水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
湘南八景

平塚八景と言うものが制定されているんですが、
制定されたのが昭和57年。
今から37年前のことです。
一応、市制施行50周年の記念事業という事で当時は鳴り物入りで、展開され、
市民の推薦により選定したとか。
制定された八景は、湘南平をはじめ、金目川と観音堂、七国峠・遠藤原、
霧降りの滝・松岩寺、森の前鳥神社、八幡山公園、湘南潮来、平塚砂丘の夕映えとなります。

 

で、先日、ある人が、八景のひとつの七国峠・遠藤原について、
見渡せばゴミ処理場があったりして、何処が八景だ、と言っていたんですね。
確かに、時の流れはその周辺の景色を変えてしまうものです。
同じく八景のひとつ湘南潮来も、その後、防潮堤の護岸工事が進み、
少なくとも、川の西岸はコンクリートで固められてしまいました。

 

先日のことです。

仲間と飲みながら、この話題が出たのです。
そもそもが、八景となると八か所選ばなくてはいけない。
と、どうしてもBランクのところも交じってしまう。
時代も変わってきたし、再度見直したらどうだろうか、と。

だって、花菜ガーデンだって悪くないし、総合公園だって立派なものだろ、と。

 

ご存じない方も多いと思いますが、
何々八景、例えば、近江八景とか、金沢八景とか、日本にも数多くの八景を制定したところがあります。
他に、博多八景、大慈八景、赤湯八景、旭川八景、琵琶湖八景、小名浜八景
橿原八景、甲斐八景、千波湖八景、そしておひざ元相模川八景などなど。
これら八景の大本になったのは、中国の湖南省でのこと。


時代は10世紀、湖南省の洞庭湖付近や、湘江流域、など、
その頃活躍していた李白や杜甫などの文化活動の一環ともいえると思うんですが、
湖南省の美しい景色を、漢字で表したんですね。
それには、情景と地名が組み合わされました。
情景としては、晴嵐、晩鐘・沈む夕日と山中の寺院の鐘楼、
夜中に降る雨の風景、夕日を反射した赤い水面、夕暮れの中を舟が一斉に港に戻る風景
など、人の営みなども含まれています。
これらの八景を「瀟湘八景」としたのです。
でこれが、漢字文化圏に広まり、台湾、朝鮮、日本と多くの地域で、
うちでも八景を選定しよう、という動きになったんですね。


ある種、衝撃的な観光政策でもあったわけです。
それは、美しさを私的な表現で伝えられれば、
見に行きたい、と思うものでしょ。

しかし、ご存知の通り、湖南省と言っても広く、
日本の県の二つ三つの面積はあるんです。
その中から、味わい深い景色を選ぶんですから、
まあまあ、Aクラスのものを並べることができます。
しかし、平塚市内を限定したら、どうしてもBクラスが混じる。

県代表と、市の代表が戦う試合のようなものです。

戦力の差は歴然としているでしょ。


しかも、時代は過ぎて、若干の変貌もある。

そこで、その酒席では、ともかく見直しをしよう、と盛り上がったわけです。
で、先ずはすべて白紙に戻す。
それと、再度地域の見直しもする。
そもそもの手本が湖南省で、瀟湘八景と言ったわけです。
ちなみにこの瀟湘八景の瀟は、きよいとか、さっぱりとしたさま、
つまり美しいという意味を持っています。
また、湘は、湖南省全体を示す言葉です。
ですから美しい湖南省の八つの景色と言う意味が、瀟湘八景という事です。
したがって、平塚で気では選びきれない。

せめて大磯と平塚で八つ選ぶというのはどうだろうか、と。


いや、たまたまこの席に大磯の方がいたのでそういう流れになったのですが、
確かに、平塚だけで八つは厳しいから、
合同と言うのも悪くないですね、と。
そこで、平塚大磯八景と言うのもピンとこない。
で、じゃあ、湘南八景でどうか、となったんです。

もともとは瀟湘八景ですから、語感的にもこれに近い。
このブログでもたびたび湘南に触れてきましたので、
その根拠はご理解いただけると思いますが、
悪くない発想だと思いました。

 

まずは酒席の無責任な発言なんですが、
ちょっとばかり、面白そうだと思いませんか。

出来れば、八景候補を推薦していただけないでしょうか。

| 水嶋かずあき | 平塚のこと | 12:57 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
商店街受難の時代

商業の盛衰は、その商圏人口に大きな影響を受けてきました。
ここで、過去形として受けてきました、というのは、今後は大きく変わると思うからです。


さて、商圏人口と言うのは、言うまでもありませんが、
商業集積地域にある程度の頻度で、足を向けてくれる人の数のことで、
かつて、平塚商業は、商圏人口50万ともいわれていました。
西は熱海、遠く三浦半島までが含まれていたのです。
戦後のまだまだ十分に物資が供給できないころ、平塚の商人たちは、
額に汗をして、各地から商品を集め、それを廉価で販売したのです。

平塚に行けば何でもそろうと、評判でした。
しかし、時間の経過とともに、
それぞれの地域の商業も整備され、中核となるスーパー系の商業施設が進出しはじめると、
それまでやってきてくれたお客様は、地元で購買するようになります。
あっと言う間に、平塚商業は衰退してゆきました。

 

そもそも商店街と言うのは、相互互助の組織です。
例えば、10軒のお店が軒を連ねていたとしましょう。
洋品店に文房具店、魚屋さんに食料品店、靴屋さんに家具店、食堂にそばやさん、
レコード屋さんに喫茶店などなどです。
で、まあまあ、どの店でも平均で、
1日100人のお客様で商売が成り立っていた、とします。
10店×100人ですから、この商店街には、1000人の来街者がいたという事になります。
で、実は、この1000人は、必ずしも1000人ではないのです。
洋服を買ったついでに靴も買い、夕方の惣菜も買って、お昼におそばを食べた、とします。
と、4店が重複しています。
商店街は、この重複で成り立っていたのです。
お客様を共有することで、商店街として軒を連ねている意味があったのです。
来街する目的のお客様で、個々のお店が持っている客数は、
そもそもは5割いるかどうか。
残りは、他のお店に来たついでに寄ってもらっているというのが実態なんです。
来街するモチベーションは、
いくつもの目的が発生し、重複した時に、より人を動かすものです。
例えば、床屋さんに行こう、というのが第一目的。
で、ついでに読みたい本を買って、カセットの予備電池も買っておこう、と。
出来れば、靴下も買っておきたい、とか、その目的が多ければ、動きます。
電池一つだけでは、次の時でいいや、となります。
で、せっかく出てきたんだから、喫茶店でドリップの本格的なコーヒーを飲んでゆくか、
となるわけです。


