水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
七夕飾り製作レポート

どうでもいい、と言えばどうでもいい話なんです。
もっとも、このブログ自体がどうでもいい話なんですが。
で、今日のブログは、特別どうでもいい話です。

例の七夕製作にかかわる話です。


感覚的には、正に佳境に入った、と言うところです。
すでにお伝えしましたが、
今年は、2作製作しています。
一つは、飲食店有志の会で、豪華絢爛の飾りを掲出しようと、
仲間の協賛をいただきながら、製作費を捻出しているもので、
目標としては、昼夜ともに準特選です。
テーマは、春秋の令花

で、もう一つは、ここ数年継続的に行っているのですが、
紅谷町自治会の、シニア会と子ども会の協力による竹飾り。
テーマは、歌い継ぎたい日本の童謡。
これは、いわゆる、市民飾りとしてのエントリーなんですが、
昨年は、全市の部、昼と夜景ともども入選したのです。
そこで、今年も、と虎視眈々と入賞狙いで製作しています。

やはりコンクールに出す以上、それ相応の評価を知りたいですから、
目標としては、せめて入賞と言う事なんです。

 

で、この二作を製作しているんですが、ここにきて、
準特狙いの豪華な飾りの方が、目途が付きました。
今日は、最後に残った作業で、
御所車の車輪をモーターで回す、と言う作業です。
平面を回す経験は今までもやってきたので、要領は分かっています。
ですから、御所車の中の花の籠は、難無く回ったんです。
ところが、車輪となると、車軸を回転させるわけで、
モーターからベルトで、伝動しなくてはいけないわけです。
これが初めての経験なので、どうやって良いのか、正に試行錯誤。


モーターとその先端のプーリー、そしてベルトまでは用意できたのですが、
モーターの回転を、どうやって車軸に伝えるのか、
まずはベルトの張など考慮して、木工で、車軸の軸受けを作りました。
で、とりあえず電気を通したのですが、ウンもなければスンでもない。
要は車輪が重すぎて、木の丸棒の表面をゴムのベルトが滑ってしまうんですね。
で、彫刻刀で、木の丸棒の表面にギヤを彫りこんだんです。
ある程度の、ベルトの噛みが必要だろう、と言いうことです。
でもダメなんですね。
彫刻刀の溝程度では、滑ってしまう。


さて、どうするか。
いろいろ考えたのですが、これと言った対応策を思いつかない。
ゴムのベルトは、5ミリピッチで、ぎざぎざの溝がついているので、
これとうまく連動すれば、何とか回るはずなんです。
さて、さて、と、下手な考え休むに似たり、のごとく、無為に時間が過ぎます。
で、最悪、回らない車輪でもいいか、と。
いや正に最悪の場合です。


で、ふと目に入ったのが、のれんと言うかすだれ。
竹のひごを糸で編み込んだ、いわゆる御簾ともいうべきものです。
これは、他の部分の装飾に使ったのですが、
端がいくらか余っていたのです。
そのすだれの切り端を見ていて、これが使えないか、と。
物差しを当ててみると、ひごのピッチが5ミリ。
これはいけるかもしれないと、編み糸の部分をボンドでほつれないように止めて、
ボイドがある程度固まったところで、この小さなすだれを車軸にまいてみました。
両端は針金で頑丈に巻きつけて止め、まあよほどのことが無い限り、
外れると言う事はないだろうと思うんですね。
まあでも、祈る思いです。


で、すべての工作を終えて、いよいよ通電。
モーターがゆっくり回ると、なんと車輪も回り始めました。
成功です。
でも、やはり、なんかの拍子に止まってしまうかもしれません。
だって、竹のひごがギヤなんですから。
まずは、せめて三日間だけでも動いてもらいたいと願っています。

 

この文章、多分よく理解できないと思います。
何がどういう形なのか、それをどうしようとしたのか。
さらには、竹ひごのすだれってなんなのか、とか。
まあ、分からなくて当然です。

 

でも分からなくても動くということは分かるはず。
是非とも、5・6・7の三日間のいつか、紅谷パールロードに来てみて、
ご覧ください。
運が良ければ、車輪が回るところをご覧いただけるはずです。
場所は、パールロードの中央に交差点がありますが、
そこに掲出予定です。
まだ先の話ですが、よろしくお願いします。

| 水嶋かずあき | 平塚のこと | 21:45 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
七夕竹飾り製作レポート

今年の七夕は、久しぶりに大作を一つ、そして4年目となる自治会の作品を一つと、
計2本を製作中です。
ちょっとした都合もあって、予定を前倒しにして、早めに取りかかったのですが、
少しづつスケジュールがずれ込み、いつの間にか、予定通りに戻ってしまいました。

 

大作と言うのは、代官町の肉バル・マルコのオーナー中川さんが提唱し、
みんなで力を合わせて、豪華な飾りを掲出しようという運動を始めたのです。
前々から、私も飲食店のパワーを結集して、一つ飾りを出せないものか、
と考えていたので、この話には二つ返事で呼応したのです。
中川さんの構想では、市内飲食店250店舗から協賛金を集め、
その資金で、特選を狙う、というものです。
まあ、目標は高い方がいいのですが、現実とのすり合わせも大事。
で、先ずは250店舗を口説くのも大変なので、一挙に50店舗まで目標を下げ、
その代わり、特選ではなく準特選にしよう、と、
まずは実現をすることを優先したのです。

 

で、製作は私が全面的に担当することにしました。
企画からデザイン、設計から始まり、資材調達、下ごしらえ、組み立て、と、
実に数十段階の作業を丁寧に展開したのです。
本当に久しぶりに七夕づくりに没頭しました。

 

そもそもが高校2年の時に、父から、舟平の七夕飾りを作ってみてくれ、
と依頼され、手探り状態で作ってみたのです。
まあそれはちんけな飾りでした。
何しろ、子どものころから七夕は見慣れた祭りでしたが、
しょせん見る側の視点でしか見ていなくて、
いざ、作る側になってみると、全く見当はずれなデザインと製作方法だったのです。
単純に言えば、小さな飾りだったんです。

 

そこで反省をして、次は大きな飾りを作ろう、とやたらサイズの大きなものに挑戦したのですが、
正に木偶の棒のような、ただ大きいだけ。
そうかテーマがないことがデザインのねりこみにつながらなかったんだ、と、再び反省。
とは言え経験不足は数回の製作では、補えるわけもなく、
5,6回目辺りから、やっと手ごたえを感じ始めたのです。
確か、6回目で、はじめて準入選をもらえました。

