水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
大同団結の時じゃないのか
一昨日のことです。
ケーブルテレビを見ていたら、名もなき俳優というんでしょうか、
ほとんど見かけたこともないような役者連中が登場し、ドタバタしたストーリーの映画が放映されていたんですね。
あらすじとしては、強烈なウィルスが猛威を振るい、感染するとほぼ死亡するという恐ろしい敵と、
人類の存亡をかけて戦う、という物語です。
まあ、定番と言えば定番なんですが、主人公が、勇気ある行動で、科学者の恋人の助言を得て、
やっつける手立てを発見し、最後は、何とかこの強力なウィルスに打ち勝つ、という物語です。
ウイルスに限らず、地球外から飛来して、人類を攻め立てるといったこれに似た内容の映画は多くありました。
テレビ局の意図だったのか分かりませんが、一昨日見た映画は、ウィルスがその相手で、
ちょうど新型コロナウィルスで、世界中が大騒ぎしているから、
それと重ねて観てしまったんですね。
まあなぜか、低予算のためなのか、名のある俳優は出演していないので、
その時点で興味半分。
セットもちゃちで、はやりのCGを駆使しているんですが、これも雑。
ストーリーは十分に想像の範囲なので、ひやひやもせず、手には汗握るなんてことはなく、さらさら。
ほぼ、ストーリーの展開が予想を裏切らなかったので、途中で見るのをやめてしまいました。
それこそ、コロナで、この状態ですから、チラ見したわけで、
そうでなければ、最初の数十秒でチャンネルを切り替えてしまうところです。
で、現在の世界の様子を見ていると、一日1000人単位で感染者が出る国があったり、
病床は満杯で、医療感染者に感染するなど、
まさに医療崩壊寸前で、この後の状況がひたすら不安になってきます。
まさに、コロナ対地球軍の一大決戦の様相になってきました。
そこで、人工呼吸器の製造に力を入れたり、マスクの生産量をアップしたり、
その地球軍の軍備拡充に力が入っていますが、
何やら日本では、限定ですが、1家族当たり30万円の現金が支給されるとか。
要は、何かといつもとは違う項目での出費がかさむわけです。
このコロナ退治に人類が使う費用は、相当な金額になると思うんです。
で、いつもなら別のことに使っているはずなんで、どうしてもこの分の費用がへこむわけでしょ。
そこで経済の潤滑剤としての金が不足するわけですから、どうしても不況に突入する。
で、不況を回復するためにさらに金が必要。
もうこれは目に見えていることでしょ。
そこで、このへこんだ部分、何かを節約しなきゃいけない。
普通の家庭だって、予定外の出費があれば、ある程度の節約倹約をして、
へこんだ分を取り戻せるまで、我慢した生活をするでしょ。
で、この場合、何をどうすべきなのかでしょ。
エイリアンが攻めてきたなら、世界中の国が力を合わせ、地球を守る、人類を守るということで、
大同団結し、軍事費用が掛かろうと、戦い抜くでしょ。
一発の砲弾がいくらかかるから、少し節約して撃とう、なんてことしない。
ジェット戦闘機を飛ばすのに、最短距離にしてガソリン代を節約しようなんてこともしない。
負けないために必要なことは、そろばん勘定などしないでしょ。
突然話は変わりますが、明治のころ、1904年ですが、日露戦争を仕掛けることになりましたが、
この時、日本には十分な金がなかった。
そこで外国の金融機関、確かロスチャイルドだったと思うんですが、そこに金を借りたんですね。
並みの金額じゃありません。
でもそれがないと、ロシアに戦争を仕掛けることができない。
何とか借りることができたわけです。
ま、たまたま勝ったからいいようなものの、借金は残りました。
そしてこの借金を毎年毎年返し続けたわけです。
1905年に借りた金の返済が終わったのは、1981年のことです。
昭和でいえば、56年です。
すごいことでしょ。
戦争というのは金がかかる。
ですから、同じ人間なのに、国という単位で疑心暗鬼の元、軍備を備えて、
いつでも戦えるようにしているわけですが、世界中の国々が、戦争なんかやらない、
ということを決断すれば、一年間で、190兆円のお金が浮きます。
これを人類の幸せや安寧のために使うことができるんです。
今後、起きるかもしれない新型ウィルスを防ぐための費用もねん出できる。
コロナより強烈なウィルスが登場しても、
これに対峙することのできる施設や医療器材を保持することができる。
一年間で190兆円ですから、かなりのことができるでしょ。
医療施設が不十分な開発途上の国々にも、充実した施設や機材を備えることができるでしょ。
SF的映画で、だいたい、地球防衛軍的な組織が登場するのは、
地球の人類に対して、共通の敵が表れた時です。
よくよく冷静に見てみれば、コロナというウィルスは、まさに人類共通の敵じゃないですか。
今こそ、連携をするチャンスですよね。
ま、にもかかわらず、アメリカと中国は、ののしりあっている。
まったく大国のふるまいをすっかり忘れてしまっていますね。
トランプが犯した大罪は、オバマケアという国民医療制度の否定をしたことです。
これによって初期診療が遅れた。
保険がきかないんですから、診療に躊躇するでしょ。
噂では初診料が5万円ぐらい、ということでした。
オバマケアが実施されていたら、こんなことは起きなかった。
それと、中国を侮蔑するように、武漢肺炎だとか、中国ウィルスだとかののしっている。
今こそ一致団結という時にこれですから、
人類のお先は明るくない。
もしかすると、これって、天罰なんですかね。
| 水嶋かずあき | あれこれ | 12:55 | comments(0) | - | - | - |
これを機に
ついにコロナ騒動の大波が足元まで押し寄せてきました。

