水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
おもてなしのまち

まずは、昨日の報告

午後1時から、スターモールで東海大学の箱根駅伝初優勝を祝賀して、

パレードが行われました。

東海大学のマーチングバンドの先導で、4〜5台のオープンカーに乗って、

東海道を駆けた選手、そして監督が笑顔で手を振ってました。

沿道にはかなりの市民がやってきましたが、まあまあの数でしょうか。

広報がうまくいけば、人垣は二重三重になって盛り上がったのに、と感じました。

でも、まあ、結構楽しい瞬間でした。

 

さて、今日の本題です。

 

先月改正入管法が成立、施行されました。
正式な名称は「出入国管理及び難民認定法及び法務省設置法の一部を改正する法律」と言うことです。
まあ、大雑把にいえば、従来より、日本で労働目的として入国、在留する条件が拡大され、

緩くなったということですね。
当然ですが、日本で働きたいという人の受け入れ枠が広がったので、

今後、外国人労働者の数が増えてゆくと思われます。
ま、すでにそういう枠はあったわけですが、実態として、適切な運用がされてこなかった、
いわゆるブラックな面も多く、これでいいのか、と言ったことの指摘が多くあったものの、
経済界のせっぱつまった人手不足に対するニーズを受け、
与党がごり押しと言った感じでこの法律の成立を促したわけです。
冷静に考えてみれば、きれいごとを言っていますが、
日本人がいやがる職種、いわゆる3K労働の補てんが実態でしょ。
3K労働とは、「きつい」「 汚い」「危険」な労働を、頭文字をとったものです。
一般的には建設・土木、ゴミ処理などの肉体労働や、介護士など勤務・労働条件の厳しい職業を指しています。

 

そう言えば、先月まで、このマンションは大規模修繕工事をしていたのですが、
足場の組み立て、解体、タイルの貼り替えや、ペンキ塗りなど、大半が日本人労働者ではありませんでした。
国籍まで確認しませんでしたが、見た目東南アジア系の人たちでした。
日本人、特に若者はこの類の仕事にはつきたくないんでしょうね。
そこで、相対的な人手不足になるわけです。

 

ですから改正入管法は、ここを補おう、と言う魂胆でしょ。
最近、外国からの、いわば、出稼ぎ労働者の実態がいくらか明らかになり、
今までの3K労働から、視点が変化し新3K労働と言われるものになったそうです。
「帰れない」「厳しい」「給与が安い」などのローマ字の頭文字を取って新3K労働だそうです。
ですから、ぶっちゃけこの法律は、みんないやがっているんで、誰かやってくれない、と言う呼びかけでしょ。
なんか、一段下に見た労働の現場のニーズを、それでも稼げるんだからいいんじゃない、と言った感じですね。
外国との生活格差を前提に、相手の足元を見たような法律と言うことです。
しかし、日本に幸せを求めてやってくるわけですから、
こういう状況の人の足元を見る前に、きちんと人間としての経緯と、彼らが望む待遇を保障すべきでしょ。
悪く言えば、奴隷のごとく扱う企業もあるようで、まさにこれは日本の恥でしょ。

 

私達が子供の頃の、特に終戦後4〜5年のうちでは、
外国人というイメージは、主としてアメリカ人のことでした。
ま、もうほとんど死語でしょうが、軍服をカッコよく来た兵隊さんがいると、
ギブミーチョコレート、などと言って物乞いをしたものです。
ですから、街角で、外国人、特に白人を見かけると、
ツイツイ目で追ってしまったものです。
まあ、珍しいものを見ると言った目つきだったと思います。
そして、日本は朝鮮戦争の軍需景気をもとに、経済的な立ち直りをし、
国家として自立してゆきます。
それとともに、外国人の人たちも少しづつ増えてきましたが、
その国別の変化が出てきたのが、東京五輪前後からですね。

 

大学生の頃、高田馬場の裏道を歩いていて、向こうから子連れの主婦がやってきたんです。
道が分からなかったので、すみません、と声をかけて道を尋ねると、
何語かで、多分、よくわからない、とか言ったんじゃないかと思うんですが、
要は日本語が通じない国の人だったんですね。
その頃は、見た目で日本人らしい人で、外国籍の人と言うのは珍しく、
そんな経験を学校に戻って一話したものです。

 

そのぐらいですから、このころから、中国、韓国、タイ、フィリピンなどの人が

少しづつ増えてきたような気がします。

 

ところで、我が平塚ですが、在住外国人は4779人、人口比で1.9%。
50人に1人は外国籍の人なわけです。
ちなみに、その国籍ですが、中国876人、フィリピン785人、ブラジル660人
ベトナム403人、韓国398人、ペルー164人、タイ108人と続いています。

 

さて、できれば、この人たちに、平塚って住みやすいまちですか、とか聞いてみたいですね。
きっと彼らの望むものと私たちが望むものは、そう大きくは変わらないはずです。
私達が見慣れてしまった景色を、彼らは新鮮な感覚でとらえているかもしれません。
その感覚こそが、まちづくりに有効なヒントになるはずなんです。

ただ単に、このまちにやってきた外国籍の人、と言うだけでなく、
このまちの良さを享受してもらいたいですし、
このまちをもっとよくするための考えを聞かせてもらいたいですね。
そしてこのまちで暮らす以上、このまちの情報が十分に伝わり、できるだけ言葉の障害を越えて、
普通に生活できる環境になったら、素晴らしいことだと思うのです。

 

東京五輪誘致の時に、お・も・て・な・し、という言葉がはやりましたが、
何も、イベントとか観光とかの限定された期間の来日する人たちだけが対象になるのではなく、
日々、共に暮らす人々に対しても、日本人の心優しさとして、
おもてなしの国として、接することが出来たら素晴らしい、と思うのです。

まずそのためにも、必要なのはこのまちのおもてなしです。

 

| 水嶋かずあき | 平塚のこと | 11:22 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
祝勝パレード

誠に申し訳ありませんが、今日もまだ箱根駅伝です。

 

その後、ネットでも様々な情報が整理されてアップされていますが、
メディアが仕立て上げたのかどうかはともかく、
箱根駅伝の魅力について多くの認識が深まり、世間の関心も高まってきています。