ところが、ま、いろいろ事情はあると思いますが、
通販とか、ネットでの購入とか、購買様式が変化したり、
そもそもその主力商品の人気が無くなったり、
生活様式の変化に伴って、ニーズが激減したり、など、
売り上げが鈍りはじまます。
弱り目に祟り目なんてことはこの世界では普通にあります。


お店の有能なパートさんが、家庭の事情でやめることになった、
親父さんが、大腸がんの疑いで、1週間ほど入院した。
かみさんが階段で転んで骨折した、とか。
じゃあ、もう店をたたむか、となります。
一軒のお店がシャッターを下ろしたままになります。
すると、10軒の持合いでやってきた商店街の戦力が減ります。
まあ単純に来客数が1割減るわけです。
ぎりぎりのところは連鎖的に客を減らし、2軒目が店を閉めたとします。
そうすると、2割減になります。
なんとなく、一軒、一軒が自立独立しているように感じますが、
商店街と言う形態の中では連鎖しているんです。


ま、今のところ、平塚の中心街は、シャッター通りと言われるほどの状態ではありませんが、
何時そうならないとも限らない、というのが現状です。
このように、じわじわと地元資本の商店が減ってゆくのを、
私は、商店街の砂漠化、と言っています。
徐々にお店の経営が苦しくなってゆく、それにしたがって相対的に客数が減ってゆく、
こういう現象を指しています。


商店街にとって、ある意味、新商店街ともいえるのが、ショッピングセンターです。
様々な業種がバランス良く配置され、相互性をより明確に打ち出しているのです。
商店街の構成はそもそもが自然発生的でした。
誰かがそば屋さんをやりたいと言えばそこはそば屋になり、
靴を売りたいと言えば靴屋になるんです。
すべて自然発生的でしたが、
ショッピングセンターは、業種をコーディネートしますから、
効率的で無駄がない。
特に、雨風、熱い寒いといった天候に影響されません。
正に全天候型の商店街と言うわけです。
時に品ぞろえや、価格など、なかなか個人商店にとっては手ごわい相手です。
ショッピングセンターの出店者は、
商店街の各店舗から比較すれば、いや、比較にならないほどの資本力と人材を抱えています。

 

商店街の天敵はこれだけでなく、
ネットショッピングと言う、在宅購入をする人種が増えてきたことです。
そもそもがお店に来てくれない。
そうなると、商店の独り相撲になってしまうでしょ。
勝ちも負けもないそれ以前の状態です。


ここへの打開策は、たった一つしかありません。
それは、商品購入する時の原則として、
人と人が接触するわけですから、ここが勝負どころ。
ショッピングセンターの個店なら店長さんが相手ですし、
ネットの場合なら、人そのものが介在しません。
ですから、専門の知識を持った、親父さんが、勝負どころなんです。
商店には、商店でしかできないことがあるはずです。
ここをいかに磨くかでしょうね。

 

商店街受難の時代ですけど、光明がないわけではないんです。

| 水嶋かずあき | 平塚のこと | 09:54 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
平塚流の伝統

伝統を守る、というある種の美名のもとに、
伝統を守れなくなってしまいうことも多々あります。
時にそのかたくなな姿勢が、かえって伝統を壊してしまう事すらあります。

 

七夕祭りもそうです。
もし、伝統という概念が強ければ、
平塚の七夕祭りは、とっくに終焉の時を迎えていたかもしれません。

 

そもそもが平塚の七夕祭りは、終戦後、商業祭りとして発足しました。
初めは、商店街の中元大売出し的な要素もあって、
農閑期を迎えた近郷近在の人たちをターゲットに、
人集め的なイベントを開催しようと、復興祭として企画されました。
平塚の中心商店街のエリアは、太平洋戦争で焼き払われ、
しばし焼野原状態でしたが、
終戦とともに復興が始まり、それは勢いよく商店街の整備が進んだのです。
そして、昭和26年、一息ついたところで、復興をさらに押し進めようと、
復興祭が実施されたのです。
で、これが七夕祭りの起源になりました。

 

私の父は、すでにその頃商工会議所での活動に参加していましたので、
仲間と一緒に仙台に視察に出かけたことを記憶しています。
先進地の事例を、何かの参考にしようというわけです。
おそらくそれなりの収穫はあったのだと思うのですが、
なんといってもあちらは伝統的な祭り。
こちらは、新興の祭り。
その経験値と言い、文化性と言い、正に雲泥の差があったようです。

で、結果としてですが、新興であったがゆえに、フレキシブルに七夕をとらえ、
平塚なりの解釈をして、独自に進化させてきました。


よく、7月開催の平塚の竹飾りが、8月開催の仙台に買われてゆく、という話が出ますが、
あれはない話です。
基本的に、七夕という言葉の共通点以外は、
全くと言っていいほど類似点はありません。
これはデザインと言い、製造法と言い、扱う素材と言い、
何一つ共通するものはないと言っていいと思います。
それほど、伝統と新興の違いがあるのです。
ですから、よしんば、平塚の飾りを仙台のまちに飾ったら、
違和感がすごいでしょうね。
掲出した人は、いったいどうした、と言われるに違いないです。

 

つまり、仙台の紙を中心にして作った飾りと比較しても、
平塚は、7月という梅雨の最中の行事ですから、雨対策をせねばならず、
ビニール楠花を使うという点が、先ずは根本的に異なります。
正直、情緒という点では、全く歯が立たないくらいのものですが、
いきがって紙でやろうものなら、
一度雨にぬれると、それこそ、みじめなくらいみっともないものに変貌してしまいます。
私が、七夕を始めたごく初期に、紙で作った久寿玉を使ったことがあったのですが、
雨にあたって、まるでトイレットペーパーを巻きつけたような姿になってしまい、
恥ずかしい思いをしたことがありました。
こんなところから、平塚七夕祭りは独自に進化を始めたのです。
久寿玉と吹き流し、という原則はそこそこにして、
それ以外の作り物に力を置くようになりました。
もう、この時点で、伝統的な七夕祭りとたもとを分かっちあったのです。