一つ、七夕祭りが中止になりました。
昨年、飲食店有志の方々に協賛していただき、 豪華な飾りを掲出しよう、ということで、
およそ、2か月近くかけて大作を作りげ、何とか昼の部、夜景の部の準特選を獲得しました。
もう当然のごとく、今年もやるぞ、と。
何しろ、七夕かざりは、私の場合、来年はどうしよう、と思いながらその年の作品を今年作っているんです。
ですから、飾りを引き上げ終わった瞬間に、頭の中は来年の構想を描き始めるんですね。
まあ、一言でいえば、まさに一年がかりなわけです。
それがここにきて中止。
私の取り組み方だと、当然ですが、図面はとっくに書きあがっていますし、使う素材のリストもできている。
予算書もすでにできている。
さらに一部は装飾系のものは購入済み。
ですから、正直めちゃくちゃ残念ですが、これは仕方ない。
今まで準備した内容は、来年に持ち越せばいいことですから、
まあその分のんびりできた、とポジティブに考えるしかないでしょ。
それこそ、構想2年、製作費130万円、という大作を来年にはご披露します。
で、大波被害は、わが商売にもろにやってきました。
昨日からお店を休業にしたのです。
まあそうそうありえないことだと思うのですが、
万一でもわが店のお客様に感染者を出してしまったら申し訳ないでしょ。
これは注意すればいいという段階を超えていますからね。
唯一、お店を閉めるといいう以外に方法はないでしょ。
まあ、幸いかな、私のとかみさんの年金で、かつかつでよければ一家は食える。
休業によって、家賃だの、パートさんへの補償だの、多少の出費はありますが、
感染者を出さない、という以上のメリットはないでしょ。
でも、正直痛いですよね。
ということで、もともとひまだったのが、七夕づくりのスケジュールはなくなるし、
店は閉めたので、補助的な仕事はなくなるし、で、すっかりやることがなくなってしまったんですね。
一昨日なんか、一歩も家から出ませんでしたから。
そこで、じゃあやってみるか、と、昨日は梅や駅前館の5、6階のダイソーに行ってきました。
で、あちらこちらぐるぐるまわって、まずゴムひも、それとグルーガンを買い求めたんですね。
グルーガンというのは、電気で加熱したところを、蝋状の接着用の素材があって、
これを押し出しながら溶けた溶剤を接着部分に着けるんです。
まあボンドの代用品と考えればいいでしょうか。
熱が冷めれば接着しますから、工作用としては手軽なものなんですね。
で、家に帰ってから、なんとなくストックしたあった布の類を出してもらい、
それで手づくりマスクを製作してみたのです。
ネットでは、手作りマスクの作り方、みたいなページがたくさんアップされているそうで、
それを参考すればよかったのですが、
まあいずれにしてもそんな複雑な構造でもない、と、
勝手に作ってみたんです。
耳にゴムひもをかけてみればそれなりにマスクなんですが、どうもあちらこちらに隙間はあるし、
100%手作りと思えるような不格好なものができてしまったんですね。
そこで、少し工夫をしてみようかと思っているんですが、
きっと、10個やそこいらは手探り状態でできてしまうと思うんです。
ま、いずれにしても、マスクがないとか、買いに行っても売り切れとか、
挙句の果てに一家に二枚マスクを配布するなんて
馬鹿なことを言い出す安部ちゃんの政治センスを疑うコメントとか、
まあ世間はうるさい限りですが、JFK緑川さんのコメントのように、
ようは手作りを前提にすれば、このマスク騒動はいくらか下火になるはずですよね。
で、心配事は次から次へとやってきます。
まず私が会長を務めています平塚市飲食異業組合連合会ですが、
いつもですと、市長をはじめお歴々をご招待し、結構派手に総会を開くのですが、
今年は見送り。
理事だけの最少人数での総会にしようと考えています。
また、5月の半ばに、わが美術集団、すさ美会の会展が美術館で開催されるのですが、
これをどうしようかと思案中なんですね。
もっとも基準は美術館が開いている限りは開催しようと考えています。
昨日も幹事さんから、開催についてどう思うか、という問い合わせの電話がありました。
私は、美術館しだいだ、と。
そりゃそうでしょ、開きたいと考えてもその会場がなければ不可能ですから。
その幹事さん、大丈夫かな、と感染拡大の不安を口にしたんですね。
大丈夫だよ、うちの美術展で「密」状態になるような来場者はかつていなかったじゃないか、と。
所詮、ぱらぱらのお客さんだから、そんなに心配はない、と。
幹事さん笑ってました。
もうこうなったら、腹を据えましょ。
いずれなんとかなる、と。
そして、ここで生まれた時間を有効に使いましょ。
かみさんは読書する、と言ってました。
それと少し雑然としてきた部屋の整理整頓、断捨離をしよう、と。
私は私である計画を立てました。
その中身は秘密。
ま、いずれにしても落ち込むことなく、前向きにコロナに立ち向かいましょ。
| 水嶋かずあき | あれこれ | 09:53 | comments(0) | - | - | - |
人のたばこで死者1万5千人
飲食店やホテルをはじめ、オフィスなど、
屋内を原則禁煙とする改正健康増進法が4月1日をもって全面施行されました。
東京五輪・パラリンピックに向けた対策ということですが、それは口実っぽいですね。

喫煙者にはそんな法律どこ吹く風という感じでしょうが、実は喫煙は相当に深刻な問題なのです。
自分の好みでタバコを吸っていることだし、
よしんばそれがもとで肺がんになろうとそこは自己責任として受け止めるから、
今のこの楽しみに口出ししてほしくない、ということもよく言われます。
たとえば、殺人鬼が、自分の楽しみで人殺しを重ねているんだ、といったらどう受け止めますか。
場合によっては、それに近いのが喫煙かもしれません。

