水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
いただきます・ごちそうさま

年月の流れというものは、そもそもそういうものなのか、
人間の業で作り変えてしまった地球環境のせいなのか、
人を養ってきてくれていた多くの食材に影響を与えています。
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そもそもが、地球の耕作可能面積から算出して、人類を養えるのは、80億人と、
かつては言われていました。
現在は77億人。
限界まであと3億人です。
この40年間で、人口は倍増しましたが、その増えた人の口を満足させるだけの食料が
増産されているかどうか疑問です。
逆に、そのような増産体制が、今はともかく、今後の地球環境のことを考えたら、
無理をしていて、地球上のあちらこちらに、同時多発的にそのひずみが発生しないとは限りません。
特に、東南アジア、南米、アフリカなどの発展途上の国に々は、
天然資源がない場合、農業立地しか選択肢はありません。
いかにも、農業立地というと、緑豊かな自然環境を思い浮かべますが、
多くは、金になる作物の栽培が主体で、農産品輸出高が多いからと言って、
自国民が十分に食べて行けるのか、というと、そうでない場合が多いのです。
いわゆる、先進国の食卓のために、自国の環境を犠牲にしていることもしばしばあります。
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要は、地球の生産力には限界があって、その限界に近付いている、という現状の認識が必要です。
そのうえで、地球環境がバランスを崩している、という問題も重なり、
今後の食料事情は、何とかなるから、いままでどおりに行くとは限らないに、

視点を変える必要があります。
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昔はごく普通に食べていたものが、いつの間にか希少になり、

はっと気が付いたら高級品になっていた、
なんてことがあります。
まして、世間受けしようかと、初ぜりとか、大物マグロなど、本来の価格を著しく逸脱し、
その品種のイメージを作り上げようとしていることもしばしばです。
マグロが、一本億単位だったり、メロンやズワイガニが100万円単位だったり、
まあ、お遊びのようなものでしょうが、
食べ物でふざけているという性の悪さは、

いつかしっぺ返しが来るんじゃないか、と思うんですね。
私は特に、大食いの番組が嫌いです。。

あんなもの何の足しにもならないことでしょ。

品性のない番組の代表みたいなものです。

話は戻りますが、

それでなくても、大衆魚だったと思っていたら、あの鯵が高級魚扱いされていたり、
平貝や、アワビ、伊勢エビなど、手の届かないところに行ってしまったでしょ。
その昔の話ですが、注文をすると、築地の河岸から、赤貝が玉のまま一斗缶に入って送られて来るのです。
それを、板場の人間が何人かで捌くのですが、結構な時間がかかりました。
それほど、大した金額ではなかったから安易に使っていたんだと思うんですね。
それが今や寿司屋さんでは、高級ネタでしょ。
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ま、獲れなくなったんだから、ということでしょうが、この類のことは山ほどあります。
私は、秋田の学生時代からの友人がいるのですが、仲が良かったこともあって、
しばしば秋田を訪れたことがあります。
そして最初にごちそうになったのが、ハタハタです。
しょっつる鍋(塩魚汁と書きます)にして食べるのですが、
何しろハタハタは猫がまたいで通るといわれるほど、うんざりするような漁獲高でした。
暮れになると、ハタハタがトロ箱、数百円という値段で売られていて、
正月用にハタハタ寿司を仕込むのが、秋田の食文化の一つでした。
それが、ある時を境にパタッと獲れなくなってしまったのです。
当然ですが乱獲が祟ったのと、環境の変化です。
海の中では、目に見えない変化が出てくるもので、
特に案外海藻類は温度に弱いんですね。
そこで、所によっては白化現象と言って、いわば海藻が枯れてしまうことがあります。
するとその海藻に卵を産もうと魚がやって来ても空振りになってしまいます。
これが数年続けば、数は激減するわけでしょ。
海藻類の白化は、主に、海水温の上昇とともに、

陸から流れ込む栄養豊富な水の減少によって現れます。
森は海の恋人、と言われていますが、森がないと、地表を雨水が流れ、
そのまま海に流れ込みますから、十分に栄養がいきわたらない。
北海道でかつて、ニシン漁で沸いていたころ、海に舟をこぎだすと、
集まって来ている魚の群れが密集しているため、竿を海中に刺しても倒れなかった、
と言われるほど魚が寄ってきていたのですが、
ある時から減少し始め、それが段階的に漁場が狭くなっていったんです。
実は北海道の開発が行われ、森林が伐採されていったんですが、

その後を追うように漁獲高が減っていったそうです。

なんとなく、そのデータだけでも海の中の様子が想像できますでしょ。
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秋田に話は戻りますが、ジュンサイの収穫量が激減しているのだそうです。
これは日照時間が不足し、水温が低くなり、十分な生育ができないことが原因と言われていますが、
ハタハタ同様、秋田名物が危機に瀕しているということなんですね。
ジュンサイは、私は大好物の一つで、料亭などでは、芽の若いものを好み、吸い物のネタなどにしますが、
私はむしろ大降りに育ったものが好みです。
あのつるっとした食感がなんとも言えず、酢の物にしたり、みそ汁の具にしたり、
それはそれはまさに季節の旬を楽しむ、という感じなんですね。

これまた、高級食材になってゆくんでしょうか。

最もすでに高級食材の一つでしたが、
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少しづつですが、食材の状況は変わりつつあり、
ふと気が付くと、とんでもないような距離に離れてしまっている、
というのがよくあることです。
代替えの食材がいくらでもありますが、
消えゆく食材は、きっと私たちに何かを訴えているんじゃないか、と。
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いただきますとか、ちそうさまを、習慣のように、機械のように言っていないだろうか。
食べれることへの感謝を、もう一度再確認したいですね。

