水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
200年続くツケ

問題を解決するのには、いくつかの選択肢があるものです。
で、その選択肢について、時に賛成だったり反対だったり、
それぞれの価値観で、考え方を決めてゆきます。
時に我が意見に賛意を得たいと思えば、議論をし、我が選択肢の意義とか、優位性を説きます。

しかし、相手も同様なわけで、

必ずしも、すべての議論が、十分に相手を納得させられるものとは限りません。
状況によっては、真っ二つに割れて、どこに解決の糸口を見出すか、という事もしばしばです。
で、こう言う状況になって、さてどうしようか、と言ったときに、
第三者の判断がかなり有効になります。
要はこれが国政選挙です。


選挙の本質は、問題を提示し、賛否を問う。
極端な話、全員一致で事が決まる内容を、選挙で民意を問う、という事はしないでしょ。
どちらの選択をすべきかと言う時にこそ、民意が重要になる。
で、今期の国会で二分された状況になったのは、
戦争法案と、共謀罪など、二度がありました。
本来は、こう言う案件こそ、争点となるべきでしょ。
これ以外は、ごく普通の議論をしてきたじゃないですか。
ましてや、教育の無償化なんてことが議題上がっていて、

マスコミまで巻き込んでの大論争が展開された、なんてことはなかったですよね。
またこれは、認識の違いがあって、個人差が大きい問題なんですが、
北朝鮮の脅威についても同様です。
実は、ほとんどこの脅威に関しては日本は当事者にもかかわらず、
米朝の対峙により、一歩後ろで成り行きを眺めている、という感じでしょ。
頭ごなしに米朝がやりあって、日本の頭ごなしにミサイルが飛んでいる。
しかし、なんとなくですが、国民は、まだまだ他人事でしょ。
何とかなるだろう、と。


そこでです、この教育の無償化と、北のミサイルが、国民にとって、
これは国難だ、という認識があるとは思えないんですね。
政治のてっぺんではそう見えるのかもしれませんが、
少なくとも、北のミサイルが問題で、国難と言うほどの臨戦状態なら、

それこそ解散どころでないでしょ。
そのことへの対応について、国会内で意見が割れて、
だったら国民に意見を聞こうじゃないか、という展開はなかったと思うんです。
なんだか、仮想の問題を針小棒大に表現し、
国難だ、国難だ、と騒ぎ出したような感じがするんですね。

 

実は、驚いたのですが、昨日の首相の記者会見は、
YahooもMSNもともに、ヘッドラインの中に、そのタイトルがありませんでした。
客観的に世情としてみれば、その程度のニュースバリューしかなかったのか、
と思うんです。

これらのサイトの編集者の価値観にもよりますが、
彼らは事の本質を、人々がどのように興味を持つか、
と言う観点で、記事を並べていると思うのです。
少なくともそれぞれ代表的な検索サイトにもかかわらず、
これにヘッドラインに上がってこなかった、と言う程度で終わりにされたのですね。


私は、夕方、たまたまテレビを見ていたら、
首相の記者会見が中継されていてので、
じっくりと観ましたが、感心したのは、最初の数分だけ。
そのあとは、要は自慢話。
私はこんなにやってきて、成果が多かった、と。
そこには、森友、加計に関する反省も失敗の報告もありませんでした。
ただただ、私は、大いなる実績を積み上げてきた、と。
ここらから、ちょっと残念な内容だな、と思ったのですが、
後半、国難突破解散だ、なんて言いだした途端、頭の中は????のマークが渦巻き始めたのです。
そうか、日本は今、国難に直面しているんだ、と。
知りませんでした。
国難って、一大事でしょ。


そもそもが、国債発行残高が1000兆円になるとか、
原発について、核のゴミの処分方法が決定していないとか、
現在日本国が直面している未解決の大問題があったとしても、
これは、自らが作り出した状況でしょ。
少子高齢化だって、日本国民が選択した結果でしょ。
これは国難とは言わない。
少なくとも、大飢饉とか、大地震とか、自然の力に生活が大きく破壊された時とか、
元寇のように、外国の軍勢が攻め入ってきたような時は、国難、とでもいえるでしょうが、
自分たちの政策ミスで生じたことを国難、と言うのは

責任感とか、当事者意識が欠如していると思うんです。
ですから、記者会見で、私の力不足により、大きな問題を作り出してしまいましたが、
この国難を打破するために、とか言うなら話は分かりますが、
まるで他人事のように、社会現象を国難とたとえる無神経さに、実はあきれ返ってしまったんです。
とても自分勝手な人だな、と言うのは、記者会見の印象です。


自民党支持者の方は、こういう意見を不快に思うかもしれませんが、
ここは冷静に見たほうがいい。
こうして、世論を誘導しようとしているのです。

消費税を2%上げたとして、これを全額借金の返済に充てたとします。
全額とは、首相の言葉によれば、5兆円です。
1000兆円の借金の返済に、利息は勘弁してもらったとしても、
一年で5兆ですから、10年で50兆。
100年で500兆。
200年で1000兆なんです。
日本の、未来世代は、200年にわたって、借金返済のため、

一年間で、5兆円のお金を活用できない、状態に置かれるという事です。
200年ですよ。

私達は罪深いですね。

そんなに長々と将来の子孫を拘束してしまうんですから。

 

| 水嶋かずあき | - | 09:57 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
寄る年波には勝てません

ちょうど、30代の後半に入ったころのことです。
当時の日本人男性の平均寿命は、70代の半ば。
ですから、30代の後半に入った時に、
やっと人生の折り返し点か、と思ったものです。
単純に、年齢×2で、平均寿命、という事です。
で、40歳になった時、
いくらかおまけをして、人生の半ばは40歳としてみようと、
勝手に決めたんですね。
ちょうど今が、折り返し点だ、と。


で、若干のおまけですから、これ以上は譲ってもらえないだろう、と思ったんです。
いや、誰にゆずってもらうか、なんてことはともかくです。
ともかく、40歳になった時は、そんなことも含め、