よく考えてみれば、陸上と言う多種多様な種目がある中、
一応その種目のトップレベルの選手名を知っているかどうかとなると、
ごく一握りのアスリートたちの名前しか出てこないでしょ。
走り幅跳びとか、砲丸投げとか、800辰箸、なんとなく陰に隠れがちな種目については、
誰がトップ選手なのか、なんて関心ないでしょ。
でも、100辰覆匹涼撒離、逆に、マラソンなどの長距離となると、注目度も高まり、
併せてメディアの扱いも多くなり、多少なりともその名前が出てくると思うんです。
特に、最近は、中長距離の選手と言えば、ほぼ箱根で、走ったかどうかが勲章の一つになっていて、
箱根駅伝でテレビ画面に映され、インタビューを受けたりすれば、その瞬間から有名人ですものね。
ささやかな記憶をたどっても、その年度の優秀な走りをした選手名ぐらいは記憶の片隅に残り、
今度は社会人になって、ニューイヤー駅伝などに出場すると、ああ、以前箱根で走っていたな、となるでしょ。
特に、マラソンで日本新記録を出して、1億円の褒賞を受けた大迫選手と設楽選手は、
箱根出身ですものね。

 

このような一種の社会的現象のように、メディアが、密着取材したりすると、
その効果は大きく、そこで得た情報を、実際の競技の中で確認する、ということになりますよね。
まさに、相乗的効果があるわけです。
そのいい証拠として、事前に最も露出の多かった青学の原監督は、
注目を浴びていた5連覇はならなかったものの、確かに復路優勝ですから、無冠と言うわけではないのでしょうが、
その後のマスコミ、ネットなどでの露出は、東海大学の両角監督より、多いですものね。
両角監督は優勝監督じゃない、と思っても、メディアの習性なのか、ここは、仕方ないんでしょうね。
誰がどんな情報を欲しがっているのか、ということが彼らの判断基準ですから。


ま、ともかく総体としては、こんなデータが出てきました。
テレビの視聴率(ビデオリサーチ調べ)です。
2日の往路は30・7%、3日の復路は32・1%。
中継をした日本テレビによると往復の平均は31・4%で、

同局で中継が始まって以来の視聴率の歴代1位をマークしたそうです。
瞬間最高視聴率は、往路が1区の先頭集団がタスキをつなぐ場面の37・5%。
復路が総合2位の青学大がゴールした場面の37・7%。

さるテレビ番組で、コメンテーターの玉川さんが、出場校名を見ていると、西日本の大学がない、とコメントし、
ゲスト出演していた瀬古さんから、基本的な知識がないと指摘されていましたが、
確かに、関東学連の主催であって、関西地区の大学は蚊帳の外。
ですから、関東と関西では、その関心度は明らかに違うはずです。
ちなみに、関西地区のテレビ視聴率の平均は2日が15・8%、3日が19・5%。
ま、およそ関東の半分です。
このあたりも、箱根駅伝全国化の要因になるかもしれませんね。
マスコミの力はなかなかのものですから。

 

さて、我が平塚、反応がが鈍い、と思っていたら、結構それなりの動きがあるようで、
市役所には、優勝を称える懸垂幕が下げられたとか。
それなりの祝勝ムードはあるようですが、
ここにきて「湘南スターモール」で、祝勝パレードをする、と言う企画が持ち上がっているそうです。
いつ、どのようにするのか、詳細はこれからだと思うのですが、
市役所の企画政策課は大学側から正式な依頼があれば前向きに検討する、と言っているようです。
あの箱根路を走破した若者たちに祝意とねぎらいを市民として掛けることができるのなら、
これはうれしい企画ですね。

平塚市産のイチゴが好きだという郡司君も身近で見ることができそうです。
かみさんが、興奮している私に、だったら、イチゴ差し入れてやればいいじゃない、と一言。


まあ、どっちにしてもその時は我が家から100メートル先でパレードをするんですから、
道端に出て行って、お祝いをしたいものです。

 

中心街のど真ん中、スターモールと公園通りの交差点には、
昨年、ベルマーレが優勝したことを称える横断幕が掲示してありますが、
ベルマーレがルバンカップで優勝し、
年が明けたら東海大学が優勝し、めでたいことが続きますね。

2019年はいい年になりそうです。

 

そう言えば、話が変わりますが、
この1月、SCN・湘南ケーブルテレビの市民クラブTVの番組で、
ベルマーレ創立50周年を記念した番組を放送しています。
出演は、ベルマーレの会長、真壁潔さんとフジタ時代に選手として、
また、ベルマーレ時代にコーチとして活躍された、現・県議会議員森正明さんをお迎えし、
50年の歴史を振り返ります。
ちなみに聞き手は私、水嶋一耀です。
時間があったら、ぜひご覧ください。
なかなか興味深い話が展開されています。
時間は、毎日8:30と17:30分の2回です。

 

| 水嶋かずあき | 平塚のこと | 10:29 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
東海大・箱根初優勝おめでとう

東海大学が箱根で見事優勝。
いやいやおめでとうございます。
昨年下馬評の割に順位を上げられず、ちょっと残念な気がしていましたが、
今年は見事に雪辱。
平塚市民としても、うれしい限りです。

 

平塚にある大学とは言え、北の方に位置しますし、
平素、平塚市民との交流も一部の人に限られ、一般的にはそうそうあるわけでなく、
平塚には東海大学がある、と言う程度の認識だったわけでしょ。
ともかく、今回の東海大のチームは、その拠点を湘南キャンパスに置いているんですから、
まあ地元のチームが優勝した、と言っていいでしょうね。

一昨日のブログの話の続きで言えば、
たなばた、湘南平、総合公園、ベルマーレ、囲碁まつり、
そして、箱根に優勝した東海大学、と指に折っていいでしょうね。
なんとなく、平塚に元気を与えていただきましたね。

 

さて、今朝は、テレビで、早速優勝メンバー監督などの生出演。
裏話を、若者らしく、あっけらかんと披露してくれました。
勝ったからでしょうが、それは明るく楽しい雰囲気で、番組が進行してゆきました。
で、各選手がアップで寄る場面になると、
下の方に、テロップで名前が表示されます。
その下の段に、好きなものが同時に表示されるんですね。
10区を走ったアンカー・郡司陽大選手のテロップの好きなものの表示部分に、
平塚市産のイチゴ、とあったんですね。
見逃した人も多かったと思いますが、これって、うれしいことじゃないですか。


