水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
台北での国際セミナー 3

昨日、おとといのブログを読んでいない方は、

御面倒でも一度目を通してください。

今日はその3話目です。

 

セミナー冒頭のチームの成果発表の前に、私があいさつすることになっていました。

その内容は迷いに迷ったのですが、結局こんな風なことを話したんですね。


「今からおよそ40年前、日本の国は、アジアの国々を侵略し、それぞれの地で戦闘をしたり、
占領をしたりと、皆様の兄弟、父母、そして祖父祖母に、甚大な被害を与えました。
確かに、そういう行為に走ったのは、私達の父の代であり、
私たちの世代に直接的な責任はないかもしれませんが、
日本の国の国民として、かつてそのような行動をとったという事に対して、
深くお詫びいたします。
そして、同じ世代を生きる若者として、友情に満ちた交流ができることを幸せに思い、
このような場を与えていただいたことに感謝申し上げます。」
と、いつもとは違うペースであいさつしました。
私としては、心からそう感じていたのでその気持ちを言葉にしたまでです。


で、このセミナーで、ラッキーな条件が一つありました。
それは分科会と言うのは、内容について進行する私たちのようなチームと、
世界大会全体を管理する組織の共同作業になります。
そこで、分科会などでは、チェアマンと言われる議長が全体を取り仕切ります。
いわば、そのチェアマンの領域に私達は招かれ、進行をするわけです。
ですから、セミナーが最後の最後おわるとき、進行責任者は、
チェアマンに向かって、サンキューチェアマンと言うのがしきたりになっているんですね。
ここがちょっとかっこいいでしょ。
わずかですが、英語で言うんです。
で、その担当チェアマンが日本から選出されている国際青年会議所副会頭の神谷さんだったんです。

彼も19年生まれの同級でした。
平素から仲良くしている人です。
ですから、ここのところは非常にやり易かったんですね。
これが、外国のメンバーだったら、何かとぎくしゃくしたんじゃないか、と。

 

さあ、ゴングは鳴りました。
いよいよセミナーの開始です。
落ち着いて会場を見渡すと、かなりの入りです。
誰だ、いいとこ30人から40人ぐらいかな、なんて言ったのは。
すでにほぼ満席。
つまり150人そこそこは来ているという事でしょ。

セミナーの内容は、スタッフが手分けして説明することになっていて、
ほぼ、順調に進んでいました。


私は、会場の演壇の上手側に座っていたのですが、
途中、受付の担当者がやってきて、耳打ちするんです。
委員長(私のことです)、用意したこいのぼりが終わってしまったんですが、どうしましょうか、と。
一応日本からは、満席の150+予備の50の200本を持ってきていたのです。
後ろの方は立ち見風に何人も立って見ています。
私はうれしさをかくしきれず、
「しょうがないだろ、ないものはない。丁寧に謝って、了解してもらってくれ」と。

 

言葉を伝えるのに、時間差がある事とかで、会場の反応が、それゆえにまとまらないなどあって、
実際、内容として受けているのか、受けていないのか、
会場の空気からは判断できませんでした。

そして、1時間半のセミナが終了し、
チェアマンが英語でセミナー終了のまとめの話をしていました。
私達は、それを同通を通して何を言っているのか、聞き取るわけです。
で、チェアマンが、それではチームリーダーが挨拶しますと、
私を紹介してくれたんですね。
私は同通のイヤホンを外し、一段高い壇上に進んだんですが、
この壇が、サテンのような赤い布で覆われていて、いかにも滑りそうなんですね。
ここですべってころんだら、みっともない話です。
私は足元を見ながら、ゆっくりと登壇しました。

下しか見ていなかったのです。
で、演壇について、会場を見渡したら、

会場の中央辺りで、女性メンバーが立ち上がって何やら大きな声で話をしているんです。
私はイヤホンを外してしまったものですから、何を言ってるか分からない。

会場の空気がどんなものかもつかめないんですね。
短いスピーチが終わりその女性が座ると、もう一人体の大きい男性が、何やら、スピーチを始めました。
会場は割れんばかりの拍手です。
相変わらずお意味が分からないのですが、どうやらセミナーは好意的に受け止められたようです。
で、落ち着いたところで、私の挨拶です。

思いのほか多くの方に参加していただいたこと、
このセミナの進行に当たって、担当の委員会、チームのスタッフ、

それに同通の各ブースの皆さんのご協力の意感謝します、と。
そして最後の最後に、サンキューチェアマン、と閉めました。

これが言いたかったんですね。


チェアマンから閉会が告げられると、会場にいた、何人かが私が立っている壇までやってきて、
素晴らしかった(多分そう言ってると思うんですが)と、いろんな国の言葉で口々に言って、握手を求めてくるのです。
スタンディングオベーションなんてもんじゃないんですね。

結構な数の人が、どどどっとやってくるのです。
立ちあがってスピーチしていたあのでかい男もやってきました。
私はテキサスからきた、と言ってました。

 

あとで、あの会場が作り出していたある種の熱気がどうして生まれたのか、

という分析をしました、
もちろん諸条件に恵まれていたことが前提ですが、

決め手となったのは、最初に挨拶で謝ったことだろう、と言うのが結論でした。
私は、正直受け狙いであいさつの中身を決めた訳ではないのですが、
結果として、私達のそういう姿勢が、

その後のセミナー内容を受け入れる大きなきっかけになっただろうという結論としました。

 

国際間の感情のやりとりって難しいでしょ。

基本は、立場や利益、見栄などを捨てて、素直になることじゃないか、と

我が経験に照らして、感じています。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 10:42 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
台北での国際セミナー 2

もし、昨日のブログを読んでいなかったら、御面倒でも目を通してください。

続き物の2です。

 

何か国かの言葉を同時に理解するためのシステムとして、同通は今でも必要だと思うのですが、

今時の国際会議と言うのは、どのような運営をしているんでしょうね。

何しろ35年前のことですから、相当スタイルは変わっているんじゃないか、

と言う気がするんですが。

場合によってはスマホを使ったりしてね。

 

で、そのころのセミナー会場でのことです。

何カ国語かの通訳が必要になるわけですから、
それを会場内に設置されているガラス張りのサテライトのようなスタジオから
会場内に電波で飛ばすんです。
このメカニズムとしては、オリジナル、つまり私たちが話す日本語が、会場内に生で流されるのと同時に、
これが、日本人のスタッフによる英語通訳ブースに先ず入ります。
これを聞き取り、英語に翻訳、これが他の言語のブースの流れます。
すると、今度はその英語の言葉を、フランス語、ポルトガル語、中国語に買うブースで翻訳し、

