七夕祭りが、かつての飾りの豪華さ、
多くの見物客による賑わいを失いつつあります。
平塚という町にとって、
七夕祭りの存在意義、その価値の大きさは、言うまでもありません。
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市民にこの街のいいところはどんなところですか、
というとアンケートにをすると、多くの人は七夕祭りを挙げます。
夏に行われる全国各地の様々な祭りの中にあって
7月の初旬、平塚で開催される七夕祭りは
夏まつりのオープニングと言ってもいいほどの位置づけを持ってきました。
しかし、この祭りも最近はいささか陰りを持つようになりました。
まず、本数が減ってきました。
問題は年々先細りしてきているということです。
さらには、一本一本の飾りの内容がさみしくなってきました。
豪華絢爛という印象が薄れてきたのは、かれこれ20年ぐらい前からです。
かつて滝口カバン店が素晴らしい竹飾りを掲出していました。
追っかけ平田人形店も、これに負けじとなかなかの飾りを掲出していました。
川万さんも一時は特選の常連でしたが、
ある時を境にふと掲出をやめてしまいました。
そして片野屋さんもこれに劣らぬ飾りを掲出していました。
梅屋さんもそうです。
それぞれ七夕の歴史の中で特選とか準特選を競い合うような
素晴らしい飾りを出していたお店が、
次々と様々な理由で掲出を辞めていってしまいました。
一言で言えばこれは商業の衰退とともに
七夕祭りも衰退して行っていると言って構わないと思います。
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そもそもが昭和26年に第一回の七夕祭りが開催されて以来、
このイベントは、東海道筋の商店が商人の心意気の中で開催し、
競い合うように飾りに工夫し、豪華さを作り出して言ったのです。
つまり商業の隆盛のよって祭りを盛り上げてきたのです。
しかし、商店も代が変わったり、時代が変わったりしながら、
時代時代の景気の流れに流されて、
お店を閉じるところもあれば、新たに店舗を構えようとするが
代わりの商店に移り変わってゆきます。
そこに商業活動しようと入ってくる人たちの多くは、
地元と関係のない人たち多く、
祭りが持つ基本になる郷土愛とか、コミュニティ意識の希薄な人も混じります。
たがって、七夕飾りを出そうなんて気概に乏しいというのが現状ですね。
ですから、平塚商業の衰えと時を同じうしつつ、
七夕祭りも衰えを見せてきたのです。
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最近は行政も何とかしようとばかり、対応をしてはいるものの、
笛吹けど踊らずに近いような状態が続いてます。
ここ数年で、さらに大きな転機を迎えるではないかと、
私は思っています。
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一つは七夕祭りの基本はやはり竹飾りなんですから、
豪華で絢爛で優雅な飾りを掲出することが重要だと思うのですけれども、
ここのところが、主として市民飾りと言って
市民のグループ・団体によってつくられた飾りを掲出することに移りつつあります。
当然のことですが、彼らは、充分な資金を持っていません。
それとボランティアで作り上げますので、
製作に充分な時間をかけることができません。
そんなことから、どうしてもこじんまりとした飾りになってしまいます。
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ここのところ打破しようと五年前に肉バル・マルコのオーナーである中川さんが
かつての豪華な飾りをもう一度掲出できないだろうか、と動き始めました。
この話を聞いて、私はそれに呼応して、製作することを手伝おうと申し出ました。
おかげさまでこのグループを平塚市飲食店有志の会と称して
各店から協賛金を拠出していただき、これを基礎に、
飾りの製作をしています。
おかげさまで掲出第1回目が準特選。
第2回目が特選、第3回目は準特選と言う結果を得ることができました。
そして、今年は特選を狙った製作を手掛け始めています。
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これは極めて特殊な例ですが、ある程度人が集まって、
ある程度の資金を用意できれば、そこそこの飾りはできる、
と言う例の一つです。
ただ、最終的に大きな問題が一つあります。
それは七夕を作る技術と言うものがあるのかどうか、という事です。
これが、このまちの中で、システム的に行われてきませんでした。
普通は、竹に下がっている飾りを見上げるだけで、
その奥の事情までは考えないと思うのですが、
あの空中に下げる技術、風や雨にも耐える素材と作り方、
ただのデザインではなく、下から見上げることを前提にしたデザイン、
軽くしかし丈夫に作る素材の使い方など、
かなりの経験がないといけないんですね。
つまり、単に美的センスだけの問題ではありません。
力学的な知識や、作り方まで考えると、まさに総合の技術知識が必要になります。
この技術知識の伝承はきちんと行われていません。
それにはかつて、各商店で繋げてきた流れがない現状では、
トータルな視点で、製作技術の育成をシステムとして構築すべきです。
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問題は日本が背負っている高齢化の問題をこの町でも同じように抱えているのです。
七夕の製作もこの流れの中にあります。
市民飾りを一昨年まで指導していた根岸さんも年齢を理由に第一線から身を引きました。
片野さんは七夕政策担当者の方が、高齢りリタイアーされたそうです。
かくいう、私もこの年80ですが、
今、作っている飾りをのレベルを落とすことなく
あと何年作れるのか正直自信がありません。
つまり高齢によってこういうある種の限定された技術知識というのは
失われていくのです。
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岩手の黒石で蘇民祭という伝統的な行事が行われてきました。
この寒いさなか裸になって川の水を浴びたり、
さまざまな一連の展開があるのですが、
この蘇民祭は千年続いたという極めて伝統的な行事なんですが、
今年で終わるそうです。
最大の理由は高齢化による担い手がいなくなってきたということです。
これに類する地域に残されてきたさまざまな行事は、
高齢化ということが主な理由で衰退しくして行くだろうと考えられます。
七夕祭りもそのうちの一つになるのではないかと憂いております。
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平塚と言う町が七夕祭りの将来について
選択べきことは二つ。
何とか、継承しようと本気になって対応するか、
あきらめて、いずれ終了するときが来る、と投げ出すか、
の二者択一です。