
やがて、隣国と戦争が勃発します。
村の若い者は兵隊に駆り立てられます。
そして、何人かが戦死するのですが、塞翁の息子は足を折ってしまったので、
兵隊に取られることはありませんでした。
そこで、近所の人たちは、なんと運がいいことか。
戦争に行ったものは戦死したのに、塞翁の息子さんは、足を折ったばっかりに、
兵隊にとられることもなかった。
だから戦死せずにすんだ。
なんという幸運な事だろうか、と口々に言うのでした。」


これは禍福は縄のあざなえるがごとし、と言われ、
不幸は時に幸福のもとになるし、幸福は時に不幸のもとになる。
ということで、不幸と幸福は縄をよるように、ねじれて交互に入れ替わってゆく、と言うことです。


で、先ほど上げた多くの逆転人生のようなストーリーに登場する人は、
現時点で逆転したわけです。
例えば、数年前だったら、出演できなかったかもしれない。
つまり、谷という状況の中にいたとしたらです。
言い換えれば、テレビに登場した時が山の状態だったわけでしょ。
しくじり先生だって、かつては絶頂期というか、山だったのに、
何かの拍子に谷底まで落ち込む。
で、今は底から這いあがってきて、一息ついている、という状態なんですね。
出来れば、自分のしたしくじりを、皆さんしないでください、ということを伝える先生なんですね。
谷の状態の人をもし登場させれば、
ただの落ちぶれ人生でしょ。
つまり、誰だって山谷を経験する。
そこで、山の時点で物事を考えるのか、谷の時点で判断するのか、
どっちなんだ、ということになりませんか。
なんだかんだと入れ替わってゆく可能性があるんですから。

 

さ、そこでです。
山ばっかりの人生もない代わりに、谷ばっかりの人生もない。
交互に縄のあざなわれるがごとく、いい時、悪い時が来るとしたら、

出来れば、山の状態で人生を終わりたいでしょ。
だって、いくら大儲けをしたとしても、死ぬ間際がすっからかんだったら、

みじめな思いを持ちながら死んでゆくわけでしょ。
でも、どんなに不運と不幸に見舞われたとしても、

死ぬ間際に、金の心配もなく、多くの人の縁を得ながら死を迎えるとしたら、
いい人生だったな、と思いながら、あの世に向かうことができたはずです。

 

奢るもに久しからずの栄枯盛衰というか、

いいも悪いも、どっちにせよ固定されないのですから、
結局は、人生最後の10年間ぐらいを、

どっちがいいと思うか、によって生きざまの選択をすべきなんですね。

 

| 水嶋かずあき | - | 00:14 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
好奇心こそ進化の原点

子どもたちは、良く、なぜなのとか、どうしてなのとか、質問し、
その答えの仕方によっては、無限に、真実真理に近付くほどの、繰り返しの質問を向けてくることがあります。
まあ、これらの純粋な好奇心には、大人はたじたじとなってしまうのです。
そして、人類としては、ある意味救いでもあるのですが、
大人になってもこの好奇心を持ち続けている人がいるということです。

 

子どもと大人の違いはいろいろとあります。
子どもはうそを嫌います。
大人はうそを受け入れます。
子どもは、分かろうと努力します。
大人は分からないとあきらめます。
子どもは予測できない失敗があることを知りません。
大人は予測できる失敗を恐れます。
そして、これらの資質から子供は好奇心を持ち続けるのです。

やがてさまざま経験を積む中から、
子どもの頃に持っていた好奇心は薄らぎ、唯のつまらない大人が出来上がってゆくのです。

ただのつまらないおとなになってしまった私たちは、大いに反省すべきですね。

 