電波で会場内の同通の機械に飛ばすんです。

ですから、セミナー開始に先立って、会場の進行をつかさどるチェアマンは、

冒頭に、何語の通訳が必要か、と会場に問いかけます。

先ず英語は基本です。

さらにフランス語、と問いかけると、10名ほどが挙手しました。

さらに、ポルトガル語、と聞くと、1名でしたが手を挙げました。

現地台北ですから、当然中国語、と、ブースすべてがフル稼働だったんです。

で、後で考えたんですが、あのひとりっきりのポルトガル語の人がいなかったら、

ポルトガル語の通訳スタッフはお休みになったんですね。

まあ、どうでもいいことですが。

 

このように、日本語・英語・その他の言語、とリレーされてゆきますので、

当然ですが、時間差が生まれます。
日本語でまず私たちが話すと、英語に翻訳、これを会場内の英語チャンネルと、他の言語ブースの飛ばすので、
ここまでで、センテンスの長さにもよりますが、10秒ぐらいの時間差が生まれます。
さらにその英語を各国語の翻訳するのですから、さらに10秒ぐらい。
ですから、話のテンポはしゃべってはちょい間をあけ、しゃべってはちょい間をあけるという、
まあ、いつもとはペースの異なる、相当ストレスのたまるような話方にせざるを得ないのですね。
でもこれは仕方ない。

たまたま打ち合わせで、このことの練習をし、プログラム内容を説明役のスタッフに、

話し方そのもののトレーニングをしたんですが、

なぜか本番になって、ともかくゆっくりしゃべる、と言うことだと勘違いしたのか、

やたらゆっくりとしゃべるものがいたんですね。

正確には、早口でもいいのです。

短めのセンテンスで、話したら、間を開ける、と言う話し方でなければ、

ゆっくな分だけ、通訳するタイミングが遅れてしまうんですね。

まあ、これは仕方ない。

そういうミスって出てしまうものなんですね。

 

で、私達が会場に着いて、先ずしたことは日本語ブースの出向きました。
事前に用語などについての擦り合わせをすることもそうなんですが、
何よりご挨拶です。
ここがうまくいかないと、受講者にきっと正確に内容が伝わらないだろう、と思い、
先ず人間関係から、という事で、手土産を持って行き、丁寧なごあいさつをしました。
ま、気は心ですから。

 

チームのスタッフは、運営とレクチャーチームとに分かれ、

それぞれの準備を進めます。

受付けでは、用意したこいのぼりをこれ見よがしに飾り立て、通りすがりのメンバーを呼び込みます。

そもそもが前日から、熱心にアピールしてきていたので、

ある程度の参加者は得られる、と踏んでいましたが、

やはり150人もの受講者が入る会場を見渡すと、いやいや、ここを埋めるのは大変かもしれない、

などと不安になったりするものです。


で、受付の準備、発表側のリハーサルなど。
時々刻々と開講の時間が迫ります。
この緊張感と言うのはいいものですね。


私は、プログラム開発責任者という事で、
冒頭にあいさつをすることになっていました。
実は、この大会1週間ぐらい前から、4〜5分の挨拶について、色々と練って、
いくつか複数のネタを用意し、あとは現地に入ってから決めよう、と考えていたのです。
で、台北の飛行場にたどり着き、飛行機が高度を下げていよいよランディングと言う寸前、
窓から斜に見える台北の街並みを見ながら、ああ、たどり着いたな、と安どするとともに、
迷っていた挨拶の選択ができたのです。
何故か、その瞬間、飛行機の窓から眺めた景色を今でも思い出せます。
でも、その選択には多少の不安がありました。


セミナーの前日、ホテルのヘッドクォーターを訪れ、日本青年会議所の役員にあいさつに出向き、
その時在室していた当時の会頭と話をしたのです。
会頭は、東京の羊羹の虎屋の社長、黒川さんです。
彼は確か私と同級でしたので、役職はずっと偉かったのですが、親しみをもって話のできる人でした。
で、その時、セミナーでの冒頭のあいさつで、先ず詫びたい、といって、
その内容を説明したのですが、
彼は、それでいいんじゃないですか、と結構あっさりと同意してくれたのです。

 

いよいよその本番です。

 

すいません、もう一回続きます。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 10:03 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
台北での国際セミナー 1

35年前の話です。
私は、当時、日本青年会議所と言う、全国にある各地青年会議所の統括的な役務を負っている組織で、
CDプログラム委員会と言うチームの委員長をしていました。
話せばややこしいので、簡単に言えば、各地で展開されているまちづくり運動の
手順を分析・再構築したプログラムを作成していたのです。
多分よくわからないでしょうね。
まあ、ざっと言えば、そういうことです。

 

で、この年の10月ごろ、全世界の青年会議所のメンバーが集まる世界大会が台湾の台北で開催されたのです。
この大会の場で、私達の一年間の成果をセミナー形式の分科会と言う形態で報告せよ、
と言う指令が上から伝えられてきました。
確か、夏ごろだったと思います。
正直、様々な場面でこのプログラムの紹介をしてきたのですが、
基本は、国内の同志の活動を手助けするためのプログラムです。
とは言え、国際的な場で、そのチャンスが与えれたんですから、
これは栄誉なことだ、と思いました。
いわば檜舞台みたいなものです。


そこで、様々な情報を集めてみると。
そもそも、世界大会なんて、みんな物見遊山でやって来るので、セミナーなんて開いても
誰も顔を出さない、と言うんですね。
いいとこ、3〜40人も集まれば成功と言えると思う、と、世界大会担当の委員会が言うんです。
悪く言えば、糠に釘みたいな感じで、普通に考えられる反応は相当に薄い、と覚悟しろ、と言うんですね。
まあ、かといって、30人だろうと、20人だろうと、人数もさることながら、何を伝えるのか、
という事が勝負だろう、と。
まあ、一般論としてはそうなんですが、
セミナーの内容はもちろん練り上げましたが、
いかにアピールするかの作戦も重要だろうと、その具体的行動計画を緻密に立てたのです。


時間の経過とともに、あちらでの開催の状況が分かってきました。
まず、会場は台北の最大のホテルで、(名前は失念)その一室で150人収容可能ということ。
この150と言う数字は、実に厳密なもので、イステーブルの用意された数であるともに、
各席に用意された同時通訳機の数でもあるんです。
同時通訳機は、小さな携帯ラジオぐらいのボックスがあり、チャンネルがついていて、
その番号で、英語、フランス語、ポルトガル語、中国語、と分かれていて、
自分の理解できる言語にチャンネルを合わせるわけです。

日本語はオリジナルで会場にじかに流れます。

国際会議がどのようなシステムで展開されるのか、初めての事だったので、

全く見当がつかなかったのです。

 

