水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
花火大会

今から20年ちょっと前のことです。
家族でハワイに行ってみようという事で、
何十年か一度の家族旅行をしたことがありました。
ハワイ島、オアフ島などを巡り、ワイキキ海岸の何とか、と言うホテルに最後の一泊をしたのです。
まあ、全室オーシャンビューですから、バルコニーに立つと
マリンブルーの海が果てしなく広がり、ただ見ているだけで、結構、時間が過ごせるくらいの絶景だったのです。

左右を見渡すと、ホテルが立ち並んでいます。
で、その時、このシチュエーションで何かできないか、と考えたんですね。

そこで思いついたのが、国際花火大会。
何しろ十棟ほどホテル群が、まるでワイキキ海岸を取り囲むように立っているのですから、
これは観覧席としては一流の立地じゃないか、と。
その、国際花火大会が行われる当日は、冷たい生ビールのグラスでも持って、
バルコニーの手すりに寄りかかって、次々と上がる花火を楽しむ。


そもそも花火と言えば日本の花火。
なんたって江戸の頃から、カギヤにタマヤという伝統の花火製作技術がある。
これは世界一だ、とか聞くのですが、
ヨーロッパをはじめ、それなりに花火の技術は国ごとにあって、
花火大会的なイベントはそこここで開催されているのです。
UAEのドバイ、アーストラリアのシドニー、パリやベルリンなど、
まあ、ありとあらゆるところで、特徴的な花火大会が開催されているので、
なんだかんだと花火に関しては、それなりのお国自慢があるようなんです。


だったら、どこかで白黒つけようじゃないか、と、

花火のオリンピックみたいなことができないだろうか、と。
場所は、ワイキキ海岸。
観覧席はホテルの客室、ワイキキの砂浜。
打ち上げ場所は、沖に軍艦に小さなのを引っ張ってきてその甲板。
で、この実行委員会を立ち上げる。
運営資金は、ハワイの観光局及びハワイ州、沿岸の各ホテル。
また参加国の観光系の窓口の省庁などが、基金を積み上げる。

参加したチームの費用は原則その国の負担。
打ち上げ花火代は花火会社もち。
ただし、グランプリは相当な高額の賞金が出る、とかの基本構想を描いたのです。
インターナショナルの企業に冠スポンサーになってもらえれば、
何とか費用的にはいけるかもしれない、と考えたんですね。


ところが大問題があって、その実行委員長やスタッフの候補者がゼロ。
ま、要は、頭の中での空想で終わってしまったんですが、
空想で終わらせたのがいまだに残念なんですね。

 

とまあ、私はかなりの花火好きなので、

こんなことをワイキキのオーシャンビューのバルコニーで考えていたわけです。


一応ですが、日本の三大花火大会と言われるものがあります。
順位はともかく、新潟長岡の花火大会。
これは信濃川の河川敷が桟敷になって、壮大な規模で打ち上げられ、圧巻はトリとなる三尺玉の打ち上げでしょうか。
それと長生橋に掛かるナイアガラですね。

何百メートルだか、橋一杯にナイアガラの花火が降りそそぐと、
まるで昼のような明るさになります。

いろいろあるでしょうが、ナイアガラに関しては日本一でしょうね。


で、次は、大曲の花火でしょうか。
これは全国花火師競技大会と言って、
全国にある煙火店(花火製造工場のこと)が、それぞれの腕を競って、打ち上げます。
ともかくスターマインが基本ですから、やたら豪華な打ち上げが続くんです。
しかも、途中、提供花火と言って、競技の中間で、参加する花火屋さんが提供してくれるんでしょうね、
この花火を打ち上げるんですが、
先ずこの豪華絢爛さ。
筒元が三カ所に分かれていて、それが連動して打ち上げるんです。

基本三カ所がシンクロするんですね。
スターマイン×3と言う規模です。
スターマインのエンディングは、尺玉が連続して打ち上げり、余韻嫋嫋に終わりますが、
この時は、見上げる空いっぱいに広がり、視界の中はすべて煌めく花火、という状態になります。


そして三つ目は土浦です。
これまた全国花火師競技大会と言う花火大会です。
大曲と少し違うのは、3種の種目があって、尺玉一発勝負と言うのと、
創造花火と言って、新しい形態の花火への挑戦を促すという形態。
これを見る限り、日本の花火の進化は、この部門の影響が大きかったと思うんですね。
そして3種目はスターマインです。
当初は、ごく普通に決められた数の球を打ち上げていましたが、最近は、筒元が3つになり拡大。
さらに音楽をバックに、併せてストーリーを展開する、といった傾向になってきました。


びっくりするのが、長岡。
豪華さを堪能するのが大曲。
玄人すじの楽しみ方をするのが土浦と言ったところでしょうか。

かく、書いてきたように、私は一通り見物したことがあります。
で、我が平塚なんですが、
これらの三大花火大会から見れば、かなりマイナーな規模ですが、
まあ、身近に見れるという事ではそれなりの価値があるでしょ。
今年は8月24日金曜日を予定しています。
でももしかすえると台風の影響で延期になるかも。
その場合は、26日に開催だそうです。
夏の最後のイベント、よかったら出かけてみませんか。

| 水嶋かずあき | 平塚のこと | 11:07 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
平塚の宿場夕膳

明治維新の10年ほど前の江戸の最後の頃の話です。
浮世絵の世界で、こんなことがありました。


浮世絵は、その原作者が絵を描き、彫り師が版木を作り、これを刷って販売していました。
で、この一連の作業を版元が管理していたのです。
つまり、プロデユーサーという事ですね。
で、その頃の(ま、今でもですが)評判の浮世絵画家の広重と、
同じく、なかなか評価の高かった三代豊国が、大げんかをしてしまいます。
何が原因だったか、どっちがちょっかい出したのか、なんては知りませんが、
片岡千恵像と坂東妻三郎が喧嘩したようなものです。
たとえが古すぎましたか。
じゃあ、鶴田浩二と石原裕次郎と、これもまだ古いかな。
ともかく、大御所二人が喧嘩したので、
なんとなく浮世絵界はざわついていたのです。
で、周りも心配して、二人の仲を取り持とうと、いろいろ手を差し伸べるのですが、
そうは簡単に納まらない。
そこで登場したのが、大プロデユーサーの版元です。
さすがにこの人からおれの顔を立ててくれ、と言われれば、
貧乏時代に面倒を見てもらったという義理もあって、むげには断れない。
で、ぐずぐず言いながらも、二人は手打ちをしたんですね。