いい宣伝になったという人もいるかもしれませんが、
それ以前に、平塚を拠点にトレーニングをしている選手が、
何らかのきっかけで平塚産のイチゴを口にしたわけでしょ。
東海大学から、イチゴ農家が散在する金田地区は近いですもんね。
十分に、おいしいイチゴを食べる機会に恵まれていたんでしょう。
それをおいしいと思ってくれたこと、
そしてただ苺ではなく、平塚市産と表現してくれたこと。
たくさんの好きなものがあると思うんですが、
彼の一番として挙げてくれたことなど、
ありがたい限りじゃないですか。


私達のだれが、平塚産のイチゴをおいしいと食べていますか。
ありきたりに、スーパーの店頭に並ぶ、他県産のイチゴを、何の感慨もなく食べているんでしょ。
もちろん、生産者側としても十分なシステムが出来上がっているとは思えません。
市内の有名スーパーではほとんど扱っていませんものね。
2年連続してお米の賞味特Aを獲得した平塚産のはるみだって、なかなか市内で買うのは大変でしょ。
ご存知でしたか。平塚産のはるみは、あの魚沼産のコシヒカリを抜いての特Aなんです。
大いに自慢すべきですし、それを体で感じるべきでしょ。
イチゴだってそうです。
食べて味わってほしいものです。


1月4日号の広報平塚の6面に、イチゴのイベントを楽しもう、ということで、
様々な関連にイベントが紹介されています。
まずは、花菜ガーデン近辺の湘南いちご狩りセンターまで出かけて行って、
素朴に、いちご狩りから始めたらいかがでしょうか。
1月5日から始まっています。
家族連れなんかで出かけるのは最高でしょ。
そう、あの郡司君がほめていたいちごです。

 

さて、話を東海大に戻しましょう。
今回の陰の立役者はなんといっても両角速監督です。
名前もいいでしょう「速・はやし」です。
箱根駅伝と言うと、青学の原監督がメディアにもよく顔出しをしていて、
その陰に隠れがちでしたが、なかなかの名伯楽。
そもそもが、学生時代、東海大で陸上部に所属し、箱根駅伝にも出場しています。
で、1995年に佐久長聖高校教諭となり駅伝部監督に就任します。
そしてコツコツと実績を積み上げます。
成果として、上野裕一郎、佐藤悠基、あの大迫傑らを輩出し、佐久長聖高校を長距離陸上競技の名門校に育て上げます。
佐久長聖高校はは外国人留学生のいない日本人高校生のみで構成されるチーム作りをし、
全国高校駅伝で1998年から2010年まで13回連続出場、12回入賞の成績を残しましたが、
中でも2008年の大会には村澤明伸ら擁して初優勝を果たし、以後強豪校としての地位を築きます。
このような実績を掲げ、東海大学の駅伝監督として就任。
科学的データを駆使した独自の指導方法で、ついに、箱根初優勝を成し遂げたわけです。
これは、今後のことで考えれば、単なるフロック・まぐれではなく、しっかりとしたレベルにたどり着いた、と感じます。

 

気の早い話ですが、来年が楽しみですね。

で、今回の快挙とともにもっと平塚のまちとの距離が縮まればいいな、と思っているんです。

| 水嶋かずあき | 平塚のこと | 10:11 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
商業祭りの在り方

今日は朝から、中心街で商業祭りが開催されました。
あいにく、小雨状態の天気で、正直、さほど雨脚は強くなくとも、
傘なしでは、濡れてしまうという状態。
私は、実際現場で飛び回っていたので、一度濡れた服を着替えに戻ったほど。

 

この商業祭りは、その原点ともいうべきところは、
まだ見附台に体育館があったころ、体育館内とその前庭を使って、
産業祭りとして、平塚の商工業者が中心に、見本市的な内容で市民に、
平塚の産業全般の現況を理解してもらおうという内容で開催されていました。
ところが、体育館が取り壊しになり、馬入のアリーナにその機能が移転されることになりました。
産業まつりのホームグランドがなくなってしまったのです。
そのため、そこで開催していた産業まつりも、自動的に中止となったのです。
そして、アリーナ完成後、今度はそこで、かつての産業祭の延長、改定版として、
室内型の見本市的イベントのテクノフェアが開催されるようになったのです。

これは基本的に工業系のイベントです。
すると、なぜか商人たちが、工業系の祭りが再開されたのに、
なぜ商業系の祭りは中止になったままなんだと。

そこで、では、とはじまったのが、商業まつりです。
で、商業まつりでは、イベント名としては、ぶっきらぼうで面白くない、と、
魅つけ市、という名称にしました。
こういう時って、ぶっきらぼうであっても商業祭りの方が、意味が分かりやすいでしょ。
魅つけ市では、説明が必要になってきます。
でも、まあ、ぶっきらぼうだから、という感じがあったので、
この魅つけ市と商業祭りを合わせて、商業まつり・魅つけ市、とややこしい名称にしてしまったのです。
大体実行委員の中でも、魅つけ市、と呼ぶ人もいれば、商業まつりと言う人もいて、
これと言って統一されていません。
まあそんなことどうでもいいことなんですけどね。


で、初期の頃、実行委員会に出席したところ、
確か商工会議所から原案が出されたんですね。
それが、二日開催なんです。
どうして二日開催なのか理由は分かりませんでしたが、
勘ぐれば、工業系は3日間もやってるんだから、おれらだって、せめて二日ぐらいはいいんじゃないか、
という、どうも意地に近い競争意識と、見栄が混じった理由ではないかと思ったんですね。
で、ともかく原案は2日間。
私は、常識的に考えて、室内ならば、ブースもいちいち片付けなくてもいいのでしょうが、
中心街の路上で開催するとなると、一度出したものを、片付け、翌日も出店する、って、
そんなややこしいことを受けるところがあるんだろうか、と疑問だったんです。
第一、二日間にわたって集客できるかどうかも疑問でした。
例えば、一日の開催で一日1万人の人出を得たとします。
で、二日間だったら2万人になるのか、とは思えなかったんですね。
むしろ分散してしまうのではないか。
初日に来た人がまた来るというリピートは期待できないと思ったんです。
つまり、2日間開催するんだったら、路上での出店という事を考えれば、
違うテーマで展開すべきではないか、と。


初日のテーマと二日目のテーマを変える必要がある、と考えたのです。
そこで、初日に関しては食を中心にしてみようと提案したのです。
なんとなくみなそれに賛同してくれて、結局、初日のプロデューサーをすることになったのです。
そこで打ち出したのが、メイド・イン・ヒラツカ・グルメフェア、というタイトルでした。
要は、地産地消で、平塚産の食材をさまざまな調理法で展開し、
楽しんでもらおうという企画です。