かなり心理的に大きな変化がありました。


そもそもが、不惑になったわけで、
40年も生きてきたんだから、盤石な視点を持たなければいけない、と。
ですから、40歳に近づいたころ、そういう年になったら、そういう考えになれるのか、
と、バカな話ですが、あなた任せ的な考えで、
不惑と言うある心境になれるんだ、とか思いこんだんですね。
でも、考えてみれば、年が人間を形成するわけではなく、
年によって得た経験が人間を形成するのですから、
40歳になれば、
誰もが、不惑たる視点を持てるわけではないわけです。
そこで、そのことに気づき、いささか、惑ったのですね。
不惑の年に惑った、と言うのが実にバカなことなんですが、
実際そういいう事だったのです。

 

で、いろいろ実際と、不惑の本来とかを思いめぐらし、
ではなぜ孔子は不惑と言ったのか、とかまで考えたのです。
で、結論は、惑わず、ではなく、惑うまい、という事か、と。
要は、40歳と言うのは、明らかに肉体的能力が一段と低下します。
今まで100達隠寡誕罎箸で走れたのに、
全力疾走そのものが、50メートルも走れなくなったとか、
ちょっとばかり老眼ぽくなってきて、字が読みずらくなったとか、
何より、一晩寝ても疲れが抜けない、とか。
まあそれは様々なところで、
若いころの能力が失われてきた、という事を実感するわけです。
だから惑う。


これから先の、肉体的衰えを、漠然と思い浮かべ、
いささか、未知の領域に対する不安を感じるわけです。
ですから、40歳になった時に、
それまでと異なる考えを持つようになったことは、
命そのものに対する価値観だったと思うのです。
命は、なんだかんだと肉体の存続のことです。
肉体的な衰えは、即、命の衰えなんですね。

で、人生折り返し点になった、と言う時点で、
その先に見るものが変わったわけです。
つまり、折り返し点にたどり着くまでは、
折り返し点がとりあえずの目標でした。
それはそれなりに自分の人生の、望ましい状況を想定し、
それなりに希望を持ってそこに向かうのですが、
折り返し点をぐるりと回った時、その先に見るものは、ゴールです。
まあ、マラソンで考えればそういう事でしょ。

 

で、このゴールとは、要は「死」じゃないですか。
まともに見たくないゴールですが、否応なしにそれは避けられない。
つまり、いいかえれば、避けたい事実ではあるものの、
受け入れざるを得ない事実でしょ。


で、あれから、30有余年。
年々、このゴールがリアリティを持って近づいてくるわけです。
そうなると、逃げようもないので、

正面から対峙しようという気構えを養うことになるんですね。

70才を過ぎてからは、そんな歳月になりました。
どのように自分の人生を終わらせるか、という事です。
まあ、こればっかりは、神のおぼしめしなんだから、
その時が来たら、来たで受け止めるしかないのですが、
何より、そういう考えを徐々に進展させるのが、
歴然と感じる肉体的な衰えです。

 

髪が薄くなるとか、目がますます遠くなるとか、
耳が聞こえずらくなるとか、そんなことは大した話じゃないのです。
一番は、ちょっとした動きで、疲労が蓄積することです。

 

昨日は弦斎まつりで、一日うろうろと会場の中を歩き回っていました。
もっとも、弦斉弁当を調製しましたので、

事前からそれなりに仕事をしたのですが、
それにしても、すでに昼ごろには腰が痛くなり、

夕方には、腑抜けのようにぼおっとしてしまったんですね。
最悪なのは、夜寝てから、一時間後ぐらいに、両足がいっぺんに釣ったことです。
これは朝まで、1時間おきぐらいに、場所を変え足がつり続けました。
まあ、肉体的に無理をすると、こう言うことが顕著に出てくるんだ、と再認識です。

 

無理のできない年になったんですね。
すいません、愚痴っぽい話で。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 07:23 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
争いのおおもと

20世紀を戦争の世紀と言う人がいます。
大きくは、第一次、第二次世界大戦のほか、
アジアでの独立戦争、朝鮮戦争、ベトナム戦争など、

正にあちらこちらで、ドンパチがありました。
で、21世紀になって、世界大戦レベルの戦争は起きないものの、
いわゆる小競り合いやら、テロやら、
人間は人間に殺される、と言う時代であることは変わりないようです。

 

どうして人間はこうも、我欲が強く、同胞の命を軽んじるんでしょうね。
何とかならないのか、と言うのが、一般的な市民の思いだと思うのです。
おそらく、ごくごく一部の宗教的理由やら、民族的な軋轢やらが理由のところはともかく、
総じて、そこに暮らす人が、戦争を歓迎しているとは思えないんですね。
でも、争いは起きる。
それは争いをしてやろうじゃないか、という好戦的リーダーが存在しているからです。
人はこの好戦的リーダーに惑わされやすい。
多くのばかばかしいような戦争の発端は、
好戦的リーダーの一存で始まっています。
つまり、アメリカと北朝鮮が一戦交えるとしたら、
アメリカのリーダー、北朝鮮のリーダーの一存で開戦されるはずです。

 

さて、このように21世紀も、血なまぐさい出来事が延々と発生しています。
現在、紛争地域と言われる国、および地域に住む人は、世界で、23億3000万人。
地球人口は74億人ですから、

およそ3人に1人、32%の人が紛争に巻き込まれていることになります。
もちろん、だからと言って、今が今、銃や爆弾で簡単に殺されているわけではないと思いますが、
戦闘に、巻き込まれて大怪我をしたり、命を落とす可能性がある、という事です。


まあ、少なくとも、今のところ日本では、戦闘に巻き込まれて、
死ぬなんてことは考えられないでしょ。
いや、今のところは、ですよ。
で、世界では、改めてどんなところで、戦闘状態にあるのか、という事なんですが、
これがまたうんざりするほどたくさんあるんですね。
なんと、27カ国ですって。
まずは、イスラエルとパレスチナの紛争。
これは解決のめどが立っていない。
他に、イラク、シリア、アフガニスタン、パキスタン、リビア、イエメン、ソマリア、
南スーダン、中央アフリカ、ニジェール、マリ、ナイジェリア、そしてニジェールなど。
またミャンマーのロヒンギャなんかも新たな火種ですね。
戦争、紛争、内戦、とまあ、なんでも表現は良いのですが、
要は、一般の善良なる市民が、平穏な暮らしができない、という事に変わりはないでしょ。


