水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
3010運動って知ってました?

日本国内の年間食品廃棄量は約1700万トンといわれています。
これは、皮をむいたり、骨を取り除いたりという部分も含まれますが、
データとしては、ここの数字が基礎になります。
これは国内及び海外から調達された飼料などを除いた農林水産物の
約8400万トンの2割に相当します。

 

そこで、タラレバの計算をしてみます。
まず、廃棄された食品の量は、そもそも失われても、なんてことなかったわけですから、
本当に必要な量は、6700万トンになります。
8400万トンのうち、自給率39%(ただしカロリーベース)ですから、
輸入に頼っているのが、現状では、61%となり、5124万トンとなります。
で、ロスなしで賄うということで、先ずは輸入分を減らしてみると、
5124から1700を引くと、3424。
つまり、3424万トン輸入すればいいことになりますね。
これで済ませれば、あれほど気にしていた自給率は、
一挙に48・9%となり、ほぼ半分という事になります。
廃棄した量を節減するという事で、相対的に自給率も上がるというわけです。

まあ、数字のマジックですが、
それにしても、日本の食糧問題の解決方法の一つだと思いませんか。

 

それよりも何よりも、問題は食品ロスです。
「食品ロス」とは、本来はまだ食べられるのに捨てられる食品のことを指します。
食品ロスの量は、推計の段階ですが、年間約500万〜800万トンと試算されており、
絞った数値としては、632トンと言われています。
これは、世界の国々が食料を十分に確保できない国の人たちに対して
食糧援助をしていますが、その総量が320万トン。
食料難をすくうための食料の量のほぼ倍を、
日本では捨ててしまっている、という事です。
これは単なるもったいないという感情論だけではなく、
罰当たりな行為でしょ。


人の命を支えるのが食料です。
世界では8億人の人たちが満足に食べることができなくて、
飢餓状態にあると言われています。
しかし、我が日本では、様々な理由で、食べられる食料が、無残にもゴミとなっているんです。

 

さて、いったいどこのだれが、こんな罰当たりなことをしているんでしょうか。
まずは食品製造業が、144万トン、外食産業、120万トン、食品小売業、60万トン、
食品卸売業が16万トンとなっています。
まあ当たり前と言えば当たり前ですが、
食品ロスの現場は、作ると食べるの直接的な分野が大きくなっています。

ですから、作る・食べるの家庭はかなりのもので、
食品ロスの約半分に当たる年間約200万〜400万トンは家庭から発生しています。

 

外食産業に関しては、作る際のロスよりも、むしろお客の食べ残しが問題になっていて、
提供した料理のどのぐらいを残しているかは、営業の形態で異なります。
レストラン食堂が3.1%、旅館宿泊施設が13.0%、宴会・パーティ会場が15.2%、
結婚披露宴会場、結婚披露宴会場が22.5%となっていて、
食堂、レストランでは、好みのものを頼むので、完食が普通です。
ところが、コースなどのあてがい扶持になると、一挙に食べ残しが増えます。
特に、結婚披露宴では、お客様が着席している時間が短いためと、
若干の見栄もあって、品数が多いので、どうしても食べ残しが出てしまいます。

 

そこで、なんと、3010運動というのがあって、
宴会初めの30分は、先ずは食べることに専念しましょう、と。
そして、お開きの前10分は、席に戻って、残りを食べきりましょう、という運動なんです。
そこで、3010運動というわけです。
知らなかったでしょ、こんな運動があるなんて。

ですもんね、日本が食品ロス大国になってしまうわけです。

 

最近、ドギーバックなるものが、陽の目を見るようになりました。
そもそもは、レストランなどで、残り物を家に帰るための下げ袋のことです。
ま、犬に食わせる的な見てくれを気にして言ったのが始まりなんですが、
現在では、人間が家で食べるために、持ち帰り容器としてのものとなっています。
これはいいことでしょ。
もったいないの対処法の一つです。
ただ、飲食店側からすると、店の管理外に持ち出されるため、
食中毒なんかが起きたらどうする、と言いう問題は残っています。
ま、あちら立てればこちら立たずですが、

まずは、知恵を出して、やってみたらどうでしょう。

 

| 水嶋かずあき | グルメ | 01:22 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
はしり・旬・名残り

今が旬だとかよく言いますよね。
ドンピシャのタイミングみたいなことです。
盛りでもいいし、絶頂期でもいい。
もともとは食材のおいしい時期のことを旬と称していました。
旬は、上旬、中旬、下旬でも分かるように、10日間前後の期間を指します。
大体、季節季節で巡ってくる食材の美味しい期間は、

まあ、10日ぐらいだろ、というところが原点になっています。
とは言え、その盛りである旬の前から出回り始め、

旬が終わったと思える後も、まだ出回ることがあるので、
これにも丁寧に名称があって、旬の前をはしりと言います。


魚屋の店頭を眺めていたら、ホタルイカが並べてあった。
おおう、そうか、もうそういう時期か、みたいに感じることがありますが、
ま、それにしちゃ、一足早いかな、と思ったら、これがはしりです。
本番到来の一歩お先に、という事ですね。
で、旬に入って、もちろん、物によってその旬の長さは異なります。
特に、人工的な栽培をしないものは短いですね。
この時期で言えば、ふきのとうなど、スーパーの店頭で見かけたと思ったら、
次に行った時はもうない、何てことはざらです。


そして、これも物によってですが、旬が終わっても、まだ流通するものがあります。
これを名残りと言います。
はしりも旬も名残りも、物によってはそれぞれの味わいがあって、
なかなか豊かな料理の世界を作り出すのですが、
名残りに関しては、いささか、気持ちの動きも伴い、
ああ、これでぼちぼち終わるんだ、みたいな惜別の心がより味わいを深くすることがあります。