まあ、それなりに苦労しましたが、企画としてはなかなか有意義なものになったなと思いました。
しかし、結果的に2日間開催は実行委員会の負担が大きく、一日開催に修正されます。
修正されても、グルメフェアの部門は残り、

一回目の初日部門と、二日目部門が合流することになったのです。
まあ、路上イベントではそんなものです。
で、3年間そんなことを続けていたのですが、
事情で、グルメ部門の責任者を交替することになったのですね。
で、数年間の空白がありました。
3年ほど前、このグルメフェアを見に行って、ちょっとおかしかないか、と思ったんです。
地産地消と言う、非工業部門での地場産業祭であったにもかかわらず、
いつの間にか、ただの食いもの屋が軒を連ねるだけのイベントになっていたのです。
矢張りこれは初心を失っている、と感じ、昨年度から、現場に口出しを始めたのです。
で、今年と、二年続けて、また魅つけ市の実行委員会側で携わることになりました。

 

今年、企画段階でどうも腑に落ちないことがあったんですね。
それは、これがどうして商業まつりなんだ、という事です。
中心商店街だけ祭りでないことは確かです。
だからと言って、いろいろ物販、飲食のお店が軒を連ねて物を売って、
これが平塚商業の発展繁栄に寄与する、とは思えなかったんですね。
逆に、パールロードも、スターモールも、商店としての参加は一握り。
よそのものがやってきて、そこそこに人を集めている。


この集まってきた人の活用が全然意図されていないんですね。
中心商店街で行われる各種のイベントは、中心商店街に人を集めます。
で、各商店がその集まってきた人を、客にできるかどうかは、そのお店がすることなんですね。
つまり、イベントでは人を集めます。
少なくとも客を集めるという事はしない。
そして、その集まってきた人を客にするのは各商店なんですね。
そこのところが理解されていない。

できれば、今後の中で、そういう展開が普通に理解されて、実行されるよう、
何らかの手段で、この商業祭りに携わってゆきたい、と思いました。

 

 

| 水嶋かずあき | 平塚のこと | 17:50 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ツインシティ

ウソかホントか、私の記憶が正しければ、そもそもの発端はこんなことだったと聞いています。

 

平塚の北部、相模川に近いさる農地で、農作業をしていた人が、
そばを通る新幹線が、時折、減速をするという事に気が付いたのです。
(本当にそんなことがあるのだろうか)
で、その人が、相模川の付近で、なぜ速度を緩めるのか、と調べてみたところ、
時間調整のため、速度を落としているらしい、と。
(いやいやありえないでしょ。時間調整なら、その前のホームで停車した時の時間でするはずです。)
で、このことから、どうせゆっくりするなら、ここに駅を作って、
止まれば、新たな乗降機会が増えるんじゃないか、と。


そこで、何人かの人に、新幹線新駅を作ろうと話を持ちかけたことが事の始まりだった、
という事を、聞いたことがあるんです。
くどいようですが、ウソかホントか分かりません。


で、もしこれが事実だとしましょう。
そこで、この運動がいくらか拡大して、行政も話に乗ってきた。
新幹線新駅をつくろう、と。
JR東海は、これに対応するとしたら、これが条件と、条件を明確にしてきました。
それは、既存鉄道と交差した駅が必要、という事でした。
もちろんそれ以外にも、様々な条件が出ましたが、
基本的には、当時、まだ新幹線品川駅がなかった時点ですら、
余り前向きではなかったのです。
最大の理由は、その新駅によって、乗降客が増えるかどうかです。
新横浜があり、小田原があり、この中間の人は、大体そのどちらかに振り分けられる。
で、新駅開業で、これらの人以外に新たな乗降客が増えるのか、という、
いわば売り上げ計画のようなものを試算したところ、
さしたる上昇は見込めなかったんですね。
で、駅が増えると、運行能力に影響します。
ま、簡単に言えば、それだけ複雑なダイヤを組まなくてはいけない。
新駅の管理運営も出てくると。
どうも、それほどのメリットはない、と判断したんです。


新駅建設に必要な資金、土地の収用、駅舎、付帯施設の建設などは地元で100%賄うことを前提として示し、
それ以降、このアイディアは取りざたされることは無くなったようです。
つまりあなた方が新駅建設をしたいなら、まず、駅ができるという明確な条件を示してくれたら、
改めて交渉をしましょう、という事になったんです。
そうこうするうちに、品川駅が開業し、運行能力はほぼ限界になってしまいました。
つまり、今更新駅を抱え込める余裕はない、という事です。


たった一つ、小さな光明があります。
それはリニア新幹線が完成し、現在の新幹線の輸送能力に余裕が出てきた場合です。
そのリニア新幹線ですが、予定では、開業は2027年。
ところが工事日程が遅れるのではないか、という懸念があります。
一つは、昨年末に浮上したリニア工事の談合疑惑です。
東京地検特捜部や公正取引委員会が、大手ゼネコン各社に家宅捜索の手を入れましたが、
これらのことが発生すると、計画の展開がより慎重になり、
前進力を失いがちになります。
さらに、最大難所の南アルプスをぶち抜くトンネル工事です。
トンネルから真上の地表まで、1400辰噺世深い所になるので、
実際何が起きるのか、その地層の構造はどうなのか、まるで見当が付いていなくて、
専門家ですら、スケジュールを読み切れないそうです。
ま、一年や二年は遅れることは覚悟するようです。

なんだかんだと開業は2030年は過ぎていそうです。


で、まあ、なんとかリニアも開業したとしましょう。
さて、既存の新幹線ですが、ここで当然、経営的なチェックが始まります。
どのくらい余裕ができるのか、です。
そこで、結論が出るまで、数年かかったとしましょう。
あなた方のお金で新駅を作ってくれるなら、そういうダイヤを組みましょう、というお達しが来るのは、
どう早く見積もっても2030年代半ばになってです。

おたおたすると20年後です。
まあ、都市計画と言うのは、10年や20年の先を読むべきではありますが、
いかに何でも、実感しがたい先の話でしょ。


この話の大事なところは、いかにJR東海がこちらの事情を勘案したところで、
結局、やめた、となると、すべての計画は白紙になるという事です。

 

大神と倉見の間に橋を架ける、と関係者は言ってます。
で、倉見側に橋をわたって、新幹線新駅を利用すると言うことになる。
ところが、聞くところによりますと、倉見側ではこの話がもう取りざたされていないとか。

