水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
サイズいろいろソーセージ

私の好きな食べ物の中に、ウィンナソーセージがあります。
ソーセージとしては、最も小さい、いわばSサイズですよね。
日本では、最近、いくらかソーセージのバリエーションが増えてきましたが、
それでもまだまだソーセージに関しては後進国。
もっとも食文化というのは、やはり長い年月をかけて定着するものです。
日本のように、それまで獣肉を食べることを忌み嫌ってきた民族ですから、
明治になって、食の西洋化が進んだとは言うものの、
四足を食べるようになったとはいえ、たかが150年。
そりゃ、加工食肉の文化としては歴史もなく、
貧弱な食文化にしかなっていなくても、やむを得ぬことです。

 

ドイツに行った時のことです。
ベルリンのまちをぶらぶらと歩いていたんです。

私は、食材店があると、ふらりと入って中を観察するのが好きなんです。
これは習性と言うか、職業意識と言うか、海外であれ、国内であれ、どこに行っても、
最も興味を持って、見るところなんです。

 

ですから、デパートの類だったら、食料品売り場。

そのまちの市場、特に朝市なんで大好きですね。
まるで、主婦のように、うろうろとひと通り見て回ります。
それぞれの地域性がもっともよくあらわれるところでしょ。
日本なら、その地方の食習慣がもろにでていますし、
海外なら、お国柄、民族の文化が顕著に表れるわけです。

 

で、ドイツで最も驚いたことは、
ソーセージ売り場というのがあって、
その面積は、ちょっと小さめのコンビニクラス。
コンビニの棚に、どこもかしこもソーセージがびっしり並んでいると思ってください。
種類がどのぐらいあるか、なんて、数えきれない、が答えです。
サイズもL・M・Sと様々。
十分な知識もありませんが、
素材の豚肉も、その部位によってあれこれだと思いますし、
きっと、牛肉や羊などのソーセージもあるんでしょうね。
たぶん、メインは豚肉だと思うのですが、
いろいろなものが混ぜてあって、少しずつ違うのと、
国内の地方地方の独特の造り方のソーセージが一通り並んでいるんでしょうね。

 

で、考えてみれば、それだけのソーセージが並んでいるのですから、
それなりに売れているという事でしょ。
売れないものは、売り場からは外されますから。
これはどんな国でも同じこと。
つまり、カウントできないほどの種類のソーセージそれぞれにニーズがある、と言う事でしょ。
逆に言えば、その微妙な違いを味わい分けている、食の能力って、凄いと思いませんか。

原則として、ソーセージは、羊の腸に香料を混ぜた挽肉を、詰めたものです。
以前は、腸詰なんて露骨に表現していましたね。
いまは、そんなことを言う人は減りました。
肉屋の店先のガラスのショーケース越しに、腸詰を一キロ、なんて注文しても、
今時の学生アルバイトだったりすれば、何のこと、ときょとんとするでしょうね。

 

で、ソーセージは三つに分かれています。
正にL・M・Sですね。
で、Sのウインナの場合、使う腸はヒツシです。
ですから細くて小さい。
国は、ウィーンですからオーストリー。
次のMはフランクフルトソーセージです。
これは食べごたえがありますね。
豚の腸を使います。
国は、ご存知ドイツですね。
で、Lサイズのは、ボロニアソーセージと言います。
これは牛の腸を使うので、最も太い。
ボロニア、と言うのは、
スペインにも、オーストラリアにもありますが、これはイタリアの地方のこと。

 

こういうのって、なぜか規格と言うものがありまして、
「ウインナー」は、太さが直径20mm未満。
「フランクフルト」は、太さが直径20〜36mm。
「ボロニア」は直径36舒幣紊箸いΔ海箸砲覆辰討い泙后
いや、ご自分のものがウインナか、フランクかはたまたボロニアか、なんて判断はしないで下さい。
ただ、ソーセージの場合、平常時のサイズですから。

 

さて、日本では、、まだまだ圧倒的にウィンナのシェアーが多いようです。
で、その中でも日本ハムのシャウエッセンが、まあまあ、売れているんでしょうか。
あのパリッとした食感はなかなかのものですものね。
で、このシャウエッセンが、突如手のひら返しのようなことをしたんです。
それまで、シャウエッセンでは、自社製造のソーセージを電子レンジで温めるな、と言ってきました。
多分、自分たちで試食して、電子レンジで温めると、本来の食味が失われる、ということだったんでしょうね。
ですから、電子レンジは使うな、といってきたんです。
で、ここでレンジ解禁に踏み切りました。
もっとも、いくらかうるさい条件が付いています。
「お皿にうつしてラップをかける。500Wで、3本なら約30秒、6本なら約60秒が目安」だとか。

 

平塚のフリーデンのソーセージはかなりうまいソーセージです。
フリーデンの人に聞いたんですが、一番おいしい加熱方法は、
熱湯で2分だそうです。
ま、さほど面倒な調理過程ではないので、
私は手鍋で湯を沸かし、2分を守って加熱しています。
確かに一番おいしいかもしれません。
シャウエッセンだって、きっと2分の熱湯加熱でしょうね。
ラップかけて、何してかにしてなんてやってるうちに、湯は湧くんじゃないでしょうかね。

話は変わりますが、あのシャウエッセンって、どうして、袋が二つなんでしょうね。
きっと何か意味があると思うのですが、家庭で、一回に食べる本数が、データ上6本と言う事なんでしょうか。
どうせなら、一袋にして、ちょっとでも値を引いてくれるとうれしいのですが。

| 水嶋かずあき | グルメ | 13:55 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
味わいの原点

最近のテレビ番組は、芸人という第三の勢力が幅を利かしています。
以前は、歌手・俳優が基本だったような気がするんですが。
いまや、芸人抜きでは番組構成ができなくなってきているようです。

ま、これはこれで結構なことです。
新たにタレント(能力)が発揮できる場所が増えてきたわけですから。

 

で、彼らの仕事の一つに、食レポなるものがあります。
基本は、先ず何を食べるのか、が映し出されます。
天丼なら、天丼そのもの。
続いて、海老天ぷらかなんかを箸で持ち上げたもののアップの画像。

ブツドリと言います。
そして、いよいよ食べるシーン。
一口頬張ります。

一噛み、二噛みします。

すると、レポーターの表情が、露骨に変化し、うまい、と一言。

まあ、だいたいこんなところでしょ。
これって、食レポじゃないでしょ。

 

旨いかどうかなんて、報告すべきこととしては、最後の最後。
視聴者は、画像で見るだけですので、その内容を想像するしかないんです。
ですから、その想像を想定して、より具体的に表現するのが、本来でしょ。
で、一時妙にもてはやされましたが、味の宝石箱や、なんていうのも、失格。
宝石箱と言うきらびやかさを味覚にたとえたのでしょうが、
宝石箱を食べたことのある人なんていないし、
甘いのか、酸っぱいのか、旨味はどうなのか、食感はどうか、歯ごたえは、など、
口の中の反応をもっと明細に伝えるべきでしょ。

