水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
嘘つき罪

結局、不都合な事実を隠せると思い、
身綺麗な言い訳をしようと会見をしたものの、
馬脚は表れていたわけで、結果として、油に火を注ぐ結果になってしまったようです。
挙句の果てに、司会者の独断で仕切り始められると、
これまた非難囂囂。

(難しい字ですね、パソコンだから打ち出せた字です)

ま、ともかく、
マスコミにしてみれば、会見の一時間前にファックスが届き、
当該監督とコーチが会見しますとの通知。
皆あたふたと取材に向かったのだと思いますが、
司会としては、冒頭、急なお知らせとなったことを詫び、
それにもかかわらず多くの取材スタッフが参加してくれたことを
感謝する、と言うところから始めるべきでしょ。
少なくとも、私ならそうします。
記者会見を開いた背景を考えれば、謙虚な姿勢を見せることも作戦の一つでしょ。
所が何を勘違いしたか、居丈高に取り仕切り、
挙句の果てに会場内で暴言のやり取りをするなんて、
司会の人選そのものに、大学側の不誠実さが垣間見れますね。

前日の粛々と展開された宮川君の会見とは大違い。
火に油を注いだ上に、手りゅう弾でも数発投げ込んだ感じでしょ。

記者が驚いて、この会見はみんなが見ている、といさめると、
見ていようが見ていまいが、それは関係ない、みたいなことを口走る。
じゃあ、なんで会見を開いたんだ、となるでしょ。
自分たちの立場の正当性を主張したくて、設営した場ではないですか。

なんとなく、このドタバタ劇の舞台裏が、
しっかりと見て取れる展開になってきましたね。


まあ、言ってることの、信憑性は皆無。
きっと誰もが、前日の若者の清廉とした会見と比較していたと思うんです。

言うまでもなく、守るものがない状態で、素の状態で、
思いを言葉にしていた青年と、
何かを必死に守ろうとして、本来の真実を隠そうとする
陰謀に近い言葉との差を、誰もが感じたと思うんです。

 

この会見の最後の部分で、テロップが流れ、
日大のアメフト部員が、テレビでこの会見を見ながら、
なぜあんな嘘をつくのか、と、監督コーチを非難していた様子が、
伝えられました。
矢張り感情としても、納得できなかった、

という事が、身内のなかからあらわれてきたわけですね。

多分このテロップを読んで、さもありなん、と誰も思ったと思うんです。

 

今はやりの、テレビの視聴者から局に逆送される情報として、
リモコンで、赤ボタン、緑ボタン、青ボタンを押すことで、
簡単なアンケートが実施できるシステムがありますが、
この会見の最中に、ほんとのことを言っている、と思ったら緑ボタン、
嘘だと思われる、と思ったら赤ボタン、
どちらとも言えない、と思ったら青ボタンを押す、

というのを実施したらよかったと思ったのです。
で、時々刻々とその内容に反応した人達の受け止め方が数字で表れる。
時に、その概要を、会見者に現在あなた方の発言は、世間ではこう受け止めています、
と伝えるんです。

かえってしどろもどろになってしまいます毛ね。

 

ま、こんなことを思いつきましたが、だからどうってことはないでしょうね。
ため息が出るほど、心の腐ったやつが世の中を跋扈しているのですから。

このブログでも何度も書きましたが、結局嘘と分かっていても、
言ったもの勝ちの風潮を是正しなくては、
あいかわらず正直者がばかをみる、わけでしょ。


やはり、最終的に嘘と分かったら、嘘つき罪と言うのを制定する必要がありますね。


話は変わりますが、
経済産業省は、日本工業規格(JIS)に違反した企業に対する罰金の上限を1億円
に引き上げる方針を固めた、と言うのです。
今までは100万円でしたから、少少とがめられても、
まあ、100万で済むじゃない、とたかをくくっていたかもしれませんが、
今度は一億円です。
これはちっとまじめにやらないととんでもないことになるぞ、と、
特に品質管理に携わっている人たちは思ったでしょうね。
きっとこれによって、日本の特に工業製品の質は向上すると思うんです。
まあ、そういうものです。


かつて、年間1万人が交通事故で、犠牲になっていた時に、
酒酔い運転の罰則を強化しました。
まずは驚くほど高い金額でしたよね。
それまでの罰金額は、痛いには痛いけど、何とか払えましたが、
改定されての金額は、家計に響くほどの内容でしたでしょ。
おかげさまで、飲んだら乗らないが徹底して、
今や、1万人が三千人に減少したではないですか。
ですから、JIS規格も一億円だとすると、これに違反する会社は激減するでしょうね。
ま、世の中そんなものです。


ですから、嘘つき罪を制定して、とてつもない高い罰金を課せば、
それなりに、減って来るんじゃないでしょうか。

 

そうそう、法律を決めるのは立法府。国会議員の方々です。

ですか彼らに不都合な法律は制定しません。

きっと永遠にこの嘘つき罪は作られないでしょうね。

 

ま、としても情けない世の中になったもんですね。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 10:24 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
勇気をもって真実を語る

昨日、午後2時過ぎにどうしてもやらなくてはならないことがあって、
出かけることになっていたのです。
で、家を出る直前まで、テレビを見ていて、
いよいよ、アメフト悪質タックル問題のご当人が記者会見をします、という事で、
カメラが、日本記者クラブに切り替えられたところで、
イスから私が立ち上がると、かみさんが、録画しておこうか、と。
ドラマとか、サッカーのゲームとかはよく録画しますが、
記者会見の録画とはまあめったにないことですよね。
でも、私は気になっていたので、録画を頼んで出かけました。