戦争は、偏った民族主義によってはじまります。
内戦は、偏った格差社会からはじまります。
銃を持って立ち上がる人々は、
ごく一部の宗教的な偏りに毒された場合もありますが、
多くは、現状打破なんですね。
根底に、格差社会による貧困とか、文化的な生活が享受できないとか、
要は、他の皆はしているらしい平穏な暮らしが保障されていない、
しかもそれは、統治している人間たちの無能さに起因する、と言ったところが、
ある種の典型的な構造でしょうか。


これには、そもそもの自由経済、資本主義のシステムに問題があるように思うのです。
これは、経済的な競争は自由、と言う誰が決めたか分からないルールがあって、
自由に経済活動ができる。
その結果、多くの収益を上げたからといって、何の問題もない、
という事になっているでしょ。
本当に富の偏在があっても何の問題もないのでしょうか。
富を集積することは、「無限に許されることなんでしょうか。
これはある意味、独り占めが許されるという事です。
人間の理性は、分かち合いをしてきたはずですが、
事、この領域にはその歯止めがない。

諸悪の根源はどうもこの富の偏在にあるような気がしてなりません。
これが格差社会を生み出す。
底辺の人間は多くの不満を持つ。
これが時に、感情に触れると、争いが勃発する。

 

この大元になっている資本主義、自由経済のシステムを、
そろそろ時代に応じたものに、再構築する必要があるんじゃないでしょうか。

いやいや貧乏人の僻みとして言ってるわけじゃありません。
イエス様だって、何度も、
金持ちが天国に行けるのは、ラクダが針の穴を通り抜けるより難しい、
と言ってますもんね。
富の偏在が災いの源である、と看破していたからでしょ。

 

| 水嶋かずあき | あれこれ | 07:03 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
リチウムイオウ電池

今は、パソコンと普通に言ってますが、
これは、言うまでもなく、パーソナルコンピューターの略で、
個人個人に端末があるコンピューターのことです。
しかし、コンピューター開発の初期段階では、
個人が端末を持つなんて発想もなく、
何よりその容量が大きく、少なくとも、持ち運びなど、不可能なものでした。
たまたまあるきっかけで、コンピュータを使いこなせるようになることが大事だ、
と思い、今から40年前になりますが、ビジネスコンピューターを買ったのです。

価格もさることながら、そのでかさ。
およそ普通の事務机ほどのサイズでした。
そんなころからのお付き合いですから、
今のように、スマホの持っている機能などと比較すると、
月とすっぽんどころか、太陽とすっぽんぐらいに進化を感じます。


今や、小さかろうと、IC、集積回路を組み込んで、

これらの判断でものが動くなんてものは、山ほどあります。
このような進化と、その動力源としての電池の機能は、

まさに正比例するように進化してきました。

次々と様々な方式の電池が開発され、
その能力が、機能の向上や、容積の小型化に大きく影響してきたと思っています。


ビデオで、SCNクラブの作品を撮影したりするんですが、

(10月には、私が担当した作品、八幡様のぼんぼりまつり、が放映されます。)
出かける前にチェックするのは、電池の残量です。
当然少なければ充電します。
そういえば、今までのガラケーの携帯からスマホに変えて、
何が戸惑ったか、と言うと、年中充電していなきゃいけない、という事ですね。
もっと性能の高い電池はないのか、としばしば思ったものです。

 

と、こんな記事をネットで読みました。
それは新しいタイプの電池についてです。
新電池は、まず、性能が、従来のリチウムイオン電池の3・3倍ですって。
今まで二日に一回一充電していたスマホは、
1週間に1回すればいいことになります。
これは素晴らしいことでしょ。
しかもです。
その製造コストは、従来のほぼ半分。
今までのリチウムイオン電池は、
1キロワット時当たり1万8000円程度なのですが、
この新電池は、5000円から1万円程度と安く出来るんだそうです。
つまりコストパフォーマンスは、なんと7倍になったんですね。
画期的でしょ。


今後の研究課題にもなるでしょうが、
この技術を転用して、あらゆる電池がこの新技術を活用すれば、
今、話題になっている電気自動車の性能も、一挙にアップするでしょ。
電池の容積、重量を小さくするという事は、車の設計上、重要なことだからです。
さらに、電池性能が上がるという事は、充電に必要な電力が少なくなるという事です。

私は、自動車産業が、エコを目指して、
ガソリン車を廃止するとか、基本的にCO2排出制限に向かって、
性能を向上させていることは望ましいことだと思っていますが、
でも、その電池を充電するのに、通常の電気を使うわけで、
エネルギーの転換率なども含めて、結果として、
一定の電力を取り出すのに、火力発電の負担が増えるなら、
これは、初期段階で毒をまき散らすのと、端末段階で毒をまき散らしらすとの比較で、
総体的に見て、CO2削減に何かしら役に立つのかしら、と疑問に思っていました。
いやいや、具体的な知識もないままの発言なんですが、これは正直な疑問です。

 

ま、ともかく、その意味でも、充電が効率的になるという事は、
これは素晴らしいことです。

前置きが長くなりましたが、この新電池はリチウム硫黄電池と言います。
旧がリチウムイオン電池、新がリチウムイオウ電池。
紛らわしいでしょ、ンとウの違いです。
ですから、この類の記事は、硫黄をイオウとは書かず、漢字で書いています。
リチウム硫黄電池、と。

 

さて、この技術開発をしたのが、東電の方で、道畑日出夫工学博士。
もともとは、東電は、系統全体の安定化のために、二次電池が不可欠だと判断していました。
例えば発電所に事故が起きて発電が止まったり、一時的に電力系統全体の電圧が急落した場合、
すぐにその分をバックアップしないと電力系統に負荷がかかり、停電してしまうからです。
そんなときに、大容量の二次電池が電力系統につながっていれば、
放電することで落ちた電圧をカバーし、
電力系統を安定させられるという事です。
つまり、電池に余剰の電気をストックしておけば、
いざという時に取り出せる、という事で、まあ、ちょっとした貯金みたいなものです。