 

そんな中、最近時に貧しいボキャブラリーの人は、あまい、と言います。
あまさに感心する。
それと、柔らかい、と言うほめ言葉。
じゃあ豆腐でも食ってろ、と言いたくなるでしょ。
以前もブログに書きましたが、通常、牛肉の良い食材としてのランクは、A5とか言われますね。
それも、できれば、和牛の銘柄牛。
で、私としては、どうしてA5の霜降り肉がおいしいのか、よく分からなかったんです。
大雑把な感想としては、柔らかすぎて、舌に残らない。
つまり、食感として不満が残るんですね。
ま、すっかり総入れ歯にでもなってしまったら、これはこれでありがたいことかもしれませんが、
少なくとも自分の歯が残っていて、普通に噛み砕くことができるのなら、
柔らかければいいとは思えないんですね。
実際、まぐろなんかでも、おいしいのは、中トロでしょ。
大トロは、脂身がうまさを伝えてくれるけど、かみごたえがなさすぎるでしょ。

江戸の頃は、今より、食事の咀嚼回数が多かったようです。
つまりそれだけ、歯もあごも発達していました。

ですから、鮪のトロ系の部分は評価されずに、むしろ赤身を評価していたんです。

 

最近、歯列矯正をしている人が多くなりましたけど、あれは、食事時に咀嚼回数が少なくなり、

それによって、あごの骨が退化しつつあるからなんだそうですね。
人間の体は環境に応じて微妙に変化します。
余り食事時に、かまなくなると、あごが、必要の範囲まで退化するんです。
しかし、歯自身はその情報の取り入れ方が遅れるので、あごの骨が小さくなっても、

歯自身が小さくなっていないので、いままで収まっていたあごの骨が小さくなって歯がはみ出てしまう。
そこで、歯列矯正をするんですって。
要は、嚙む回数が減ってきたんですね。
つまり、咀嚼する能力が落ちてきているんで、柔らかい、が受ける要素になっているんです。

 

ま、それはともかく、この食レポで気に入らないことは、
口に入れて、ひと嚙み、ふた嚙みした時点で感想を言うことです。
咀嚼して、トータルな状況を作り出して、それを舌に載せ、
食材の香リ、味覚、歯ごたえなんかを、総合的に評価すべきじゃないか、と思うんですね。

 

私は、ハムサンドが好きなんです。
ま、ハムでなくても、ベーコンでも、ソーセージでもいいのですが、
要は、豚肉の加工食材と、パンの絡み具合が好きなんですね。
このうまさは、最初の二嚙み、三嚙みぐらいじゃ、味が出てきません。
噛んで噛んで、舌で練りまわして、正にペーストに近い状態まで咀嚼すると、
これが何とも言えない味わいになるんですね。
のどに落とす瞬間のうまみは、えも言われないほどうまさを感じます。


この、撹拌して作り出される旨味の、良く似ているのが白飯です。
白いご飯は、どちらかと言うと、おかずとおかずの合間の、口の中の味覚を
リセットするために食べていると思います。
例えば、ハンバークを食べて、その味が口の中に残らないように、白いご飯を食べる。
口の中の味覚がリセットされたところで、里芋の煮っ転がしを食べる、と言うようにです。
テーブルの上の位置づけも、主菜、副菜、しるもの、ご飯、という感覚で、
ご飯の順位が低いでしょ。
でもよくよく味わってみると、これがなかなかのものなんですね。
特に、おかずにちょっと遅れでご飯を口に入れ、一緒に噛み砕くと、

これまた絶妙のハーモニーが口の中で展開されます。
おかずの味プラスご飯による新たな味わいを経験することがあります。


これの極め付きがおにぎりじゃないか、と。
白飯と、塩、のり、それに、具材が、これは分けて食べないですから、
口の中で、ミックスされます。
じっくりと味わってみて下さい。
具材だけではこれほどのうまさを味わうことはできないはずです。
極端な話、のど越しの味を味わってほしいんですね。

| 水嶋かずあき | グルメ | 10:57 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
この季節、なんてったって鍋

寒い日が続きます。
昨日みたいに、雨がしょぼしょぼ降ったりすると、余計、体の芯まで冷えてしまいますね。
こういう時は、やっぱり鍋でしょ。

日本人は、もしかすると世界の中でも、もっとも鍋好きの民族かもしれませんね。


鍋を食べる理由聞いたアンケートがありました。
1位は、寒さをしのぐため、2位は、みんなで仲よく食卓を囲むため、
3位は、野菜を多くとるため、と続きます。
ま、当たり前すぎる理由が並びました。
つまり当たり前だからこそ、みんなが好むんですね。
そこで、好きな鍋ベスト10です。
男女、年齢を超えて総合1位は「すき焼き」 75.5%
2位 「しゃぶしゃぶ」 56.4%、3位 「寄せ鍋」 53.0%、4位 「水炊き」 47.7%
5位 「カニしゃぶ、カニ鍋」 32.3%
以下、「ちゃんこ鍋」、「カキ鍋、土手鍋」、「もつ鍋」、キムチ鍋」、「石狩鍋」と続きます。
ま、ここまでは多分大体は食べたことがあると思います。

 

このほか、順位は低いのですが、食べたいランキングとしては上位のものがあります。
つまり、いろいろな理由でチャンスが少ないんですね。

でも、これはちょっと違って食べてみたい、と言う鍋です。

この上位に、ふぐちりやすっぽん鍋が入ってきますが、これって、ちょっとお値段が張るんで、なかなかチャンスがない。
その意味で、好きとは別に、願望のような意味での食べたいランキングなわけです。

 

以前、40年ほど前の話ですが、京都の老舗で、すっぽん鍋を食べたことがありました。
会費は結構な値段で、その当時で、1万円を超えていました。
ですから、その値段から、とてもいろいろと期待したんです。
で、宴が始まると、先ずは突出しが出てきて、まあ、これはごく普通で、想定内。
すると、早速、主役の鍋が持ち込まれ、くつくつと煮上がると、仲居さんがおもむろに蓋を取り、
中のものをすくって銘銘に分けてくれます。
最初に少しばかりの葱中心のお野菜、次にすっぽんのどこか(部位までは分かりません)。
確かほんのふた切れほど。
で、メインはこれで終わり。
で次はどうなる、と期待したところ、早速ご飯を鍋に投入。
え!もうシメかよ、と思ったんですが、さっさと溶き卵を入れて仕上げ、これまた銘銘に分け入れて、終宴。
正直、高いだけじゃん、という感想、半額でも又行きたいとは思いませんでした。
根が貧乏人なんですね。

 

ふぐちりも、お店で食べると、やたら高級なものなんですが、
今は、安全に調理済みのものが宅配で取り寄せることができます。
実とあらと、皮がついてきて、決して手が出せないほどのものではありません。
金額的には、上等のすき焼を食べる程度でしょうか。
下関の色々なところで、このみがきのフグを通販していますから、一度お試しください。
てっさ(フグの刺身)がメインですが、一緒にあらもついてきますから、これ鍋を楽しみつつ、
刺身で一杯と言うことで、大体、1人前2000円ぐらい。