で、今朝起きぬけにビデオを再生。
じっくりと昨日の記者会見を観ました。
まだ二十歳になったばかりの宮川君が、緊張した面持ちで中央の席に座ります。
もう、それだけで涙が出そうになりました。
だって、20歳の若者が、世間が注目している事件の真相を話すというんですから、
そりゃあ緊張するでしょうし、
顔をさらすという事も、勇気のいることです。
きっと、自らの心に、そうしなければいけない、と何度も言い聞かせたはずなんですね。
誰だって、恥をさらすように、大勢の前に出て行って、
しかも、テレビで中継されることも分かっていて、
謝りの言葉を言う、というのは、とてもつらいことだと思うんです。
そんな辛さを振り切って敢えて登場したという事そのものに、
私は、感動したのです。


つらいこと、不利なこと、やりたくない事から逃げずに立ち向かった、

という事自体、勇気ある行動だと思うんです。
何よりも、人前に出てゆくという事自体が謝罪の本来ではないか、という事が
この背景を雄弁に物語っていました。
まあ、この中継を見た方、まだワイドなどで取り上げて、詳細に分析されていましたから、

詳しいことはご存知とは思いますが、
単純に、この記者会見でわかったことを整理してみます。

 

勝利と言う名誉のため、手段を選ばず、アンフェアーな手段を講じる。
一見、あいまいな、それでいてストレートな表現で、意図を選手に伝える。
そして、実行される。
ところがこれが世間に知られるところとなった。
そこで、不都合な真実を隠し通そうとしている人たちがいる。
一方で、この出来事の被害者がいる。
加害者は、良心に基づき反省をし、その真実をつまびらかにしようとしている。
しかし、なおかつ、不都合な真実をかくすために、
その良心に基づいた行為そのものを、やめさせようとする。
しかも、世の中の真実を求める動きに、体裁を繕いつつ、
誠実な対応をしてこない。
口では、監督を辞退と言いつつ、学校の役職には、しがみついている。
ここで、不都合な真実を認めると、すべての栄誉と役職と収入が断たれる恐れがある。
権力欲と金銭欲のため、青年の真実の言葉を受け入れようとしない。

と、まあ、こんなところでしょうか。
私はこの会見でも若者の勇気に感心しました。
汚れた世界を見切って、新しい正義の世界で羽ばたいてほしい、と思いました。

この会見をマスコミ各社は、勇気をもって真実を語った、と表現しています。


私はビデオを見ながら、見ている間中、ある出来事とダブって受け取っていました。

恐らく多くの人がそう思ったと思います。

ありとあらゆるシチュエ―ションがすべて見事に重なって見えてくるのです。
それは、日本の国会で展開されている不都合な出来事と、

それを隠すための大嘘がつかれていることです。

ある権力者がいて、その人の立場を守るための行為が行われた。

正当な手段を捻じ曲げたため、そこに不都合な状況が生じた。

で、これをなんてことないことと思わせるための、

誠意のない虚飾の言葉が語られた。

問題がますますねじ曲がってゆく。

問題は当初想定した以上に大きくなってしまった。


あの中の誰かが、もちろん安倍首相を頭に、証人喚問などで、国会に招致された人々が、
勇気をもって真実を語れば、そこそこにけりがついて、

まさにどうでもいいことをグダグダと国会でやり取りせずに、
真に日本の大事なことを議論する場になったわけでしょ。

20歳の青年を見習ってほしい。
不都合なことはしばしば起きるものです。
で、それをカバーするのは、まさに真実を求める勇気なんですね。
それは周りも、当事者もです。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 09:36 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
潮流と言う流れの力

潮流と言うべき大きな流れがあって、
これに逆らって泳ごうものなら、結局飲み込まれて溺れてしまう。
まあ、ある意味抗う事も出来ない世の中の大きな変化、ともいえることです。
潮流が発生し、ある方向へ流れが出来上がってしまうと、
もう、身をゆだねるしかない、という事ですね。


忌々しい流れは、かつて、日本国の中で帝国主義が跋扈し、
日清日露で勝ち戦を経験した日本の軍隊が、
いささか頭に乗って、国政に口を挟み始め、
大東亜共栄圏とか勝手な思想を打ち出し、
朝鮮、満州を植民地の統治下に置き、やがて支那事変、
太平洋戦争という歴史的な展開は、
まさに、軍国化と言う潮流の産物でした。


この大きく、強くなってゆく潮流に、いささかおかしいと感じながらも、
これに逆らえば、流れに飲み込まれ溺れてしまうだろう、という流れの力を恐れて、
多くの国民は、浮いているだけましと潮流に身をゆだねたのです。

庶民と言うのは、その意味では、無力な存在なんですね。
いま、歴然とそういう流れが出てきたら、私はどんな対処が出来るのか、
結構、真剣にそのことを想定することがあります。
で、きっと無力であることを思い知るんでしょうね。

 

現代の日本社会、国際社会の中で、
要は潮流づくりを仕掛けている連中がたくさんいますね。
で、多くの人間は、それに対して無力です。
権力を得た人たちと、金もうけをした人たちの作り出す潮流に、
私達は収奪されつつ、身をゆだねているんですね。

 

さて、話はガラッと変わります。
世の中のさまざまな潮流の中で、
今だに、逆らっているある集団があります。
それは日本大相撲協会ですね。

男女平等と言う人権意識の潮流に逆らっているんです。
不思議な集団です。
日本の国技、とか、神儀とか、伝統とか、まあいろんなことを並べ立てて
守らねばならないものがあるという主張なんですが、
そのどれも説得力に欠けているんですね。
特に、土俵に女性を上げない、と言う女人禁制の伝統について、
賛否両論がありますが、いまだに女人禁制なんてことを言ってるんですね。


確かに、日本は、男尊女卑の歴史が長いので、
女性は虐げられてきました。
そもそも、女人禁制は、女人結界ともいわれ、その結界から先には女性は侵入できない、
と言うならわしがったのです。
ベースには、女性は穢(けが)れあるもの、と言う概念が古来よりありました。
特に、修験僧が、深い山中で修業をするのに、
女性にとっては危険が多いとか、の要因もあって、山に入ることを禁じたんですね。
また、仏教においても、神道においても、ある時期、女性をけがれたもの、
とみなす思想があって、そう言うところの神聖さを維持するためにも、
女性結界と言うものを定めてきたのです。
まあ、理屈はいろいろありますが、女性蔑視であることは明白です。