さて、それでも好奇心を持ち続けている人たちはまだまだたくさんいて、
そのひとたちの活躍が、時にネットで紹介されています。


地球から光の距離で約15分、2億8000万キロ離れている

直径900辰曚匹両惑星リュウグウを探査しようというチームが、
しばしばテレビの報道で、その経緯を報告しています。

先ずこのリュウグウなんですが、本名は、162173という小惑星番号が付けられているのです。
でも、いくら小惑星の呼称とはいえ、数字の並びでは無機的すぎるでしょ。
そこで、ハヤブサ2で、小惑星の探索をしようとJAXAが計画を立て、
その探査対象として、この162173を目標にしたのですが、
計画そのものが、表面岩石を採取して持ち帰る、という内容だったので、
浦島太郎が竜宮城を訪れ、玉手箱を持ちかえったというストーリに重ねて、
リュウグウという名称を命名したのです。
さしあたって、その意味ではハヤブサ2は、浦島太郎の役割をしているんですね。
ちなみにハヤブサ2がリュウグウの表面を探査し、いくつかの岩山やくぼみに名前が付けられて、
「オトヒメ(岩)」「エジマ(岩)」「リュウジン(尾根)」「モモタロウクレーター」「キビダンゴクレーター」
など、童話の世界が広がっているようです。
桃太郎と浦島太郎の二つが同居しているのも、妙ですね。

もっとも、CMでは、これに金太郎が加わりますが。

 

さて、このプロジェクトによると、
リュウグウは、炭素の含有量の多い炭素質コンドライトからなっていて、
観測結果から含水シリケイトの存在もありそうだというんです。

炭素質コンドライトとか、含水シリケイトとか、そもそもがなんだそれ、でしょ。
このレベルの知識すら持ち合わせていない凡人たちにとっては、
何より、どうしてそんなことが分かるんだ、となりませんか。
ともかく、近場の小惑星なんだそうですが、それでも光で15分の距離ですから。
地球から電波で命令を出しても、届くのに15分かかるという事でしょ。
そんな距離のところの情報をいかに分析するのか、凄い技術ですね。
まさに好奇心の塊が、こういうことを成し遂げてゆくんでしょうね。

 

ともかく、どうも、リュウグウの表面には含水鉱物の形で水が存在しているらしいと、
玉手箱に詰め込んで持ち帰るリュウグウの表面岩石を分析し、
どんな組成かを詳しく調べるのだそうです。
そして、アミノ酸、カルボン酸、核酸塩基、アルコール、など生体関連分子も検出されるかもしれない、と、
期待されているようです。

 

さらに最近の宇宙関連のニュースでは、
超大質量のブラックホールの映像が確認できた、というニュースです。
何やら、ぼんやりとですが、真っ黒けの穴とその周辺の赤とかオレンジの楕円形の写真でしたが、
人類が始めて、目に見える形で映像としてとらえたブラックホールだそうです。
あのアインシュタインですら、論理的に可能とは言いながらも、

その存在に確証を得ていなかったそうですから、これは大変なことなんですね。

 

そもそも、ごく普通にブラックホールという言葉が使われますが、
なかなかこの概念が理解できないですよね。
大まかには、とてつもない重力を持っていて、
ありとあらゆるものを吸い込んでしまう、と言われています。
まあ、宇宙に存在するアリ地獄のようなものです。
このブラックホール、宇宙のどこにでもあるらしいのですが、
この映像は、地球から5500万光年の彼方、おとめ座銀河団の中心にある巨大楕円銀河M87の

さらに中心にあるものだそうです。
と言われてもピンとこないでしょ。
鳥取の日野町と言うところに…、なんて地名が出てきても、地図的にピンとくる人がいないようにです。
でもまあ、そんなところだそうです。
で、うっかりそこに出かけてゆくととんでもないことになります。
このブラックホールの境界線のような所があって、
そこを超えた途端に吸い込まれるわけですね。
ところがこの境界線のところは、何かで指し示されているわけではありません。
この先危険とかの立札があるわけではない。
いつの間にか超えてしまうと、ゆっくりと吸い込まれてゆきます。
まあ、簡単な話、アリジゴクのふちに落ちたアリが、どんどんまん中に落ち込んでゆくようなものです。
で、ふと気が付くと、体は細かい線状に切り裂かれてしまうんだろう、ということです。
もちろん死んでしまいます。
ま、100%体験できない話ですが。