 

ま、そもそも鍋は庶民的な食べ物ですから、このあたりの贅沢鍋は外して、
ごくごく気楽に楽しむことも大事です。
この上記ランキング以外でのお勧めは、なんといってもしょっつる鍋でしょうね。
秋田の郷土料理です。
しょっつる、と言う字は、塩・魚・汁をつづめて呼ばれるようになったものです。
しょっつるは魚醤の一種で、大豆の醤油ができる前は、魚醤が調味料の本流でした。
まあ、歴史のある調味料なんですが、これが独特の風味があって、しょっつる鍋のうまさを支えています。
中の具材は、主にハタハタなんですが、以前はうんざりするほど取れていたのが、
最近は漁獲量が減って、なかなか手に入らなくなりましたが、
この魚と、地元産のこれまた風味の豊かな野菜で、煮込みます。
ハタハタのメスの腹に卵があって、やや緑色の粒の大きいものなんですが、
これを半煮え状態で食べるんですが、食感と言い味といい、独特のものがあります。
同じ秋田の郷土鍋できりたんぽ鍋があります。
基本は比内地鶏の出汁で、鶏肉、野菜たっぷりな鍋で、最初からシメ替りにきりたんぽを入れて煮込みます。
これまた鍋の出汁と相まって絶妙な味わいです。
さすが寒い地方だけあって、鍋の熟達度は優れたものがあります。

 

最近は食事も国際色豊かで、ほぼ世界中の鍋料理を楽しみむことができますが、
お隣韓国では、キムチチゲが代表でしょうか。
素材としては日本で十分にそろえられますので、ちょっとピリ辛を楽しみのもいいでしょうね。
何より体が温まりそうです。
中国では、火鍋でしょうか。
最近流行ってきました。
この火鍋は、30年ほど前に中国に行った時に初めて食べました。
いや旨くて感動しましたね。
鍋の中央が巴形の仕切りがあって、一方に普通のだし汁、一方に薬膳系のピリ辛のだし汁。
好みの応じてどちらかのだし味で楽しむことができるのです。
で、ここがちょっと変わっていたのですが、先ずレストランに入ると、鍋が出てきます。
鍋の具材は、店の中をワゴンを引きまわしているウェイトレスが近付いてきたら、
ワゴンの上に載っている食材で好きなものを取るんですね。
ただし、食材が載っているさらには一種類だけ。
豚肉、と言ったら一皿豚肉です。
豆腐は豆腐、ねぎはねぎ、カモメはカモメという具合です。
ですから、大人数じゃないと、食べ残すか、少ない種類下食べることができないんですね。
ま、これも中国らしいかな、と思います。
ベトナム料理で、トムヤンクンというのもありますが、強いて分類すれば鍋料理。
ま、なかなかの人気ですね。
あんな暖かい所でも鍋があるんだ、と驚きます。
調べてみるとアフリカだってあるんですね。ま、要は、スープのごった煮みたいなもので、
それを私達が鍋料理、と言ってるような所もありますが。

 

ならば寒いアラスカとか、要はエスキモーの料理に鍋はないのか、と思い調べてみましたが、
基本は、エスキモーは生肉を食べるんだそうです。
野菜の類が十分取れないので、肉に火を通すと、ビタミンなどが壊れてしまうから、
と言うのが生肉を食べることの大きな理由だそうです。
これまた知恵なんですね。

 

ま、雑念に捉われず、素朴にみんなで鍋を囲んで、ワイワイと食べるなら、
何を入れようといいじゃないか、と言うのが基本ですね。

 

お詫び:ベトナム在住歴の長いわが友人から、トムヤムクンはタイの料理ではないか、と指摘がありました。

その通りです。修正してお詫びいたします。

| 水嶋かずあき | グルメ | 10:42 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
義理チョコ禁止令

私たちの生活の中で、さまざまな行事が行われ、

それに関わる食の文化と言いうものがついています。

で、そのいくつかの話です。


もともと、なんかずれていたと思っていたのですが、ここにきてさらにずれ度合が増してきました。
急性の文化、企業主導の文化は、その本質の認識が甘く、

時に、蛇行し、その基本の意味すら失ってしまうものです。

 

今年も、スーパーなど、恵方巻きが大量に廃棄されたそうです。
去年、これは問題になって、食品ロスの観点からも問題になっていました。
そもそもは、関西の一部の地方の風習を、これは商売になると、大々的なPRを掛け、
節分には恵方巻き的な行事食を企業レベルで押し付けてきたわけです。
私はすくなくとも、以前は、そんなことは知りませんでしたから、
これが広がり始めた時に、はじめてそのような風習があることを知りました。
いいとこ、十数年ぐらい前のことです。
ところが昨今は、もう1月ぐらいから予約を受け付け始め、
大体のスーパーではポスターとともに、恵方巻きの販売に力を入れてきたわけです。
しかし、去年あれだけの商業的な敗北をしたにもかかわらず、2年連続で失敗を繰り返すなんて、
ちょっと考えられないでしょ。
今年は幾分か控えるか、という判断するでしょ。
それとも、控えてもなお、売り上げを落とし、大量廃棄につながったのか。


ま、ともかく、この文化的な行事食は、その原点は実にあいまいなんです。
諸説あるんですが、私はたぶんこれだろうと思う説があります。

 

それは、大坂のお大尽が、放蕩のさなか、色町で芸者を挙げて夜な夜な遊びまくっていたんですね。
で、金持ちのわがままで、こんなことを言い出したのです。
近くの寿司屋から太巻きを取り寄せ、座敷に呼んでいた芸者衆に、
これはわしのチンコだ、と思って食べてみろ、と。
で、もっともらしく食べたものに、祝儀を出そう、という提案をして、
芸者衆は媚態の限りをつくしながら、丸かじりをしたのだそうです。
で、この話が面白かったので、太巻きの丸かじりと言うのがその界隈ではやり、
いつの間にか、節分に食べるという恵方巻きに変化したのだそうです。

 

で、このことを聞いた広島のセブンイレブンのオーナーが、

大阪には節分に太巻き寿司を食べる風習がある、とその原点も知らず、聞きかじりで、
恵方巻きとして、1989年に仕掛けたわけです。
恵方巻きという名称は、それ以前の文献は一切ありませんから、

きっとこの企画で付けられたネーミングなんでしょうね。
ところが、これがそこそこ当たったんですね。
で、これが、2000年代になって、急速に広がったわけです。
まさかその原点が、さるお大尽のチンコ見立て太巻き、であるとは知らずにです。
こんな根の浅い食文化が、定着するとは思えないでしょ。

 