しかし、喫煙がいいか悪いかなんて論争の段階は終わったんですね。
かつて、交通事故死者が多くて、社会問題化しました。
1970年には最悪の年間16,765人の方々がお亡くなりになっています。
そこで、道交法を厳しくし、徐々に成果が表れてきたのですが、それでも1万人を超えてしまう。
そこで、2007年に飲酒運転の厳罰化をしました。
飲酒運転100万円の罰金時代になります。
さすがにこれには驚き、飲酒運転が激減しました。
そして、交通事故死者はその年に5000人まで減少。
最も交通事故死者は酒酔い運転がらみだけではありませんが、
それでも現在では3500人程度まで減少しています。
ピーク時の20%まで下げることができたのです。
私は、法律っていうのは、それなりに意味があるんだ、と実感しています。
ですから、喫煙が健康上望ましくないことがいろいろと分かってきたわけですから、
余計なお世話でしょうが、法的な規制はいずれ効果が出てくるだろうと期待しています。
そもそも冷静に考えてみれば、喫煙が好ましいわけがないですね。
人間の原点を考えてみればわかります。
今から6500万年前にメキシコのユカタン半島に直径10キロを超える大隕石が落下しました。
これにより大津波、計算によると、高さ1000メートルと言われていますが、このとてつもない津波が発生。
大洋を超えて向こうの陸地に当たると、また帰ってくるという陸も海もごちゃごちゃにされて、
地獄のような被害が発生します。
この衝撃でチリが成層圏ぐらいまで舞い上がり、偏西風に乗ってあっという間に地球を覆いつくします。
おそらく、何十年何百年と、このチリのカーテンは太陽の光が地表に届くことを遮ってきたのです。
光がなくなって、まず植物がやられました。
そして植物を食べる動物がやられ、その動物を食べる動物もやられました。
ご存じ恐竜が絶滅したメカニズムです。
ところが、なぜか、そのころ恐竜の陰で細々と生きてきた哺乳類が生き残ります。
今のネズミ程度の動物と言われています。
で問題はここです。
恐竜は全滅だったのに、なぜ哺乳類は生き残ったのか。
こんな学説があります。
植物も大量に死んだので、酸素を供給する母体が小さくなった。
つまりそのころの地球は酸素が薄くなっていったんですね。
恐竜たちの肺は、原始的な構造だったので、薄くなった酸素では生き残れなかったんだそうです。
しかし、哺乳類は、恐竜にはない横隔膜を備えていたんですね。
肺の機能が少し進化していたんです。
ですから、酸素が多少薄くなっても生き延びることができた、というわけです。
つまりこのねずみのような 哺乳類の先祖をもとに、進化をし、今の私たちがいるわけです。
言い換えれば、私たちが現在に至ることができたのは、生物種として、酸素を取り入れる機能が進化してきたからです。
お陰様で、地球上の生物種として私たちがいるんですね。
くどいようですが、肺は酸素を取り入れることを担った器官です。
そこに煙を吸い込ませるというのは、どう考えても理屈に合わない。
6500万年前のご先祖様に申し訳ないでしょ。
で、この改正健康増進法は若干の例外を設けています。
ただ、既存の小規模飲食店や喫煙専用室がある場合などに限定されていて、違反者には罰則も適用される。
正直抜け穴だらけなんですが、まずは、喫煙者を減らす、といった目的があるんでしょうね。
交通事故死者減少を目的としつつも、最初から100万円の罰金ではなかったですから。
もう喫煙者にとっては、耳タコ状態かもしれませんが、
タバコを吸って肺がんになろうと、循環器系の疾病をしようと、そりゃ勝手な話ということですが、
先日、副流煙による被害が具体的に算出されました。
いわゆる、受動喫煙です。
人が吸ったたばこの煙を吸ってしまい、それが健康を阻害するということです。
で、私もそのデータの算出法など詳しくチェックしてみましたが、いささか細かい計算方法なので、
その紹介はさておき、算出の結果だけお伝えしますと、年間で受動喫煙による死者は、1万5千人だそうです。
今コロナの被害が時々刻々と公表されていますが、受動喫煙による死者は一日40人になるんです。
日本中がマスクしてうろうろしていますが、
コロナなんか、それにくらべれば、それこそかわいいもんだ、ということでしょ。
特に、この受動喫煙の死者は女性に多く、一般的なパターンとしては、おやじがぷかぷかやる。
その煙をかみさんが吸い込む、という構図でしょうね。
私の同級生だった女性が、旦那がヘビースモーカーで、再三再四禁煙してくれと頼んでも、馬の耳に念仏。
どこ吹く風で吸い続け、結局その方は肺腺癌になって、70を迎えることなく亡くなりました。
これホントの話話です。
先日ノーベル賞学者の山中伸弥さんが、コロナに関する私見をホームページに載せていましたが、
その中でも、喫煙者はコロナの被害を受けやすい、と書いてましたし、
べつのレポートでも、喫煙者は感染しちやすい、と書かれていました。
ま、誰がどう言ったかではないんですが、
そんなこと今さらでしょ。
コロナ以前に、年間1万5千人がなくなっているんです。
見ようによっては、喫煙という行為は、殺人鬼が、自分の楽しみで人を殺すのと、
さほど違いはないでしょ。
だから、まだ許されているからと言って、また自分の嗜好だからと言って、
喫煙を続けるというのは、間違いだと思うんですね。
実はコロナより恐ろしいぞ、ということです。
| 水嶋かずあき | - | 10:05 | comments(0) | - | - | - |
即決即断の資質
政治というものの基本は、公平性につきます。
単純なメカニズムを言えば、大いに稼ぐ人から税という手段で持ち分を確保し、
それを、稼げない人の足しにすべく分配する、ということです。
つまり、政治によるある判断は、バランスがどこでとれるのか、という判断でもあるんですね。
ある一方に偏った選択は、非難を浴びます。
つまり、新たな政策が提案されると、それによって不利になる人、有利なる人が生まれます。
稼げない人の足しにすべく分配するものの既得権という厄介なものもあります。

たとえば、今度のコロナの対策で、
営業自粛という方針を打ち出しますと、当然、自粛をする企業、店舗からは不満が出ます。
そこで、そのマイナスをいかに補うか、という対案が出されます。
ある三流芸人が、ネットで訳の分からない主張をしていました。
彼曰く、休業補償を前提として、自粛案を出せ、というんですね。
休業補償という制度を煮詰めるのに、どれほどの時間が必要かでしょ。
それこそ不平不満が出ないためのバランスをとる作業です。
結論がでるころには、拡大がどれほど進んでいるかでしょ。
政治の基本メカニズムを、いいか悪いかもふくめ、知らなすぎる。