賞は、特選、準特選、入選、準入選の4段階、

つまり最下位です。
準入選とは言え、受賞したのですから、意欲は盛り上がり、
来年は、と、早めに構想を練るようになったのです。
と言うことは、七夕祭りの最中に、他の店の飾りを見に行き、
参考にするんですね。

いらい、飾りを吊ったら、すぐに頭の中笑い年どうしようか、と切り返るんですね。
ま、そうこうしているうちに入選なら定席のようになってきたのです。
で、さらに踏ん張ってみると、今度は準特選がとれるようになり、
まぐれだったと思いますが、過去、2度ほど特選を取ったことがあります。
ですから、なんだかんだ、40年とチョット、七夕作りの経験を持っていたのです。
そして、紅谷町のお店の閉店とともに、七夕づくりの歴史は閉ざされたのです。

 

しかし、根は嫌いではないので、

4年前、紅谷町子ども会による七夕飾りの掲出を手掛けることになりました。
でも、かつての癖が出て、どう見ても子供が作った飾りではないんですね。
そこで、3年目に、どうせならパールロードに飾ってみたいと思い、
七夕を創る会やら、市の商業観光、パールロード商店街、紅谷町自治会のシニア会、子ども会など、
多大なる協力を得て、子どもも飾りではなく、市民飾りとして掲出したのです。
もう、こうなると、昔の癖がそのまま出てしまい、サイズと言い、デザインと言い、
往年の作風が反映された飾りになったのです。
そしたら、全市のコンクールで、昼の部、夜景の部とも入選。
じじいになって、七夕男が帰ってまいりました。

 

さてそこで、今年は準特選狙いの大作です。
昔取った杵柄なんではありますが、やはり、毎年違うデザインですから、
作り方がその都度変わるんですね。
今年のテーマは、春秋の令花。
左右に、春の令花、秋の令花、まん中に花車、と言うデザインです。
花車は、御所車を変形させたもので、要は御所車そのものなんですが、
中に花かごがゆっくり回っているんです。
そして、車輪もゆっくり回るんですね。
このモーターの取り付けを、今日一日かけてやってきました。
平面で回すのは今までもやってきたのですが、車輪のようにタテに回すのは初めて。
ベルトを駆動して、車軸を回転させるのですが、
いやその構造のややこしいこと。
でもまあ何とかやり遂げました。

 

一段落したので、

早速、紅谷町子ども会の作品に切り替えです。

ほぼ毎日七夕飾り製作漬け。

いいもんですね。

 

| 水嶋かずあき | 平塚のこと | 20:46 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
さかなまつり

今日は、朝早くから、ベジタマ最中を作り、

須賀港の漁業市場で開催されている「魚まつり」に出品しました。

 

そもそもが、ベジタマ最中と言うものが、平塚市の農水産課で企画されたもので、
水産系のキャラクタとして、タマ三郎という、決してゆるキャラとは言えない風貌の、猫の化身みたいな漁師のタマ三郎と、
農産品系のキャラクターの犬のベジタのそれぞれを、デザインして、金型に起こし、
それで、焼いたもなかの皮に、既成概念にとらわれず、中身を入れて、食べてみよう、と言うのがベジタマ最中なんです。
現在、とりあえず続いているところが、杵若さんの、栗勝りきんとん最中、もしくは湘南みかん餡最中。
サンメッセさんのチョコブラウニー最中、肉の虎屋さんのモナコロ、コロッケの入った最中、
そして我が舟平の、しらす天ご飯最中、ハムサラダ最中、海老かつ最中、などです。
まあ、これで一儲けしようという人はいないのですが、せっかく東海大の学生さんがデザインし、
平塚産のもち米で種清さんが皮を焼いて、頑張っているんだからと、なるべく、広く伝えてゆきたいと考えています。
ま、先日の緑化まつりなどにも出店しているんですが、
今日の魚まつりにも出店したんです。

まあ、魚まつりも農水産課の事業の一つですから、

そこにベジタマもなかが出てくるのは当然と言えば当然なんです。

確かこれで3年連続での出店。

 

そもそも事務局的な仕事をしていただいている農水産課が、

何かの縁の下の力持ち風にサポートしていただいているので、
私達は、そこに品物を持ちこんで、売るだけ。
まあ、なんだかんだと完売はするんですが、もともと、魚の市民市ですので、
もなかは添え物。

製造数も控えめなんですね。
まあ、町のイベントに協力しますしょう、と言った感じでしょうか。

 

その本体の魚市の様子です。
時間は、朝8時から10時まで。
場所は、須賀の港、平塚市水産物地方卸売市場。
年に一回開催されています。

その中身は、市民セリ市・元祖!漁師鍋・マグロの解体実演・マグロの重量当てクイズ
・JAあさつゆ広場の直売・他ふれあいマーケットからの出店等々で、
ベジタマ最中は、その他のマーケット分野です。

 

で、結構市場は広いんですが、朝の8時にはほぼ満杯。
一番人気のまぐろの売り場には、開会前から長蛇の列。
1人1柵、一律1000円なんですね。
ですから、この列に50人並んでいると、もうそれは5万円の売り上げと言うことです。
まあ、実際には、100人以上が並んでいます。
少なくとも、あの列の後ろに並ぼうとは思えないほどの数です。

 

そもそもが、まぐろの解体から始まります。
よく、デパートなんかの地下の食品売り場などで、イベント的にマグロ解体ショーとかやりますが、
まあ、あれが延々と何尾か分行われるのです。
ともかく眼の前で数十キロのまぐろを解体し、終わると、何人かが手分けして柵取りして、
白いトレーに載せます。
買う方は、あれこれ選択権はありません。
ラッキーな人だと、中トロのところ。
まあ、ごく普通で赤身のところ。
としても、金額としては半額以下。
日本人はまぐろ好きと言われていますが、この時の列の長さを見ていると、

なんだってそんなにまぐろを食べたがるんだ、という感じですね。
もちろん、それ以外の水産品もこれでもか、と種類を並べていて、
通りかかると威勢のいい呼び声に、思わず足を止めてしまいます。
当然ですが、相模湾の水揚げが主流で、鯵なんか、中型の方のいいのが、6〜7匹入って、500円。
金目鯛など、1.5から2キロぐらいの型のいいのでも、いいとこ2000円。
まあそれこそありとあらゆる魚種が並べられています。

