水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
馬肥ゆるの秋

先ほど、マンションのベランダで、メダカの水替えをしていたのです。

相変わらず、繁殖力が旺盛で、次々と産卵するんですね。

もとはこの春に、ユニディのペットショップで買ってきた15匹の親が始まりです。

先日、この親が一挙にお亡くなりになったんですね。

理由はよくわからない。

きっと水が汚れたのでしょうか。

メダカの知識ある人は、ペーハーがいくつか超えるとまずいとか言うんですね。

また、水温は30度を超えるとよくないとか。

先日、コロナ用に買ってきた電子体温計とでもいうのでしょうか。

光線をぴっと当てると、どの度数が表示されるというやつです。

保健所で取り扱っていたので、買ってみました。

5000円ぐらい。

で、これで水槽の温度を外から計測したら、37℃ぐらい。

いやこれって、ちょっと風邪ひいたぐらいじゃん、と思って、

早速ユニディに行って、農作業用の品物のコーナーに行って、

遮光ネットを買ってきたんですね。

で、真夏の直射日光を和らげようと、かけているんです。

実際、4〜5度は温度が和らぎます。

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ま、ともかく、15匹の親から始まって、すでにその子の代が産卵を始め、

ここから育った別の水槽に入れておいた水草に

卵がついていたので、この水槽でも産卵が始まったのか、と。

つまり、三代目が卵を産んでいるんです。

メダカの寿命って、いいとこ2年ぐらいだそうで、

自然環境の中では、一年と言うこともあるとか。

まあ要は短命なんです。

ですから、来年の春には、なんてのんきなこと言ってられない。

春に生まれたら、夏のうちに次の子を残さなきゃいけない。

そうなると、孫たちもせっせと繁殖作業をする。

つまり、やたら増えるのです。

かといって、せっかく生まれてきた卵は大事にして孵化させたいですし、

孵化して、針子と言うんですが、1ミリにもならないような糸くずみたいな赤ちゃんも

何とか大きくしたいでしょ。

そこで命への未練とでもいうんでしょうか、どんどん数が増えてゆくんですね。

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さて、ベランダにおいてある水槽を眺めながら、

泳ぎ回っているメダカを見ているのが、これが何ともまったりした癒しの時間になってきたのです。

まあ、爺になってきた証拠でしょうか。

特に、ここにきて、風が涼しげに感じられます。

秋風に吹かれながら、それでも強い日差しの中で、表の空気を吸うって、

なかなかいい時間になるんですね。

見上げれば雲一つない青空。

そういえば、天高く、馬肥ゆる秋、とか言いましたね。

台風一過、後始末に大わらわのところもあろうかと思いますが、

申し訳けないのですが、こちらはさわやかな秋の風を味わっています。

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今朝の食卓に、石川芋が載りました。

石川芋と言うのは、そもそもは石川早生と呼ばれるもので、

その原産は、大阪の南河内石川村と言うところで栽培されていたのでその名前が付いたそうです。

この時期になると、里芋の小さな玉のような株を取り分けて、

ざるに山盛りになって、八百屋の店頭に並び始めます。

この石川芋を見かけると、ついつい買ってしまうのですが、

調理はいたって簡単、毛の生えた皮のままよく洗います。

土気をしっかりと落とせたら、鍋でゆでるだけ。

産地にもよりますし、芋のサイズにもよりますが、

大体、15分位ゆでれば出来上がり。

途中不安だったら、一個取り出して食べてみればいい。

ねとっとした感触になっていれば出来上がり。

この先は、醤油もいいですし、塩でもいい、皮を押して軽く中から顔を見せたところで、

付けて食べるんですね。

これを酒の肴にしたら、他のものはいらないですね。

 

料亭の仕事でも、この時期の前菜の盛り込みによく使われました。

ただ尻の処を軽く切り落としておくんです。

そこから出しやすいですし、丸のまま、と言うのはぶっきらぼうですから。

 

そういえば、いつも行く生鮮スーパーで、マツタケの姿を見ませんね。

今年はあきらめました。

また、今年はサンマがバカ高いようですね。

冷凍でストックしてあった解凍もので我慢するか、この秋は残念するかですね。

そういう意味で、何の環境の変化か、秋の食材に陰りが見えてきています。

今までも、食材の栄枯盛衰のようなものを見てきましたが、

たまたま今年が外れ年なのか、不作なのか、来年は回復するのか、

そこが読めませんが、

徐々に変化があって、ふと気が付けば、いつの間にか見なくなったな、

と言うことになるんでしょうか。

旬の味わいも、もしかすると、一発勝負なのかもしれませんね。

 

| 水嶋かずあき | グルメ | 12:33 | comments(0) | - | - | - |
鰻の乗っていないうな丼

ネットに不思議な食レポが載っていました。
タイトルは、「カルディの謎すぎる商品:うなぎのいらないうな丼のたれ」を美味しく食べる方法
ですって。
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要はカルディが新商品を発売し、それがウナギのいらないうな丼のたれ、と言うことなんですね。
ちなみに、この商品146円と言うことです。
まあ、確かに、うな重とか食べてみると、ウナギのかば焼きとたれご飯の詰め合わせですから、
蒲焼食べたら、たれご飯食べる、この繰り返しでしょ。
おそらく最後の最後は、重箱の隅に残っている一塊のご飯を掻き込んで、ごちそうさま、となるはずです。
おいしいたれがかかっているので、当然ですが、ウナギなしでご飯だけ食べる瞬間があるわけですね。
食レポを読んでいて、子供のころのことを思い出しました。
その食事の場所は、代官町の家だったので、間違いなく小学校に上がる前、5〜6歳のころのことです。
いやあ、あれから70年です。

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まだまだ終戦直後と言うことで、かろうじて家はあったものの、
何かと貧乏暮らし。
風呂はドラム缶のゴエモン風呂でしたし、
庭先には鶏小屋があって、卵は自給自足のころのこと。
ですから、
食生活と言ったって、満腹になればそれで上等で、
これと言ったメインディッシュもなく、食卓の豊かな献立は別世界の話です。
そんなある日、多分、馬入川辺りで捕まえたウナギが登場したのです。
そのころは、父はまだ印章業の手伝いを主にしていたころだったので、
きっと自分で獲ってきたのか、誰かからもらったのか、
サイズでいえば、やや小ぶりのウナギが5〜6本分食卓に登場したのです。
父が、出刃包丁で悪戦苦闘しながらウナギを割き、
このウナギ用に作ったたれで、コンロの上で焼いたものが、
ご飯の上に載って出てきたのです。
もう、これはおおごちそう。
70年経ってもまだ鮮明に覚えているんですから、相当の感激をしたんですね。
で、私には子供用の小さめの茶碗にご飯が盛ってあって、たれがかかっている。
蒲焼が一匹分が載っている。
かといって、これをご飯とともに食べてしまっては、楽しみが続かない、と考え、
小皿にウナギのかば焼きを外したんです。
つまりウナギを食べるのは後回し。
蒲焼を見ながら、まずはたれご飯を食べる。
3杯や4杯はお替りしたと思うのです。
ただひたすらたれご飯を食べる。
で、最後に、やっとご飯とウナギを食べる、と言う食べ方でした。
まあ、貧乏くさい食べ方かもしれませんが、
その日の夕食は、とてつもなく心に深く刻まれていて、
今でも贅沢になった口への戒めとして、思い出すことがあるのです。
それなりに、いい時代だった、と。
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さて、鰻のたれですが、よく、注ぎ足しをするので、うなぎ屋のたれは、
創業以来の伝承されたものだから、価値がある、とか言われます。
もちろんそれなりの価値はありますが、
長期間継ぎ足しをしてきたからと言って、うまいたれである、と言う保証はありません。
まずはこう考えてください。
焼き場、火鉢があるところですね。
ここに、火鉢とたれツボがあります。
割いて串打ちをしたウナギを白焼にし、さらに蒸し、

