水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
ツインシティ

ウソかホントか、私の記憶が正しければ、そもそもの発端はこんなことだったと聞いています。

 

平塚の北部、相模川に近いさる農地で、農作業をしていた人が、
そばを通る新幹線が、時折、減速をするという事に気が付いたのです。
(本当にそんなことがあるのだろうか)
で、その人が、相模川の付近で、なぜ速度を緩めるのか、と調べてみたところ、
時間調整のため、速度を落としているらしい、と。
(いやいやありえないでしょ。時間調整なら、その前のホームで停車した時の時間でするはずです。)
で、このことから、どうせゆっくりするなら、ここに駅を作って、
止まれば、新たな乗降機会が増えるんじゃないか、と。


そこで、何人かの人に、新幹線新駅を作ろうと話を持ちかけたことが事の始まりだった、
という事を、聞いたことがあるんです。
くどいようですが、ウソかホントか分かりません。


で、もしこれが事実だとしましょう。
そこで、この運動がいくらか拡大して、行政も話に乗ってきた。
新幹線新駅をつくろう、と。
JR東海は、これに対応するとしたら、これが条件と、条件を明確にしてきました。
それは、既存鉄道と交差した駅が必要、という事でした。
もちろんそれ以外にも、様々な条件が出ましたが、
基本的には、当時、まだ新幹線品川駅がなかった時点ですら、
余り前向きではなかったのです。
最大の理由は、その新駅によって、乗降客が増えるかどうかです。
新横浜があり、小田原があり、この中間の人は、大体そのどちらかに振り分けられる。
で、新駅開業で、これらの人以外に新たな乗降客が増えるのか、という、
いわば売り上げ計画のようなものを試算したところ、
さしたる上昇は見込めなかったんですね。
で、駅が増えると、運行能力に影響します。
ま、簡単に言えば、それだけ複雑なダイヤを組まなくてはいけない。
新駅の管理運営も出てくると。
どうも、それほどのメリットはない、と判断したんです。


新駅建設に必要な資金、土地の収用、駅舎、付帯施設の建設などは地元で100%賄うことを前提として示し、
それ以降、このアイディアは取りざたされることは無くなったようです。
つまりあなた方が新駅建設をしたいなら、まず、駅ができるという明確な条件を示してくれたら、
改めて交渉をしましょう、という事になったんです。
そうこうするうちに、品川駅が開業し、運行能力はほぼ限界になってしまいました。
つまり、今更新駅を抱え込める余裕はない、という事です。


たった一つ、小さな光明があります。
それはリニア新幹線が完成し、現在の新幹線の輸送能力に余裕が出てきた場合です。
そのリニア新幹線ですが、予定では、開業は2027年。
ところが工事日程が遅れるのではないか、という懸念があります。
一つは、昨年末に浮上したリニア工事の談合疑惑です。
東京地検特捜部や公正取引委員会が、大手ゼネコン各社に家宅捜索の手を入れましたが、
これらのことが発生すると、計画の展開がより慎重になり、
前進力を失いがちになります。
さらに、最大難所の南アルプスをぶち抜くトンネル工事です。
トンネルから真上の地表まで、1400辰噺世深い所になるので、
実際何が起きるのか、その地層の構造はどうなのか、まるで見当が付いていなくて、
専門家ですら、スケジュールを読み切れないそうです。
ま、一年や二年は遅れることは覚悟するようです。

なんだかんだと開業は2030年は過ぎていそうです。


で、まあ、なんとかリニアも開業したとしましょう。
さて、既存の新幹線ですが、ここで当然、経営的なチェックが始まります。
どのくらい余裕ができるのか、です。
そこで、結論が出るまで、数年かかったとしましょう。
あなた方のお金で新駅を作ってくれるなら、そういうダイヤを組みましょう、というお達しが来るのは、
どう早く見積もっても2030年代半ばになってです。

おたおたすると20年後です。
まあ、都市計画と言うのは、10年や20年の先を読むべきではありますが、
いかに何でも、実感しがたい先の話でしょ。


この話の大事なところは、いかにJR東海がこちらの事情を勘案したところで、
結局、やめた、となると、すべての計画は白紙になるという事です。

 

大神と倉見の間に橋を架ける、と関係者は言ってます。
で、倉見側に橋をわたって、新幹線新駅を利用すると言うことになる。
ところが、聞くところによりますと、倉見側ではこの話がもう取りざたされていないとか。

という事は、駅はできるかどうかあいまい。

基本的に資金のねん出が難しいのでしょうね。
つまりツインシティの片方は、この提案にしらけきっているんです。
ま、平塚の一人相撲、という事になりました。
今更名称も変えられないでしょうが、いわば、シングルシティになってしまったのです。

 

しかし、熱心に行政主導によって、ツインシティは着々と計画を進めてきました。
間違いなく、地元出身の市長の手腕でしょうね。
彼以外の人が市長になっていたら、今日の状況には至っていないと思います。

 

さてその、ツインシティですが、

市民としては、なんだか大神の方でいろいろやってるらしいという事と、
どうやらイオンモールができるらしい、という事以外に関心と知識はないようです。
そのイオンモール、当初は2018年開業とか言ってましたが、
計画修正をし、2020年開業という事のようです。
当然ですが、この北の方まで、中心地域の人たちが行くには、
車しかない。
車でわざわざ出向くほどの魅力をしっかりう備えないと、
開業当初のご祝儀的集客に終わるんじゃないか、と言う気がするんですね。


ま、いずれにしても、中心街の商店街は、ますます厳しい状況になることは間違いありません。

ここ何年かの行政の在り方を見ていると、
旧来の市民をどうも大事にしてもらえないようですね。
残念です。

| 水嶋かずあき | 平塚のこと | 13:49 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
フォッサマグナ

フォッサマグナという言葉を覚えていますか?
少なくとも、中学の地理では習っているはずです。
これは日本語で言えば、大地溝帯とか中央地溝帯とか言うのですが、むしろフォッサマグナの方が、
特異な響きがあって、覚えやすいですね。
私もただ、テストに出るといけないんで覚えておこう、と言った程度だったんですが、
これがまた、調べてみると色々と興味深いものがあるんです。