さて、政策が公平であるべきは言うまでもないのですが、
実態に、公平に対応できるか、というと、ここが難しい。
要するに、幾分か余分な補償を与えてしまう場合もあれば、焼け石に水といった場合も考えられます。
何より、その補償の源泉は、みんなが納めた税金です。
言い換えれば、俺が払った税金を、そんなことに使うな、という感情も一方には生まれるんですね。
ここが公平性をいかに保つかの難しいところです。
まあどんなことも、100%バランスの取れた政策というのは存在しません。
ですから、そこは人のなせる業で、多少の凸凹が生まれるのは仕方ない。
要は問題解決に有効なのかどうなのか、という観点が優先されるんですね。
さて、今回のコロナに対する政策的な視点でチェックをしてみましょう。
まず、おおざっぱな分類をしてみれば、これは昨日のブログにも書きましたが、
二つの対応が必要です。
一つはAチーム担当で、いかに感染を防ぐか、という政治的判断が必要な分野。
政治チームとしましょうか。
もう一つはBチーム担当で、感染した人への対応で、医療的能力が求められる分野。
医療チームです。
たとえば医療用のマスクや防護服が不青くしている、という実態のもと、
医療チームから要求があれば、これに対応しるのは、政治チームです。
この、政治チームが判断すべきことと、医療チームが判断すべきことを
混同させないことです。
たしかに、このような極限に近づいているときは、両チームの相乗的な選択案が必要だと思いますが、
逆に、そこは割り切って、いかに感染拡大を防ぐか、
いかに治療に専念するか、にそれぞれ特化してもいいのではないか、と思います。
もちろん、そのバランスと相互の意見の交流はだれかトップがはかりますが、
各チームの考えは、なるべく少数の人の判断が望ましいと思うんですね。
たとえばです、これを国会で議論したとしましょうか。
ご存じの通り、議論をする時間、その内容は今まで国会でのやり取りをちょっとでも垣間見た人はお判りでしょうが、
驚くほど手間暇かけます。
それは、大人数で議論するからです。
よく、何とか審議会のようなものが開催され、中央に安倍首相が座り、
その左右に補佐的な政治家が座り、ずらりと囲まれた机には30人ぐらいの関係者がすわり、
あれこれ意見を言いますが、実質的な煮詰めはほとんど行われません。
規模が違いますが、
わたしも、今まで市の何とか審議会に何回か出席しましたが、
およそ数十名の出席者が、いいとこ1時間半ぐらいの会議時間で発言するのは、
一人数分の時間が限界です。
ある意見に対して煮詰めをするなんてほとんどしません。
そしてそのたび思うのですが、これは会議ではない。
出席者の一言挨拶会だ、と。
しかし、なぜかこの形態が民主主義だと思っているんですね。
そもそもの意見を集約する会議形態が決して望ましい形になっていないんです。
このことは、決議決定を遅らせる一つの要因で、何かと遅い決断の政治判断となってしまいます。
もちろん、少数による専横的な決断も問題でしょうが、時と場合によるでしょ。
今回のコロナ騒ぎの中で、北海道知事、大阪知事の判断が評価されていますが、
一つは若い人の価値観も影響していると思うんですね。
じじい連中の、事大主義的対応では、ちっとも民主主義でもないし、一見大勢での結論の如く見えても、
実は極めて専横的な判断になってるんですね。
きっと、北海道も大阪も、そのあたりのバランスが取れているんだと思います。
理由は何であれ、東京の判断は、きっと後手になってくるんじゃないか、と感じるんですね。
これは知事の資質です。
要するに、迅速な決断と取るべき政策の選択肢が適切であることは前提ですが、
即決即断ができる方法を優先すべきだと思うんですね。
まさにこれこそ政治家に求められる資質じゃないですか。
| 水嶋かずあき | あれこれ | 09:53 | comments(1) | - | - | - |
最後の障害は正常性バイアスだ
今朝もテレビ各局の大半は、コロナがテーマです。
特に、志村けんさんのご逝去がやはりショックなようです。
しかし、どうも世間が騒いでいるコロナのとらえかたが、
いささかずれがあるんじゃないか、と言う気がするんですね。
私なりの解釈ですが、整理してみます。
まず、このコロナ野郎のことです。
今までの様々なレポートから推測すると、どうもこうらしい。

そもそもどうして感染したのか、ですが、
外からやってきたウィルスが体にとりつく。
で、口とか、目とか粘膜にとりつき、そこの細胞の中に侵入する。
人間の細胞は、このウィルスが、勝手に作った合いかぎのようなもので、扉をこじ開けられてしまう。
で、そこから奴らが入ってくる。
すると、ウィルスはパラサイトですから、その細胞のDNAに働きかけて、自分のDNAを作らせる。
つまり増殖するのです。
で、ある程度のっとった細胞に仕事をさせると、そこから出てゆくんです。
寄生された細胞はそこで死にます。
こうして増殖してゆくんですね。
こいつらに侵入されてダメージを受けた細胞の数が増えてゆくと、症状が悪化してゆくわけです。
では、こいつがどうしてやってきたのか、です。
まずおおもとの保菌者がいます。
よくわかりませんが、ミトコンドリア的に考えれば、人類として最初に感染した人はいるはずです。
センザンコウだか、キクガシラコウモリだか、それとも武漢の細菌研究所が作り出したのか、
ま、ともかく、コロナウィルス第一号がある人間の中に入り込みます。
この人の呼吸器系のところに奴らは増殖した結果、うじゃうじゃといて、
次にどこかに行こうとしています。
で、主に、くしゃみとか、咳とか、とともに外に飛び出してゆきます。
これはもしかしてですが、奴らにとって、宿主に咳をさせるという症状を与えること自体、
繁殖拡大の手段なんじゃないか、と思うんですね。
果物が、鳥に食べられることによって、体内に種として入り込まれ、
ふんとともに地上で再生し、その生殖域を拡大するのと同じようにです。
食中毒菌が、体内で増殖し、下痢や嘔吐とともに外に飛び出す。
それによって次の宿主に取り込まれるチャンスを作る、といったようなものですね。
まあおそらく、そういう症状を起こさせるための機能というものを、
創造的に身に着けるということはないとは思うんですが、
結果として、広がりやすい性質を持ったものが、繁栄を得られる、というわけです。