で、こうした発想の下、1980年代中ごろから東電だけでなく、
電力各社は電池研究に取り組んでいたのですが、
その頃、火力発電所の技術力が上がり、発電効率が見る見る向上したため、
電池の開発への資力の配分は当然のように縮小され、
予算も人員も縮小となってしまったのです。
最後は、研究打ち切りを免れたものの、
地下に与えられた一室で、ただ一人黙々と研究開発を続けてきたそうです。


正に苦節25年。
紆余曲折と試行錯誤の中から、新しい技術を生み出したのです。

これはある意味、社会にニーズにこたえられる新たな産業の誕生です。
私はこの記事を読んで、感銘を受けたのですが、
この主人公、道畑日出夫さんがこう言っていたことです。


道畑さんが、以前、福島県富岡町へ復興支援活動に行き、
その地の経験で思いを新たにしたのだそうです。
そして、新た電池の開発が、新たな産業として成立することを願い、
「将来、電池事業が軌道に乗ったとき、
工場を福島県に造れば、産業や雇用が生まれる。
電池を広く世の中に役立つ存在にしたい」と。

ささやかながら、東電の職員としての贖罪の気持ちでしょうか。
素晴らしい方です。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 12:58 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
正油の正体

他国文化の日本への進出はものすごいものがありますが、

逆に、世界への日本文化の進出も目覚ましいものがあります。

しかし、この国の中で生活していて、
ニュースやら、話題としてのテレビ番組などで、
日本製品が愛好されているのを知るのは、いささか気持ちのいいものです。


工業製品の類はさておいて、
食文化の中で、日本食が広まってゆくのはうれしい限りでしょ。
筆頭に鮨がありますが、ラーメンなどもあちらこちらで健闘しています。
食材などでも、豆腐などは、欧米のスーパーなどでは、標準的に置いてあるところが出てきました。
調味料では、まさに日本食文化の先駆けとなり、醤油がよくつかわれるようです。

ちなみに、醤油は当て字ではありますが、正油とも書きます。

 

さて、そんな中、中東のドバイで、日本製の正油が禁止になったとか。
正油は、今や世界的な調味料の一つですが、
中東ではあまり馴染みがなかったようです。
しかし、すしをはじめとして日本食の人気が広がり、
これに伴って、正油もその販路を広げてきました。
で、なぜ正油が禁止になったのか、という事ですが、
アルコールが検出されたためなのです。


そもそもイスラムの国では、アルコールが禁じられていて、
当然のことながら、そのような食品は、口にしてはいけないのです。

以前、こんなことがありました。
さる、中古自動車の販売所でのことです。
月に何回か、市のように、中古車を展示して販売することを運営している会社があって、
ここには当日、かなりの人が集まってくるのだそうです。
中古車とはいえ、一台、それこそ十万単位の買い物になるので、
まあまあ客単価のいい商売です。
そこで、その日の昼になるとお弁当を出すんです。
客は、何種類かのお弁当の中から、好きなものを選べる。
もちろん無料です。
我が店では、そこのお弁当の受注をすることになりました。
ところが、そこのお客様に、中東系の国の人も混じっていて、
献立の中に、一切豚肉を入れていないものも作らねばならないのです。
これはちょっとでも入っていたら、彼らは食べないんですね。

ま、これはそういうお献立を立てればいいので、さほど問題ではありませんでした。

 

以前、そこの会場で、こんなことがあったそうです。
寒い冬のある時、まあ、親切心で、トン汁を付けることになったんでそうです。
ところが、肉をいくら排除しても、トン汁を彼らイスラム系の人は飲まない。
そこで、別の鍋に、豚肉を入れてない汁、まあ味噌汁ですね、これを用意したんです。
で、来る人にそれを椀によそって、差し出していたんです。
アラブ系の人が来たら、トン汁でない味噌汁を差し出す。
そのうち、だんだんと忙しくなってきて、トン汁をよそっていたおタマで、
つい、味噌汁をよそったら、それを目ざとく見ていたイスラム系の方が、
もうその汁は汚された、と言って、
味噌汁を飲まなくなったんだそうです。
ほんのちょっとでも、豚のエキスのようなものがついたら、ダメなんですね。

 

ですから、いろいろ調べたら、正油にはアルコールが含まれるので、

これは禁止だという事になったのも、なんとなくわかるでしょ。
神経質ですし、厳しいんです。
でも、正油にアルコールが入っていたなんて、
で、日本人も改めて、ほう!そうなの?と言いたくなることですよね。

 

一般的な正油は大豆と小麦に食塩水をまぜ、発酵させることでつくります。
このとき、酵母によって、小麦に含まれる糖分がアルコールになります。
アルコールは正油の良い香りのもとになり、
かびを防せぎ、保存性を高める効果もあるとか。
ところが、このアルコールは、製造過程でできるものなので、
ふつうの正油の原材料表示には、アルコールが含まれていません。
普通の正油のアルコール度数はおよそ3%。
減塩正油だと5%程度。
アルコール飲料で言うと、一般的なビールやチューハイのアルコール度数が5%、
缶酎など、サントリー「ほろよい」は低アルコールですが、それでも3%ほどです。
ですから、ほろ酔いより、減塩正油の方がアルコール度が高いんですね。
これって意外だったでしょ。

 

でもまあ、正油を酔うほど使う人はいませんから、なんてことないんですが。
でも、なんかの拍子に、醤油たっぷり使って、
飲酒運転で罰金、なんてことは・・・
まあ、ないでしょうね。
その前に、総体的に塩分取りすぎで、体調を壊してしまうかもしれない。
なんてったって、正油は日本人の伝統的な調味料です。
その伝来は、1000年以上前とも言われていてますが、

今の形態の正油は江戸の頃に完成されました。

ま、いずれにしても、日本の伝統的な調味料です。
くれぐれも、酔わないようにしてください。

| 水嶋かずあき | - | 10:10 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
無理矢理作った争点

現在の、日本の選挙のシステムと言うのは、民主主義を標榜する割には、
実に欠陥の多いシステムだと思うのです。
始まりに選挙があります。
この選挙では、規定された区域で、規定された人数が、議席を争います。
どのような主張なのか、は、一応さまざまな手段で訴え、
有権者は、それにより判断をします。
判断基準としては、
今までの言動の評価、立候補時の公約、平素うかがい知る人柄、などが基準になりますが、
普通はそれほど実態が情報として十分なわけではなく、
大体、こんなところか、程度で、政党名やら立候補者名を書き、投票します。
少なくとも、複数の候補者から、望ましいと思う人に投票し、それによって当落が決まり、
それによって、お約束の期間、政治の運営がゆだねられます。
つまり、今までの政治的言動の評価と、これからの展望が中心で判断されるという事です。