さらに、我がチームの最大の欠点は、誰も世界大会に行ったことが無く、

雰囲気もつかめず、何をどうアピールすればいいのか、これまた雲を掴むような状態でした。

とは言え、日本でも開催されている全国大会などから、

こう言うイベントはどんな雰囲気かは類推できますし、
物見遊山になっている、という心理状態も理解できたのです。


さ、そこで、すべての時間をPR活動として活用しよう、という事で、
さまざまな計画が組まれました。
まず第一ですが、行の飛行機です。
台湾と言うことで、登録者も多く、チャーター機で大挙して台北に向かったので、
この中は、日本人と言えど、関係者ばかりなわけです。
飛行機が上空にたどり着き、ベルト着用サインが消えたと共に、
我がチームは一斉に立ち上げり、手に手に案内のビラ、今時だとフライヤーとかいうのでしょうが、
PRのビラを配って回ったんです。
時間があったら、ぜひのぞいてみてください、と。


PRキャラバン隊と私達は呼称していましたが、この第一弾の活動です。
で、第二弾は、現地について、ホテルの部屋にチェックインし、荷ほどきが済んだら、早速開始。
この時平塚から同行してくれた浅沼先輩にある依頼をしてありました。
先輩は、その頃日本舞踊に凝っていて、一曲仕上がると、それ用の着物を注文し、
これを来て踊りを披露する、という事をしていたのです。
例えば、黒田節を習得すると、黒田節用の着物を染めて、踊りの時に着ておどるというわけです。
で、確か、4、5曲は仕上がっていたので、4、5着は着物があったはずなんです。

元々派手好みのファッションセンスの持ち主だったので、
私はそこを見込んで、中でも最も派手なものを用意してほしいという事を頼んでいたんです。
チームのメンバーに高松さんという女性のメンバーがいて、

この人が、なんの因果か、呉服屋さんだったんですね。
そこで、ちんどん屋さんに近いような最も派手な着物を用意してくれ、とこれまた頼んだんです。
つまり、和服の派手なのを着た男女が、そのホテルのロビーに登場することになったのです。
併せて、平塚の当時平田人形店があって、そこのご主人の平田さんに頼んで、季節外れだったんですが、
紙のこいのぼりを用意してもらいました。

竹の棒の先に40センチぐらいの印刷したこいのぼりがついているやつです。
で、これをふりふり和服のキャンぺーンおじさんおばさんを先頭に、会場中を練り歩いたのです。


これは相当関心を持たれました。
着物姿に興味を持ったんでしょうね。

次々と外国のメンバーが記念撮影風に二人と一緒に写真を撮りたいと言ってくるんですね。
もちろん、私達が手にして、振り回していたこいのぼりにも興味を示しました。

で、欲しいというんです。
そこで、これはセミナーに参加人にあげるものだから、今はやらない。
どうしても欲しかったら、明日、会場にいらっしゃい、と言って、
フライヤーだけ渡すんですね。
まあ、一種の撒き餌です。


何カ所かで、PRを熱心に進めたのです。
日本のメンバー用のヘッドクォーターがホテルの一室にあって、
現地ではそことの連絡が重要になるのですが、私達のキャンぺーン活動が既に話題になっていたのです。
私たち自身も、結構気合が入っていましたが、
活動を積み重ねるにしたがって、手ごたえを感じるようになっていました。

 

いよいよ当日、いよいよセミナー2時間前。

セミナー会場にスタッフが入り、準備に入りました。

 

(続く)

| 水嶋かずあき | - | 11:44 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
菜食主義者の理屈

この夏ごろに、ちょっとしたピークだったので、
この時期と言うのは、時差ボケ的な感じがするんですが、
ずうっと気になっていたので、テーマとして取り上げてみました。

要は菜食主義者についてです。


フランスでは、ビーガンと言われる完全菜食主義者がいて、
この一部の過激な人が、自分たちの主張する菜食に反すると、
肉屋や魚屋を襲撃している、と言う出来事がありました。

ウソかホントか、よく言われるのが、
肉食が多いと、気が荒れ、粗暴になる、と。
これって聞いたことがありませんか。
で、完全菜食主義の人が粗暴な振る舞いをしているんですから、
妙な話だな、と思ったんですね。

 

ニュースの抜粋です。
「仏北部リールでは昨年、肉屋7店が攻撃を受けたとされ、
パリ周辺などでも同様の被害が報告されている。
肉屋の業界団体は実際の被害件数はより多いとし、
過去半年間で肉屋、魚屋やチーズ店の100店以上が標的になったと主張している。
肉屋を狙う菜食主義者の攻撃は英国やスイス内でも報告されている。
菜食主義者団体内でも肉屋襲撃への是非については意見が割れている。」ですって。

 

仏教界でも、菜食が薦められていて、精進料理などは、
まさにこれでしょ。
肉や魚は、血を荒らすというのでしょうか。
それとも、生き物の命を食らうというのは、慈悲の心に反するというのでしょうか。
実は誰に聞いてもその辺があいまいで、
僧籍に入っている知人に聞いても、確たる理由がわからないんです。


気の利いた精進料理を作るところで、何回か食事をしたことがあります。
豆腐やその他の食材を加工して、ウナギのかば焼きと見まがう料理を作りだしたりしていますが、
その技術より、そこまでして未練たらしく、肉や魚を再現することもないだろうと。
却ってその未練たらしさが、趣旨に反しているんじゃないか、という感じがしたんですね。

 

ま、ともかく、菜食主義を取っている人も周りに何人かいますが、
基本的には、やはり動物の命を食するという事に抵抗があってのようです。

しかし、この動物の命、という事への抵抗はあっても植物の命、と言うところには
抵抗がないんですね。
もちろん、植物までとなると、餓死してしまいますが。


感覚的には、動物は、死ぬ時に血を流してバタバタしてかわいそう。
にわとりだろうと、魚だろうと、自分たちに近いものと言う感覚になるのでしょうか。
そこへ行くと、植物は、包丁で切り刻もうと泣き叫ぶわけでもないし、
血が流れるわけでもない。
だから食べられるんでしょうか。


とすると、これは植物の命に対する冒涜じゃないでしょうか。
だって、黙って静かにしているから、食べちゃうんでしょ。
物言えぬハンディを、いいことに、命を食べちゃうんですから。

 

まあ、少し理屈っぽい話になりますが、
地球の上の命について考えてみましょう。
まずは、46億年前に地球が誕生し、
ざっとですが、その10億年後には原始的な命が誕生していた、と言われています。
ある学者などは、40億年前、つまり6億年後には、原始生命は存在していた、と。