で、相撲の世界に話は戻りますが、
相撲はそもそも神社の境内で行われていたようで、その時点で、女人禁制だったわけです。
で、その後、明治になって、女性政策を欧米並みにしたいと言う思惑もあって、
さまざまな習慣的な女人禁制を解いてゆきます。
ですから、それまでは相撲というのは、女性は見ることもできなかったわけです。
で、見ることは解禁されたものの、
穢れある女性は土俵に上がってはいけない、という悪しき伝統が守られてきたわけです。

 

言葉のあやですが、例えば、いじめ問題について、
さるところで問題が発生した。
いじめの問題が発生しました、というのと、
弱いものいじめが発生しました、と言うのではニュアンスが違うでしょ。
弱いものいじめの方が、やった方としては、なんとなく格好悪いでしょ。
それと同様、女人禁制という思想の根底に、女性蔑視が背景にあるわけですから、
ただ単に女性を土俵に上げない、

と言わずに、穢れた女性を土俵に上げない、と言う方が、
蔑視感が強く、女人禁制をしている方が、いささか肩身の狭い感じになると思うんですね。
ともかく実態は穢れある女、という概念なんですから。

そこで、日本相撲協会も、伝統とか、神儀とか言ってないで、
私達はこれからも穢れた女の人を土俵に上げさせる気はありません、
ときっぱりと言うべきです。
当然ものすごい反論が出てくると思いますが、
でも、要はそういう事でしょ。
国技、神儀、伝統とかかこつけている前に、
女性蔑視であることを、男なら堂々と言え、と言いたいですね。

 

まあ、国技、伝統を振りかざすなら、

外国人力士に土俵を席巻されている日本人の無様な内容を、

何と役員連中は弁解するんでしょうか。

いや、相撲も国際化の流れを受け入れているんです、

とかいうんでしょうか。

 

相撲と言えば、ついでですが、

朝弁慶のことです。

先場所成績がよく、十両に返り咲いたものの、

初日から7連敗。

ありゃりゃ、と思っていたら、ここで2連勝。

でも、あと6連勝は無理かな。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 11:19 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
あなたならどうしますか

9年前の今日、裁判員制度が裁判に導入されました。
実際には、選挙人名簿、つまり有権者はすべてが対象となっているのですが、
選挙人名簿でランダムに抽出されるので、原則、すべての有権者は、裁判員になる可能性があるわけです。
9年もたつのに、周囲にそれらしい話を聞いたことがありませんので、
いいか悪いか、ほとんど宝くじに当たるようなもんなんでしょうね。
でも、いつかどこかで裁判員に指名される可能性はゼロではないのです。


そもそもがどうしてこの制度は始まったかです。
「裁判内容に国民の健全な社会常識がより反映され、また、
より国民の理解しやすい裁判を実現する」ことを目的にした、
とその大義を謳っていますが、
そもそもが、司法と言うのは、
この領域の仕事に就く上では、司法試験と言う、
とてつもない難しい試験をクリアーできたものしか資格は与えられません。
法の解釈と言う、きわめて深い知見を必要とすることですから、
司法の世界が、国民の十分な理解が得られなくても仕方ないことです。
したがって、国民が裁判について、十分な理解をする、という目的は、
もともと達成の望みは薄いことです。
さらに、その上で、裁判について理解を深めるという事が大きな目的だったら、
何も、法に素人の参加が、理解促進に役立つとは思えませんし、
わずかな人数の経験で、国民の認識度が広まるとは思えないでしょ。
まあ、気持ちは分かるけど、制度的には無理があるな、と。
それより、むしろ、健全な社会常識がより反映される、
という観点の意味合いが大きいと思うのです。


言い換えれば、そういう社会常識を必要としている、裁判の現場に問題があるという事でしょ。
この制度は、社会の常識が十分反映されていなかったことへの反省です。
言い換えれば、司法で法律にはやたら詳しいけど、
一般社会での判断には、ちょっと不安がある、とでも言ったらいいでしょうか。
そこで、一種の市民感情という事についても考慮したいという事でしょ。
いわゆる、社会常識と言うものも、少しづつ変化しているわけで、
法律の中には、戦前に制定されたものも残っているくらいですから、
いささか時代遅れの判断基準だってあるわけです。
ま、そこで、少しは開かれた場づくりをし、
新たな空気を入れましょう、という事と考えてもいいわけですね。

 

ところが、やはりいくつか問題があります。
裁判の内容が重いのです。

刑事裁判を前提として、殺人罪、傷害致死罪、強盗致死傷罪、
現住建造物等放火罪、身代金目的誘拐罪など、
一定の重大な犯罪についての裁判という事になっています。
ちょっと素人が判断するには、内容が重いでしょ。
特に、死刑判決につながるような事犯に対しては、
その人の判断が人の死につながるわけで、
ちょっとそういう判断をその辺のおじさんやお姉さんがするというのもきついでしょ。
さらに、速やかな審理を目指しているとはいえ、
決定される罪が重くなるので、
安易な調べや議論で済ますという事はできません。
したがって、そこそこ時間がかかるようで、
結論が出るまでは、何回か裁判所に通うことになります。
普通の人はこれを嫌がるんですね。


手順としては、ランダムに選出された人に、案内が届きます。
そして、選任手続期日に裁判長と面談をして、参加が決まります。
まず、この場にすらこない人もいるわけで、
当初は、それでも84%の人が出席したそうですが、
9年経った今では、64%まで減少したそうです。
要は、嫌だったらいかない、と言う傾向が出てきたわけです。
原則的に、裁判員法で定めたところによると、
「正当な理由なく裁判所に出頭しない場合、10万円以下の過料を課す」
という事ですから、先ずはいかないととんでもないことになるかも、
という事だったのでしょうが、実態は、適用例はないので、
とぼければ何とかなる、という認識も広まってきたのかもしれません。