で、今回のコロナの場合、咳とともに拡大のチャンスを得られるというのは、
奴らにしてみれば大正解だったんでしょうね。
で、ともかく、原因者からコロナが飛び出します。
飛沫とともにです。
で、飛沫にも大小あるので、大き目の飛沫は、数メートルも飛ばない。
重力の関係ですぐ落ちてしまう。
で、やや小さめの飛沫は、2〜3メートル位は飛ぶ、と言われています。
要は、ちょっとの間空間を漂うわけです。
でも、いつか地上に落ちる。
でもこのウィルスの大きさというのは、100万分の1ミリ前後だそうですから、
体重として表記できる重さは無限にゼロに近い。
したがって、その辺の要はチリに取りついたとすれば、風の吹くまま漂い続けるわけけです。
ではどんなところに取りついたらどのぐらい生き続けるのか、といういことですが、
まあまあ3時間ぐらいを基準として、
例えばすステンレスなどのつるつるな面では、24時間とか、いや2日ぐらい生きていたとか、
研究者のそれぞれ発表しています。
中には、段ボールの上で24時間、という報告もありました。
宅急便の上に載って家の中にやってくる、ということも考えられるわけです。
まあ、感染経路がどうのこうのと言ってますが、
今回のコロナ騒動では、二つの対応がとられています。
一つはAチーム担当で、いかに感染を防ぐか。
もう一つはBチーム担当で、いかに症状を和らげ、死を回避するか、です。
で、感染を防ぐには、人と人の接触を少なくすることでしょ。
しかし人間は社会的動物ですから、人との接触が大原則なわけです。
ですからコロナ野郎は、うまいところに目を付けたんですね。
接触してもらわないと、奴らは繁殖できない。
だから、接触機会の多い動物を接触宿主とするならどんな生き物がいいだろう、と戦略を立てるとしたら、
やはり人間がいいんじゃない、と判断したのかもですね。
で、もう一つは、Bチーム担当の死を免れるための対策です。
これはかかってしまった以上あとはただひたすら治療です。
どこでだれに接触したか、なんてことの解明はAチームの仕事です。
詳細が分かったからといって、回復のための役には立ちません。
様々な薬が試されていますが、いずれ特効薬的なものが見つかるでしょ。
人工呼吸器も増産するそうですし、日本での医療崩壊は、まだまだ何とかなりそうです。
フランスの患者が、ドイツに運び込まれた、なんてことはこの国ではないと思います。
自分の国の中で何とかするでしょ。
それにしても、この期に及んでも
正常性バイアスの問題が登場してきます。
私のブログでも何回か警告してきました。
こういうときって、防災と同様、正常性バイアスとの闘いなんです。
ま、それにしても何が基準で行動しているのかわかりませんが、
大したことはないとおもうのは、ここまで状況が悪化してくると、
やはり暢気すぎますでしょ。

特に若者の無知による行動が、悲惨な結果をもたらすかもしれません。
まあ、若者ではありませんが、あきえちゃんも、いい加減にせいよ、ですね。
| 水嶋かずあき | あれこれ | 22:03 | comments(0) | - | - | - |
一事が無事
多くの人は、職場の規定によって、現役としての働く期間が定められていますが、
私たちのような、自営業の立場では、自分の引退の時は、自分で決めるわけです。
したがって、基本的には働けるだけ働いて、肉体的、精神的に限界を感じた時に、
実質的な仕事をやめるわけです。
まあ、ご隠居さんになるんですね。
私は、自分の経験から、辞め時は計画的にすべきだ、と。
多少は肉体的余力を持って引退すべきだ、と。
出ないと、ぎりぎりで店を閉じて、翌日から病院通いじゃ、何のための人生か、ということなんですね。
働き詰めの人生から、ちょっとだけでも、
人生最後に、何か楽しみがあったっていいだろうと。
ですから、きっといわゆるサラリーマンの人の引退とはいささか事情が異なります。
サラリーマンは、単なるルールで生年月日による退職の時を迎えるわけでしょ。
その時の肉体的な衰えとか、気力とか、そんなこと関係ない。
余力たっぷりのまま、いわゆる老後の生活に入ることが多いでしょ。
ですから、時に嘱託とか言って、週2ぐらい元の職場に顔を出して、
ちょぼちょぼとした仕事をし、後輩にアドバイスめいたことをいうのが役目みたいな
期間を数年過ごすことがあるでしょ。
まあ、一種のクーリングダウンですね。
温まっていた肩を冷やすということです。
ところが自営業は、ともかくぎりぎりまで仕事をする。
いつ辞めるか、なんてことは時に大病を患って、回復が思わしくない、
なんてことになったら、踏ん切りがつくのでしょうが、
なかなかそういうことがあるわけではない。
私たちの仲間で、店じまいをする決意というのは、結構様々で、
肉体的なことが多いとは思いますが、それ以外に、店舗がぼろくなってきて、
調理機材、例えば、冷蔵庫とか冷凍庫、製氷機など、いわゆる冷え物が故障し、
買い替えなきゃいけない、なんてことになると、改めての投資をするには、先が読めない。
ここが潮時か、とばかりやめるという人がいます。
また、飲食店は許可制ですから、許可期限というものがあって、
それを超えると再申請して継続の手続きを取らなくてはいけないんです。
まあ大した手間ではないんですが、このタイミングで、店じまいなんてことを決意する人もいます。
またその他、お店の運営のパートナーだった人が、店から離れるとか、
まあ要は人材不足になって、一人じゃ無理かもしれない、なんて思うと、この時を経て、
ご隠居を決め込む人もいるんですね。
で、それなりに老後の生活に入るわけです。
趣味がある人はここぞとのめり込むのもいいのですが、
そうでないと、毎日、ただぶらぶらしているだけ、なんて人もいます。
私は現役時代の最後の5年ぐらいは、ほとんど休みも取らなくて、
一番きついときには、元旦と二日を休んだだけ、あと363日仕事をしたなんて時がありました。
ですから、サラリーマンが週休2日なんて状況がうらやましくて仕方がなかったものです。
せめて週1ぐらい休みたい。
連休なんて夢のまた夢、そういう状態だったんですね。
ところが引退してみれば、毎日が休みでしょ。
あれほど経験したかった連休は、毎日なんですから、その楽しみ方がわからない。
結局生涯連休の楽しみ方というのを経験することがない、と言うことなんです。
幸いかな、私は職場としての働くべきところはありませんが、
何かと、いわゆる野暮用が多いんですね。
ボランティアな様々な活動ということですが、
これは列挙にいとまがないほどあるんです。
とはいえ、仕事時代のようなほぼ毎日時間を割かなくてはいけない、ということもない。
時に、連続して、4〜5日何の予定もないこともあるんです。
と、何して過ごそうか、ということでしょ。
時に、雑然とし始めた家の中を、整理整頓したり、いわゆる断捨離を決行したりとか。
苗を買ってきて、鉢植えを取り替えたりとか、すいそうをきれいにして、メダカを繁殖させようとか、
ま、まさに時間つぶしを考えるんですね。