今までのことはすでに起きたことですから、これは明確に判断できますが、
実は、これからのことについては、絶対的でない。


与党としても、反対が予測されそうなことは、表面化させない。
そもそも、公約にすら入れないことが、突然と政治課題として出てくる、なんてことはざらでしょ。
前回の総選挙で、自民党は、集団的自衛権については、
最終項目で、ほんの数行触れてはいましたが、
本心としては、あまり大きく取り上げたくない、という思惑が見え見えで、
実態で言えば、取るに足らない公約扱いをしてきたわけです。

これらがいい例です。

 

不思議なことに、最近の総選挙では、国の命運を決めるような激しい議論はほとんどありません。
なんとなく平穏なやり取りで、まあ、いつも通りさ、と言った体を装うのです。
そして、牙は、当選した結果でむき出しにしてくるのです。


つまり、私たちは、不確定なことに対しても、

信任と言う形で政治の運営をゆだねていることになるので、

それこそ、デモでもかけたり、反対の集会を開いたりするしか方法がない。
しかも、殆どこれらの抗議はや反対行動は無視されて、
マスコミでこそ取り上げるものの、国会の判断には、影響を与えることができません。
いざとなれば強行採決ですから、民意は忖度すらされないのです。
つまり、見えない4年間に私たちは投票するのです。
このどこが民主的なんでしょうか。

 

例えばです。
2014年、12月半ばに、前回総選挙が行われました。
で、その時は、ほとんど触れられなかった、いわゆる戦争法案が前面に出てきて、

2015年10月17日、強行に採決されました。
さらには共謀罪等の法案が、ふと浮上し、
担当の金田法務大臣の意味不明な説明のまま、同じく強行採決の結果、
2017年6月15日に法案成立となりました。
ともに、2014年の総選挙の後の出来事です。
2014年12月時点で、もしこのような方向性を選挙の争点で出されていたら、
自民党はあそこまでの得票ができなかったのではないか、と思うのです。
つまり、国民は、一種の詐欺にあったようなものです。


ま、だまされる方が悪い、という論理がありますが、
そういうものではないでしょ。

政治と言うのは、最も強い信頼関係で、国と国民が結ばれることが本来です。
私が、民主主義としてのシステムとは思えない、と言うのは、
どんな選択をするのかわからない政党に、投票せざるを得ないのです。
システムになっている、という事です。

 

水嶋君、そうは言ったって、今後4年間にどのように状況が変化するか分からないだろう。
国際社会の関係だって、経済だって、日本、一国の思いの中で都合よく動くとは限らない。
だから、その時々の判断が必要になるんだよ。
それを今後4年間分すべて公約として打ち出せ、というのは、正当な主張とは思えないな、と。
誰かに言われそうですね。


しかし、世の二分するような重大な選択をしなくてはならない時こそ、
700億円かけても、国民の意見を聞き、それを投票行為で集約し、
賛否を確認すべきじゃないですか、という事なんです。
今回はその片鱗すらない、700億欠けて、何を判断するんだ、という事でしょ。

そもそもは、安倍政権の傲慢さが、国民に嫌われて、支持率の低下に結び付いた。

で、ほんのちょっとした兆候で、また傲慢さによる総選挙と言うことじゃないですか。

ここで勝ったら、ますます傲慢になり、その度合いもレベルアップしそうですね。
きっと、選挙後、憲法改定とか、今のうちにやっちまえ政策が続々と出てくるはずです。


いや、それにしても驚きは、消費税の使途を教育無償化にする、と言うアイディアです。
何を基準にこんなことを言い出したんでしょうか。
そもそもが、国家財政が大赤字で、これをいかに解消するか、
という財政健全化が、最緊急、最重要の課題だったのではないですか。
これは、将来の世代に、私たちが作ったツケを回さない、と言うための政策だったはずです。
で、これはさておいて、子どもの教育無償化、と言う甘い水を見せてきたんですね。
私は、そのことそのものに反対はしませんが、
それが最緊急、最重要とは思えないという事です。
いくら、教育費で国民の負担を軽減させたって、
その大本で、借金の付けを回すのなら、何の意味もないでしょ。

いかにも無理矢理作った争点のような気がします。

そもそもが、これがかつて国会で議論され、国論を分けるような状況になったんでしょうか。


借金で首が回らないある家のおやじが、
子供たち、俺が作った借金は君たちに返済してほしい、と言い出した。
ま、とりあえず今日は、みんなで寿司でも食いに行こうか、
今日は、赤皿だけなんて言わないぞ。
錦の皿でも構わないから好きなだけ食べていいぞ、
と言ってるようなものですよ。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 09:07 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
大儀はどこだ

多分、皆様もそうだと思うのですが、
なぜ、今解散なんでしょうね。
テレビのワイド番組などでは、憲法69条を解説しつつ、
総理の専権事項であるから、総理が解散と言えば、これはやるしかない、と。


さ、そこでせす、この場合、解散へのシステム的なことはどうでもいいんです。
冒頭解散だろうが、じっくり議論の上の解散だろうが、
要は日程の問題に過ぎない。
肝心なことは、なぜ解散するのか、でしょ。

 

解散が憲法で規定されているのは、原則的に、
現内閣の政治姿勢、手法に対して、疑義が生じ、

不信任が支持された場合か、信任が否決された場合になっています。
つまり、何らかの問題があって、その選択の仕方がおかしい、と。
このままではまずい、と、曲がった方向を是正するためのものです。
そりゃそうだ、と言うのか、別にいいんじゃないの、と言うのか、
国民に聞いてみようというのが、解散総選挙の基本的な在り方でしょ。


とするとですよ、この時期に解散という事は、
森友、加計の問題について、判断してもらおうというわけでもなさそうですよね。
出来れば、総理夫人が深くかかわった案件ですから、
そっと蓋をしてしまいたい。
でも、人のうわさも七十五日と言うので、
ぼちぼちいいか、と思ったんでしょうかね。
一方で、今回の解散は、今なら勝てる解散ではないかと思うんですね。