蒸しが効いたところで、たれに漬けて、余分なたれを切り、
これを火鉢に乗せ、裏表焼き上げてゆきます。
途中、何回かたれツボにいれ、たれを絡ませます。
で、焼きあがったら、2番目3番目の串を抜き、親串と言って、一番左側に打ってある串をもって、
重箱のたれご飯の上に乗せるのです。
で、ご飯にかけるたれは、たれツボのたれではありません。
掛けダレと言って、別に作ったものです。

たれツボのたれはウナギの焼け焦げてはがれた部分などが混じり、

掛けダレ用の細いノズルに詰まってしまうんですね。

ときにご飯に均等にたれが掛けられない。
ですから、創業以来のたれツボに伝承された風味は、縁がないんですね。
申しわけないけどそれが現実です。
もちろん、蒲焼そのものには、創業以来の継ぎ足ししてきたたれが絡んではいますが、
ご飯はそうはいかない。
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さらには、たれツボのたれは、秘伝の配合比で煮詰めて作るものなんですが、
これが減ってしまったたれツボにたれに足されるわけです。
まあ、理屈から言って、何%かは昔のたれの風味が伝承されていると考えてもいいのですが、
基本的には、一年もすれば、昔のものはなくなっているはずです。
しいて言えば、焼いた鰻をたれツボに入れるわけですから、
鰻の油や、体液などが混じりますよね。
そこに醸し出されるものは、計算上の産物ではないので、
それなりの価値があると考えますが、
一方、鰻を焼いた時のひれとか、尾の先など、焦げやすいところもあって、
この焦げが一部入ります。
ですから、 時に、焦げ味がすることがありますが、これは鰻の風味を悪くするので、
ひたすら伝統の味、とか言ってますが、場合によっては全取り換えをした方がいい、とも言われています。
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で、この食レポの話なんですが、
このご時世、蒲焼の乗っていないたれご飯で一食を済ませようなんて御仁はいないと思うんですね。
ですから、私は口にしていないので何とも言えないのですが、
あえて、鰻のいらないうな丼のたれとまで言ってる商品なのですから、
もう一歩進めて、ご飯にかけるのと同時に、
蒲焼を温めるのに使ったらどうでしょうか。
私は、魚屋さんの店頭の解凍した蒲焼を時々買います。
でも、なんとなく、ここに付けられた味がいまいちに感じるので、
いったん、湯で洗い、たれを落としてしまいます。
そこに自作のたれをまぶして、改めて加熱し、ご飯に載せるのですが、
もしこのたれが買えるなら、一度試してみたいと思っています。
そうまで主張してたれを自慢したい商品なのですから、
きっとうまいだろう、と。
でも、なんだかんだ言って、蒲焼の乗っていないうな丼はちょっとみじめでしょ。
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終戦後のあのどさくさのころだって、
すくなくともウナギは乗っていましたからね。

 

| 水嶋かずあき | グルメ | 15:25 | comments(0) | - | - | - |
食品ロスの原点

先日もこのブログで触れましたが、中国で食品ロスに絡んで、ネットの大食い番組を禁止したとか。
ま、これは中国内の問題なんですが、日本の中でも、中華料理と言うのは、

かなり食べられている料理で、おそらく国際的な国の比較をし、

例えば、フランス料理とか、イタリア料理とか、中国料理とか、韓国料理とか、などを比較すれば、

最も多く食べられている料理だと思うんですね。

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実際、私が家の食卓に乗せる料理として、中華料理に関していうと、

和食の次ぐらいに頻繁に料理します。
まあ著名な料理ですが、青椒肉絲とか、麻婆豆腐、回鍋肉、乾燒蝦仁(エビチリ)などは、

今や普通に家庭でもお料理されているでしょ。
とはいえ、微妙に日本的なアレンジをしているものです。
まあ、郷に入れば郷に従えのように、その国の感覚に合わせ、

少しはなじみやすくするための工夫があるわけですね。
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以前、わたくしの処で、メキシコの人が調理人として仕事をしていました。

彼には天ぷらを担当してもらったのですが、とても器用な人で

あっという間にそのコツを取得し、なかなかうまい天ぷらを揚げていたのです。
で、彼はもともとメキシコ料理店のオーナーシェフだったのですが、

実はいまいち客が少なくて、暇なこともあって、小遣い稼ぎのアルバイトだったんですね。
そんな関係もあって、よく彼の店のメキシコ料理を食べに行ったんですが、微妙になじめない。
そこで、彼にしばしば、もうちょっと日本人の舌に合うようなアレンジをしないと、

客は増えないぞ、と言い続けたのですが、頑として聞き入れない。
私は、メキシコ料理の本来の味を知ってもらうために開店したんだ。

アレンジをすることで、メキシコの味が変わってしまう、と。
まあ、志としては理解できるのですが、要は客がなんて言うかでしょ。
で、結局閉店してしまいましたが、まさに、郷に入らば郷に従えなんですね。
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日本における中華料理もそれなりにアレンジされています。
とはいえ、中国で料理を食べた時に、日本との違いを感じるほどの差はありません。
何処か、共通の舌の感覚を持っているんでしょうか。
ただ、確かに料理の量は間違いなく、中国と日本の差を感じます。
日本の懐石料理を食べた外国人が、

物足りない、と感じるそうですが、でもこれが日本人の食文化なんですね。
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以前、平塚のホテルで、知り合いの結婚式があって、その席は中華料理だったのです。
で、祝辞やら、乾杯やら、例によってのセレモニーが進み、

最初の前菜が出てきて、箸を付けたところで声がかかったのです。
この時、私と一緒に出席した武藤君と、ともに七夕太鼓をしていたこともあって、

余興で太鼓を披露することになっていたのです。
で、衣装に着替えたり、太鼓のセッティングなどの準備のため中座したんですね。
演奏も終わり、さらに着替えて席に戻った時は、デザートの時間になっていたんです。
つまり中間のおいしいところは席にいなかったわけです。
でも、同じテーブルの人が、出てきた料理を取り分けていてくれて、
やや大きめの皿にそれが載っていました。
まあ、おそらく、テーブルの人数で割った分量を均等に載せてくれていたと思うのですが、

その一皿を見た時に、分量の少なさに、驚いちゃったのですね。
実は、次々と大皿で出てきて、それを取り分けて食べるのですが、

どのぐらいのものを食べているのか、感覚的に分からないでしょ。
それが改めて、今回のコースはこれらの料理でした、と一度に見せられると、よくわかる。
次々と食べているとき分らなかったのですが、それほどの量ではないんだ、と言うことです。
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私はある時期弁当屋をやったことがあるんですが、