したがって、組合の予定や、ラジオの放送や、マンションの行事や、
その他の活動はあると、それなりの大きなアクセントになって、ちょっぴり充実感を得られるのです。
かといって、それでふうふうするのはもう嫌なんですね。
なんかわがままで申し訳ないのですが、そこは適当に、です。
ですから、一日、たった一つでいいんです。
カレンダーに書き込まれるような予定はあると、そのことのための一日になるんですね。
いや、たとえ1時間で終わろうとです。
何かをした日、というわけです。
ですから、何事もない日、というのは妙に落ち着かないんですね。
最近、そのことに気が付きました。
病院の定期健診でもいいんです。
組合の役員会でもいいんです。
場合によっては、切れた電球の替えを買いに行くというんでも立派な予定です。
友達と会って飲む、なんかもありなんです。
ともかく、何かあること、それは一つで十分。
これを一事といいます。
一日一事です。
一日一事がちょうどいい。
この一事をこなしてゆく、または一事という予定を作れる、
ということは、それなりになんだかんだと無事に過ごしていることなんです。
何もないことを無事といえるなら、無事は無事じゃないんですね。
ただ、座して来るべき時を待つなんてことはしたくないな、と思っています。
| 水嶋かずあき | あれこれ | 00:51 | comments(0) | - | - | - |
なんか共通してないか

今年のひらつな祭は、この状態ですから中止になりました。
それこそ半年ほどかけて準備してきたにもかかわらずです。
で、企画して来たものが、全滅というのも、どうも癪に障る。
相撲取りで言えば、15戦15敗みたいなもの。
黒星が15並ぶなんて、あまり気持ちよくないでしょ。
そこで、せめて、と、先日手洗いのキャンペーンを二回にわたって実施したわけです。
これはひらつな祭で行う予定だったコマの一つです。
で、もう一つ、幼稚園保育園の園児たちが描いたえがおの絵を展示する予定でした。
毎年、これはひらつな祭の会場の一角に展示されてきたのですが、
すっかり準備をした方も、

まして、子どもたちにとっても描いた絵が飾られない、って寂しいことでしょ。
そこで、何とか、その展示ができないものか、とあれこれ手配をし、
結果として、梅屋さんの一角で展示させてもらうことになりました。
なんとか白星を2個並べることができました。

 

このえがお絵展は、市内の18園が参加し、絵を描いた子供たちは全部で619人。
なかなかのボリュームでしょ。
何しろこう言うことは素人なんですが、何とか格好をつけようと、
実行委員会の連中が集まって、準備し、展示までこぎつけました。
展示の会期は、3月28日から4月12日まで。
場所は、ユーユー梅屋駅前館の3階です。
お時間があったら、ぜひご来場ください。

 

さて、私は、なぜか防災関係のボランティア活動をしてきました。
で、様々なことを模索し、その啓蒙普及に携わってきたのですが、
その活動の形を整理してみると、どうも今回のコロナ騒動に共通する点が多々あることに気が付いたのです。
ま、確かに災害という意味ではその範疇にあってもおかしくないでしょ。

 

で、共通する点なんですが、
まず、フェイクニュース、つまりデマです。
必ずと言っていいほど、デマが出てくる。
おもしろがってやる場合もあり、また不安のあまり、ちょっとした表現が拡大して拡散されたり、
それは災害後の復旧に邪魔なことおびただしい。
ともかく正しい情報が伝わりにくいんですね。

災害時のデマで有名なのは、関東大震災の時の朝鮮人の暴動というデマでしょうね。

これに踊らされた日本人が、朝鮮人6000人余りをリンチして殺害したことです。

このような心理状態になるというきっかけがデマなんですから、厳に慎むべきでしょ。

 

さらに、医療崩壊が起きやすい。
阪神淡路では3万4千人の人が負傷しました。
当然のように、これらの人は病院に向かいます。
突然、ある日3万4千人の人が病院に押し掛ければ、それは一気に医療機能を超えた状態になるでしょ。
東日本大震災の時も、福島県のデータでは、この医療崩壊を起こし、
平時の状態に医療体制だったら、命を落とすことがなかったはずだ、

という人が何人いたか、というカウントをしたところ、
154人になったそうです。
医療崩壊が無ければ、救えた命ということです。
このコロナでは、世間では軽々しく検査体制に対して批判していますが、
医療崩壊の恐ろしさを経験している日本の医療関係者の判断も理解すべきだと思うんですね。

 

そして、何より正常化バイアスが生まれてくるということです。
これは、自分だけは何とかなる、そのうち何とかなる、と自分に不利な状況を否定することなんです。
防災の基本は、正しく恐れることです。
過ぎたるは及ばざるがごとし、なんですね。
津波が来るらしい、避難しよう、と言っても正常化バイアスが働いて、その情報を軽く見て、
ぐずぐずしていて、結局津波にのみ込まれてしまった、なんて例は、東日本大震災の時は山ほどありました。
このコロナでも、多くの市民の協力が必要なんですが、なかなか受け入れない人たちがいる。
例のK-1なんかがそうでしょ。
渋谷はあい変わらず若者がウロウロしているというし。
イタリアの爆発的感染拡大は、きっと根が陽気な人種のようですから、

この正常化バイアスが働きやすいんでしょうね。

 

日用品の買い占めなんかもそうですね。
ただ地震なんかの場合、場所が特定ですから、日本全体の中ではあるていど融通できますから、

多少は限定的ということもありますが、
ま、いずれにしても、正常な神経では考えられない行動をとるものです。

 

今回のコロナの経験から、防災的要素をしっかりと整理し、
この後もやってくるかもしれないウイルス戦争に、しっかりと備える必要がありますね。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 06:02 | comments(0) | - | - | - |
無事是貴人

私達は、無事という言葉を、かなりさまざまな場面で使います。
空港まで見送りに来た家族に、目的地に着くや否や電話して、
無事に着いたよ、とか。
手紙で、相手の身を案じながら、御無事を祈ります、とか。
中には、馬の評価で、無事これ名馬、なんてことも言います。
早いとか力があるとか以前に、先ず怪我をしないこと、これが名馬の条件、
という事でしょ。