という事は、駅はできるかどうかあいまい。

基本的に資金のねん出が難しいのでしょうね。
つまりツインシティの片方は、この提案にしらけきっているんです。
ま、平塚の一人相撲、という事になりました。
今更名称も変えられないでしょうが、いわば、シングルシティになってしまったのです。

 

しかし、熱心に行政主導によって、ツインシティは着々と計画を進めてきました。
間違いなく、地元出身の市長の手腕でしょうね。
彼以外の人が市長になっていたら、今日の状況には至っていないと思います。

 

さてその、ツインシティですが、

市民としては、なんだか大神の方でいろいろやってるらしいという事と、
どうやらイオンモールができるらしい、という事以外に関心と知識はないようです。
そのイオンモール、当初は2018年開業とか言ってましたが、
計画修正をし、2020年開業という事のようです。
当然ですが、この北の方まで、中心地域の人たちが行くには、
車しかない。
車でわざわざ出向くほどの魅力をしっかりう備えないと、
開業当初のご祝儀的集客に終わるんじゃないか、と言う気がするんですね。


ま、いずれにしても、中心街の商店街は、ますます厳しい状況になることは間違いありません。

ここ何年かの行政の在り方を見ていると、
旧来の市民をどうも大事にしてもらえないようですね。
残念です。

| 水嶋かずあき | 平塚のこと | 13:49 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
フォッサマグナ

フォッサマグナという言葉を覚えていますか?
少なくとも、中学の地理では習っているはずです。
これは日本語で言えば、大地溝帯とか中央地溝帯とか言うのですが、むしろフォッサマグナの方が、
特異な響きがあって、覚えやすいですね。
私もただ、テストに出るといけないんで覚えておこう、と言った程度だったんですが、
これがまた、調べてみると色々と興味深いものがあるんです。

 

まず、日本列島の地図を思い浮かべてください。
東日本と西日本の地形上の流れが、
中央で突然折れ曲がっているでしょ。
内側の部分は新潟当たり。
外側の部分は関東南部。
で、これはなぜか、と考えた人がいたんですね。
その人の名は、ハインリッヒ・エドムント・ナウマン。
1885年にフォッサマグナ発見と言うのですから、明治17年、今から133年前のことです。
まあ、地学的な解説はともかく、このフォッサマグナの発見で、
日本列島がどのように出来上がったのかが、解明されるようになりました。

 

きっと、おぼろげながらフォッサマグナという言葉を記憶している人の大半は、
日本の中央を南北に走る大地溝帯、と言う程度でしょうね。
で、もう少し詳しく覚えている人は、静岡と糸魚川を結ぶラインである、と言うんです。
そう、正確には、糸魚川静岡構造線と言います。
さて、そもそもこのフォッサマグナは、大地溝帯でしょ。
つまり、線ではなく帯なんです。
したがって、糸魚川静岡構造線と言うのは、フォッサマグナの西側のラインなんです。
つまり帯の端っこですね。
で、じゃあ東側の帯の端っこはどこか、となるのですが、
ナウマン先生は、その東側は、新潟県直江津と神奈川県平塚を結ぶラインと言ったんです。
えっ?でしょ。
平塚と言う場所はフォッサマグナの東側のラインなんじゃないか、と、ご本家ナウマン先生の研究の成果です。
その後、あれこれ研究した人たちが次々と意見を言い出し、
まず、新潟県柏崎と千葉県銚子を結ぶラインが提唱されます。
そして、1970年には、南側の位置が少しづれて、柏崎と千葉県千葉市を結ぶ「信越房豆帯」説を発表。
1988年には、北部が修正され、新潟県上越と銚子を結ぶラインという説が提唱されます。
さらに、北部を大きく修正した新潟県新発田案が出てきます。
要は、諸説紛々、定まらず、それなりの根拠はあるのだと思いますが、
元祖フォッサマグナ説には、はっきりと平塚が登場しているんです。
まあ、喜んでいいのか、それほどのことでもないのか。

 

そもそも日本列島はどのように出来上がったのか、という事なんですが、
しばしばこのブログでも、プレート運動について触れてきたとおり、
日本列島の西側は、ユーラシアプレートという大きな塊の東の端の乗っています。
で、東の部分は、北米プレートと言う塊の上に乗っています。
で、4億年とか5億年の昔、両方のプレートが接近し、押し合いへし合いが始まります。
つまり、もともとに日本の国は、東と西に分かれていたものが、ドンとつながった、という事なんですね。
いわゆるフォッサマグナは、そのぶつかったところの中間部分になるわけです。
岩石が堆積したり、隆起したりで、この地溝帯は陸地として形作られてゆきますが、
まあ、言ってみれば、アキレス腱的な弱さを内在していたんでしょうね。
この弱さに付け込んできたのが、フィリピン海プレートです。
南側から押し上げてきて、日本列島の一部になってしまいます。


そもそもで言えば、伊豆半島は、列島からはなれた島の一つだったんですね。
それが、徐々に近づいて、ついに立派な日本列島に一部になったんです。

 

こうしてみると、私達の暮らしている日本列島は、
今でこそ、地図で表されている形になっていますが、
数千万年単位では大きく変化しているんです。
で、我が平塚は、そのプレートの押し合いへし合いの最先端に近くに乗っているわけですから、
まあ、まさに盤石の土地である、とは言えないんですね。


平塚は、北米プレートの先端。
相模湾に浮かぶ大島はフィリピン海プレートの先端。
フィリピン海プレートは年間で、南に向かって8センチ移動していると言われていますが、
100年で、8メートル、1000年で80叩■泳年で8キロ辰任垢ら、
6万年後には大島まで歩いて渡れる、という事になりそうです。

まあ、あまりに先の話ですが。

| 水嶋かずあき | 平塚のこと | 10:35 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
街路樹

例によって、昔々の話です。
所用で京都に行きました。
季節は9月の半ば、もう秋でしたが、その年は、まだまだ残暑がきつく、
しばらく歩くと汗が出てくるような陽気でした。
で、街中で知人とばったり出会い、しばらく立ち話をしたのですが、
その年は酷暑の夏だったので、それに話題が及びました。