で、八百屋に、本来の旬の期間を超えて結構長々と出回っているのは、
産地が異なるからですね。
例えば、これから旬の竹の子は、本来、もし、平塚産のものしか扱わないとしたら、
本当に、いいとこ10日間ぐらいしか出回らないのです。
十日間を意味する旬に、竹カンムリで筍(たけのこ)と言う字ですから、
正に筍はそういう季節を表す代表格なんですね。
しかし、全国の流通に載って、食材が届けられますから、
一か月やそこいらは品物が店頭にならぶわけです。
こう言うものって、気温が影響しますから、
竹の子の初期は九州のものが出回り、やがて北上し、近畿、東海、そして、
関東に入ります。
関東を抜けたら、北陸や東北のものに変わる、という事で、
なんだかんだと、走りと旬となごりが合体して、長めの旬を構成するのです。


もっと極端には、一年中というものが多くなってきましたから、
現代人は、旬に疎くなっているようですね。
ま、ある意味、旬と言う存在は、流通システムやら、保存技術やら、
品種改良などで、いつでもどこでもと言う状況を作り出してきましたので、
本来の季節の流れの中、私たちの目の前に登場する劇的な効果を失わせてしまったのかもしれません。
便利と言えば便利ですが、季節感をそぎ落としてしまったというマイナスも
しっかり感じ取ることも必要でしょ。


昨年、すさ美会展で、絵献立という作品を出品しました。
要は献立にその出来上がりを絵で表したものです。
最近はそんなもの観なくなりましたので、精一杯歴史的な考証をしたうえで、
作品を書いたのです。
で、作品展の時期が5月の連休だったので、
端午の節供の祝膳、というテーマに絞り込み、
まずは献立を決めるところから入ったのです。
つまり、この時期の旬の食材は何か、という事ですね。
いくら美術展の作品でも、背景になるところにリアリティが欠ければ、
作品としても問題がある、と考えたからです。
何しろ、5月初旬の、しかも祝膳ですから、
縁起の良い食材、料理、を前提に、本来あるべき物は何か、
という事の献立作りに、一か月もかかりました。


その献立に登場したのが、
若竹煮、という筍と若布(4,5月が旬です)蕗の青煮などを盛合せたもの。
また、アユの塩焼きと蓼酢を添えたものの魚料理も入れました。
5月ですから筍はなごりです。
鮎は、ちょっと早めなので、はしりです。
まあ、こんな風に、旬を意識しながらも、

微妙な食材のおいしい時期をコーディネートするわけです。

 

ま、深く追求すればそれなりに、意義深いものがあるのですが、
昨今の、なんでもありの状態だと、
旬という言葉自体が妙に古ぼけたものと感じてしまいます。
ほとんど気にしないというか、はっきり言えば、いつがこの食材の旬なのか、

なんて誰も気にしていないと思うんですね。

かつて、ナパサでグルメ番組を担当しているときに、
和、洋、中のそれぞれの季節に応じた料理の紹介をしましたが、
洋と中は、基本的に旬という概念がないんですね。
ですから、旬を大切にするという日本料理の在り方を誇りに思っていたのですが、
最近はいささか堕落して、旬の概念のない洋とか中とかと
変わりなくなってしまった、と思っています。

 

ま、これも時代の流れでしょうか。

| 水嶋かずあき | グルメ | 10:05 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
我が湘南論 4

さて、中国湘南と大磯あたりの景色がよく似ている、と言った人がいたわけです。
実際、私たちが旅をしたりすると、
微妙にわが故郷との比較をすることがあるでしょ。
それは似ていないという認識もありますが、どちらかと言うと似ている要素を探し出しますでしょ。
で、きっと江戸の頃の旅人は、地方に出向いた時には、
何時でも、我が地との違い、類似点を探しながら異国の景色を見ていたのだと思うんです。

 

この主人公は、まちがいなく中国湘南に在住していた人です。
ここまでは間違いありません。
前回登場しました呉先生が、清絶という言葉の由来を説明してくれましたので、
これで確定ですよね。
じゃあ、なぜその中国人が日本にやってきたのか、日本に来た目的です。
おそらく九州のどこかに上陸し、しかも、東海道を歩いて、どこかに向かったわけです。
で、まちがいのないことは鴫立庵の前を通ったという事です。
偶然か意図があったのかは別です。
それともう一つ、どこかの道すがらなのか、帰り道なのかも重要です。

さてこれらの要素と、湘南と言う地の特性をさまざまな観点で推測すると、
次のような人物像が浮かび上がります。

 

まず、当時、中国から日本への渡来は、簡単なことではありませんでしたが、
すでに、明の時代には、大航海時代と言われるほど航海術は発達していましたので、
ある程度安全を見込める移動手段だったんですね。
現に、日本の仏教界からの要請で、何人もの高層が日本に来て布教活動をしています。
有名なのが、インゲン豆をもたらせたと言われる隠元師などがいます。

とは言え、この時代、いくら航海術が向上していたものの、
やはり危険はあったわけで、そこを超えて日本にやってきたというのは、
相当の大きな使命があったのではないかと思います。
だって、物見遊山で、日本見物なんてありえないでしょ。


訪日の強い要請があったのか、日本でなすべき大きな仕事があったのか、
いずれにしても、ただの旅行客ではないはずです。
さて、そこで、そのいずれにしても、

中国の湘南からやってきたという地理的な要因を考慮すべきです。


中国湘南の一つの象徴として、南岳衡山と言う山があります。
およそ標高千二百メートルちょっと。
周りには、取り囲むように山塊が連なっており、なかなかの風光明媚なところです。

中国に南岳以外に東岳、西岳など、あちらこちらにある山で、その姿の美しい山を名山と称し、

それが五つあるので、五名山と言っていて、そのうちの一つです。
このふもとには、古南台寺を始め、禅宗の数々の名刹があって、
まさに、禅宗のメッカともいえるところです。
これは、達磨大師が海辺を移動し、途中、中国大陸の中央に向けて北上したのですが、
この途中で、腰を据えて布教活動をした、と言われていて、
そこが、この南岳衡山なのです。


日本では、鎌倉幕府が鎌倉にその拠点を構えると、
一挙に、禅宗の寺々が開かれます。
以来、禅宗のメッカともいえる状態になります。

 