そもそも、太巻きをその年の恵方に向かって、丸かじりするなんて、無様な形じゃないですか。
今時の食形態として、ちょっと疑問を感じますよね。
かといって、切ってお皿に載せたら、それこそチンコの輪切りでしょ。
まあ、正直、行事食と名乗るには、底が浅くないでしょうか。

 

バレンタインのチョコレートもそうです。
バレンタインデーのそもそもと関係なく、企業が売らんかなの思惑で、チョコレートの企画をしたことが原点です。
1936年、洋菓子のモロゾフがまずは仕掛けました。
1958年、メリーチョコレートカンパニーが、伊勢丹でバレンタインセールで売り出します。
と言うことは、下地があったということですね。
で、1960年、森永製菓が、新聞広告で大々的にバレンタインデーにはチョコを贈ろう、と言う広告を出します。
これが決定打になって、バレンタインデーでは、

女性から男性に好きであるという感情を表現できる、と言う雰囲気が作り出されます。

 

考えてみれば、今時の風潮とは当時は大きく異なっていて、
女性から男性に、恋心を表現するなんて、はしたないこと、とされていましたから、
そのチャンスを与えられて、この日に乗じて、好きな男性へのアプローチをする女性が一気に増えてきたのです。
ま、その意味では、最近の女性はずっと積極的ですから、それこそ毎日がバレンタインデーのようなものですし、
別段チョコなんか必要ないわけでしょ。

 

でも、やはり2月14日は特別な日のようでしたが、

なぜか曲解されて、義理チョコなるものははびこってきたんですね。
私なんかは年代的にこの風潮の少し前に、青春時代だったものですから、

バレンタインチョコの経験はほとんどゼロに等しい。
いや、もてなかったことも含めてです。
ですから、いいとこ、かみさんとか娘たちからのチョコが数個、という状態でした。
正直、それほどうれしいものではなかったですね。

 

で、ここにきて、義理チョコは、社内の空気を乱すということで、女性への負担軽減と言う意味から、
禁止令を出しているところが出てきたそうです。
結構な事でしょ。
もし、そういう状況においてもなおチョコをもらえば、これはそこそこ意味深じゃないですか。

 

いずれにしても、バレンタインデーのチョコレートのプレゼントは、
日本においては、歴史的には80年を超える歳月を過ぎてきたものですし、
そもそもが、男女の愛情の表現なんですから、形態は変わっても、ほほえましい行事食でしょ。
いい意味で、長続きするといいな、と思います。
少なくとも、旦那のチンコの丸かじりよりは、はるかにましでしょ。

 

| 水嶋かずあき | グルメ | 10:25 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
親方になったはさみ

以前にもブログに登場しました伊藤雅易師匠の話です。
伊藤師は、かつて紅谷町の一角で一粋と言う料理店を出していて、
その後、中里の自宅を改造し、同じく一粋の名で料亭を、しばらくの間経営していました。
伊藤師の料理人としての知識・感性・技は、ちょっとその辺では見当たらないほど、

優れたものを持っていて、鳥保貴柳庵の鳥海さんの発案で、

伊藤師を先生とした料理教室を開催しようということになったのです。

そして、この料理教室に参加する中で、私は、驚くほどたくさんのことを教わったのです。
伊藤氏は、明治生まれの頑固者でした。
ある時、何か用事があって外出することになり、
かみさんに、今日は午後から出かける、と言ってあったのです。

で、時間になって、玄関に出たら、履物が揃えて出ていない。
と、自分で出そうなんてことはしない人なので、はだしでそのまんま出て行ってしまう。
これに、かみさんが気付き、ご亭主の履物を手に、大声で呼びとめながら後を追ったことがある、

と言った逸話があるほどです。
ともかく頑固で横着なところがありました。
しかし、料理人としての才能は溢れていて、その内容は、際限の無さを感じたくらいです。
この料理教室は、月一で開催され、もちろん指導は伊藤師。
生徒はと言うと、市内の料理店の主か、その板長。
まあプロの集団です。
とっかえひっかえ10人ほどが生徒として名を連ねていましたが、
この10人が束になっても先生の料理には敵わない。

ともかく、素材に対する考え方、料理法に関する原則的な手法、献立の組み上げ方など、

毎回、多方面の内容を披歴してもらいました。

 

で、いつものように教室が終わり、みんなで後片付けをしていたんですね。
鍋を洗ったり、皿を拭いてしまったり、と手分けして始末するんですが、
なかには、庖丁を研いでいる人もいるわけです。
この庖丁の後始末と言うのは、実はかなり個性差があって、
さっと拭くだけの人、軽く磨き砂で曇りを取る人、荒砥、仕上げ砥、と丁寧に研ぐ人、と。
まあ、切れ味次第なんですが、それぞれに、片付けのフィナーレのように、

最後は一斉に包丁の始末で終わるわけです。
大体は、砥石の上を行ったり来たりと、裏表丁寧に磨くんです。
で、この様子を見ていた伊藤師が、なんだお前たちの包丁研ぎは、と口を挟んできたんです。
生徒とはいえ、一応、その道のプロ、中には20年、30年の猛者もいるんですね。
その連中に、基本たる包丁の研ぎ方に口出ししてきたわけです。
私は、何を言うのか、興味津々でした。
で、一言、
「お前たちの包丁研ぎは、研ぐなんてものじゃない。
これは鉄を減らしているだけだ」と。
切れのいい状態になれば、当然そこで終わるんです。
ですから、包丁研ぎは何回か砥石の上を行き来させたら、一定のインタバルで刃を指先で触り、
その具合を確かめるわけですが、
伊藤師のよると、要は、削り過ぎだ、と言う事なんですね。
私はその言葉を聞いて、素直に、包丁研ぎについて考えを改めました。
確かにそうかもしれない、

擦すりゃあいい、というもんじゃない、と。

 

昨日、かみさんとララポートに散歩がてら買い物に行こう、ということになりました。
で、午後からぶらぶら出かけて行ったんです。
なんとなく、いわゆるウィンドショッピングをしながら、はっと気づき、
キッチンばさみの切れが悪くなって、

ビニール袋を切る事さえうまくいかなくなっていたのを思い出しました。
で、新しいのを買おう、と。
ゾーリンゲンの商品の並んでいるお店に入って品物を見たんですね。
で、値札を確認すると、なんと、5000円。
キッチンばさみで5000円かよ、と思いました。
余りの感覚の差に手を引っ込めてしまったのです。
で、近くのキッチン用品のお店に切り替えて、2000円ほどのものを買い求めました。
家に戻ってから、切れの悪いのは捨ててしまおうか、と思って、

前任のはさみをよくよく見たら、ゾーリンゲンのものだったのです。
あの、5000円と同じものです。
そうだったのか、これはゾーリンゲンだったのか、と再認識。

 