ご存じのように、使い捨てのプラ容器で、仕切りのついているものです。
手前に白飯、向こうにメインディッシュ、鯵のフライトかハンバーグとか、それにかかわる副菜、などなど。
で、料金によって弁当箱は大きくなるのですが、それでも、入れる内容は、一個450g辺りが標準でした。
ですから、標準的には、一食450ℊぐらい食べているんだ、と言うことです。
もちろん、小食の人もいるでしょうし、若い人ならそれでは物足りないとか、

量目に関しては個人差があるでしょうが、日本人としてはそんなもんだろうと思っています。

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腹八分目、と言う言葉がありますが、とても重要ですね。
この八分目と言うのは、物足りないと感じがちですが、実はちょうどいいというところなんですね。
こんなところが目で見て八分目だろう、と言うところで、

一度、箸を休めてみると、結構腹は納得しているんですね。
ここで、その先に進み、満腹感を得てしまうと、微妙に胃が膨らむ。
これを繰り返していると、胃が大きくなって、満足感を得るため必要以上に食べてしまう。
当然余分なカロリーは蓄積されて、太るんですね。
胃の満足感は、コントロールできるのです。
ダイエットと言うのは、このコントロールがまず一歩ですね。

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つまり、食品ロスの問題はここが第一歩なんです。

| 水嶋かずあき | グルメ | 10:18 | comments(0) | - | - | - |
趣味の変遷

30代初めから50代半ばまで、
私は、青年会議所の会議やセミナーなどで、講師を務めてきました。
主には、まちづくりをどのように進めたらいいのか、と言ったことがテーマです。
で、事前に主催者からオファーがあり、日程や場所、会場、聴講の人数、テーマなど確認します。
そのほとんどが、プロフィールを送ってくるようにと言います。
まあちょっとした履歴書ですね。
その中に、趣味欄があって、趣味についてざっと書くわけです。

そのころは、日曜大工(休日が水曜だったので、正確には水曜大工)と書いていました。

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たまたま、七夕の飾りを作るために電動の機械を買いそろえ、年々それが増えていって、
素人にしては、ほぼありとあらゆる機械を持っていました。
ですから、竹飾り製作の延長として、家具を作り始めたのです。
と言っても、大体の家具はすでにあるわけですから、

生活の範囲内では、そう年中需要があるわけがない。
そこで、ちょっとした隙間を見つけては、そこ用の家具を色々と作ったんですね。
振り返れば、材木やベニヤ板、金具類など素材そのものが多様化しましたし、
機械も進化していたので、ある程度の経験を積めば、
なんてことなく家具の領域のものは作れるようになったんですね。
で、これが趣味欄の第一項目です。
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二つ目は、30代後半から始めた油絵です。
これは、今もYUOTUBEなどで見ることができますが、
(YOUTUBEで、ボブ・ロスの絵画教室で検索してください)
ボブ・ロスの絵画教室と言う番組を、当時NHKで流していました。
たまたまこれを見てとても面白くて、何回か観ていたんですね。
で、そうこうするうち、録画し、時間があれば録画を再生していたんです。
もちろん、一つの作品として楽しんでいたのですが、
ある時ふと気づいたんですね。
私が何度も気に入ってみていたテレビの番組は、絵画教室と言うタイトルです。
いわば、テレビ画面をみながら、絵の描き方を学んでいるわけでしょ。
そうか、じゃあ、物は試しでボブロス先生の教えのもとに、油絵を描いてみるか、
となったんですね。
そのころ、紅谷町の一角で画材や額など販売していて能勢君に相談して、
油絵を描いてみようと思うんだが、なにしろ初めてのことなので、
ごくごく初級者用に、必要なものを取りそろえてくれないか、と依頼したんです。
キャンバス、確か10Fと言うサイズ。
絵具12色ぐらい、溶き油、絵筆5種類ぐらい、パレットと、イーゼル(キャンバスを立てるもの)などなど。
で、それが届いてから数日じっと我慢していて、水曜の休みの日に、いよいよ描き始めたのです。
頭の中では、ボブロス先生はこう言っていた、と。
その言葉を思い出し、絵筆の動きもまねて、かれこれ1時間もすると描きあがってしまったんですね。
絵柄は、ボブ・ロス先生がよくとりあげていた森とそこに向かう小道、と言ったところです。
で、描き上げてみて、結構いけるじゃないか、と実に満足したんですね。
居間の片隅に立てかけて、何かと眺めていたんです。
何日かすると、だんだんと絵の評価が落ちてきます。
自分自身のです。
画面が平たんすぎる、色使いに創造性がない、などなど、反省の塊の絵になってきたんですね。
で、よし、じゃあ、といって、課題一つ一つを具体的に挑戦してみようと、
なんとその年一年で40枚以上の絵を描いたんです。
例の講演のため出かけてゆく電車の中では、小さなスケッチブックを持って行き、
電車の中で空想の景色の下書きを延々と続けたものです。
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そうこうするうち杵若の加藤氏に誘われて、すさ美会という美術愛好家のグループに所属し、
作品を出品するようになりました。

年を経て、現在はその会長を仰せつかっています。
ちなみに、来年5月には、第50回すさ美会展を開催する予定です。
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ま、ともかく、こうして長い間私の趣味は、家具作りと油絵だったんですね。
しかし時代とともに、というか年齢とともにこれも変化するものです。
一つは体力の問題がありますね。
30代に趣味をゴルフと言ったいた人が、80になっても趣味ゴルフと言うわけにはいかないでしょ。

特に家具作りは、音が出ますし、そこそこの機材を使いますし、

今のマンションの一室ではとてもできない。
油絵も会展出品のために年に一作描くだけ。
とても趣味とは言えない程、衰退してしまいました。
.

そこで改めて今の趣味は何だろうか、と。
つまり、その時間を過ごすことがウキウキするような時間で、
その中にじわじわと入り込んでゆくような興味深さを掻き立てるもの、と言うことです。
.
で、今更なんですが、その一つが料理ですね。
食材を買うところから始まって、あの手この手で調理する。
なんとも楽しい時間です。
よく主婦の方が、毎日、献立や買い物で大変とぼやいているのを聞くと、
なんともったいない時間の使い方をしているんだろうと。
掃除や洗濯など、基本的には原状復帰が精いっぱいでしょ。
でも料理は極めて創造的ですよね。
そこに楽しさを感じないなんて、何とも残念なことですね。
よく、何とか道(どう)と言うのがありますね。
茶道や華道、柔道や剣道、要は道とつくものの真髄は、
その習得過程において、人としての生きざまを合わせて修得することである、と考えています。
(習得と修得の違いがあります)
ですから、料理もまた、料理道と言うべきだろうと。
料理を作る中から、素材への知見を深め、料理法の習得を進め、
食材そのもの、さらに素材を作り出した人、料理を食べる人への愛と感謝が基本的に存在することです。