一言で言えば、解放魚市場、ですね。
余りの売れ行きに、どこかのコマでは、あわてて品物を探しに行ったん簿でしょうね。
1輪車か何かに、練り物の詰め合わせを山と載せて、一袋300円だ、と叫んでいました。
生鮮の魚以外にも干物とか、加工品もいろいろとあって、それは魚好きにはたまらないイベントです。
私も、最中の販売の合間に、あちらこちら見物がてら、買い物をしました。
正直に言えば、最中の売り上げ分ぐらいは買ってしまったと思います。
一つはシラス。
確かにどこでも売っているんですが、出ていた品は、ちょっと型が大きいものだったんです。
私は、しらすは、型が大きいほどうまい、と思っています。
小さいのは、やはり味が薄いですね。
型がよかったんで、これで明日は、しらすかき揚げでも作るか、と。
ともかくその売り方が、丼一杯500円、ということで、目方ではなく見た目の量目なんです。
いかにもどんぶり勘定でしょ。
ともかく、最初の1時間は、会場内を思うに任せて歩けないくらいの混雑ぶり。
中には、クーラーボックスを肩から下げて、あれこれ買いものをしている人もいます。
これも結構な数で、あのクーラーボックスに詰め込んだ魚を

どのように食べるんだろう、と気になるくらいです。

 

まあ、平塚は、海辺のまちです。
海の恵みを豊富に与えられているまちです。
日本は四面を海に囲まれていますが、だからと言って、
海の幸を直接的に得られるというのは、それはそれでラッキーな事でしょ。
改めて、平塚の素晴らしさの発見をしました。

| 水嶋かずあき | 平塚のこと | 12:57 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
早くも七夕飾り製作中です

今、大分早いのですが、七夕の竹飾りの製作を進めています。

 

ちょっとしたいきさつがあるので、先ずはその説明です。
代官町に肉バル・マルコと言うお店があって、
ここの若きオーナーシェフ、中川さんが、こんなことを思いついたわけです。
それは、
「みんなの力を合わせて七夕飾りの特選を取ろう」と言う事なんですね。
どうも最近の七夕飾りは、数はともかく、かつての豪華さが失われてきている。
そこで、みんなでお金を出し合って、そのお金で七夕飾りを発注し、
特選を勝ち取ろうじゃないか、と言う事なんですね。
当初の目標は、250軒の飲食店から、各1万円づつ集める、ということで、
南口のお店を中心に、有志を募ろうと、この活動を展開はじめたのです。
で、その中の何軒かから、「この話は、水嶋さんにしたのか」、と。
中川さんは私のことは知らなかったので、複数の店でそういうことを言われて、
それなら、と、南口の串平にやってきたのです。


私は、店には出ていませんので、会って話をすることができず、

彼は趣旨を書いた一枚のビラを置いてゆきました。
で、後日それを見て、なかなか感心な若者だな、と思ったんですね。
皆、口ではいろいろ言います。
昔はよかった、と。
挙句の果てに、七夕なんて、中心街のお祭りだから、
その周辺の店にとっては、商品の納入は不便だし、お客も偏って、
あんなのやらない方がいい、とまで言う人がいるんですね。
そんな中にあって、先ずは行動をしている、ということに感心したのです。
こう言う思いを持った若者を支援しなきゃ、と。


これまた、飲食店の中では、社会的な活動をもっとしなきゃ、と言いつつ、
若い者がもっと主体にならなきゃだめだ、と、若い者によく説教めいたことを言う人も多いんですね。
でも、おまえらが頑張らなきゃ、ということは言っても、どう頑張るのか、
また頑張ろうとして時に、先輩としてどのようなサポートができるのか、
そういうことがあいまって、初めて、若い者が頑張らなきゃ、と言えるわけでしょ。

 

で、私は彼の店まで行って、その思いを直接聞くことにしたのです。
ま、結論を言えば、その気だったんですね。
すでに、近くのお店を50軒ほど回って賛同書を集めていました。
ところが、彼はかつて七夕飾りを作ったこともなければ、どういうシステムで、
祭りが開催されているのかもよく知らなかったのです。
一方、こう言っちゃあなんですが、私は高校生の時から、舟平の飾りを作ってきました。
およそ、40年余りの長きにわたります。
この間、特選も取りましたし、準特選はほぼ常連。
まあ、どこをどう突っつけばいいのか、そのコツは熟知しているつもりです。
ただ、紅谷町の店を閉店してから、15年ほど飾りを作っていないので、
体力的な不安があったのですが、製作開始を早めにし、じっくり、ゆっくりやれば
何とかできるだろう、と考え、
その製作をすることにしたのです。


とは言え、中川さんに計画はいささか無理がありました。
例えば、あの大きな飾りをどのようにして引き上げるのか、その時に何人が手伝うのか、
これまた問題なわけでしょ。
お金は出してくれたものの、その時はお店が忙しくて、手伝うことができません、では、
実際、飾りの上げ下げ一つとっても、まともに出来ないわけです。
第一、250軒の飲食店が賛同してもらえると思えなかったんですね。
そこで、目標を一段下げてもらいました。
特選と言う事でしたが、準特選でどうだろうか、と。
特選は2席です。
この中に入り込むのは、ちょっと厳しいんですね。
でも準特選は、ベスト5ですから、ここなら今までの定席ですから、

おおよそどんなデザインで、どのように仕上げればいいのかは、見当がつくんですね。
ベスト2とベスト5は、やたら格差があるんですね。
これは、40年の経験からそう感じているんです。


そこで、まずは目標を一段下げて、準特選ということにしよう、と。
とは言え、100、200と掲出される中のベスト5ですから。
そんな簡単な話じゃないんですが。
何より、250軒の賛同は、50軒の賛同で行けそうと踏んだんです。

そこで、それに応じた予算を組み、それでできるデザインをし、設計図を書き、
素材をチェックし、準備に入ることにしました。

 

まず、この準特選竹飾り掲出のための実行委員会を組織。
言い出しっぺの中川さんが実行委員長。
私が副に入り、飲食店仲間に声をかけ、先ずは実行委員会を結成したのです。