そこで、まあ世間様も心配していたから、ここはどうだ、
二人で合作の浮世絵を書いたら誰もが仲直りをしたと思うだろ、と。
いやこれって、プロデユーサーの凄技でしょ。
喧嘩の仲裁とともに、商売に結び付けちゃうんですから。
おそらく世間もこのうわさを聞いて、じゃあ、一枚買うか、となるでしょ。
そこで提案したのが、景色を描かせたら右に出るものがいないという広重と、
美人画を描かせたら当代一と言われた三代豊国の組み合わせです。
で、広重が景色を描き、その景色を背景にして、三代豊国の描いた女性が登場する、という構図です。
ここもプロデユーサーとしての敏腕ぶりをいかんなく発揮します。
なんと、ただ一作ではなく、これをシリーズにするという事にしたんですね。
で、すでに大ヒットとなっていた広重の東海道五十三次ベースに、
改めて各宿場の景色を背景にし、その宿場宿場の女性を登場させる、
という事で、「雙筆五十三次」とシリーズを制作することになりました。
雙筆と言うのは二つの筆という事で、二人の合作であるという意味です。

で、もくろみ通り、これもまたヒットするのですが、
おかげさまで、五十三の宿場町のいいPRになったのです。
平塚もそのうちですから、
第一シリーズの、高麗山を背景にして、東海道を飛脚が走っている様子の平塚の宿の絵もさることながら、
馬入の渡しを背景にした新しい宿場の絵が発表されたのです。


それがこの浮世絵です。

これは、宿場の飯盛り女が、かむろを従え、客席に夕膳を運んでいる姿です。
手には、漆塗りの銘々膳を持ち、かむろはお櫃を持っています。
後ろの背景は言うまでもなく、馬入の渡しで、そこからは富士も眺められますし、その右側の山は大山です。

 

で、この絵を見ていて、ふとささやかなる疑問が私に生まれたのです。
当時、私はランチランドと言う弁当屋をやっていて、調理場で料理を作っていました。
で、お客様はほぼ決まっていて、毎日、お客様のもとへお弁当を届けるわけです。
ともかく一番苦労したのが、献立です。
お客様は、変わらないのですから、献立を変えなくちゃいけない。
で、毎日調理をしながら、これも大変だけど、変化があって仕事としては楽しい、と思っていたんですね。
そこで、ふと、雙筆五十三次の浮世絵を思いだしたんです。
その昔、東海道を行き来する旅人達が宿場で泊まる。
まあ、当然、夕食を食べるわけでしょ。
でも、客は毎日入れ替わるわけです。
もしかすると大半が、一度泊まったら、二度と泊まらない可能性がある。
つまり、人が変わるんですから、極端に三六五日、夕膳の献立は同じものでもいいわけでしょ。
楽と言えば楽だけどそれもつまらなそう。
第一どんな献立だったんだ、と言うのが、発端だったのです。


そこで、江戸の頃の料理に詳しい先生にお願いをし、当時の宿場の夕膳はどんなものだったのか、
文献に従って調べていただきました。
一方、平塚では、その頃、何が食材として使われていたのか、これまた調べてみたのです。
まあ、調理材料としては、100%地産地消でしょ。
で、当時の宿場の一般的料理と平塚の地産食材の交点が、あの銘々膳に載っている料理なんですんね。
これを、鳥保の鳥海さんに依頼して再現してもらったことがありました。


そんなことをふと思い出し、平塚観光協会の湘南ひらつか観光フェスティバルに展示したらどうか、
と思ったんですね。
現在調整中ですが、実現したら、その献立内容を実際再現して皆様にご覧いただこうか、と考えています。
8月30日から、9月4日まで、場所は、平塚市民プラザです。
お時間がありましたら、ぶらりと寄ってみてください。
合わせて、カオリ麺焼きそばも販売します。
どうぞよろしく。

| 水嶋かずあき | 平塚のこと | 10:10 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
祭りの重要ポイント、露店

今日は、七夕まつり、2日目。

 

事前の天気予報では、降水確率80%という事で、
戦々恐々としていたのですが、とりあえず、午前9時、雨は降っていないようです。
このまんま踏ん張ってほしいものですね。

 

今年、七夕竹飾りを、紅谷自治会として製作し、
子ども会、シニア会の皆さんにお手伝いいただきました。
それと、材料については七夕竹飾り製作の会(?)の提供を受け、
掲出には、紅谷パールロードのサポートで、飾ることができました。

かつて、舟平として製作していたころは、
何から何まで自分一人で作り、費用も、当たり前ですが自前だったのが、
こうしてみんなの協力で飾りの掲出ができるという事は、
遥かに素晴らしいことだな、と実感しています。

 

今年、パールロードに掲出したのですが、
この道に飾りを上げたのは、15年ぶり。
つまり、15年間かかわりを持たなかったわけです。
とは言え、何十年か、ここで七夕を挙げてきたわけですから、
様子は分かっているつもりでした。
ところが、実際やってみて、
大分、様子が違うんですね。
へえ、と驚くことばかり、いや浦島太郎状態でした。


すでに、来年の構想に入っています。
これは15年前と同じです。

 

市民センターの横の広場で、宝市、というイベントが開催されていて、
中心街の、がさがさしたところを抜け出して、
ちょっとのんびりムードの空間になっています。
ここに、飲食連合会として、カオリ麺の焼きそばを販売しているのですが、
三日間、ちょくちょく顔出しはしなくてならないのですが、
まあ、大したことではなく、七夕期間とは言え、結構のんびりしています。

 

で、改めて露店を眺めたのですが、
これが、結構楽しいんですね。
平塚の七夕祭りは、伝統的に、夏祭の皮きりとなるイベントだそうで、
全国の露天商が集ってきます。

 

ちなみに、露店と露天商の「店」と「天」の違いなんですが、
江戸の頃、店舗を構えて商売をして店と、
ほぼ掘立小屋的な、時に戸板一枚の商売を、路上でするものを区別し、
露天と言っていました。
ま、今時なら、アウトドアとか、青空とか、の意味を持った露天です。
で、この露天で商売する店を露店と言っていたのですね。
ですから、店そのものを表現するのは、露店。
そういう商売をする人は露天商と使い分けていたようです。