| 水嶋かずあき | グルメ | 10:46 | comments(0) | - | - | - |
家康弁当
家康シリーズ第3弾です。
これは、SCNで7月に放映を予定している平塚と家康の縁、という
SCNクラブの作品の中で、家康の好物をまとめた「家康弁当」というものが紹介されます。
その弁当煮詰められる9品目の献立を調理するシーンがあるのですが、
このシーンにかぶせて流されるナレーションです。
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‖笋療靴廚
家康は75歳で亡くなります。当時としては長生きでした。
その家康の死因がいろいろ取りざたされましたが、一説で鯛の天ぷらの食べ過ぎ、という説があります。
しかし、どう考えても、食べすぎで命を落とすというのは考えられません。
これは、医学的知識が不十分だった時代の、ある種の噂ばなしに近いものだと思います。
ま、いずれにしてもそんな話が出るほど家康の好物だったようで、
家康の好物と言えば必ず登場するのがタイの天ぷらで、当時は天ぷらと言わず付け揚げと言っていました。
今回は、タイの天ぷらの味付けはどうするかなんですが、抹茶塩を添えることにしました。
鎌倉時代、臨済宗の僧、円爾(えんに)が修行を終え、
中国の宋から持ち帰ったお茶の実が初めて植えられたのが、今の静岡市です。
きっと家康も、地元の特産品であるお茶を楽しんだと思われます。
その茶葉の抹茶と塩を合わせたものが抹茶塩です。
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鴨とねぎの串焼き
鷹狩が大好きだった家康です。
子供のころ今川義元の人質となっていましたが、暮らしている屋敷の庭で、しばしば鷹を飛ばしては楽しんでいたようです。
ある時、鷹が、隣の家の今川の家臣、孕石家の庭に飛び込んでしまい、そこの主より、大目玉を食います。
のちに合戦の敵方で家康軍の捕えられた敵武将の一人にこの孕石がいたのですが、
子供のころしばしば怒られた恨みもあってか、即座に打ち首にしてしまったそうです。
鷹狩を好んだのは、ある種の健康管理で、適度な運動を伴うこともあって、
趣味と実益を兼ねたのが、鷹狩だったようです。
当時、鷹狩というのは、主に水鳥が獲物の対象でした。
中原の一帯は、湿地も多く、カモ類が多く飛来したと思われます。
その獲物を食べるとしたら、こんな風に料理したのではないか、というのが、鴨とねぎの串焼きです。
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0海凌櫃諒
中原に詰めていた成瀬という代官がいました。
ある時、家康が中原御殿に逗留し、その食事の時に、
地元で作られたお酢がたいそう美味なのできっと気に入ってもらえるだろうと、これを使った料理を出します。
家康はこの酢をたいそう褒め、江戸城に献上するように申し付けます。
そして、以来、大きな土甕に入れたお酢を江戸まで運ぶことになったのですが、
このお酢が通った道が中原街道で、そのため、当時、お酢街道と言われていました。
そしてこのお酢を家康に提供した成瀬の名をとって、成瀬酢と呼ばれていたそうです。
家康が食した酢の料理がなんであるか記録はありませんが、相模湾でいつも取れていた魚と言えば当時から鯵が代表的です。
そこで今回は、鯵を酢締めし、うちキュウリを添えた鯵の酢の物を一品に付け加えました。
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げ愡劼糧丁みそ炒め
一富士・二鷹・三茄子、と言ってめでたいもののたとえによく使われますが、これは実は家康の好きなものベスト3なのですね。
三保の松原のあたりに折戸という集落があり、ここで作られていたのが、丸い小茄子の折戸ナス。
家康は、ふるさとの名産ということもあって、この折戸ナスを殊の外好んでいたようで、
定期的に江戸城に献上させていました。
今でも、当時の原種に近いものを折戸ナスとして栽培しています。
この家康の好物の茄子の料理なのですが、茄子は特に何でも応用の利く重宝な食材です。
そこで、これも家康のおひざ元である岡崎の名産品、八丁味噌と併せた、茄子のみそ炒めとしました。
八丁味噌は、調味料として使われただけでなく、合戦の時の必携の食材で、
あちらこちらで戦をする何万という兵の活力を養い、栄養補給にはなくてはならないものでした。
家康の天下取りを支えた食材、と言っても過言ではありません。
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Δ箸蹐軆
駿河湾で獲れる甘鯛を興津鯛と呼んでいましたが、この干物を家康はよく食べていたそうです。
この時、必ずと言っていいほど、添えらせたものがとろろ汁です。
そのころのことですから、山際の林を分け入って、掘り出した自然薯を摺ってだしでからませたものだと思われますが、
記録によりますと、このだしは必ず甘鯛からとったものだったそうです。
特に家康は麦飯を常食としていたので、麦飯と、とろろという組み合わせは、理にかなった献立だったのですね。
広重による東海道53次鞠子宿(まりこじゅ)の浮世絵でもとろろ汁の看板を大書きした構図になっていますが、
この鞠子の宿というのは、今の藤枝あたり。
間違いなく、駿河の名物の一つであったようです。
今回は、弁当形式ですので、いくらか濃いめの仕立てとなっています。
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О鵑叛蜊の佃煮
本能寺の変が起きた当時、家康は堺見物を楽しんでいました。
そこへ明智光秀の謀反により信長が切腹したという報せが届きます。
同盟関係にあった家康は動転し、追い腹を切るとまで言った様ですが、
服部半蔵らにいさめられて、まずは岡崎城まで戻ることにしたのです。
ところが淀川を渡るのに、その手段がない。
困っている家康らに舟を出したのが、堺の佃村の漁師たちでした。
彼らは、川を渡るのを手助けしただけでなく、帰り道の足しになるように、と小魚の煮物を手渡します。
川を渡った家康の一行は、伊賀の山中を超えて無事城に戻りますが、
この時の恩を家康は忘れず、のちに江戸に幕府を開いたときに、この時の漁師たちを江戸に移住させ、江戸湾の漁業権を与えます。
彼らは江戸の新天地を佃島と名付け、漁業のかたわら、伝統の小魚の料理を売り、これが佃煮として名物になってゆきます。
今回は、駿河湾でもよく取れたイワシと、浜名湖の名産だった浅蜊の佃煮にいたしました。
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漬物 奈良漬/覚弥和え
奈良漬けは、江戸に集う各藩のものに、おいしい食べ物だからと作ることを推奨し、
その結果、北は秋田から茨城、兵庫、奈良など、全国で作られるようになりました。まさに家康一押しの漬物です。
もう一点、覺彌和えです。
これは、家康が晩年、歯が悪くなったので、刻んだものを好むようになり、ある時出されたのが、たくあんを刻んで薬味などと和えたもの。
これを食べると家康は、「今日の料理当番は誰だ」と尋ねます。控えていたものが、
「岩下覺彌(かくや)でございます」と答えます。すると、家康は、この漬物の調理法を誉め、
「以後は覺彌に刻ませい」と命じたそうです。
以来、たくあんを刻んで和えたものをかくやあえ、というようになりました。
この表現は、今でも、所によって、おかくあえといわれ、その調理法が伝承されています。
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┯淕楮ぜ寿司
混ぜ寿司、今でいう五目寿司のことです。
そもそもは、家康が三河時代によく食べていたものを駿河に伝えたものである、とされています。