ここから先は、多分そうだろうという話です。

大礒の鴫立庵に立ち寄った人は、中国人で、その人は湘南からやってきました。
おそらく、禅宗の僧ではなかったか、と推察できます。
もちろん、要請があったのか自主的だったのかはともかく、
何らかの情報をもたらすために、日本の禅宗一派の支援でやってきたのです。
当然目指すは、鎌倉です。
で、まさに表敬訪問のごとく鎌倉の禅宗の寺寺を巡り、
さまざまな情報交換をします。
その中で気になる情報が一つありました。
それは、大磯鴫立庵の庵主のついてのことです。
禅宗の僧が、鎌倉で小耳にはさんだ話は、
その庵主は外郎雪崇と言い、
小田原の外郎家の二男坊で、雪崇は、出家して、禅宗に帰依し、
大礒の鴫立沢で草庵を結んだ、と言うんですね。
その外郎家は、中国出身で、話によると湖南省出身らしい、と。
それは当然ですが、とても興味深い話です。
で、場所を確認し、帰りにはぜひ立ち寄りたい、と。
この話を聞いた途端、
その僧の心は大磯の鴫立庵に向かっていたのです。

 

そして、雪崇と鴫立庵で、意義深い出合いを持つことになります。

| 水嶋かずあき | グルメ | 10:04 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
今年もはるみは特Aだぞ

おいしいご飯はおかずもいらないくらい、とよく言われます。

 

私は、10年ぐらい前ぐらいから、ご飯を炊きはじめました。
まあ、これは我が家の食事係をするようになってからのことです。
もともとは、母が炊事係だったんですが、体調を崩したのをきっかけに私が引き継ぎ、
以来、すっかり私の役割になりました。
仕事柄もありますが、調理することが好きだったので、
毎日の炊事当番をいやだと思ったことはありません。
まして、現役引退してからは、日課的にやる事があまりないので、
調理をすることは、かなり楽しみの一つになっています。

 

で、マンションに移ったところで、炊飯器のいいものを買おうと思い、
思い切って、そこそこのものを買い求めました。
金額で言えば、10万ほどしました。
の割には、どこが優れているのか、と思うんですが、
あれこれついている機能も、使えばこそ価値があるのですが、
毎日ごく単純に、ご飯を炊き続けるだけですから、
考えてみると、あれこれの機能も、宝の持ち腐れですね。
まるでスマホみたい。


私は、携帯では、電話を掛けることと、スケジュール管理をするだけですので、
写真すら撮らないので、その他のものは、邪魔で仕方ないのです。
うちの炊飯器もまあ、それに似ていて、
あそこまでの高性能のものである必要はなかった、と、後悔しているんですね。
ま、ともかく、電気釜の機能もさることながら、
やはりおいしいご飯は、米の素性によりますよね。
それと、仕込み方。 


ご飯の仕込み方は、たまたまあるご飯炊きの名人と言われる方が、
テレビで解説していましたので、それに感化され、以来、踏襲するようにしています。
若干我流が混じりますが、こんな風にしています。
まず、米を計量します。
我が家はだいたい3合、これで3人が二日食べれます。
本当は、毎日炊けばいいのでしょうが、
それも結構面倒なので、二日に一度。
それなりの電気釜なので、翌日ぐらいまでは、まあまあおいしく保温できます。


で、測った米を、ざるに入れます。
そこで、一気に水をかけ、ざっと流したところで、
大きめのボールに移します。
ここで、手をグーを半開きにした状態で20回ぐらい研ぎをします。
要はぐるぐるかき回すのです。
で、またざるにあけ、水をかけて、とぎ汁を流し、再びボールに移します。
ここで、二度目のとぎをしますが、これは10回ぐらい。
そこで再度ざるにあけ、とぎ汁を流し、水をかけ、水を切り、
炊飯器の釜に移します。
定量の水は、冬場なら水道の水を使いますが、
夏場なら、氷をカップに入れ、冷やし、これを入れます。
さらに、いいのか悪いのか、よく分かりませんが、
ちょっとは旨味につながるだろうと、
小さじ1パイのサラダオイルと、小さじ1パイの砂糖を入れます。
いや、専門家の方がこれを読んだら、何てことするんだ、と言われそうですが、
たまたま思いついてやってみたら、結構うまいご飯が炊けたので、
正に水嶋流のやり方で、炊いています。

 

ま、雑に研ごうと、安価な電気がまで炊こうと、
実はそれほど変わりがないんじゃないか、と思っていますが、
どうもコメだけは正直で、銘柄的なコメはそれなりの食味がありますよね。
我が家は二日で3合ですから、目方にすれば、およそ500グラム。
有名銘柄ですと、キロ4000円から5000円ぐらいですから、
目いっぱい贅沢をしたって、4000円で、一日分が一人66円。
5000円の超一流銘柄でも80円ちょっとですから、
気にする額でもないでしょ。
わずか一人一日10円ちょっとの差で、おいしければ、結構な話だと思うんですね。
なにしろ、お米がおいしければ、その分おかず要らずともいわれますもんね。

 

話は変わりますが、まぐろの刺身を通常醤油を付けますでしょ。
この時、普通の醤油と、風味豊かな一流の醤油では、
マグロの味が変わるんです。
いい醤油で食べれば、まぐろの価値が一丁上がるというんですね。
一丁とは、100円に相当する、と思ってください。
例えば、100グラム500円の赤身のまぐろを一流の醤油を付けて食べると、
一丁上のまぐろ、つまり、100グラム600円ぐらいのまぐろの味と遜色がない、
と言われているのです。


逆にお米の場合、炊き方とか、釜とかなんかより、お米の素性が優先します。
おいしいお米は、それなりの味わいがあるものです。

先日、米の食味ランキングが発表されました。
驚いたのですが、28年間特Aと言う最上ランクを維持してきた
魚沼産のコシヒカリが、その栄光の座を滑り落ち、
Aと言う二番目のランクになってしまいました。
何か、米の神話のように魚沼産のお米は評価されてきたのですが、
ここでその神話も終焉を迎えたわけです。
もっとも、その年その年で気候の変化もあるので、
また巻き返してくるとは思うのですが、
ともかく28年連続の記録は途絶えたわけです。