 

ま、それはともかく、
全国から、名うての露天商が集まってくるのですから、
それは、なかなかのもので、感覚的ですが、これって、露店の見本市とか、
露店博、とか言えるレベルではないだろうか、と。
その多様性はなかなかのものです。

 

相変わらず、タコ焼き、焼きそば、お好み焼きの小麦粉グループ、
綿あめ、リンゴ飴、かき氷などの甘いものグループ。
じゃがバターに牛串焼き、焼鳥、焼きトウモロコシ、鮎の串焼きなどの、
ビールのおつまみグループなど、相変わらず健在です。

 

先日、そういえば、いつの間にか見なくなったね、
という露店的商品をリストアップしてみたのですが、
第一が、なんという商品名か、水飲み鳥。
ゆらゆら揺れながら、グラスの水を飲む、というガラス製の鳥。
それと、樟脳を後ろに付けては走るセルロイド製の小さなボート。
もう一つ、海ほうずき。
売り場のおばさんは器用にブイブイ音を出すのですが、
買って帰って、音が出たためしがない。
さらには、ひよこ。
縁日と言うとひよこがぴいぴい鳴いて箱の中でうろうろしていたのですが、
これを見ることが無くなりました。
よく友達のうちに遊びに行くと、
庭先をニワトリのオスが闊歩していて、
大体は、縁日で買ったヒヨコが大きくなった、という共通の事情があったようです。

 

まあ、今は昔。
縁日のテキヤさんの変化も、時代の流れを敏感に反映しているんでしょうね。
七夕飾りと併せて、露天商のそのあたりもよくよく楽しんでみてください。

| 水嶋かずあき | 平塚のこと | 09:26 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
もうすぐ七夕祭り

七夕祭りと言うと、いつも問題なるのがお天気。


そのそもが、野外型のイベントと言うのは、お天気が大きなキーポイントになります。
私もしばしば、イベントの主催的立場で、企画運営してきましたが、
およそ、1週間前ぐらいから、週間天気予報を見ながら、
一喜一憂してきたものです。
何しろ、どんな優れた内容でも、お天気には勝てないですからね。

 

で、気になるのが、七夕の天気です。
何しろ、七夕を始めた昭和26年から、毎年のように天気に悩まされてきました。
大体が梅雨の期間中に相当するからです。
そこで、かつて、どうあがいても梅雨の真っただ中なんだから、
雨の降った日はあきらめるか、
さもなければ梅雨と影響のない時期に移動するかだ、という議論がありました。


候補としては、旧暦に移行し、8月の初旬、という事です。
仙台がそうでしょ。
で、8月への移動案は、いくつかの要因で自然消滅したのです。
その要因の最大のものは、
飾りの販売先が、ちょうど8月に七夕祭りを、中元商戦として、開催していたのです。

平塚の七夕が開催されると、その初日には、いくつかの商店街の役員さんたちがやってきて、
自分の町の七夕祭りの飾りとして、買い付けをします。
平塚の飾りを、自分たちの商店街の七夕祭りに再活用しよう、という事なんです。
もちろん、吹き流しのテープは引きちぎられていて、補修をしなくてはいけません。
まあ、そこそこに手を入れなくてはいけないのですが、
材料費、手間など考えれば、平塚の飾りを安く買った方が効率的、
という事なんでしょうね。


大体、千葉の茂原、埼玉のわらび、などの商店街が、
伝統的に七夕まつりを開催していて、
当時はよくやってきて買い付けたものでした。
遠くは、富山県の城端という町からもやってきたものです。
彼らは、めぼしい飾りを見つけると、
早速価格の交渉に当たります。
もちろんものによってもですが、10万とか、20万とか。
そこで、飾りを掲出している商店は、それでは安いとか、売りましょうとか、
交渉に答えを出すわけです。
で、これが、七夕経費の収支に影響を与えるわけです。
七夕の費用の支出は、やぐらの組み上げ代、飾りの材料代、手間賃、それに若干の諸雑費です。
で、収入は、市の補助金、入賞、特選などの賞金、あとは売却代金などです。
ですから、飾りが売れるとか、売れないとかは、結構、収支のバランスに影響するわけです。
売れれば、材料費の半分ぐらいは何とかなる。
安くなったとしても、お茶菓子代ぐらいにはなる、という事で、
結構、飾りの引取りは重要なことなんですね。


それともう一つ。
売れれば次のところで、もう一度日の目を見ます。
一人でも多くのお客様に鑑賞してもらえるわけですね。
作る側としては、見てもらうために作っているのですから、
もう一度チャンスがあるという事は、
とてもうれしいことなんです。

以前、我が店の作品を引き取った蕨の呉服屋さんがいたのですが、

気になったので、見に行ったことがありました。

すると、我が店で飾っていた時より、

ずっときれいに、立派になっていたことに驚いたことがあります。


そして、第三の問題があります。
もし、売れなければ、その造った飾りを壊さなくてはいけません。
これは、結構しんどい作業なんです。
労力的にもですが、気持ちの上で、壊すという行為は、いやなものです。
相当割り切って作業に取り組まないと、ため息つきつきの仕事になります。


こんなことで、飾りが売れるという事はかなり重要なことなんですね。
もっとも、最近は、二次的に使用する商店街で、七夕祭りが低調になり、
かつてほど買ってもらえなくなってきたようです。

 

まともかく、そんな事情があって、梅雨の最中であれ、
7月開催は、いくつもの理由で、選択せざるを得なかったわけです。

で、今年は記録的な速さで梅雨明け宣言。
正直、やった、と思いました。


ところがです。
なんと、6日、7日の降雨確率は80%。
8日が60%。
何だこりゃ、と。
早い梅雨明け宣言で、喜んでいたところ、
きわきわでの雨の予想。

早めに先制点を挙げて喜んでいたら、終了間際に逆転されたベルギー戦みたいですね。
何とか、お天気になってくれないかな、とこれこそ神頼みです。
あの水だこに天気占いでもしてもらいましょうか。

| 水嶋かずあき | 平塚のこと | 09:57 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
今年の紅谷町内会の竹飾り

平塚の七夕まつりが、6・7・8の三日間開催されます。

 

