水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
言った通りじゃないか

何か不都合なことが発生すると、
人は誰かに責任を求め、時に詰め腹を切らせます。
本来、責任を取るのはトップのはずですが、そのトップがグダグダ言い訳を言って、
トカゲのしっぽを探すんですね。
まあ、人間の悲しい性ですが、よくあることです。
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今回のコロナ騒動でも、いまだ収束していないにも関わらず、
トカゲのしっぽ探しが始まっているようです。
そこに白羽の矢が立てられたのは、西浦教授。
別名8割おじさんとか言われている、いや自称?方です。
.
ここにきて、なぜか8割おじさんに非難が集中し始めました。
私は、非難すべき要因は一つもない、と思っているのですが、
今回の騒動で、人それぞれスタンスが異なり、
ざっと仕分けると、病理解明優先派と、経済復興優先派の分かれます。
一般庶民にしたって、経済的打撃をもろに食っている人は、
なぜ8割だったんだ、ぐらいの批判をしています。

挙句の果てに、

経済的な落ち込みによって自殺者が増える。

その数2000人と想定すると、ウィルスから人を救うのか、

経済の困窮から人を救うのとどっちなんだ、と。

これって比較すべき内容なんですかね。

その人の価値観に問題あり、と私は思います。

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冷静に整理してみましょう。
中国でどうもとんでもないウイルスによる感染が拡大しているようだ、
という情報が日本で表面化したのは、1月の半ばです。
で、もしかしたら、きちんと備えないとこれは日本も巻き込まれるぞ、
と警戒すべき論が一般化したのは、2月のはじめです。
恐れていた通り、日本の水際作戦はいとも簡単に崩壊し、
3月には、感染先進国になってしまいました。
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そこで専門家チームが正に日夜奮闘しその対策を立てましたが、
当時その対策に私たちはあまり実感を持って理解していなかったと思うんです。
それこそ3密ってなんだ、ぐらいの調子だったでしょ。
挙句の果てに、人で8割削減といういことが出てきた。
ロックダウンが現実味を帯びてきたわけです。
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さ、ここで問題です。
あの8割説が出てきたときに、これに対抗する理論的な根拠がある対応策を誰かが示したのか、
ということです。
ただただうろたえていただけでしょ。
まして、このまま何もしなければ42万人死亡、と言われたのです。
ここで、この42万人死亡の条件を思い出してほしいのですが、
何もしなければ、ということです。
もちろん、対応策を専門家の意見をベースに打ち出したわけです。
おかげさまで、地獄を見ないで済みそうです。
この42万人について批判めいたことを言う人がいますが、
よくある、主張をする上での良いとこどりの主張ですね。
何もしなければ、という言葉を省いています。
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話は変わりますが、時に、認識を深めるために、

多少は内容を膨らませていうことって多いでしょ。
よく使うのが、みんな言っていた、というやつです。
私はその言葉を聞くと、誰と誰なんだ、貴方の言うみんなって何人のことなんだ、
と聞き返すことがあります。
まあ、正直一番使ってはいけない言葉ですね。
それはともかく、
例えば、南海トラフ地震の発生率が、今年になって、30年70%から
30年80%に上方修正されました。
つまり発生確率が高まった、というわけです。
この数値の修正はだれがどのような根拠で決めたのか、ということが気になっていました。
当然専門家の人たちの意意見が集約されていると思ったのです。
ここで、コロナ騒動と構造が重複してくるのですが、
純粋に科学的見地としての推論と、それによる社会的影響への考慮について、
時に相反することがあるものです。
で、どうも漏れ聞こえてくる情報として、

70%が80%に上乗せされた具体的根拠は希薄なようなんですね。
ただ、大いに警戒を要するという点では一致していたようで、
70%より80%のほうがその気になる可能性が高い、と考えたようなんです。
結果、なにも起きなくても、20%は起きないという部分を取り上げて、

80%の妥当性を説明できるわけです。

つまり、防災に携わると実感すると思うんですが、
まずは他人ごとだと思って、真剣に防災対策に取り組まない人が多いのです。
正に正常性バイアスの集団みたいなところがあるんですね。
したがって、コロナ対策でも同じようなところがあったのじゃないでしょうか。
このコロナでは、著名人の死亡が影響をしたと思うんです。
一挙に、正面から取り組むきっかけになりました。
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でも、42万に死亡に関しては、ここにきて、ちょっと大げさだったんじゃない、とばかり、
反論が出てきたんですね。
そのせいか、新たなコロナウイルス対策の会議に、
西浦教授は外されてしまいました。
ちょっと反応がエキセントリックですね。
わたしは、IT系の理論派は絶対に必要だと思います。
実際ここにきてスパコンの富岳を使って様々な趣味レーションをし、
これを映像化して、3密対策の意味などを裏付けていますが、
基礎データの取扱いとしては専門家の知識が必要でしょ。
何人かのうちの一人としては必要な存在だったのだはないか、と思ています。
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6月半ば、いささか自粛にうんざりしてきた世論に後押しされ、
わきが甘くなってきたときに、
西浦教授はこんなことを言いました。
「生活を戻せば都内は7月にはまた1日100人に戻る」と。
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その通りになったでしょ。