まあ、そのあたりはともかく、
今からおよそ10億年前、空気中の酸素をすって生きる生き物が現れたのです。

植物系の生命体から枝分かれしたのです。
それまでは炭酸ガスを吸って、酸素を吐き出していた生命体ばかりでした。
つまり、動物系の呼吸をする生命体が出てきたという事です。
その後、7億年ほど前までに、ゾウリムシやアメーバのような、
動き回りながら自力でえさをとる生き物が現れてきたのです。
つまり、太陽光線をエネルギー源とする植物系の生命体が、光合成によって、
エネルギーを取り込んでいたものを、その植物系生命体を取り込むことにより
自分のエネルギー源にしてしまおうとしたわけです。
冷静に考えれば、かなりせこいやり口ですよね。


で、そうする為には、その植物系の命の存在するところまで出かけて行かなくちゃいけない。
こう言うことで、移動可の生命体である動物と言う存在が発生したわけです。

このような生き物を原生動物といいますが、これが最初の動物というわけです。
そして、およそ6億年前、ミミズやゴカイなどの仲間や、昆虫やクモ・カニなどの仲間などが現れ、
5億年ほど前にはクラゲやサンゴなどの仲間やタコ・イカ・貝の仲間が現れました。
このように進化を続け、およそ4億5000万年前には魚類が現れ、
3億9000万年前ごろには、カエルやサンショウウオなどの「両生類」、
3億3000万年前ごろには、ヘビ・トカゲ・ワニなどの「は虫類」が現れ、
そして2億2000万年前ごろには、ようやくわたしたちの仲間、「ほ乳類」が現れ、
2億年ほど前に最初の「鳥類」が誕生したのです。
ただしほ乳類は、今から6500万年前までは、ネズミほどのサイズで
恐竜のかげにかくれて細々と生きのびている目立たない動物だったようです。

 

さて、時間を巻き戻してみましょう。
今見ることのできる動物たち、哺乳類や鳥類、魚類や昆虫など、
いわゆる動物と言う動物は、少なくとも6億年前まではいなかったのです。
つまりですね、動物とは植物は同じ先祖を持っていた、という事です。


菜食主義者は、動物の命を食べるな、と言ってます。
でも、それこそ大昔は、同じ先祖を持った生き物だったわけで、
命、という条件に置いて違いはなかった、という事でしょ。
たまたま、動物と植物に分かれただけのことで、
その片一方をよしとし、もう一方をよくないとする論拠は、
極めて観念的なもの、と言わざるを得ないでしょ。

そんなこと言うなら、命と言うすべてのものを食べなければいいでしょ。
まあ理屈と言えば理屈ですが、
何が根拠で、現在人類が手にしている環境を否定するのか、その論拠がよく理解できないのです。
しかも、ビーガンの連中のように、主義主張によって、生計を立てている人を排除する、と言うのも
これもまた、一種のテロなんでしょうかね。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 15:49 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
幼稚な哲学

私の価値観や好みで言えば、アメリカ大統領のトランプ氏は、
好きになれない人の一人です。
風貌はともかく、身振り手振りの話し方、言葉遣い。
何より、あの考え方が受け入れられないのです。
彼は、たまたま大統領になってしまいましたけど、
要は、傲慢なビジネスマンに過ぎなかったわけでしょ。

ビジネスマンとしての能力は、素晴らしいものがあると思います。

しかし、ビジネスマンが転身できる政治の世界は、

あくまでもローカルな行政体での首長、リーダーです。
逆に、日本など、地方で求められる首長は、彼のような要素が必要だと思います。
何しろ、大半の地方行政を担う首長に最も欠けているのが、トータルに財政を管理する能力だからです。
多くの首長さんは、数字がどうも読めないようですね。
最低限、一度はコスパの視点で事業をチェックすべきなんですが、
しょせん人の金、という感覚なんでしょうか、ここがとても甘い。


ですから、トランプ氏のような感覚なら、優れた首長になれると思うんです。
しかし、一国の、いや一国どころか、アメリカと言う超大国のトップなんですから、
その、一挙手一投足が大きな影響を世界に与えます。


改めて、彼の大統領としての2年分の足跡を振り返ってみれば、
いわゆる国際問題の分野への発言、国際間に関連する施策がかなり多いという事がわかるでしょ。
例えば、国が担っている事業で、地方と連動していないものは、
安全保障と外交ぐらいでしょうか。
いや、その連動度が少ない、という意味です。
つまり、国は、さまざまな側面で、安定と豊かさに裏付けられた国民生活のための施策を実施します。
教育も文化も、経済も、福祉も様々に国と地方は連動していますが、
いわゆる安全保障と外交は、国家が担う特化した分野です。
ですから、その国のトップは、対外的、国際的な領域に踏み込まざるを得ないわけです。

 

明治維新が、なぜ起きたのか、と言えば、今まで不要だった、
安全保障と外交と言う国家が担うべき側面が、新たに足される時代になったからです。
旧来の幕府も朝廷も、そこを担えるのか、という疑問が、維新の志士たちの疑問だったのではないか、
と思うんですね。
あらたな日本、とか言っていますが、これは国際社会にどう考えても組み込まれてゆくだろう、
という予測をすれば、何とかしなきゃいけない、と考えたんでしょうね。


ま、それはともかく、
私達のように、生活の領域が、自分のまちが中心で、

たまに東京との接点が必要だったり、まれに外国との関係の求められたりするのと違って、
国家というレベルでは、全世界の中の存在感が、一つの価値の中で成立するように求められているという事です。

さて、その意味で、トランプ氏は、例えば、平塚市長になったとしたら、相応の業績を残すと思うんですね。
有能なビジネスマンなんですから。
しかし、国際社会で求められるトップの振る舞いとしては、

それ相応の知性と、哲学と、人格、品格が求められると思うんです。
つまり、人間としていかなる存在なのか、ということですね。


私が彼を好きになれない最大の理由は、それらの資質を十分に備えている、と思えないんです。
その極端な例が、先日、中間選挙の終了して時点での大統領の記者会見に現れていました。
テレビをご覧になった方もおいでと思いますが、
CNNの記者が、あれこれ質問したら、お前のところはフェイクニュースを流すメディアじゃないか、
と言って質問を遮り、マイクを置くようにと口封じをしようとしたんですね。
ここでちょっとした悶着が起きました。
で、かなりひどい言葉で、その記者を罵ったわけです。
後日、トランプ米大統領はCNNのテレビ記者のホワイトハウスへの入庁許可証を停止しました。
で、他の記者にも出入り禁止措置を広げる可能性があると発言したんです。
彼は、記者団に「あなたたちはホワイトハウスや大統領に敬意を払わなければならない」と言いました。
ちょっと驚きませんか。
敬意という言葉が望ましい翻訳だったのか、原文を知りませんので判断できませんが、
少なくとも、敬意と言う人の心の動きは、払え、と言ってそうなるものではないでしょ。
つまり、敬意は払われるものであって、払わせるものではないと思うんです。
そんな哲学の第一歩目みたいな概念すら、彼は持っていないんですね。