 

まず、日本列島の地図を思い浮かべてください。
東日本と西日本の地形上の流れが、
中央で突然折れ曲がっているでしょ。
内側の部分は新潟当たり。
外側の部分は関東南部。
で、これはなぜか、と考えた人がいたんですね。
その人の名は、ハインリッヒ・エドムント・ナウマン。
1885年にフォッサマグナ発見と言うのですから、明治17年、今から133年前のことです。
まあ、地学的な解説はともかく、このフォッサマグナの発見で、
日本列島がどのように出来上がったのかが、解明されるようになりました。

 

きっと、おぼろげながらフォッサマグナという言葉を記憶している人の大半は、
日本の中央を南北に走る大地溝帯、と言う程度でしょうね。
で、もう少し詳しく覚えている人は、静岡と糸魚川を結ぶラインである、と言うんです。
そう、正確には、糸魚川静岡構造線と言います。
さて、そもそもこのフォッサマグナは、大地溝帯でしょ。
つまり、線ではなく帯なんです。
したがって、糸魚川静岡構造線と言うのは、フォッサマグナの西側のラインなんです。
つまり帯の端っこですね。
で、じゃあ東側の帯の端っこはどこか、となるのですが、
ナウマン先生は、その東側は、新潟県直江津と神奈川県平塚を結ぶラインと言ったんです。
えっ?でしょ。
平塚と言う場所はフォッサマグナの東側のラインなんじゃないか、と、ご本家ナウマン先生の研究の成果です。
その後、あれこれ研究した人たちが次々と意見を言い出し、
まず、新潟県柏崎と千葉県銚子を結ぶラインが提唱されます。
そして、1970年には、南側の位置が少しづれて、柏崎と千葉県千葉市を結ぶ「信越房豆帯」説を発表。
1988年には、北部が修正され、新潟県上越と銚子を結ぶラインという説が提唱されます。
さらに、北部を大きく修正した新潟県新発田案が出てきます。
要は、諸説紛々、定まらず、それなりの根拠はあるのだと思いますが、
元祖フォッサマグナ説には、はっきりと平塚が登場しているんです。
まあ、喜んでいいのか、それほどのことでもないのか。

 

そもそも日本列島はどのように出来上がったのか、という事なんですが、
しばしばこのブログでも、プレート運動について触れてきたとおり、
日本列島の西側は、ユーラシアプレートという大きな塊の東の端の乗っています。
で、東の部分は、北米プレートと言う塊の上に乗っています。
で、4億年とか5億年の昔、両方のプレートが接近し、押し合いへし合いが始まります。
つまり、もともとに日本の国は、東と西に分かれていたものが、ドンとつながった、という事なんですね。
いわゆるフォッサマグナは、そのぶつかったところの中間部分になるわけです。
岩石が堆積したり、隆起したりで、この地溝帯は陸地として形作られてゆきますが、
まあ、言ってみれば、アキレス腱的な弱さを内在していたんでしょうね。
この弱さに付け込んできたのが、フィリピン海プレートです。
南側から押し上げてきて、日本列島の一部になってしまいます。


そもそもで言えば、伊豆半島は、列島からはなれた島の一つだったんですね。
それが、徐々に近づいて、ついに立派な日本列島に一部になったんです。

 

こうしてみると、私達の暮らしている日本列島は、
今でこそ、地図で表されている形になっていますが、
数千万年単位では大きく変化しているんです。
で、我が平塚は、そのプレートの押し合いへし合いの最先端に近くに乗っているわけですから、
まあ、まさに盤石の土地である、とは言えないんですね。


平塚は、北米プレートの先端。
相模湾に浮かぶ大島はフィリピン海プレートの先端。
フィリピン海プレートは年間で、南に向かって8センチ移動していると言われていますが、
100年で、8メートル、1000年で80叩■泳年で8キロ辰任垢ら、
6万年後には大島まで歩いて渡れる、という事になりそうです。

まあ、あまりに先の話ですが。

| 水嶋かずあき | 平塚のこと | 10:35 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
街路樹

例によって、昔々の話です。
所用で京都に行きました。
季節は9月の半ば、もう秋でしたが、その年は、まだまだ残暑がきつく、
しばらく歩くと汗が出てくるような陽気でした。
で、街中で知人とばったり出会い、しばらく立ち話をしたのですが、
その年は酷暑の夏だったので、それに話題が及びました。


まあ、それでなくても、京都の夏は暑いんです。
で、彼は、枯れかかった街路樹の列と、
緑をたたえた街路樹がある列をそれぞれ指さしながら、
「ご覧の通り、枯らしてしまったのと、何とか持ちこたえさせたのと、
はっきり分かれてしまいました。
枯らせてしまった街区は、最近ビル化をし、オフィスとして使われているところです。
人は多く出入りするんですが、それだけのことなんですね。
こっちの元気な街路樹の街区は、まだまだ昔からの商店がお店を出しているところです。
親父さん連中は、店を開けると、道を掃き清め、それが終わると、街路樹などに水やりをします。
まあ、それがまちの中で暮らすことでもあるんですね。
ところが、あのビルに通っている連中は、仕事場があるだけのことで、
道にごみが落ちていようが、街路樹が枯れかかっていようが、
まあ、関係ないことなんですね。
ですから、今年のように、雨が降らず、日照りのきつい年には、
こんなことが起きてしまうんです。」
と、話してくれました。


街路樹一つでもそのまちの様子がわかるんですね。

 

日本には、比較的昔から街路樹が整備されていた、と言われています。
古くは奈良時代、都に通じる街道の要所に、果樹の成る木を植えたと言われています。
これは、旅人が、のどが渇いたり、空腹を感じたりしたら、

それを摘んで、食べるため、と言われています。
ま、ある意味、街路樹は街の景観だけではなく、

ある種のコミュニティ意識の表れなんですね。

 