だから言ったじゃないか、と。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 09:44 | comments(0) | - | - | - |
一隅を照らそう
おおよそ、宗祖が登場し、その人生観・哲学観などを説き、
人としての生きざまを指導するようになると、
その周辺に、弟子たらんとする人々が集まってきます。
そしてその教えを布教し、広めてゆきます。
しかし、およそどんな宗祖も、自らが文字を書き、その言わんとするところを
文章にとどめるということはしませんでした。
聖書にしろ、仏教の経文にしろ、のちの弟子たち、さらにはその弟子たちがまとめたものです。
ですから、書き手の意思がどうしても混じってくるのです。
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時に、布教の折にあるたとえ話を思いつき、
それを口にしたところ、大いに人々は理解を深めた、とすると、
これが常套句になってゆくわけです。
キリスト教も、仏教も放蕩息子の話が出てきますが、
おそらく両方とも、弟子の創作ではないか、と思われます。
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つまり、後世で、様々な解釈が付け加えられるのです。
その布教を使命と感じたものにしては、何とか、あの手この手で理解を得たいと考えるわけですね。
お釈迦様は、弟子たちからこんな質問をたびたび受けたそうです。
人は死んだらどうなるのか、と。
お釈迦様は、この質問に対しては、一切答えなかった、と伝えられているんですね。
にもかかわらず、現在に伝わっている様々な宗派の教えの中には、極楽と地獄が出てくるでしょ。
これはキリスト教も同様です。
きっとイエス様は、人は死ぬと地獄か天国かどっちかに行くことになる、なんて言ってないと思うんですね。
そう思う最大の根拠ですが、宗教はもともと今をどう生きるか、ということを解いている哲学なんですね。
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先日、日本の天台宗の祖である最澄に関するNHKの番組を見ていました。
改めてものすごい人だったんだな、と再認識したのですが、
その中で、最澄が書いたとされる巻物が紹介されたのです。
で、その中に「照干一隅」字がアップになって登場します。
これは天台宗が、宗派のキャッチフレーズのように「一隅を照らそう」と言うことを掲げていますが、
その出典となったものです。
まあ意味としては、一人一人それは小さな光でも、何処かそれぞれのたとえ片隅であろうと、
照らすことによって、明るい世の中を作り出しましょう、といった意味があると思うんです。
まあ、素晴らしい考えじゃないですか。
で、その言葉の出どころですが、中国の天台の仏典の中に文言としてしたためられています。
いきさつとしては、中国、隋代にまとまられた仏教書、
10巻の智(ちぎ)の教説を弟子の灌頂(かんじょう)が筆録したものとされています。
俗に、摩訶止観と言われるものです。
まあその辺のいきさつはともかく、中国に渡った最澄はこの天台で学びました。
さらに、日本に帰ってきて、仏教布教のテキスト的なものを作り、
その中に登場するのが「照千一隅」という文字です。
で、一隅を照らそうという言葉の中で、この干もしくは千の文字がどこかに行ってしまっているんですね。
だって、一隅を照らそう、だけなら、照一隅、でいいわけでしょ。
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以前から私もこのことを疑問に思っていました。
いったいどういう解釈をしているんだろう、と。
調べてみると、干(干物の干)の本来の意味なんですが、
犯す、触れる、関係する、地位を求める、と言った動詞、
群れ、岸辺、乾物のほか、
形容詞として、
乾いている、空っぽである、中身がない、
副詞として、労せずして、無遠慮であるなどの意味があるのだそうです。
で、その解釈の上で、照干一隅を理解しようとしても、なんかピンときません。
私はテレビに映った文字をみて、どう見てもこれは「千」だろうと。
これは書道の専門家に鑑定してもらえば、一目瞭然です。
つまり「照干一隅」ではなく「照千一隅」としか読めないんですね。
干物の干ではなく数字の千なんです。
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そしてその意味は、
千隅を照らために一遇を照らすということで、
これなら、中国天台の教えにも沿うのです。
つまり、一隅を照らしなさい、では、時に視野が狭くなるでしょ。
何のためにの目的とか動機があいまいじゃないですか。
でも千隅となると、あちらこちらに光を照らすことになりますでしょ。
つまり目的としては、世の中全体をよりよくするために、あなた自身の力が必要なんです、
という解釈になりませんか。
本来はこれに近い言葉に要約すべきでしょ。
一体「干(干物)」の文字はどこに行ったんだ。
千(1000)の解釈をどうするんだ、ということですよね。
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比叡山というのは、一時は、政権の言動にあれこれ口をはさむまでに勢力を拡大しました。
最澄を慕って多くの修行僧が集まりました。
その中には、法然、親鸞、栄西、道元、日蓮などのそうそうたる名僧が輩出されています。
いわば、日本仏教のメッカみたいなものです。
そこが、どうして、一隅を照らそう、なのか疑問ですし、
多くの学者先生方が、間違いじゃないの、と言ってるにもかかわらず、
既成事実のように、勝手な解釈をキャッチフレーズにしている、という事情が理解できないのです。
なんか、修正してはいけない背景があるんでしょうか。
素直に、間違いは間違い、とみとめることも仏の道だと思うのですが。
| 水嶋かずあき | あれこれ | 09:03 | comments(0) | - | - | - |
老兵は消え去るのみ
都市伝説のようなものですが、
死期を悟った猫は、人前から姿を消す、と言われています。
まあ話半分にしても、実際、飼い猫がある日突然姿を消したしまったという経験を持っている人はいると思います。
よく野生動物の場合、年老いて、群れの中での力を示すことができなくなると、
群れから離れて、ひそかに姿を消してしまう、と。
老兵は死なず、ただ消え去るのみ、とか言われていますが、
消え去り、そして死を迎える、というのが現実なんです。
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で、猫の場合なんですが、ある猫に詳しい人に聞いた話ですが、
猫も年を取ると、一種の認知症みたいになるらしいのです。
特に、犬と比べて、猫は拘束されていません。
隣の庭に行って昼寝するなんてよくある話でしょ。
犬の場合はほとんどない話ですよね。
まあ、猫の方が自由にうろうろしています。
ですから、年を取ると、自分のテリトリーの境が分からなくなるのだそうです。
それでうろうろするので、自分の家に帰る道が分からなくなるらしい、と。
道に迷って、歩けば歩くほどそもそものテリトリーから離れてしまうこともあり、
結局戻れなくなって、飼い主にしてみれば、行方不明ということなんですね。
時に交通事故にあったり、よそのテリトリーを侵害したために
壮絶な争いの末、傷を負い、それが元で命を落とすこともあります。
以前、我が家で飼っていたアメリカンショットヘアーのオス猫が、
少し頭が悪かったんですが、その分、やんちゃなところがあって、
近所の猫とよくケンカしていたんです。
ある時、行方不明になって、暫く帰ってこない。
私はどこかで死んでしまったかもしれない、とあきらめたのですが、
10日ほどすると、よれよれになって帰ってきたのです。
見るも無残、もう全身傷だらけ。