その昔、パールロードで店を構えていたころは、
七夕祭りが5日間の開催でしたので、その期間の売り上げは、
暇な月の一か月分に迫るほどのもので、
あちらこちらに声を掛けて応援をお願いし、
通常の2倍から3倍の人出をそろえて対応したものです。
実際、土日などは、開店の瞬間から満席になり、
閉店まで客足を絶えることなく、
朝から立ちづめで仕事をしていると、まず、午後一で、
自分が何をしているのかわからなくなるほど、
エネルギーが枯渇するんです。
で、いったん持ち直して夕方のピークに臨みますが
ほとんど脳に血が回らず、動作も鈍くなり、判断ミスが出始め、
結局は、誰かと交代して、エネルギー補給をしなくてはいけない、
という状態になります。
要は、考えられない状態が12時間は続くという事なんです。


これが5日目となると、足は起きた時から棒のようになっていて、
それこそ肩で息をしながら、5日目を過ごす、という状態でした。
いや、いいのか悪いのか、懐かしい思い出です。

 

仕事を引退してからは、七夕も一歩引いて、見られるようになり、
気が楽になったのと同時に、少し手持無沙汰と言うか、
妙に淋しい気分になってしまうので、
2年前から、せめて七夕竹飾りを作ろうと、
周囲に働きかけ、子供飾りに挑戦しました。


そう、もうすでにまちかど広場に掲出されていますので、
ご覧になった方もおいでかと思いますが、
20本近く立ち並ぶ、なかなか見応えのある飾りです。

で、今まで、2年間掲出していたのですが、実は、今年は市民飾りに変更しました。
いくつかの理由があります。
一つは、子供飾りですから、子どもが作ったもの、という前提があります。
まちかど広場に掲出されたものの中から、優秀作を褒賞する都いう制度があります。

最初の年、申込みに行ったら、コンクールにエントリーするか、と、聞かれました。
評価の内容の基準に、子どもが作ったもの、という事が第一項に書いてあって、
それを読んだ瞬間、私はエントリー自体を辞退しました。
なぜなら、その飾りは、子ども会とシニア会の共同で造る予定だったからです。
まあ、入賞とか何とかはどうでもいいことで、みんなで作って掲出することだ、
と、考えていたからです。


で、実際やってみて、子どもが作るには限界があることを知らされました。
子ども会の人たちが、お母さんに連れられて、製作会場にやってくるのですが、
小学校低学年は、部屋にやってきて、5分か10分すると遊び始めます。
高学年になると、さすがに指示をよく聞き、丁寧に作業をしてくれるのですが、
これとて、4〜50分で集中力が切れます。
で、結果、シニア会のバアバと子供会のお母さまがせっせと作り続ける、という事になるのです。


で実際、まちかど広場に掲出された飾りを見ると、
どう考えても、大人の手が添えられていない作品はない、と判断しました。
私の友人で幼稚園を経営している人がいるのですが、
彼のところの作品がないので、どうして子供飾りに参加しないのか、と聞いたら、
1,2回は参加したのだそうですが、
その期間、保母さんの負担が多くて、とてもやっていられない、と言うんですね。
つまり、大人が作った子供らしい作品、という事になってしまうんですね。
で、若干の矛盾を感じたので、今年は、
その意味で製作者の年齢制限のない「市民飾り」に移行しました。

 

この市民飾りと言う制度は、スターモールの飾りが年々減少し、
空きが目立ってきた。
そこで、何とかしようと、有志の人たちが立ち上がり、
費用的には行政がバックアップして、
市民の有志が、飾りを作って掲出する、という制度です。
昨年は、その成果が徐々に出てきて、33本の飾りが掲出されました。
今年はこれを超えるかもしれません。


で、紅谷町自治会の子ども会・シニア会の作品を

今年は、市民飾りの一環として掲出しようというわけです。
ただし、わがままを言って、掲出場所を紅谷パールロードに出させていただくことになりました。

 

現在、みんなで製作中です。
商店の飾りの中で、いささか雰囲気が異なるかもしれませんが、
紅谷町内の子どもたちとママたち、そしてシニア会の三世代で作った作品を是非ともご覧ください。
予定では、梅屋さんとパチンコのキコーナさんの間に出す予定です。

 

テーマは、このまちの子供たちの絵、と言うことで「花の絵」がテーマです。

そう、大人の花の絵もあります。

松本千鶴さんと言う草花の絵の達人がいて、この方の作品も、掲出されます。

是非ともお楽しみください。

 

 

| 水嶋かずあき | 平塚のこと | 10:12 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
湘南八景

平塚八景と言うものが制定されているんですが、
制定されたのが昭和57年。
今から37年前のことです。
一応、市制施行50周年の記念事業という事で当時は鳴り物入りで、展開され、
市民の推薦により選定したとか。
制定された八景は、湘南平をはじめ、金目川と観音堂、七国峠・遠藤原、
霧降りの滝・松岩寺、森の前鳥神社、八幡山公園、湘南潮来、平塚砂丘の夕映えとなります。

 

で、先日、ある人が、八景のひとつの七国峠・遠藤原について、
見渡せばゴミ処理場があったりして、何処が八景だ、と言っていたんですね。
確かに、時の流れはその周辺の景色を変えてしまうものです。
同じく八景のひとつ湘南潮来も、その後、防潮堤の護岸工事が進み、
少なくとも、川の西岸はコンクリートで固められてしまいました。

 

先日のことです。

仲間と飲みながら、この話題が出たのです。
そもそもが、八景となると八か所選ばなくてはいけない。
と、どうしてもBランクのところも交じってしまう。
時代も変わってきたし、再度見直したらどうだろうか、と。

だって、花菜ガーデンだって悪くないし、総合公園だって立派なものだろ、と。

 

ご存じない方も多いと思いますが、
何々八景、例えば、近江八景とか、金沢八景とか、日本にも数多くの八景を制定したところがあります。
他に、博多八景、大慈八景、赤湯八景、旭川八景、琵琶湖八景、小名浜八景
橿原八景、甲斐八景、千波湖八景、そしておひざ元相模川八景などなど。
これら八景の大本になったのは、中国の湖南省でのこと。


時代は10世紀、湖南省の洞庭湖付近や、湘江流域、など、
その頃活躍していた李白や杜甫などの文化活動の一環ともいえると思うんですが、
湖南省の美しい景色を、漢字で表したんですね。
それには、情景と地名が組み合わされました。
情景としては、晴嵐、晩鐘・沈む夕日と山中の寺院の鐘楼、
夜中に降る雨の風景、夕日を反射した赤い水面、夕暮れの中を舟が一斉に港に戻る風景
など、人の営みなども含まれています。
これらの八景を「瀟湘八景」としたのです。
でこれが、漢字文化圏に広まり、台湾、朝鮮、日本と多くの地域で、
うちでも八景を選定しよう、という動きになったんですね。