そして、先月25日に、七夕製作会場として、市民プラザ駐車場6階が準備に入りましたので、
イの一番に顔を出して、担当の方々にごあいさつ。
何より場所取りをさっさとして、材木を運び込み、翌日から製作に入りました。

幸いなことに、我が娘の婿殿の父上が、この類のことが大好きで、
手伝ってくれることになり、
毎日、数時間ですが、作業を進めています。

 

中川さんの最初の趣旨に、このように同業のものが、力を合わせて、
平塚の誇るべきイベントに、てこ入れをする、ということが、
他の業界においても行われるようになれば、
あの豪華な飾りが立ち並んだ、かつての七夕祭りを取り戻せるんじゃないか、
と言う事なんですね。
確かに、その通り。
かつてはスターモール中心に竹飾りを掲出していましたが、

そのすべてが、商店の自前で掲出していたものです。
しかし、なかなか商売的にも、陰りが出てくれば、飾りも貧弱になって来る。
ですから、何らかの新しい力が必要なんですね。

 

ささやかながら、地域の企業・商店に対して、私達飲食店がこのような行動を起こしたことが、
ひとつのきっかけになり、先鞭となれば、それはそれで大変うれしいことだ、と思うんです。

 

ま、ともかく、現在進行中です。
大いにご期待ください。
そう、掲出場所は、紅谷パールロードの、どこかです。

| 水嶋かずあき | 平塚のこと | 17:14 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
今日はひらつな祭、ぜひお越しください

もう何日も事前告知してきましたが、いよいよ今日はひらつな祭です。
三日四日前から、天気が気になって、どうなるのか、と。
もう、一日何回も天気専門のサイトを見ては気をもんでいました。
そして、微妙な変化で、雨が曇りになり、曇りが晴れに変わって、
降水確率も、一週間前では、60%だったのが、徐々に低くなってきたのです。

いやしげしげと天気予報を見ていて、初めて知ったのですが、
当日と翌日の時間帯別の天気の変化については、
降水確率ではなく、降水量になるんですね。
ま、確率と言うより、何ミリ降るか、と言う事なんです。
確かに、当日の確率なんてあいまいな事より、
何時から何時までの降水量、と言う方が具体的ですもんね。


まあ、それによると、明日は夕方までは降水量0ミリです。
何よりと言うところです。
これって、誰にお礼を言えばいいのか、と言った感じですね。

 

さて、ひらつな祭は、防災イベントです。
このまちで、災害が起きた時、どこのまちと比べても、
最も死者が少なく、最も負傷者が少ない、と言うまちにしたい、という目標を持っています。
そういうことを具体的掲げたイベントなんです。
まあ、命を守る、と言うことです。

 

地震などの災害が発生したら、という想定はうんざりするほど繰り返し、行われてきました。
しかし、こういう災害は、実に地域の個性的な状況に応ずるもので、
震度もそうですし、液状化現象とか、襲来する津波の高さとか、被害の状況は、
実に様々なんです。
ですから、その対策は、必ずしも一定のものが求められているわけではありません。
ですから、地域での対応が個性的にならざるを得ないのと同様、
個々の家での対応も、当然異なったものになるべきなんですね。

 

大きな地震とかを想定する時、

社会としての対応と、個人としての対応に大きく分かれます。
時にこの二つの要素をごっちゃにして考えがちです。
先ず最大の混同は、個人に起きた被害は、

もちろん自力でどうにもならないことが多いのですが、
時に、行政体とか、病院とか、消防とか、公的なものは、

普通に機能していると勘違いするんですね。
つまり、私はやられてしまったけど、公的機関はいつも通り機能しているだろう、とか、

消防や病院も、頼めばなんとかしてくれるだろう、と考えがちなんです。

 

第一に、防災の心構えで修正すべきは、公的機関と言えど、基本的に頼れない、ということです。
現に、阪神淡路の時、ほぼ半数の病院、診療所が、

機能が低下したり、治療の対応ができなくなったそうです。
患者の数が増えているのに、それに対応する治療機能が半減しているんです。
こういうことが起きるのが地震なんですね。

 

つまり、いつもだったら電話一本で、駆けつけてくれる救急車も

基本的には、なかなかやってこないんですね。
災害が発生すると、社会的機能をどう復旧するか、ということは、個々の生活にかかわって来るものの、
実際には次元の異なる環境になってしまうんです。

 

ですから、個の地震対応と、社会の地震対応の二極があって、
ここを混同することは、おうおうにして間違えた対応を求めてしまいます。
つまり、ざっくばらんに言えば、他力本願になりがちになるということです。

 

個々の対応での基本は、死なない事なんです。
そのためにどうするか、でしょ。
防災として個々で行うことはまずそこなんですね。
ま、できれば怪我もなくです。
ここをクリアーすることは、個別の問題でしょ。
水を何とかしてくれとか、仮設住宅をどうするのか、とか、
要は個々の問題とは異なりますが、
ここをごっちゃにしないということです。
要は、先ずは防災としては命をどう守るかなんですから、
そこに焦点を絞って進めることが賢いと思います。

 

何より、家の耐震化と、家具の固定。
もししっかりと進めることが出来たら、これは確実に防災としては一歩前進なんです。
なぜなら、いくら水を用意し、着替えを準備していても、
死んだらそれまでなんですから。

水も必要ないし、着替えだって意味ないでしょ。

 

時間があったら、ぜひ、ひらつな祭に来てください。
そして、命を守る方法のヒントを得てください。

| 水嶋かずあき | 平塚のこと | 09:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
みんな幸せだって

外国人労働者の受け入れを拡大する出入国管理法改正案が昨年12月に可決され、
この4月から施行されます。
まあ、この法案審議の時も、法改正に都合がいいようなデータが出され、

どうも実態と違うようだ、と野党が嚙みつくも、
原則、日本の経済環境では、少子高齢化の厳然たる実態の前には、
さしあたっての対応としては否定のしようがなかったわけです。

で、可決。

 

国会で入管法の審議の最中に、テレビ局などが、

外国人労働者の実態みたいなレポートを様々な角度で放映していました。
私はこの一連のテーマを、テレビで見ていて、
いくつかの事実を知ることができました。
それは、技能実習とは名ばかりの、低賃金労働力の確保、ということです。
したがって、実態は「帰れない」「厳しい」「給与が安い」などのローマ字の頭文字を取って新3K労働とか。
まあ、こんなことが起きているなんて、まさに日本の恥でしょ。