そう言えば、キッチン用品のいくつかは母が買い求めて、水嶋家で受け継がれてきたものが多く、
これをマンションに越してきた時に持ってきたわけで、はさみもその一つ。
そこで、廃棄する前にものは試しと、研いでみたのです。
最近の食材は何かと言うとビニール袋に入っていて、
準備段階ではさみで袋を開ける、と言う作業があります。
包丁に次ぐぐらいの必要度の高い道具です。
しかし、包丁ほど、切れ味を確認することはありません。
つまり、研ぐなんてことはあまり意識にないんですね。
でも刃物です。
そこで、一応研いでみたのです。

当然ですが、結構切れ味が戻ったんですね。
しかも、磨き砂で柄の交差する所の汚れを丁寧に掃除したら、新品同様になりました。

なんだ新品買ってくることなかったな、と。
ま、でもせっかく新品飼ってきたのだから、先ずはこれが現役の最前線で使おう、と。
で、復活したゾーリンゲンは、引き出しにしまったんです。

 

ま、横綱を引退して親方になったようなものですね。

 

| 水嶋かずあき | グルメ | 11:15 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
物価の優等生

私は、どちらかと言えば、たまご好きなんです。
何かというと、玉子を入れた料理を作ります。


で、10数年前、体調が不良になり、病院に行き診察を受けました。
採血をし、1週間後にその診断結果を聞きに再度、病院に出向いたのです。
先生は血液の診断レポートのリストを片手に、コレステロールの値が高いので、
玉子などは、一日一個以下にしてください、と、言ったんです。
まあ、端的な指示ですので、分りました、と。
で、余計な事だったんですが、私はこんなことを言いました。
よく言われるイクラなんかもコレステロール値が高いとかのようですが、
これなんかも気を付けた方がいいですか、と質問したのです。
これに、先生は、イクラを毎日は食べないでしょ、とあっさり一言。
確かにそうですね。
でも玉子は毎日食べる可能性はある。
だから気を付けるように、と言うアドバイスだったわけです。


確かに、日本人の鶏卵消費量は世界で第3位。
国民一人当たり年間で、330個を食べるそうです。
つまり、ほぼ、1日1個でしょ。
平均ですから、中には、一日2個食べる人だっているわけです。
ちなみに1位はメキシコ、2位マレーシア、3位が日本、4位が中国となっています。

日本人は卵好きな民族と言う事なんでしょうね。
冷蔵庫には、必ず玉子入れの引き出しがついていますでしょ。
あれは国民性の表れかもしれません。
ですから、台所を守る主夫としては、玉子と牛乳は欠かせませんね。

 

で、ちょっと前までは玉子1パック10円ちょっとの時代だったんですが、
じわじわ上がってきて、ほぼ200円のラインになっていたんですね。
で、上がってきているときは、少しづつ上昇と言う感じを受けるのですが、
上り切ってしまうと、そんなもの、という感覚になります。
ですから、先日、スーパーの店頭で、1パック100円と言う卵を見た時は驚きました。
どうしたんだ、何かあったのか、という感じです。

で、やはり何かあったようです。


15年ぶりの安値とか。
卸値で、キロ100円と言う値がついたんだそうです。
大体卵は中くらいの大きさで、1個65gぐらい。
ですから10個で65円と言う事でしょ。
卸値ですから。
売り場では100円でも売れるわけです。

 

玉子は、その需要のピークは年末だそうです。
おせち料理やら何やらで、玉子好きの日本人は、玉子料理を食卓に並べます。
ですから、需要オーバーでどうしても根が上がります。
ところが正月になるとその反動で、反落するんです。
暮のうちのストックで、新たな消費が起きません。


鶏卵の面白い所なんですが、人間様の需要がどうであれ、

鳥たちは、一緒になって休みを取る、なんてことはありません。

せっせせっせと毎日卵を産み続けるわけです。
人様は正月休みは、ニワトリには関係ない話なんですね。
で、人間が勝手に需要を落とそうと、玉子は産まれてきてしまう。
そこで、需要と供給のバランスが崩れ、値も崩れるわけです。


玉子は物価の優等生とよく言われてきました。
おいしくて手軽で、多様な食べ方ができる、しかも安いという事ですから、
まあ、戦後の日本人の体力健康づくりに大きな寄与をしてきたわけです。
江戸の頃の寿司屋さんで、それこそまぐろにヒラメ、アナゴに鯛などのネタと並んで
玉子焼きと言うのがあったそうです。
で、当時、一貫あたり最も高いのは玉子だったんですね。
まあ、簡単な話、ニワトリの名の通り、庭先で飼われていただけのことですから、
生産量もあまりない。
そこで、正に需要と供給のバランスから、贅沢な食材だったんですね。

それが品種改良と飼育法の改善で、玉子生産はもっとも安易な手段になったんです。
つまり大量生産が可能になりました。
ですから、ずうーと物価の優等生だったわけです。

 

そこで、鶏卵業者は、差別化した卵を生産しはじめます。
極端な商品としては、ヨード卵光と言うのがありますね。
1個60円ぐらいします。
なかなかのブランド品なんですが、確かに高いだけの品質はありますね。
私はマヨネーズは自分で作っています。
味の素やキューピーなどのブランド品のマヨネーズより、

自分が作ったマヨネーズの方がずっとうまい。
で、このマヨネーズ作りは、ヨード卵光を使います。

やはり高いだけのことはありますね。

 

お手軽価格の玉子あり、高品位の高級な玉子ありで、
日本の食卓からは、玉子が消える日はないでしょうね。
平均で330個食べる国民ですから。

 

| 水嶋かずあき | グルメ | 11:08 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
旨い、だけじゃいけないのか

どうやら、科学の世界でも、第6の味覚について、本格的な取り組みがなされているようです。


そもそも人間の味覚は、旧来からとても興味深いテーマのようで、
ある時まで、舌には、甘味、塩味、酸味、苦味の4つの味覚を識別する能力があるとされてきました。
ところが、1907年のことです。
池田菊苗博士が、うま味成分であるL-グルタミン酸ナトリウムを発見、
1908年3月に「グルタミン酸を主要成分とする調味料製造法」に関する特許を出願し、同年7月に特許登録されました。
これが味の素の素になったものです。
この旨味に関しては、欧米の学会では素直に受け入れられず、第5の味覚に関して疑問視されてきたのですが、
舌の味蕾(舌の表面にあるでこぼこした味覚を感じるための感覚器官)の感覚細胞に
グルタミン酸受容体が発見されたことから、味覚のひとつとして認められるようになったのです。
つまり、肉体としてそういう機能を持っている、ということが追認されたわけですね。
それまでは、感覚的に旨味と言うものを欧米では追求してこなかったわけです。
日本の伝統的な料理技法は、この旨味成分をいかに抽出するか、と言うことが技法として伝承されてきていて、
出汁の取り方ひとつでも、実に繊細な手順が伝えられてきています。
まあ、日本人はその分、味覚に優れていたのかもしれませんね。
伝統的な食文化の中から、旨味と言うものがある、ということが前提だったわけですから。

 