結局感染症かなんかでしょうね、数日で息を引き取りました。
きっと認知も交じって、人のテリトリーに入り込み、
返り討ちにでもあったんでしょうね。
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まあ猫の認知症と比較しては申し訳ないのですが、
人にも、認知症がらみで、行方不明になる人がいます。
認知症の行方不明者の内訳は男性9503人、女性7976人。
都道府県別では1位大阪の2007人、2位埼玉1960人、3位兵庫1778人
そしてわが神奈川は4位の1593人となっています。
一日あたり、4.4人。
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以前、SCNクラブで高齢者の徘徊問題を取り上げたことがありました。
そもそもが、そのころ、徘徊110番とか言って、徘徊老人を探し出すための
ネットワークが作られていて、警察や市役所、民間ではタクシー会社、
そしてなぜか薬剤師会などが、協力をして、徘徊者を探し出す、ということをしていました。
FM湘南ナパサでも、市役所の担当から、徘徊情報が入ると、通常放送の合間に情報を流します。
市の無線広報でも流れることがあるでしょ。
「市内紅谷町に住む、水嶋かずあきさんというおじいちゃんの行方が分からなくなっています。
76歳ぐらいの男性で、身長は179センチ、体重は79,3キロぐらいです。(妙に詳しい)
時々わけの分からないことを口走ります。
グレーのTシャツに、ブルーのジーンズをはいています。
見かけた方は警察署までご連絡をお願いします。」
とか言った内容の臨時情報です。
で、こういう情報の下、それらしき人を見かけると情報が入り、家に連れて帰ることができるのですが、
なぜか、この情報のやりとりが、驚くほど組織化されていなくて、(そのころのことですが)
市役所と警察の連携はほとんどなく、どこが徘徊ネットワークだ、と思ったことがありました。
連携の仕方、責任の取り方など、
全然見当もつかない、ということが分かったんですね。
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その年に発見されたのは1万7340人、このうち、警察や届け出人らが所在を確認したのが1万6775人。
死亡していたのが460人だったそうです。
ほぼ大半が1週間以内に発見されるそうですが、
それでも発見が一日遅れるごとに、37%も死亡率が高まるそうです。
当然ですがこの対象となる人は後期高齢者。
私もその一人。
もしどこかでうろうろと所在なさげに歩いているところを見かけたら、
家に連絡してください。
お願いします。
ま、冗談ともかく、
この後、熱中症などにかかる可能性は大でしょ。
冬場は冬場で、雪国などでの徘徊は凍死など直接命にかかわるそうで、
いずれにしても、いいことはありません。
市によっては、GPSを貸し出しているところもあるようですが、
いの一番は家族の注意。
更に、街中でこれらしき人を見かけたら、声がけするという民間の協力も大事だそうです。
ただ、本人が、状況が分からないので、おびえているそうで、
やさしく対処してほしいということ。
話す時は真正面で話すこと、という注意が必要なようです。
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なんだかんだと、年を取ることは本人も大変ですが、
家族も大変なことが多いようですね。
| 水嶋かずあき | あれこれ | 09:07 | comments(2) | - | - | - |
分眠生活
日々の雑感です。
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最近、いくらご隠居的立場とは言え、生活にリズムが失われてきたのです。
その主な要因は、睡眠時間ですね。
一回の連続しての睡眠時間は、おおよそ4時間が限界。
大体、小便かのどが渇くとか、それ以外の要因で目が覚める。
目が覚めると、なんとなくグダグダと起きてしまう。
何より気持ち悪いので、口を漱ぎ、うがいをし、ついでに顔を洗う。
となると、パッチリ目が覚めてしまうんですね。
こうなると、もう一度床にはいっても、眠れないんです。
したがって、理想を言えば、2時ごろに寝て、6時に起きる。
で、朝のルーチンに入る。
もっとも2時まで起きていられたらの話です。
で、
冷蔵庫を開けて、食材の確認をし、朝ごはんの献立を立てます。
我が家は3人暮らしですが、人数の多少はともかく、食事当番は私の仕事なんです。
原則、ご飯を炊いて、みそ汁、それに3品のおかずを作りますので、
肉、魚、野菜のチェックをしながら、
最近、作らなっかたものを献立します。
でも、朝飯は、8時10分から8時30分開始なので、まだ手掛けません。
内容にもよりますが、3品だったら20分前後で出来上がるでしょ。
ですから、時に8時まであえて手掛けません。
で、机に戻って、ネットをざっと飛ばし読みします。
ブログのネタ探しです。
そもそも心残りだったテーマと、タイミングよくネタに行きつくと、
ほぼそれで決まり。
ざっと構成をして、キーボードを打ち始めます。
ま、これは朝のルーチンです。
朝食を作ることと、ブログを打つこと。
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そういえば、8年前の7月3日。
手術の結果も良好で、ステロイドの投薬の経過観察も終わり、
三度目の退院を済ませて、いよいよ、これで普通の生活に戻るぞ、
と言ったことが、あって、ブログを書いたんですね。
それまでは、入退院が、ばたばたと続いていたので、
ブログも、途切れがちだったんです。
改めて、普通の生活ですから、じっくりと生活自体に向き合わなくてはいけない。
で、何か、新たなルーチンを組み込もう、と考えたので、
ブログを書くこと自体をそれに充てよう、と。
で、以来、8年間、一日も休まず連続してブログを書き続けました。
そう、今日はある意味のブログ記念日なんです。
9年目突入です。
.
まともかく、そんな感じでの朝ですから、
午後になんか予定でもあれば別ですが、
昼前後になると、眠くなる。
誰も時間的な拘束をしているわけでもないので、何しようと勝手な話でしょ。
そこで、ベッドにもぐりこみ、寝ます。
正に昼寝です。
大体3時間ぐらい。
昼寝にしちゃあ長いですが、不足の睡眠時間の補給ですから、まあいいとこでしょ。
で、合計で一日7時間は睡眠が取れるわけです。
まあ、気ままな生活だからできる技ですが、
私はこれを、分眠生活と言っています。
一日二回分けて寝る生活ということです。
いや、正直なところ、ぐっすり連続の7時間が健全なのは分かっていますが、
年を取るとそうはいかない。
最近、どこぞの会社で販売している、ぐっすり眠れるというサプリでも飲んでみようか、
と、かなり本気で検討中です。
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6月26日のブログでも紹介しましたが、
1日、2日と街角広場で、子供たちに書いてもらった3万枚の短冊を
掲出するベースになる星を作ってきました。
特に、1日は雨が降っていて、時にびしょぬれになりながらの作業でした。
で、これが結構体に応えたんですね。
そして、続いて2日目の作業。
もう体の節々が痛くて、筋肉は硬くなってしまい、
結構きつい状態になってしまいました。
驚いたのは、この作業を進めるために、なんだかんだと若者が集まってきて、
最終的には、4〜50人が携わっていました。
年寄は私一人。
まあ、適当な時間で抜け出してきたのですが、
ふと、こんな調子で来年の七夕は大丈夫か、と考えてしまいましたね。
.
日々の雑感ということですが、
日々に老いを感じる雑感でした。
| 水嶋かずあき | あれこれ | 04:32 | comments(0) | - | - | - |
コロナ第二期