すべてとは思いませんが、たとえ一部であれ、
必ずしも、バラ色の世界で仕事をしていたわけではなかったのです。

 

普通に想像できることですが、
これから異国である日本に働きに行ってみよう、と。
その決意の背景には、多分その国で抱えているいくつかの問題があって、
日本に行けば何とかなるかもしれない、という思いがあったはずです。
観光客ではないんですから、物見遊山で日本で働こうとは思ってるわけもない。
なかには、日本に行くのに、ブローカーのような人たちがいて、その人たちにいくらか金を渡して、
渡航の手続きをしてもらうのだとか。
なぜか、ここに結構な金がかかるんだそうです。
そんな背景もあって、日本にやってくるときは、

それなりの意気込みと、胸いっぱいに膨らませた希望を持って、夢を描いて、

国を後にしてきたはずなんです。

 

で、彼らは、日本にやってきて、その夢はどうなったのか、ですよね。

そこのところが気になって、SCNの番組として取り上げることになったのです。

実際は、この3月1日から、湘南ケーブルネットワークのケーブルテレビの2チャンネルで
毎日、朝9時半、夕方5時半に放映されていますので、できればそれをご覧ください。
私が構成し、撮影してきたものです。

 

さて、この取材をしてきた中で、新たに知ることができたことが多々ありました。
基本中の基本なんですが、
外国籍の人が、日本にやってきて、この平塚で暮らそうとした時、
このまちの住民になるわけですから、住民登録が必要になります。
で、先ずは、市役所に出かけて行って、住民登録の手続きをするわけです。
でも、母国語しか話せない場合も結構あるので、
この場合、言語が通じ合わないと、何が何だか分からないでしょ。
そこで、市民交流課というセクションがあって、ここに、通訳する人がスタンバイしているんですね。

いま、平塚市には、4800人ほどの外国人が生活していて、
最も多いのが、中国国籍の人、888人。
フィリピン、ブラジルと続き、およそ70カ国を超える国の人が住民登録をしているのだそうです。
言語数で10ちょっと。

ま、街中で、中国語やタガログ語など、耳にすることがありますので、
そこそこの人数になっているんだろうと、感じていましたが、
ざっと全人口の2%でしょ。
50人に1人ですから、これは時代は変わってきているぞ、という感じですね。
で、これは増々今後増えてゆくわけです。

 

気になったのは、なんだかんだと言いながら、日本語が話せないと、生活も不便ですし、
情報も得られない。
広報のスピーカーで、徘徊老人の情報提供を求められても、
何が何だかわからないわけでしょ。

 

まずは日本語の習得です。

そこで、市内の公共施設で、日本語教室がボランティアによって展開されています。
また市が取材に行ったのは、市役所の松原分庁舎。
曜日や時間帯は様々ですが、私が行ったときは夕方7時ころ。
そこには、5〜6名の先生役のボランティアと、各2〜3名の外国人の人が、
簡単な日本語が書かれた資料や、時に絵などを挟んで話をしていました。
日本人は、相手方の国の言葉を使ってはいけないんだそうです。
あくまでも日本語で話をする、と言う事なんですね。

 

で、その延長で、では子供たちは学校でどのようにしているのか、と言う取材をしました。
平塚では、一校に5名以上の外国籍の子供が通学している場合は、
国際学級を設置するんだそうです。
20名を超えると先生二人と言うことで、
子どもたちが日本語を習得し、日本の授業が理解できるようにサポートするのです。

 

最も外国籍の子が多いと言われている横内小学校に行ってきました。
40名を超える登録があるそうで、専任の先生も3名が担当。
専門教室もあって、なかなか充実した対応をしていました。
ピックアップした子等にインタビューをしたのですが、
まあ、どこの子も皆可愛い。
そして元気。
インタビューの最後に、あなたはこのまちで暮らしていて、幸せですか、と聞きました。
全員が、はつらつと、毎日たのしくて、幸せです、と答えてくれました。

やらせは一切ありません。念のため。
是非ともその様子をテレビでご覧下さい。
3月31日まで放映しています。

 

| 水嶋かずあき | 平塚のこと | 10:58 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
歩道橋は必要なのか

市内立野町に住む男性の知人がいました。
場所はロイヤルホストの裏あたり。
年齢は80歳を超えたところ。
で、この方が、さる会合でしきりに訴えていたのです。
その内容は、国道と中央地下道通りの交差点、
崇善小学校の西南に位置する歩道橋についての問題でした。
歩道橋があるため、交差点西側に横断歩道がない。
ま、一言で言うと、彼の家から街なかに出かけようとすると、
横断歩道がないので、遠回りをしなくてはいけない。
もともと、足が悪く出かけるときは、車いす。
で、歩道橋の階段を使えない。
そこで、北に向かって横浜ゴム前の横断歩道を渡って、今度は崇善小学校の西側の道を通って、
やっと国道の横断歩道にたどり着くんです。
このルートで、もし横断歩道があれば、すぐに渡れる道も遠回りせざるを得ない。
そのロス、なんと600叩
車イスではちょっとしんどい距離でしょ。
では、自宅から今度は西に向かって横断のできるところまで進み、
そこで国道を渡り、東に取って返して、先ほどの交差点までは、と言うと、
これまた700辰離蹈后

なんとかならないか、と言う訴えも、ムべなるかな、と言う所でしょ。

 

国道一号線は、その昔は今のスターモールのところが、いわゆる一国と言われ、
商店街のど真ん中である、ということや、七夕、その頃はやりだした歩行者天国などの開催に当たっては、
国道一号線と言う位置付が、問題になっていたんですね。
時代とともに、交通量は増えていきましたので。
そこで、今の位置に国道を付け替えます。
ですから、私達は、なぜか二国と言ってました。
時にバイパスとか。
改めて、まあ、相当な勇気ある決断で、国道を付け替えたのですが、
結果、この交差点の問題や、
特に八幡神社前の横断については、しばしば問題が指摘されてきました。