料理は生命体としての人間を活かしていますし、

作る方も生かされています。
これを道と呼ばずしてなんというか、ですね。
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で、今の趣味のもう一つはメダカです。
今、メダカブームだとか。
いや、実はメダカ全滅の経験を4回も繰り返してしまったんです。
なんとしてもうまくゆかない。
で、それなりの試行錯誤と、TOUTUBEなどで勉強してみて、
なんとなく飼い方が分かるようになってきました。
今年は、春先に15匹から始め、今や4〜500匹の大軍団に膨れ上がってきました。
もう、毎日、チビが成長してゆく姿を見て、心癒されています。
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趣味、家具作り・油絵から、料理・メダカに変わってしまいました。

 

| 水嶋かずあき | グルメ | 10:02 | comments(0) | - | - | - |
許されざる飽食

40年ほど前の話ですが、

中国の生活水準が低い時代、でも、確か人口10億は超えていたと思うんですが、
この膨大な人たちが、よりレベルの高い生活水準を目指したとすると、
世界の中でそれなりに均衡を保っていた生産と供給のバランスが崩れるだろう、と。
たとえば、彼らがトイレペーパーを普通に使うようになると、世界中がトイレットペーパー不足になるとか、
食料なども、それまで輸出国だったけど、国内での消費が増え、輸出どころじゃなくなる、
そうなると、かなりの国で食料不足になる、など、誠しとやかに伝えられていたことがありました。
一つの事例でいいますと、飲食業界では、普通に木の割りばしが使われていました。
このほとんどが中国産だったんです。
で、割りばしにも材質やら成形の形やら、不良品が出ます。
日本ではこれらをはじきますので、はじかれたB級品は中国国内に回るんですね。
で、それまで割りばしを使ったこともなかった中国人の食卓に変化が起き、
割りばしも悪くないじゃん、と。
そこで、割りばしの認知度があがり、今度は、積極的に割りばしを使うような傾向が出てきたんです。
と、今度は日本に回り込むはずだった割りばしが不足してくる。
さて、この後どうなるか、となったときに、たまたま多くの食堂が、置き箸に切り替えたんですね。
なぜか案外この置き箸は抵抗なく定着し、

未然に、日中割りばし戦争は防ぐことができたんです。

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ことほど左様に、あの膨大な人口ですから、中国がちょっとした変化で、世界の物流に大きな影響を与えるわけです。
経済力も向上しましたが、中国を見るときは、日本の10倍の国民で構成されているんだ、と言う視点が重要です。
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で、その中国で習さんが言ったのか、その周辺の人が言ったのか、分かりませんが、こんなことが発令されたようです。
浪費は恥ずべきもの、節約は栄えあるもの、

つまり、意味のない浪費と取れる大食いの動画が非難されたんですね。
そこで、中国で人気集めている「大食い映像」について中国政府が動画の投稿を取り締まることを決めたそうです。
中国では大胃王とか呼んでいて、大食いするところを動画をアップし、
そこそこに稼いでいた輩がいるんですね。
ある大胃王は、度が過ぎて、動画撮影中に倒れ、病院に搬送、結果亡くなってしまったそうです。
またある動画では、途中省略したり、撮影後に吐き出していたりのシーンが、編集されずに露出したりと、
とかく問題視されていたようです。
ともかく、習さんは無駄な食事をしないようにと、
いわば食品ロスへの警告を発したわけですね。
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中国国内のデータですが、
中国科学院によると、中国都市部で毎年1700万トンから1800万トンもの残飯が廃棄されていて
その量は3000万人から5000万人分の1年間の食料に相当するというんですね。
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中国に限らず、これは世界中の問題なんです。
私が環境問題に関心を持ちは初期のころ、食料問題と言うのも並行して議論されていたのですが、
このころ、地球で生産される食糧で、何人の人を養えるか、という推計が出されていました。
それによると、80億人、と言うことだったんです。
まだ地球人口が60億人のころの話です。
いま、76億人、あと4億人で食料配分の分岐点に差し掛かります。
これはまずい、と思うでしょ。
しかし、実態として、こんな背景があるんですね。
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まず、現在の地球上の穀類の生産量ですが、24億トン、
これを地球人口で割ると、一人当たりの割り当ては340キログラム。
実際に必要な量は、一人当たり180キログラム。
つまり楽々間に合うはずなんです。
にもかかわらず、食料問題は議論されて続けていることの基本は、
この食料の分配が偏っているからです。
いま、地球上では10億人が飢餓状態、と言われています。
一方で、飽食生活を謳歌している連中がいる。
日本人もその仲間です。
生産される全食料の3割で、飢餓状態の人を救えるというんですから、
逆に、いかに飽食生活の人が多く、食べきれないものを、廃棄しているか、と言うことです。
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わたしは、この食品ロスについては、
仕事が飲食業ですから、他人ごとではない、と思っています。
まあ、原則として食べ切れるものを食卓に載せること。
これに尽きるのです。
先日の廃棄前提おじさんのことをこのブログでも述べましたが、
やはり、文化として、そういうそういうことを習慣化すべきでしょうね。
食べきれないことが前提なんて、食材に申し訳ないでしょ。
彼らは命を懸けて、食卓にあがってきているんですから。
.
日本のテレビで、しばしば大食い番組を放送しますが、
不快感しか感じないので、すぐにチャンネルを切り替えてしまいます。
食べ物をネタにお茶らけるのはもってのほかです。
.
ところで中国では、食べることが第一義で、街中ですれ違ってのあいさつは、
めし食ったか、なんです。
まるで日本で、今日は蒸し暑いですね、とか、気候の話があいさつになっていますが、
それが、中国では食事したか、なんです。
まあ、余計なお世話だと思いますが、
ちゃんと飯は食っているよ、と言うのが、ぎりぎりの見栄なんですね。
そんなくらいですから、中国の食卓で、すっかり食べてしまうと、不快な顔をされることがあります。
おそらく、食べ残しがあれば、原則腹はいっぱいになっているはずだ、と。
でも、残っていないということは、物足りなかったかもしれない、と言う観点なんでしょうね。
そういう食文化ですから、食べ残しは当然なんでしょうね。
まあ、今まではそれでよかったのですが、人口が増えてくるこれからは、
やはり大事な恵みとして、感謝の気持ちをもって、

命をいただくという謙虚な姿勢を学ぶべきでしょうね。
いや、これは日本人も同じことです。

 

| 水嶋かずあき | グルメ | 12:14 | comments(0) | - | - | - |
食べきれない料理

和食の献立は、いろいろな流儀があって、一概にこれが正当派と言うものはありません。
以前、このブログにも登場した、故・阿部狐柳さん(料理研究家)にお伺いした時も、
表記の仕方、献立数など、実に多様なので、何処かで一度統一と言うわけじゃないけど、
基準になるものを決めたほうがいいかも、とおしゃっていたんです。
.
現在、料亭とか、旅館などで、いわゆる和食フルコースで出す献立は、
それぞれの板長は歩んできた流派のような違いをそのまま表現していますね。
ですから、これが正解と言うことはありませんが、
それでも、ある程度の流れはあるようです。
.
食事が始まると、所によっては食前酒が出ますが、
そもそも献立は、一献、と言って、酒を進める言葉で、