謹厳実直なんて、微塵も持っていませんが、
昨今の世情を見ていると、ただのクソじいとののしられようと、
この際、一言いわせていただきたい、と。

それは、例によって、新型コロナウイルスのことです。
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この問題が発生した時から、二つの対極から意見がいろいろ出て、
きっとその間を国も国民も右往左往するんだろうな、と思っていました。
これについてはコロナ初期のころの私のブログで、くどくど触れています。
その対極とは、ひとつは医療上の事情をいかに優先させるか、という視点と、
経済への打撃をいかに軽減させるか、という視点の対立です。
かたや、国民の生命、健康の確保という視点ですから、

これは誰も文句はつけられないでしょ。
一方、どこかでしびれを切らして経済活動を再開したがる輩が登場するはずだ、と。
問題はここのところの説得をどうするかでしょ。
で、結局まだまだ余韻嫋々の状態で、経済優先にかじ取りをしました。
国も、各知事もそれなりに悩んだと思いますし、確たる信念もあやふやなまま、
経済再開の声に押されるように、訳の分からない基準を前提に、非常事態宣言を解除しました。
私はこの時の基準について、専門家ではないので、何とも言えないと感じていたのですが、
それでも時期尚早でないかと思っていたのです。
みな、きっとそう感じていたんでしょ。
諸外国の様子など参考にすれば、終息は確信できていなかったはずです。
それが証拠には、第二波なるものの存在におびえていましたし、
当然その状態になったらどうする、
と対策を練っていたはずです。
.
ざっとですが、一応コロナ第2期とでもしましょうか。
東京を含め、非常事態宣言が解除されて、から、という意味です。
相変わらず収まっていないでしょ。
特に第二期の傾向として顕著なことは、
日本国でいえば、東京が、神奈川でいえば横浜が、
要は都会ほど収まっていない。
都市型感染症なんでしょうか。
ともかく、言っちゃあ何ですが、田舎ほど安全でしょ。
これはコロナ対策として、いまだに忠実に守っている3密なるものから考えれば、
都市型になってしまうんですね。
ある地方の友人に、たまたま連絡することがあって、
そっちはコロナはどうか、と聞いたら、
感染が広がるほど都会じゃない、
何しろ、3密なんて状態は町中の力を合わせなくて作り出せない、と言ってましたから。
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この都会型の感染では、時に第二期に入って、若い人が感染しやすくなったでしょ。
前出の友人にもう一度電話すれば、そもそも感染する若者がいない、とでもいいそうです。
だいたい、今回の拡大の要因は、
第一期では病院でしたね。
43人もの死者を出した病院の院長が記者会見で陳謝してましたが、
初めての経験であったこと、十分な知識がなかったこと、多少はなめてかかっていたことなど、
挙げていましたが、基本的には、病院での感染拡大が中心だったと思うのです。
ところが第二期になっての中心は、いわゆる夜の街感染ですね。
その主なところがホストクラブだって、
いやあ、クソじいとののしられて結構ですが、女が男と金出して遊ぶんでしょ。
そんな低劣な場所が感染源というのが、腹立つじゃないですか。
僕が病院長だったら、そんなところでかかったやつは、門前払いだ、となるでしょうね。
ほんと、むかむかするでしょ。
挙句の果てに、ライブだとか、昼カラオケだとか、ここにきて、
メイド喫茶ときたもんだ。
要は、遊びの場所で感染を広げているんじゃないですか。
工場とか、建築現場とか、仕事の場での感染なら、まだしも、
生産性と何のかかわりもない遊びでしょ。
.
もう一度自粛を進めるような発令をすべきじゃないの。
特に東京ですね。
感染者の分布と経路を精査して、23区でもいいですし、
新宿とか、池袋とか、特定の場所でもいいでしょ。
知事選でそれどころじゃないかもしれませんが、もう一度足元を見つめてもらいたいですね。
じっと第二波に襲われるのを待っているなんて、ばかばかしいでしょ。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 07:59 | comments(0) | - | - | - |
脱プラの問題点