 

さ、そこで、昨年、堂々の特Aと言う評価を得た、

我が平塚産米のはるみですが、
今年も特Aを獲得しました。
凄いことでしょ。
全国有数の米どころに対抗しての特Aですから、これはたいしたものです。
あの魚沼産のお米よりランクが上なんですから。
せめて、ふるさとのお米に誇りを持ちながら、
大いに、おいしいご飯を味わってください。

| 水嶋かずあき | グルメ | 10:36 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
バカマツタケ

奈良県森林技術センターと森林総合研究所は、
マツタケと近縁種のバカマツタケの人工栽培に初めて成功したと発表したそうです。
バカマツタケなんて茸があるとは知りませんでした。
その記事によると、バカマツタケは、マツタケと見た目や食味、香りが似たきのこだそうで、
菌糸を培養して苗木と一緒に植え、広葉樹の多い林で発生させるのだそうです。
自然の状態での採集より安定生産が見込め、食味を生かした販売も期待できるとして、
奈良県内のきのこ農家に技術の普及を進め、これを普及しようというのです。

 

実は、このバカマツタケは全国の広葉樹林に発生しているのだそうで、
やや小ぶりながら、マツタケ程度の大きさに育つ、とか。
なんと、戦後になって発見されたため、知名度は低い茸なんですね。
このニュースの価値は、栽培に成功したとかの内容ではなく、
そんな茸があったんだ、と言う方が価値があるくらいでしょ。
でも、全国の広葉樹林に発生しているとかですから、
よほどうまく隠れおうせて生きてきたんでしょうね。

 

ま、そのくらいですから、人工栽培もそうそう簡単なようではなさそうです。
で、開発した栽培法は培地で2カ月間、菌を培養。
菌糸を砕いて土壌資材と混ぜ、苗木の根に密着させて、
ミズナラ、コナラ、クヌギ、ウバメガシなどブナ科の広葉樹の林内に植える。
ちなみに、2016年11月に約10本植え、菌糸などの塊「シロ」を3本で確認。
17年10月にきのこ1個が発生した、と言うのです。
いくら実験段階とはいえ、一年で1本です。
この程度で、成功した、なんて報道していいのでしょうか。


もっとも、今後、うまくいけば、バカ高いマツタケに変わって、
いくらか安いバカマツタケが登場するのだとしたらそれはそれでうれしい話です。

 

もともと、マツタケによく似た茸があって、
これは図鑑にも出ているんですが、
マツタケのおばさん、と言う正式名称があります。
これは姿かたちはマツタケそのものなんですが、
マツタケのあのカオリが全然ない。
一度、長野に旅した時、地元産の野菜など売っている道端の小屋で、
ひっそりと売られているのを見たことがあります。
で、名前を聞いて、変わった名前なので、きっと地方名なんだろうと思い、
図鑑で調べたら、正式名称だったんですね。

ま、本来のマツタケから見ればいくらか味や香りが落ちるのですが、
だからと言っておばさんはないだろうと思いましたが、
また今回のバカマツタケもないでしょ。


新商品という事で、バカは付けない名称がいい。
第一買う時、そこのバカマツタケ下さい、とかいうんでしょうか。
威勢のいい八百屋の親父が、このバカかい?、なんて会話になりがちですよね。
売る方も買う方も、バカを連発するんですから、なんかパッとしないでしょ。

 

バカと言えば、バカガイと言う貝があるでしょ。
あれも正式名称なんです。
見た目はハマグリに似た貝なんです。

なかなか貝殻の姿では見ないと思いますが、
斧足(そふく)と言って、オレンジ色の舌のような部分を、
アオヤギと言いますが、時にお寿司屋さんなんかで出てきますね。
これは、今の市原市の青柳という地名で、
そこでよく獲れたので、殻を割って、身を加工し、

出荷したところの名称を通称として言うようになったのです。
ま、もう一つは、バカ、という名称を避けたこともあったようです。
このバカガイの貝柱も小さいながら、うまいもので、
柱だけを集めて商品として流通していました。
小さいから、小柱と言いますが、先ずは珍味に近いくらいおいしいものです。
バカに獲れるんで、その名がついたとまでされる貝ですが、
最近は、あまり見かけなくなりましたね。

ま、いずれにしても、大事な食材を馬鹿にするような名称を付けるのは、
いかがなものでしょうかね。


茸にしろ、貝にしろ、おかげさまで食べさせてもらえるんですから、
もうちょっと敬意を払った呼び方があると思うんです。
バカガイの場合、貝そのものとしての流通はほとんどありませんから、
加工された、その斧足とか小柱とかに、バカの名称は残っていません。
で、茸は、やはりそれらしい名称を付けたほうがいいでしょ。
栽培して、新品種として、流通させる場合、
農業委員会の認定が必要なんですね。
この時、その品種そのものの名前を付けることができません。
湘南産の赤玉ねぎは、湘南レッドと言います。
玉ねぎと言う名称を付けてはいけないんですね。
理由は分かりませんがそういうことになっています。
ですから、この申請する時が、ここがチャンスでしょ。
食欲のわくような素敵な名称を期待します。

| 水嶋かずあき | グルメ | 07:22 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
手垢料理

最近めっきり少なくなったのですが、
どこかよその町に出かけて行って、宿泊し、翌朝そのホテルで朝食をとる。
で、この内容が、実はどこも似たり寄ったりで、
食べなければ、腹が減るし、朝起きたらまずは食べると言う食事に過ぎないように思うんです。
breakfastの意味そのものですね。
breakは打ち破ること、fastは断食ですから、
断食を打ち破るという事で、その日の最初の食事のことを
breakfastと言うわけですが、いささか大げさな概念ですけど、
結構的を得た表現ですよね。
で、結果として、このbreakfastは朝食になるわけです。

 