その酒をより味わい深くするものが、料理になります。
これが、次々と酒を薦める、一献、一献、一献と続き、

これに伴った料理が添えられます。

で、この、一献を際立たせるということで、これを献立というようになったようです。

ですから、料理と酒を最大に楽しむために、口の中のコンディションをどのように整えるのか、
と言うことに重きを置かれています。
したがって、初っ端に揚げ物が出てくる、なんて献立はありません。

まずは、前菜が出てくる、ま、これはいわゆる料理の始まりですし、
一杯目の酒のつまみですから、ある程度の決まりはありますが、
山海の旬の食材を厳選し、3〜4種の箸休め的な小盛の盛り合わせが原則です。
以前、一平と言って舟平の前身になった料亭では、これを盛り合わせと呼んでいました。
小料理屋なんかでは、突き出し、お通し、などと呼んでいます。
で、まずは酒席が始まり、次は吸い物です。
普通、汁物は食事、つまり白飯と対のもの、と考えがちですが、
この位置にあるのは、口を漱ぐということと、
酒で味覚が鈍る前に、調理人の腕の見せどころとして、
出汁をしっかりと引いた汁ものを提供するわけです。
椀ネタは、かなり手の込んだものを、ちょっとだけ入れます。
.
で、この次からはいよいよ本格化します。
まず、造りですね、刺身のこと。
料理の世界では、原則刺身とは表記しません。
そもそも刺身とは、江戸のころ、魚屋さんの店頭に魚を並べて販売しますが、
身をおろしてしまうと、何の魚か分からなくなります。
そこで、尾や胸鰭の部分を身に刺して、客が何の種類の魚か分かるようにした、と言うのが始まりだそうで、
いわば刺身と言うのは、魚屋の店頭の商品名なんですね。
ですから、厨房で手を加えるとなると、それが造りとなるわけです。
.
でこのあと、ものと言う表現で表しますと、焼きもの、煮もの(蓋ものとも言います)、
酢のもの、蒸し物、そして強肴(しいざかな)といって、いわばメインになるもの、
旅館なんかでは、地域の特産品をこれに充てます。
海辺だったら、伊勢エビの料理とか、陸中だったら銘柄牛の網焼きとか、
日本海側なら、ズワイガニをドカンと一杯なんてこともあります。
で、この後は、揚げものがエンディングとして出てきて、
あとは食事、くだもので締めです。

この途中に、しのぎ、と言って、軽く白飯を出すこともあります。

これはなぜか、一文字と言って、炊きあがったご飯をすっとしゃもじで切り取って、

一の字に近いような盛り方をします。

釜から直に掬い取りました、という証拠としての形なんでしょうね。
.
まあ、なんだかんだとフルコースだと前菜からくだもの(デザート)まで10品ほどになります。
これが標準と言えば標準。
この中でいくつか抜くことはありますが、ベースとしての流れはこんなところですね。
そもそも職人さんに気質と言うのは、腕を見せたがる癖が強いので、
どうしても、これでもか、と言う料理が続いてしまうんですね。
.
ネットで、小炎上している話題で、
GoToトラベルで泊まったら、廃棄前提で料理が多かったとツイートした「廃棄前提おじさん」が登場しています。
「GoToでちょっと高い旅館に泊まったら大失敗。夕食が多すぎて到底食べきれない。
廃棄前提としか思えない。頑張れば食べられる量には感じなかった。」とぼやいているんですね。
まあこのおじさんを非難するつもりはさらさらありませんが、
旅館と言うものは、こういうシステムで料理が出てくるのです。
何処かのレストランに行って、ふつうは、メニュー帳を見ながら、
私はこれ、俺はこれ、で、みんなでこれを突っつこうか、と、あれこれと注文するでしょ。
この食事形態と比較するとわかると思うのですが、
旅館はお任せです。
10人だろうと100人だろうと、全員同じものが出てきます。
つまり、レストランの注文方式は、好みのものを選択するんですね。
でも、旅館は一律。
したがって、嫌いなものも交じる。
なので、どうしても幅広く守備範囲を広げておくわけです。
ですから、廃棄前提おじさんの言うとおり、そういう仕組みになっている。
確かに食品ロスの観点から言えば問題ですね。

.
高級と言う旅館は、そもそも、食事代金の設定が高い。
平気で、夕食1万円は超すぐらいの値段設定をしています。
どんな高級食材を使っても、一万円分は食べられるはずもない。
高級旅館と言うところはそういうところだと思ってください。
ですから、事前に、可能かどうか、品数を減らしてくれ、と交渉するしかないでしょうね。
でなけりゃ、民宿あたりに変えるか、食事なしの素泊まりにして、近所のレストランに食べに行くかでしょ。
まあ、そういう気分を味わうことが前提ですから、
確かにもったいないと思うのは分かりますが、そういう贅沢が前提なんですね。
で、このおじさん、「もう、二度と泊まらない」と言ってます。
そうなんです、これも一つの学習でしょ。
.
私たち夫婦は、毎日を淡々と過ごしていて、たまには近場でいいから温泉でもいこうか、
なんて話が出るんですが、決まって、夕食の料理が食べきれないからもったいないしね、
と、計画はとん挫し、結局行かないんですね。
それは食べきれない料理に関する罪悪感なんです。

.

妙な話ですが、こういう旅館に行くということは、

食べきれない料理を食べに行くこと、なんですね。

 

| 水嶋かずあき | グルメ | 04:33 | comments(0) | - | - | - |
ポテサラ論争

ある食品売り場の惣菜コーナーで、その人は、きっとパックに入ったポテサラを買おうとしていたんでしょうね。

「母親ならポテトサラダくらい作ったらどうだ」とそばにいた高齢の男性が言ったとか。
で、この言い方に驚いた幼児連れの女性なのか、それを見ていたほかの女性なのか、
SNSでこのことを投稿したんですね。
私はそのオリジナルを読んではいません。
で、ここをきっかけに、この高齢男性の発言には批判が集まったそうです。
「ポテサラは簡単な料理か否か」という角度の違う論争まで起きているんだそうです。
.
私はナパサで番組を担当していますが、テーマは経験上、料理に関する番組です。
もともとは、1994年の11月、FM湘南ナパサの午後のワイド枠を担当することになり、
その中の1時間枠をグルメグルメグルメというタイトルで放送を続けてきたのです。
開始から782回目で、一時中断、と言うか、私が降板することになりました。
市長選に立候補を表明したなかでのラジオの番組を持っていることはいかがなものか、