世論調査によると、内閣支持率が回復し、不支持を上回った、という事やら、
敵方民進の顔になりつつあった山尾志桜里議員の不倫疑惑で、
敵失に乗じよう、とかの算段があったと思うのです。
しかし、どう考えても、700億円かけて、民意を問う状況なんでしょうか。
冷静に考えれば、敵失と言いながら、
自民だって、守りはボロボロでしょ。
エラーに送球ミス。
ワイルドピッチに暴走アウト、など、
負け試合の典型的な状況だと思うんですけどね。

 

まずは、森友、加計について、何の決着もついていないじゃないですか。
籠池夫妻は、公金の詐欺という事で逮捕されましたが、
本当の悪は、まだ出てこないでしょ。
第一、忖度の実態すら明確でないですね。
国、省は、これらに関する交渉経過の文書を提出していません。
なんでそんな簡単に処分するのでしょうか。
我々中小企業の決算書類は、七年間保管せよ、と言われていて、
律儀に守っているでしょ。
文書保管の意義と言うのは、何にかあるはずですよね。
廃棄しましたで通るなら、事務所の一角に山住されている、
ほとんど意味のない書類を廃棄したいですね。


ま、ともかく、加計に至っては、
今治市民が、理解できない市税が投入されることを
よくぞ黙認しているな、と思うんですが、
国の上の方の我がままのしわ寄せを、今治市は受けているとしか思えないんですね。
要は、熱さを感じるのど元は確かに過ぎましたので、
じゃあ、もういいだろう、という印象を受けるんですね。

 

さて、敵失に乗じて、という印象の山尾問題ですが、
振り返れば、今期の中で、自民党系の方々の下半身は爆発していましたよね。
中川氏に至っては重婚ですって。
考えられない事でしょ。
さらに今井議員の恋人にぎり。
宮崎謙介議員の、妻妊娠中の不倫、などなど、
実に彩豊かな問題が続出していたでしょ。
みんな自民党議員じゃないですか。
そして最後は、豊田違うだろー議員の暴言問題。
自民党籍を離脱しようと、問題は、自民党員として選挙で選ばれたわけですから、
党籍を失おうと、党の問題が無くなったわけではないでしょ。

 

中国から伝わったことわざに五十歩百歩という言葉があります。
かつての中国の梁という国でのことです。
その国王の恵王が、
「私はいつも、民のことを考えて国を治めているのに、
なぜわたしの国には人が集まらないのだろう?」
という疑問を、孟子に投げかけます。
すると孟子は
「では戦いのとき、五十歩逃げた者が
百歩逃げた者を笑ったら、どう思われますか?」
と恵王にたずねます。
「それは五十歩だろうと百歩だろうと
逃げたことには変わりないから同じだ」
と恵王が答えると、
孟子は、他の国よりはよい政治をしていても
いまは、梁の国でも凶作で食べるものが少なく
人々が苦しんでいることには変わりがない。
つまり、 苦しい思いをしている人々にとっては、
その違いに大差はないということで、
要は、敵と戦うのをやめて、五十歩だろうと、百歩だろうと
逃げたことは変わらない。
その歩数の違いに意味はない、ということを諭したのです。

 

なんとなく、山尾議員への非難があるとしたら、
それに似ていなくないですか。


最近、ブーメランとか言われますが、
要は、五十歩百歩の世界なんですね。

だからこそ、解散の大義がほしいですね。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 09:51 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
ファシリテーターの役割

私は、比較的若いころに会議法のトレーニングを受けたことがあって、
その時の経験が、その後大いに活用できた、と思っています。

 

30数年前のことですが、娘たちが浜岳中学に在学していて、
たまたまPTAの会長が、私の所に役員就任の依頼にやってきたのです。
この人は、青年会議所の先輩で、親しく付き合わせていただいていましたので、
まあ、断る理由もなかったので、引き受けることにしました。
役職は副会長。
で、私はまだ予定者でしたが、PTAの世界を知らなかったので、

まずはと、前年度の最終役員会にオブザーバーで出席したのです。
で、その会議の進行を見ていて、驚いたのです。
まず、挙手することなく発言するのです。
ですから、発言が重なり、このコントロールを議長がしないものですから、
まずは好き勝手にあれこれ言ってる状態に、しばしばなるのですね。
で、さらに、議題と関係ないことに話が流れる。
よせばいいのに、それに乗る人もいたりで、
結局、何がどのように議論され、役員会としては、どのような選択をしたのか、
という事がよく分からないまま、なんとなくあうんのタイミングで

議題の討論が進んでゆくんです。
少なくとも挙手をして採決するという事はありませんでした。

で、ともかく、議論をし、決議はしたものの、そのプロセスが整理されていないため、
多少は反対の気持ちがある人にとっては、大いにストレスがたまる会議の進め方だったんですね。
ですからストレスのたまった反対派は、

あとで、周囲に、あれこれ不満を漏らすに違いないのです。
で、この話は地下の回廊をぐるぐる回って、
執行部批判につながるんですね。
なんとなくありそうな話でしょ。
ともかく、お母さんたちの見えない連絡網はものすごいものがあります。

 

で、この前の年度の役員会を見学した結果、
余計な議論が多く、時間がかかりすぎる、
そのために、年度が始まる最初の会議では、
議事法について、しっかりと認識してもらうための時間を作ろう、
ということになったのです。

 

で、その時にこんなことを話し、理解を求めました。
一つ、発言は挙手を持ってする事。
二つ、議題に沿わない意見と議長が見なしたら、発言を止めることができる。
三つ、いかなる議題であっても、その議題の賛否については、挙手を持って採決をする、
とこれだけのことです。

 

で、シミュレーションを兼ねて、第一回の会議が開かれました。
その年度に限って、議長は2名いた副会長が交互に務めることになったのです。
会議は、当然ですが開会の宣言から入ります。
そして会長の挨拶。
各種の報告事項。
これは、賛否を問う議題ではなく、単に、状況の経過を報告するだけのものです。
そして、いよいよ協議事項の項目に入ります。
議題の提案を担当者から行い、
では、ご意見、ご質問のある方、と投げかけます。
あれだけ言ったのに、うっかり、挙手もしないで、意見を言い始める、という方はいるものです。
そこは柔らかく、すいませんが一応ルールとして、挙手をしてください、とお願いします。
この習慣は、一回で身に付きましたね。