で、これが科学的に証明されました。
以来、味覚は甘味、塩見、酸味、苦味、旨味、と5種類の分類になったのです。
ちなみによく舌の図があって、先の方とか下の左右とか、奥の方とかに矢印があって、
この部分で甘みを感じるとか、苦味はここで感じるとかの、味覚分布図のような絵を見たことがあると思いますが、
あれは、何の根拠もなく、私達は長い間騙されてたのだそうです。

 

で、ここにきて、第6の味覚がありそうだ、という機運が出てきました。
まあしいて言葉にすれば「脂味」と言う事のようです。
こんな記事がありました。

 

「今年2月、オーストラリアのディーキン大学の研究者たちが、フレイバーという新聞に論文を掲載し、
ここ5年から10年のうちに、脂味を第六の味覚として扱うかどうか結論を下すべきだ。」と言ったというのです。
脂を正式な味覚として認識するには次の条件を満たす必要があるそうです。
「厳密に言うと、味覚とは化学的な機能である。例えば塩や砂糖の結晶などの化学物質は、
私たちの口内にある感覚細胞に触れる事によって、一連の反応を引き起こす。
そして、甘味や塩味を帯びた何かに対する知覚を他の神経細胞へと伝え、
その神経細胞が徐々にこの情報を脳へと伝達するのである。」と。
つまり、甘いとか塩辛いとか、それは舌の知覚神経が情報として脳に伝える。
そこで、脳は甘いとか塩辛いとかを感じるのだそうです。

 

で、さらに、「何かを主要な味覚として定義する為には、5つの基準を満たさなければならない。
まずは、塩や砂糖のように、味蕾上にある特定の感覚器官を刺激するような化学物質である事。
そして、知覚した味を脳で処理する為に、感覚器官と脳の間を連絡する経路が存在しなければならない。
さらには、このようなプロセスが引き金となって、身体へと何か影響が現れる事も重要だ。」と。
まあ、言っちゃ悪いのですが、こんなメカニズムがあるかどうかより、
私達は毎日何かを食べ、それがうまいかどうかを判断しているわけですから、
脳と舌の間の生理的機能なんかどうでもいいじゃないですか、と思うんですね。

こんな研究者の理屈よりも、私達は実感として、脂味と言うものがある、とうすうす感じていませんでしたか。
例えば、まぐろだって脂の刺しがある方が中トロとか大トロと言って、うまいと思ってきたでしょ。
牛肉だって、霜降りとか言って、細かく脂身が刺してある方が、うまいと思ってきたでしょ。
何より、マグロの赤身よりトロの方が、牛肉も脂の刺しが多い方が値が高いですのものね。
生クリームだって、脂肪分の含有量が多い方がうまい、と思っていますでしょ。
これだって値段に表れていますでしょ。
まあ科学者と言うのは、そういう根拠を探るのが仕事だとは思うのですが、
そこにとらわれ過ぎているようですね。
何より、菊田先生が旨味成分を発見してから、後に、味蕾の受容体を発見し、
さらに、消化器官にも受容体があることが分かり、

胃にうま味が入ると、消化を促進する効果があると生理学的学説が示されたのです。
まあ、手順が重要なのかもしれませんが、
人間の感覚の方が、ずっとすぐれている、と言う事じゃないでしょうか。

 

私は、ほぼ毎朝、2合の米を炊きます。
心がけていることは、冷たい水で研ぐこと。
そして、炊飯器の内釜に分量の水を張ると、サラダオイルを小さじ半分程度と同じく小さじ半分程度の砂糖を入れます。
根拠は何もなく、きっとこのほうが旨いご飯が炊けるだろう、と思って始めたことです。
誰に聞いたわけでもありません。

最近のコマーシャルで「脂肪」と「糖」が悪者のようになっているものがありますが、
あれは、メタボ対策なわけで、健康な肉体を維持しているなら気にする事もないだろうと思っているんです。
逆に、なぜ、脂肪と糖を嫌うのかと言えば、それは、本質的に人間と言う動物が好むものだからです。

足りているのに過剰に摂取する可能性があるのです。

要は恵まれているんですね。
なぜ好むのか、と言うと、これらが体にいいからです。

原始の頃、今ありついた食料を、次はいつありつけるか、なんて保証のないことが続いた時代があったはずです。
と言うことは、時にやってくる飢餓の時に備えて、極力カロリーの高いものを摂取したい。
摂取するのに、積極的になれることは、舌が旨いと感じることなんですね。
栄養とか何とかより、舌は、先ず食べていいものか食べて行けないものかを感知しなければならない。
口に入れて、飲み込むのか、あるいは吐き出すのか、です。
その重要なチェック係を舌がしているんです。
で、次の段階では、より生命維持に有効な食物を摂取しようとする。
これがカロリーが高い、脂肪と糖なんです。
脂肪はまだまだ、おろそかに扱われてきましたが、
結構体にとって、重要な役割を果たしてきているんですね。

生命体としての嗜好があるのですから、科学的な立証が無くても、
旨いものはうまいんですね。

| 水嶋かずあき | グルメ | 10:36 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
唐土の鳥が日本の国に渡らぬ先に

日本の文化は、その大半が中国で醸成されたものが伝わってきたものです。
もちろん、長い歳月の中で、独自の進化をしたものもあり、
進化の最終形を見れば、おおもととは大きく異なる場合もあるので、
もともと日本で発生したものではないか、と考えがちですが、
やはり、その歴史的な厚みから言っても、我が国の文化は、中国を祖としてきたようです。
最も基礎となるものは、やはり文字でしょ。
いま、中国は簡易な漢字に切り替わりましたが、
大半は、まだまだ私達にもその意味を理解することはできます。
たとえば、中国を旅行して、お店の看板を読んで、何やさんか、なんてことは、
大体見当がつくものです。
その意味では、韓国はもう漢字表記をしなくなってきたので、
ハングルでは、文字を勉強したことがないと、何やさんか分からないですね。

 

さて、それ以外で、中国から伝わった文化と言えば、
諸行事でしょ。
遣唐使や遣隋使などで、頻繁に交流が行われたころを中心に、
文化的な影響を受けてきました。
その一つが節供です。


正式には五節供と言って、奇数の月日が重なるときに、
行事が行われてきました。
奇数を陽、偶数を陰とし、陽を重ねた日をめでたい日であるとしたんですね。
その最も大きい数は九なので、九月九日は陽が重なるので、重陽の節句としました。
戻って、七月七日はたなばたの節供ですね。
五月五日は端午の節供、三月三日は桃の節句。
で、この並びで行くと、一月一日が節供になるんですが、
何故か、一月の節供は、一月七日なんです。
これを七草の節供、と言っています。
新年を迎えるので、一月一日は元旦として、めでたく祝うことに変わりはないのですが、
新年になって、その年の運勢を占うことをします。
で、先ず一日は鶏について占います。
翌二日は狗(犬のこと)。
さらに猪(豚のこと)、羊、牛、馬と一日一種の家畜を占い、
いよいよ七日になって、人を占います。
この日を人日と書いてじんじつと読み、これを持って新年の行事が終わるのです。
したがって、新年の人間を祝う日は一月七日なんですね。
で、この日は、一年の無病息災を願って、七草粥を食べるということです。