コロナの話題もいささか鮮度を失ってきたのか、
メディアは話題性の高いものを鵜の目鷹の目で探し出し、
何とか番組のネタに仕立てようと躍起になっているようです。
そこで白羽の矢が立ったのが、レジ袋の有料化です。
昨日のワイド系の番組ではそのほとんどが取り上げていました。
で、省令で決められた有料化について、何の疑問もなかったのか、
吹かれている笛に踊っている、という印象でしたね。
.
基本は脱プラで、廃棄されるプラスチックそのものが問題なわけです。
その目標は、数値化されているわけではありませんが、
現行の無制限に使われているプラ製品を減少させ、
さらには廃棄されたものを有効利用しようというものです。
当然ですが、コントロールできずに地球に捨てられる総量も少なくしようというわけです。
.
この脱プラについては、したがって、いくつかの段階に分かれます。
まずは、下流に位置する問題から考えてみますが、
自然界に捨てられるプラ製品が及ぼす被害を減らすということです。
よく、亀の胃袋やクジラの胃袋からレジ袋が出てきたとか、が写真付きで報道されることがります。
それと、分解されずに地中に埋まるとか、
マイクロプラスチックによる海洋汚染とともに、
それが魚に取り込まれ、その魚を食べる人間にも蓄積されるのではないか、
とその危険性が指摘されています。
まあ、どこをどう取っても、あまりいいことじゃなさそうです。
そこでこれらの不安と問題を抜本的に解決するには、というのが脱プラのテーマです。
.
もちろん抜本的に解決できません。
一つは、あまりにも便利な素材のため、これを使わない生活など考えられないからです。
さらに、ほぼ、現在目にする身の回りのプラ製品は、
基本的に捨てることを前提としているものが多いように思われます。
つまり、プラごみを出す体制は完備している、ということでしょ。
したがって、何をどのように規制するのか、と言っても、
生活全般に大きなダメージを与えかねませんし、
その意味でも、経済的なダメージも伴うと思うのですね。
.
そこで、問題は、たとえわずかであろうと、プラ製品に消費量を抑えられないか、
ということと、いかに効率的にリサイクルするか、の二つが考えられます。
今回のレジ袋有料化は、消費量を抑えようとする試みです。
いくらマイバッグを普及しようと、実はそれほどの効果はないのではと思っています。
結局、レジ袋は使い終わったら、単純に捨てられているということはほとんどない、と思うんですね。
何らかの形で、ごみの整理のために使われる。
最後にはプラごみに分類されて、ごみ収集に出される。
マイバッグだって、基本プラ製品の場合が多く、結局は多かれ少なかれ、
プラ製品の消費を下げることはなかなかできないのではないかと思うんです。
そもそもが、プラスチックの原料となる石油の量は全体の3%にすぎず、
目に見えないところでの問題もかなりあるということです。
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ですから、現状では、分解可能な素材の開発と、
有効なリサイクルシステムの構築だと思うんですね。
日本は、リサイクル率80%と言ってます。
諸外国では、この数字を驚いているそうですが、
実は、熱処理、つまり燃やしてしまうのが、そのうちかなりあって、
世界標準でいうリサイクルに回されるプラスチックごみは4分の1くらいにすぎず、
いささか、こ狡いデータを出しているんです。
なんとなく中国みたいでしょ。
.
話は突然変わりますが、ウソかホントか、
中国医師の告発によると、かなりの数のコロナによる死亡者の数が、
他の死因として処理するように、当局から指示があったというんですね。
その医師の感覚では、少なくとも一桁違うはずだ、と。
私も、あのテレビから伝わってくる様子から、案外死者数が少ないな、
と思っていたんです。
もし、事実だとしたら、不都合な真実を隠すのは、どこの国の政権も同じなんだな、と感じました。
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さてプラごみの問題です。
要は、レジ袋を使わなくなるんじゃなくて有料なんですから、
絶対数を減少させるのには、あまり効果がないと思われるんですね。
だって、3円とか5円で買えるんですから、
1000円、2000円の買い物に占める割合でいえば、たか知れたものでしょ。
多少は影響がありにせよ、大山鳴動し鼠一匹と言ったところでしょ。
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何より、国及び地方行政体は、ごみの収集の真の姿を明らかにすべきだと思うのです。
あのペットボトルをラベルをはがし、キャップを分け、時に中を洗浄して出していますが。
それ相応の市民の協力は意味を持っているのか。
特に、プラごみですよね。
神経使ってキッチンでは仕分けしていますが、
どのように扱われているんでしょうか。
時に、ごみ焼却の補助的な燃料として使われているとか。
としたら、何のために仕分けているんでしょうね。
いささか空しくなるでしょ。
これらのごみ処理の行方をもう少し可視化する、というか明確に情報公開することが必要でしょ。
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レジ袋有料化によって新しい性格基準を作ろうということですが、
確かに、コロナは強烈でしたが、
マスク着用は標準的になりましたよね。
更に手洗いの励行とか、より衛生観念は進化したと思うのです。
まあ、これと同等、脱プラの政策も、いつかしっかりと習慣化されてゆくとは思いますが、
その道筋を、不都合な真実を隠すことなく、国民に見せて、協力を仰げば、
日本人は従順ですから、先は見えてくると思います。