まあ、それでなくても、京都の夏は暑いんです。
で、彼は、枯れかかった街路樹の列と、
緑をたたえた街路樹がある列をそれぞれ指さしながら、
「ご覧の通り、枯らしてしまったのと、何とか持ちこたえさせたのと、
はっきり分かれてしまいました。
枯らせてしまった街区は、最近ビル化をし、オフィスとして使われているところです。
人は多く出入りするんですが、それだけのことなんですね。
こっちの元気な街路樹の街区は、まだまだ昔からの商店がお店を出しているところです。
親父さん連中は、店を開けると、道を掃き清め、それが終わると、街路樹などに水やりをします。
まあ、それがまちの中で暮らすことでもあるんですね。
ところが、あのビルに通っている連中は、仕事場があるだけのことで、
道にごみが落ちていようが、街路樹が枯れかかっていようが、
まあ、関係ないことなんですね。
ですから、今年のように、雨が降らず、日照りのきつい年には、
こんなことが起きてしまうんです。」
と、話してくれました。


街路樹一つでもそのまちの様子がわかるんですね。

 

日本には、比較的昔から街路樹が整備されていた、と言われています。
古くは奈良時代、都に通じる街道の要所に、果樹の成る木を植えたと言われています。
これは、旅人が、のどが渇いたり、空腹を感じたりしたら、

それを摘んで、食べるため、と言われています。
ま、ある意味、街路樹は街の景観だけではなく、

ある種のコミュニティ意識の表れなんですね。

 

自分の暮らす地域に緑が豊かである、と言うのはいいことでしょ。
これは何となく感じていることなんですが、
平塚は街路樹が多いですね。
戦争で市街地の大半が焼け野原になったため、
この復興の際、街区整備が進み、道幅も広めにとったので、
街路樹を植えることが普通になったようです。


もし、道の総延長と、街路樹の植わっている道のと比率を出したら、
平塚は街路樹率の高いまちになるんじゃないかと思っています。

私の住んでいた松風町で、弦斉通りと言うのがありますが、
そこも、一応は街路樹があります。
一応、と言ったのは、まあ、一応程度の木が植わっているという事です。


街区が整理され始め、舗装も普通に行われるようになった昭和の30年代。
街路樹も植えられるようになりました。
このころ、まあ、見てくれより何より、

先ずは枯れずに丈夫な木、と言うのが選定されたのだと思います。
この代表が「マテバシイ」と言う椎の木の一種です。
確かに、丈夫で、いわゆる打たれ強いタイプで、

滅多なことでは枯れることがありませんでした。
まあ、欲を言えばですが、花が咲くわけでもないし、

風情のある姿と言うわけでもありません。


弦斉通りは、このマテバシイが植わっています。
行政も、マテバシイと言うのは、街路樹としてはいささかレベルが低いので、
樹種を変えようか、という話が持ち上がりました。
で、八重咲町、松風町の自治会で会合を開き、
こんな木にしようという提案を取りまとめたのです。
当初、行政は、すぐにでも取り掛かるといった雰囲気だったのですが、
いつの間にか先延ばしになり、ついには、ない話になってしまいました。
したがって、弦斉通りはいまだにマテバシイです。

 

駅西口から新仲通りを通り、さらに中央公民館、パイロット、総合公園を抜けてゆく道には、
今は、さるすべりの花が満開です。
百日紅と書いてさるすべり。
正に字のごとく、百日ぐらいの間、花が続く、という事です。
きっと、赤い花がおおもとだったんでしょうね。
それが今では、白とか、ピンクとか三色あります。
この街区には、これが交互に植わっていて、なかなかの風情なんですね。
私も好きな街路樹の一つです。


で、この街区が整備される時、

たまたま市の職員に、この樹種の選定はだれがするのか、と聞いたのです。
すると、当時市長だった石川京一さんが好きな木なんだ、と言ってました。
まあ、だからと言って何の問題もないのですが、
市長のお気に入りの木が植えられたんだ、と記憶に残ったんですね。


そういえば、パールロードの樹種も、

私達の提案で、桂の木を中心に植えましたし、
中央地下道の道も、商店街のある人が、ヒメシャラがいい、と言ったら、

そうなったと言ってました。
ま、いずれ誰かの決断で、街路樹が選択されるわけですが、
それなりの趣味が樹種選定には働くわけで、
もし私だったら、と考えますが、
きっと実の成る木を選ぶでしょうね。


若葉を楽しみ、花を楽しみ、実を楽しむ、と。
これって悪くないでしょ。

 

| 水嶋かずあき | 平塚のこと | 10:33 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
観光の経済効果

徳島の阿波踊りの観客数が、108万人と、
過去最低の数に減った、という報道がありました。
市長と観光協会との間で、年々増え続けるこのイベントの累積赤字について、
その対処方法の違いがあって、いわば睨み合いの状態になってしまったことが、広く報道され、

今年は総踊りと言うメインイベントはやらないとか、いやそれでもやるとか、結構ドタバタしたトラブルになって、
それも影響して、観光客が減少した、という事でした。
ま、確かに、そんなバタバタしたところへ行っても、

目玉の総踊りが見れないなら、今年はやめよう、となっても仕方ないでしょ。


で、問題は、これで終わらなかったんですね。
実は、昨年、この阿波踊りの観光客数の実質的な推定人出はどのぐらいか、
という事を、徳島新聞とともに、昨年まで阿波踊りの主催者だった徳島市観光協会が調査を外部に依頼したんです。
で、詳細なデータのもと報告された、4日間の推定人出は、
日本人来場者・約21万人、外国人来場者・約1千400人という報告がありました。
なんと!なんと!でしょ。
108万人に減ったと言いながら、実は、そもそもが22万人程度だったわけです。
もっとも、携帯電話のネットワークがもとになっているので、
15歳以上70歳代までが対象で、それ以上それ未満は、除外されているのですが、
かといって、この除外された人の数が、108万人−22万人ということにはならないでしょ。
まあ、数万人増えたとして、発表の4分の1にも満たないわけです。

 

これは、携帯電話ネットワークの仕組みを使用して作成される人口の統計情報で、
日本全国の1時間ごとの人口分布を、24時間365日把握することができるのだそうです。
例えば、15歳から79歳までの人で、外出時携帯を持っている人の数を統計で算出します。
90%としましょうか。
そこで、あるエリアの携帯の電波管理的なデータで、
そこに何台の携帯があるのか、という事は調べられるのだそうです。
このデータから推計して、そこのエリアに何人の人がいたか、が算出できるわけです。
凄いことですよね。

 