ともかく、このブラックホールの映像を確定するには、
メキシコ、ハワイ、米アリゾナ州、チリ、スペインなどの6つの天文台の望遠鏡がM87に向けられ、
ある時シンクロして撮影をしたのだそうです。
ちょっと数字を並べても理解できないと思うので、とても抽象的ですが、
膨大なデータを解析し、2年がかりで、200人の専門家によって画像再生をし、
やっと、先日その成果を発表したわけです。
多分あの画像を見た人もいると思うのですが、
ついに人類が目で見ることのできるブラックホールの姿です、と言われてものの、
黒とオレンジと赤の楕円の映像です。
だからなんだ、の世界でしょ。

 

我々凡人には、ブラックホールの映像が可視化できた、なんてことは大して重要な事じゃないんですね。
それより、北朝鮮は本当に核を放棄できるのか、ということの方がずっと気になる。
もりかけの問題はこれでもう封印されてしまうのか、ということの方が興味がある。

でも、なんとなくこれらの宇宙関係のニュースを見ていると、
妙なロマンを感じますし、子どものように好奇心を持ち続けている人たちがいることに、
安堵の心を持つつんですね。
まあ、なんと声をかけていいか分かりませんが、関係者の方々には、頑張ってください、と言うしかないですね。
いや心からです。

| 水嶋かずあき | - | 10:57 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
凡ミスでした

4月13日の日付で投稿したブログが、何の手違いか消えてしまいました。

内容は、東京直下型地震に関するものでしたが、

いずれ、改めてこの内容のレポートを書き込みます。

毎日お目通しをしていた方々には、ご迷惑をおかけしました。

 

いやあ、こんなことって初めてですね。

いつもですと、念のため投稿した内容をコピーしておくんですが、

なぜかそれすらもしていなかったんです。

正直ショックでした。

こう言う凡ミスをしてしまう衰えに対してです。

| 水嶋かずあき | - | 10:58 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
女のサガ、男のサガ

さるタレントさんが、美容整形をしたと公表し、

その行為にあれこれ意見が飛び交っています。
問題は二つ。
公表自体に関する賛否。
もう一つは美容整形に関する賛否。


で、どちらも、まあまあ穏やかな受け止め方のようで、
要はちょっとした話題に過ぎないようです。

ま、そもそも、体にメスを入れるって、不調な部分の改善の為なので、
美容整形となると、見た目の不調なので、体の内部の不調とは意味が違うと考える人が多いようです。
まあ、大体の言い分は、親にもらった体にメスを入れるなんて、と非難しますが、
見た目だって親にもらったものですし、内臓のどこかの不調だって、親にもらったものでしょ。
まあ、どっちにしても大差ない原因ですよね。

 

最近は、昔と違って、美容整形は気軽に行われるようになったようです。
少なくとも、私たちの青春時代、昭和30年代後半から40年代初めぐらいまででは、
ちょっとしたタブーに近いもので、美容整形そのものが、恥ずかしい選択とされていました。
ですから、それを公表するなんて、考えられない時代でした。

 

とは言え、見てくれが良くなるというのは、女性の願望の一つでしょ。
何より、朝起きると、せっせと鏡に向かっているかみさんを見ていると、
もう、ちょっとでも見てくれをよくするというのは、女のサガなんだな、と思いますね。

美容整形まで行かなくても、見てくれをよくしようというのは、先ずは、化粧でしょ。
私はいつも思うんですが、自分の顔にあれこれ塗りたくって、化粧をしている様を見るたびに、
きっとどこかに、ベストの顔が想定されていて、それに近付けようとしているのだろうと思うんです。

 

たとえの話ですが、王義之という書道の大先生がいます。
おそらく地球上で最も美しい字を書いた方です。
この方の字体は、書家は、少なくとも書道をする上で、一度は手本したことがあるはずです。
で、先ずはこの字体を美しい形と言う前提で、頭に叩き込みます。
それを自分流に解釈しつつ、字を書くんですね。
ま、一種の最高にバランスのとれた形の再現です。

で、化粧というのは、自分の顔かたちを前提に、その最高の美形に近付けようとする努力のことを言うわけでしょ。
つまり、字で言えば王義之の字を手本にするように、

女性で言えば、楊貴妃かクレオパトラか、
まあ今時で言えば、自分の顔かたちに近い女優さんとかモデルさんの美しさに近付けようとするわけでしょ。
例えば、そもそもが、最高の美顔だったら、化粧する必要がないわけですよね。
理屈から言えばそうでしょ。
肌のつやと言い、目、眉の形と言い、顔の骨格と言い、鼻筋の通り具合と言い、