相撲取りにも当てはまりそうでしょ。
ともかく怪我無く土俵を務められれば、そこそこの地位には上がれる。
逆に、あんなに勢いがあったのに、最近どうも成績がはかばかしくない、
なんていうのは、どこか怪我をしているんですね。
ま、ここでも無事これ名馬なんでしょうね。
いや、名力士か。

 

要はこれといった波乱もなく、平穏に過ごせたり、
予定、計画が滞りなくすいこうできたりすることは、無事なわけです。
ですから、無事とは、要はややこしい事が無いわけでしょ。
という解釈が圧倒的ですよね。

 

ところが本来は少し使い方が違うようなんですね。
例によって中国出典の言葉なんです。
無事は、臨済宗祖・臨済義玄禅師の言葉で、いわゆる禅語の一つ。
禅語としての「無事」が意味する所は実に深いものがあります。
多分理解しがたい境地のことだと思うんですが、
無事とは、馳求心(ちぐしん)のことなんですね。
もっと分からないでしょ。
馳求心とは、外に向かって求める心のことなんです。
まあ、ある意味では、様々な某脳のようなものをすっかり捨て切ったさわやかな境涯のことだそうです。
でこの心境の難しい所は、
求める心を捨てるといっても、無気力とか、無関心とかの、
だらだらした状態ではありません。
なんか、解釈によっては、夢や希望を捨てろ、とか捉えられがちですね。
また、財産や名誉をあくせく求めるなという表面的な戒めでもないんですね。
「無事」とは、求めなくてもよいことに気づいた安らぎの境地というのだそうです。

 

もっとも、禅宗の教えの中のことですから、
禅問答的難解な理念と、抹香くさい感覚が感じられると思うんですが、
まあ、出来ればそんな境地にたどり着きたい、という心の状態なんでしょうね。
いや、いいとこだから目指してください、なんて薦めているわけではありません。
通常私たちが使う無事とはいささかその原点は違う、という事を言いたかったんです。

 

臨済禅師は、悟りとか、救いとか、今様に言えば、しあわせなど、

自分自身が安穏とできるようなある状態になりたい、とばかり自らの外に求めることは

愚かしいことである、と厳しく戒めたそうです。
これらのものは、求めて得られるどころか、求めれば求めるほど
遠くへ逃げていってしまう、と言うのですね。
例えばです、純真な人間になりたい、と願ったとします。
これはそう願ったというじてんで、欲がある、と考えるんですね。
ね、難しいでしょ。


いや、むきになることはありません、そういう世界もある、と言うことです。

で、私達は、凡人ですから、生涯求道の限りの生き方をしても、もがくだけのことです。
ですから、身の丈に合った人生観を持てばいいことです。
私の知人で、私は大いに尊敬をしていた方だったんですが、
この求道の気持ちが強く、絶えずわが身を律しようとするんですね。
で、おうおうにして自分はこれほど厳しい環境に身を置いているんだ、

という自負が、ちょっとしたところに現れてしまう。
時に、厳しく身を律すると言うことを周囲に求める。
そうなると、人は離れてゆきますよね。
確かに筋は通っていて、なかなか立派な考えなのですが、
君のそこが足りない、とか言われると、もちろん事実の指摘ですから、
ぐうの音も出ないのですが、「快」という心境になれないものなんです。
結局、清く正しくいきましょう的な押し付けは、

多くの人との距離を作ることになったしまうんですね。
きっとこの無事もそう言うことでしょう。
無欲な人格を求めるということ自体、そこに欲が存在するというんですから。

 

まあ私達は無事とは、これといった波乱がないこと、
安寧の状態という今までの解釈でもいいのではないかな、と思います。
そういえば、コロナが収まって早く無事の毎日に戻れるといいですね。

 

| 水嶋かずあき | あれこれ | 21:40 | comments(0) | - | - | - |
いよいよ病膏肓に入ってきました

いよいよコロナ騒動が、市民生活の分野に入り込んできました。


なんとなくですが、何人感染したとか、何人亡くなったとか、
感染ルートがどうのこうのとか、医療側の事情とか、様々な話が出てきましたが、
これまでの出来事って、とりあえず、マスクしてうろうろできましたし、
友達と飲みに行こうと、後ろめたさは感じなかったのですが、
東京の指針発表から一挙に通常の生活にまで入り込んできました。


もっとも、その前からやれトイレットペーパーだのマスクだのと、
品不足気味の物を買いこむ傾向はありましたが、
いよいよ食料品のところにまで及んでいるのではないか、と思うんですね。

 

昨日、たまたまユニディで買い物をしようと、出かけたのです。
で、ついでにロピアで食料品を買おうか、と立ち寄ったんですね。
で、最初は何てことなく青果系の売り場をぐるぐる回りながら、
4〜5品のものをかごに入れていたんですね。
その時、実は妙だな、と思ったことがあったんです。
もやしの棚にもやしがない。
時間で言えば、3時ごろのことです。
いくらなんでも品切れというには早いでしょ。
でも、なんかの拍子に買う人が多かったのか、思い通りの仕入れができなかったのか、
まあ、いずれにしてもあのもやしが品切れって珍しいことだ、と思ったんですね。
で、そのあと、食肉のゾーンに入って、
そういえばそこここで、空の棚が目立つな、と。
少なくともいつも山盛り置いてある豚のばら肉のパック、4〜500円前後のものですが、
これがすかすか。
でも、そういえばいくらか客が多いかな、と。
休日の午後レベルの混みようなんですね。
でさらに、鮮魚売り場、加工食品売り場と進んでゆくと、
何故か、カートを押している人が新たに買うわけでもなく、立ち止まっているんです。
この時初めて、いつもよりはるかに多くのお客様が来店しているんだ、と認識したんですね。
で、立ち止まっているのではなく、レジ待ちの列に並んでいたんですね。

ざっと眺めてみると、1レジに50人は並んでいるんです。
確かここは10台ぐらいのレジが置いてあるはずです。
レジから途中の商品棚の領域を超えて、延々と並ぶその列の長いこと。

どうでもいいことかもしれませんが、ロピアのカートは籠を横に置くタイプなので、

1人当たりの面積は狭くて済むんですね。

にもかかわらず長い列。


これは客数もさることながら、1人当たりの買い物の量が多くて、
レジの処理に時間がかかっているんだ、と推測したのです。
よくよく見てみると、どのカートもこれでもか、というほどの食材が入っている。
ざっと、まずレジにたどり着くのに30分はかかるだろうと。
そこで踵を返し、今まで集めてきた商品を順番に元に戻し、要は買い物なしにして出てきたのです。
近所のスーパーで間に合うはずだ、と。