ある種、衝撃的な観光政策でもあったわけです。
それは、美しさを私的な表現で伝えられれば、
見に行きたい、と思うものでしょ。

しかし、ご存知の通り、湖南省と言っても広く、
日本の県の二つ三つの面積はあるんです。
その中から、味わい深い景色を選ぶんですから、
まあまあ、Aクラスのものを並べることができます。
しかし、平塚市内を限定したら、どうしてもBクラスが混じる。

県代表と、市の代表が戦う試合のようなものです。

戦力の差は歴然としているでしょ。


しかも、時代は過ぎて、若干の変貌もある。

そこで、その酒席では、ともかく見直しをしよう、と盛り上がったわけです。
で、先ずはすべて白紙に戻す。
それと、再度地域の見直しもする。
そもそもの手本が湖南省で、瀟湘八景と言ったわけです。
ちなみにこの瀟湘八景の瀟は、きよいとか、さっぱりとしたさま、
つまり美しいという意味を持っています。
また、湘は、湖南省全体を示す言葉です。
ですから美しい湖南省の八つの景色と言う意味が、瀟湘八景という事です。
したがって、平塚で気では選びきれない。

せめて大磯と平塚で八つ選ぶというのはどうだろうか、と。


いや、たまたまこの席に大磯の方がいたのでそういう流れになったのですが、
確かに、平塚だけで八つは厳しいから、
合同と言うのも悪くないですね、と。
そこで、平塚大磯八景と言うのもピンとこない。
で、じゃあ、湘南八景でどうか、となったんです。

もともとは瀟湘八景ですから、語感的にもこれに近い。
このブログでもたびたび湘南に触れてきましたので、
その根拠はご理解いただけると思いますが、
悪くない発想だと思いました。

 

まずは酒席の無責任な発言なんですが、
ちょっとばかり、面白そうだと思いませんか。

出来れば、八景候補を推薦していただけないでしょうか。

| 水嶋かずあき | 平塚のこと | 12:57 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
商店街受難の時代

商業の盛衰は、その商圏人口に大きな影響を受けてきました。
ここで、過去形として受けてきました、というのは、今後は大きく変わると思うからです。


さて、商圏人口と言うのは、言うまでもありませんが、
商業集積地域にある程度の頻度で、足を向けてくれる人の数のことで、
かつて、平塚商業は、商圏人口50万ともいわれていました。
西は熱海、遠く三浦半島までが含まれていたのです。
戦後のまだまだ十分に物資が供給できないころ、平塚の商人たちは、
額に汗をして、各地から商品を集め、それを廉価で販売したのです。

平塚に行けば何でもそろうと、評判でした。
しかし、時間の経過とともに、
それぞれの地域の商業も整備され、中核となるスーパー系の商業施設が進出しはじめると、
それまでやってきてくれたお客様は、地元で購買するようになります。
あっと言う間に、平塚商業は衰退してゆきました。

 

そもそも商店街と言うのは、相互互助の組織です。
例えば、10軒のお店が軒を連ねていたとしましょう。
洋品店に文房具店、魚屋さんに食料品店、靴屋さんに家具店、食堂にそばやさん、
レコード屋さんに喫茶店などなどです。
で、まあまあ、どの店でも平均で、
1日100人のお客様で商売が成り立っていた、とします。
10店×100人ですから、この商店街には、1000人の来街者がいたという事になります。
で、実は、この1000人は、必ずしも1000人ではないのです。
洋服を買ったついでに靴も買い、夕方の惣菜も買って、お昼におそばを食べた、とします。
と、4店が重複しています。
商店街は、この重複で成り立っていたのです。
お客様を共有することで、商店街として軒を連ねている意味があったのです。
来街する目的のお客様で、個々のお店が持っている客数は、
そもそもは5割いるかどうか。
残りは、他のお店に来たついでに寄ってもらっているというのが実態なんです。
来街するモチベーションは、
いくつもの目的が発生し、重複した時に、より人を動かすものです。
例えば、床屋さんに行こう、というのが第一目的。
で、ついでに読みたい本を買って、カセットの予備電池も買っておこう、と。
出来れば、靴下も買っておきたい、とか、その目的が多ければ、動きます。
電池一つだけでは、次の時でいいや、となります。
で、せっかく出てきたんだから、喫茶店でドリップの本格的なコーヒーを飲んでゆくか、
となるわけです。


ところが、ま、いろいろ事情はあると思いますが、
通販とか、ネットでの購入とか、購買様式が変化したり、
そもそもその主力商品の人気が無くなったり、
生活様式の変化に伴って、ニーズが激減したり、など、
売り上げが鈍りはじまます。
弱り目に祟り目なんてことはこの世界では普通にあります。


お店の有能なパートさんが、家庭の事情でやめることになった、
親父さんが、大腸がんの疑いで、1週間ほど入院した。
かみさんが階段で転んで骨折した、とか。
じゃあ、もう店をたたむか、となります。
一軒のお店がシャッターを下ろしたままになります。
すると、10軒の持合いでやってきた商店街の戦力が減ります。
まあ単純に来客数が1割減るわけです。
ぎりぎりのところは連鎖的に客を減らし、2軒目が店を閉めたとします。
そうすると、2割減になります。
なんとなく、一軒、一軒が自立独立しているように感じますが、
商店街と言う形態の中では連鎖しているんです。


ま、今のところ、平塚の中心街は、シャッター通りと言われるほどの状態ではありませんが、
何時そうならないとも限らない、というのが現状です。
このように、じわじわと地元資本の商店が減ってゆくのを、
私は、商店街の砂漠化、と言っています。
徐々にお店の経営が苦しくなってゆく、それにしたがって相対的に客数が減ってゆく、
こういう現象を指しています。