おそらくどこででもとれたであろう根菜類を炊き、これを酢飯に混ぜたのだと思われます。
五目の中身としては、牛蒡、人参、大豆、ひじき、ハスなどで五目の具を作りました。
先ほど出てきた成瀬酢が、ここでは活用したかったので、あえて酢のご飯にしました。
このまぜ寿司は、今でも静岡ではご当地グルメ的に食べられています。
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麦飯
家康は、そもそも健康オタクと言われていますが、それは食生活を見ると、
決して贅沢することなく、体にいいものをとっていることがよくわかります。
その基本となるのが、この麦飯。
夏場は食料が少なくなることもあって家康の食事は麦飯だったようです。
ある時、それを気にかけた家臣が、膳に白米を出しました。
すると、家康は、「主から進んで倹約すれば、いくらかでも戦費に回せるし、百姓を労わることにもなろう」と言ったそうです。
庶民の生活を思う心は後に天下統一を成し遂げた統率力を生んだと言われています。
家康自身が実践する質素ながらも体に良い食生活を家来達にも推奨していたということもあり、
経済と健康の二つをかなえようということのようでした。
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とまあ、家康弁当の内容の紹介なんですが、
ではこれをいつどのように食べられるか、なんですが、
平塚の観光協会が「家康の史跡めぐり」を企画した時に出されると思います。
暫く、お待ちください。
| 水嶋かずあき | グルメ | 06:10 | comments(0) | - | - | - |
実は、神はとっくに見捨てていた
終戦直後のことです。
私たち日本の子供たちはいつも飢えていました。
列車に乗って移動する米兵たちの情報が入ると、
なんとなく駅周辺に集まり、
休憩でのんびりしている米兵に群がって、ギブミーチョコレートとまとわりついたものです。
日本の敵国だったなんて意識は子供は持ちません。
なんとなく颯爽としていたアメリカ人に、漠然とながら憧れたものです。
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そして、成長し、少しは世の中のことが分かるようになると、
入ってくる様々な情報で、アメリカという国の生活を想像したものです。
その頂点がニューヨークでした。
文明の花が見事に咲き誇ったようなその生活に、憧れと敬意を持ったものです。
いつか行ってみたいし、できればそこで暮らしてみたい。
そこでの文化に触れてみたいと素朴に思ったものです。
まあ、大体私たちの世代は、多かれ少なかれ、先進国家としてのアメリカについて、
好ましい評価をしていたものです。
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私たちの世代の特徴なのか、どうかわかりません。
そこに描いてきた過剰な期待が、独自のものだったのかも分かりません。
いずれにしても、アメリカという先進国と、その偉大なる国力に、わたしたち(私たちの世代?)は
幻想以上のものを抱いていたのだと思います。
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前にも触れましたが、アメリカでの食中毒の年間の死者数が5000人ということですが、
正直な感想は、あのアメリカが?ということです。
日本よりもずっと文明的な国であるはずのアメリカが、
食中毒死という、極めて非文明的な疾患で、そんな数の人が死んでいるのか、
と、ただただ驚いたのです。
私は実はこの数値はショックでした。
ですから、きっとなにかの間違いだろうと、ネット上の様々なデータを検索して調べたのですが、
どれも判で押したように5000人と記録されているのです。
このことで私はあこがれのアメリカの姿にちらりと影が差し始めたのです。
さらに、イメージダウンしたものが、銃の問題です。
何度も何度も銃による犯罪が発生し、
平素の市民生活も、銃が基準になるような生活形態もあり、
とかく、銃社会の弊害が表れてきました。
もう当たり前のようにですね。
日常茶飯事とでも言ったらいいでしょうか。
そんな悲劇が繰り返されながらも、銃の規制ができない。
極めて非文明的な国家だったんですね。
その根拠が、アメリカ合衆国修正憲法第2条です。
これは、国家が銃の所有を公式に認めたもの、と解釈されています。
しかし、一説によると、こういった背景があったんだそうです。
当時、ヨーロッパ列強のアメリカに対するちょっかいが出されていて、
それに対抗する財政的な基盤が脆弱な合衆国では、十分な戦力を維持できなかったんだそうです。
そこでなんかあった時は、民兵であろうと、軍隊を組織しなくてはいけない。
しかし、その時に十分な銃器が準備できなかったとしたら、戦力にならない。
そこで、平素から銃を持たせておけば、それなりの備えになるだろう、という考えだったそうです。
で、憲法上銃の所有を認めたわけですね。
それが今となっては禍となってしまったのです。
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銃で命を落とす人は、年間13000人だそうです。
一日36人。
で、このうち、警察官が銃で相手を殺してしまう数が、2015年の統計ですが、986人。
まあ、きっと相手が抵抗したり、時に激しい撃ち合いになったりしてのことだと思うのですが、
それでも命を狙って、つまり殺そうとしての行為のわけですから
犯罪者に人権がないという観念なんですね。
生きてとらえて、そのうえでしっかりと罪を裁く、なんてことをしない。
日本では、対照的に、京アニの放火殺人犯を、全力で救命しましたよね。
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西部開拓史でしばしば出てくるのが、リンチです。
縛り首というやつですね。
その昔、トム・ドゥリーという歌がはやりました。
キングストーントリオでヒットした歌です。
ひどい歌詞です。
その主人公が縛り首にあう情景の歌です。
でもこういう下地が、建国以来のアメリカの中にあるわけですね。
改めて考えると、このどこが文明的な国なんでしょうか。
平気で命を奪う。
銃を持ち歩いて、感情的にぶっ放す。
世の平穏を保つべき警察官が、人命を軽んずる。
やはりアメリカという国はおかしい。
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今回のコロナでも、あの文明国のアメリカの状況というのはひどいものだったでしょ。
感染者数にしろ、死者数にしろ、文明大国アメリカのメンツはまるでなかったじゃないですか。
あんなにたくさんのノーベル賞受賞者を出している知性の国アメリカも、
コロナに関しては手も足も出なかったでしょ。
ノーベル賞も実践社会にはさほど役に立たないのかものしれませんね。
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そこにきて今回の黒人の死亡事件による抗議デモ。
そこでの略奪騒動。
正直日本では考えられないでしょ。
きっとアメリカ人というより、人間そのものが持っているある種のサガなんでしょうね。
つまり、人間が持っているどうしようもないくずな性根としての優越感なんでしょうね。
お前らには負けない、という優越感。
さあ、どうだという見栄。
人間性をさておいての資質の競い合いです。
こればっかりは何千年の時間をかけても、
神様は変えることができなかった、ということです。
いや、真相は、神に見捨てられたのかも。
| 水嶋かずあき | グルメ | 18:45 | comments(0) | - | - | - |
やってくる食中毒シーズン