自分の暮らす地域に緑が豊かである、と言うのはいいことでしょ。
これは何となく感じていることなんですが、
平塚は街路樹が多いですね。
戦争で市街地の大半が焼け野原になったため、
この復興の際、街区整備が進み、道幅も広めにとったので、
街路樹を植えることが普通になったようです。


もし、道の総延長と、街路樹の植わっている道のと比率を出したら、
平塚は街路樹率の高いまちになるんじゃないかと思っています。

私の住んでいた松風町で、弦斉通りと言うのがありますが、
そこも、一応は街路樹があります。
一応、と言ったのは、まあ、一応程度の木が植わっているという事です。


街区が整理され始め、舗装も普通に行われるようになった昭和の30年代。
街路樹も植えられるようになりました。
このころ、まあ、見てくれより何より、

先ずは枯れずに丈夫な木、と言うのが選定されたのだと思います。
この代表が「マテバシイ」と言う椎の木の一種です。
確かに、丈夫で、いわゆる打たれ強いタイプで、

滅多なことでは枯れることがありませんでした。
まあ、欲を言えばですが、花が咲くわけでもないし、

風情のある姿と言うわけでもありません。


弦斉通りは、このマテバシイが植わっています。
行政も、マテバシイと言うのは、街路樹としてはいささかレベルが低いので、
樹種を変えようか、という話が持ち上がりました。
で、八重咲町、松風町の自治会で会合を開き、
こんな木にしようという提案を取りまとめたのです。
当初、行政は、すぐにでも取り掛かるといった雰囲気だったのですが、
いつの間にか先延ばしになり、ついには、ない話になってしまいました。
したがって、弦斉通りはいまだにマテバシイです。

 

駅西口から新仲通りを通り、さらに中央公民館、パイロット、総合公園を抜けてゆく道には、
今は、さるすべりの花が満開です。
百日紅と書いてさるすべり。
正に字のごとく、百日ぐらいの間、花が続く、という事です。
きっと、赤い花がおおもとだったんでしょうね。
それが今では、白とか、ピンクとか三色あります。
この街区には、これが交互に植わっていて、なかなかの風情なんですね。
私も好きな街路樹の一つです。


で、この街区が整備される時、

たまたま市の職員に、この樹種の選定はだれがするのか、と聞いたのです。
すると、当時市長だった石川京一さんが好きな木なんだ、と言ってました。
まあ、だからと言って何の問題もないのですが、
市長のお気に入りの木が植えられたんだ、と記憶に残ったんですね。


そういえば、パールロードの樹種も、

私達の提案で、桂の木を中心に植えましたし、
中央地下道の道も、商店街のある人が、ヒメシャラがいい、と言ったら、

そうなったと言ってました。
ま、いずれ誰かの決断で、街路樹が選択されるわけですが、
それなりの趣味が樹種選定には働くわけで、
もし私だったら、と考えますが、
きっと実の成る木を選ぶでしょうね。


若葉を楽しみ、花を楽しみ、実を楽しむ、と。
これって悪くないでしょ。

 

| 水嶋かずあき | 平塚のこと | 10:33 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
観光の経済効果

徳島の阿波踊りの観客数が、108万人と、
過去最低の数に減った、という報道がありました。
市長と観光協会との間で、年々増え続けるこのイベントの累積赤字について、
その対処方法の違いがあって、いわば睨み合いの状態になってしまったことが、広く報道され、

今年は総踊りと言うメインイベントはやらないとか、いやそれでもやるとか、結構ドタバタしたトラブルになって、
それも影響して、観光客が減少した、という事でした。
ま、確かに、そんなバタバタしたところへ行っても、

目玉の総踊りが見れないなら、今年はやめよう、となっても仕方ないでしょ。


で、問題は、これで終わらなかったんですね。
実は、昨年、この阿波踊りの観光客数の実質的な推定人出はどのぐらいか、
という事を、徳島新聞とともに、昨年まで阿波踊りの主催者だった徳島市観光協会が調査を外部に依頼したんです。
で、詳細なデータのもと報告された、4日間の推定人出は、
日本人来場者・約21万人、外国人来場者・約1千400人という報告がありました。
なんと!なんと!でしょ。
108万人に減ったと言いながら、実は、そもそもが22万人程度だったわけです。
もっとも、携帯電話のネットワークがもとになっているので、
15歳以上70歳代までが対象で、それ以上それ未満は、除外されているのですが、
かといって、この除外された人の数が、108万人−22万人ということにはならないでしょ。
まあ、数万人増えたとして、発表の4分の1にも満たないわけです。

 

これは、携帯電話ネットワークの仕組みを使用して作成される人口の統計情報で、
日本全国の1時間ごとの人口分布を、24時間365日把握することができるのだそうです。
例えば、15歳から79歳までの人で、外出時携帯を持っている人の数を統計で算出します。
90%としましょうか。
そこで、あるエリアの携帯の電波管理的なデータで、
そこに何台の携帯があるのか、という事は調べられるのだそうです。
このデータから推計して、そこのエリアに何人の人がいたか、が算出できるわけです。
凄いことですよね。

 

そもそもイベントの観客数は、これと言った根拠もなく、
主催者発表に頼っていることが多いのです。

平塚の七夕祭りも、人出の数に関してはこれに近いのではないか、と思っています。
昭和26年に始まった七夕まつりにその頃の若手商工業者として、

活動していた方が、実行委員として参加したのだそうです。
で、なぜか広報担当。
まあ、声も大きいし、話し始めれば立て板に水のごとくよくしゃべる。
そこで広報担当になったんだと思うのですが、
七夕祭りの最終日、新聞記者がやってきて、
このイベントの人出はどのぐらいでしょうか、と質問しました。
広報担当のその方は、どちらかと言うと大風呂敷タイプなもんですから、
まあ、ざっと50万人ぐらいでしょうか、と答えたものだから、
新聞には、50万人の人出、と活字になったわけです。
で、これが本部発表ですから、公式な見解となり、
以後、この50万人を基準に、多かった、少なくなった、などと、ごく個人的な感想と表面的な現象よって、