で、一応出頭して面談を受けたとしても、正当な理由をあれこれ言い、
家庭や仕事が辞退事由に当たると認められると、辞退できます。
で、その辞退者の割合も年々増えて、
当初、53%のほぼ半分が辞退していたんですが、
今では70%が辞退してしまいます。
辞退することの理由は、仕事とか家庭の事情とかより、
現実として、裁判の長期化が要因、と言われています。


これは、一般市民側が辞退する場合なんですが、
逆に、裁判所側で面談の結果、断る場合もあります。

以前、裁判員として抽選で選ばれ、裁判長と面接をすることになった人が、
ネットに投稿した文を読んだことがありましたが、こんな内容でした。


裁判の内容として、死刑判決もありうるような凶悪な事件でした。
そこで、裁判官は、そういう判決が出る場合もありうる、と説明したそうです。
その人は、死刑反対の考えを持っていたので、その旨を主張したそうです。
すると、裁判官はそういう偏った考えだと、判決にも影響するので、
面接の結果、いわば裁判員を外されてしまったそうです。

私はこの話を読んで、社会の常識を組み込む、という法の精神は意味がないじゃないか、と思ったんです。
だって、死刑はよくない、という考えも、また社会の常識の一部でしょ。
そういう考えの人もいるわけですから、
その意見が反映されなくなったら、
すでに、否応なしに、死刑判決に突き進んでゆく、という事ではないでしょうか。

 

ですから、一応見てくれのいいことを看板に書いてはあるものの、
市民の生活の実態の認識と社会常識の解釈のづれは、徐々に出て来た、という事でしょ。

 

アメリカの陪審員制度は、テレビなどのドラマでしばしば観ますが、
陪審員は、有罪か無罪かの判断をします。
その結果、裁判長が量刑を決めます。
裁判員の場合、有罪、無罪とともに、有罪の場合、量刑の判断もします。
ここが一般人にはつらい所でしょ。
ですから、今後の改善として、この点は議論されるでしょうね。

 

ま、ともかく、裁判員を経験した人は、
その経験について、「よい経験」「非常によい経験」とか答えた人が、
96,7%もいるんですって。
ま、多分そうだと思います。
いろいろあるけど、やはり貴重な経験になるんでしょうね。
ある意味、人生での滅多にないチャンスを、
7割の人が、ああだこうだと回避しているんです。


あなたならどうしますか。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 12:28 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
モンモン

子どものころから、私は、注射嫌いでした。
風邪をひいて、医者に行くと、当時はペニシリンが標準でしたから、
これを尻に打ちます。

多分、一番痛くない場所なんでしょうね。
お医者さんから、ズボンを下ろして、と言われると、
もう情けないくらいおどおどして、ペニシリンを打たれるんだ、と、
泣き出しそうになったくらいです。


大きくなってもこの恐怖感が原点にありますから注射は大嫌いなんです。
私の友人が、糖尿病になったんですね。
もともと不摂生なところがあって、病状が進み、
いよいよ日常でも、インシュリンを注射しなければいけない、と言うところまで来てしまったんです。
で、たまたま会って話をしていたら、インシュリンを打つ時間になった、と、
私の目の前で、一式道具を取り出して、

腕まくりをして、自分で注射するんですね。
私は恐がりですから、まともに見ていられない。
で、絶対に、糖尿病にはなるまい、と思ったものです。


ですから、よく、麻薬中毒になってしまうと、
ほとんど年がら年中注射器で打つという事ですから、
よくぞそんなことができるな、と。
麻薬の誘惑より、注射の恐怖の方が絶対に強いので、
どう転んで、麻薬に手を出すことはない、と冗談に言ったものでした。


そもそもが、体に何か刺すなんてことが嫌なわけですから、
寝違えようと、ぎっくり腰になろうと、五十肩になろうと、
鍼を打つという事がダメなんです。
痛くないから、と言われて一度だけ鍼を打ったんですが、
痛いとか痛くないとか関係なく、施療中恐怖心があって、
あんな思いは二度としたくない、という事で、
以来、鍼はどんな状況でも打ったことがありません。

 

さ、そこで、とても不思議なのは、入れ墨です。
あれが理解できない。
第一、入れる時は痛そうじゃないですか。
ネットで調べてみました。
刺青 痛い、と検索したのです。
すると、どんな情報も、痛い、と書いてあるんですね。
ざっとまとめると、
ともかく痛いそうです。
細い針が束ねてあって、これが電気の振動で、肌を刺すわけです。
で、凄く痛い所とさほどでもない所とあって、
皮膚と骨が近いところ、つまり、肉のあまりないところ、は、痛いそうです。
多分一番痛いのは、膝頭だろう、と書いてありました。
そこで、膝頭に何かしらの文字なり図案なりを彫りこんだとします。
痛いのは我慢したとして、足を延ばした時は、しわに隠れて元の文字が読めないでしょ。
逆に、伸ばした状態で、墨を入れると、ひざを曲げたときに、間延びしたものになってしまうでしょ。
どっちを基準にするんでしょうね。
文字だとしたら、長体が掛かったり、平体が掛かったりでしょ。

凄く痛いところ、痛いところ、まあ何とか我慢できるけど痛いところ、といくつか分けられるそうですから、
何処に彫るかは、事前に調べておいた方がいいですね。

ま、余計なお世話ですが。

 

それにしても、外国人は刺青をしますね。
サッカーの試合など見ていると、大概の選手が腕に彫り物をしています。
一体何の意味があるんだろう、と考えてしまいますね。
ま、総じて日本人は刺青を嫌いますので、文化の違いと言えばそれまでですが、
墨を入れる時痛いのは何国人だろうと変わらないでしょ。
痛がりの私には、この辺がどうもよく理解できません。