| 水嶋かずあき | 環境 | 09:09 | comments(0) | - | - | - |
レジ袋有料化
明日からレジ袋が有料になるようです。
ずっと前から、マイバッグ・エコバッグ運動みたいなものが行われていましたが、
こと、レジ袋に関しては、私は、無関心でした。
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そもそも私は、我が家の食事係ですから、食材を買うのも役割の一つです。
この買い物が結構楽しみで、おたおたすると、
一日の中で、この買い物以外、外に出ない、なんて日は結構あるんですね。
ですから、出不精の私にとっては、食材調達は、けっこうなたのしみでもあり、
重要な生活のリズムの一つなんです。
.
紅谷町で暮らしているので、日々の食材は、
まあ身近ないくつかのスーパーで買い物をするのですが、
それぞれに特徴があり、それに合わせて、どこの店にするか選択します。
ある店は、とっくに有料になっていて、3円でした。
私は、特に、プラごみを捨てるのに、どうしても大のサイズのレジ袋が重宝なんで、
たとえ有料でも袋をあえてもらっています。
それが、最近、大中小と価格が新たに設定され、
5円、4円、3円、となりました。
私にとってみれば1円、2円の違いではなく、プラがどれほど入れられるかが基準なので、
買い物の量というより、袋の容量が優先するわけです。
で、このお店で清算の時に、マイバッグの人もいるわけですから、
レジ袋はつけますか、と質問します。
はい、というと、大中小どれにしますか、と再質問。
その答えに従って、商品をレジに入力し、清算をするのです。
私は最初のころ、レジ袋を有料にしたころ、
レジ係の人にしてみれば、とてつもなく面倒な作業が追加されたな、と思いました。
.
きっとある時、その店の社長が、パートのレジ係の人たちを集めて、
レジ袋を有料化することになった、ということと、
それの対応方法を皆に伝えたと思うんですね。
まあきっと朝礼とかなんかで言ったのと、具体的な対応マニュアルかなんか作って、
皆に周知徹底したと思うんです。
で、その方針を聞いて、パートのおばさんたちは、
あらら、面倒なことをしなけらば行けなくなったのね、とかぼやいたはずです。
でも、このお店は、7月1日、なんて決まりをはるか前から、それを取り入れているので、
それなりに、前向きな経営をしているお店なんですね。
レジ係の人もみな親切ですし、よく教育されている。
でも、お店によっては雇われ店長さんかなんかが仕切っていて、
お客様への対応が不十分なところだってあるはずです。
そんなところは、面倒な余計な作業が増えた、と不平が出そうですよね。
.
まあこれも世の流れ、脱プラを目指すのですから、
ささやかな身近なところで、ささやかな行為を積み上げるということも大事です。
しかし、有料にする、という制度を作り、それを実施させるのは国家です。
当然、脱プラへの対応なんですが、
どう考えても、それ以外のプラ製品のボリュームがものすごいでしょ。
私が、レジ袋を有料でもマイバッグを使わないのは、
この日々排出されるプラごみの処理方法が、
レジ袋以外に思いつかないんです。
台所で調理を経験している人は分かると思いますが、
いったいどうしてこんなにプラごみがたまるんだ、と思うんですね。
もっとも、軽くてもかさばるので、容積として見た目多くなるのだと思いますが、
二日もすると、レジ袋いっぱいになります。
しかも、これにはペットボトルなどは一緒にしません。
主なものは、食品を入れているトレーの類です。
魚はもちろん、肉の切り身を入れたもの、更には、
野菜ですらパックに入っています。
これらは野放図に使えるのに、どうしてレジ袋に白羽の矢が当たったのだ、と。
片手落ちじゃないか。
レジ袋の何倍もプラ製品が出回ってるのに、それらは規制外なんですね。
正直おかしいと思いませんか。
.
食品衛生の観点では、トレーの規制はしにくい。
でもその外側の袋ならいいだろう、と。
ここいらが白羽の矢が立った要因かもしれません。
.
まあうがった見方とも思うんですが、マイバッグの拡大によって、
食品衛生の問題が出てくるのでは、と懸念されています。
確かに、使いまわしのバッグよりは、店頭のレジ袋のほうが、
はりかに衛生的ですものね。
人によっては、コロナ対策の注意を喚起する人もいます。
だったら、有料化なんてするな、と思うんですけどね。
.
どんな政策も、国はこうすると決める。
それにコストがかかろうと、手間がかかろうと、国民は従う。
なんだかんだとこの国はいい国ですよね。
国も国民も。
| 水嶋かずあき | あれこれ | 13:46 | comments(1) | - | - | - |
ダーウィンの進化論
ちょっと残念な話なんですが、
自民党の一部の人たち(と私は思ってますが)が、憲法改正を焦るあまり、
自分たちの主張を通そうと、ある手段で、訴えたのですが、
これが、藪蛇というか、見当違いというか、馬脚を現したというか、
まあ結果として、かなりマイナスを抱え込んでしまったんですね。
6月19日、憲法改正について投稿した4コマ漫画の起承転結でその必要性を訴えたのです。
ご覧になった方も多いと思うので詳細は省きますが、
要は、憲法改正はとても大事なことだ、と。
ダーウィンの進化論ではこういわれておる大事、とした上で、
「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。
唯一生き残ることが出来るのは変化できる者である。」
と展開し、
結では「これからの日本をより発展させるため、今憲法改正は必要なことだと考える」としてるんです。
まあ、憲法の改定については、私は保守的に考えますので、
いじる必要はない、と考えます。
とくに9条については、現状すでに様々な拡大解釈を既成事実にして、
集団的自衛権までその活動範囲を広げてきました。
これにしてがって、防衛庁の年間予算も、年々拡大し、
今や5兆円を超えて、その費用により、軍事費は、
世界ランキング9位ということです。
米・中・サウジアラビア・インド・フランス・ロシアなどに続きベストテン入りしています。
単に軍事費だけでなく、軍事力の比較があります。
兵員数とか、保有兵器の総合的な評価ですが、これは世界で第5位に入っています。
あの平和憲法で、不戦を誓っている国がです。
まあ、世のなか変わりつつある、としても、平和憲法下でもこれだけのコストを負担し、
軍備を保有しているんですから、憲法まで変えてその先何しようというのだ、というところでしょ。
.
今こそ憲法を変えて戦力充実を図るべきだ、
という人もいるでしょうし、様々な考えがあると思うのですが、
国としてというか、政権として、何とか軍国化を図りたい、という輩は必ずいるんですね。
人様々ですが好戦的な人っているでしょ。
そういう人が政権に交じっているんです。
そこで、何とか憲法改定を進めたい、と。
で、あの手この手で、国民を洗脳しようとしているわけです。
そこで登場したのが、ダーウィンの進化論です。
.
私も人並みにダーウィンの進化論は知っているつもりですが、
どこをどう見てもあんな言葉は出てこない。
特に、唯一生き残ることが出来るのは変化できる者である、なんていう言葉はただの創作なんです。
.
今更ですが、ダーウィンがガラパゴス諸島で観察し、経験した種の変化について、
その後整理して出版したのが進化論です。
これは、生命は神の手で作られた、という宗教的教義に真っ向から対峙したものだったので、
当時は非難轟轟でした。
しかし時の流れとともに、どうもそうらしいということになってきたわけです。
生物たちは、ものの見事に環境によってすみ分けてきたんですね。
これはいたって単純な法則があって、
確保できるエネルギー源、つまり捕食できる対象と、
捕食するために必要なエネルギーの収支が、プラスにならなくてはいけない、ということです。
捕食に必要な動きをしますので、そのためのカロリーと生体維持に必要なカロリーの合計が、
捕食した対象、ライオンでいえば動物の肉体、バッファローいえば草など、から得られる
エネルギーが超えていないと、飢えてしまい、死んでしまうんです。
ですから、このメカニズムに打ち勝つために、環境に適応してきた。
その環境の変化と、生体の適応力のバランスが崩れると、種は絶滅するんですね。
.
強いこと、賢いことは進化の大いなる手助けとなってきました。
変化のできるものという表現は、人間社会の現状で、速度の速い環境の変化に関していえば、
その通りかもしれません。
しかし自然界において、急激な変化には、普通はついてゆけないのです。
例えば、ウミガメを例にします。
ウミガメは孵化するときの気温が、29℃を境に、
それ以下だとオスが多くなり、それ以上だとメスが多くなります。
で、もし地球温暖化が進み、どこもかしこも29℃を超えてしまうと、
メスばっかりになって、結局は種は絶滅します。
しかし、DNAというのは、ある意味危険分散をするので、
100個の卵のうち、30℃でもオスになるというDNAを10%持っていたとしましょう。
そのままでは圧倒的にメスですが、1℃ぐらいの差では、何とかなる。
そしてその子孫がやがて淘汰されて、30℃を雌雄の分岐点になるという風に進化したとします。
こうなると、30℃でもなんとかなります。
しかし、それには時間がかかるんです。
地球の気温の上昇が、亀の卵に与える影響の調整力を超えてしまうと、これはもうだめなんですね。
ですから、変化と言っても、とてつもない時間を必要とするものですから、
そのことは、ダーウィンも言ってないのです。
.
はっきり言って、この憲法改正に4コマ漫画は、間違いなく誤用なんですね。
いや間違った、では済まないでしょう。
知性と知識の欠如をあらわにしてしまったんですから。
.
アメリカの統計的な話です。
アメリカ国民に調査をしたんですね。
様々な雑学的な事柄など含めてです。
例えば、地球は平らである、なんてことを信じている人が2%いるとかも答えが出てきました。
更に、ダーウィンの進化論なんて信じない、という人もいて、その数なんと34%です。
アメリカ人の3人に1人は、生物は神が作ったものということをかたくなに信じているんです。
まあ、これは宗教的なことが深くかかわっていると思うんですが、
もし、日本人で、ダーウィンの進化論を信じていないという人が3人に一人いるとしたら、
自民党も、あんな間違いをしなかったでしょうね。
だって、あの漫画の言わんとするところは、34%の人に通じないからです。
| 水嶋かずあき | あれこれ | 09:58 | comments(0) | - | - | - |
人種差別