商店街にとって、ある意味、新商店街ともいえるのが、ショッピングセンターです。
様々な業種がバランス良く配置され、相互性をより明確に打ち出しているのです。
商店街の構成はそもそもが自然発生的でした。
誰かがそば屋さんをやりたいと言えばそこはそば屋になり、
靴を売りたいと言えば靴屋になるんです。
すべて自然発生的でしたが、
ショッピングセンターは、業種をコーディネートしますから、
効率的で無駄がない。
特に、雨風、熱い寒いといった天候に影響されません。
正に全天候型の商店街と言うわけです。
時に品ぞろえや、価格など、なかなか個人商店にとっては手ごわい相手です。
ショッピングセンターの出店者は、
商店街の各店舗から比較すれば、いや、比較にならないほどの資本力と人材を抱えています。

 

商店街の天敵はこれだけでなく、
ネットショッピングと言う、在宅購入をする人種が増えてきたことです。
そもそもがお店に来てくれない。
そうなると、商店の独り相撲になってしまうでしょ。
勝ちも負けもないそれ以前の状態です。


ここへの打開策は、たった一つしかありません。
それは、商品購入する時の原則として、
人と人が接触するわけですから、ここが勝負どころ。
ショッピングセンターの個店なら店長さんが相手ですし、
ネットの場合なら、人そのものが介在しません。
ですから、専門の知識を持った、親父さんが、勝負どころなんです。
商店には、商店でしかできないことがあるはずです。
ここをいかに磨くかでしょうね。

 

商店街受難の時代ですけど、光明がないわけではないんです。

| 水嶋かずあき | 平塚のこと | 09:54 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
平塚流の伝統

伝統を守る、というある種の美名のもとに、
伝統を守れなくなってしまいうことも多々あります。
時にそのかたくなな姿勢が、かえって伝統を壊してしまう事すらあります。

 

七夕祭りもそうです。
もし、伝統という概念が強ければ、
平塚の七夕祭りは、とっくに終焉の時を迎えていたかもしれません。

 

そもそもが平塚の七夕祭りは、終戦後、商業祭りとして発足しました。
初めは、商店街の中元大売出し的な要素もあって、
農閑期を迎えた近郷近在の人たちをターゲットに、
人集め的なイベントを開催しようと、復興祭として企画されました。
平塚の中心商店街のエリアは、太平洋戦争で焼き払われ、
しばし焼野原状態でしたが、
終戦とともに復興が始まり、それは勢いよく商店街の整備が進んだのです。
そして、昭和26年、一息ついたところで、復興をさらに押し進めようと、
復興祭が実施されたのです。
で、これが七夕祭りの起源になりました。

 

私の父は、すでにその頃商工会議所での活動に参加していましたので、
仲間と一緒に仙台に視察に出かけたことを記憶しています。
先進地の事例を、何かの参考にしようというわけです。
おそらくそれなりの収穫はあったのだと思うのですが、
なんといってもあちらは伝統的な祭り。
こちらは、新興の祭り。
その経験値と言い、文化性と言い、正に雲泥の差があったようです。

で、結果としてですが、新興であったがゆえに、フレキシブルに七夕をとらえ、
平塚なりの解釈をして、独自に進化させてきました。


よく、7月開催の平塚の竹飾りが、8月開催の仙台に買われてゆく、という話が出ますが、
あれはない話です。
基本的に、七夕という言葉の共通点以外は、
全くと言っていいほど類似点はありません。
これはデザインと言い、製造法と言い、扱う素材と言い、
何一つ共通するものはないと言っていいと思います。
それほど、伝統と新興の違いがあるのです。
ですから、よしんば、平塚の飾りを仙台のまちに飾ったら、
違和感がすごいでしょうね。
掲出した人は、いったいどうした、と言われるに違いないです。

 

つまり、仙台の紙を中心にして作った飾りと比較しても、
平塚は、7月という梅雨の最中の行事ですから、雨対策をせねばならず、
ビニール楠花を使うという点が、先ずは根本的に異なります。
正直、情緒という点では、全く歯が立たないくらいのものですが、
いきがって紙でやろうものなら、
一度雨にぬれると、それこそ、みじめなくらいみっともないものに変貌してしまいます。
私が、七夕を始めたごく初期に、紙で作った久寿玉を使ったことがあったのですが、
雨にあたって、まるでトイレットペーパーを巻きつけたような姿になってしまい、
恥ずかしい思いをしたことがありました。
こんなところから、平塚七夕祭りは独自に進化を始めたのです。
久寿玉と吹き流し、という原則はそこそこにして、
それ以外の作り物に力を置くようになりました。
もう、この時点で、伝統的な七夕祭りとたもとを分かっちあったのです。

 

さて、一時は夜空を覆うほどと言われるくらい竹が立ったのですが、
商業の衰退とともに掲出する数が減ってきます。
その理由は、主に、商店が自作のものを掲出するのですが、
その費用の負担に耐えられなくなったのです。
例えば、頑張って大きなものを作ろう、とすれば、
まあ、100万円ぐらいの経費は必要になったとします。
でも、こういうイベントというのは、一店一店の努力の総和でやるものですから、
一店がやらなかったと言って、集客力が目立って落ちてしまうという事はありません。
多少の、心に負い目はあるでしょうが、
その負い目を100万円と変えられるものか、と言われれば、
矢張り目先のお金を選択してしまいます。

つまり、不掲出を選択する場合もある、と言うことです。
さらには、試作場所が無くなってゆきました。
昔は、裏の物置なんかを片づけて作業場所にしたのですが、
裏も、裏道に面していれば、建物を建てて、スナックにでも貸した方が
効率がいいでしょ。
そこで、次々と物置が無くなっていったのです。
さらに、8月になって旧暦の七夕祭りをやるよそのまちでは、
平塚の用の済んだ飾りを買い付け、安上がりに七夕を掲出する、
というところがいろいろとあったのです。
埼玉の蕨や千葉の茂原など、商店街の人が、平塚にやってきて買い付けてくれたのです。
その時売れたお金は、材料費の何分の一かにはなったんですね。
ところが、これらのまちでも、商業は衰退して行き、
徐々に下取り制度の形が壊れていったのです。
要は、別口の収入源が無くなったんですね。


ま、いろいろな原因が相互に影響して、
結果として、七夕不掲出の商店が増えてきました。
特に、中心街に関しては、中央資本の支店が多く、
そういうところは地域の祭りなんかには関心がないんですね。
結果として、今まで地元の商店だったのが、
中央資本の支店になり、七夕飾りの不掲出の店になってゆくわけです。

こういう変化って、まさに時代の流れですね。

 