 

さて、一時は夜空を覆うほどと言われるくらい竹が立ったのですが、
商業の衰退とともに掲出する数が減ってきます。
その理由は、主に、商店が自作のものを掲出するのですが、
その費用の負担に耐えられなくなったのです。
例えば、頑張って大きなものを作ろう、とすれば、
まあ、100万円ぐらいの経費は必要になったとします。
でも、こういうイベントというのは、一店一店の努力の総和でやるものですから、
一店がやらなかったと言って、集客力が目立って落ちてしまうという事はありません。
多少の、心に負い目はあるでしょうが、
その負い目を100万円と変えられるものか、と言われれば、
矢張り目先のお金を選択してしまいます。

つまり、不掲出を選択する場合もある、と言うことです。
さらには、試作場所が無くなってゆきました。
昔は、裏の物置なんかを片づけて作業場所にしたのですが、
裏も、裏道に面していれば、建物を建てて、スナックにでも貸した方が
効率がいいでしょ。
そこで、次々と物置が無くなっていったのです。
さらに、8月になって旧暦の七夕祭りをやるよそのまちでは、
平塚の用の済んだ飾りを買い付け、安上がりに七夕を掲出する、
というところがいろいろとあったのです。
埼玉の蕨や千葉の茂原など、商店街の人が、平塚にやってきて買い付けてくれたのです。
その時売れたお金は、材料費の何分の一かにはなったんですね。
ところが、これらのまちでも、商業は衰退して行き、
徐々に下取り制度の形が壊れていったのです。
要は、別口の収入源が無くなったんですね。


ま、いろいろな原因が相互に影響して、
結果として、七夕不掲出の商店が増えてきました。
特に、中心街に関しては、中央資本の支店が多く、
そういうところは地域の祭りなんかには関心がないんですね。
結果として、今まで地元の商店だったのが、
中央資本の支店になり、七夕飾りの不掲出の店になってゆくわけです。

こういう変化って、まさに時代の流れですね。

 

伝統を気にしない平塚の伝統があって、
商人がダメなら、市民が何とかしようと、
市民飾りの活動が始まりました。
昨年は、この市民飾りの竹飾りが33本並びました。
この傾向は、ますます高まっているようです。
これまで、七夕は商人が作るもの、
市民はそれを見るもの、と、向こうこっちに分かれていましたが、
作る側に回る市民が増えてきたという事です。

ある意味、理想的でしょ。
これが、平塚流の伝統なんです。

| 水嶋かずあき | 平塚のこと | 13:33 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
そこまで来ている訪日観光客

資源の少ない日本では、物を作り、物を売る、というのが経済の基本的な骨格でした。
そのために、諸外国との商談的な場が必要で、
かつて、日本人は積極的に海外に向かいました。
とは言え、まだまだ経済的に足腰は弱く、海外に出かけてゆく人材や経費など、
日本の企業には荷が重かった時代が続きます。


単純に、日本の国にやってくる外国に人の数と、
日本から外国に出かけてゆく人の数を比較すると、そのあたりが見えてきます。
もちろん、観光という目的の出入国もありますから、
一概にこの比較がすべてを物語っているわけではありませんが、
傾向はある程度読み取れると思います。
つまり、入国数が出国数をずうーと上回っていたのです。
そして、昭和46年、今から35年前に、やっとこの出入の数が逆転し、
日本人が外国に行く数が日本にやってくる人の数を上回ります。


この傾向はどんどん格差を広げ、2年後には、入りと出の比率は2倍を超えます。
これはますます勢いがついて、昭和の後半には3倍になります。
平成に入ると、ついに、出国数と入国数の合計が、1000万人を超えます。
観光客の増大が、これに拍車を掛けます。
出入国の格差が、平成10年前後には入国に対して出国が4倍という数値になります。
平成12年には、ピークを迎え、出国する人の数は1700万人を超えます。
以来、ほぼこの数字の前後を推移しますが、
突然と観光客の入国が増え始め、平成25年に、初めて1000万人を突破します。
以来、順調にこの数は伸びて、
平成29年度の訪日外国人の数は、ついに過去最多の2869万人となりました。

ここまで来ると、観光という産業の経済性が注目されます。


観光と言ったって、旅行者が、ちょぼちょぼと金を落とすぐらいのもんだ、と考え、
観光客が地域経済に影響を与える、とは考えてきませんでした。
特に、そもそもが観光で立地していない地域では、他人事だったんですね。
もともと、温泉地とか、名所旧跡が多くあるところとか、
景観の優れたところなど、観光は地域経済の大きな要素でしたが、
それ以外は、どうあがいたって、このまちに観光客がやってくる、
なんて、気にもとめなければ、
ましてや、それを取り込もうなんて積極的なアイディアさえ出されなかったんです。
つまり特殊な現象だと。


しかし、ここにきてこうまで、日本に人がやってくるとなると、
それはそれで考慮すべきことではないか、と。
で、それなりの対策を立てて、おこぼれ頂戴できないだろうか、と。
ともかく、世界中から日本にやってきているんだから、何とかしようなどと言ってるんです。


世界中から?
いやそうかもしれませんが、比率というのがあるでしょ。
実態を冷静に眺めないと、獲らぬ狸の皮算用になってしまいます。

まず基本的な実態です。
訪日客の国別内訳を以下のようです。
トップ5は、ここ数年不動の1位中国(735万人)、2位韓国(714万人)、
3位台湾(456万人)、4位香港(223万人)、5位アメリカ(137万人)。
トップ2の中国と韓国は初めて700万人台を突破しました。
また、タイを筆頭にしてアセアン諸国からの訪日客が300万人を超えました。
これらを客観的に整理すると、
1. 全体の5人のうち4人がアジアから訪れている。
まあ、近いですし、近い割には、見どころも多く、安定した社会情勢ですから、
訪問先としては、安心して選択できるんでしょうね。
2. 欧米からの観光客は10人に1人にすぎない
その反面、欧米が少ない。
これは逆に遠いからでしょ。
3. 半数以上は中国語圏の人たち
中国、香港、台湾で、中国語圏の人たちは半数を軽く超えるんです。
例えば、英語は、ほぼ世界共通言語ですから、英語による案内・指示は当然ですが、
もう一行使う言語は、と言うと、中国語ですよね。
トイレ、という表示も、中国語と英語とが表記されているべきです。
まあ、比率から言えば、ハングルでの表記も必要でしょうね。
ま、最低、ガイドブックなどでも、
英語、中国語、ハングルといった翻訳が必要だと思います。
もちろん、HPなどでもです。