で、この八幡さんの参道が、国道でぶった切られてしまったので、
何とかならないか、という議論が地元からも出されてのですが、
行政はこれを真剣に受け止めてきませんでした。
なぜなら、いまだにそのまんまだからです。
で、対応として、本来の参道部分に、大きな看板で「横断禁止」と言う書かれた表示を、
どんとど真ん中においています。
仕方ないですから、やや東の歩道橋を昇降するか、
やや離れた西側の横断歩道を、二段階で渡る、ということしか八幡さんで参詣する事ができません。

私は、歩道橋に下に歩道をやや広めにとれば、この問題は大きく前進すると思うんですね。
どうしてこんな簡単なことが実現しないのか、不思議でなりません。
聞くところによりますと、歩道橋の撤去には2〜3千万円の費用が必要だとか。
ま、軽い金額じゃやありませんが、市民の利便性を考えたら、これは意味のある経費になりますよね。
何より、市役所前の歩道橋は、市役所の新築工事とともに撤去されましたから、
自分のおひざ元ができるんだから、他も可能性ありでしょ。

 

そもそも八幡さんの参道は、平塚でも由緒ある昔からの基幹道路だったんですね。

八幡神社から、江戸のころの五十三次の街道、東海道までが、大門通り。

そこから、南は、現在のJRの線路がありませんから、海までまっすぐ伸びていて、

これが浜大門と言われていました。

今の扇の松の通りです。

で、話は横道にそれますが、この浜大門通りにある新光会の商店街が改名して、

その名を浜大門通りにしたそうです。

ま、今も昔も、暮しの精神的象徴である神社の参道はそれなりに大事にされてきたわけです。

 

さて、歩道橋ですが、

歴史的に振り返れば、基本は通学児童の保護だったと思うんですね。
学校のそばに歩道橋が多いことを考えれば、そういう根拠があったのだと思います。
しかし、これは併せて、少子高齢化と言う社会の減少の変化を迎えれば、
足の不自由なお年寄りが増えてくるのですから、
当然対応が変わってしかるべきでしょ。
交通事故は、人と車の交差する所で発生しがちです。
ですから、これが前提ではあるのですが、すべての道から、車と歩行者を分離することはできません。
むしろ、共生できる方法を今後も模索するべきでしょ。

 

大阪で昨年10月、自転車同士が衝突し、これにより車道側に転倒した50代の女性が、
走ってきたトラックにひかれて死亡する事故が起きました。
歩道の中央には歩道橋の階段があって、事故が発生した現場は見通しが悪い「死角」になっていたのだそうです。
ですから、しばしば自転車同士、自転車歩行者が接触し、
この歩道橋に関しては、以前から地元が危険性を指摘し、市に撤去を求めていたのだそうです。
でもそのまんま。
この事故で、行政は重い腰を上げ、市は撤去を決めた、とか。
人ひとりが死んで、相手の自転車を運転していた男性も、安全確認を怠ったとして重過失致死の疑いで書類送検。
まあ、亡くなった方も、この男性もとんだ災難でしょ。
早く歩道橋が撤去されていれば、起きるわけもない事故です。
その意味では、行政にも過失があった、と言えるでしょ。

 

歩道橋が安全で便利、なんて時代はとっくに終わりました。
このまちでも、歩道橋の必要性について、市民の目線での検討が必要ですね。

| 水嶋かずあき | 平塚のこと | 13:14 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
おもてなしのまち

まずは、昨日の報告

午後1時から、スターモールで東海大学の箱根駅伝初優勝を祝賀して、

パレードが行われました。

東海大学のマーチングバンドの先導で、4〜5台のオープンカーに乗って、

東海道を駆けた選手、そして監督が笑顔で手を振ってました。

沿道にはかなりの市民がやってきましたが、まあまあの数でしょうか。

広報がうまくいけば、人垣は二重三重になって盛り上がったのに、と感じました。

でも、まあ、結構楽しい瞬間でした。

 

さて、今日の本題です。

 

先月改正入管法が成立、施行されました。
正式な名称は「出入国管理及び難民認定法及び法務省設置法の一部を改正する法律」と言うことです。
まあ、大雑把にいえば、従来より、日本で労働目的として入国、在留する条件が拡大され、

緩くなったということですね。
当然ですが、日本で働きたいという人の受け入れ枠が広がったので、

今後、外国人労働者の数が増えてゆくと思われます。
ま、すでにそういう枠はあったわけですが、実態として、適切な運用がされてこなかった、
いわゆるブラックな面も多く、これでいいのか、と言ったことの指摘が多くあったものの、
経済界のせっぱつまった人手不足に対するニーズを受け、
与党がごり押しと言った感じでこの法律の成立を促したわけです。
冷静に考えてみれば、きれいごとを言っていますが、
日本人がいやがる職種、いわゆる3K労働の補てんが実態でしょ。
3K労働とは、「きつい」「 汚い」「危険」な労働を、頭文字をとったものです。
一般的には建設・土木、ゴミ処理などの肉体労働や、介護士など勤務・労働条件の厳しい職業を指しています。

 

そう言えば、先月まで、このマンションは大規模修繕工事をしていたのですが、
足場の組み立て、解体、タイルの貼り替えや、ペンキ塗りなど、大半が日本人労働者ではありませんでした。
国籍まで確認しませんでしたが、見た目東南アジア系の人たちでした。
日本人、特に若者はこの類の仕事にはつきたくないんでしょうね。
そこで、相対的な人手不足になるわけです。

 

ですから改正入管法は、ここを補おう、と言う魂胆でしょ。
最近、外国からの、いわば、出稼ぎ労働者の実態がいくらか明らかになり、
今までの3K労働から、視点が変化し新3K労働と言われるものになったそうです。
「帰れない」「厳しい」「給与が安い」などのローマ字の頭文字を取って新3K労働だそうです。
ですから、ぶっちゃけこの法律は、みんないやがっているんで、誰かやってくれない、と言う呼びかけでしょ。
なんか、一段下に見た労働の現場のニーズを、それでも稼げるんだからいいんじゃない、と言った感じですね。
外国との生活格差を前提に、相手の足元を見たような法律と言うことです。
しかし、日本に幸せを求めてやってくるわけですから、
こういう状況の人の足元を見る前に、きちんと人間としての経緯と、彼らが望む待遇を保障すべきでしょ。
悪く言えば、奴隷のごとく扱う企業もあるようで、まさにこれは日本の恥でしょ。

 