伝統を気にしない平塚の伝統があって、
商人がダメなら、市民が何とかしようと、
市民飾りの活動が始まりました。
昨年は、この市民飾りの竹飾りが33本並びました。
この傾向は、ますます高まっているようです。
これまで、七夕は商人が作るもの、
市民はそれを見るもの、と、向こうこっちに分かれていましたが、
作る側に回る市民が増えてきたという事です。

ある意味、理想的でしょ。
これが、平塚流の伝統なんです。

| 水嶋かずあき | 平塚のこと | 13:33 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
そこまで来ている訪日観光客

資源の少ない日本では、物を作り、物を売る、というのが経済の基本的な骨格でした。
そのために、諸外国との商談的な場が必要で、
かつて、日本人は積極的に海外に向かいました。
とは言え、まだまだ経済的に足腰は弱く、海外に出かけてゆく人材や経費など、
日本の企業には荷が重かった時代が続きます。


単純に、日本の国にやってくる外国に人の数と、
日本から外国に出かけてゆく人の数を比較すると、そのあたりが見えてきます。
もちろん、観光という目的の出入国もありますから、
一概にこの比較がすべてを物語っているわけではありませんが、
傾向はある程度読み取れると思います。
つまり、入国数が出国数をずうーと上回っていたのです。
そして、昭和46年、今から35年前に、やっとこの出入の数が逆転し、
日本人が外国に行く数が日本にやってくる人の数を上回ります。


この傾向はどんどん格差を広げ、2年後には、入りと出の比率は2倍を超えます。
これはますます勢いがついて、昭和の後半には3倍になります。
平成に入ると、ついに、出国数と入国数の合計が、1000万人を超えます。
観光客の増大が、これに拍車を掛けます。
出入国の格差が、平成10年前後には入国に対して出国が4倍という数値になります。
平成12年には、ピークを迎え、出国する人の数は1700万人を超えます。
以来、ほぼこの数字の前後を推移しますが、
突然と観光客の入国が増え始め、平成25年に、初めて1000万人を突破します。
以来、順調にこの数は伸びて、
平成29年度の訪日外国人の数は、ついに過去最多の2869万人となりました。

ここまで来ると、観光という産業の経済性が注目されます。


観光と言ったって、旅行者が、ちょぼちょぼと金を落とすぐらいのもんだ、と考え、
観光客が地域経済に影響を与える、とは考えてきませんでした。
特に、そもそもが観光で立地していない地域では、他人事だったんですね。
もともと、温泉地とか、名所旧跡が多くあるところとか、
景観の優れたところなど、観光は地域経済の大きな要素でしたが、
それ以外は、どうあがいたって、このまちに観光客がやってくる、
なんて、気にもとめなければ、
ましてや、それを取り込もうなんて積極的なアイディアさえ出されなかったんです。
つまり特殊な現象だと。


しかし、ここにきてこうまで、日本に人がやってくるとなると、
それはそれで考慮すべきことではないか、と。
で、それなりの対策を立てて、おこぼれ頂戴できないだろうか、と。
ともかく、世界中から日本にやってきているんだから、何とかしようなどと言ってるんです。


世界中から?
いやそうかもしれませんが、比率というのがあるでしょ。
実態を冷静に眺めないと、獲らぬ狸の皮算用になってしまいます。

まず基本的な実態です。
訪日客の国別内訳を以下のようです。
トップ5は、ここ数年不動の1位中国(735万人)、2位韓国(714万人)、
3位台湾(456万人)、4位香港(223万人)、5位アメリカ(137万人)。
トップ2の中国と韓国は初めて700万人台を突破しました。
また、タイを筆頭にしてアセアン諸国からの訪日客が300万人を超えました。
これらを客観的に整理すると、
1. 全体の5人のうち4人がアジアから訪れている。
まあ、近いですし、近い割には、見どころも多く、安定した社会情勢ですから、
訪問先としては、安心して選択できるんでしょうね。
2. 欧米からの観光客は10人に1人にすぎない
その反面、欧米が少ない。
これは逆に遠いからでしょ。
3. 半数以上は中国語圏の人たち
中国、香港、台湾で、中国語圏の人たちは半数を軽く超えるんです。
例えば、英語は、ほぼ世界共通言語ですから、英語による案内・指示は当然ですが、
もう一行使う言語は、と言うと、中国語ですよね。
トイレ、という表示も、中国語と英語とが表記されているべきです。
まあ、比率から言えば、ハングルでの表記も必要でしょうね。
ま、最低、ガイドブックなどでも、
英語、中国語、ハングルといった翻訳が必要だと思います。
もちろん、HPなどでもです。

 

日本全体では、観光に対する姿勢が改善されてきて、
国際的にみても、日本は観光に力を入れる国という評価が高まっているそうです。
世界経済フォーラム(WEF)が昨年4月に発表した観光競争力ランキングで、
日本はなんと世界第4位になったそうです。
これは136の国と地域の観光をめぐる環境や政策、インフラ、
自然および文化資源の4つの領域に関する評価から算出されるものですが、
日本の強みは「顧客への対応」「鉄道インフラ」「文化資源とビジネス旅行」などです。
つまり、おもてなしの精神が行き届いている、と評価されたわけです。

 

さてその目で、平塚を顧みれば、おもてなしの精神はどこにあるのか、
という状態でしょ。
ひらつか最大の観光事業である七夕祭りに、
英語、中国語、ハングル語の表記がある案内チラシなんて、
まだまだつくる気すらないんですから。

| 水嶋かずあき | 平塚のこと | 11:42 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
不二家のハートチョコ

バレンタイン・デーが近付いてきています。
もはや、この日にチョコレートを女性が男性に配るのは、
極めて普通、というか常識的なイベントになっています。

 

とは言いながら、日本でのチョコレート消費量はまだまだ低レベル。
年間の消費量は、国民一人当たり2,1キロだそうです。
さまざまなチョコレートに関する統計を調べてみましたが、

統計年度がばらついているので、確定的なデータとはいえませんが、
一応、世界各国のチョコレート消費ベスト5を発表しますと、
5位エストニア 8,8キロ   4位ノルウェー 9,4キロ
3位スイス 10,2キロ   2位ドイツ 11,7キロ
そして栄えある第一位、ルーマニア 15,4キロだそうです。
ちなみにルーマニア、日本の7倍。
つまり、私たちが板チョコ1枚を食べている間に、7枚食べているという事でしょ。
とてつもない消費ですよね。
製造量では、ドイツ、フランス、イタリア、イギリス、そして日本の順番です。
ヨーロッパのしかもサッカーリーグの強い所の国々が、上位を占めています。