行事と言うのはどうしても、形の伝承が行われるものの、
その背景となる様々な要因は置き去りにされがちです。


ですから、昨日のスーパーの野菜売り場では、七草粥用の野菜が一袋に入って、
まあ、そこそこの値段で販売されていましたが、
どうしてなのか七日、どうして粥にするのか、などについては、ほとんど斟酌されることなく
ただ七草粥を食べる日、という単純素朴な理由で七草を祝っているんですね。
正に消化型の行事になっているんです。


もっとも、この五節句については、明治政府が、明治6年、五節句をやるな、と言う通達を出します。
なぜそう考えたのか、理由はよく分からないのですが、
日本発の独自の行事ではない、と判断したんでしょうね。
ともかく、廃止をするように言われたんですから、

それからは、見る見る間に、それらしき行事をやる習慣はすたれてゆきます。
で、現在に至るのですが、とはいえ、お正月はおせち料理など新年祝賀の料理を食べ、祝い、
女の子の節供としておひなさまが飾られ、端午の節供では、鯉のぼりを立て、柏餅を食べ、
たなばた様は壮大な飾りを掲げるでしょ。
唯一、重陽の節句はあまり何もしませんが、なんだかんだと、五節句は体に染みついてはいるんですね。

 

で、今更なんですが、七草粥にも作り方があって、これの作法で作る人はほとんどいません。
一応、記録的な意味で書いてみます。
まずは七草です。
せり・なずな・御形・はこべら・仏の座・スズナ・スズシロ、です。
これに、「これぞ七草」と付けて、五七五、七七の形の歌として覚えればいいのです。
スズナはカブ、スズシロは大根です。

ま、ともかくこの七種。
さて、この七種の植物を包丁でたたき切します。
まあ、きざむと言うことです。
で、この時、49回刻むのだそうです。
結構細かくなるでしょ。
で、実は、この時、歌を歌わなくてはいけない。
その歌詞は、
「唐土の鳥が、日本の国へ、渡らぬ先に、ななくさなずな、手に摘み入れて、バタクサバタクサ」
という歌です。
一説には、すでにその頃、鳥インフルエンザの原因菌を持った渡り鳥がいて、
その被害が出ないように、という意味がある、とかの説がありますが、これは疑わしい。
ま、ともかく、私はこの歌を、一度だけ聞いたことがあります。
素朴な節でした。


このようにして、刻んだ七草を粥に混ぜて食べたようです。

ま、七面倒だ、となればそれなりの省略をするのでしょうが、
あえて、そんな作り方に挑戦するのも悪くないでしょ。

| 水嶋かずあき | グルメ | 07:18 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
三大珍味

世界三大珍味と言うと、
これは普通に知られていることで、即座に、
トリュフ、キャビア、フォアグラと挙げられると思うのです。
では、どんな味か説明できるか、となると、実は、漠然としていることと、
さほど食べる機会がないことなどで、ここでは、うつむき加減の答えになってしまいます。

 

まあ、それと、それぞれにいくつかの問題があり、
実は、なかなか本来のものを味わうことができたのか、と言う疑問があります。

例えばトリュフですが、私は、いまだにどうしてこれが三大珍味なのか、理解できないんですね。
きっと本来の料理を食べたことがないのだと思うんですが、
味と言うより、香りが売りのものでしょ。
特に、西欧人が、好むんだとすると、匂いに関する機能が、どうも日本人と若干異なるのではないか、
という気がするんですね。
日本人は、基本的に、いい悪いを抜きにして、無臭に近いものを好みますよね。
その意味で、トリュフの香りを好ましいと思えなくても、これは仕方ないだろうと思うんです。
よく、おろし金でトリュフを料理の上にぱらぱらとかけたりしますが、
だからなんだ、という感じがするんですね。

 

で、キャビアなんですが、
まず日本で買えるものと言ったら、化粧品でも入っているのか、

という感じの分厚いガラスの容器に入っていますね。
ほんのちょっとで、くそ高い。
たまたまもらい物で、我が家で食べた経験は何回かありますが、あえて、買うまでして食べようとは思えない。
キャビアを超える魚卵製品は、結構ざらにあると思うんですね。
イクラなんかなかなかのものでしょ。
お正月定番の数の子だって、極上品は、やはりなかなかの美味です。


それと、そもそも天然のチョウザメは、希少になっていて、
主流は養殖のもののようですが、これも実は問題を抱えているそうで、
分かりやすいことで言えば、かなり大きくなるまで、オスメスの差が分からないのだそうです。
したがって、せっせせっせと育てても、オスが半分ですから、結果的には、コストが倍になるという事でしょ。
それと、瓶詰などの場合、どうしても塩分が高めになるので、
本場で食べたことのある人に言わせると、日本で食べるキャビアは、
塩辛いばかりでうまくない、と言います。
つまり、私達が知るキャビアは、名ばかりで、

真においしいキャビアを食べた経験がないのか知れない、と思うんですね。

 

で、フォアグラですが、日本でも生産されているくらいで、
それが本来のフォアグラかどうかはわからないのですが、
なんだかんだと、食べてみれば三大珍味と言われるだけのことはあるかな、と思います。
単純に言えば、ガチョウやアヒルの肝臓なんですが、
これに餌をたっぷり与え、狭い飼育箱であまり運動しないようにして、肝臓を肥大化するんですね。
まあ、この飼い方に問題アリとする人もいるんですが、
いくらストレスが無いように育てたとしても、結局は殺して食べてしまうんですから、
そのプロセスをとやかく言うのは、少し筋が違っていないか、と思います。


まあ、人間の食欲の前には、多くの生きものが犠牲なっているわけで、
フォアグラの生産過程が、動物愛護家にしてみれば、クレームを付けたくなるのでしょうが、
これは、そういう旨いものを抱えこんでしまったアヒルの不運なんですね。
ここは割きりましょう。

 

さて、この三大珍味、結果として、何年に一度口にするかどうかでしょ。
しかも、本来の味なのかどうかは疑問なんですね。
だったら、日本三大珍味なら、もう少し身近なはずですし、日本で生産されるわけですから、
本来の味を楽しめるのではないか、と思うんです。

 

日本三大珍味とは、実は、いろいろなものを挙げる人がいるのですが、
定説としては、江戸の頃にすでに定まっている
うに・このわた・からすみ、が三大珍味です。

うには、は「生うに」ではなく、塩を混ぜ合わせてペースト状にした「塩うに」のことです。
本場としては、福井で製造された「越前雲丹」が挙げられます。
ま、でも日本中には獲れますから、どこの産でもいいと思うのですが、
これはうに塩辛ともいわれるので、作り手によって、いいも悪いも味が変わります。
単純には、高いものほどおいしい、と言っていいでしょうね。
とは言え、手が出ないというほどのものではありません。

 