もし、誰かに敬意を払え、と言われ、敬意を抱いていない相手に、
敬意を払います、といったら、確実にそれはうそでしょ。
ある力に巻かれることはあると思うんです。
でも敬意と言う自分自身の中にある人間としてのほこりとして、
敬意を払えない人間に敬意は払えないでしょ。

従順に従え、と言うならわかります。

ないしん、この野郎、と思っていても、従うことはできますものね。
私の言ったことに従いなさい、という事に従うことは十分にあり得ますでしょ。
でも、敬意を払えといわれて、はいそうですか、となるわけがない。
つまり、敬意を払えという言葉は、原則的にこの世には存在しない言葉遣いなんです。
そんなことも理解していないとしたら、
あの超大国の影響力を考えると、彼の知性と、哲学と、品格の不足が、
人類全体の不幸につながらなければいいけど、と心配になるんですね。

 

| 水嶋かずあき | あれこれ | 11:56 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
雪隠詰め

駅の南口にある串平のトイレのノブが壊れてしまったので、
修理してくれ、とかみさんに頼まれいて、数日前に、一度は手掛けてみたのですが、
使用すべき部材が適合していなかったので、
開け閉めはできるんですが、内側からカギがかけられない。
これって不安でしょ。
まあ、その旨は紙に書いて、お客様に周知し、お客様がトイレを使っているときは、
店のものが、注意して見張っている、という状況だったのです。
昨日、早く内側からカギがかかるようにしてくれ、と再度頼まれ、
家具の取り付けなんかしたことなかったのですが、
まあ、なんとかなるだろうと、12時過ぎに、ユニディに行って
組み込み型(まあ、普通にあるタイプです)のノブを買い、
修理しようと、店に行ったんですね。

こんなことやったことありませんでしたが、まあなんとかなるだろう、と。


で、あれこれがちゃがちゃやってみるうちに、既存の彫りこんだ穴に適合することが分かったのです。
こうなれば後はビスで止めるだけ。
で、ビスで止めて、外側から、開け閉めしたところ、まあ、閉まるし開くし、と言うことで完成。

なんてことないじゃん、と思いました。

やればできる、と。


念のため、内側からはどうかな、と中に入って閉めたところ、
何故か、開かない。
押しても引いても開かないのです。
理由は分かりません。
外からは開いたのに内側からは開かない。
店には、5時にならないと人が来ません。
何より、4時からラジオの収録があり、

6時から東京で友人と待ち合わせて、ちょっとした打合せがあったんです。
このままトイレの中に閉じ込められているわけにはいかないんですね。
道具の類は一切が外に置いたままです。
携帯もない。
つまり、どなろうと叫ぼうと、少なくとも5時までは誰も助けてくれないんです。
いやあ、参った。


このまま、何時間かここで過ごすのか、と思いました。
でも、思い出したように、扉をゆすったり押したりして見るのですが、びくともしない。
最悪の状態になってしまったわけです。
せめて、手持ちのドライバー1本ぐらいは持って入るべきだった、と後悔しても、
正に、後悔先に立たずです。
で、4〜5分、じたばたしていたんですが、なんの拍子か、扉があいたんです。
いやあ、よかった、と外に出て、
内側からは開かない原因を探したところ、ばねで引っ込んだり出たりする三角形の金具がありますが、
あれが、内側のノブを回し切っても、100%引っ込まない。
そこで、その高さを微妙に調整したのです。
そこで、これならいいだろう、と判断し、表から開け閉めしてみると、結構スムーズ。
で、再度、中に入って閉めたんです。

 

が、また開かなくなった。
いや、いくら素人とは言え、何やってんだ、となるでしょ。
もっと何やってんだ、と言うのは、相変わらずなんの道具も持たずに閉じ込められたことですね。
まあ、前回出られたから、とのんきに構えましたが、

妙にしっかり閉まっていて、今度はびくともしない。
もしかするとさっきよりまずい状態か、と不安になったんですね。
一回目より不安でした。
今度も同じように押しても引いても開かない。
しかし、これも経験と言えば経験なんでしょうか。
あきらめずにあれこれ動かしてみたら、またなんの拍子か、ぱかっと開いたんです。


やれやれと外に出て、
再度金具の微調整をしたのです。
以前よりは余裕のある巾に広げました。
正に自信を持って、開け閉めしたんだす。
今までで一番スムースの開くし、閉まるし、という事で、
これで完成、とばかり絶対の自信のもと、内側から確認すべく中に入って閉めてみたんです。
三度目の挑戦です。
内側のノブを回すと、するっと開く、という想定でした。


なんと、また閉ままなんです。
三度目の閉じ込めになってしまいました。
もう、バカとしか言いようがないですね。
今度も何の道具も持たずに中に入ってしまったんです。
最初が4〜5分、二度目が3〜4分、とまあ、これで行くと、
今度は2〜3分か、と何の反省もなく、ドアをバタバタやっていたら、
案の定2分ほどで開きました。
挙句の果てに閉じ込められてもなんとかなる、と言う自信さえ生まれてきました。


で、4度目の挑戦で、根本的は対応として、少し角度を傾けて取り付けてみたら、
やっと、内側からも開くようになったのです。
やれやれです。

同じことを3回も繰り返し、その都度、なんの道具も持たず入り込み、
これこそ雪隠詰めになってしまうなど、
恥ずかしい限りの経験をしました。


本来ですと、道具をそろえ、万全の体制で、中に入るべきだったんですが、
手ぶらでは入ったという事が最大のミスなんです。
これで学んだことは、万全の体制を準備しろ、という事ではなく、
何とかなる、という事だったように思います。


すいません。
バカにつける薬はないんですね。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 10:22 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
壊れない家を

一昨日は、紅谷町の住人、マンション関係の人たちを対象に
地震の勉強会を開催しました。
1時間ほどの時間でしたが、皆さんにお話をさせていただきました。
人に向かって話をするのですから、それなりに資料等を調べ直し、
自分の考えも付加して、中身を練り上げたのですが、
これまで、自分が考えてきたことを改めて再チェックをすることになったわけです。
そして、今までの想定があまかった、と反省しています。

 