 

バレンタインでは、とてつもないチョコの消費が行われますが、
まあ、半分は、もらっちゃったんで食べる、と言う消極的な消費もあると思いますが、
でもこのバレンタインデーでのチョコの需要は、
日本の全消費の25%に相当する、と言うんです。
なんだか日本人の気質が表れていると思いませんか。
節分には、そろいもそろって恵方巻きを食べ、
土用丑の日には、鰻を食べ、クリスマスにはケーキを食べる。
なんとなく、大勢に併せている、ある意味従順な国民性があるんですね。

さて、このバレンタインデーに、どうしても受け入れられないことがあるんです。


まあ、頑固じじいの偏見と言われること覚悟ですが、

それは、あの「ゴ×××」という名のチョコレートです。
先ずくそ高いでしょ。
一粒、親指の第一関節の先っぽ程度の塊で、ほぼ400円。
確かに、なかなかしゃれた包装ですし、
名も通っていますけど、それを買い求める神経が分からない。
正直ですよ、私の舌が鈍いのかもしれませんが、
特別うまい、いや、400円分のうまさがあるとは思えないんですね。
きっと分かる人は分かって、つまり違いが分かる人は、
旨い、と思うんでしょうが、私は違いが判らない。

 

先日、業務スーパーの入口の近い所に、段ボール箱の上のふたが開けられて
板チョコが陳列してあったんです。
つまり、食品を売るにしてはかなりぶっきらぼうな置き方です。
で、二種類あって、一方は国産のもので、70円前後でした。
で、隣にドイツ製の板チョコがあって、サイズは似たようなもの何ですが、
127円と言いう値札がついていました。
チョコ大国のドイツ製ですし、逆に、ドイツ製のチョコなんて珍しかったので
思わず一枚買ったんですね。
で、家に帰ったら、いただきもので「ゴ×××」のチョコがあったんです。
ほぼ一粒400円です。
で、何気なく食べ比べてみたんですが、
少なくとも私にはその違いがよく分からない。
かみさんにもすすめたんですが、同じような答えでした。

 

2000年のことです。
ベルマーレの責任企業としてのフジタが、会社の経営健全化を進め、
ベルマーレを手放すことにしたのです。
そこで、大黒柱を失ったベルマーレは、大いに動揺をしたのです。
併せて、サポーターも、ベルマーレが解散してしまう、と思った方も多く、
巷には、ベルマーレ消滅説のようなものが流れ始めていました。
そこで、このままでは、その後の球団運営に悪影響が出るかもしれない、と思い、
ベルマーレ大好き人間によるベルマーレ・サポート・ボランティアのような組織を作り、
ベルマーレの情報を徹底的に流すベルマーレ情報部会と言うものを立ち上げたんです。
最初に声掛けをして、集まってきた人たちに、
これからベルマーレ情報部会を設立したい、と趣旨を説明したら、
なんで部会なのか、という質問が出ました。
確かに自立した組織なんですが、部会を名乗ったのは、
きっと、この後多くのサポーターたちが支援の組織を立ち上げて、
それらが束ねられて、大きなボランティア組織になるだろう。
その時に、私たちは情報発信に特化した組織として動く、という事を説明したんです。
地域のラジオ、テレビ、コミュニティ紙、ホムページ、また独自の専門情報紙の発行など、
およそ地域で情報にかかわるメディアを含め、みんなで、正しい情報を拡散しよう、
という趣旨でした。


で、先ずは、消滅説を打ち消そう、という事で、
分かりやすく、選手監督などによる、街中でのキャンペーンをしようという事になりました。
そこで、年間シートの販売キャンペーンをすることにしました。
しかし、この組織、全く財政の裏付けが無く、
予算ゼロでの活動開始です。
で、最初の事業が、「逆バレンタインデー」でした。
ちょうど2月14日が日曜で、シーズン開幕の2週間前、
いいタイミングだから、選手が一堂に集まってもらって、
チョコレートでも配りながら、キャンペーン活動をしよう、という事になったのです。
そこで問題なったのが、チョコレートの入手方法です。
断っておきますが、予算ゼロです。
で、物は試しと、平塚の不二家に電話をしてみました。
こちらの趣旨を伝え、2000枚ほど、まだ残っている年間シート申込書を

まち行く人たちに配りたい、と。
ついては、バレンタインデーという事もあって、
チョコを一緒に配りたいのです、と。
もちろん贅沢は言いません。
なんか粒のもので、同じものでなくてもいいのです。
バラになったものでもいいので、いただけないでしょうか、と。
すると、どのぐらいの数ですか、という何の詮索もなく数の質問。
と言うことは、OKなのか、と思ったんです。
そこで恐る恐る、印刷物一部に3個ぐらいのチョコを付けたいので…、と。
つまり、6000粒欲しいと申し出ました。
すると、何のやり取りもなく、ひとこと、分りました、ですって。
豪気なもんでしょ。
で、電話一本で話がまとまったんです。


数日して、その担当の方から電話があって、
話の内容から考えて、そのチョコは、ハートチョコの方がいいんじゃないでしょうか、という事なんです。
あの、ピーナツがたっぷり入ったハート型のチョコです。
もちろん願ってもない事なんで、そんなことしていただけるんですか、
と驚きながら、ハートチョコに切り替わったんです。
で、数は6000必要ですか、と言われたので、
この場合、2000個で、十分です、と言うやり取りがあって、
2月13日、バレンタインの前日、2000個のハートチョコが届きました。
私は、2000個のうち、一つだけ戴き食べてみました。
今まで色々チョコを食べたけど、
こんな旨いチョコはないと確信したのです。

以来、バレンタインにはハートチョコ、と宣伝しています。
まして、平塚生まれの、また育ちの、また、暮らしている女性だったら、
「ゴ×××」じゃないだろう。
不二家のハートチョコをプレゼントしてくれ。
「ゴ×××」から見ればいささか値の安い品物と思われるかもしれませんが、
郷土を愛する、と言う温かみのあるプレゼントになるんじゃないか、と主張しているんです。

| 水嶋かずあき | 平塚のこと | 11:47 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
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