まあ、年々この朝食も改善されてきました。
最近のホテルの朝食は、バイキング方式が圧倒的に多くて、
そのほとんどが和洋折衷タイプで、
ごはん中心の和食を選ぶなら、それらしきおかずの選択ができて、
パン中心の洋食を選ぶなら、そこそこにバリエーション豊かなおかずが選択できます。
まあ、配慮の行き届いた朝食が提供されています。


とは言え、そうでないところも当然あるわけで、
規模の小さなホテルでは、宿泊客そのものが少ないわけですから、
そうそう幅の広いメニューは用意できません。


沖縄のビジネスホテルに泊まった時のことです。
規模は小さいので、それほどの期待はしていなかったんですが、
朝、帰り仕度をして部屋を出て、チェックアウトの前に朝食をとることにしたのです。
で、レストランの入り口で、ウエイトレスが、
バイキング形式になっていますから、お好きなものをセルフサービスでお取りください。
と説明しているのです。
で、入り口で、先ず、皿数枚と箸を大きめのトレーに乗せて、その先に進むと
料理が並んでいるのです。
最初のおかずが、玉子のスクランブル、玉子の料理はこれしかないんですね。
ですから、これを取る。
次が、ウインナソーセージのボイルしたもの。
肉系のものはこれしかないんです。
さらに、グリーンサラダが大きな容器に盛ってあって、
そのそばに、これを掛けよとばかりに、ドレッシングが置いてある。
で、最後に焼いたトーストが置いてあるんです。
バイキングと言う割に選択の使用がない。
若干、量は多めとかは可能にしても、
タマゴのスクランブル、ソーセージ、グリーンサラダ、トースト、
と言う構成にしかならないんですね。
見ていると、他のお客様のトレーの内容は、誰も変わりがないんです。
選択の余地がないのですから、当たり前なんですが、
どこがバイキングなんだ、と思いました。

 

20年ほど前のことですが、ドイツのベルリンに宿泊した時のホテルの朝食は、

それは豊かな気分になれたものでした。
まずは、パンですが、これが20〜30種類並んでいるんです。
いくら種類があっても、朝食べれるのは、いいとこ2〜3種でしょ。
ですから、あれも食べてみたいこれも食べてみたいという気持ちがあっても
あきらめざるを得ないのですから、気持ちが残りますよね。
パンがそのくらいですから、ソーセージの類も目移りがするほど多種多様なんですね。
もちろん、玉子料理も何種類かあったりとか、
スープもかなりの種類置いてありました。
ですから、たった一回のチャンスだったのが、悔やまれて仕方なかったんです。
これって大事なことではないですか。
思いを残す、という事こそ、次につながるんですね。

もっとも、思いこそ残りませんでしたが、
沖縄のホテルの朝食は、記憶に残りました。

 

道場六三郎さんが言ってました。
旅館なんかで、出てくる夕膳は、大体が、板前の手垢料理が多い、
と批判したんです。
手垢料理とは言い得て妙な表現なんですが、
手順が複雑でやたら手間をかけた料理のことで、
どうやって作ったんだろうとか、何が入っているんだろうとか、
謎めいたところもあるけど、だからと言って特別旨いわけじゃない。
料理人としては、どうだ、なかなかの腕前だろ、と、
腕を見せたがる気持ちが鼻につく、と言うんですね。
確かに、私もこの意見に賛成で、料理の原則は、食材を素直に加工することなんです。
あれこれ手を入れるという事は、鮮度とか、素性とかにいささかわけありの食材を
調理する場合の手段で、塩を振っただけの焼魚や、切っただけの刺身、
さっとゆでた菜もの、だけで十分。
揚げ物だって、タレだの出汁だのも悪くはないですが、
塩で十分でしょ。
そこで道場さんはこう言いました。
だってさ、夕膳も結構だけど、旅館の食事は朝飯に限るだろ、と。
あの朝飯はパートのおばちゃんたちが、用意したもんだよ。
何ってややこしい手を加えたものはない。
でも、うまいだろ、と言うんですね。
確かにその通り、もし、別々に料金を払ったら、
何の変哲もない旅館の朝食は、夕膳の何分の1かでしょ。
夕膳が10000円だったら、朝食は1000円とか、それに色を付けた程度。
でも、決してそん色はない、と道場さんは言うんですね。
朝のパートのおばさんを誉めつつ、手垢料理をよしとしている料理人への警告だと思うんです。


最近、グルメ番組などでも、複雑怪奇な調理法を得意げに披露している
いくつか星をもらったシェフがテレビに登場しますが、
朝どれの魚を刺身にしてくれる魚屋さんの方が、
ずっと旨いものを作ってくれる、と思うんです。

 

で、料理は作れるはずなんですね。

 

 

| 水嶋かずあき | グルメ | 09:04 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ウナギのかば焼きのたれ

よく、うなぎ屋のたれは秘伝のもので、
江戸後期から開業以来、継ぎ足しのたれを使い、もう百何十年という歴史が
このたれには詰まっているのです、とかの話を聞いたことがあるでしょ。
まあ、のれんのしっかりした老舗ではありうる話ですよね。
土ガメにたれを入れ、これにウナギのかば焼きを付けては焼きますので、
そのカメの中には、鰻の脂肪分や体液が混じります。
もちろん、一部の焦げたかけらなども入ります。
これは目の細かいタマで掬い取ります。
これが繰り返されていると、カメの中のたれが、
微妙に熟成する、と言うのか、発酵するというのか、
要は、深みのある風味が生まれてくるのです。


しかし、付けて焼く、を繰り返すと、当然カメの中のたれは減ってきます。
そこで、秘伝の調合で、作った新規のたれをカメに入れます。
まあ、これが継ぎ足しという事ですね。
この継ぎ足しにも、旧たれと新たれの比率があって、
このぐらいまで減ったら新しいたれをこれぐらいの量を入れる、としています。
これはやきとりのたれなども同じで、
新規のたれだけで焼いた焼鳥は、どうも味に深みがないんですね。
甘いとか、からいとかではないある種の風味です。
ですから、継ぎ足しのたれで焼くようにするんです。
これは、不思議と、鶏肉の絡み具合が良くて、
のれんの味と言うのは、そういう事か、と思うことがしばしばあります。