人出の数が公表されたのです。
去年より一割多いと思ったらければ、55万人という事ですね。
この1割も、極めて、主観的で、実は何の根拠もないんです。
で、そもそもの基礎がこんな状態にもかかわらず、年々、当て推量を積み重ねた結果、
5日開催当時は、340万人とか、もの凄い数の人出が公表されていました。
私は、その当時から、景気づけの数はもういい、実質的な数を把握できないと、
まつりでの対応がヅレるんじゃないか、と主張してきました。
私は実感として、当時ですら、発表されていた数の半分以下だろうと感じていたんです。

まあ、この数値を精密にするという事は、この人出の数が基礎になって、経済効果を算出しますので、
ここがずれると経済効果かという地域にとって重要な数字そのものに疑義が生まれてくるわけです。

 

徳島では、阿波踊りの経済効果が100億円と言われていました。
しかし今年減って、108万人と言ってましたが、
でも実は20万にちょぼちょぼ。
となると、100億円の経済効果が眉唾になってしまうんです。
100億円の総体の収入が発生するなら、

このぐらいの予算で対応しても意味があるだろう、と考えるでしょ。

しかし、それが4分の1なら、経済効果も4分の1。
となると、コストパフォーマンスとして、地域がかけられる上限の金額と言うのが見えてくるでしょ。
これは大事なことなんです。

観光というのは、はっきり言って、その地域に他の地域から流れ込むお金がどのぐらいかで成立するんですね。
その経済効果の基礎が人出だとするなら、
なんとなくのカウントはいい加減にやめて、もう少し精密な数字をはじき出し、
イベントの在り方からを再考する必要が生まれるでしょ。

 

徳島のドタバタを対岸の火事として見ているのではなく、
わが身として、七夕祭りに振り替えて、基礎からチェックする必要があるんじゃないでしょうか。

| 水嶋かずあき | 平塚のこと | 13:54 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
花火大会

今から20年ちょっと前のことです。
家族でハワイに行ってみようという事で、
何十年か一度の家族旅行をしたことがありました。
ハワイ島、オアフ島などを巡り、ワイキキ海岸の何とか、と言うホテルに最後の一泊をしたのです。
まあ、全室オーシャンビューですから、バルコニーに立つと
マリンブルーの海が果てしなく広がり、ただ見ているだけで、結構、時間が過ごせるくらいの絶景だったのです。

左右を見渡すと、ホテルが立ち並んでいます。
で、その時、このシチュエーションで何かできないか、と考えたんですね。

そこで思いついたのが、国際花火大会。
何しろ十棟ほどホテル群が、まるでワイキキ海岸を取り囲むように立っているのですから、
これは観覧席としては一流の立地じゃないか、と。
その、国際花火大会が行われる当日は、冷たい生ビールのグラスでも持って、
バルコニーの手すりに寄りかかって、次々と上がる花火を楽しむ。


そもそも花火と言えば日本の花火。
なんたって江戸の頃から、カギヤにタマヤという伝統の花火製作技術がある。
これは世界一だ、とか聞くのですが、
ヨーロッパをはじめ、それなりに花火の技術は国ごとにあって、
花火大会的なイベントはそこここで開催されているのです。
UAEのドバイ、アーストラリアのシドニー、パリやベルリンなど、
まあ、ありとあらゆるところで、特徴的な花火大会が開催されているので、
なんだかんだと花火に関しては、それなりのお国自慢があるようなんです。


だったら、どこかで白黒つけようじゃないか、と、

花火のオリンピックみたいなことができないだろうか、と。
場所は、ワイキキ海岸。
観覧席はホテルの客室、ワイキキの砂浜。
打ち上げ場所は、沖に軍艦に小さなのを引っ張ってきてその甲板。
で、この実行委員会を立ち上げる。
運営資金は、ハワイの観光局及びハワイ州、沿岸の各ホテル。
また参加国の観光系の窓口の省庁などが、基金を積み上げる。

参加したチームの費用は原則その国の負担。
打ち上げ花火代は花火会社もち。
ただし、グランプリは相当な高額の賞金が出る、とかの基本構想を描いたのです。
インターナショナルの企業に冠スポンサーになってもらえれば、
何とか費用的にはいけるかもしれない、と考えたんですね。


ところが大問題があって、その実行委員長やスタッフの候補者がゼロ。
ま、要は、頭の中での空想で終わってしまったんですが、
空想で終わらせたのがいまだに残念なんですね。

 

とまあ、私はかなりの花火好きなので、

こんなことをワイキキのオーシャンビューのバルコニーで考えていたわけです。


一応ですが、日本の三大花火大会と言われるものがあります。
順位はともかく、新潟長岡の花火大会。
これは信濃川の河川敷が桟敷になって、壮大な規模で打ち上げられ、圧巻はトリとなる三尺玉の打ち上げでしょうか。
それと長生橋に掛かるナイアガラですね。

何百メートルだか、橋一杯にナイアガラの花火が降りそそぐと、
まるで昼のような明るさになります。

いろいろあるでしょうが、ナイアガラに関しては日本一でしょうね。


で、次は、大曲の花火でしょうか。
これは全国花火師競技大会と言って、
全国にある煙火店(花火製造工場のこと)が、それぞれの腕を競って、打ち上げます。
ともかくスターマインが基本ですから、やたら豪華な打ち上げが続くんです。
しかも、途中、提供花火と言って、競技の中間で、参加する花火屋さんが提供してくれるんでしょうね、
この花火を打ち上げるんですが、
先ずこの豪華絢爛さ。
筒元が三カ所に分かれていて、それが連動して打ち上げるんです。

基本三カ所がシンクロするんですね。
スターマイン×3と言う規模です。
スターマインのエンディングは、尺玉が連続して打ち上げり、余韻嫋嫋に終わりますが、
この時は、見上げる空いっぱいに広がり、視界の中はすべて煌めく花火、という状態になります。