 

日本全体では、観光に対する姿勢が改善されてきて、
国際的にみても、日本は観光に力を入れる国という評価が高まっているそうです。
世界経済フォーラム(WEF)が昨年4月に発表した観光競争力ランキングで、
日本はなんと世界第4位になったそうです。
これは136の国と地域の観光をめぐる環境や政策、インフラ、
自然および文化資源の4つの領域に関する評価から算出されるものですが、
日本の強みは「顧客への対応」「鉄道インフラ」「文化資源とビジネス旅行」などです。
つまり、おもてなしの精神が行き届いている、と評価されたわけです。

 

さてその目で、平塚を顧みれば、おもてなしの精神はどこにあるのか、
という状態でしょ。
ひらつか最大の観光事業である七夕祭りに、
英語、中国語、ハングル語の表記がある案内チラシなんて、
まだまだつくる気すらないんですから。

| 水嶋かずあき | 平塚のこと | 11:42 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
不二家のハートチョコ

バレンタイン・デーが近付いてきています。
もはや、この日にチョコレートを女性が男性に配るのは、
極めて普通、というか常識的なイベントになっています。

 

とは言いながら、日本でのチョコレート消費量はまだまだ低レベル。
年間の消費量は、国民一人当たり2,1キロだそうです。
さまざまなチョコレートに関する統計を調べてみましたが、

統計年度がばらついているので、確定的なデータとはいえませんが、
一応、世界各国のチョコレート消費ベスト5を発表しますと、
5位エストニア 8,8キロ   4位ノルウェー 9,4キロ
3位スイス 10,2キロ   2位ドイツ 11,7キロ
そして栄えある第一位、ルーマニア 15,4キロだそうです。
ちなみにルーマニア、日本の7倍。
つまり、私たちが板チョコ1枚を食べている間に、7枚食べているという事でしょ。
とてつもない消費ですよね。
製造量では、ドイツ、フランス、イタリア、イギリス、そして日本の順番です。
ヨーロッパのしかもサッカーリーグの強い所の国々が、上位を占めています。

 

バレンタインでは、とてつもないチョコの消費が行われますが、
まあ、半分は、もらっちゃったんで食べる、と言う消極的な消費もあると思いますが、
でもこのバレンタインデーでのチョコの需要は、
日本の全消費の25%に相当する、と言うんです。
なんだか日本人の気質が表れていると思いませんか。
節分には、そろいもそろって恵方巻きを食べ、
土用丑の日には、鰻を食べ、クリスマスにはケーキを食べる。
なんとなく、大勢に併せている、ある意味従順な国民性があるんですね。

さて、このバレンタインデーに、どうしても受け入れられないことがあるんです。


まあ、頑固じじいの偏見と言われること覚悟ですが、

それは、あの「ゴ×××」という名のチョコレートです。
先ずくそ高いでしょ。
一粒、親指の第一関節の先っぽ程度の塊で、ほぼ400円。
確かに、なかなかしゃれた包装ですし、
名も通っていますけど、それを買い求める神経が分からない。
正直ですよ、私の舌が鈍いのかもしれませんが、
特別うまい、いや、400円分のうまさがあるとは思えないんですね。
きっと分かる人は分かって、つまり違いが分かる人は、
旨い、と思うんでしょうが、私は違いが判らない。

 

先日、業務スーパーの入口の近い所に、段ボール箱の上のふたが開けられて
板チョコが陳列してあったんです。
つまり、食品を売るにしてはかなりぶっきらぼうな置き方です。
で、二種類あって、一方は国産のもので、70円前後でした。
で、隣にドイツ製の板チョコがあって、サイズは似たようなもの何ですが、
127円と言いう値札がついていました。
チョコ大国のドイツ製ですし、逆に、ドイツ製のチョコなんて珍しかったので
思わず一枚買ったんですね。
で、家に帰ったら、いただきもので「ゴ×××」のチョコがあったんです。
ほぼ一粒400円です。
で、何気なく食べ比べてみたんですが、
少なくとも私にはその違いがよく分からない。
かみさんにもすすめたんですが、同じような答えでした。

 

2000年のことです。
ベルマーレの責任企業としてのフジタが、会社の経営健全化を進め、
ベルマーレを手放すことにしたのです。
そこで、大黒柱を失ったベルマーレは、大いに動揺をしたのです。
併せて、サポーターも、ベルマーレが解散してしまう、と思った方も多く、
巷には、ベルマーレ消滅説のようなものが流れ始めていました。
そこで、このままでは、その後の球団運営に悪影響が出るかもしれない、と思い、
ベルマーレ大好き人間によるベルマーレ・サポート・ボランティアのような組織を作り、
ベルマーレの情報を徹底的に流すベルマーレ情報部会と言うものを立ち上げたんです。
最初に声掛けをして、集まってきた人たちに、
これからベルマーレ情報部会を設立したい、と趣旨を説明したら、
なんで部会なのか、という質問が出ました。
確かに自立した組織なんですが、部会を名乗ったのは、
きっと、この後多くのサポーターたちが支援の組織を立ち上げて、
それらが束ねられて、大きなボランティア組織になるだろう。
その時に、私たちは情報発信に特化した組織として動く、という事を説明したんです。
地域のラジオ、テレビ、コミュニティ紙、ホムページ、また独自の専門情報紙の発行など、
およそ地域で情報にかかわるメディアを含め、みんなで、正しい情報を拡散しよう、
という趣旨でした。