 

ところがです。
この継ぎ足しを妙に重視したがために、味を壊しているうなぎ屋もあるんですね。
まあ、どことは言いませんが、たれの味に妙に苦みがあるんです。
多分、相当舌の肥えた人でなくては分からないかもしれません。
その苦味の原因は、ほとんどが、新規のたれを作るときに、
火加減が悪く、微妙に焦がしてしまい、それで苦味が回ってしまうんですね。
焦がすと言っても、寸胴などの壁面の焦げです。
これが混じると、味を損なうんです。
で、分からず、このたれを足してしまうと、
今までのたれが、パーになります。
そうなったら、また新規にやり直すしかないんですね。
これに気づかず、これを使い続けていると、味に不純な感じがしたママなので、
いつまでたってもその余韻を引きずることになるんですね。
ここは一番思い切りが必要なんです。

で、これはうなぎ屋自身の能力の問題です。


たれの構成は、醤油・みりん・砂糖です。
これを煮詰めるんですが、ここのところはある程度機械的に出来るはずです。
ところが、味醂にしろ、砂糖にしろ、ましてや醤油にしろ、
実はある程度の製造技術によってつくられた製品である、という前提で使っていますが、
中でも醤油は、実に不安定な商品の一つで、
一番の問題は塩分濃度が、季節によって変化するという事です。


その昔、店先から座敷までの通路に醤油の四斗樽がいくつか置いてあって、
うちではこのメーカーの醤油を使っています、
と、いかにも誇示するように陳列してある老舗のうなぎ屋に行ったことがあるんです。
この醤油のメーカーは、地方の小さな醤油屋さんで、それなりに高い評価を得ているところです。
ここの樽を並べてあるという事は、樽の中で熟成度を高める、という事だもあるんです。
要は、そこまでして、たれを作っています、と言うデモンストレーションでもあるんですね。
そんなくらいですから、
正直なかなかうまいウナギを食べさせるお店でした。
ところが、次に行った時、そのたるが消えたんですね。
きっと、メーカーも樽詰めの醤油を作らなくなったんだと思います。
すると、やはりたれの味が変わっていたんです。
これは、もう、その店の能力を超えているんです。


醤油の質が落ちれば、それはたれの味が落ちますから。
と言うことは、蒲焼の味も落ちる、という事でしょ。

最近そこのうなぎは味が落りたね、と、
何人かから聞いたことがありました。
やはりそうなのか、と。

 

もちろん基本は、鰻そのものの質がいいことですが、
結構たれと言うものが影響しているのです。
うなぎは高いですし、なかなか口に入らない。
で、ついついスーパーの棚に置いてあるウナギのかば焼きを買って、
家で温めて食べる、という事で、鰻を食べた気になっていることがあると思うんですが、
この時、たれの味が正直、うまくない。
今まで、あれこれ食べましたが、どれもたれがうまくない。
ですから、専門店のたれの味まで届かなくても、
付いているたれで食べるよりはまし、という事で、
自家製のたれを作って、それで味をつけ直すと、
かなりおいしく食べることができるので、ひと手間かかりますがこれをお薦めします。
ちなみに、醤油・みりん・砂糖の比率は1:1:1でいいと思います。
これを全体量が7割ぐらいになるまでゆっくり煮詰めます。
急ぐとナベの壁が焦げて、苦みが生まれてしまいます。
買ってきたうなぎは湯沸かし器の湯で洗って、水気をふき取り、
改めて自家製のたれを付けて温め直すと、おいしくなります。

 

今は冬、鰻の季節じゃないだろう、と思うでしょうが、
この季節おすすめなのが、鰻ぞうすいです。
土鍋に、水を張り、これに先ほどの自家製のたれを入れます。
その比率は好みです。
煮立ったところで、白飯を入れ、弱火でじっくり炊き込みます。
途中、刻んだうなぎをご飯の上にちらし
一煮立ちしたところで、溶き卵を回し掛けします。
要は普通の雑炊と違うのは、ご飯が茶色になっているところです。
アツアツを取り分けて、ふうふう言いながら食べてください。

 

| 水嶋かずあき | グルメ | 10:41 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
銀座泰明

銀座の泰明小学校の制服をアルマーニ―製のものにする、というニュースに、
かなり世間はざわつき、ネットでもあれこれ反応したご意見が飛び交っていました。
そりゃそうでしょ。
小学校の、しかも、公立の学校ですから、
それが、超一流ブランドの服を着るのか、と。
校長としては、なんたって天下の銀座にある小学校だから、
それなりのブランドが必要、と考えたようです。


一時、CI(コーポレートアイデンティティ)と言うのが流行って、
ある種のイメージ戦略なんですが、猫も杓子もこれを手掛け、大流行をしました。
しかし、そのうち、包装紙よりも中身だろ、みたいな空気が生まれ、これも下火になり、
今更、CIを声高に叫ぶ企業はいなくなりました。
で、このアルマーニ―騒動で、ふとこのことを思い出したのです。


なんとなく、この校長の思いは分かりますね。
ブランド力で、その名をはせたい、と。
天下の銀座の天下の泰明だぞ、なめんなよ、みたいなところでしょうか。
おおむね、世間はこの考えに冷たく、
そんなことでブランド力を上げてもしょうがないだろ、とか、
何しろ高価なものだから、アルマーニ―に手が届かない家庭はどうなるのか、とか、
いろいろ言われています。
ともかく、上から下までそろえると8万円はする、と言うんですね。
子供のことですから、成長もするし、服を傷めるのも激しい、
買い替えのたびにそこそこのお金が出てゆく。
これはつらいでしょ。
ちなみに、ネットの通販でも小学生の標準服として、何パターンかの制服が、
載っていますが、
おおむね、単品で数千円レベル。
上から下までセットにしてもいいとこ、2万でしょうか。
世間は、いや庶民はこんなところで満足しているのです。