そもそもイベントの観客数は、これと言った根拠もなく、
主催者発表に頼っていることが多いのです。

平塚の七夕祭りも、人出の数に関してはこれに近いのではないか、と思っています。
昭和26年に始まった七夕まつりにその頃の若手商工業者として、

活動していた方が、実行委員として参加したのだそうです。
で、なぜか広報担当。
まあ、声も大きいし、話し始めれば立て板に水のごとくよくしゃべる。
そこで広報担当になったんだと思うのですが、
七夕祭りの最終日、新聞記者がやってきて、
このイベントの人出はどのぐらいでしょうか、と質問しました。
広報担当のその方は、どちらかと言うと大風呂敷タイプなもんですから、
まあ、ざっと50万人ぐらいでしょうか、と答えたものだから、
新聞には、50万人の人出、と活字になったわけです。
で、これが本部発表ですから、公式な見解となり、
以後、この50万人を基準に、多かった、少なくなった、などと、ごく個人的な感想と表面的な現象よって、

人出の数が公表されたのです。
去年より一割多いと思ったらければ、55万人という事ですね。
この1割も、極めて、主観的で、実は何の根拠もないんです。
で、そもそもの基礎がこんな状態にもかかわらず、年々、当て推量を積み重ねた結果、
5日開催当時は、340万人とか、もの凄い数の人出が公表されていました。
私は、その当時から、景気づけの数はもういい、実質的な数を把握できないと、
まつりでの対応がヅレるんじゃないか、と主張してきました。
私は実感として、当時ですら、発表されていた数の半分以下だろうと感じていたんです。

まあ、この数値を精密にするという事は、この人出の数が基礎になって、経済効果を算出しますので、
ここがずれると経済効果かという地域にとって重要な数字そのものに疑義が生まれてくるわけです。

 

徳島では、阿波踊りの経済効果が100億円と言われていました。
しかし今年減って、108万人と言ってましたが、
でも実は20万にちょぼちょぼ。
となると、100億円の経済効果が眉唾になってしまうんです。
100億円の総体の収入が発生するなら、

このぐらいの予算で対応しても意味があるだろう、と考えるでしょ。

しかし、それが4分の1なら、経済効果も4分の1。
となると、コストパフォーマンスとして、地域がかけられる上限の金額と言うのが見えてくるでしょ。
これは大事なことなんです。

観光というのは、はっきり言って、その地域に他の地域から流れ込むお金がどのぐらいかで成立するんですね。
その経済効果の基礎が人出だとするなら、
なんとなくのカウントはいい加減にやめて、もう少し精密な数字をはじき出し、
イベントの在り方からを再考する必要が生まれるでしょ。

 

徳島のドタバタを対岸の火事として見ているのではなく、
わが身として、七夕祭りに振り替えて、基礎からチェックする必要があるんじゃないでしょうか。

| 水嶋かずあき | 平塚のこと | 13:54 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
花火大会

今から20年ちょっと前のことです。
家族でハワイに行ってみようという事で、
何十年か一度の家族旅行をしたことがありました。
ハワイ島、オアフ島などを巡り、ワイキキ海岸の何とか、と言うホテルに最後の一泊をしたのです。
まあ、全室オーシャンビューですから、バルコニーに立つと
マリンブルーの海が果てしなく広がり、ただ見ているだけで、結構、時間が過ごせるくらいの絶景だったのです。

左右を見渡すと、ホテルが立ち並んでいます。
で、その時、このシチュエーションで何かできないか、と考えたんですね。

そこで思いついたのが、国際花火大会。
何しろ十棟ほどホテル群が、まるでワイキキ海岸を取り囲むように立っているのですから、
これは観覧席としては一流の立地じゃないか、と。
その、国際花火大会が行われる当日は、冷たい生ビールのグラスでも持って、
バルコニーの手すりに寄りかかって、次々と上がる花火を楽しむ。


そもそも花火と言えば日本の花火。
なんたって江戸の頃から、カギヤにタマヤという伝統の花火製作技術がある。
これは世界一だ、とか聞くのですが、
ヨーロッパをはじめ、それなりに花火の技術は国ごとにあって、
花火大会的なイベントはそこここで開催されているのです。
UAEのドバイ、アーストラリアのシドニー、パリやベルリンなど、
まあ、ありとあらゆるところで、特徴的な花火大会が開催されているので、
なんだかんだと花火に関しては、それなりのお国自慢があるようなんです。


だったら、どこかで白黒つけようじゃないか、と、

花火のオリンピックみたいなことができないだろうか、と。
場所は、ワイキキ海岸。
観覧席はホテルの客室、ワイキキの砂浜。
打ち上げ場所は、沖に軍艦に小さなのを引っ張ってきてその甲板。
で、この実行委員会を立ち上げる。
運営資金は、ハワイの観光局及びハワイ州、沿岸の各ホテル。
また参加国の観光系の窓口の省庁などが、基金を積み上げる。

参加したチームの費用は原則その国の負担。
打ち上げ花火代は花火会社もち。
ただし、グランプリは相当な高額の賞金が出る、とかの基本構想を描いたのです。
インターナショナルの企業に冠スポンサーになってもらえれば、
何とか費用的にはいけるかもしれない、と考えたんですね。


ところが大問題があって、その実行委員長やスタッフの候補者がゼロ。
ま、要は、頭の中での空想で終わってしまったんですが、
空想で終わらせたのがいまだに残念なんですね。

 

とまあ、私はかなりの花火好きなので、

こんなことをワイキキのオーシャンビューのバルコニーで考えていたわけです。


一応ですが、日本の三大花火大会と言われるものがあります。
順位はともかく、新潟長岡の花火大会。
これは信濃川の河川敷が桟敷になって、壮大な規模で打ち上げられ、圧巻はトリとなる三尺玉の打ち上げでしょうか。
それと長生橋に掛かるナイアガラですね。

何百メートルだか、橋一杯にナイアガラの花火が降りそそぐと、
まるで昼のような明るさになります。

いろいろあるでしょうが、ナイアガラに関しては日本一でしょうね。


で、次は、大曲の花火でしょうか。
これは全国花火師競技大会と言って、
全国にある煙火店(花火製造工場のこと)が、それぞれの腕を競って、打ち上げます。
ともかくスターマインが基本ですから、やたら豪華な打ち上げが続くんです。
しかも、途中、提供花火と言って、競技の中間で、参加する花火屋さんが提供してくれるんでしょうね、
この花火を打ち上げるんですが、
先ずこの豪華絢爛さ。
筒元が三カ所に分かれていて、それが連動して打ち上げるんです。

基本三カ所がシンクロするんですね。
スターマイン×3と言う規模です。
スターマインのエンディングは、尺玉が連続して打ち上げり、余韻嫋嫋に終わりますが、
この時は、見上げる空いっぱいに広がり、視界の中はすべて煌めく花火、という状態になります。