そして三つ目は土浦です。
これまた全国花火師競技大会と言う花火大会です。
大曲と少し違うのは、3種の種目があって、尺玉一発勝負と言うのと、
創造花火と言って、新しい形態の花火への挑戦を促すという形態。
これを見る限り、日本の花火の進化は、この部門の影響が大きかったと思うんですね。
そして3種目はスターマインです。
当初は、ごく普通に決められた数の球を打ち上げていましたが、最近は、筒元が3つになり拡大。
さらに音楽をバックに、併せてストーリーを展開する、といった傾向になってきました。


びっくりするのが、長岡。
豪華さを堪能するのが大曲。
玄人すじの楽しみ方をするのが土浦と言ったところでしょうか。

かく、書いてきたように、私は一通り見物したことがあります。
で、我が平塚なんですが、
これらの三大花火大会から見れば、かなりマイナーな規模ですが、
まあ、身近に見れるという事ではそれなりの価値があるでしょ。
今年は8月24日金曜日を予定しています。
でももしかすえると台風の影響で延期になるかも。
その場合は、26日に開催だそうです。
夏の最後のイベント、よかったら出かけてみませんか。

| 水嶋かずあき | 平塚のこと | 11:07 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
平塚の宿場夕膳

明治維新の10年ほど前の江戸の最後の頃の話です。
浮世絵の世界で、こんなことがありました。


浮世絵は、その原作者が絵を描き、彫り師が版木を作り、これを刷って販売していました。
で、この一連の作業を版元が管理していたのです。
つまり、プロデユーサーという事ですね。
で、その頃の(ま、今でもですが)評判の浮世絵画家の広重と、
同じく、なかなか評価の高かった三代豊国が、大げんかをしてしまいます。
何が原因だったか、どっちがちょっかい出したのか、なんては知りませんが、
片岡千恵像と坂東妻三郎が喧嘩したようなものです。
たとえが古すぎましたか。
じゃあ、鶴田浩二と石原裕次郎と、これもまだ古いかな。
ともかく、大御所二人が喧嘩したので、
なんとなく浮世絵界はざわついていたのです。
で、周りも心配して、二人の仲を取り持とうと、いろいろ手を差し伸べるのですが、
そうは簡単に納まらない。
そこで登場したのが、大プロデユーサーの版元です。
さすがにこの人からおれの顔を立ててくれ、と言われれば、
貧乏時代に面倒を見てもらったという義理もあって、むげには断れない。
で、ぐずぐず言いながらも、二人は手打ちをしたんですね。


そこで、まあ世間様も心配していたから、ここはどうだ、
二人で合作の浮世絵を書いたら誰もが仲直りをしたと思うだろ、と。
いやこれって、プロデユーサーの凄技でしょ。
喧嘩の仲裁とともに、商売に結び付けちゃうんですから。
おそらく世間もこのうわさを聞いて、じゃあ、一枚買うか、となるでしょ。
そこで提案したのが、景色を描かせたら右に出るものがいないという広重と、
美人画を描かせたら当代一と言われた三代豊国の組み合わせです。
で、広重が景色を描き、その景色を背景にして、三代豊国の描いた女性が登場する、という構図です。
ここもプロデユーサーとしての敏腕ぶりをいかんなく発揮します。
なんと、ただ一作ではなく、これをシリーズにするという事にしたんですね。
で、すでに大ヒットとなっていた広重の東海道五十三次ベースに、
改めて各宿場の景色を背景にし、その宿場宿場の女性を登場させる、
という事で、「雙筆五十三次」とシリーズを制作することになりました。
雙筆と言うのは二つの筆という事で、二人の合作であるという意味です。

で、もくろみ通り、これもまたヒットするのですが、
おかげさまで、五十三の宿場町のいいPRになったのです。
平塚もそのうちですから、
第一シリーズの、高麗山を背景にして、東海道を飛脚が走っている様子の平塚の宿の絵もさることながら、
馬入の渡しを背景にした新しい宿場の絵が発表されたのです。


それがこの浮世絵です。

これは、宿場の飯盛り女が、かむろを従え、客席に夕膳を運んでいる姿です。
手には、漆塗りの銘々膳を持ち、かむろはお櫃を持っています。
後ろの背景は言うまでもなく、馬入の渡しで、そこからは富士も眺められますし、その右側の山は大山です。

 

で、この絵を見ていて、ふとささやかなる疑問が私に生まれたのです。
当時、私はランチランドと言う弁当屋をやっていて、調理場で料理を作っていました。
で、お客様はほぼ決まっていて、毎日、お客様のもとへお弁当を届けるわけです。
ともかく一番苦労したのが、献立です。
お客様は、変わらないのですから、献立を変えなくちゃいけない。
で、毎日調理をしながら、これも大変だけど、変化があって仕事としては楽しい、と思っていたんですね。
そこで、ふと、雙筆五十三次の浮世絵を思いだしたんです。
その昔、東海道を行き来する旅人達が宿場で泊まる。
まあ、当然、夕食を食べるわけでしょ。
でも、客は毎日入れ替わるわけです。
もしかすると大半が、一度泊まったら、二度と泊まらない可能性がある。
つまり、人が変わるんですから、極端に三六五日、夕膳の献立は同じものでもいいわけでしょ。
楽と言えば楽だけどそれもつまらなそう。
第一どんな献立だったんだ、と言うのが、発端だったのです。


そこで、江戸の頃の料理に詳しい先生にお願いをし、当時の宿場の夕膳はどんなものだったのか、
文献に従って調べていただきました。
一方、平塚では、その頃、何が食材として使われていたのか、これまた調べてみたのです。
まあ、調理材料としては、100%地産地消でしょ。
で、当時の宿場の一般的料理と平塚の地産食材の交点が、あの銘々膳に載っている料理なんですんね。
これを、鳥保の鳥海さんに依頼して再現してもらったことがありました。