また、今まで、FM湘南ナパサの水曜日午後1時半から、30分間
ナパサで防災、と言う番組の第2週と第5週を担当してきました。
第5週は3か月に一度は巡ってきます。
まあ、年で言えば毎月の12回と年4回を足した数が担当部分だったわけです。
たかだか年16回のことなんですが、
このテーマを決めるのも結構大変で、
さらには番組内で話す内容についてはあれこれ資料調べをしなくてはならず、
ある意味いい勉強になったのですが、素人にはいささか荷が重いかな、と感じていたのです。


そもそもこのナパサで防災と言う番組は、毎週水曜の1時半から定時で放送されていて、
第1週は、山田美智子さんが、SCNでの番組「地震その時あなたは」の音声を流す、
と言う企画になっていて、

防災番組なんで、同じ枠で放送しています。
で、第2週と第4週を渡辺豪さんが担当。
第2週と第5週を私が担当しているんです。


ところが、ここで、ちょっとしたアクシデント。
渡辺さんが、健康上の理由で、3か月ほど療養することになり、
取り敢えず一時降板という事になってしまったんですね。
そこで、ピンチヒッターで水嶋が担当せよ、と言う指令が、クラブから出されて、
盟友の健康回復のためならと、引き受けることになったのです。
つまり、第1週以外は私の担当になったのですね。
3と5だけでもふうふう言ってたのに、2・3・4・5となったのですから、
ちょっと緊張しています。
そんなにネタがあるのだろうか、と。

 

ただ、防災系、特に地震に関して言えば、驚くほど様々なデータが改定されていますし、
この世界も日進月歩で、予知のための対応がグレードアップされています。
もっとも、私達ど素人が、手に入れられる情報には限界がありますが、
まあ、その意味では活性化している分野ですので、
その気になれば、何とか短期間なら乗り切れるかな、という感じですね。

 

そんなこんなで、ちょっとばかり、

従来より地震に対する取り組みのバランスの比重が大きくなってきているのですが、
おかげさまで、新たに再認識という事が、出てきました。


それは、住居の耐震性という事です。
地震など防災の基本は、いかに緻密な想定をするのか、にかかっています。
言い換えれば、災害発生時、およびその後の復旧時における生活をどうするのか、
という事の想定が、防災の第一歩になるのです。
したがって、想定と言っても前提条件として、震源の位置、地震の大きさや、発災した季節、時間帯など、
実に多様ですし、それぞれによって、状況が変わってくるのです。
その一つ一つを緻密に想定しなければ、適切な備えが準備できないのです。
で、様々な状況を一つ一つつぶしてゆくと、
前提として、家が残っているのか、それとも倒壊してしまうのか、
によって、準備すべきことが、ガラッと変わってしまうんですね。


例えば、私自身のことで言えば、
松風町に住んでいたころは、昭和56年以前の建物でしたので、

家屋が倒壊するかもしれないという前提でした。
そこで、庭先にスチール物置をおいて、

そこに発災時の非常持ち出し品をぎっしりと詰め込んでいました。
基本的には、よく言われる持ちだし品と、防災グッズの類です。
で、紅谷町のマンションに引っ越してきたのですが、
このマンションは免震構造ですので、おそらく倒壊とか、住めなくなるとかはない、という前提になります。
そこで、住む家が無くなってしまう想定で、かつて準備していたのですが、
住むところは残る、という前提で想定すると、不要なものが出てくるし、

被災後の生活の様々なことに大きな違いがあることに気が付いたんですね。
例えばです。
昼間の発災を想定すると、家族はばらばらになっているでしょ。
お父さんは職場とか、子供は学校とか、お母さんは買物とか。
すると、家が壊れるかもしれない、となると、どこかに集合場所を決めておかなくてはいけない。
また、決められた避難所の場所を確認し、実際歩いて行って見る必要があります。
でも、家が残っているなら、そんな必要はないでしょ。
集合場所は我が家でいいですし、避難所に行く必要もない。
持ち出し品を詰めたリックサックもいらない。
組立の段ボールトイレも要らない。
ビニール袋と凝固剤があれば、トイレは何とかなります。
着替えを持ちだすこともない。
食事だって、冷蔵庫のものを整理しているうちに、数日は過ぎるはずです。
棚にしまってあったカンパンなど、食べることはないと思うんですね。


住む家が、残っているかどうかで、地震の対応は、根本的に変わってくるのです。、

つまり、防災の第一歩目の行動は、木造で耐震構造でない場合、
まず、耐震診断をし、必要なら耐震補強をすることなんです。
ここが改めて重要であるというのが、再確認したことです。
 

| 水嶋かずあき | 環境 | 04:09 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
食における自己責任

へえ、そんなこともあるんだ、程度で飛ばし読みをしていたのですが、
改めて、そのニュースを読んで、
結構これは大事な事じゃないか、と思ったんですね。


何が大事かと言うと、この状況に自分がならないという保証は、ゼロ%ではない、という事なんです。

すでに、この記事を読まれた方も多いと思いますが、
オーストラリア・シドニーに住むサム・バラードさんが、
ナメクジを食べて、重篤な症状を引き起こし、先日逝去されたというニュースです。


ニュースによれば、友人たちとワインを飲んで楽しんでいたところに、ナメクジが登場。
サムさんがふざけてこれを食べてしまったというんですね。
数日後、体調を崩し、病院で診察を受けたところ、
ナメクジに寄生していた広東住血線虫という寄生虫を一緒に体内に取り込んでしまったために、
その寄生虫に感染、頭痛や神経麻痺、筋力低下などの症状につながったというのです。
8年間の闘病生活の後に、お亡くなりになってしまった、という事です。

 

そもそもが、ナメクジは、カタツムリの殻が退化し、なくなったもので、
厳密には生物学的に異種になりますが、大きな分類では、サザエなどの巻貝などと同じなんですね。
フランス料理にエスカルゴが食材として珍重されていますが、
まあ、見様によってはナメクジもそれの親戚みたいなものです。
だから、食べても不思議はないわけですが、生でとなると、話は別です。


なんと、ネットを検索していたら、ナメクジの食べ方なるサイトがありました。
いやいや、何とも奇抜なテーマでしょ。
で、その中では、確かに生食は危険だ、と触れています。
その上で、「ナメクジを食べたい!」と言うのであれば、
貝のように塩水を沸騰させた中に入れて、

充分に過熱したものを食べるようにしましょう、ですって。
そこまでして食うものか、と思いませんか。


大体、食べ慣れないものは、食べてはいけないんです。
いやこれは、食わず嫌いとは違います。
みんなが食べているものは、食べていいんです。
でも、奇妙なもの、普通はだれも食べないものは、止めた方がいい。