人はどうして差別をするのでしょうか。

.
以前、岡山に行ったとき、岡山の人と飲みながら、
息子、娘の結婚の話になりました。
もちろん、親も望ましいと思う相手と結ばれることが最高ですが、
親子の価値観が一緒になるとは限りませんから、

必ずしも理想通りになるとは限りません。
そこで、こんな相手ならいいな、という話とともに、
こんな相手は嫌だな、という話になりました。
岡山の知人は、よつ(と言いましたが、要は部落出身者のことです)、
この連中とだけはどんなことがあっても結婚を許さない、と。
あまりに強硬な姿勢だったので、私は驚いて、
つまらぬ選択肢を渡したのです。
例えば、その辺にいるごく普通の日本人だけど、箸にも棒にもかからないようなくずと
娘さんが結婚したいと言い出した。
一方、なかなかの好青年で、優しさにあふれ、行動力に満ちた青年が、
娘さんと結婚したいと言い出した。
ただし、この人はよつだったとしましょう。
さて、どちらを選択しますか、と聞いたら、
彼は、迷うことなく、くず野郎でいい。
よつは絶対ダメだ、というんです。
この偏見に満ちた考えは、

きっとその土地の中で伝統的に伝えられているものの見方で、

はたのものが、いいとか悪いとか判断するものではないな、と思ったんです。
だって、岡山の知人は、そのよつに関する偏見以外は、実に望ましい人格者だったのです。
.
偏見とは、当然後天的に教育されたものです。
積極的な教育でないにしても、自然にそういう価値観を持った人々に囲まれていると、
いつの間にか、そういうもんだ、という考え方がごく自然に身についてしまうんですね。
そのような考え方を持ったということに責任はないものの、
トータルに見てみれば、それは大きなマイナスでしょ。
でも、子供のころからそういうもんだと受け止めてくれば、
ごく自然な教育成果になってしまうんですね。
つまり、これは、社会性としての伝承ですから、
なかなか修正しきれないと思うんです。
じわじわと次の世代に伝承されてゆく。
この、人間に対する差別意識というのは、

一朝一夕では修正できないものなんでしょうね。
.
リンカーンが奴隷解放に尽力しました。
法として、その裏付けを作り出したのですが、
人に染み付いた偏見はなかなか改善されませんでした。
特に黒人に対する偏見は、おぞましさを感じるほど執拗なものがあり、
時に、アメリカ人の意識レベルを問うようなことが続いてきます。
18世紀、アフリカから奴隷狩りにあって、奴隷船に載せられ、
南北アメリカ大陸で、隷属的な労働につかされ、

黒人たちは、まさに悲劇的な人生を送ることになりますが、
その数2000万人です。
どう考えても、彼らは肌が黒いだけで、何も悪いことをしたわけではないでしょ。
しかし、武力のもとに捕えられ、鎖につながれて、