唇の格好と言い、それらの色つやが、何もしないでベストだったら、
化粧は必要ないでしょ。
それでも、きっと楊貴妃もクレオパトらも化粧はしたんじゃないか、と思うんですね。
いやあ、なんの確証もないのですが、きっとそうだと思うんです。
つまり、化粧は女性のサガなんです。

 

いまや、男にとっても、もちろん女にとっても、女性が口紅をぬるというのに何の抵抗もないでしょ。
でもよくよく考えてみれば、口紅を塗った唇が、最高の美とは思えないでしょ。
色つやが悪く、形もいまいちなら、そりゃあ修正のために塗るのはありでしょうが、
なぜか、猫も杓子も口紅を塗るでしょ。
今や女子高校生は、何のためらいもなく口紅を塗りますよね。
色つや形の良し悪しに関係なくです。
つまり、これは人類の文化なんですね。
そういうものだ、という。
ま、勘ですが、口紅というのは、化粧の最古の美化の方法なんだと思いますね。
で、その後、目のまわり、まゆなど手を加え始め、肌の下地をぬり始めた。
と考えると、化粧も進化しているわけでしょ。
まつ毛のエクステなんか見てると、これでもか、という感じがしますもんね。

 

ですから、その延長として、美容整形があっても不思議じゃない。
化粧が良くて、整形が悪いなんて、こと女性の美の追求から行くと、
そんなこと言ってられないでしょ。
男たちのうろうろしている間に、女性たちは、いかに美しくなるかにまい進しているんです。

 

でも、ま、結構な話です。
女性が美しいというのは、当の女性自身よりも、むしろ男たちが望んでいる事なのかもしれませんね。

不思議なんですが、アスリートでも、その身体能力の評価もさることながら、

美人かどうかが、併せてついてくるでしょ。
バトミントンとか、テニスとか、柔道とか一対一の戦いの中で、特にひいきが無ければ、
なんとなくかわいい子を応援してしまいますでしょ。
テレビのワイドなどで、コメンテーターとして、有能、雄弁の女性弁護士より、
美人の弁護士の発言のほうが、聞く耳を持ってしまうでしょ。
まさにこれは男のサガなんでしょうね。

 

そう、こう考えてみると、女性がきれいになりたいという本能にも近い行動をとるのは、
男という存在なしには考えられないでしょ。
つまり、男の評価を前提にしているんじゃないか、と。
間接的であれ、女性が化粧をしているのは男のサガに呼応しているのであって、
それが習いが性になって、女性のサガのようになってきたのは、
人類の延々と続いた、男女の相関関係によるものではないか、と思うんですね。

 

つまり、男の気に入る状況づくりに、女性が協力している、と。
そこに勇気を持って体にメスまで入れて、美しくなろうとしていること自体、
賞賛すべきことではないか、というのが結論なんですね。


いや、女性の皆さん、男のわがままに付き合っていただき、ありがとうございます。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 11:07 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
イベントとして考えると…

組織の運営というのは、
何もしないと、運営が日常に溶け込み、時にアクセントを失い、
その結果、だらだらし、活力が失われてゆくこをがあります。
そこで、なんだかんだとアクセントをつけるために、イベントの類を設定します。

 

私の父が、引退後、これと言ってすることが無く、正にだらだらした日々を過ごすようになったのですが、
それでも、何かにこじつけ人集めをするのが好きで、
誕生日はもちろん、よくぞそんなことを思いついたな、というようなことをテーマに、
人を集めて、食事会を開催していました。
すると、その数か月ぐらい前から、出席者の人選をはじめ、
場所、料理の内容など、結構こまごまと指示するんです。
で、案内を出す。
人数をまとめる。

こんなプロセスが楽しみの様にしていました。
で、数日前には、臨戦態勢のようになって、いよいよ当日を迎えるわけです。


私はそれを見ていて、人生の中で、だらだらした日々が続くのはつらいことなんだろうな、と思いました。
で、このイベントを設けることによって、退屈な日常から解放され、
少しは張りのある日々に切り替えられる、と。

 