みたいなことを言う人もいて、ここは潔く降板したのです。
で、また、最近は、第1金曜日と第5金曜日に担当をしています。
.
しばしばこの番組の中で、私の料理観のようなことを発言するのですが、
その上でこのポテサラ論争を評論するなら、自作に勝つものはない、と思うんですね。
時間がない、とか面倒とか、少しばかり作っても余ってしまうとか、
考えようによっては、安くつく、とか、
まあ、調理の出来合いを買う理由は山ほどあると思うのですが、
どんな理由を足し算しても、やはり料理は自作が原則だと思うのです、
.
10年ほど前のことです。
私が、昨年の七夕のころに亡くなった鳥保の鳥海さんに連れられて、
水道橋の駅の近くの細い路地を進んだところにある狐柳庵と言うところで食事をしました。
ここの主の阿部狐柳さんが主宰している、小さな料亭です。
阿部さん自身は包丁を握らないのですが、阿部さんが献立を立てて、
自分が気に入った腕のいい職人が調理するというところでした。
.
和食の本格的なお店、料亭とか旅館とかでは、調理場の親方は、その日の献立を立てると、
それを書きだし皆の見えるところに貼りだします。
実はこのことを献立、と言うんですね。
簡単な作業の指示などを書き込んだり、
盛り方をざっと絵にしたりと、人によって様々ですが、これを調理場に見えるところに貼るんですね。
一種の作業指示書です。
で、職方は、それを見て決められた仕事を分担して作る、と言うわけです。
親方の仕事は、ほぼそれで、終了。
ことほど左様に、献立を立てるということは相当な経験知識がないとできなかったんですね。
ですから、阿部さんが献立だけ立てて、あとは職方に任せるというのは、ありなんです。
.
狐柳庵の座敷は一つだけ。
一日一組と言うことです。
で、その席に安倍さんは必ず顔を出して、その日の料理についていろいろと説明します。
こちらもプロですから、ちょっと突っ込んだ質問をするのですが、実に見事にこの質問を裁くんですね。
その知識の豊富なこと。
歩く料理百科事典みたいな人でした。
で、この時に阿部さんが言ったことで、私の心の奥に残っている言葉があります。
.
「料理というのはね、皿の上に作り手のメッセージが載っていなくてはいけないんだよ。
もし、そこにメッセージが載っていないなら、それは餌だね。」と。
私は聞きながらそのメッセージとは、心遣いとかおもてなしの心とか、いろいろ解釈できると思うんですが、
きっと間違いなく、それは「愛」ではないか、と思ったんです。
食材への愛、調理過程の愛、食べる人への愛、です。
これが料理を作る過程で、メッセージを込めたものとなり、
皿の上に再現される。
食べる人は作り手のメッセージを受け止めて、食べる。

食材とともに、皿に盛られた料理人の心を食べる。
これが本来の料理の在り方です。
.
ですから、面倒とか、そう思うこと自体料理を作る精神に欠けている、と言わざるを得ません。
だってそうでしょ。
どこぞの厨房で機械的に作られたポテトサラダに、何らかのメッセージが込められているんですか。
ただ、旨いまずいは分かるにしても、どこのだれが作ったものか分からない料理に、

愛は感じないと思うんですね。
ポテサラの出来合いを買ってどこが悪い、と思う人がいたら、
愛のない食べ物を食べる子供、ご主人のことを考えるべきだろうと。
阿部先生の言い方でいえば、餌を食べさせていることになるからです。
.
私は月に3〜4回はポテサラを作ります。
これで和えるマヨネーズは自家製です。
玉子とオイル、酢に塩など、材料は単純ですし、さほど複雑な工程は必要ではありません。
間違いなく、K社とか、A社とかの出来合いのマヨネーズとは、一味も二味も違います。
そんな面倒なことしてるの、とか言われますが、

面倒を避けること自体、愛がないということでしょ。

.

私はそのいちゃもんを付けたどこぞのおやじに一票投じます。

 

| 水嶋かずあき | グルメ | 11:42 | comments(0) | - | - | - |
21日は土用丑の日

明後日、21日は土用丑の日です。
昔、今のマンションになる前にここでうなぎ屋をやっていたのですが、
丑の日が近づくと、そのころのことを思い出します。
もう前日ぐらいから、丑の日景気になっていって、

店頭には、明日は土用丑の日、というポスターを貼り出します。
当然、当日は、本日土用丑の日、に変わるのです。
もっとも、ポスターの上のところが本日になっていて、
その上に、前日用として、明日はという部分を重ねるわけです。
当時、未練たらしく、この「明日は」が「本日は」に変わるんだから、
「昨日は」と言うのに変えて、三日間売り出したらどうだ、と考えたのですが、
実態を言えば、前日が普段より10倍ぐらい売れたとして、終わった翌日の売り上げはいいとこ2〜3割り増し。
まあ、それなりの影響はあるのですが、やはり、抜け殻のような日になってしまうんですね。
ちなみに、当日は普段の50倍から80倍ぐらい。
極端な話、丑の日一日で、一か月分に近いくらいの売り上げになるるんですね。
いやいや、思い出してもいい時代でしたね。
ともかく生産能力の限界まで品物がはけてしまうんですから、
日本の食文化、っていうものの執念のようなものを感じたもの
なにも、その前後に食べったっていいじゃないか、と思うんですけどね。
.
そもそもが、ウナギを食べる習慣というのは、

この時期になるとあちらこちらで紹介されるようになりますが、
その大本は、昔々、それこそ万葉の時代ぐらいから、
ウナギを薬食いしていたようです。
今の、開いたかば焼きという形態ではなかったようですが、
ともかく、栄養価が高いので、夏になって体力が衰弱してくる、つまり夏痩せなどになった時に、
栄養補給減としてウナギを食べたんですね。
もちろん、旨いはうまいのでしょうが、体にいい、と言ういことが前提だったようです。
これを裏付ける歌が残されていて、
「われ石麻呂に物申す、夏痩せに良しと言うものぞ、むなぎ取り召せ」と大伴家持が歌っています。
親友に対する心温まるメッセージですね。
むなぎと言うのは当時の表現。
ここを勝手に類推して、胸が黄色いから胸黄と言ったとか、丸太棒のような姿なので、
棟木といった、とか、落語の世界では、鵜がウナギを飲み込むときに、あまりに長いので
四苦八苦、目を白黒しながらやっとの思いで飲み込むというところを指して、
鵜が難儀をしている、ということで、鵜難儀が崩れてウナギと言うとか、
まあ正に諸説ありですね。
ちなみに、ウナギの現在の食べ方の主流は、まずは割いてたれで焼いて、かば焼きを作りますが、
その昔、割くという技術がなかったころは、筒切りにして串にさして焼いていました。
ちょうど細い串に刺さった形が、河原などに当時は普通に自生していた蒲の穂によく似ていたんですね。
そこで、蒲の一字を取って、ガマ焼きが、かば焼きになったのです。
読み方はともかく、蒲焼と言う字からもそれは明白なことです。

.
しばしば関西流の蒲焼と、関東流の蒲焼が比較されますが、
関東は背開き、竹串で打って調理します。
関西は、腹開きで、金串を打って焼きます。
関西と関東の大きな違いは、その根底に蒸す、という調理工程があるかどうかです。
これが決定的な調理法の違いを生み出しました。
関西流が江戸に伝わり、その後改良されたので、私は、関東流の蒲焼のほうが、
進化した調理法だ、と思っています。
なぜ、関東では蒸すようになったのか、ですが、
要因は三つあります。
一つは、油を抜いて、しつこさを抑えるためです。
二つ目は、身を柔らかく仕上げるためです。
三つ目は、ウナギの生血にはイクシオヘモトキシンと言う毒性の強いものが含まれていて、