で、コノワタなんですが、これはご存知ナマコのはらわた。
そもそも、ナマコとは、本名が「コ」なんですね。
生だから生「コ」、干したものホシコ。
ナマコの干したものではなく、正確には「コ」の干したものです。
で、この「コ」の内臓、はらわたですから、「コ」のわた、というわけです。
ナマコを大量にいただくことがあるんですが、
この時、口を切り取り、ワタを出して下ごしらえをしますが、
はらわたを別にとっておいて、これを掃除して塩漬けにします。
ワタは、時に柔らかすぎることがあるんですが、全部まとめて漬け込めば、それなりのコノワタが出来上がります。
ただ、やたら長いのと、その中に溜め込んだ泥をしっかりと抜き出さないといけません。
まあ、出来合いを買ってもいいのですが、これがびっくりするほど高い。
とは言え、確かに三大珍味だな、と思えるような風味がありますね。

 

で、からすみなんですが、
以前、父が健在の頃、10月初旬、馬入川に和舟を漕ぎ出し、産卵に遡上するボラを投網でとらえ、
メスの腹のなかから魚卵を取り出し、これを干してからすみを作ったものです。
ボラの獲れ具合にもよりますが、多い時なら、数十本という量のからすみが、
我が家の冷蔵庫にはありました。
ですから、珍品と言う印象が無かったのですね。
でもこれを売っているところではまあ、並みサイズだったら、片腹で2千円から3千円。
両腹揃っているもので、サイズの大きいものは、桐の箱に入って5千円とかするんですね。
まあ、値段から言っても三大珍味です。
今年、たまたま魚屋の店頭で生のボラの卵を見つけたので、
早速買い求め、塩漬けし、天日に干してからすみづくりをしました。
かれこれ2週間ほどかかったでしょうか。
取り敢えず、色と言い、艶と言い、型と言い、まあまあのものができたのです。
肝心の味の部分は、これからです。
お正月のおせちまでお預けです。

| 水嶋かずあき | グルメ | 13:38 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
クジラ食わなくても死なない

よく、ナマコを人類で最初に食べた人の勇気を称賛する、という発言を聞いたことがあります。
まあ、見た目とてつもなくグロテスクですし、
少なくとも、これはなかなかうまいものだ、という経験と認識が全くない人に、
ナマコを差し出して、食べてみろ、と言っても普通は食べないでしょ。
そのぐらい、食とは、経験の積み重ねで認識してゆくものなのです。
周囲が食べているから、と言うよりは、
認識前に食べているということが大きいのです。


つまり、うまいかまずいかとか、安全かどうか、などの前に、

すでに食べていることが、食べることにつながるんですね。
動物として、私達は食料を食べて命を繋いでゆきます。
この時代には、うまいまずいの前に、食べられるか、食べられないかを基準に食べてきたはずです。
それは食べて安全かどうか、と言う機能のチェックで、

口に入れたものを飲み込むのか、吐き出すのかのどちらかなんです。
見た目とか、味ではないんですね。
ですから、ナマコを食べたのは勇気でもなんでもなくて、

普通の食行動の一環として、海にいたナマコを食べたのだと思うんです。

で、食べれる、と。


比較すべきレベルのものか分かりませんが、
日本でも、地域によって、ザザムシや蜂の子を食料にしているところがあります。
そう言う食習慣の無い所に人にしてみれば、なんてもの物を食べるんだ、となるでしょ。
今は殆どなくなりましたが、私が小さいころは、イナゴの佃煮が食卓に出てきたことがありました。
要はバッタです。
でも、皆が食べているし、ためしに食べてみたら、なかなかうまいものだ、と思ったものです。
いま、突然何の予備知識なしに、イナゴの佃煮を出されたら、大半の人が食べないでしょうね。
食習慣とはそんなものなんです。

 

つまり、意識以前の段階として積み重ねてきた食習慣が、
いわゆるそれぞれの独自の食文化になってゆくわけです。

 

韓国や中国で犬を食べる食習慣があり、これを他の国の人間が非難していますが、
それは、そういう文化がないだけのことで、嫌悪することが正しいというわけではありません。
これは、菜食主義者が、肉食を非難するの等しく、
人の食行動に口出しをすする権利は、誰も持っていないのです。
どうして、食べものとしての対象に、伝統とか、習慣の違いを認めることができないんだ、
と思うんですね。


要するに、牛を食べるのはよくて、犬を食べるのはよくない、と言うのは、

単なる食文化の違いであって、
民族としての、偏見や侮蔑の元になるものではない、と言うことです。

 

これは逆に、日本の食文化に対しても言われることです。
日本では、クジラを食用にしています。
しばしば、国際社会で非難されてきました。
これは、いわゆる食文化の否定ですから、見当違いな非難だと思いますが、
このよう状況の中で、クジラが十分に手に入らなくなってきました。
そして、そのことは併せて希少品化したわけですから、値段も高くなってきました。


子どもの頃、給食で、クジラの竜田揚げが出てきて、
感動するほどうまい、と思ったものですが、あの時代の食料事情が基準ですから、
それこそ、クジラごときでも、うまい食べ物だったんですね。
ノスタルジーとしてはさておき、正直、食材として、それほどのものか、
と言うのが、食の現場にいる人間としての考えです。
まあ、なんだかんだと、スーパーの棚に並んでいる豚や牛の方がずっとうまい。
国際社会と喧嘩してまで、クジラを確保しなきゃいけない食材なのか、という疑問があります。


第一、ここまでの希少品となると、この一年間でクジラを食べたことがない、

なんて人は普通にいると思うんですね。
つまり、かつて習慣の中の食材だったものが、縁遠くなったこともあって、
だんだんと食品リストの中から消えてしまったんです。
つまり、日本の食文化と言う観点で言えば、いつの間にか食べなくなってしまった食品の一つなわけです。

この類の変化はごく普通にあります。

こうなると、どうしてもなきゃいけない、と言うほどのものではないでしょ。


私は、国際社会と角つきあってまで、クジラを確保しようとしている人の真意が分からない。
ある産業に従事していても、それが先細りになれば、別の道を探すでしょ。
クジラの時代じゃないでしょ。
クジラを取ることで、生計が立てられるのは何人なんだ、と思うんですね。
その一握りの人のために、日本は、国際的スタンダードを破ろうとしていることが理解できない。

 

政府が国際捕鯨委員会・IWCを脱退し、約30年ぶりの商業捕鯨再開にかじを切るそうです。
何が理由か、と思いませんか。

一部、日本の食文化を守るべきだと主張する自民党議員らによる脱退論の盛り上がりの結果だそうです。
浅はかですね。

そもそも食文化は変化するものです。

そんなことは、自分自身の何十年かの経験で分かっているでしょ。

かつて食べてきたものを食べなくなったり、食べたこともなかったものをしょっちゅう食べるようになったり、

食材、料理に関する変化を自覚できるはずです。
口先だけの食文化論を振りかざすのは、いかがなものでしょうか。

 

 

| 水嶋かずあき | グルメ | 12:22 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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