私達が子供の頃の、特に終戦後4〜5年のうちでは、
外国人というイメージは、主としてアメリカ人のことでした。
ま、もうほとんど死語でしょうが、軍服をカッコよく来た兵隊さんがいると、
ギブミーチョコレート、などと言って物乞いをしたものです。
ですから、街角で、外国人、特に白人を見かけると、
ツイツイ目で追ってしまったものです。
まあ、珍しいものを見ると言った目つきだったと思います。
そして、日本は朝鮮戦争の軍需景気をもとに、経済的な立ち直りをし、
国家として自立してゆきます。
それとともに、外国人の人たちも少しづつ増えてきましたが、
その国別の変化が出てきたのが、東京五輪前後からですね。

 

大学生の頃、高田馬場の裏道を歩いていて、向こうから子連れの主婦がやってきたんです。
道が分からなかったので、すみません、と声をかけて道を尋ねると、
何語かで、多分、よくわからない、とか言ったんじゃないかと思うんですが、
要は日本語が通じない国の人だったんですね。
その頃は、見た目で日本人らしい人で、外国籍の人と言うのは珍しく、
そんな経験を学校に戻って一話したものです。

 

そのぐらいですから、このころから、中国、韓国、タイ、フィリピンなどの人が

少しづつ増えてきたような気がします。

 

ところで、我が平塚ですが、在住外国人は4779人、人口比で1.9%。
50人に1人は外国籍の人なわけです。
ちなみに、その国籍ですが、中国876人、フィリピン785人、ブラジル660人
ベトナム403人、韓国398人、ペルー164人、タイ108人と続いています。

 

さて、できれば、この人たちに、平塚って住みやすいまちですか、とか聞いてみたいですね。
きっと彼らの望むものと私たちが望むものは、そう大きくは変わらないはずです。
私達が見慣れてしまった景色を、彼らは新鮮な感覚でとらえているかもしれません。
その感覚こそが、まちづくりに有効なヒントになるはずなんです。

ただ単に、このまちにやってきた外国籍の人、と言うだけでなく、
このまちの良さを享受してもらいたいですし、
このまちをもっとよくするための考えを聞かせてもらいたいですね。
そしてこのまちで暮らす以上、このまちの情報が十分に伝わり、できるだけ言葉の障害を越えて、
普通に生活できる環境になったら、素晴らしいことだと思うのです。

 

東京五輪誘致の時に、お・も・て・な・し、という言葉がはやりましたが、
何も、イベントとか観光とかの限定された期間の来日する人たちだけが対象になるのではなく、
日々、共に暮らす人々に対しても、日本人の心優しさとして、
おもてなしの国として、接することが出来たら素晴らしい、と思うのです。

まずそのためにも、必要なのはこのまちのおもてなしです。

 

| 水嶋かずあき | 平塚のこと | 11:22 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
祝勝パレード

誠に申し訳ありませんが、今日もまだ箱根駅伝です。

 

その後、ネットでも様々な情報が整理されてアップされていますが、
メディアが仕立て上げたのかどうかはともかく、
箱根駅伝の魅力について多くの認識が深まり、世間の関心も高まってきています。


よく考えてみれば、陸上と言う多種多様な種目がある中、
一応その種目のトップレベルの選手名を知っているかどうかとなると、
ごく一握りのアスリートたちの名前しか出てこないでしょ。
走り幅跳びとか、砲丸投げとか、800辰箸、なんとなく陰に隠れがちな種目については、
誰がトップ選手なのか、なんて関心ないでしょ。
でも、100辰覆匹涼撒離、逆に、マラソンなどの長距離となると、注目度も高まり、
併せてメディアの扱いも多くなり、多少なりともその名前が出てくると思うんです。
特に、最近は、中長距離の選手と言えば、ほぼ箱根で、走ったかどうかが勲章の一つになっていて、
箱根駅伝でテレビ画面に映され、インタビューを受けたりすれば、その瞬間から有名人ですものね。
ささやかな記憶をたどっても、その年度の優秀な走りをした選手名ぐらいは記憶の片隅に残り、
今度は社会人になって、ニューイヤー駅伝などに出場すると、ああ、以前箱根で走っていたな、となるでしょ。
特に、マラソンで日本新記録を出して、1億円の褒賞を受けた大迫選手と設楽選手は、
箱根出身ですものね。

 

このような一種の社会的現象のように、メディアが、密着取材したりすると、
その効果は大きく、そこで得た情報を、実際の競技の中で確認する、ということになりますよね。
まさに、相乗的効果があるわけです。
そのいい証拠として、事前に最も露出の多かった青学の原監督は、
注目を浴びていた5連覇はならなかったものの、確かに復路優勝ですから、無冠と言うわけではないのでしょうが、
その後のマスコミ、ネットなどでの露出は、東海大学の両角監督より、多いですものね。
両角監督は優勝監督じゃない、と思っても、メディアの習性なのか、ここは、仕方ないんでしょうね。
誰がどんな情報を欲しがっているのか、ということが彼らの判断基準ですから。


ま、ともかく総体としては、こんなデータが出てきました。
テレビの視聴率(ビデオリサーチ調べ)です。
2日の往路は30・7%、3日の復路は32・1%。
中継をした日本テレビによると往復の平均は31・4%で、

同局で中継が始まって以来の視聴率の歴代1位をマークしたそうです。
瞬間最高視聴率は、往路が1区の先頭集団がタスキをつなぐ場面の37・5%。
復路が総合2位の青学大がゴールした場面の37・7%。

さるテレビ番組で、コメンテーターの玉川さんが、出場校名を見ていると、西日本の大学がない、とコメントし、
ゲスト出演していた瀬古さんから、基本的な知識がないと指摘されていましたが、
確かに、関東学連の主催であって、関西地区の大学は蚊帳の外。
ですから、関東と関西では、その関心度は明らかに違うはずです。
ちなみに、関西地区のテレビ視聴率の平均は2日が15・8%、3日が19・5%。
ま、およそ関東の半分です。
このあたりも、箱根駅伝全国化の要因になるかもしれませんね。
マスコミの力はなかなかのものですから。

 

さて、我が平塚、反応がが鈍い、と思っていたら、結構それなりの動きがあるようで、
市役所には、優勝を称える懸垂幕が下げられたとか。
それなりの祝勝ムードはあるようですが、
ここにきて「湘南スターモール」で、祝勝パレードをする、と言う企画が持ち上がっているそうです。
いつ、どのようにするのか、詳細はこれからだと思うのですが、
市役所の企画政策課は大学側から正式な依頼があれば前向きに検討する、と言っているようです。
あの箱根路を走破した若者たちに祝意とねぎらいを市民として掛けることができるのなら、
これはうれしい企画ですね。