この解毒をするのに、熱を加えるのですが、
蒸すという工程を入れることで、完全解毒できるということです。
.
で、その蒸すという工程のために、まずは金串が使えなくなりました。
簡単な話、蒸し器から取り出すとき、金串では熱くてうまく持てないのです。
そこで、熱伝導の低い竹串が使われるようになりました。
ところが、竹串だと、金串より身に差し込んだ時、抵抗が強く、作業がしにくいんですね。
竹の表面と金串の表面を比べれば、金串のほうがずっと刺しやすいだろう、と言うことは見当つくでしょ。
さて、ウナギの胴体の断面を見るとわかるのですが、背側の肉と腹側の肉では厚さが異なり、
薄いところから串を打ち込むのは難しいんですね。
そこで、身の厚い側から打ち込めるようにと、背開きになったのです。
時々したり顔で、江戸には侍が多くいて、腹を切るというのは縁起が悪いから、

なんてこじつけ負いう人がいますが、
よくよく考えてください、普通魚をさばくときはまず腹を切ります。
内臓抜くためですが、それだったら、侍は魚を食べれなくなってしまうでしょ。
まあ、言葉の遊びですよね。
.
今年のシラス漁は好調のようで、一時キロ290万円ほどしていたことがありましたが、
その半値の140万円台を推移しているようです。
とはいえ、キロ140万円です。
シラスの重さは、一匹0.2gぐらい。
つまり1キロで5000匹です。
そうめんぐらいのサイズの魚の稚魚が、280円です。
直径1〜2ミリ体調5〜6センチの魚がです。
そう考えると、養殖過程で死んでしまうものもいるでしょうし、餌代、管理の手間など考えれば、
そう安く出荷できるわけもありません。
知り合いのウナギ屋に聞いたところ、ここしばらく高値続きで、もうもうけもあったものじゃない。
つま先立ちの状態が続いているので、
ここで一時値が下がったからと言って、安く売るのはきつい話だ。
何より、この後収穫量が保証されているわけじゃないし、と言ってました。
.
まあ、お手軽に丑の日だからウナギを食うか、と言う人は、中国産で我慢するしかないですね。
大丈夫、血清の毒を抜いて調理するくらいですから、コロナぐらいは焼き殺していますので。

| 水嶋かずあき | グルメ | 10:59 | comments(0) | - | - | - |
大磯の海

先日、大磯の漁業組合の前の組合長の加藤さんに取材インタビューしてきました。
これは、8月のSCNクラブの番組制作の一環としてのことです。
.
事前に電話で申し出てスケジュールの確認をしたのですが、
この方とても親切で気さくなところがあって、
そのやり取りにおいても、そのようなところを感じていたんです。
で、申し入れたことは、朝に獲った魚を水揚げし、仕分けて、配送するまでのプロセスと、
大磯の海の特に魚に関するはなしを聞こうとするものです。
.
基本的なスケジュール確認をして後、電話がかかってきまして、
朝の水揚げについては、午前2時半ぐらいになるので、
早く起きるのが大変だろうから、写真があるのでそれで済ませられないか、ということです。
私は、何時だろうと、それはそれで、ビデオでなのに写真ですますというのは、
全然面白くない、と、やはり動いているところの画像がほしいので、
早かろうと、出かけてゆきます、と言ったんです。
加藤さんとしては、通常の生活者に朝2時半というのは申し訳ない、と感じたようです。
で、翌日再度電話がかかって来ました。
今度は、時間は3時ぐらいになりそうなので、
3時でいいと思う、と。
少しでの遅い方がいいだろう、と言ってました。
そこで、結局、3時着の予定で大磯港の荷揚げする場所に出かけることになったのです。
場所は、港湾の管理建物がある一角で、「めしや大磯港」の真ん前です。
.
実は当日は、早めに一度寝ました。
分眠生活に慣れているので、要は3時間ぐらい前に一度寝床につけばいいわけです。
したがって、夜の11時ぐらいに一度寝て、2時に起床、準備して2時半出発、3時着、と言う予定です。
いささかいつもと違うリズムですが、まあ何てことない。
これは年寄の強みですね。
予定通り、3時ちょっと前に着きました。
ここのエリアに入るのに、かなり大きめの鉄製の扉があって、
これを開けて入るのですが、一般の人は入るな、みたいなことが書いてあるんです。
でも、用事のある人、めしや大磯港の利用者はこれに限らず、と。
めしや大磯港など営業系の施設があるのに、鉄の門が閉めてあるのは、
いかにも、ふさわしくないでしょ。
もちろん人力でずるずる引けば開けられるんですが、通常は閉じてあるんです。
後で聞いた話ですが、こんな営業しているところを締めてしまうというのはなぜなんですか、と。
すると、これはコロナな騒動が始まってからそうしたんだ、とか。
正直、そんな影響があるのか、と。
でも、潮風吹き抜ける海辺です。
そんなぞろぞろと人が並んでいるわけでもない。
3密とは縁遠いところなんですが、これは過剰反応だろう、と感じました。

.
ま、ともかく、まだ暗い中、沖から船が戻ってきたのです。
で、接岸すると、早速荷揚げが始まりました。
およそ1メートルかける2.5メートルぐらいの木製の台の上に、
いけすから網ですくわれた魚が、どっと撒かれます。
台の上は銀鱗一色。
主なものは、サバ、ワカシ(ぶりの子供)鯵、イワシなど、いわゆる青魚のオンパレード。
一部、カマスとか、太刀魚とかが入っていましたが、ごくわずか。
これらを魚種とサイズに、7〜8人の人で仕分けてゆきます。
見ていると、微妙に個人の判断に任されているようでした。
で、時々、加藤さんが何か言います。
すると作業している人はありがとうございます、と言って、

その時持っていた魚の首を折るんですね。
ばきっと。
で、それ用のバケツに放り込む。
どうやら、その日の現物の分け前のようです。
首を折っているから商品にはならない。
きっと後でみんなで分けて、持ち帰り、朝飯のおかずにでもするんでしょうね。
前職とはいえ組合長ですから、加藤さんの指示は絶対のようで、
ほかの人は勝手に取り分を決めることはありませんでした。
ちなみに、今日の漁獲高は、多いほうか、普通か、少ないほうか、と聞いたら、
いやあ、少ないね、と言ってました。
.
まずは、一回目が終わると、再度仕分け台の上に魚がまかれ、同じ作業が繰り返されます。
白い発泡スチロールの箱に、次々と入れられ、トラックに載せて、小田原の市場に向かうのだそうです。
4時ちょっとには出発でしょうか。
.
一段落したので私はここで、いったん家に戻りました。
そして、その5時間後の10時、めしや大磯港の一角で、
加藤さんのインタビューをさせていただいたのです。
.
詳しくは、8月のSCNクラブ作品を見ていただきたいのですが、
まずは、定置網に関してです。
これは文字の通り、海のあるところに網を固定して設置します。
定置ということです。
この網の中に入っている魚を引き上げるわけです。
海の状態やら、魚の動きで、多い時もあれば少ないときもある。
嵐でも来ようものなら船を出せない。
まあ様々ですね。
で、この定置網ですが、もちろん許可を取って設置するのですが、どうして海の底に定置されているのか、
と言うと、砂袋を次々と投入し、人工の岩盤を作るのだそうです。
時に、40トンもの砂袋を投入することもあるとか。
で、そこは魚の通り道ですから、網に従って泳いで最後は袋小路に追い込まれてしまうんですね。
この仕事は毎日か、と聞くと、週一で休みがあるそうです。
すると、休み明けは二日分取れるんですか、と聞いたら、ちょと笑って、そうはいかない、と。
前の日の分は、入り口から逃げ出してしまうそうです。
ですから、何日置いておこうと、その日に迷い込んだ分しか獲れないんだそうです。
.
若い時からこの仕事一筋でやってきたようで、昔話が色いろと聞けました。
まずは、漁師の数が減ってしまった、と。
一時は200人余りいたそうです。
そしてそのころは市場もあって、地元に卸していたのが、
魚屋自体が激減してしまった。
だから、小田原に運んでいるのだが、
かつて海辺の町で、前の海からとれた魚を食べる食文化も、すたれてきている、と。
ちょっぴり寂しそうでしたね。
そんなこともあって、めしや大磯港を開店させたのだそうです。
.
時代の波も押し寄せてきているんですね。
ただ、大自然の営みはそれ相応に繰り返されていて、
春は春の魚、夏は夏の魚、秋になったら秋の魚が獲れるようになり、
海から季節を感じるのだそうです。
変わらぬものと、変わるもの。
そんな時の流れの中で、人は生きてゆくんですね。