 

こんな記事を見つけました。
スエーデン人のある母親が、子どもが生まれたので、その記念に、と子どもの名前を腕に刺青したんですね。
で、彫り師の所に行って、こう言う名前を腕に彫りたい、と。
字体や字の大きさ等相談して決めて、彫ってもらったんだそうです。
で、しばらくして、よくよくその彫り物を見ると、子どもの名前のスペルが違っていた事に気づきます。
KEVINがKELVINとなっていたんです。
この母さん、一度彫ったものはなかなか消すのが大変で、
一文字のために、また痛い思いも嫌だ、と、
いろいろ考えた挙句、
なんと、役所に行って、名前のスペルを刺青の通りに改名したのだそうです。
ケビン君がケルビン君になったわけです。
何か、本末転倒もいいところですね。
全く馬鹿げた話です。

この類の間違えは結構あるそうで、
一度間違えを体に刻み込んだら、一生恥じをさらすことになります。
もっとも、私の価値観から言うと、

刺青そのものが恥をさらしているようなものですけどね。

 

 

| 水嶋かずあき | あれこれ | 10:22 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
落ちてきた睡眠力

大体、年を取ると睡眠時間が減るようです。
これは、代謝も落ちるのですから、
要は、生命力と言ったことが落ちてきている、という事なんでしょうね。
歯がもろくなったり、目が遠くなったり、耳が聞こえずらくなったり、
まあ、驚くほどさまざまな機能が劣化してきます。
ですから、生命活動として健全だったころの機能の一つとして、
よく眠る、ということもその力が落ちてきているんじゃないでしょうか。
いわば、睡眠力、とでもいえることです。

 

この睡眠力が落ちてきたと実感したのは、
60代後半になって。
もっとも顕著に表れたのは、
朝起きがつらくなくなったんですね。
ひょい目が覚めると、そのまま起きてしまう。
時にまだ朝日が昇る前でも、体は動けるんで、
起きてぶらぶらする、という事になるんです。
なんかの拍子に、布団の中で目が覚めて、起き上がるか、そのまま横になっているか、
ま、どうでもいいことを悩んで、
まだ、四時だし、しばらく横になっているか、と。
で、そのまままた眠りについてしまい、1時間ほど睡眠がとれた時など、
なんとなく、儲けた、という感じがするほど、
十分に寝ることができなくなってきたのです。

 

睡眠については、様々な研究が行われていますが、
人生の三分の一は寝ているわけですから、
いかに生きるか、という事の追及もさることながら、
三分の一の有意義な過ごし方、として、
有意義な寝方、という技を身に付けることも大事でしょ。

 

ともかく、若いころはどうしてあんなに眠たがったんでしょうか。
一日、8時間は寝ないと体調がすぐれない、という状態でした。
そんなくらいですから、何処でも、ちょっとした拍子に寝てしまいます。
映画館で、睡魔に襲われることなく、最後まで一本の映画を見る、という経験はありませんでした。
これは年を取ってもそうで、映画館に行かなくなったのは、
途中で寝てしまうことがはっきりしているからです。


怖いのは、運転の途中で、睡魔に襲われることです。
実は何度も、瞬間的ながら、居眠り運転をしたことがあります。
幸いなことに事故につながることはありませんでしたが、
ハンドルを握りながら、どうしてこのタイミングで眠くなるんだ、
と思いつつ、目を閉じてしまうんですね。
いやあホント怖いことです。

 

学生時代、電車で居眠りをして、乗り越すなんてことは、
年がら年中でした。
終電で乗り越し、鴨の宮から、とぼとぼと帰路についたこともあります。
そんなくらいですから、乗り越し恐怖症なってしまったんですが、
それでも電車の座席に座ると寝てしまうんですね。
ある時、寝てしまったことに、脳みそが気づき、
起きなきゃ、と。
で、目が覚めて、乗り越した、と思ったんです。
それまで、そういうことの繰り返しだったんで、反射的に席を立って、
ドアに向かった歩いたんですが、
なんと、まだ横浜だった、という事がありました。

 

今考えると、何処でもいつでも寝れたという若さが懐かしいですね。

最近は、ほぼ、起きる時間に制限がないので、
好きな時間に起きて好きな時間に寝る、という生活になっています。
で、好きな時間に好きな過ごし方ができるんですから、
昼寝をよくします。
昔だったら、仕事中ですから、とても考えられない事なんですが、
今は勝手に出来るんで、昼前後に、2時間ぐらい寝ることがあります。
ま、それらの時間を足し算しても、一日いいとこ、6時間でしょうか。
つまり、4時間足す2時間で6時間、という事です。

 

いずれにしても睡眠の質が落ちてきてるようです。
その証拠に、年がら年中夢を見ているんですね。
その昔、目が覚める寸前に夢を見る、と言われましたが、
どうもそんなことはないようです。
眠りが浅いせいもあると思いますが、
かなり夢を見ることが多く、しかも、ある程度見る夢のテーマをリクエストできるんですね。
これは楽しいでしょ。

見たい夢を見る能力が高まったのです。


数日前です。
ユニディで買ってきたハンドソー(手持ちの丸鋸電動機)を

棚を作るのに使ったんですが、腕が落ちたんでしょうね。
なかなかまっすぐ切れない。
ああ、年を取ったな、と実感していて、

そんないささか無念な状況が脳裏にあったのだと思いますが、
このハンドソーを扱っている夢を見たのです。
で、その夢の最後で、と言うか、その場面で目が覚めたのだと思いますが、
ハンドソーを箱に引っくり返して入れて、ノコの面を上にすれば、
テーブルソーになるじゃないか、という事を言っている夢を見たのです。
起きた瞬間、そりゃそうだ、と。
で早速、厚手のベニヤ板で箱を作り、それにハンドソーを収めて、
テーブルソーを作ってみました。