 

そういえばテレビで、東京のスーパーの棚が空になっているというシーンを流してましたが、
そういうことの影響もあるのでしょうか。
でも、食料品の買い出しまで、制限されていないでしょ。
例のトイレットペーパーの時と同じように、無くなるといけないからという理由で、
まとめ買いに走っているんでしょうね。


カップラーメンとかならともかく、生鮮品の中で最も足が速いもやしが無くなるんですから、
もう、見境なく買い物に走っているという事でしょ。

 

そういえば、うちのかみさんが、念のためにお米を余分に買っておいた、と。
私としては、お米はぎりぎりの量にとどめて、
極力精米したての物を買いたいと思っているわけです。
我が家のペースでは、5キロなんて買おうものなら、一か月は持ってしまう。
当然、米としては精米してから時間がたつほど味が落ちてしまうでしょ。

にもかかわらず、何袋かまとめ買いしてきたんですね。
どう考えても、米が不足するなんて考えられないでしょ。
わざわざまずくして食べるのもおかしな話でね。

 

特に食料品というのはその大半が鮮度勝負なんですから、
冷静になって、対処すべきですね。

まああの考えられないようなレジ待ちの人の数を見た時、
なかなかそうはいっても、どこか我先になってしまうんですね。

 

仕方ないか、こう言うのって未経験ですからね。

| 水嶋かずあき | - | 16:45 | comments(0) | - | - | - |
四苦八苦

お釈迦様は、もともとシャキ族(より正確にはシャーキヤ)という
インド北部の小王国を支配する王家の王子でした。
で、子供のころから、人としての生きざまを思索していたようです。
長じて、その気持ちはますます高まり、
王子として王国の継承より、人生のさまざまな疑問を解くために
出家したいと望むようになります。
ある時、父王に、出家したいと申し出ます。
人はなぜ老いるのでしょうか、
人はなぜ病むのでしょうか、
人はなぜ死ぬのでしょうか、
そして、人はなぜ生きてゆくのでしょうか、
この疑問を解きたいのです、と出家の理由を述べたそうです。

 

これを生老病死と言い伝えられてきました。
いわゆる四つの苦しみとして四苦と言われています。
ま、その後さらに、八つの苦しみが加えられ、四苦八苦と言います。

ともかく、お釈迦様は、結局、カピラ城に妻子を残したまま、29歳の時に出奔します。
そして、6年の歳月を経て、大いなる悟りを開くことになるのです。
つまり、四苦の疑問を解くことができた、とも言えます。

 

さて、なぜ生きるのか、なぜ老いるのか、なぜ病むのか、なぜ死ぬのかの
四苦のうち、老病死の三つは、基本的に因果があって、
年を取ると病気にかかりやっすくなる。
病気に掛かれば死を呼び寄せてしまう。
つまり、人生の老後に一挙に3つの苦がやってくるわけです。

 

私はすでに後期高齢者の領域に入っています。
つまり十分「老」なんですね。
特に肉体的な衰えは、情けないほど自覚する毎日なんです。
まあ、誰もが経験すると思うのですが、
知覚器官の劣化ですね。
目は老眼になり、あんなに何でも見えた視力は衰え、
ちょっとでも暗かったりすると、読みづらい。
そもそも小さな字が苦手になり、ハズキのルーペを手放なせなくなりました。
聴力の衰えは顕著です。
もう20年も前から耳鳴りが始まり、最近ではその音量が進行し、
もしこれが外部から聞こえてくる音だったら、
普通、寝れないだろう、というくらいの音量になってきました。
特に、難聴の傾向があって、普通の会話で、しばしば聞き取れないことがあります。
テレビなど、聞こえる音量にすると、いかにもうるさいので、
仕方なしに、文字表示のできる画像にしています。
まあ、時にこの文字が画面上の一部を隠すわけですから邪魔になるのですが、
仕方ないですね、分からないよりいい。


筋肉の衰えは言うまでもありません。
瓶詰などのふたを開ける手の力も無くなりましたし、
3時間も立ち仕事が続くと、もう腰が痛くなってきます。
ここまで衰えると、さすがに体力維持のための何かをしなくちゃ、と思うようになりました。

 

そして何より、物のとらえ方です。
価値観などと言うものは、そうそうは変わらないものです。
年を取ると多少は丸い考えになるかというと、
あきらめに近い見方で変わることはあっても、かえって頑固になったりするものです。
ただ、そういう思考の老化現象を超えて、世の中の進歩が速く、
例えばですが、キャッシュレス時代が来るんだろうな、とは思いつつ、
やはり財布の中に、そこそこの現金がないと不安になってしまうと思うんですね。

 

とまあ、間違いなく年取ってきたわけでしょ。

しかも、肉体的な衰えばかりでなく、持病を抱えています。

医院の診察カードは1ダースを超えています。

さらにお薬手帳なるものを持っていて、基本的に薬を飲まなくてはいけない。
もう、十分「病」の段階にも入っているわけですね。
否応なしに、老と病はセットになってしまってくるわけです。

 

そして最後の「死」ですが、
これはもう、考えとしてどう受け止めるか、だけのことでしょ。
老とか、病というのは、現実的な知覚を伴いますが、
死というのはそれがない。
ですから、お釈迦さまも、死そのものではなく、
死という現象をどのようにとらえるのか、という事を悟ったんだと思うんですね。

そして、そのことをお釈迦様はこ言考えていたようです。

 

ある時、弟子のひとりが、こう言う質問をします。
人って、死んだらどうなるのでしょうね、と。
お釈迦様は、それにこのように答えます。
そんなことを考える必要はない。
今をきちんと生きることが大事だ、と。

これはしばしば仏典に登場するやり取りなんですが、
そのたびにお釈迦様は、答えなかったそうです。
ですが、後世の人間が、あの世の絵を描き始めましたでしょ。
涅槃図みたいなものです。
少なくとも、様々な資料からは、あの世について具体的に語ったという記述はありません。

 

そう、いかに今を生きるか、という事なんですね。

 

| 水嶋かずあき | あれこれ | 09:19 | comments(1) | - | - | - |
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