そんなことをふと思い出し、平塚観光協会の湘南ひらつか観光フェスティバルに展示したらどうか、
と思ったんですね。
現在調整中ですが、実現したら、その献立内容を実際再現して皆様にご覧いただこうか、と考えています。
8月30日から、9月4日まで、場所は、平塚市民プラザです。
お時間がありましたら、ぶらりと寄ってみてください。
合わせて、カオリ麺焼きそばも販売します。
どうぞよろしく。

| 水嶋かずあき | 平塚のこと | 10:10 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
祭りの重要ポイント、露店

今日は、七夕まつり、2日目。

 

事前の天気予報では、降水確率80%という事で、
戦々恐々としていたのですが、とりあえず、午前9時、雨は降っていないようです。
このまんま踏ん張ってほしいものですね。

 

今年、七夕竹飾りを、紅谷自治会として製作し、
子ども会、シニア会の皆さんにお手伝いいただきました。
それと、材料については七夕竹飾り製作の会(?)の提供を受け、
掲出には、紅谷パールロードのサポートで、飾ることができました。

かつて、舟平として製作していたころは、
何から何まで自分一人で作り、費用も、当たり前ですが自前だったのが、
こうしてみんなの協力で飾りの掲出ができるという事は、
遥かに素晴らしいことだな、と実感しています。

 

今年、パールロードに掲出したのですが、
この道に飾りを上げたのは、15年ぶり。
つまり、15年間かかわりを持たなかったわけです。
とは言え、何十年か、ここで七夕を挙げてきたわけですから、
様子は分かっているつもりでした。
ところが、実際やってみて、
大分、様子が違うんですね。
へえ、と驚くことばかり、いや浦島太郎状態でした。


すでに、来年の構想に入っています。
これは15年前と同じです。

 

市民センターの横の広場で、宝市、というイベントが開催されていて、
中心街の、がさがさしたところを抜け出して、
ちょっとのんびりムードの空間になっています。
ここに、飲食連合会として、カオリ麺の焼きそばを販売しているのですが、
三日間、ちょくちょく顔出しはしなくてならないのですが、
まあ、大したことではなく、七夕期間とは言え、結構のんびりしています。

 

で、改めて露店を眺めたのですが、
これが、結構楽しいんですね。
平塚の七夕祭りは、伝統的に、夏祭の皮きりとなるイベントだそうで、
全国の露天商が集ってきます。

 

ちなみに、露店と露天商の「店」と「天」の違いなんですが、
江戸の頃、店舗を構えて商売をして店と、
ほぼ掘立小屋的な、時に戸板一枚の商売を、路上でするものを区別し、
露天と言っていました。
ま、今時なら、アウトドアとか、青空とか、の意味を持った露天です。
で、この露天で商売する店を露店と言っていたのですね。
ですから、店そのものを表現するのは、露店。
そういう商売をする人は露天商と使い分けていたようです。

 

ま、それはともかく、
全国から、名うての露天商が集まってくるのですから、
それは、なかなかのもので、感覚的ですが、これって、露店の見本市とか、
露店博、とか言えるレベルではないだろうか、と。
その多様性はなかなかのものです。

 

相変わらず、タコ焼き、焼きそば、お好み焼きの小麦粉グループ、
綿あめ、リンゴ飴、かき氷などの甘いものグループ。
じゃがバターに牛串焼き、焼鳥、焼きトウモロコシ、鮎の串焼きなどの、
ビールのおつまみグループなど、相変わらず健在です。

 

先日、そういえば、いつの間にか見なくなったね、
という露店的商品をリストアップしてみたのですが、
第一が、なんという商品名か、水飲み鳥。
ゆらゆら揺れながら、グラスの水を飲む、というガラス製の鳥。
それと、樟脳を後ろに付けては走るセルロイド製の小さなボート。
もう一つ、海ほうずき。
売り場のおばさんは器用にブイブイ音を出すのですが、
買って帰って、音が出たためしがない。
さらには、ひよこ。
縁日と言うとひよこがぴいぴい鳴いて箱の中でうろうろしていたのですが、
これを見ることが無くなりました。
よく友達のうちに遊びに行くと、
庭先をニワトリのオスが闊歩していて、
大体は、縁日で買ったヒヨコが大きくなった、という共通の事情があったようです。

 

まあ、今は昔。
縁日のテキヤさんの変化も、時代の流れを敏感に反映しているんでしょうね。
七夕飾りと併せて、露天商のそのあたりもよくよく楽しんでみてください。

| 水嶋かずあき | 平塚のこと | 09:26 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
もうすぐ七夕祭り

七夕祭りと言うと、いつも問題なるのがお天気。


そのそもが、野外型のイベントと言うのは、お天気が大きなキーポイントになります。
私もしばしば、イベントの主催的立場で、企画運営してきましたが、
およそ、1週間前ぐらいから、週間天気予報を見ながら、
一喜一憂してきたものです。
何しろ、どんな優れた内容でも、お天気には勝てないですからね。

 

で、気になるのが、七夕の天気です。
何しろ、七夕を始めた昭和26年から、毎年のように天気に悩まされてきました。
大体が梅雨の期間中に相当するからです。
そこで、かつて、どうあがいても梅雨の真っただ中なんだから、
雨の降った日はあきらめるか、
さもなければ梅雨と影響のない時期に移動するかだ、という議論がありました。


候補としては、旧暦に移行し、8月の初旬、という事です。
仙台がそうでしょ。
で、8月への移動案は、いくつかの要因で自然消滅したのです。
その要因の最大のものは、
飾りの販売先が、ちょうど8月に七夕祭りを、中元商戦として、開催していたのです。

平塚の七夕が開催されると、その初日には、いくつかの商店街の役員さんたちがやってきて、
自分の町の七夕祭りの飾りとして、買い付けをします。
平塚の飾りを、自分たちの商店街の七夕祭りに再活用しよう、という事なんです。
もちろん、吹き流しのテープは引きちぎられていて、補修をしなくてはいけません。
まあ、そこそこに手を入れなくてはいけないのですが、
材料費、手間など考えれば、平塚の飾りを安く買った方が効率的、
という事なんでしょうね。