夢でアイディアを得る事ができたのです。


睡眠力の低下も、時に、いいことがあるんですね。

 

| 水嶋かずあき | あれこれ | 09:48 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
土用丑の日の心配

日本は、四季がはっきりしている、とよく言われます。
したがって、四季折々の季節に応じて、食材も変化し、
その時おいしくなる食材を、旬、と言います。
日本料理は、この旬を重視していて、
旬の食材を活用した献立が求められるので、調理人の頭の中では、
旬の食材リストと言ったものが、ストックされています。
腕のいい板前の条件として、旬に応じた献立が立てられる、と言う能力が求めらることもあって、

そのリストは必需品の一つです。
しかし、その旬も、本来のおいしい時期が、世情で変わってしまう事もあります。


いい例が、鰻です。
うなぎを旬の食材リストでチェックすると、
7月に挙げられています。
これは、江戸の頃、通説ではありますが、平賀源内が、
知り合いのうなぎ屋に頼まれて、本日土用丑の日、と看板書きしたのだそうです。
今で言えばキャッチコピーを墨痕鮮やかに書き、鰻屋の店頭に掲げたところ、
これが評判になり、繁盛した、という言い伝えがあります。
しかし、それ以前に、夏痩せ対策として、鰻を「薬食い」していた時代があったのです。
薬食いとは、健康対策として摂るもので、おいしいとか何とかより、
体にいい、という栄養主体の食べ方のことです。
ま、とはいえ、鰻ですから、おいしいも当然ついてくるわけです。
で、このタイミングとして、夏の土用丑の日という事になっていて、
それなりの根拠があるようですが、
現代では、ほとんど意味のない言い伝えに過ぎない、と私は思っています。
年に一度ぐらい、鰻を食べるのも悪くはないだろうと思うんですが。


とまあ、うなぎと土用丑の日の関係があるので、旬の食材リストでは、
うなぎの旬は、7月という事になっていますが、
あくまで人間の都合の話で、本来の旬ではありません。
ごく自然状態での鰻の旬は、初冬なんです。
10月から12月辺りにかけてです。

とは言え、現在のうなぎの供給は、99%が養殖ものですから、
その昔吟味されてきた大自然の営みを前提とした旬の評価とは違ってきているのです。

 

さて、そのうなぎですが、
どうも、今夏の「土用の丑の日」では、かなり値上げされそうなんです。
もともとうなぎは高い食べ物でしょ。
250gから280g程度の、一番人気があるサイズのうな重で、
3000円台、というのは、結構普通でしょ。
それがさらに値上がりしそうというんです。
今年は特に、稚魚が不漁だそうで、これがうな重の価格に直接的に反映するんですね。
おおもとの稚魚が不漁だと、当然その時点で値上がりします。
大体、日本でのシラスウナギの相場は、今年高騰して、1キロ315万円。
1キロのシラスウナギは、およそ5000匹なので、
一匹当たり630円。
あの、細く小さいウナギの稚魚が一匹630円です。
これが歩留り100%で、すべて成鰻に育ったとしても、

養殖する餌代をはじめ、色々と経費が掛かるでしょ。
したがって、当然630円を超えた金額になるのです。

 

1キロ315万円と言う価値は、
純金が480万円ぐらいが今の相場。
プラチナが330万円。
ちなみに、銀は、1キロで5万円前後。
ですから、鰻は、金より安いけど銀よりはるかに高く、
プラチナとほぼ同じ価値を持つ、と考えてください。
なんかおかしいですよね。

 

今までは、なんだかんだと、あちらこちらから、シラスウナギを集めて、
国内で養殖してきました。
日本の河川に遡上するウナギだけでは間に合わないからです。
主には、香港がその輸入先でしたが、
もともと香港では鰻の稚魚の漁をしていないのですから、
正確には、香港経由で輸入する、という事です。
出所は、ほぼ100%台湾です。


日本のうなぎは、ニホンウナギと言う種で、
北半球の太平洋沿岸でしか生息していません。
とは言え、南半球でも又赤道直下でも、大西洋側でも、
他の種のうなぎはいるんですが、微妙に違いがあるんですね。
でもそこは、養殖の仕方で、味的にはかなりカバーできるので、
結果として、普通に市場に出回っています。
まあ、ほとんどその違いは分からないでしょうね。

ともかく、今年はその2軍の連中も、なかなか手に入らないようなので、
このまま行くと、今年の土用丑の日には、
とてつもない高いうな重を食べるか、
諦めて食べないか、という選択になりそうです。
今から覚悟しておいてください。

| 水嶋かずあき | グルメ | 07:46 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
前後のつなぎ役

先日、スーパーの店頭に並んでいるそらまめを見かけて、
そらまめごはんを食べたい、と思って、ほぼ衝動買いなんですが、
一束買い求めました。
結構なボリュームのそらまめも剥けば少なくなってしまうんですが、
我が家では、ご飯を炊く量が2合が基本なので、
まあ十分だろうと、考えたんですね。


さ、そこで早速、翌朝、豆を剥いたのです。
そらまめは分かりやすい豆で、ふっくらしたところに、
豆が入っています。
莢を爪ですじを入れ、ぱくっと剥くんですが、
この時、中から、新緑鮮やかな豆が出てきます。
莢のふくらみが大きければ大きい豆が、細めなら小さい豆が入っています。
何十個を剥きながら、なんとなく妊婦さんを連想しました。
ふくらみが大きいのは、そろそろ臨月という事、
小さいのは、まだ5,6か月目、という事です。
大きい豆は、ぽろっと出てきたとき、無事ご出産という事でしょうか。
一方、小さいからと言って、時間を掛ければ大きくなるわけじゃないので、
小粒を承知で剥きます。
小さいので、未熟児のようなものですが、
でも、豆は豆。