たまには、コロナ以外の話題を、と考えていて、
ここはグルメ系の内容にしようと。
要は食関係ですね。
で思いついたテーマが、食中毒。
いや、実は食中毒って、6月がシーズン最盛期になるのです。
なんとなく、まださほど暑くもないし、警戒心が薄いせいもあるのでしょうが、
これがなんと、しっかりと奴らは活躍の機会をうかがっているのです。
で、テーマは食中毒、と、決めたのですが、
あれこれ考えていると、結局は、コロナに戻ってくるのですね。
まあ、仕方ないか、と。
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このコロナ騒動で、多くの飲食店が苦境に追いやられています。
なかにはただ頭を低くして、騒ぎが通り過ぎるのを待つ、

という消極的な対応をするお店もあれば、
店先にお弁当を並べて、少しは売り上げの足しにしようとするお店もあります。
いわゆるテイクアウトですね。
これは、足止めを食らっている人たちには、そこそこありがたられたようで、
中には、日に50個、100個と売っているお店もあるんですね。
でも、大体は、チェーン系のお店で、規模の大きさから、休業というのは、
ダメージが大きすぎるので、営業を続けているお店が多いんですね。
世間の騒ぎはどこ吹く風で、自分の利益は確保しようというしっかり者のお店です。
地元の人間がやってるお店は、規模も小さく、じゃあ休んじまうか、と言ったところが多い。
まあ、わが店がそうです。
ま、ともかく、テイクアウトのお店がそこそこあるのですが、
中にはどうしてこのお店が、というところもあります。
平素は、高級和食店を看板にしている所なんですが、
突然お総菜を販売し始める。
いつもは何かと、お休みが多く、あまり覇気を感じられないのに、
なぜこういう状態の中でパック詰めの総菜なんだ、と、ただただ疑問。
ま、それ以外でも、ひたすら酒中心のおみせが、急に、ランチ的弁当を並べ始めたり、と
実にその対応が様々でした。
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私は弁当屋を一時やってましたから、弁当のことはよく知っているつもりです。
何しろ、500円ぐらいの単価で、メインディッシュに副菜が数点、それに香の物の類にご飯。
これで500円とすると、容器代が安くて30円、コメが40円、メインが70円、
副菜が30円、20円10円の三つ、もうこれで200円。
原価率40%です。
10個作って一個売れ残ると利益ゼロです。
まあ、実際にやったお店に聞いたのですが、要は目の前に現金が見えるけど、
経営的にはトントンにもならない、と。
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で問題は経営的な問題でなないのです。
公衆衛生的問題です。
一つは、例に挙げました酒中心のお店が弁当を売っていたのですが、
このお店、私も何回か行きましたが、これといった厨房施設を持っていない。
まあカウンターバーみたいなものです。
小さなシンクと小さなガス台、ちいさな冷蔵庫を備えた程度。
まあ、バーならやれなかないでしょ。
でも、通常の飲食物を作る機能は備えていない。
したがって、一般的な飲食物提供の資格がないんですね。
そういう許認可を得ていない。
こういうところが弁当を作っているんです。
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通常、仕出しとか、弁当類などを作るには、それ相応の許可が必要です。
まあ普通の飲食店が営業許可を持っているとすると、申請すれば、ほぼ、認可されるんですね。
でも申請しなくてはいけない。
申請すると、保健所が審査に現場に来ます。
で、調理器材が適応し申請、作業面積が確保されていれば、許可がおります。
そうなったら、仕出しも、弁当も作ることができるのです。
でも、このコロナで臨時に販売されている弁当などは、大半がこの資格がないはずです。
つまり違反状態で弁当を売っているんですね。
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この状態に保健所は、こういうご時世だから、と大目に見てきました。
まあ、実際担当者がそういっているんです。
コロナに手が取られているというのも背景にあったのだとは思います。
ところが、弱り目に祟り目というか、平塚の管内で、食中毒が発生してしまったんですね。
さあ、これはまずいと。
なんていったって、この後は食中毒シーズンのど真ん中に突入です。
そこで、方向転換し、やはり、ちゃんと許可を取ってください、ということになりました。
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ということは、弁当製造の許可の申請をします。
そして、現場審査に来ます。
その後、許可が下ります。
どう見ても、この手続きに1週間や10日はかかるでしょ。
いや、旧来の手続きの保健所の動きから考えると一か月はかかる。
きっとその頃は、コロナも収まりつつあって、一般飲食営業もできるようになって、
今さら手間暇かけての弁当を売るお店は激減するはずです。
いやいや、まさに後手の典型です。
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実は、この話、もっと恐ろしい話があるのです。
通常飲食店は、食中毒保険に入っています。
例えば、平塚市料理飲食業組合連合会傘下の組合員は100%加入しています。
ですから、万一にでも食中毒を出してしまうと、保険会社からの十分な補償があるので、
被害があったお客様への対応は手厚いものがあります。
しかし、保険に入っていないと、お店が自腹を切ることになるので、
どうしてもちびった補償になりがちなんですね。
で、恐ろしいのは、そもそもが許可を得ていない状態での弁当販売は、保険適応外になるんですね。
通常店舗での食中毒は保険が下りる。
でも、弁当は守備範囲から外れているので、適応にならない。
お店も怖いですし、お客様も怖いでしょ。
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ま、見た目には気楽に弁当と言ってますが、それなりの縛りがあるということです。
実は、店頭で弁当販売をしているお店自身が、そういう許認可の区分がある、