数年前でしたが、その年、日本で食中毒で亡くなった方が2名いました。
大体、年に、1〜2名の方が食中毒でなくなるのですが、
その年の場合は、1名が自分で釣ってきたフグを自分で調理して食べ、
ふぐ毒で亡くなりました。
もう一人の方は、山で獲ってきた茸を食べて、茸毒でなくなりました。
食べなれないものを口にしたからです。

 

以前確かこのブログでも書きましたが、
我が友人の友人が、東南アジアのどこだかの国に遊びにでかけ、
そこで、蛇の刺身を食べたのだそうです。
ま、イカモノ食いです。
帰国してしばらくすると、皮膚のそこここが痒い。
医者に行ってみてもらうと赤くあちらこちらが腫れていて、
その一つから、なんと細く小さいミミズのような虫が出てきたのだそうです。
で、他の腫れたところをメスで切ってみると、そこからも虫が出てきた。
医者は、そんな虫は初めて見たので、処方の仕様がない、という事で、
目に見えるところは、切開して取り出し、あとは様子を見ましょうと、
入院させ、どこかが赤くはれると、そこから切り出す、という事をしたのだそうです。
医師は、その虫が脳に入らないことを祈るしかありません、と言っていたそうです。
幸い、ある時期を過ぎたら、そういう症状が無くなり、おそらくこれで全部出ただろうと、
退院することができた、という事でした。


まあ、イカモノ食いは、大体調子に乗ってやることですが、
そんな一時の悪ふざけが、時に死につながる恐れあるわけですから、
特に食べ物に関する悪ふざけは止めるべきですね。

 

で、ナメクジの話に戻ります。
その昔、確かにナメクジは普通に見かけたものです。
で、何故か、女性は、ナメクジとか、こう言うもの、

たとえばゴキブリなんか、病的に嫌うでしょ。
うちの母もナメクジ嫌いで、台所の流しのふちなんかをナメクジが動いていると、
塩をたっぷり振りかけて、退治していました。
もうそんな光景は、なかなか見ませんものね。
いい時代と言っていいのでしょうか。


ま、いずれにしても、ありがちな事として、
買ってきた白菜とか、キャベツとかの葉の内側に、小さなナメクジを見かけたことがあります。
そんな頻繁ではありませんが、経験ゼロというわけではありません。
例えば、外側の葉をむしって捨てて、商品として陳列されたキャベツの、
むしられた葉の内側にナメクジがいなかった保証はないでしょ。
捨てられた葉と、残された葉の間にいる場合があるんじゃないか、と。
そうすると、広東住血線虫に汚染されていないという保証はない、という事になるでしょ。
だから、生野菜を口にする時も、畑でナメクジなどと接触していることがあるため、

十分に洗うことが大切だ、というんですね。

 

いずれにしても、食による病変は、基本的に自己責任という事です。
気を付けましょう。

| 水嶋かずあき | グルメ | 10:26 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
現代の目安箱

政治家が人気取りのために、歳入に合わない支出を承知で、福祉的政策や、減税などを打ち出し、

それがもとで、財政赤字が増大したり、対外債務の膨張など、につながれば、

それは善政とは言えないでしょ。


例えば、ここにきてトランプは、中間層の減税10%を打ち出したそうです。
まあ、かなり露骨な撒き餌をしたわけです。

確かに、大衆の望むことを政策として形にしてゆくというのは、

民主主義国家としては当然のことなのですが、
大衆の望むことが、正しいのかどうかは、やはり慎重に検討しなければいけない。
その意味で、ポピュリズムと、民主主義との境目を私達は認識すべきだと思うのです。

 

ポピュリズム(populism)とは、一般大衆の利益や権利、願望や欲求、
さらには、不安や恐怖の回避などを大義として、
これを利用し、大衆の支持のもとに、既得権益者や体制側、許認可権限を振り回したり、
権力的な位置にいるもの、時に暴利をむさぼる大企業などと対決しようとする政治思想や手法のことです。
要は、強大な権力に挑む力なき大衆の集合体の主張と言った構図でしょうか。
場合によっては、否定的な意味を込めて衆愚政治や大衆迎合主義と言った解釈もされています。

確かに様々な思想、考え、環境、財力の人が混在しているのが現代社会ですから、
どこに焦点を当てて、政策を打ち出すのか、難しい所です。
あちら立てればこちらが立たないのですから。

 

そもそも政策とは、パイの切り方なんですね。
財政総額を円グラフにしていると考えてください。
その丸いパイを均等に切ればいいのでしょうが、
それぞれの立場、言い分があるわけですから、
あるところには大きめに切る。
あるところには、小さめに切った一切れとなる。
その額が少なければ、当然、なぜ私らの分は、これだけなんだ、となるでしょ。
財政が右肩上がりで、可処分財源が豊かだったころは、さしたる不満もなく、
納得していたわけですが、
財政のパイ(直径)がその成長を止めてしまうと、
配分すべき量が、伸びない。
逆に、縮小すると一切れの大きさが小さくなる。
ここで、不満が出てくるわけです。
これらの不満に対して、迎合的な政策を打ち出し、特にそれが一般大衆に対するものについては、
これはポピュリズム、というわけです。

 

歴史的には、のイタリアのファシズム運動、ドイツのナチズムなどが、
既存のエリート層である大企業・外国資本・社会主義者・知識人などに強く反対し、
大衆を擁護し、雇用や労働条件向上を実現する変革を直接訴えたこともありました。

アメリカの中間選挙に限らず、選挙になると、大体ポピュリズム的な政策を掲げるものです。
単純に言えば、歳入無視の支出項目を上げ、支持を得ようとします。
確かに大衆にとっては、実現すれば望ましいという事です。
しかし、その財源はどうするのか。
何を削るのか、という具体的な対案が無ければ、これは政策として掲げるべきではない、と思うんですね。
正に、大衆迎合主義に過ぎない。


ちなみに、北海道の夕張市が、かつて、市民の受けがいいからと言って、
めったやたらと箱モノを作りつ続けたことがありました。
そりゃあ、どうせなら広い体育館がないよりあった方がいいでしょ。
温水プールはないよりあった方がいいでしょ。
市民が集う集会場がないよりあった方がいいでしょ。
気の利いたコンサートホールはないよりあった方がいいでしょ。
で、これを積み重ねてしまったんですね。
当然ですが、建築費としての支出が積み重なる。
これに輪を架けて建築物の維持費がかさむ。
そしてとうとう、行政体として、倒産してしまったんですね。
受け狙いの政策は、受けがいいだけにその裏に潜む問題を覆い隠してしまうのです。

 