剥きおわった豆は、いったん3分ほど塩ゆでします。
茹った豆は、水に取り冷やして、皮を剥きます。
もっと緑の鮮やかな豆が出てきます。

ちょっとけち臭い話ですが、剥いた皮をどうにかして食べられないか、

と思って、一応は口に入れてみたんですが、かなりえぐくて、

一度乾燥させて、油で揚げるとかしないと、食べれそうもありません。

それ程の食材でもないので、これはあきらめて廃棄しました。


ご飯は、薄味ながら味付けし、これはこれで炊きます。
で、炊きあがったところで、ご飯に茹でた豆を混ぜます。
釜に豆を入れて炊き込むと、柔らかくなりすぎますので、
炊き込みご飯と言うより、混ぜご飯ですね。

そこで食レポ。

いやあ、おいしかったです。

豆の香、そら豆独特のコクのある味わいは、まさに旬の食べ物ですね。

 

そらまめは、蚕豆とも空豆とも書きます。
蚕豆と言う表現は、まさに字の通り、
蚕にその姿が似ているというので、付けられたようです。
莢の内側は白い綿状のものが敷き詰められていて、
まるで極上のベッドのようです。
次の命の源泉を育てる親の優しさのようなものを感じます。
空豆と書く方は、実はこの豆、枝になった時、
何故か空に向いて成長するんですね。
あの太く重い莢が、枝からぶら下がるのではなく、
ぐいッと上向きになっているんです。
まあ、普段は枝についているところは見ないので、
想像では、空を向いているとは考えないですよね。
ま、ともかく、そんな特徴を名付けられて、空豆なんですね。

 

で、そらまめを剥きながら、ふと考えたんですが、
一個一個の大小入り混じりの豆を見ながら、
こいつらは、何のために生まれてきたのだろうか、と。
まあ、たまたま人間の食料として管理されてきて、
秋になって大地に蒔かれ、すくすくと育って、収穫されて食べられてしまう、と。
おそらく、食べてしまうというところが人間が勝手に書き換えた運命なんでしょうが、
本来は、何の邪念もなく、すくすくと莢の中で育ち、
ふかふかのベッドで大きくなり、いよいよ次の生命を育てるために、
莢から飛び出す。
地に落ちて、やがて根を張り、次の命を育てる、
そのプロセスの一つとして、この世に登場したんですね。


地球の命、38億年の歴史の一環として、
この世に登場したんです。
まあ、たまたま、私に食べられてしまいましたが、
そもそもはそういう使命を負っていたんですね。
何か、一粒一粒の豆を見ながらそんなことを感じてしまいました。

考えてみれば、私達もそらまめと何の違いもない。
命の系譜を受け継いできて、
命の系譜を受け渡す、その中間の存在に過ぎないんですね。

 

| 水嶋かずあき | グルメ | 09:09 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
防災のコスト

ネットで、あれこれ情報を探していると、ある広告に出会います。
きっと、かなりの確率で、そのタイトルぐらいは読んだことがあると思います。
それは、防災士が選んだ防災グッズ30点、というやつです。


そもそも、防災士とは、NPO法人(特定非営利活動法人)「日本防災士機構」が、
防災に関する一定の意識、知識、技能を持った人を認証する民間資格です。
まあ、それなりの内容の受講をし、試験の結果、得られる資格なんだと思いますが、
その目指すところは、自助・共助・協働を原則として、
社会の様々な場で防災力を高める活動が期待され、
そのための十分な意識と一定の知識・技能を修得したことを、
日本防災士機構が認証した人、という事です。


一体、どの範囲まで、またどの様なレベルまで、知識を身に付けたのか、
定かではありませんが、
私は、防災関係の活動を、20年ほどしてきて、
こう言うシステムがあることをよく知りませんでしたし、
彼らが、この制度の目的をどの程度実践しているかは、大いに疑問なんです。
確かに、防災に関する基礎的な知識は一人でも多くの人が持つことは必要だと思いますが、
ともかく、こと防災に関しては、
自分は死なない、と思っている人がほぼ100%で、
この現実を突き崩さないと、真の防災力は向上してこないのではないか、と考えています。

 

さて、その防災士が選んだ、という防災グッズです。
ネットで防災士が選んだ防災グッズ、で検索すると一発で出てきますから、
それを参考にしてください。

ここでは、すべての詳細には触れませんが、
およそ30点のものが入っています。
まず、この商品を買った人は、一度、中をあけてチェックし、
リックに戻しておくべきものと、家の中で保管するものとに分類すべきです。
例えば、懐中電灯とラジオが一緒になった回転ハンドルで発電するタイプのものが入っています。
これは、なかなかすぐれたグッズで、確かに、一家に一台欲しいものですが、
これがリュックの中に入れっぱなしだとすると、
夜中に地震が発生した場合、暗闇の中で、
リュックをさがし、その中から取り出す、という事をしなくてはいけません。
最低限、懐中電灯の類は、枕元に、フックかなんかでぶら下げておかなくては、有効に使えません。


ですから、この類のことをよくよく吟味し、なんでもかんでも
30点もいろいろあるから、先ずはこれ一つで一安心、
みたいな事になると、まさに宝の持ち腐れとなってしまうんですね。

さらに、その30点の中に、防災の手引きと言った、シオリもカウントされています。
ま、防災の基礎的な知識を付けるとしたら、重要なことなんですけど、
それも30点に含まれるのか、とちょっと疑問ですね。
取扱い説明書を、商品の内容にカウントするようなものです。
梱包に中に、商品本体と、取扱説明書が入っています、みたいなものでしょ。


また、その中に、長期保存のできる500ミリリットルのボトルが
4本入っています。
ちなみに、水の必要とされる量は、
一人一日3リットル。
それと3日間分、計9リットル、と言われていますけど、
まあ、一時しのぎにはなるでしょうが、持ち歩きとしては、まあまあ適当な量かもしれません。

 