そして三つ目は土浦です。
これまた全国花火師競技大会と言う花火大会です。
大曲と少し違うのは、3種の種目があって、尺玉一発勝負と言うのと、
創造花火と言って、新しい形態の花火への挑戦を促すという形態。
これを見る限り、日本の花火の進化は、この部門の影響が大きかったと思うんですね。
そして3種目はスターマインです。
当初は、ごく普通に決められた数の球を打ち上げていましたが、最近は、筒元が3つになり拡大。
さらに音楽をバックに、併せてストーリーを展開する、といった傾向になってきました。


びっくりするのが、長岡。
豪華さを堪能するのが大曲。
玄人すじの楽しみ方をするのが土浦と言ったところでしょうか。

かく、書いてきたように、私は一通り見物したことがあります。
で、我が平塚なんですが、
これらの三大花火大会から見れば、かなりマイナーな規模ですが、
まあ、身近に見れるという事ではそれなりの価値があるでしょ。
今年は8月24日金曜日を予定しています。
でももしかすえると台風の影響で延期になるかも。
その場合は、26日に開催だそうです。
夏の最後のイベント、よかったら出かけてみませんか。

| 水嶋かずあき | 平塚のこと | 11:07 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
平塚の宿場夕膳

明治維新の10年ほど前の江戸の最後の頃の話です。
浮世絵の世界で、こんなことがありました。


浮世絵は、その原作者が絵を描き、彫り師が版木を作り、これを刷って販売していました。
で、この一連の作業を版元が管理していたのです。
つまり、プロデユーサーという事ですね。
で、その頃の(ま、今でもですが)評判の浮世絵画家の広重と、
同じく、なかなか評価の高かった三代豊国が、大げんかをしてしまいます。
何が原因だったか、どっちがちょっかい出したのか、なんては知りませんが、
片岡千恵像と坂東妻三郎が喧嘩したようなものです。
たとえが古すぎましたか。
じゃあ、鶴田浩二と石原裕次郎と、これもまだ古いかな。
ともかく、大御所二人が喧嘩したので、
なんとなく浮世絵界はざわついていたのです。
で、周りも心配して、二人の仲を取り持とうと、いろいろ手を差し伸べるのですが、
そうは簡単に納まらない。
そこで登場したのが、大プロデユーサーの版元です。
さすがにこの人からおれの顔を立ててくれ、と言われれば、
貧乏時代に面倒を見てもらったという義理もあって、むげには断れない。
で、ぐずぐず言いながらも、二人は手打ちをしたんですね。


そこで、まあ世間様も心配していたから、ここはどうだ、
二人で合作の浮世絵を書いたら誰もが仲直りをしたと思うだろ、と。
いやこれって、プロデユーサーの凄技でしょ。
喧嘩の仲裁とともに、商売に結び付けちゃうんですから。
おそらく世間もこのうわさを聞いて、じゃあ、一枚買うか、となるでしょ。
そこで提案したのが、景色を描かせたら右に出るものがいないという広重と、
美人画を描かせたら当代一と言われた三代豊国の組み合わせです。
で、広重が景色を描き、その景色を背景にして、三代豊国の描いた女性が登場する、という構図です。
ここもプロデユーサーとしての敏腕ぶりをいかんなく発揮します。
なんと、ただ一作ではなく、これをシリーズにするという事にしたんですね。
で、すでに大ヒットとなっていた広重の東海道五十三次ベースに、
改めて各宿場の景色を背景にし、その宿場宿場の女性を登場させる、
という事で、「雙筆五十三次」とシリーズを制作することになりました。
雙筆と言うのは二つの筆という事で、二人の合作であるという意味です。

で、もくろみ通り、これもまたヒットするのですが、
おかげさまで、五十三の宿場町のいいPRになったのです。
平塚もそのうちですから、
第一シリーズの、高麗山を背景にして、東海道を飛脚が走っている様子の平塚の宿の絵もさることながら、
馬入の渡しを背景にした新しい宿場の絵が発表されたのです。


それがこの浮世絵です。

これは、宿場の飯盛り女が、かむろを従え、客席に夕膳を運んでいる姿です。
手には、漆塗りの銘々膳を持ち、かむろはお櫃を持っています。
後ろの背景は言うまでもなく、馬入の渡しで、そこからは富士も眺められますし、その右側の山は大山です。

 

で、この絵を見ていて、ふとささやかなる疑問が私に生まれたのです。
当時、私はランチランドと言う弁当屋をやっていて、調理場で料理を作っていました。
で、お客様はほぼ決まっていて、毎日、お客様のもとへお弁当を届けるわけです。
ともかく一番苦労したのが、献立です。
お客様は、変わらないのですから、献立を変えなくちゃいけない。
で、毎日調理をしながら、これも大変だけど、変化があって仕事としては楽しい、と思っていたんですね。
そこで、ふと、雙筆五十三次の浮世絵を思いだしたんです。
その昔、東海道を行き来する旅人達が宿場で泊まる。
まあ、当然、夕食を食べるわけでしょ。
でも、客は毎日入れ替わるわけです。
もしかすると大半が、一度泊まったら、二度と泊まらない可能性がある。
つまり、人が変わるんですから、極端に三六五日、夕膳の献立は同じものでもいいわけでしょ。
楽と言えば楽だけどそれもつまらなそう。
第一どんな献立だったんだ、と言うのが、発端だったのです。


そこで、江戸の頃の料理に詳しい先生にお願いをし、当時の宿場の夕膳はどんなものだったのか、
文献に従って調べていただきました。
一方、平塚では、その頃、何が食材として使われていたのか、これまた調べてみたのです。
まあ、調理材料としては、100%地産地消でしょ。
で、当時の宿場の一般的料理と平塚の地産食材の交点が、あの銘々膳に載っている料理なんですんね。
これを、鳥保の鳥海さんに依頼して再現してもらったことがありました。


そんなことをふと思い出し、平塚観光協会の湘南ひらつか観光フェスティバルに展示したらどうか、
と思ったんですね。
現在調整中ですが、実現したら、その献立内容を実際再現して皆様にご覧いただこうか、と考えています。
8月30日から、9月4日まで、場所は、平塚市民プラザです。
お時間がありましたら、ぶらりと寄ってみてください。
合わせて、カオリ麺焼きそばも販売します。
どうぞよろしく。

| 水嶋かずあき | 平塚のこと | 10:10 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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