ということを知らないことが多いのです。
まあこれによって、食中毒に対する認識が向上すれば、
それはそれなりのコロナの功罪になりますね。

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ちなみにコロナの勢いに押されているのか、

今年の食中毒発生件数は例年になく少なくなっています。

記録的、と言っていいほどです。

| 水嶋かずあき | グルメ | 09:40 | comments(0) | - | - | - |
闇で野味
人類史の中で特筆すべきことは、農耕牧畜の発見です。
特筆ということの意味は、より多くの個体を養えるようになったということです。
きっと、画期的と言っていいと思うのですね。
それまでの狩猟・採集の時代では、まさに自然の恵みですから、食料の確保が安定していない。
ちょっとした自然の要因に変化で、飢餓が襲ってくるわけです。
それと、生産性が低い。
一日、野山を駆けずり回って、獲物一匹ということだってあったはずです。
それが、今まで以上の量を収穫できて、しかも無駄に動き回ることもなく、
手元で食料を管理できるわけです。
さらに、貯蔵しているわけすから、飢餓の恐れは少なくなったんですね。
当然ですが、ここで人口は増え始めます。
現在に至るプロセスでは、この1万年前の、農耕牧畜の発見は、いかに重要なプロセスだったか、
ということは歴然としています。
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ちなみに、よく希少な生物種が絶滅に向かっている、という話を聞かれると思うのですが、
これには大きく二つの原因があります。
一つは、人間に食べられてしまうからです。
もう一つは、その種が主な食料としていたものが、少なくなってしまうからです。
つまり、食料が少なくなるということが、種の絶滅に近づいてしまう大きな要因なんですね。
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さて、人類が最初に手掛けた牧畜は、ヤギと羊でした。
やがてしばらくして、牛と豚がこれに加わります。
馬が家畜として飼われるようになったのは、当初は、食用としてでした。
乗るようになったのはずっと後のことです。
まあ、様々な動物が私たちの身の回りに存在しますが、
牛や豚、ヒツジなど、食用として、完全に飼いならしてしまっています。
1万年ですから、それなりに改良されてきました。
おそらく最も進化した改良は、最も少ないエサで、最も多くいの肉を確保するための改良ではないでしょうか。
とはいえ、カロリー換算で、牛の場合、穀物の総カロリー10に対して得られる肉の総カロリーは1だそうです。
さらには、肉の臭みが少なくなってきましたね。
いや、1万年前の牛や豚を食べたわけではありませんが、もっと獣臭がしたはずです。
それと、柔らかさとか、ジューシーさなど、ちょっと贅沢な要求ですが、
これも向上しているはずです。
私は、以前銃猟をしてしていた時、いわゆる山の漁師の家で食事をしたことが度々ありましたが、
そこでは、イノシシやクマなど獲物が時に出されることがあるんです。
まあ大体、臭みと肉の硬さに、おいしいと思ったことがありません。
食べながら、これなら、豚や牛のほうがましじゃないか、と。
わざわざ野を超え山を越え追い回して捕まえるほどのことはない、と思ってきました。
話は変わりますが、時々、クジラの肉をもらうことがあるのです。
持ってきてくれる方は、貴重品のごとき言葉を添えるのですが、
正直、あまりうまいと思ったことはありません。
小学校のころに、給食でクジラの竜田揚げというのが出てきて、これは感激しましたが、
まあ、めったに肉を食べれない時代だったからではないか、と思っています。
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考えてみれば、牛や豚には申し訳ないのですが、おかげさまで、私たち人類は、大いに満足させていただいています。
おいしく成ってくれてありがとう、というところですね。
ということで、改めて、中国の野味へのこだわりは何なんだろうと思うんですね。
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このコロナ騒動の始まりの時、多くの人が感染した武漢市の水産市場が、封鎖されましたが、
そのころ、まことしとやかに感染の原因は蝙蝠とか、センザンコウではないかと言われていました。
テレビカメラが市場に入って野生動物の売買の実態を映し出していましたが、
改めて、えっ!こんな動物まで食べちゃうの、という感じだったでしょ。
まあ市場ですから当然ですが、それぞれの動物の姿と、その下に価格が書いてあって、
あたかもレストランのメニューみたいでしたよね。
正直、ハクビシンも、コブラも食べたことがなかったので、うまいまずいの評価はできないのですが、
ぐずぐず言わずに、牛と豚で満足しろや、と言いたくなるでしょ。
何も得体のしれない感染症の恐怖を抱えてまで食べるものじゃなかろう、と。
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まあ世論というか、海外からの意見なども相まって、
ここにきて、野味はやめようというキャンペーンが始まりました。
野味というのは、野生動物を食べるということです。
キャンペーンの最大の要因は、コロナの感染源ではなかったのか、という疑惑が晴れていないことです。
そもそも地球上の動物は、発生した時から、おそらく多くの細菌、ウィルスの取り囲まれて生き抜いてきました。
それぞれの動物種は独自の、対ウィルスとの闘いの歴史を持っているはずです。
まあ、その意味ではどんな動物も、ウイルス戦争という共通の経験のもとに、戦友なんですね。
ですから、戦いに勝って今日があるわけで、それぞれ征服したウイルスはそれぞれの動物によって違います。
キクガシラ蝙蝠にとっては、すでに抗体が出来上がったウィルスでも、人間ではまだ、ということでしょ。
ところがウィルスだって変異しますでしょ。
この変異したものへの抗体がなければ、また新たなウィルス戦争が始まるわけです。
ですから、野生動物との接点をきちんと整理しておかなくてはいけないんですね。
いわばソシアルディスタンスです。
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で、中国では、この経験から野味を規制しようと。
中国ではもともと、栄養価が高いとされ漢方の材料などにも使われてきたいきさつがあるのですが、
中国の国会に相当する全人代は、野味を「悪習」と断罪して、野生動物の食用利用を禁止することにしたんですね。
これにより、センザンコウはもとより、孔雀やヤマアラシ、ハクビシン、
それにコブラなどは交易できなくなると言うんです。
いやいや、何をいまさらでしょ。
あわせて、犬についても「文明の進歩によって、人類のパートナーとなった」と明記し、
家畜扱い、つまり食用とするということを禁じたそうです。
いやいやいや、まさに何をいまさらでしょ。
そこで、ネットを含め野味拒絶の声が広がったのですが、
ただ、中国はやたら広く、やたら人がいます。
まあ、なんだかんだと、なにが悪いんだ、とばかり、闇で野味を楽しもうとする輩はいいるんでしょうね。
.
まさに、やるな、と言われても、パチンコ屋に集まってくる輩がいるのと同じです。
| 水嶋かずあき | グルメ | 09:55 | comments(0) | - | - | - |
うそをつかない人
以前、学生のアルバイトとしてわが店で働いていた一人の若者がいたのです。
彼は容貌もすがすがしく、さばさばした性格だったので、
職場ではだれからも好かれていました。
で、半年ほどたったころから、妙に暗くなって、仕事にも影響が出るようになったのです。
ま、いわば生活が崩れてきたんですね。
私は事務所に彼を呼び、事情を聴くことにしました。
まあ、世間話から始まって、徐々に彼の抱えている問題に触れてゆこうという作戦です。
言葉のやり取りから、状況を把握し、掘り下げ方を考えます。
この類のことは、何度も経験していますから、
そう間違えた方向にはゆかない、と自信を持っていました。
で、ぽつぽつと話を聞きだしたところ、問題の根底に家族の存在があったんです。
一言でいうと、父親が訳の分からない借金をしょい込んでいて、
それで家の中が荒れてしまった、というんですね。
自分も、今行っている学校をやめなければならないかもしれない、と。
まあ、まだ十代の子にとっては厳しい環境ですよね。
そこで、資金的なことも含め、彼が立ち直れる方法を色々と考えたんですね。
いくつか提案をし、それを彼も納得し、じゃあ頑張って、明日からやってゆこう、という結論になったんです。
わたしは、何とか立ち直らせることができる、と確信を持っていました。
でも、まあそうそう簡単にことが片付くとは思っていませんでしたが。
.
数日すると彼は辞めると言い出したんですね。
私は残念に思いましたが、ま、仕方ないか、と。
.
で、暫くして、風の噂のように彼のその後のことが伝わってきたのですが、
その時彼が私に言ったことは、全てうそだったんです。
ショックでしたね。
正直に言ってくれれば、何とでもなった、と思いました。
でも、うそをつかれたら、なんともできないでしょ。
打つ手打つ手がすべて狂う。
まあ、それ以前に、うそを見抜けなかったということもあるのですが、
それにしても、人の言葉を頭から信じてしまう人ってごく普通に存在するでしょ。
いまだにオレオレ詐欺なんかがはびこっているのは、そういう人間が持つ性善的な性があるからです。
世の中は、ある意味性善的な前提で動いているでしょ。
ま、人を見たら泥棒と思え、みたいな神経はなかなかなれませんよね。
.
ですが、不思議なことに、平気でうそを付ける人っているんですね。
まあ、うそつきと言っても様々ですが、
大ぼらとでも言えるような他愛ないことも、
ついつい受け狙いで話を盛る、なんてことも、
ま、うそと言えばうそですが、かわいいもんです。
時に、愛のあるうそもあります。
お医者様に、体調不良で診察してもらい、様々な検査の結果、
ガンの宣告を受ける。
お医者様は、患者に余命を診立てて伝えます。
まあ進行具合にもよりますが、早ければあと1年。
状態によっては2年ぐらいの余命とお考え下さい、と。
で、こういう場合、医師としては確定的な数字は出せないと思うんですが、
それでも、腹の中では、2年は大丈夫、と思っているはずです。
でも、なんかの拍子に増悪が早く進み、1年ということもありうる。
つまり、1年という数字は、ある種の保険なんですね。
看立て違いがあった、ということは避けたいと。
これは、その意味では愛あるうそでしょ。
これは非難できない。
.
まあ、さほど良心をとがめることもないうそというのがあると思うんですね。
それは、大儀があって、これを守るためのの多少のうそです。
で、不思議なことなんですが、
国家とか、国民とか、ある意味抽象的な対象の大義のために、時にうそをつく。
辻褄合わせのためにうそをつく。
まあ、隠蔽とか虚偽の報告とか、いうことがあるじゃないですか。
きっと、私たちには伝わらに、国会でのやり取りなんかでは、
このささやかなうそが連発されていると思ううんですね。
でも、なんだかんだと、国家のためとか、国民のためとか、多少いびつながらもそこに大義があるなら、
まあまあ許されるうそというのもあるとは思うんですが、
保身のため、権力維持のため、時に金銭のため、となると、これは許されないうそでしょ。
.
ここにきて、次期総理大臣候補の話が、出てきています。
ま、これはいつも出てくる話題ですが、特に、コロナ終息後をにらんでの政局の焦点の一つなんでしょうね。
近頃のこの類の話は、いわゆる国民がだれを望んでいるか、といったデータを出すのですが、
残念ながら、国民は総理大臣を選べませんので、しょせん人気度調査にすぎません。
しかも、アンケートなどでは、その媒体とか、対象などが変わるので、
さほど有効なデータとはなりえない。
でもまあ、あれこれ報告されているところでは、
全般としては、石破さんが人気がある。
ネット民に絞り込むとわれらが河野太郎が第一位。
ま、それはともかく、コロナが一段落すれば、この度の政権の不手際は非難されるでしょうし、
経済の立て直し、という重要課題もあるでしょうし、
とくに対中国への世界的非難に、忖度して後ろ向きになるのは、世界的に孤立を招きかねないし、
さらには、アメリカ大統領選でのトランプの再選は、微妙な状況になってきているし、
まあ、政権交代は重要な選択の一つですよね。
.
で、国民の一人としての希望なんですが、
今度は、嘘をつかない政治家に登場してもらいたいと、
ひたすら願っています。
| 水嶋かずあき | グルメ | 09:45 | comments(0) | - | - | - |
公衆衛生観念の高さが基礎にある