大体、千葉の茂原、埼玉のわらび、などの商店街が、
伝統的に七夕まつりを開催していて、
当時はよくやってきて買い付けたものでした。
遠くは、富山県の城端という町からもやってきたものです。
彼らは、めぼしい飾りを見つけると、
早速価格の交渉に当たります。
もちろんものによってもですが、10万とか、20万とか。
そこで、飾りを掲出している商店は、それでは安いとか、売りましょうとか、
交渉に答えを出すわけです。
で、これが、七夕経費の収支に影響を与えるわけです。
七夕の費用の支出は、やぐらの組み上げ代、飾りの材料代、手間賃、それに若干の諸雑費です。
で、収入は、市の補助金、入賞、特選などの賞金、あとは売却代金などです。
ですから、飾りが売れるとか、売れないとかは、結構、収支のバランスに影響するわけです。
売れれば、材料費の半分ぐらいは何とかなる。
安くなったとしても、お茶菓子代ぐらいにはなる、という事で、
結構、飾りの引取りは重要なことなんですね。


それともう一つ。
売れれば次のところで、もう一度日の目を見ます。
一人でも多くのお客様に鑑賞してもらえるわけですね。
作る側としては、見てもらうために作っているのですから、
もう一度チャンスがあるという事は、
とてもうれしいことなんです。

以前、我が店の作品を引き取った蕨の呉服屋さんがいたのですが、

気になったので、見に行ったことがありました。

すると、我が店で飾っていた時より、

ずっときれいに、立派になっていたことに驚いたことがあります。


そして、第三の問題があります。
もし、売れなければ、その造った飾りを壊さなくてはいけません。
これは、結構しんどい作業なんです。
労力的にもですが、気持ちの上で、壊すという行為は、いやなものです。
相当割り切って作業に取り組まないと、ため息つきつきの仕事になります。


こんなことで、飾りが売れるという事はかなり重要なことなんですね。
もっとも、最近は、二次的に使用する商店街で、七夕祭りが低調になり、
かつてほど買ってもらえなくなってきたようです。

 

まともかく、そんな事情があって、梅雨の最中であれ、
7月開催は、いくつもの理由で、選択せざるを得なかったわけです。

で、今年は記録的な速さで梅雨明け宣言。
正直、やった、と思いました。


ところがです。
なんと、6日、7日の降雨確率は80%。
8日が60%。
何だこりゃ、と。
早い梅雨明け宣言で、喜んでいたところ、
きわきわでの雨の予想。

早めに先制点を挙げて喜んでいたら、終了間際に逆転されたベルギー戦みたいですね。
何とか、お天気になってくれないかな、とこれこそ神頼みです。
あの水だこに天気占いでもしてもらいましょうか。

| 水嶋かずあき | 平塚のこと | 09:57 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
今年の紅谷町内会の竹飾り

平塚の七夕まつりが、6・7・8の三日間開催されます。

 

その昔、パールロードで店を構えていたころは、
七夕祭りが5日間の開催でしたので、その期間の売り上げは、
暇な月の一か月分に迫るほどのもので、
あちらこちらに声を掛けて応援をお願いし、
通常の2倍から3倍の人出をそろえて対応したものです。
実際、土日などは、開店の瞬間から満席になり、
閉店まで客足を絶えることなく、
朝から立ちづめで仕事をしていると、まず、午後一で、
自分が何をしているのかわからなくなるほど、
エネルギーが枯渇するんです。
で、いったん持ち直して夕方のピークに臨みますが
ほとんど脳に血が回らず、動作も鈍くなり、判断ミスが出始め、
結局は、誰かと交代して、エネルギー補給をしなくてはいけない、
という状態になります。
要は、考えられない状態が12時間は続くという事なんです。


これが5日目となると、足は起きた時から棒のようになっていて、
それこそ肩で息をしながら、5日目を過ごす、という状態でした。
いや、いいのか悪いのか、懐かしい思い出です。

 

仕事を引退してからは、七夕も一歩引いて、見られるようになり、
気が楽になったのと同時に、少し手持無沙汰と言うか、
妙に淋しい気分になってしまうので、
2年前から、せめて七夕竹飾りを作ろうと、
周囲に働きかけ、子供飾りに挑戦しました。


そう、もうすでにまちかど広場に掲出されていますので、
ご覧になった方もおいでかと思いますが、
20本近く立ち並ぶ、なかなか見応えのある飾りです。

で、今まで、2年間掲出していたのですが、実は、今年は市民飾りに変更しました。
いくつかの理由があります。
一つは、子供飾りですから、子どもが作ったもの、という前提があります。
まちかど広場に掲出されたものの中から、優秀作を褒賞する都いう制度があります。

最初の年、申込みに行ったら、コンクールにエントリーするか、と、聞かれました。
評価の内容の基準に、子どもが作ったもの、という事が第一項に書いてあって、
それを読んだ瞬間、私はエントリー自体を辞退しました。
なぜなら、その飾りは、子ども会とシニア会の共同で造る予定だったからです。
まあ、入賞とか何とかはどうでもいいことで、みんなで作って掲出することだ、
と、考えていたからです。


で、実際やってみて、子どもが作るには限界があることを知らされました。
子ども会の人たちが、お母さんに連れられて、製作会場にやってくるのですが、
小学校低学年は、部屋にやってきて、5分か10分すると遊び始めます。
高学年になると、さすがに指示をよく聞き、丁寧に作業をしてくれるのですが、
これとて、4〜50分で集中力が切れます。
で、結果、シニア会のバアバと子供会のお母さまがせっせと作り続ける、という事になるのです。