 

| 水嶋かずあき | グルメ | 13:11 | comments(0) | - | - | - |
いただきます・ごちそうさま

年月の流れというものは、そもそもそういうものなのか、
人間の業で作り変えてしまった地球環境のせいなのか、
人を養ってきてくれていた多くの食材に影響を与えています。
.
そもそもが、地球の耕作可能面積から算出して、人類を養えるのは、80億人と、
かつては言われていました。
現在は77億人。
限界まであと3億人です。
この40年間で、人口は倍増しましたが、その増えた人の口を満足させるだけの食料が
増産されているかどうか疑問です。
逆に、そのような増産体制が、今はともかく、今後の地球環境のことを考えたら、
無理をしていて、地球上のあちらこちらに、同時多発的にそのひずみが発生しないとは限りません。
特に、東南アジア、南米、アフリカなどの発展途上の国に々は、
天然資源がない場合、農業立地しか選択肢はありません。
いかにも、農業立地というと、緑豊かな自然環境を思い浮かべますが、
多くは、金になる作物の栽培が主体で、農産品輸出高が多いからと言って、
自国民が十分に食べて行けるのか、というと、そうでない場合が多いのです。
いわゆる、先進国の食卓のために、自国の環境を犠牲にしていることもしばしばあります。
.
要は、地球の生産力には限界があって、その限界に近付いている、という現状の認識が必要です。
そのうえで、地球環境がバランスを崩している、という問題も重なり、
今後の食料事情は、何とかなるから、いままでどおりに行くとは限らないに、

視点を変える必要があります。
.
昔はごく普通に食べていたものが、いつの間にか希少になり、

はっと気が付いたら高級品になっていた、
なんてことがあります。
まして、世間受けしようかと、初ぜりとか、大物マグロなど、本来の価格を著しく逸脱し、
その品種のイメージを作り上げようとしていることもしばしばです。
マグロが、一本億単位だったり、メロンやズワイガニが100万円単位だったり、
まあ、お遊びのようなものでしょうが、
食べ物でふざけているという性の悪さは、

いつかしっぺ返しが来るんじゃないか、と思うんですね。
私は特に、大食いの番組が嫌いです。。

あんなもの何の足しにもならないことでしょ。

品性のない番組の代表みたいなものです。

話は戻りますが、

それでなくても、大衆魚だったと思っていたら、あの鯵が高級魚扱いされていたり、
平貝や、アワビ、伊勢エビなど、手の届かないところに行ってしまったでしょ。
その昔の話ですが、注文をすると、築地の河岸から、赤貝が玉のまま一斗缶に入って送られて来るのです。
それを、板場の人間が何人かで捌くのですが、結構な時間がかかりました。
それほど、大した金額ではなかったから安易に使っていたんだと思うんですね。
それが今や寿司屋さんでは、高級ネタでしょ。
.
ま、獲れなくなったんだから、ということでしょうが、この類のことは山ほどあります。
私は、秋田の学生時代からの友人がいるのですが、仲が良かったこともあって、
しばしば秋田を訪れたことがあります。
そして最初にごちそうになったのが、ハタハタです。
しょっつる鍋(塩魚汁と書きます)にして食べるのですが、
何しろハタハタは猫がまたいで通るといわれるほど、うんざりするような漁獲高でした。
暮れになると、ハタハタがトロ箱、数百円という値段で売られていて、
正月用にハタハタ寿司を仕込むのが、秋田の食文化の一つでした。
それが、ある時を境にパタッと獲れなくなってしまったのです。
当然ですが乱獲が祟ったのと、環境の変化です。
海の中では、目に見えない変化が出てくるもので、
特に案外海藻類は温度に弱いんですね。
そこで、所によっては白化現象と言って、いわば海藻が枯れてしまうことがあります。
するとその海藻に卵を産もうと魚がやって来ても空振りになってしまいます。
これが数年続けば、数は激減するわけでしょ。
海藻類の白化は、主に、海水温の上昇とともに、

陸から流れ込む栄養豊富な水の減少によって現れます。
森は海の恋人、と言われていますが、森がないと、地表を雨水が流れ、
そのまま海に流れ込みますから、十分に栄養がいきわたらない。
北海道でかつて、ニシン漁で沸いていたころ、海に舟をこぎだすと、
集まって来ている魚の群れが密集しているため、竿を海中に刺しても倒れなかった、
と言われるほど魚が寄ってきていたのですが、
ある時から減少し始め、それが段階的に漁場が狭くなっていったんです。
実は北海道の開発が行われ、森林が伐採されていったんですが、

その後を追うように漁獲高が減っていったそうです。

なんとなく、そのデータだけでも海の中の様子が想像できますでしょ。
.
秋田に話は戻りますが、ジュンサイの収穫量が激減しているのだそうです。
これは日照時間が不足し、水温が低くなり、十分な生育ができないことが原因と言われていますが、
ハタハタ同様、秋田名物が危機に瀕しているということなんですね。
ジュンサイは、私は大好物の一つで、料亭などでは、芽の若いものを好み、吸い物のネタなどにしますが、
私はむしろ大降りに育ったものが好みです。
あのつるっとした食感がなんとも言えず、酢の物にしたり、みそ汁の具にしたり、
それはそれはまさに季節の旬を楽しむ、という感じなんですね。

これまた、高級食材になってゆくんでしょうか。

最もすでに高級食材の一つでしたが、
.
少しづつですが、食材の状況は変わりつつあり、
ふと気が付くと、とんでもないような距離に離れてしまっている、
というのがよくあることです。
代替えの食材がいくらでもありますが、
消えゆく食材は、きっと私たちに何かを訴えているんじゃないか、と。
.
いただきますとか、ちそうさまを、習慣のように、機械のように言っていないだろうか。
食べれることへの感謝を、もう一度再確認したいですね。

| 水嶋かずあき | グルメ | 10:46 | comments(0) | - | - | - |
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