コロナウィルスの感染拡大で、それぞれのお国柄が表れています。
それはどの位の数の感染者、及び死亡者が出ているか、ということと、
その対応策の選択、ま、一言でいえば厳しさ、みたいなものにも表れていますし、
人口比でみると、妙に多いところと少ないところの差が歴然としています。
とりあえず、欧米諸外国から見れば、日本の人口比的な数値では、
かなり低い数値に抑え込んでいます。
感染率の高い低いについては、要因の一つにBCGの接種を行っている国とかが、低いと言うのもあったり、
挨拶の時に、離れてお辞儀をするとか、逆に感染率の高いところはハグすることが習慣になっている、とか、
実に諸説入り乱れています。
.
そのうちの一つに、平素の公衆衛生観念のレベルが反映している、と思うんですね。
日本のレベルが高い、ということの表れでもあると思うんですが、
よく、手洗いをするでしょ。
学校から帰ってきた子供に、ちゃんと手を洗ったか、と母親が確認するのは、
ごく普通の風景でしょ。
レストランで食事が出るときは、おしぼりが出てくるでしょ。
ちょっとしたお弁当には、箸の袋に小さな消毒用の紙ナフキンが入っています。
冬になれば、インフルエンザ予防のために多くの人がマスクをかけます。
布団の殺菌をしたり、洗濯物の洗剤に殺菌力のあるものを使ったり、

特に、世界三大発明と言ってもいいくらいのウォシュレットなど、ごく普通の意普及しているでしょ。
それはそれは、なかなかの衛生観念がしっかりした民族だと思うんです。
.
その何よりの表れとして、食中毒の少なさです。
わたしたちは、身の回りの出来事として、
時に、どこぞの学校で集団食中毒が発生した、
などという新聞記事を読んだことがあると思いますが、
家庭での発生はともかく、
飲食店、ホテル、旅館、給食施設などでの食中毒発生は、保健所に通達され、
原則新聞記事になります。
これはシステムとしてそうなっているのです。
手を回して、記事を差し止めるなんてことは誰もできません。
つまり、ある意味社会的な監視体制が出来上がっている、と考えていいのです。
ですから、日本での食中毒による死者数というのは、驚くほど少ないんですね。
ちなみにアメリカですが、あの文明大国ですら、年間の食中毒死亡者数は、5000人です。
わたしは、これが信じられなくて、あれこれとデータを探しましたが、
どれもこれも5000という数字が記載されています。
で、イギリスで、687人、フランスで400人、オーストラリアで120人。
さてわが日本ですが、ここ数年間は、3〜4名。
ともかく、極端に低いんですね。
2009年、2010年は連続で、食中毒死者数ゼロを記録しています。
.
これは一つの指標に過ぎないとは思うのですが、

これは、一般的な公衆衛生としてのレベルを表しているのではないか、と。
つまり、食中毒などで分かるように、一般的公衆衛生観念は、

その他の環境、生活様式などの公衆衛生レベルに大きく影響するはずで、

このことが、コロナへの対応の基礎的な力となっていないか、と思うんです。
要は、日ごろのありようが、こういう時に現れるんじゃないか、ということです。
.
ちなみに、日本のというか、神奈川のというか、平塚の保健所は、とても厳しい規制を押し付けてきます。
例えば、イベントなどでは、テントを張って、食べ物を提供するって、ごく普通のことでしょ。
でも、これには保健所の許可が必要です。
特に現場で調理するには、多くの規制があります。
そのための書類申請をするのですが、この時、事前の仕込み、現場への運搬、現場での調理作業等、
かなりこまごまと事前文書に書き込むことになっています。
しかも、申請すると一つ一つ確認するんですね。
ある時、若い男性の担当者が窓口にいて、私が提出した書類をチェックしていたんですね。
で、その中に、中華そばを販売するというテントがあったんです。
その書類を見ながら、その担当者が、最後のところを指さし、
ここに刻んだねぎを入れる、とありますが、これはどのようなものですか、と聞くのです。
私は腹の中で、こいつラーメン食べたことないのか、と思いましたが、質問されたので、
まな板の上で包丁を使って、1ミリ程度に長ネギを小口切りして、

それを出来上がったラーメンの上に乗せるのです、と。
普通、この説明の通りでしょ。
ところが、この担当者、それはまずいですね、と渋い顔。
どこが?と私。
このネギですが、現場に来る前にゆでておいてください、だと。
私思わず、あなた今までラーメン食べたことあると思いますが、

ゆでたネギを薬味として載せた経験がありますか?
と聞いたんです。
彼は平然として、それには答えず、ネギはゆでておかなくてはいけない、と言うんですね。
私は、まあこれは仕方ない、許可をいただき立場だから、
分かりました、今度はネギを入れません、そこの項目から削除してください、と問題を収めたのです。
正直、大した問題ではありません。
たかだか刻んだねぎの話です。
しかし、ことほど左様に保健所というのは、融通の利かないところがあるんですね。
.
で、その厳しい管理をしたがる保健所なんですが、
ここにきて、テレビなどでしばしば紹介される飲食店のコロナ対策として、
いわゆる出前、英語でデリバリー、持ち帰り、英語でテイクアウトで、糊口をしのいでいる、
と言ったところが放送されているでしょ。
で、実は飲食店の厨房施設はそれなりのこまかい許可区分があって、
普通の来店客に調理をすることは許可されているのですが、
品物を表に出すということになると、別の許可が必要なんですね。
仕出し、弁当の製造許可です。
で、大体この資格を持っていないんですね。
ですから、まあ、今のところ目をつぶってくれていると思いますが、
厳密にいえば、違反行為になってしまうんです。
.
こんなこともあるわけですので、平素からその許可を取っておけばいいんですね。
うちはその許可を取っています。
とはいえ、4月1日から営業をしていませんし、
緊急事態宣言が解除されるまで再開はしないつもりです。
そののちに再開しますが、しばらくお待ちください。

| 水嶋かずあき | グルメ | 11:09 | comments(0) | - | - | - |
茄子の記念日

そういえば、我が4女5女が生まれて、2年ほどした時、
母が、この双子の将来のためにと、ブリタニカの百科事典を買ってくれました。
専用の書棚がついてきて、いくらぐらいしたんでしょうね、相当の価格だったと思います。
その母もなくなり、4女5女は30の半ばになり、4女が子供3人、5女が子供2人と言うことで、
まあ、それなりに母親になったわけです。
で、この月日の流れの中で、母の買ってくれたブリタニカは、ただの一度も読まれることなく、
何年か前に古紙商に引き取られてゆきました。
まさに、どぶに捨てる、と言った感じです。
時代の流れですね。


で、代わりに、ネットでの情報を拾えば、より速やかに、多様な意見を調べることができます。
ブリタニカなんか目じゃない。

当然、私もネットでの検索をかなりします。


最近集中的にしたのが、家康の好物というテーマです。


徳川家康は何を好んで食べたのか、ということです。
もはや江戸の頃の話ですから、その伝聞も、原典もぐちゃぐちゃになっていて、
誰かが言ったことがそのままコピーされていたりして、情報の信頼度と言うのは、低いのですが、
まあそれでも、あれこれ数多くチェックすると、ぼんやりと真実に近づけるような気がしますね。