で実際、まちかど広場に掲出された飾りを見ると、
どう考えても、大人の手が添えられていない作品はない、と判断しました。
私の友人で幼稚園を経営している人がいるのですが、
彼のところの作品がないので、どうして子供飾りに参加しないのか、と聞いたら、
1,2回は参加したのだそうですが、
その期間、保母さんの負担が多くて、とてもやっていられない、と言うんですね。
つまり、大人が作った子供らしい作品、という事になってしまうんですね。
で、若干の矛盾を感じたので、今年は、
その意味で製作者の年齢制限のない「市民飾り」に移行しました。

 

この市民飾りと言う制度は、スターモールの飾りが年々減少し、
空きが目立ってきた。
そこで、何とかしようと、有志の人たちが立ち上がり、
費用的には行政がバックアップして、
市民の有志が、飾りを作って掲出する、という制度です。
昨年は、その成果が徐々に出てきて、33本の飾りが掲出されました。
今年はこれを超えるかもしれません。


で、紅谷町自治会の子ども会・シニア会の作品を

今年は、市民飾りの一環として掲出しようというわけです。
ただし、わがままを言って、掲出場所を紅谷パールロードに出させていただくことになりました。

 

現在、みんなで製作中です。
商店の飾りの中で、いささか雰囲気が異なるかもしれませんが、
紅谷町内の子どもたちとママたち、そしてシニア会の三世代で作った作品を是非ともご覧ください。
予定では、梅屋さんとパチンコのキコーナさんの間に出す予定です。

 

テーマは、このまちの子供たちの絵、と言うことで「花の絵」がテーマです。

そう、大人の花の絵もあります。

松本千鶴さんと言う草花の絵の達人がいて、この方の作品も、掲出されます。

是非ともお楽しみください。

 

 

| 水嶋かずあき | 平塚のこと | 10:12 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
湘南八景

平塚八景と言うものが制定されているんですが、
制定されたのが昭和57年。
今から37年前のことです。
一応、市制施行50周年の記念事業という事で当時は鳴り物入りで、展開され、
市民の推薦により選定したとか。
制定された八景は、湘南平をはじめ、金目川と観音堂、七国峠・遠藤原、
霧降りの滝・松岩寺、森の前鳥神社、八幡山公園、湘南潮来、平塚砂丘の夕映えとなります。

 

で、先日、ある人が、八景のひとつの七国峠・遠藤原について、
見渡せばゴミ処理場があったりして、何処が八景だ、と言っていたんですね。
確かに、時の流れはその周辺の景色を変えてしまうものです。
同じく八景のひとつ湘南潮来も、その後、防潮堤の護岸工事が進み、
少なくとも、川の西岸はコンクリートで固められてしまいました。

 

先日のことです。

仲間と飲みながら、この話題が出たのです。
そもそもが、八景となると八か所選ばなくてはいけない。
と、どうしてもBランクのところも交じってしまう。
時代も変わってきたし、再度見直したらどうだろうか、と。

だって、花菜ガーデンだって悪くないし、総合公園だって立派なものだろ、と。

 

ご存じない方も多いと思いますが、
何々八景、例えば、近江八景とか、金沢八景とか、日本にも数多くの八景を制定したところがあります。
他に、博多八景、大慈八景、赤湯八景、旭川八景、琵琶湖八景、小名浜八景
橿原八景、甲斐八景、千波湖八景、そしておひざ元相模川八景などなど。
これら八景の大本になったのは、中国の湖南省でのこと。


時代は10世紀、湖南省の洞庭湖付近や、湘江流域、など、
その頃活躍していた李白や杜甫などの文化活動の一環ともいえると思うんですが、
湖南省の美しい景色を、漢字で表したんですね。
それには、情景と地名が組み合わされました。
情景としては、晴嵐、晩鐘・沈む夕日と山中の寺院の鐘楼、
夜中に降る雨の風景、夕日を反射した赤い水面、夕暮れの中を舟が一斉に港に戻る風景
など、人の営みなども含まれています。
これらの八景を「瀟湘八景」としたのです。
でこれが、漢字文化圏に広まり、台湾、朝鮮、日本と多くの地域で、
うちでも八景を選定しよう、という動きになったんですね。


ある種、衝撃的な観光政策でもあったわけです。
それは、美しさを私的な表現で伝えられれば、
見に行きたい、と思うものでしょ。

しかし、ご存知の通り、湖南省と言っても広く、
日本の県の二つ三つの面積はあるんです。
その中から、味わい深い景色を選ぶんですから、
まあまあ、Aクラスのものを並べることができます。
しかし、平塚市内を限定したら、どうしてもBクラスが混じる。

県代表と、市の代表が戦う試合のようなものです。

戦力の差は歴然としているでしょ。


しかも、時代は過ぎて、若干の変貌もある。

そこで、その酒席では、ともかく見直しをしよう、と盛り上がったわけです。
で、先ずはすべて白紙に戻す。
それと、再度地域の見直しもする。
そもそもの手本が湖南省で、瀟湘八景と言ったわけです。
ちなみにこの瀟湘八景の瀟は、きよいとか、さっぱりとしたさま、
つまり美しいという意味を持っています。
また、湘は、湖南省全体を示す言葉です。
ですから美しい湖南省の八つの景色と言う意味が、瀟湘八景という事です。
したがって、平塚で気では選びきれない。

せめて大磯と平塚で八つ選ぶというのはどうだろうか、と。


いや、たまたまこの席に大磯の方がいたのでそういう流れになったのですが、
確かに、平塚だけで八つは厳しいから、
合同と言うのも悪くないですね、と。
そこで、平塚大磯八景と言うのもピンとこない。
で、じゃあ、湘南八景でどうか、となったんです。

もともとは瀟湘八景ですから、語感的にもこれに近い。
このブログでもたびたび湘南に触れてきましたので、
その根拠はご理解いただけると思いますが、
悪くない発想だと思いました。

 

まずは酒席の無責任な発言なんですが、
ちょっとばかり、面白そうだと思いませんか。

出来れば、八景候補を推薦していただけないでしょうか。

| 水嶋かずあき | 平塚のこと | 12:57 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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