このご時世ですから、多くの大衆が、スマホなどのネット情報のやり取りを通じ、
多くの意見を言い、その量によっては一つの権利要求に近いものまで登場するはずです。
いいか、悪いかは何とも言えませんが、
韓国に国民請願制度と言うのがあります。
まあ、アメリカでもこれに近い制度があるんですが、時に正しく運用されない場合もある。
韓国では、大統領府のホームページに登録された請願のうち、
30日間に20万人以上が推薦した請願について、政府と青瓦台の関係者が回答するという事なんですが、
これは時に圧力になりかねない。
それも、誠実な問題ならばともかく、
世間ばなしの延長、井戸端会議的な内容な、
正に玉石混合になってしまうのだそうです。
中には、自分日記みたいなものを毎日投稿する人もいるとか。

 

確かに、かつて江戸の頃、目安箱なるものがありましたが、
まさに現代版目安箱ですね。
大衆の陰に隠れてしまう意見を聞きだすという意味では民主主義的な運用が可能なんですが、
時に、讒言や誹謗中傷になると、本来のものではありません。
ここのところがまさに紙一重なんですが、
それらから、よき効能をうまく活用するというところが大事なんです。

 

私は、一歩間違えれば、ポピュリズムに陥るのではないか、と

昨今の韓国内でのローソクデモなどから感じ取る国民性に危惧を感じるともに、

ポピュリズム的なニュアンスを抱えている韓国の国民請願制度については、

是非とも上手な運営をしてもらいたいと思っています。


やりようによっては、日本にだって必要な事でしょ。

 

| 水嶋かずあき | あれこれ | 10:07 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
エルビス・プレスリー

今は、東京など、中核的な規模のJRの駅は、まるでちょっとしたショッピングセンターのように、
飲食や物販の施設が充実していますが、

その昔は、切符売り場と改札が主要施設で、実にぶっきらぼうなものでした。
で、その頃、ちょっとしたスペースに、ワゴンかなんか何台か並べて、
物を売っている業者がいたんですね。
ネクタイとか、財布とか、時に腕時計など並べて売っていました。


新橋駅でのことです。
そのワゴンの一つに、CDが山のように並べて売っていたんですね。
なんとなく興味があって、その山の中身を吟味していたのです。
と、ビートルズのCDがあって、何やら知らない曲ばかりでしたが、
一応念のため、と言った程度で買ってみたのです。
家に帰って、早速かけてみたのですが、これ本当にビートルズの曲?と思うようなものばかり。
一つは音楽性そのものが、かなりレベルが落ちるんですね。
まあ、録音の音も悪い。
どこか地方の安スタジオの機械で録音したんじゃないか、という感じです。
さらには、歌として、あのビートルズ独特のハーモニーがみじんもない。
ただ怒鳴ってるだけ、みたいな曲ばかりだったんです。
その感想と言えば、ビートルズだってこんなダサイ曲を作るんだ、と思いました。


その後のナパサの番組で、ビートルズだってこんな曲を作った、というタイトルで、
そのCDの中身を紹介したことがありました。

もしかすると、この中でも、

イギリスやアメリカではやった曲があるかもしれない、と思いましたが、
少なくとも日本では、無名の曲ばかりだったのです。

 

先日、例によって、ネットでうろうろしてましたら、

エルビス・プレスリーベスト10、と言うサイトを見つけました。
見出しによると、エルビスの偉大な歌手活動をたたえて、

ローリングストーン誌が、読者投票を募ったのだそうです。
で、その結果とともに、CDのジャケット写真、クリックすればその曲が聴けるという内容でした。

 

エルビスプレスリーは、私の青春時代のシンボルでした。
プレスリーが次々とヒットを飛ばし、

それが日本のラジオ局の洋楽版ヒットパレードと言った番組で流されたのです。
彼が兵役で召集され、空白期がありましたが、除隊後すぐにGIブルースという映画が製作され、
続けて、ブルーハワイ、アカプルコの海、ラスベガス万才など次々に公開。
まあ、ほとんどの映画は見に行きました。
ですから、プレスリーに関しては、そこそこ周知しているつもりでした。
手元には、プレスリーのヒット曲をまとめた、いわゆるベストアルバムのたぐいは、4つほどあって、
その、ベスト10と言うのも、まあ、だいたいどんな曲かは、分っているつもりだったんですね。


で、その内容を見てびっくり。
まず第10位です。
ミステリートレイン。
かすかに記憶の隅にありましたが、これがベスト10?と思いました。
9位が雨のケンタッキー、知らねえな。
8位がアメリカの祈り、これまた知らない。
7位がハートブレークホテル。
うん、これは知ってる、と言うかお好みの曲。
6位ラブミーテンダー、5位好きにならずにはいられない、4位監獄ロックと続き、
いよいよ佳境に入ってきたか、と思いきや、
3位インザゲット、え、知らないぞ。
2位イフアイキャンドリーム、とくると、いつどこで歌ってたんだ、という感じ。
1位サスピシャンス、ですって。
私の知ってるプレスリーの人気ナンバーワンの曲が、知らない曲なんです。
せめて、ブルースェードシューズとか、ハウンドドック、とかであってほしかったな、と。

改めてですが、国民性とは文化の違いがでてくるんだな、と思いました。
アメリカでは、これらの曲が受けていたわけでしょ。
でも日本では、知られていない曲もかなりある。

 

ちなみに、プレスリーは42歳の日本で言う厄年に逝去しています。
プレスリーが死んだ、と言うニュースはファンだった私にはショックでした。
で、確かに、晩年のエルビスオンステージなど見ると、

いささか太ってきていたのは知っていましたが、
その死因はドーナツの食べ過ぎ、とまことしとやかに流布されました。
ですから、仲間との酒飲みついでに、ところでさ、プレスリーの死因って何だか知ってる?
と聞くと、ほぼ全員がドーナツの食い過ぎだろ、と言います。
ま、そうかもしれませんが、また一方で、実は違うんだ、と主張する人もいます。
それは便秘だったからなんだ、と。
トイレで息張って、それで血管が切れて死んだんだ、
つまり、死因は便秘という事さ、と。
ま、どんな説でもいいですけど、
あの憧れのプレスリーがトイレで踏ん張った死んでしまった、と言うのは、
夢が壊れますね。
せめて、ドーナツの食べ過ぎの方がましかな、と思います。
ある説ではドーナツではなく、ピーナッツバターとバナナとベーコンのサンドイッチ、だそうです。

来年の8月16日祥月命日には、このプレスリーサンドを作って食べてみようと思っています。

 

ちなみに、ベスト10はこのアドレスです。
http://rollingstonejapan.com/articles/detail/25320

 

 

| 水嶋かずあき | あれこれ | 11:51 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
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