次回からは挙手なしで発言する人はいなくなりました。
で、次に整理したことは、発言が、横道にそれてしまう場合です。
これは結構頻繁に発生しました。
そこで、議長の判断として、議題からそれている発言と思ったら、
途中で発言を遮ります。
すいませんが、今は、かくかくしかじかの議題についてのご意見をお伺いしています。

ただいまの発言は、本題から外れていると思います。
しかし、とても大事なことに触れられていましたから、
のちに、改めて議題として取り上げますので、よろしくご了解ください、
みたいなことを言うわけです。

 

大事なことは、そこに登場した考えを殺さないことです。
私はよく、考え、思い、アイディアの水子を作るな、と言うんです。
せっかく脳裏に浮かんだんですから、どこかで、何らかの形で、生かしてあげるべきだ、と。

これも、次回の会議から、本題から外れた発言はしなくなりました。
で、採決です。
当然、反対もいますし、棄権もいますので、
きちんとカウントし、その数を周知します。

このように会議をあるルールを持って進めた結果、
何より、それまで2時間かかった役員会の会議が、
1時間ちょっとで済んでしまったんですね。


役員さんたちもそれなりに賢い方ばかりだったので、
あっと言う間に学習したようです。
何より、きちんとまとめた意見を言うようになったんですね。
つまりそれだけ、深い議論ができて、
それだけ選択した結果がレベルの高いものになった、というわけです。

まあ、こういうのって、当然のことでしょ。
しかし、私も様々な組織の会合に顔を出して、その議論の進め方を見てきましたが、
議長がだらしないと、会議もだらしなくなって、
意味のない時間を過ごすものです。

 

最近は「ファシリテーション」と言われる会議の進行方法論、

のようなものが流行ってきたそうで、結構なことです。
ファシリテーター(つまり議長のことっですね)は、
参加者の発言を促したり引き出したり、
話の流れを整理したりすることで、場をつくる進行役です。
これには、議題をあらかじめしっかりと把握しておくほか、
会議に参加した人達に、有用感を与えることなんです。
これがないと、会議に出た意義を失うでしょ。
時に、出ることないじゃないか、と思ってしまう。
そんな雰囲気で、優れたアイディアが出てくるわけがない。
会議が終わって、気持ちが高揚する時がありますが、
それは会議中にすばらしいアイディアが生まれたです。


こう言う結果が出て来るようになると、
会議構成員が、相互に信頼し、さらにいい結論を目指すようになるものです。

有効な会議はファシリテーターの腕一つです。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 08:11 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
今なら勝てるという解散

私は、現マンションが築14年目という事もあって、
来年に大規模修繕を控えていて、
その大規模修繕の委員長を仰せつかっています。
まさに億単位の工事費を賄うんですから、責任重大です。
で、今まで、工事計画推進の管理者の方々や、マンションの委員の人たちと、
さまざまな議論をしてきたのですが、どうもあいまいな線があって、
そこが整理できていないかったんですね。

一つは、この際、という考え方です。
ま、あちこち傷んできたので、一緒に工事をしてしまおう、
という考えです。
管理をいっぺんにするんで、管理するコストが安くつく、とか、
その間、何かと不自由な期間になるので、
どうせなら、まとめたほうがいい、とか、
ま、いろいろな思いがあるようです。
そこで、私としては、不自由とか、工事音がうるさいとか、
置いてある資材が邪魔だとか、まあいろいろ出てくるであろう不満を前提に、
何を基準に工事内容を決めるのか、という、基本の指針みたいなものを
定めなくてはいけないわけです。


それによって工事内容も決まり、期間も決まり、工事費も決まるわけですから。

で、そもそもは、大規模修繕と言うのは、マンション自体の資産価値を落とさない、
という事と、

あわせて、建物の安全性を維持するという事ですから、
主として、外装の手入れが中心となります。
22階建てですから、タイルを張り替えるのも、塗装をするのも、
防水をかけるのも、足場が必要になります。
で、おそらく、この足場代が工事費のメインになるようなんですね。
したがって、こう言う場合、足場が無くてはできない工事は最優先になります。
それ以外は原則、優先的なものはあっても、次の機会にやればいいことです。
ところがおもしろいもので、なんとなくなんですが、
あそこもここも、と皆言い出す。


まあ、足場が無くても、どうしてもひどく劣化したところは、ついでもありですが、
そろそろ、なんていう程度のものは、後回し、と主張しています。
たとえ、それが工事完了の翌年には、手がけなければならない、としても、
一年後でいいなら一年後に回す、という事です。

これは、こう言う根拠なんですね。
例えば、地下の非常用の発電機が、劣化してきたとします。
ともかく買い替えなければならない。
ま、200万円するとしましょう。
これが今まで、15年間は使ってきたとすると、
イニシャルコストを使用期間で割りますから、
一年間で、13万3千円負担したことになります。
でも、これが、だましだまし使えば、あと5年持ったとします。
という事は一年間の負担コストは、20年ですから、10万円でしょ。
ついでと言いながら、前倒しで支払いを発生させる事は、
結果的に余分なコストを負担していることになるのです。

 

ですから、今回の工事の中で、ついでの前倒しはしない、決めているんですね。
そうすると、じゃあ、次の大規模修繕工事まで、あと15年待つのか、
それまで持たないだろう、という考えの人もいるんですが、
どっこい、それはおかしな話で、足場の必要のない工事は何時でもできるわけですし、
大規模が15年インタバルなら、その中間あたりで、
中規模修繕をしたらいいじゃないか、と。
もちろん、足場なしの工事になりますが。

 

人は妙なもので、目の前で金を支払うのは、結構神経を使いますが、
いったん出してしまったお金がどう使われるか、と言うのは、
結構雑にとらえるんですね。
税金などがそうです。

間接的なので、懐が痛む、という感覚が弱い。

 