で、先ずは、消滅説を打ち消そう、という事で、
分かりやすく、選手監督などによる、街中でのキャンペーンをしようという事になりました。
そこで、年間シートの販売キャンペーンをすることにしました。
しかし、この組織、全く財政の裏付けが無く、
予算ゼロでの活動開始です。
で、最初の事業が、「逆バレンタインデー」でした。
ちょうど2月14日が日曜で、シーズン開幕の2週間前、
いいタイミングだから、選手が一堂に集まってもらって、
チョコレートでも配りながら、キャンペーン活動をしよう、という事になったのです。
そこで問題なったのが、チョコレートの入手方法です。
断っておきますが、予算ゼロです。
で、物は試しと、平塚の不二家に電話をしてみました。
こちらの趣旨を伝え、2000枚ほど、まだ残っている年間シート申込書を

まち行く人たちに配りたい、と。
ついては、バレンタインデーという事もあって、
チョコを一緒に配りたいのです、と。
もちろん贅沢は言いません。
なんか粒のもので、同じものでなくてもいいのです。
バラになったものでもいいので、いただけないでしょうか、と。
すると、どのぐらいの数ですか、という何の詮索もなく数の質問。
と言うことは、OKなのか、と思ったんです。
そこで恐る恐る、印刷物一部に3個ぐらいのチョコを付けたいので…、と。
つまり、6000粒欲しいと申し出ました。
すると、何のやり取りもなく、ひとこと、分りました、ですって。
豪気なもんでしょ。
で、電話一本で話がまとまったんです。


数日して、その担当の方から電話があって、
話の内容から考えて、そのチョコは、ハートチョコの方がいいんじゃないでしょうか、という事なんです。
あの、ピーナツがたっぷり入ったハート型のチョコです。
もちろん願ってもない事なんで、そんなことしていただけるんですか、
と驚きながら、ハートチョコに切り替わったんです。
で、数は6000必要ですか、と言われたので、
この場合、2000個で、十分です、と言うやり取りがあって、
2月13日、バレンタインの前日、2000個のハートチョコが届きました。
私は、2000個のうち、一つだけ戴き食べてみました。
今まで色々チョコを食べたけど、
こんな旨いチョコはないと確信したのです。

以来、バレンタインにはハートチョコ、と宣伝しています。
まして、平塚生まれの、また育ちの、また、暮らしている女性だったら、
「ゴ×××」じゃないだろう。
不二家のハートチョコをプレゼントしてくれ。
「ゴ×××」から見ればいささか値の安い品物と思われるかもしれませんが、
郷土を愛する、と言う温かみのあるプレゼントになるんじゃないか、と主張しているんです。

| 水嶋かずあき | 平塚のこと | 11:47 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
よそのだれかに

よく、起業支援と言う形態の行政等の政策を見受けます。
まあ、新たに事業を起こし、それによって、新たなマーケットの創造と
新たな産業を現出させよう、という事です。
で、誰か頑張って起業してみませんか、という事です。
そこで、では、と手を挙げてその意志を示すとします。
すると、専門家と言われる人がやって来て、
基本的には、ターゲットとしているマーケットの現況と、
そこで打ち出そうとしているアイディアの適合性を判断し、
なんとか、行けるかも、となると、
資金の調達やら、資材系のルートの示唆、
時に関連技術との接点を作るなどの事を手伝ってくれるはずです。

 

最近のこの類の専門家という方々の資質は知りませんが、
今まで、国や県などでの起業支援として、
ある種の補助金がついているものなどの制度を使ったことがあります。
例えば、4〜500万円程度の事業などの場合、
国、県から多ければ半額ほどの助成がもらえます。
もちろん、国の施策に乗った範囲でです。

例えば、国として、6次産業的な産業分野の開拓をしたい、
と考え、それを政策として打ち出し、
それに伴う予算組をし、地方における担当部署を決め、現場的な分担をし、
この制度に手を挙げるところを募集するわけです。

で、ある企業がこれに手を挙げ、制度に適合し、
助成制度に則った事業を展開する事になったとします。
で、大体は、事業相談員と言った感じの人が派遣されてきます。
いわばアドバイザーです。
肩書きを見る限り、そこそこに指導歴があり、スーツを着て、しゃんとしていて、
まあまあ説得力のある話方で、いかにも理路整然と物事を組み立ててゆきます。
で、事業予算を500万円を想定したとしましょう。
国、県で半額の250万円が出ます。
そして、事業主は250万円を負担します。
この数字を見る限り、結構嬉しい比率でしょ。
なんと半額の250万円が補助されるんですから。
で、事業が組み立てられてゆきます。


さまざまな調査をし、計画を検討し、実践的な展開を予測し、
時に、商品を試作をしたりします。
で、よくよく見てみると、この作業に必要な費用のかなりの部分が、
人件費で、この人件費は派遣された専門家に支払われます。
で、出来上がった事業計画は、いささか地に足のついていないものが多く、
いかにも紙上の計画で、うまくゆけば可能性がないことはない、と言った程度で、
彼らのアドバイスは、およそ生活感のない、実践性の欠けたものが多いのです。


この事業を計画した事業者としては、

確かに夢を観、理想を追いかけてきたのではありますが、
彼ら専門家と称する人たちは、それに輪をかけて夢見がちなことをアドバイスするんですね。
で、予定の作業が終了し、彼らは荷物を片づけて撤退します。
後はお前らがやれ、とばかりにです。
もしうまくいかないことがあったとしたら、

それはあなた方の能力の問題なんだ、と。
で、だいたい、思い通りの展開とはならないものなのです。

 

実は、これは、民間の起業とか新規事業とかだけではなく、
行政そのものがこのシステムに侵されているのではないか、という気がするんです。
地方自治体が中長期の事業計画を策定することになった、とします。
まあ、見てくれのいい人たちを策定委員会の委員にし、
事務局に行政の企画あたりの人が担当し、
委員会が進行してゆきます。
で、実行委員会のメンバーにはなかなか見えないところなんですが、
ここに、プロの計画書づくりのチームが張り付いているはずなんです。
いわゆる、例えば、電通とか博報堂のような企業の人たちです。
彼らは多くのこう言った仕事をしていますから、
それは豊富なデータがあり、それにしたがって、全体の計画を実にスムースに策定します。
もちろん、委員からの意見はこれに極力反映させますが、
基本はそもそもが策定した原案の追認に過ぎません。
いや、このやり方が悪いと言ってるわけでなありません。
問題は、地域に根差した感情や感性が取り入れられてない、ということなんです。
つまり、もっとも重要なそのまちの政策決定の基本が、