ですから、校長先生は、自分の夢を勝手に膨らませて、
良かれと判断したんでしょうが、
正直、正しい判断とは思えない。
水前寺清子さんの歌に
ボロは着てても心の錦、という、一本どっこの歌がありますが、
私は、こう言う精神が好きですね。
見た目じゃないよ、というのは、われら戦中派の価値観なんでしょうか。
ファッションでちゃらちゃらするのを好みません。
何しろ物自体がない時代ですから、みんなぼろ着てましたから、
そのことそのものをみじめに思ったことはありません。
かといって、いくらかモノが豊富になったからと言って、
ファッション優先の考えには、なかなかならないのですね。

 

さて、話は変わって、
銀座泰明軒と言うレストランがありますが、
場所は泰明小学校の傍らで、開業したと言うので、
泰明軒と名乗ったそうです。
茂出木心護さんと言う方が、銀座泰明軒で修業をし、
やがて独立し、初めは京橋あたりに、さらに日本橋に転出し、
たいめいけん、と店名をひらがなに変えて、今日に至っています。
ともかく、オーソドックスな洋食を売り物にしていて、
なかなかご繁盛のお店で、現在は、三代目に引き継がれています。

 

この初代茂出木さんは、ただの調理人ではなく、
幅広く活動をされた方で、
確か凧に趣味があって、全日本凧協会のようなものの会長さんを務めていました。
併せて、ラジオで料理相談室のようなものを担当され、
リスナーからの質問に調理人として答えるという番組で、

なかなかの人気で、私も何回か聴いたことがあります。
 

その中でももっとも印象的な相談事とそのアドバイスを一つ紹介します。
「友人から、大きな鮭を一匹もらいました。
私達は夫婦二人所帯なので、この大きめの鮭を食べきれそうもないんです。
いったい、どのようにしたらいいのか、
その方法を教えてください。」と言う質問です。
すると茂出木さん、いきなりこういいました。
「大体塩鮭と言うのは、焼いて食うのが一番。
かといって、何日も続けばそりゃ飽きちゃう。
だから、切り身にして、ご近所とか、友達んちなどへ配ればいい。
それがおいしく食べる方法だな。」
ですって。
見事でしょ。
小賢しく、あれこれレシピを紹介するんじゃなくて、
おすそ分けを薦めたんですね。
これもまた、料理に対する愛情ですね。

| 水嶋かずあき | グルメ | 10:50 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
好き嫌い

飽食の時代だからこそ、と思うのですが、

人には、どうしようもない好き嫌いがありますね。

私はほとんどありません。

まあ、食欲が旺盛な方なんですね。

で、食べれない、と言うレベルの好き嫌いがある人に

なぜかと聞くと、そのほとんどが、合理的な説明ができません。

強いて言うなら、あるものを食べた時に、食中府毒を起こしたという経験があると、

それがトラウマのようになって、その後、嫌いになったり、食べれなくなったりするようです。

これは実は、「食DNA」にとって当然の働きなんですね。

 

よく、ナマコを見て、あんな気持ちの悪い姿のものを
最初に食べた人間は、なかなか勇気がある、とか言いますでしょ。
何もナマコに限ったものではありませんが。
しかし、人間の食生活、食文化と言うものは、そもそもがきわめて伝統的なもので、
地域地域で生産される食材を食べるという知恵が、伝承されてきただけのことなんですね。
例えば、私たちは、蜂の子を食べます。

しかし、人によっては、とても気持ち悪くて食べられない、という場合もありります。
イナゴの佃煮なんて、私たちの年代のものは、
なかなか香ばしくって歯触りも良く、普通に食べたmのです。
もっとも、最近は見かけなくなりましたが、
あれだって、冷静に考えればバッタなんですから、
一つ見方を変えれば、よくあんなものを食べたな、と思いますでしょ。

 

よく、すっぽん料理を高級料理として、珍重するように食べますが、
あれだって亀の一種でしょ。
じゃあ、亀を食べるか、と言えば、普通は食べないですよね。
つまり、とやかく言う前に、実は周囲では普通に食べていた、
と言うのが食DNAに影響を与えるのです。

 

いい例がフィリピンのバロットです。
バロットと言うのは、アヒルの玉子で、孵化寸前のものをゆでて食べます。
殻を割ると、中から少し産毛の生えたアヒルのひなが、体をかがめた状態で、
茹りあがっているわけです。

これをばくっと食べる。
私は、どんなことがあってもバロットだけは食べられない、と思うんです。
見た目でもうダメですね。
きっと美味なんだと思いますが、これは、挑戦する気になれません。
一方、国によっては、日本で普通に食べている生卵は、
口にできないそうです。
正に、食習慣が背景にあるからでしょ。


ですから、ナマコを見て、気持ち悪いと思うのは普通ですが、
周囲ではおいしいおいしいと言って食べているわけで、
釣られて口にしてみれば、
確かになかなかの食味なわけで、いつか食べるようになってしまいます。
これをさかのぼって、人類で最初にナマコを食べた人は、
何も気持ち悪いとかの概念を持たない、原始の時代の人類で、
動くものはとりあえず食べてみる、といった食文化の時代があったはずです。
食文化とか言う前に、食事がエサと同列にあった時代のことです。
ともかく食べなくてわいけないという時代は、
先ず口にしてみる、という事だったと思うのです。
ですから、ナマコを食べるのは、勇気でもなんでもなく、

ある食材という見方しかなかったはずです。
そして、それが受け継がれ、いつか、人はナマコを食べるようになっていった、
と言ういきさつなはずです。
勇気を称賛するのは、今とその昔の流れをつなげられないからです。

 

人類が地球上で、ゴリラやチンパンジーと共通の祖先から枝分かれして
二足直立歩行をする動物として種を確定させてきた経緯の中で、
その頃何を食べていたのか、と言うことを研究してきた学者先生によりますと、
どうも木の実や、昆虫を主食としていたらしい、と言うんですね。