さて、
突然のように、少なくとも国民一般人には、そう映るのですが、
国会解散だそうです。
多分決まりなんでしょうね。
10月10日告示で、22日投開票だとか。
今まで、日本の国会運営で、満期で解散したことは、一回しかないそうで、
大体任期中に解散してきました。

現憲法になってから最初に行われた総選挙は、1947年。
で、これまでの70年間で合計25回の選挙が実施されてきました。
これを、きちんと4年任期満了で選挙にした場合、
総選挙は18回となります。


つまりですね、7回分の選挙が余分に行われたわけになります。
ちなみに、一回の総選挙で700億円の税金が使われるので、
昔の物価指数なんてことは抜きにして、計算すると、
7回×700億ですから、ざっと、5千億円という事になります。
つまり、私たちは、国会議員の先生方の都合で、

今なら勝てる、ぐらいの根拠のために

なんだかんだと5千億円の負担をしてきた、と考えられませんか。
ちょっとムカッとしますね。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 09:47 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
荷物は少ない方がいい

これは、性格と言うか、くせと言うか、要は個人の向きにかかわる事なので、
正しいとか間違っているとかの問題ではないんですが、
うちのかみさんと私の、行動をする上での決定的な違いがあります。

かみさんは、外出時に、両手に抱えるほども持ち物を持って歩くんです。

バッグの類は最低で二つ。

ちょっとそのへんで買い物をするんでも、持ち歩いているんですね。

何が必要なのか、と聞くと、女にはいろいろいるものが多いのよ、で終わり。

こんな会話を何度したことか。

 

そもそも、私は、できるだけ不要なものを持ち歩きたくない、
と言う癖を持っています。

 

その昔、韓国のソウルに2泊3日の旅行に出かけました。
で、ただの観光ですから、これと言ったものは必要ない。
プライベートの小グループの団体ですから、夕食のときはネクタイ着用、なんてこともない。
ですから、捨ててもいいようなスニーカーと、Gパン、ポロシャツと言ういでたちで、
まあ、三日間ぐらいは、同じファッションでもいいや、と思って、
着替えさえ持たなかったのです。
下着は現地で買えばいいことだし、
歯ブラシやタオルはホテルにあるはずですし、

ついでにスニーカーは新しいものを買いかえればいいし、

と言った考えだったんですね。
パスポートと財布、携帯だけ。
丸で、近所の散歩に行くような装備だったんですね。
でも、みんな、あれこれバッグに詰めて、ガラガラ引きながら、
外国旅行の風情を醸し出していたんです。
ともかく私だけ手ぶら。
で、到着し、税関は瞬時に通り抜けられます。
だって、何も手荷物がないんですから。
空港出口に、現地のツアー会社の方が、

紙に私たち一行の名前を書いたボードを掲げて、待っていました。
いの一番に私が出たものですから、ご挨拶をしたんです。
今回はよろしく、と、まあ、通り一遍の会話をしたのですが、
そのガイドさん、なぜあなただけこんなに早く出てきたのか、と。
荷物を持って来なかったので、税関をスルーパスだったんです、と私。
当然ツーリストのガイドは、手ぶらなことを不思議がりました。

で、私の考えを説明したんです。
まあ、その年配のおばさんはそれなりに感心していました。
こんな客ははじめてだ、と。

改めて、そういえば手荷物がないと、いうことは
何かにつけて、身軽でいいじゃないか、と認識したんですね。

結局、三日間の過ごし方としては、何も不自由がなかったんですね。

 

この癖は、いつでも発揮されています。
ともかく持ち物を少なくしたい、と。
ですから、以前禁煙した時に、たばことライターを持ち歩かなくて済む、
という事に妙に感激しましたね。
禁煙のメリットの一つだと思いました。
これで持ち物を減らすことができた、と。

 

ですから、人のことなのでとやかく言いたくないんですが、
鍵の束を持っている人がいるでしょ。
何やらジャラジャラと、キーホルダーに10個ぐらいのカギを持っているんですね。

中には小型の七つ道具のナイフを付けていたり、

丁寧な人は、超小型の懐中電灯をつけていたり、

何やらひと財産をキーホルダーに束ねている。
多分、一つ一つが重要なんだと思うんですが、
おそらく、一週間に一度も使わない鍵まで含まれているんじゃないか、と思うんです。
私も鍵は持っていますが、すべてギリギリの数。
家のドアーと車のキーのセット。
よくちょっとした装飾系のじゃらじゃらしたものに輪っかがついているキーホルダーがあるでしょ。
あれが嫌いなんですね。
根付風の飾り物はいらない、輪っかひとつでいい、と。
ですから、家のドアーのカギがその装飾とみなせば、
車のキーのホルダーになるわけです。
車のキーを装飾とみなせば、家の鍵のホルダーになるわけでしょ。
要は考え方じゃないですか。

 

ことほど左様に、持ち物を少なく、と言う癖は徹底していて、
特に財布の中のものは、最小限。
財布についている小銭入れは、最小のコイン数にするようにしています。
ですから、買い物をして支払う時は、
まず、小銭入れからすべてのコインを掌にあけて、
端数を合わせるところから始めます。
で、だんだん額が大きくなってゆきます。
これは、毎回、クイズでも楽しむように、瞬間的に暗算して、
最小コイン数しか持たないための作業をします。
なんか拍子に、小銭入れに一円玉が5枚以上ある時もあったりするんですが、
この時は後悔しますね。
何で一円玉5枚の時点できちんと5円玉にできなかったのか、と。

 

スーパーなどでレジをやっている人に聞いた話ですが、
こう言う風に最小コイン数にしたがる客と言うのは、
うっとうしいか、と。
ところがですね、最近は、入金額を打ち込むと自動的につり銭計算をするレジになっているでしょ。
ですから、つり銭を計算しないで済む。
しかも、最小コインにするための調整を客がするわけですから、
返すつり銭のコイン数が少なくて済むので、
楽だ、と言うんです。
つまり、客にとってもお店にとっても、結構なことでしょ。
何よりですよ、買い物のたびに、脳みそのトレーニングをしているわけで、
こう言う最少持ち物主義も、老化防止にいいんじゃないか、と思っているんですね。


まあ、これも自己満足の一つなんですかね。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 10:54 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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