よそのまちの人間が策定した借り物の計画書になっているという事なんですね。


以前、平塚市に新たに移住してきた新市民の人たちに配る、

市の案内書のようなものを制作している課があって、
その中にあるページに、弦斉カレーを作る、と言うコーナーがあったのです。
で、市からの依頼で、そのページの製作を手伝うことになりました。
市内のさる喫茶店でその制作担当者と会うことになったのですが、
名刺交換をして初めて分かったのですが、市役所の人間ではありませんでした。
横浜にある企画会社の社員だったんです。
つまり、担当課は、この案内本そのものの制作を丸投げしていたんですね。
まあ、一応要求された情報を惜しげもなくお渡ししましたが、
平塚のことをよく知らない人間が、平塚の案内をするってことに、いささか疑問を感じたんです。


なんとなく、最近の施政が、市民生活から遊離しつつあるのではないか、と感じていますが、
こう言うことを積み重ねていると、このまちは、誰かのまちになってしまうと思うんですね。
私達のまちの運営が、よその町の人にゆだねられてしまう、と言うことです。

| 水嶋かずあき | 平塚のこと | 10:13 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
観光客誘致の策は?

2010年に860万人だったのが、
7年後の2017年には2860万人と言う、
7年間で3.3倍と言う急激な拡大をしました。
ご存知、訪日外国人旅行者の数です。
昨年のこれらの観光客が落としたお金は、4兆4千億円に上るそうです。
一人あたりなら150万円と言うことになります。
結構な数字ですね。


これに便乗しない手はない、と思いませんか。
ですから、京都など、外国人観光客を迷惑がっているところもありますが、
おおむね、我が街にいらっしゃいと言う歓迎ムード一杯でしょ。
旅行者の国別は、中国、韓国、台湾、香港だそうで、
いわば、隣国が75%を占めています。
同じアジア人ですから、見た目そうは変わらないので、
外国人が観光でうろうろしていると言う印象は少ないのですね。
まあ強いて言えば、車付きスーツケースなどをゴロゴロ引いて、
聞きなれない言葉を話していると、訪日観光客なんだな、と分かるくらい。

 

そもそも観光と言う概念は中国の『易経』にあると言われています。
「観国之光、利用賓于王」という一節がおおもとだと。
意味は、観光(外国を訪れること)によって見聞を増やせば、
その知識が役立ち、国王(または統治者)から重用される立場になれるでしょう、
という事だそうです。
このことをもう少し柔らかく解釈して、
観光とは、「他国の花を愛で、自国の花の美しさを知る」
という事が本来である、ということを聞いたことがあります。
なかなか意味深いでしょ。
確かに、異文化に接触するという事は、カルチャーショックと言われるように、
なかなか衝撃的なことがあるものです。
いいも悪いも含めて、そういう環境、そういう風習の中で暮らしている人がいるわけで、
頭の隅で、自分が所属する文化圏との比較をするわけですね。
自然の景観も、宗教的な建築物も、様々な行事、イベント、食文化も
今までと異なるものを見ることで、新たな感慨を得て、
さらに、ふるさとの文化、景色のよさを再認識する、という事です。

 

そして現代、多くの人が気軽に移動する時代になり、
観光と言うものは、大きな経済の柱になりつつあります。
4兆4千億円と言う経済的な効果は、
消費税2%分に匹敵します。
現行8%を10%にするという事で、多分ひと波乱あると思うのですが、
このひと波乱の結果に相当する金額が、観光における経済性なんですね。
矢張り結構な金額でしょ。


観光とは、観光地に観光客がお金を使う経済的成果が、一つのめどです。
だって、何も食べず、ただで見る、挙句の果てに泊まるわけでもない、
買物をするわけでもない、と次に移動されたら、
観光される方としては切ないでしょ。
観光地としては、観光客から付加価値が得られることによって、
観光事業として意味を持つのです。
露骨にいえば、よそから来た人がこのまちにどのくらいい金を落としてくれたのか、
という事です。
それが観光事業の本質です。

 

さ、そこで、そのおこぼれを我が街も頂戴したっていいじゃないか、と思っているんです。
観光における経済的な要素は、
一つ、交通費、二つ、宿泊費、三つ、飲食費、四つ、拝観・入場料などの施設利用費
五つ、土産物などの物品購入費などに分かれます。
で、我が街では、改めて訪れてもらえるような観光的要素に何があるのか、
という事ですが、
まあ、景観的な自然で、売り物になるようなものはありません。
改めて、やってきて拝観料を払うほどのものはないでしょ。
ましてや、宿泊してまで見ようという観光対象もありません。
残すところは飲食的な要素を充実させるか、
イベント等による誘客を活性化するかでしょ。
まあ、いい例としては七夕祭りがありますが、
で、これでも一年に三日だけ。
そこまでやってきているインバウンドを取り込むには心もとないでしょ。

つまり、簡単にお言うと、このまちには観光行政が存在していないんです。


観光協会と言うのがありますが、正直、観光事業を活発に展開しているとは言い難い。
観光的業務を消化しているだけのことです。
だって、七夕祭りですら、外国人に対するガイドの制度すらないのですから。


まあ、もう一度真剣に、この時代の流れを読み、
観光と言う観点での町おこしはできるのか出来ないのか、
検討する必要があるのではないでしょうか。

| 水嶋かずあき | 平塚のこと | 10:32 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
神大ガンバレ、東海大ガンバレ

お正月の2日、3日と言えば、やはり、箱根駅伝でしょうか。
7時50分、スタート寸前の中継からテレビで見ていました。
今年は、我が平塚にある、神奈川大学、東海大学の二校が
下馬評としては、上位に食い込みそう、という事でしたので、
特に楽しみにしていました。


ですから、テレビにかじりついています。
とは言え、時に、淡々とレースが展開される時もあったりで、
順位の変動もほとんどなさそうな時は、ちょっとばかり、画面から離れます。

以前は沿道まで出かけて旗を振ったものでした。
出身校が早稲田なので、先ずは早稲田の応援なんですが、
併せて、神奈川大学、東海大学の応援もこれまた力を入れています。
考えてみれば、この両校が、箱根で相応の力を発揮するというのは、
平塚にとっても、誇りになる事でしょ。