動物並みの仕打ちを受け続けてきたのです。
.
当然、同じ人間として、これはおかしいじゃないか、と思った人は多くいます。
しかし、最初から肌が黒いだけで、偏見を持たれてしまい、
その見方が標準になる。
黒人への扱いは、そういうもんだ、という常識が前面に出てくるわけです。
この偏見を拭い去るのは、とてつもないエネルギーが必要で、
しかも、多くの犠牲を伴っています。
.
先日黒人男性が、白人警察官に首を圧迫され死亡しました。
これに抗議して、このコロナ騒ぎの最中に、大規模なデモが起きました。
アメリカという国はまだこんなことをやっているのか、とちょっとばかり驚いたんですね。
いや、少なくとも日本人は、そもそも人種偏見が希薄な国民ですから、
アメリカでも、いくらかは黒人蔑視は減少しているんだろう、
と勝手に思っていたと思うんです。
.
アメリカのドラマを見ていると、多くの黒人俳優が出演していますね。
例えば、刑事ものだったりすると、相棒には、黒人がキャスティングされています。
それ以外に、ちょっとしたチームを組むと数名の黒人俳優が登場します。
ドラマを見ている限り、そこそこ黒人が活躍しているじゃないか、と勘違いするんですね。
いや、実態を知らなさ過ぎました。
.
現実的なデータがあります。
アメリカベスト500の企業のCEO(chief executive officer)の中で、

黒人は、なんと4人しかいないのだそうです。
え、そんなもん?と思いませんか。
これがアメリカの現実なんですね。
人種差別には根深いものがあるんです。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 10:09 | comments(0) | - | - | - |
ネットが百科事典
教育というものは、二種類のものに分かれます。
一つは、基本的な人格の形成を助けるものです。
もう一つは、主として生活に対応できる知識の習得を助けるものです。
人格の形成は、主に社会性を涵養するもので、
人は、集団生活によって成り立っていますから、その社会性の形成です。
そのために、コミュニケーションをとることが必須になりますから、
まず言語を教えます。
次に、社会性の基本となる、モラルとか、集団におけるルールを教えます。
敬意とか、寛容とか、友愛とか、感謝とか、
要は仲良く暮らしていける基礎的な感情をはぐくむことも教育されます。
これらは主に家庭で行われます。
家庭というか、親の愛情で教育します。
ここが大事なところです。
なぜなら、「愛」は愛でしか育成することができないからです。
.
もう一つの生活に対応できる知識の習得については、
現代では、学校がその役割を担っています。
その教育のシステムとしては、万国共通で、
分野に分かれた教科に従ってものを教えてゆきます。
どの国であれ、100%こういうシステムということは、
長年にわたって実施されてきたな集団教育のシステムとして、
成果が認められているからです。
国語、といえば、言葉と文法と、慣用句と、文字等、要は読み書きを軸に、
読解力を養うためにカリキュラムが構成されているでしょ。
算数、数学は、足し算引き算から始まって、掛け算割り算、
さらに、レベルを上げて微分だの積分だの、
私は高校時代に選択しませんでしたから、いわゆる数2で終わっていますが、
数理的判断力を養います。
ま、いずれにしても、学ぶべき事柄を体系的に系列化して、
それを履修させます。
.
で、一方、百科事典的教育というシステムがありました。
これは極めて希少な手段だったのですが、
おおざっぱには、ヨーロッパの上流階級の家庭で、
家庭教師を雇い、子弟の教育をさせていたことがあったのですが、
この時、百科事典をテキストにしたのです。
ご存じの通り百科事典は、A・B・Cと項目が整理されていて、
したがって、科目が体系的に並んでいるわけではないので、
数学の後に科学、次の項目は文化という具合に、
体系づけられていたわけではありません。
しかし、これはよほどしっかりと全体との体系を整理しながらでないと、
まあ、時に支離滅裂になったしまいそうですよね。
もっとも、絶えず目先のテーマが変わるので、
飽きることなく、人によっては集中力を持続できたのかもしれません。
いずれにしても、もしこの方法が効果的であったなら、
今の学校教育のシステムとして取り入れられていたはずです。
跡形もない、というのは、金持ちの気まぐれと、独自の人生観があって、
わが子の教育を家庭教師に委託したんでしょうね。
.
以前、ブリタニカの百科事典を私の母が、わが娘、つまり母の孫のために、
全セット、えい!とばかりに買ってくれたことがありました。
専用の本棚までついていて、きっと何十万かしたんでしょうね。
結局、娘たちは、ただの一度も百科事典を手にすることはありませんでした。
私も、ほんの数回何かの調べもののために手にしただけで、
およそ10年近く、我が家の居間の装飾品として置かれていたのです。
まあ、百科事典の活用なんて、もはや前世紀の遺物みたいなものでしょ。
少なくとも、ネットという世界が、これにとって代わりました。
.
何かを検索すると、
少しボケたところのピント合わせもさることながら、
それらに付随して、前後に掲載されている内容に目を通し、
へえ、そうだったのか、なんて驚く新事実の発見というのが、かなりあります。
私は、これらの経験をしながら、もっと若いころにこんな道具があって、
気軽に様々な知識に触れ合う機会があったら、
もっと素晴らしい知識を身に付けることができたんじゃないか、と考えるんですね。
少々残念だった。
時すでに遅かった、という感じでしょうか。
学生時代、向かうべきところがあいまいだったせいか、
特に、大学受験では、いやいやの勉強をしました。
どうしてこんないやなことをしなきゃならないんだ、と。
しかし、学校を卒業して、暫くすると、目指すべきこと、
言い換えればテーマは明確になってくるわけですから、
学ぼうという気持ちが明確になってきます。
その意味では、人生では、不思議なことに、年を取るほど学ぶようになるんですね。
まあそういう意味でも、ネットにあふれている様々な情報は、
いいテキストになっているんです。
.
ウィキペディアなんてこの代表でしょ。
私はかなり信頼してるので、まずはここで調べ物をします。
さらに、視点を広げ、偏りをなくすため、その周辺の項目をチェックします。
その上で、時に胡散臭い主張があるので、これは排除します。
なぜ胡散臭いと感じたかの根拠はありません。
正に自分が持っている価値観の範疇であるかどうかが基準です。
そうすることで、全く新しい知識を身に着けることができると思うんですね。
最も残念なのは、その身に着けたはずのものが、
ものすごい速度で失われてゆくんです。
もともと記憶力が弱かったのですが、ここにきてより進んでしまいました。
逆に、だからこそ、身近に検索できるネットの情報が必要なんですね。
| 水嶋かずあき | あれこれ | 06:29 | comments(0) | - | - | - |
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