平塚市産のイチゴが好きだという郡司君も身近で見ることができそうです。
かみさんが、興奮している私に、だったら、イチゴ差し入れてやればいいじゃない、と一言。


まあ、どっちにしてもその時は我が家から100メートル先でパレードをするんですから、
道端に出て行って、お祝いをしたいものです。

 

中心街のど真ん中、スターモールと公園通りの交差点には、
昨年、ベルマーレが優勝したことを称える横断幕が掲示してありますが、
ベルマーレがルバンカップで優勝し、
年が明けたら東海大学が優勝し、めでたいことが続きますね。

2019年はいい年になりそうです。

 

そう言えば、話が変わりますが、
この1月、SCN・湘南ケーブルテレビの市民クラブTVの番組で、
ベルマーレ創立50周年を記念した番組を放送しています。
出演は、ベルマーレの会長、真壁潔さんとフジタ時代に選手として、
また、ベルマーレ時代にコーチとして活躍された、現・県議会議員森正明さんをお迎えし、
50年の歴史を振り返ります。
ちなみに聞き手は私、水嶋一耀です。
時間があったら、ぜひご覧ください。
なかなか興味深い話が展開されています。
時間は、毎日8:30と17:30分の2回です。

 

| 水嶋かずあき | 平塚のこと | 10:29 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
東海大・箱根初優勝おめでとう

東海大学が箱根で見事優勝。
いやいやおめでとうございます。
昨年下馬評の割に順位を上げられず、ちょっと残念な気がしていましたが、
今年は見事に雪辱。
平塚市民としても、うれしい限りです。

 

平塚にある大学とは言え、北の方に位置しますし、
平素、平塚市民との交流も一部の人に限られ、一般的にはそうそうあるわけでなく、
平塚には東海大学がある、と言う程度の認識だったわけでしょ。
ともかく、今回の東海大のチームは、その拠点を湘南キャンパスに置いているんですから、
まあ地元のチームが優勝した、と言っていいでしょうね。

一昨日のブログの話の続きで言えば、
たなばた、湘南平、総合公園、ベルマーレ、囲碁まつり、
そして、箱根に優勝した東海大学、と指に折っていいでしょうね。
なんとなく、平塚に元気を与えていただきましたね。

 

さて、今朝は、テレビで、早速優勝メンバー監督などの生出演。
裏話を、若者らしく、あっけらかんと披露してくれました。
勝ったからでしょうが、それは明るく楽しい雰囲気で、番組が進行してゆきました。
で、各選手がアップで寄る場面になると、
下の方に、テロップで名前が表示されます。
その下の段に、好きなものが同時に表示されるんですね。
10区を走ったアンカー・郡司陽大選手のテロップの好きなものの表示部分に、
平塚市産のイチゴ、とあったんですね。
見逃した人も多かったと思いますが、これって、うれしいことじゃないですか。


いい宣伝になったという人もいるかもしれませんが、
それ以前に、平塚を拠点にトレーニングをしている選手が、
何らかのきっかけで平塚産のイチゴを口にしたわけでしょ。
東海大学から、イチゴ農家が散在する金田地区は近いですもんね。
十分に、おいしいイチゴを食べる機会に恵まれていたんでしょう。
それをおいしいと思ってくれたこと、
そしてただ苺ではなく、平塚市産と表現してくれたこと。
たくさんの好きなものがあると思うんですが、
彼の一番として挙げてくれたことなど、
ありがたい限りじゃないですか。


私達のだれが、平塚産のイチゴをおいしいと食べていますか。
ありきたりに、スーパーの店頭に並ぶ、他県産のイチゴを、何の感慨もなく食べているんでしょ。
もちろん、生産者側としても十分なシステムが出来上がっているとは思えません。
市内の有名スーパーではほとんど扱っていませんものね。
2年連続してお米の賞味特Aを獲得した平塚産のはるみだって、なかなか市内で買うのは大変でしょ。
ご存知でしたか。平塚産のはるみは、あの魚沼産のコシヒカリを抜いての特Aなんです。
大いに自慢すべきですし、それを体で感じるべきでしょ。
イチゴだってそうです。
食べて味わってほしいものです。


1月4日号の広報平塚の6面に、イチゴのイベントを楽しもう、ということで、
様々な関連にイベントが紹介されています。
まずは、花菜ガーデン近辺の湘南いちご狩りセンターまで出かけて行って、
素朴に、いちご狩りから始めたらいかがでしょうか。
1月5日から始まっています。
家族連れなんかで出かけるのは最高でしょ。
そう、あの郡司君がほめていたいちごです。

 

さて、話を東海大に戻しましょう。
今回の陰の立役者はなんといっても両角速監督です。
名前もいいでしょう「速・はやし」です。
箱根駅伝と言うと、青学の原監督がメディアにもよく顔出しをしていて、
その陰に隠れがちでしたが、なかなかの名伯楽。
そもそもが、学生時代、東海大で陸上部に所属し、箱根駅伝にも出場しています。
で、1995年に佐久長聖高校教諭となり駅伝部監督に就任します。
そしてコツコツと実績を積み上げます。
成果として、上野裕一郎、佐藤悠基、あの大迫傑らを輩出し、佐久長聖高校を長距離陸上競技の名門校に育て上げます。
佐久長聖高校はは外国人留学生のいない日本人高校生のみで構成されるチーム作りをし、
全国高校駅伝で1998年から2010年まで13回連続出場、12回入賞の成績を残しましたが、
中でも2008年の大会には村澤明伸ら擁して初優勝を果たし、以後強豪校としての地位を築きます。
このような実績を掲げ、東海大学の駅伝監督として就任。
科学的データを駆使した独自の指導方法で、ついに、箱根初優勝を成し遂げたわけです。
これは、今後のことで考えれば、単なるフロック・まぐれではなく、しっかりとしたレベルにたどり着いた、と感じます。

 

気の早い話ですが、来年が楽しみですね。

で、今回の快挙とともにもっと平塚のまちとの距離が縮まればいいな、と思っているんです。

| 水嶋かずあき | 平塚のこと | 10:11 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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