で、なんとなく感じるんですが、
平塚市と言うか、平塚市民と言うか、このまち全体として、
この両校の応援を、熱狂的にしている、という感じがしないんですね。
どこか冷めているような気がするんです。

地理的に平塚の西北部にあるということなんでしょうか。

この二つの大学が平塚市にある、と言うことの親近感をあまり持っていないように感じるんですね。

市内の目立つところに、頑張れ神大、頑張れ東海大ぐらいの幟があってもいいでしょ。
平塚中継所には、市長をはじめ、市のお歴々が顔を出すとか。
まちを挙げて応援する体制と言うのがちょっと欠けていますよね。

 

昔々の話ですが、1990年サーフ90の時に、
平塚の浜にボードウォークを設置し、これに関わるいくつかのイベントを展開しました。
サーフ90終了後も、施設を残して、さらにその後、管理棟を建て、
ただの砂浜を、市民が有意義に楽しめるようにと、運営を充実させたんですね。


で、この時、ビーチバレーのコートがいくつかあって、
これをもとに、瀬戸山・川合の両氏が中心となって、PVC(Point volleyball Community)
と言う団体を発足させました。
これは、日本にビーチバレーを普及しようという事で設立されたものです。
つまり、平塚の浜で、ビーチバレーのコートがあって、
この活用をしようという思惑もあって、専門の団体が結成され、
ビーチバレーが恒常的に行われるようになったのです。
これは日本で最初の施設です。


そして、その4年後、1996年、アトランタのオリンピックに、
ビーチバレーの女子チーム2、男子チーム1の3チームが出場しましたが、
そのほとんどの選手が、平塚をフランチャイズにして活動していた選手でした。
つまりです、ビーチバレー発祥の地でもあり、
最初のオリンピックには、平塚のビーチパークでトレーニングを積んだ選手が活躍したのです。
言ってみれば、ビーチパークのメッカ的な立場だったわけでしょ。
確かに平塚市は後援もしましたが、
行政の後援と言うのは、時に名目的なものに終わることが多く、
この場合もそれに近かったような気がします。
せっかく宝物が生まれたというのに、
雑な扱いをした、と私は感じました。


今や、他の湘南のまちに、ビーチバレーの中心は移ってしまったようです。
なんとなくですが、
このまちは、何を大事にしなければいけないのか、
という事の優先順位がヅレているんじゃないか、と感じるんですね。

 

さて、ちょうど時間になりましたので、テレビに戻って、
平塚中継所の様子を見てきました。
東洋、青山、早稲田、神大、と言った順位。
思いのほか、東海大が、遅れましたね。
ま、とはいえまだ道半ば。
この後どんなドラマがあるのでしょうか。
そして、今年はどんな山の神が登場するのでしょうか。
楽しみです。


改めて、神大がんばれ、東海大がんばれ、です。

| 水嶋かずあき | 平塚のこと | 11:36 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
KEIRINグランプリ

以前、ガールズ競輪のPRポスターに
顔より太もも、と言うキャッチコピーを巡って、
いいの悪いのと言う賛否が戦わされ、
これに併せて、このブログで競輪にまつわる話を書いたら、
これまた、ミニ炎上し、あれこれ、競輪ファンからの誹謗が書き込まれました。
その大元は、私が、年間で、1億円程度の一般会計に繰り入れなのに、
観覧席改修(本年完成)に20億あまりかけるという事は、
すべての純益を投入しても20年間は、収益ゼロになるではないか、
と言う事を書いたんです。

競輪存廃とか、はそういう論点ではなく、

一般的な企業としてはそのような投資の決断はしない、という意味ですね。
すると、反論として、年間では、4〜5億円が計上されている、と。
ある方が書き込んで、お前の計算は何を根拠にしているんだ、とおしかりを受けたんですね。
これは、私も説明が不十分でしたが、
実態はこうです。
平常の年は、ほぼ一億ちょっとが収益金になります。
で、平常でない年と言うのがあるんですが、
これは競輪グランプリなど、要はG1と言われている、
高額賞金を争って、超一流選手が出場する、特別な競輪が開催されると、
全国から投票できますので、そこそこの売り上げを確保できるんですね。
特に、KEIRINグランプリなどが開催された年は、
一気に売り上げを伸ばし、その年の収益は4億円とか5億円とかになるんです。
ですから、そのクレーマー氏は、この数字を見て、
おかしいと言ったのだと思いますが、まあ、なんてことない
私の説明不足とその方の勘違い、という事ですね。

 

その競輪グランプリが、今日28日から開催されます。
KEIRINグランプリと言うのは、その年の勝者を決めるファイナルレースで、
さまざまな分野でグランプリが行われます。
ちなみに、うちのかみさんが駅の通路に貼られていたポスターを見て、
例の、天然ボケをかました発言をしました。
ポスターには、KEIRINグランプリ、と書いてあって、
これをなぜかKIRINグランプリと読んだんですね。
言われてみればEが1文字ないだけ。
で、言うに事欠いて、KIRINがサッカー以外にも進出してきたんだ、ですって、と。

 

とまあ、ボケはともかく、
まずは、ガールズグランプリが28日に開催されます。
かつて、貌より太ももとか言ってましたが、なかなか美形の女性も多く、
それはそれなりにおじ様たちの目を楽しませてくれそうですね。


さらに、翌29日は、ヤンググランプリと言って、
若手の選手によって競われます。
まあ、サッカーで言う、オリンピックのように、アンダー23歳みたいなものです。
これはこれで、覇気にあふれる若い力のぶつかり合いがおもしろそうです。


で、いよいよ30日はメインのグランプリ。
この一年で賞金ランキングが高く、G1レースの覇者たちが揃います。
G1と言うのは、最上級の特別競輪で、その下にG2と言うランクがあります。
G1としては全日本選抜、日本選手権、高松宮記念杯、オールスター、

鄂凌堂η廖競輪祭などが開催され、その集大成としてKEIRINグランプリが開催されるのです。
ですから、競輪ファンにとっては、まさに待望のレースで、
この一年の締めくくりで、外せば来年に期待をし、当てればいい年だったというんでしょうね。
ま、ざっと胴元は売り上げの25%を確保し、その残りを配当金として戻すのですから、
売り上げが上がれば上がるほど、収益は確保できるわけです。