これは遺跡で発掘されたそのころの人間の歯の傷を見ると

そのように推測できるのだそうです。
すっぽん鍋や、すき焼を食べていたわけではありません。


ですから、蜂の子を食べるのも、イナゴの佃煮を食べるのも、
かすかながら残っている、食に関するDNAのなせる業かもしれません。
逆に、残存している食DNAとして、
ある種のものを食べない、と言うのもあるわけです。
我が友人で、野菜と魚しか食べないという人がいます。
肉は一切口にしないんですね。
何故かはいくら説明を聞いても理解できないんです。
きっと、日本で長らく続いた獣肉を食べることを忌避してきた食DNAが、
先祖がえりのように、その人に現れたのかもしれません。

 

まあ、好き嫌いがあったり、
食べれないものがあったりと言うのは、これは好みの問題に含まれるので、
とやかく言う事ではありません。
でも、肝心なことは、食材が何であれ、食べれるという事のありがたさが、
結局基本になるのでしょうね。

 

私は、食べているときそのものより、
不思議と調理しているときの方が、はるかにありがたさを感じることが多いのです。

 

| 水嶋かずあき | グルメ | 10:23 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
一人酒

昨日、私が所属する美術集団、すさび会の新年会が開催されました。
これは、総会?も兼ねてです。
総会に?マークを付けたのは、一応年度決算の報告をするのですが、
別に監事がいて監査をしたりとか、することもありませんし、
仲間内のお金を預かっているという感じの会計さんですから、
通帳を調べようとかの空気もなく、
決算報告も、誰も真剣に聞いてないんですね。
第一、年間総支出額が12万円ですから、いささかその面では雑に扱われてしまうんです。
なので、総会的要素は1〜2分。


後は次々出てくるお料理を楽しみながらのおしゃべりタイム、という事です。
会員の一人が、フランス料理のお店の奥方なんで、
そこでの新年会です。
で、なぜかこの会では、酒飲みがほとんどいなくて、
ビール派が半分。
その他アルコール系が2割ぐらい。
残りはノンアルコール系ですので、先ずは飲みすぎで乱れる、なんてことはありません。
まあ、その面ではおとなしいもんです。


こういう時でも、私はビルは飲みません。

場が場ですから、白のグラスワイン。

私がビールを好まないのはいくつか理由があります。
ビールは、陰陽で言ったら、陰のお酒なのではないか、と思っています。
ビールで酒席を過ごすと、先ずすぐに腹が膨れてしまう。
次に、料理をおいしく食べれない。

そしてなぜか、鬱っぽい酔い方になってしまうんですね。
それと、あのビター感が、舌にあまりいい影響を与えるとは思えないのです。
確かに、ドイツあたりの、
ソーセージなど結構脂っこいものをつまみに食べるときには、
口の中を洗うという感じになるのでしょうが、
繊細な味付けを楽しむ和食とかフランス料理には、
いささか味覚を楽しむ上では、邪魔になると思っているのです。
いや、もともと苦いのが、字の通り苦手なんですね。

 

酒席のルールと言うか、過ごし方と言うか、ま、酒席ですから飲み方と言うか、

なんとなくここも、変化が著しくなってきました。

場にもよりけりですが、酒席の目的の一つにコミュニケーションを図る、
という事があると思うのです。
で、事実、一度酒席で酒を差しつ差されつしながら、

話をした相手とは、一気に距離が縮まりますでしょ。
注がれるという事は、自分のペースが乱れるという事は確かにあります。
しかし、ビール瓶を手にして、酌をしようと言う相手の行動は、決して悪いものではないでしょ。
その人なりに、グラスが空いたから、注ぎましょうか、という事なんですから。
決して余計なお世話ではない。
気にかけていただいている、と捉えればありがたいことです。
また、逆に、気にかけています、と言う合図のように酌をするわけですから、
確かに、コミュニケーションは進むはずでしょ。


しかし、最近、いくつかの理由で、差しつ差されつが減ってきたように思うんですね。
これは酒席に参加する人の意識が微妙に変化したのと併せて、
飲み方自体が変わってきたからです。
例えば日本酒での猪口って小さいですよね。
考えてみれば、一口用の容器でしょ。
ですから、猪口で飲もうとすると、年中差し続けることになる。
で、ここで、面倒だから、とグラスなどに切り替えると、
酌をする、杯で受ける、と言うやり取りの頻度が一挙に減ってしまうでしょ。
これは酌のやり取りが面倒、というように、人間関係をぶっきらぼうに考えると、
最初っから枡酒のようにグラスでもらうようになるんですね。
誰も注ぐというかかわりが持てなくなる。
また、ビールなどは、かつて、ほとんどがビンビールでしたが、
最近は生が主流です。
つまりジョッキでビールをもらうので、酒客同士で、注ぐという事がなくなりました。

 

そういえば、私がビールが嫌いな理由は、
自分の好みのコンディションでビールが飲めない事でしょうか。
もう少し減ってからがいい、というのに、注ごうと言われれば断れないでしょ。
で、結局注いでもらう。

年中生暖かい気の抜けたビールを飲み続けることになる。
と、これが嫌なことの理由かもしれませんね。
かといって、ジョッキの量は多すぎて、結局最後の頃は、
同じく生温かくて気の抜けたビールになっていることが多いんですね。
そう考えると、酒席のコミュニケーションって、
変質しつつあるのかもしれません。

 

おひとり様、という言葉がはやりましたが、
人はだんだん群れを嫌うようになってきたようです。
正にドクターXですね。
一人酒、と言う飲み方が増えてきたのです。
ある居酒屋で、カウンターで1人で酒を飲んでいる人がいて、
その隣に座っている人も一人で飲んでいて、
ふとしたきっかけで話を交わすようになる。
そういえばあなたはいつもおひとりですが、
一人で飲むのが好きなんですか、と聞く。
ええ、あれこれ余計な気を使わずに、酒を楽しめますから
私は一人で飲むのが好きなんです。
そうですか、私もその通り、一人が気楽でいいですね。

いやほんと、一人が一番。
なんか私達は、気が合いそうですね
じゃあ、今度一緒に飲みましょう。
いや結構ですね。
と、人ってそんなもんじゃないですね。

 

| 水嶋かずあき | グルメ | 11:13 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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