30点ですからすべてを紹介できないのですが、
この内容を見ながら、これって、何のためのものだ、と疑問が生まれてきました。
で、よくよく考えたら、
避難所での生活がある程度想定されているようなんですね。
なるほど、それは確かに、着の身着のままよりはましかもしれないけど、
避難所の生活と言っても、状況がさまざまで、
画一的に必要かどうかは決めきれないでしょ。
何より、このリュック、一人用なんですね。
ですから、3人家族なら、3個、5人家族なら5個必要です。
五人が五人、懐中電灯をぐるぐる回すんですかね。
どうもその辺の想定が、十把ひとからげのような感じがします。
そして価格は約2万円。
ううん、コストとしてどんなもんだろうかと疑問ですね。

 

ちなみに、わがマンションでは、住民に対して、
ひとりあたり、3リットル、3日分のペットボトルを用意することになっています。
ざっとですが、1世帯2,5人として、22,5リットル。
これらのペットボトルは2リットルが6本入りでひと箱なので、
1世帯2箱がちょうどいい所です。
これを用意すると、大体5年の長期保存もので、250円から300円。
総数で、1300本あまりなので、ゆうに30万円はかかります。
そこで、考えてみたのですが、普通の2リットル入りの水は、
一本約80円ぐらい。
消費期限は2年半。
だったら、2年半に一度取り換えればいいわけですから、
コストは80×2で、160円。
およそ6割程度の支出で済みます。
しかも、2年に一度は、この水を使えるんですから、
ずっとお得でしょ。


防災もコストを考えるべきですね。

| 水嶋かずあき | 環境 | 12:29 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ご先祖様の血

アトラトル、という道具があります。
この形状は、棒の先にオタマのような受けがあって、
この受けに、槍の尻を入れて、このアトラトルを振り回すと、
単に手で握って投げるより、るかに遠くにやりが飛んでゆきます。
いわゆる、テコによる力の拡大作用を道具にしたものです。
おそらく、大半の人がそれはなんだ、と思うはずです。
そういえば昨年、世界の果てまでイッテQ!の中で、
芸人の「みやぞん」がアトラトルに挑戦し、
100メートル先の的に当てる、という企画があって、
ご覧になった方もいると思います。


ま、ともかく、古代の槍投げ、と紹介されていましたが、
その言葉通り、現代では、廃ってしまいましたが、
これを文化的受け継ぐ地域があるにはあるんですね。

 

で、その古代の投げ槍機が、

われわれ人類、ホモサピエンスの住居跡の遺跡から発見されたのです。
おそらく、3万年前後の時代を経ていると思われます。
正に、古代の投げ槍機です。
いや古代すぎますか。


ともかく、まだそのころはネアンデルタール人と、
時に共存しながら、地球上に各地にその生息域を広げていっている頃でしたが、
体力的に優れていたネアンデルタール人が、どうして滅んでしまったのか。
また、どうしてホモサピエンスは生き残り、今日の繁栄を得たのか、
と言う比較がかなり深く研究されています。
その比較研究の中で、遺跡から発見されたものを見る限り、
古代の先祖が、なぜ生存競争に生き残ることができたのか、と言う要因は、

道具のいくつかを挙げられる、というのです。

 

ネアンデルタール人は、ホモサピエンスと同じ先祖を持ち、
同じくアフリカを発生としているのですが、
時代的には、ホモサピエンスより一足お先に生息域を広げ、
主にヨーロッパを中心に、勢力を拡大していました。
そして、ちょっと遅れて、同じくアフリカでわれらが先祖が発生し、
やがてホモサピエンスもアフリカを出て、
中東から、各地に散らばってゆきます。


特に、ヨーロッパでは先住のネアンデルタール人と出っくわすわけですが、
少なくとも遺跡等からは、争った形跡はほとんどないそうです。
ま、ネアンデルタール人は穏やかだったのかもしれません。
争うどころか、交流があって、ネアンデルタールとホモサピエンスは、
混血の人種を作り出します。
私たち日本人のDNAにも、2%ほどのネアンデルタールの血が混じっているそうです。

ま、そういういう関係です。
で、その屈強で、賢い(脳みその容量は我々より、1割ほど多いのだそうです)
ネアンデルタール人は、何らかの理由で滅んでしまった。
逆に我々は、生物的には、パワーが劣っていたようですが、
生き残ることができました。
その違いを、主にこのように説明されています。
まず、ホモサピエンスの集団の人数が多かったようです。
ネアンデルタール人は、いいとこ十数名ぐらい、まあ、ちょっとした家族レベルが単位。
そこへ行くと、ホモサピエンスは、時に数百人と言う集団を作っていて、
狩りをする時など、この塊は大きい方が有利だそうです。
ま、そうでしょうね。

 

次に、ネアンデルタール人は、石器を使っていたのですが、
万年単位の変化をみると、ほとんど進化していないのだそうです。
ところが、ホモサピエンスは、新しい石器を次々と開発して、

優れた武器を持っていたようです。


この狩りをするための道具に、冒頭のアトラトルがあったんです。
我々のご先祖様はなかなかやるでしょ。
てこの原理で槍を投げるんですから。
これによって、遠距離から、危険を少なくして、
大型のけものを仕留めることができるようになったんです。
ここらのところが、栄枯盛衰の分かれ目の一つだったようです。

 

まあ、一つの種が絶滅するんですから、それだけではありませんが、
ご先祖様の知恵が、今の私たちの存在につながっている、
と考えれば、創意工夫こそ、種の繁栄の原点なのかもしれません。

 

ちなみに多くの遺跡から分かったことですが、
ホモサピエンスが生存競争、今の戦争ですね、これに負けて、
大量に死んだと思われる遺跡があって、
詳細に調べてみると、
ホモサピエンス同士の衝突だったようです。

争いが絶えないというのも、ご先祖様の血なんでしょうか。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 17:01 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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