平塚市にとっても、ほくほくですね。


今の競輪ファンはとてつもなく高齢化が進み、
標準的な競輪ファン像と言うのは、

年金が主な収入源で、その中から千円札一枚を握りしめ、ちびちびと車券を買い、
当たれば、その先のレースまでいますが、掏ってしまえば、それでお帰り、
という事のようです。
正直、万車券など夢また夢の話で、大体が100円が、4〜500円。
ちょっと配当がよくったって、2000円、3000円になるという世界です。
ま、ささやかな夢を見る時なんですね。

 

その昔は、競輪による経済の恩恵が大きく、全盛期は、人であふれかえっていましたね。
競輪開催日は、はねると道が混んで、ミニ渋滞になるんですね。
ですから、そのことを念頭に置いて、その時間帯の移動をしたものです。
ま、今はそんな片鱗すら見かけないですね。
したがって、競輪場内で飲食売店の売り上げも、当時は、なかなかのもので、
その昔は、半年期限の売店権利を争うように得ようとしたものです。
何しろ、半年の売り上げ収益から、車一台買えたなんてことがあったくらいです。
ま、それから見ると、現在はさみしい限りです。

 

でも、このグランプリ、久々の賑わいになるはずで、
大いに楽しみですね。
ささやかな夢を見るとしましょう。

| 水嶋かずあき | 平塚のこと | 10:20 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
第2回平塚まちゼミ

「まちゼミ」と言う企画が実施されました。
今回は第2回、正式には平塚まちゼミ、と言います。
これは、商店の方々が、従来のお店とお客、と言う関係を少し超えて、
商店が持っているノウハウや、先端の情報など、
気軽な距離感の中で、お客様に伝え、新たな関わり方を模索しよう、と言う企画です。
今回は、10月16日から11月24日まで、全46講座が開催されました。
基本的には、これを告知したリストから、
興味ある講座を選択し、個店に申し込むという形になります。
各講座、せいぜい5〜6人が定員で、
人気がある講座は、期間中2回、3回と開催されます。
先生は、ほぼその店のご主人。

これまでに培った様々な奥義のようなものを惜しむことなく伝えようということです。

 

湘南ケーブルネットワークのSCNクラブでは、

クラブの月次番組として取り上げ、その製作を私が担当しました。
取材した限り、

したがって、いくつかの講座の取材をしたのですが、その数8講座。
そもそも、番組枠は30分と言う限定があります。
数多く紹介したいのですが、多すぎると、
カタログをペラペラめくるような感じになってしまうので、
いくつかの分野のバランスを取りながら、絞り込み、
それでも8講座となってしまいました。


番組としては、始めにこの企画を持ち込んだ飯尾紀彦さんにインタビュー、
閉めに商店街連合会会長の常盤卓嗣さんのコメントなど戴きましたので、
単純に1講座の紹介が、3分前後となってしまいました。
ま、こう言う構成もありかなと思います。
この番組は、ケーブルチャンネルの2チャンネルで
「市民TV」という枠で、一日2回、1日から月末まで放映されます。
機会がありましたら是非ともご覧ください。

 

で、この取材で、いくつか思うことがありました。
そもそもが、平塚商業の低迷が叫ばれて久しくなります。
私がパールロードの商店街の理事長を仰せつかっていたころには、
すでに、平塚商業の凋落が言われていました。
もともとが、平塚は太平洋戦争で、中心街区が焼夷弾攻撃にさらされ、
焼き尽くされたのです。
昔の新宿を中心に、見渡す限り焼け野原だったそうです。
しかし、戦後になって、戦争の被災都市として、平塚は、他都市に比較して優先的に、

さまざまな復興政策を受けることになりました。
競輪場の認可はその一つです。
それ以外にも、焼けてしまったんですから、ここから大胆な区画整理が行われ、
現在の基礎となる道路整備が行われました。
併せて、東海道筋を中心に商店が復興し、
復興の景気に支えられ、中心街では、活気のある商業が展開され、
平塚商業が大いに栄えたのです。
時に、西は熱海、東は三浦半島から買い物客がやってきた、と言われています。


しかし、他都市の整備も徐々に進んで、
何より消費活動を支える商業はそれぞれのまちで充実し始め、
徐々に、平塚まで行かなくとも、消費材を購入できる、
という体制が、他都市に整っていったのです。
ここらから平塚商業は陰りを見せ始めました。
さまざまな活性化案が出され、商店街の活動も自主的に展開されてきたのですが、
ただの一度も、この低落傾向を止めることができなかったのです。


やがて、大型ショッピングセンターの時代に入ります。
これらの状況により、さらに、商店街の足元がぐらついてきたのです。

ま、そうは簡単に状況の転換はできないかもしれませんが、
このまま放置すればまさにシャッター街に変貌してしまうかもしれません。
今がギリギリのところなんです。


ですから、このまちゼミは、ある意味、9回2死での最後のチャンスかもしれません。
現在は40店舗ほどの参加ですが、それぞれ、お客様への新たなアプローチを模索しました。

取材しながらセミナーの様子もしっかりと見てきましたが、
思いのほか、皆さんリラックスして、ゼミを受けていたのです。
この取材を通じて、ゼミで講師をした店主たちの感想を求めれば、
間違いなく、新しい関係がお客さんとの中に生まれた、と言うのです。
そして、商店街としての新たな商店同士のコミュニケーションも芽生えてきた、と。


私が感じたのは、この企画で最も効果があったことは、
各店で、何を講座内容にするのか、と考えたことにあると思います。
それまでは、何とかお客さんを繋ぎとめたい、どうしたらいいのか、と考えつつも、

どちらかと言えば、まだまだ消極的だったと思うんです。
それが、今回は、何かをお客様に伝えなければいけないわけです。
で、考える。
このことが、あ客様のニーズを探り当てようとする行為につながってきた、と思うんですね。
商業の基本は、お客様のニーズにどこまで忠実に応えるか、なんです。
ある意味商業の原点である、そこに戻ってきたという事は、
もしかするとこの企画が、

商業の新たな方向性を探り出すターニングポイントになるのではないかと感じました。


来月の市民TVをご覧ください。

| 水嶋かずあき | 平塚のこと | 10:10 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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