 

で分かったこと。
家康はどうも疑い深く、いささか臆病な気質を持っていたようです。
例の、明智光秀が信長を本能寺で討ち取った時、当然ですが、この情報が家康にもたらされます。
家康は、その頃、大阪の西方面にいて、事態が不穏になったと、岡崎の居城に戻ろうとするんです。
信長とは親交厚かったので、光秀側から見れば敵に当たります。
そこで、残党狩りのごとく、追い打ちを掛けられてはたまらない、とばかり、退却するんですね。
ところが淀川河口で、対岸に渡る手段がない。
色々手配して、やっと西成の川洲の集落に佃村という猟師村があって、
ここと交渉をし、船を出してもらって、無事に川を渡るんです。
そして、這う這うの体で岡崎城にたどり着くんですね。
この時、正に命からがらだった思いが強く、

無事であったことはこの佃の連中のおかげだ、という気持ちが強く残ったのです。
後に、秀吉の時代になり、さらに、大坂夏の陣で、豊臣の衰退が決定し、
家康は天下人となります。
江戸に居を移し、そこで日本の執政を取ることになりますが、
この時、以前助けてもらった佃の村人を、江戸に招き、開拓した地域を授け、
なおかつ、漁業権を認可し、彼らが江戸湾で生計ができるように取り計らったんだそうです。
この江戸に移ってきた漁師たちの集落を、以前大阪での
村をとって佃島と名乗るようになったんですね。
いろいろ調べた中で、家康が大阪湾を突っ切って、

岡崎に向かう途上、腹が減った時に足しにしてください、と
その頃、雑魚を煮た、いわば佃煮があって、これを家康に献上したとかの話が出てきました。
家康はこの魚の煮ものを殊の外気に入って、助けてもらった恩とともに、終生思い出深い食べ物として、
しばしば食したそうです。
後に、江戸でもこの佃煮が評判になり、参勤交代の武士たちが、江戸を引き払い国元の戻るときには、
江戸みやげとして持ち帰ったとか。
そんなこんなで、佃煮は全国的に広まってゆくわけです。

 

そもそもなぜ家康の好物なんてテーマで検索したのか、と言うと、
観光協会から、「家康弁当」なるものを企画してほしいという依頼があったんです。
中原御殿は、家康の鷹狩りの拠点の一つとして建てられたもので、
しばしば、中原や、豊田あたりには、やってきて鷹狩を楽しんでいたようです。
ですから、これらの家康関連のことを、街歩き的に訪ねて、その途上で、弁当を食べる、
どうせなら家康にちなんだもので献立できないか、と言う打診があったんですね。

いろいろ調べてみて、結構いろいろな素材があることを知りました。

 

そもそも、家康は今でいう健康おたくで、鷹狩も、趣味的なことと併せて、野山を歩き回り、
足腰の衰えを防ぐ、という意味があったようです。
まあ年配者のゴルフと言った位置づけでしょうか。
ですから、食べ物も随分と気を使い、体にいいものを食す、と言う意向が強く、
生涯、麦飯だったそうです。
ある時、家来が、たまには白飯をどうか、と用意し薦めたところ、
主が贅沢をし、領民の大事な米を貪り食うわけにはいかん、
と領民への思いやりを言葉にしたそうですが、自身の健康の為という意味合いもあり、
さらには、戦費をしっかりためるための質素倹約の一環でもあったようです。

 

殊の外の好物が、茄子です。
これは、三保ノ松原で有名なところの一角に、折戸と言う集落があり、
ここで取れる小型の丸茄子がお気に入りだったようで、あれこれとアレンジした料理をよく食べたようです。
一富士二鷹三茄、とめでたいものの代表のように言われますが、
これはすべて家康の好物で、駿府育ちの家康には、いつも富士の雄姿を眺めてきて、
いわば家康のランドマークのようなもの。
何より日本一高い、と言うことも、天下人を目指していたんですから、
象徴的な思いもあったんでしょうね。
それと、幼少のころからの趣味としての鷹狩り。
さらに、武将として戦に明け暮れた中での、地産品としての折戸の茄子。
これらが好物だったことは、間違いない所のようです。

 

そして晩年、やたらと好んだのが、鯛の天ぷら。
鯛と言ってもアマダイだったようですし、天ぷらと言っても今の衣をつけたものとは
ちょっと趣が違ったようですが、まあ、一言で言えば鯛の天ぷらです。
これを食べ過ぎて腹を壊し、73歳の生涯を閉じた、と言われていますが、
まあほかの要因で亡くなったんでしょうね。
今だったら大腸がんとか。
しかし、どの情報も、家康の死因は鯛の天ぷらの食べ過ぎ、ということになっています。
家康は4月17日に亡くなりました。
後に、茄子が大好物だったとかいうことも踏まえて、4月17を音で読んで、
よいなすということで、茄子の記念日になったそうです。
まあ、そんなことほとんど知られていませんけどね。

| 水嶋かずあき | グルメ | 11:14 | comments(0) | - | - | - |
サクラエビ盛衰記

かき揚げ天ぷらのベスト具材は、なんといってもサクラエビ。
そのサクラエビの不漁が続いているそうです。
ほんのちょっと前までは、気軽に手に入れることができたサクラエビですが、
おいしいし、海老にしちゃあまあまあ安価ですし、それだけに身近な食材でした。

 

このサクラエビ、そもそもが明治27年になって、漁網に入っていて、偶然発見された海老なんです。
以来、その優雅な姿と、小型ながらしっかりとした味わいが受けて爆発的に需要が伸びたのでした。
その主な産地は駿河湾で、由比と大井川が拠点になっていて、
それぞれに所属するおよそ100隻の漁船が許可証を持って漁をしているのです。
もともと、決して十分な漁獲量が見込めなかったことと、
寿命が短いため、その保護は当初から必要であるという認識がありました。
そこで、獲りすぎないようなコントロールが行われていて
出漁すると、時々刻々と漁船から現漁獲量が無線で報告されます。
組合では、これらを受信し、即座に合計漁獲量を算出し、一日の上限に達し次第、
今日は漁を終了してください、と無線で返し、
漁船は港に戻ってきます。
まあ、これだと獲れる船もあり獲り損なう船もあるということで、
水揚代金を全船でプールして、利益を分け合うあう「プール制」が1977年以来とられています。
実に、自律的な資源保護をしているわけです。

 

時に、多くの水産物が、乱獲によってその資源数を減らし、
その対策をしようと、それこそ国際会議でも開き、
各々の国の利益代表が、丁々発止の駆け引きをする、というのがしばしば漁業協定で観られたシーンです。
まあ、背は腹に変えられないのは分かりますが、駿河湾のサクラエビ漁に関しては、
中々、理知的で紳士的な協定をしているわけです。

 

ところが、ここに来て、サクラエビが不漁となりました。
サクラエビは春と秋の漁期があるのですが、一昨年の秋の漁期はあまりにも不良なので、

漁そのものが中止されたくらいです。
ここでじっと待つことで、資源回復ができるかもしれない、ということですね。

 