今の私は、退屈の仕様がないほど、いろいろなことに手を出し、口を出していますので、
時に、予定が何もない日が、うれしく思えるほどです。
とは言え、なんだかんだと、そこここにイベントを設定するんですね。
まあ、これはこれで、一種の癖なんでしょうね。

今のところは、五月末のすさび会の会展です。
21日から26日まで、平塚市の美術館、市民ギャラリーで開催されます。
で、それが終わると、七夕祭りですね。
今年の飾りは、飲食店仲間で掲出を予定している一般飾りの部と、
紅谷町のシニア会、子ども会で掲出する市民飾りの部の、2本立てです。
ま、この内容は、間際で、ブログでご報告させていただきます。

それと、5月18日には、ミニライブをさる歌手の方と開催します。

 

ともかく、人には、日常とそれに刺激を与える非日常の適当な配分が、必要なんですね。

その意味でも、世間はいろいろと非日常のネタを提供してくれますが、
これは、国としてもある程度必要なんでしょ。
いい例が、2020年のオリンピック・パラリンピックがそうでしょ。
そこに向けて頑張ろう、みたいな人たちがいて、
国民としては、日の丸背負っている人を応援しよう、と。
これって、大きなイベントですよね。
2025年には大阪万博ということですが、少なくとも、関西のエリアの人たちは、
時にこのイベントが日常を打破するアクセントになるはずです。

 

その意味でも、結果としてですが、改元も大きなイベントですよね。
あの日の新聞の号外が、すでに5000円で取引されているとか、と聞くと、
その感心度とともに、結果としてこれは大きなイベントになったな、と思うんです。

 

ここで、国は、もう一つイベントを打ってきました。
新札への切り替えです。
なぜこの時期に、何の理由で、という疑問符は付きますが、
ま、これも一種のイベントだと考えれば、それはそれで納得するしかないでしょ。
テレビで、経済評論家と称する人が、新札切り替えの解説をしていました。
正直、違和感がありました。
その評論家の言い分。

まず、国内に眠っている78兆円のタンス預金を新札発行により、
表に引き出そうという狙いがある、と。
ちょっと待て。
新札発行後は、新札でなけりゃ、通用しないのか、と思いません。
福沢さんでも通用するはずなので、無理して、渋沢さんに変えることはないだろう、と。
よしんば、渋沢さんに変えたとしても、欲しいものがないにもかかわらず、
それを使うことはなく、またタンスに入れてしまうだろうと思うんです。
世の中、そんなお人よしばかりじゃないでしょ。
ある訳あって、タンスにしまっているわけだから、お札の肖像が変わったぐらいでは、バタバタしないでしょ。

 

その昔、私は、訳があって、ある人に数万円を渡すことになっていたのですが、
何故か、その人が取りに来なかったんです。
で、そうこうするうちに行方が分からなくなって、

その金を入れた封筒は、私の机の引き出しにしまったままになっていました。
で、この金はその人のものだから、と言う気持ちがあるので、どうしても手を付けられません。
そうして、もう、50年近くの歳月が流れました。
いまだにこの封筒は、引き出しの中にあります。
この一万円札は、聖徳太子の肖像です。
何時発行の札かどうかより、その札に込められた思いの方がずっと重いでしょ。

 

この渋沢さんが取り上げられたことで、
例によって、韓国からいちゃもんが出てきたようです。
「朝鮮半島の経済利権を侵略した急先鋒に立っていた男が、
新紙幣に描かれようとしている」と。
まあ、どう解釈しようと勝手ですが、
よその国の紙幣のデザインまで口出しするって、異常じゃないでしょうか。
もしこの議論が本格化するようなら、その議論そのものが、品格を欠く、本性を露呈したものになります。
人の頭のハエを追う前に、自分の頭のハエを追った方がいいんじゃないかと思いますね。

 

ま、20年経ったから、とか、偽造を防ぐとか、国の説明も明快ではないでしょ。
偽造防止というのは、偽造紙幣が出回って、言えることですものね。
また20年周期の新札発行も、そんなこと誰が決めたんだ、となるでしょ。


でも不思議なことに、新札を最初に手にする日が、妙に待ち遠しいですね。
その意味でも、これは立派なイベントかもしれません。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 10:07 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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