その昔、北海道のニシン漁が盛んで、その最盛期には、沖から産卵のために押し寄せる魚の群れに密度が濃く、
群れの中に漕ぎ出した舟の櫂を海中に差し込むと、

魚の押し合う力で、櫂が立った、と言われていたほどだったのですが、
突然ある時から、漁獲量が激減します。
この時はよく分からなかったのですが、
ちょうどそのころ時を同じうして、北海道の開発が進み、多くの森林が伐採されたんですね。
で、結果その森林の間を縫って流れていた川が表面的な流れに変わり、

地中の栄養分を海に運ぶことができなくなったんです。
そこでまず、岸辺の海草が育たなくなってしまいました。
そこに産卵にやって来ていたニシンも、産卵場所が無くなったのでやって来なくなってしまった、というのです。

 

しばしば、森は海の恋人、と言われてきましたが、
健全な陸地の構造が海に良い影響を与えるものなんですが、
陸地側に異変が起きると。そのまま海の生物にも異変が伝播するんですね。
したがって、駿河湾のサクラエビもこのような陸との因果関係があるのでは、と調査されました。
その原因の一つに
雨畑ダム(山梨県早川町)から雨畑川、早川、富士川を経て駿河湾に流れ込む濁った水が
餌のプランクトンの生育を阻害していると言う見解が出されました。
もっとも因果関係は確率しておらず、いまだ山梨県と静岡県はその責任のなすり合いをしているようです。

 

ここに来て、新たな説が浮上しています。

地震学者の武蔵野学院大学特任教授の島村英紀さんが、
不漁の原因の1つとして考えられるのは、湾の中の『駿河トラフ』で発生している『異常』を
サクラエビが感知しているのではないか、という新説です。
漁獲量が激減したのは、2018年の春漁から。
そもそもが、地震が発生する前には、
震源周辺の地面や大気に微弱な音や電気、電磁波などが発生する事が多いのです。
生物によっては、この微弱な兆候を感じ取り、反応することがあるようです。
有名な鯰ですが、視力が弱いため、より敏感にこれらの微弱な電気などを感知しやすいのだそうです。
したがって、地震はナマズが発生させるとかのばかばかしい話が、

かつては本気になって思われていたようですが、
これもナマズの特性であったことは間違いないのです。

 

ま、いずれにしても、台湾近海でサクラエビの生息が確認されていますので、
駿河湾産のものが手に入るかどうかわかりませんが、
当面は、サクラエビの入手に困ることはないようです。

と、一方では安心しつつも、
駿河湾を起点とする南海トラフ地震について、
その発生の可能性があるのではないか、ということですから、
手放しで安心できないわけです。

 

一難去ってまた一難にならなければいいですね。

| 水嶋かずあき | グルメ | 10:31 | comments(0) | - | - | - |
大人たちよ、ぼーと生きてんじゃない

地球温暖化という現象については、今更否定することはないでしょ。


しかし、この期に及んで、温暖化ではない、とおっしゃる学者先生がおいでになるんです。
まあ、ざっとした説は、現在は間氷期から氷河期に向かっている最中である、と。
確かに、地球の年表的な側面では、氷河期があり、間氷期があり、そしてまた氷河期があり、と、
氷河期と間氷期が交互にやってきていて、そのインタバルから見ると、
ぼちぼち氷河期だろう、というところなんですね。
でもこれって過去の地球環境での出来事で、明らかに現在のように過去の地球環境が破壊されつつある状況で、
そんなに規則正しい展開はないんじゃないか、と思うんです。
その前に、何がきっけかで氷河期になり、間氷期になるのか、

という基本的なメカニズムは解明されていないんですね。
ただ、単純な繰り返しが過去現在に至る長い期間にくりかえされた、

というそれだけの事実がベースになっています。
ですから、歴然と気温の上昇が進んでいることは明らかなので、

今更温暖化に疑義を唱えるというのは、いささか考えが浅いのではないか、と思うんですね。

 

ただ、まだ若干不明な部分というのは、地球温暖化の主犯はCO2ということになっていますが、
ここはどうも確定するには、100%と言い切れない要素があるようです。
そもそもは、ハワイでの空気中のCO2濃度のグラフと、

気温との因果関係をグラフ化したデータが公表されたのです。
で、このデータの読み方は、それこそ議論百出したのですが、

とりあえず因果関係あり、という判断がなされました。
専門家の中には、多少の疑義あり、とする人はいまだにおいでになります。
確かにこういうことは多数決ということで方が付きませんが、
とは言え、CO2が主端的役割を果たしたことは間違いないようです。
逆に、複合的要因だとすると、じゃあ共犯者はどこにいるんだ、ということになり、それはそれでとても不安な要因でしょ。
そこで、歴然としている現状だけを見てみれば、間違いなく気候温暖化は進んでいるんです。

 

もう35年前のことですが、私は地球温暖化がとても気になって、
それなりに関係する研究レポートを調べてみましたが、
もしこのまま温暖化が進むと、こう言う現象が起きるだろう、と、
当時の専門家が予言していましたが、35年経って見ると、ことごとく当たっているんです。
例えば、海水温の上昇によって、今までにない異常気象が頻発する、と。
台風、モンスーン、ハリケーン、サイクロンがそれぞれ強力になり頻発する、と。
山火事がひんぱつする。
生物種の生体数の絶滅が進む。
新たな病原菌が発生する。
などなどです。

 

今回の中国でも肺炎騒動は少し違うんですが、
たとえば、シベリアの永久凍土が溶け出す。
現にそうなりつつありますが、それこそ大昔閉じ込められた病原菌が放出されることが考えられる、
という事なんですね。
人類にしてみれば、今まで出会ったことない病原菌と出会う可能性がある、という事なんです。

まあ、ともかく実に的確に温暖化現象がもたらす様々災害について的確に予言されていたわけです。
これは、間氷期に向かっているかどうかなどの論争以前に、否応なしに向かい合わなければならない事実なわけです。

 

例のグレタさんは、これらのことを踏まえ、どうしてこんなことになってしまったのか、
ということを訴え、

それは、現在の世界的な規模で活発に展開されている人類の経済活動が大きな要因だろう、と言っているんですね。
もう大人のあなたたちはいい、先にこの世から消えてゆくんだから。
でもあななたちによって損なわれた地球の負の環境の影響を受けるのは私たち若者だ、と。

正直どうですか、この主張はまさにその通りでしょ。
反論するとしたら、うるせーと言い返すの精一杯でしょ。
このうるせーを言ってる大人のなんと多いことか(チコちゃん風)。
ついにこの人までがこんなことを言いました。


ある記者会見でグレタさんの温暖化対策の訴えについて問われたアメリカのムニューシン長官は、
「彼女はチーフエコノミストかい? まず大学で経済を勉強してきてから、我々に説明してほしいものだ」と皮肉った。
というんですね。
ちょと待て、その経済学とやらがもたらした結果が、現状なんでしょ。
ひどい話です。
A級戦犯の方々の言い分はもう聞きたくないですね。
この地球の在り方を訴えているグレタさんの勇気というより、ぞの純粋な心を、

私達は価値あるものと、認識しなくてはいけないでしょ。

グレタさんには環境問題のチコちゃんとしての役割を果たしてもらいたいと願っています。
ぼーと生きてんじゃねえよ、と。

| 水嶋かずあき | グルメ | 11:16 | comments(1) | - | - | - |
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