水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
苦味が苦手

もともと動物の舌は、食料を口にしたとき、

体内に取り込んでいいのかどうかを判断する役割を持っています。
これはすべての種の動物が基本的に備えている機能で、
例えば、メダカが、水中に浮遊しているものを、いったん口に入れ、これはよくない、
つまり食料として足しにならない、と判断したら、吐き出します。
ハトなどを見ていてもそうです。
地べたに落ちているものを、一応口にしますが、食べたり吐き出したりしながら選別しています。
ですから、体に入れるという判断は、体づくりの足しになるからなんですね。

言い換えれば、体に害になるものを摂り込めば、時に命に関わることになりかねない。

そこで、OKと言うチェックをするために、それなりの安全検知器的な舌があります。


人類の生活向上とともに、

舌は、いつの間にか、うまいまずいを判断するものになってしまいましたが、
本来は、体にいいのか、よくないのかの選別の機能が原則的な役割であった、というわけです。

 

そこで、子どもと言うのは、まだ食経験が少ないですから、
特に、この舌の機能は鋭敏で、ちょっとした味の違いを明確にチェックできるようになっています。
構造的には、味蕾というものが舌にびっしりと埋め込まれています。
味蕾と言う味覚検知器が並んでいるのですが、
これが、あまいとか、塩辛いとか、ピリ辛いとか、酸っぱい、苦いとか、旨いとかの味覚を検知します。

話は変わりますが、舌の形の図があって、奥が苦い、その手前が酸っぱい。

さら胃のその先が塩辛いで、先端が甘いという味覚をそれぞれ検知する、と言う図を見たことがあるでしょ。

実はあれは間違いだったんですって。

5味は舌全体で感じるので、部位による違いはないそうです。

ま、これもある種の科学の進化ですね。

 

さて、舌は、その総合的な判断で、体に取り込む、つまり嚙んで飲み込むということをするわけですね。
ところが、この味蕾の数は大人になるほど減ってゆきます。
つまり、味に鈍感になってゆくんです。
ですから、年とともに衰えている味覚は、

味覚からの信号で、そういうもんだと、その時の味を味わっているわけで、
もし子供のころの味覚を維持できていれば、旨いの基準が変わってくる可能性があるんですね。
露骨な表現ですが、年よりは味来数が減ってきているので、味を濃くしないと納得しない、と言いますが、
生理的にそれは正解なんです。

ま、塩分少な目が本来ですが、旨いまずいに関してはそう言いうことなんです。

で、子供と大人の大きな違いは、
この味蕾の先鋭度の違いということになります。
子どもは敏感で大人は鈍感なんですね。

 

この違いが顕著に表れるのは、苦味なんです。
なぜ生物、特に植物の食材の中で苦味を成分として持ち込んだものがあるのか、と言うと、

食べられたくないからです。

ですから、食味として苦味は、ほぼ警戒すべき味覚なんです。
逆に甘味は、素直に受け入れますでしょ。
ですから、苦いものを、自然の状態で摂取しようとしたら、

舌から警戒警報が出るんですね。
で、その結果吐き出す。
つまり体には取り込まないんです。

 

私はいまだに、ビールをあまりおいしいとは思えない。
あの苦味が、苦手なんですね。

で、最近、ビールはビールでもノンアルと言うのが登場し、
多くの人が、特にくる間の運転をしなくてはいけない時、

ノンアルビールを飲むようになりました。
どうして苦みのある飲み物に固執するのか分からないんです。

アルコールを飲んで具合が悪ければ、他の飲み物の選択だってあるわけでしょ。

この期に及んでまで、ビールテイストかよ、と思うんですね。

これは私の感想ですが、苦味のある飲み物は、食味によい影響を与えるとは思えないんです。
でも、皆よくノンアルを飲むでしょ。
あの意味が分からない。

 

梅酒でもノンアルがありますね。
You wan’a 酔わない梅酒、とかいうCMがあるでしょ。

 

で、なんと、今度日本酒でもノンアルが出てきました。
月桂冠が、大吟醸をイメージしたノンアルコール日本酒テイスト飲料
「スペシャルフリー」を販売するそうです。

 

ビール、梅酒、日本酒と、ノンアルが幅を利かせてきましたが、
これって、アルコール依存の一種なんじゃないか、って勘ぐってます。
他に場にふさわしい飲み物はいくらでもあるじゃないか、と。

 

 

| 水嶋かずあき | グルメ | 12:45 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
第三次タピオカブーム

タピオカがブームだそうです。
紅谷町にも、タピオカ専門店が登場し、開店時には行列ができるほどでしたが、
夏休みで学生がまちに出てこないのか、最近は閑古鳥が鳴いているという様変わり。

ま、それにしても、何をいまさら、という感じのブームなんですが、
かつて何回かブームの波があったそうです。


その第1次は1990年代前半、ココナッツミルクに入ったタピオカでブーム。
いま、いろいろ抹茶とか出てきていますが、このココナツミルクと言うのが、

ま、おそらく王道の飲み方ですね。

 

私が初めてタピオカを食べた(飲んだではなく)のが、20代前半。
今から、かれこれ50年前。
中華料理のコースで、デザートとして出てきたものでした。
まあ、当時は(今もそうですが)中華料理のデザートと言えば杏仁豆腐が定番。
で、時にこのタピオカミルクが出てくることがあるんですね。
時に、杏仁豆腐だと、またか、みたいなところがあったんですが、
その意味で、タピオカはとても新鮮な感覚になったものです。
ですから、時に杏仁豆腐かタピオカミルクかと言う選択になると、

無条件でタピオカを選んでいました。
しかし、いったいあの丸いぶつぶつはなんだろう、と疑問に思っていましたが、

まあそこまで、これと言った追求はしていませんでした。
ちなみにこのころは小鉢に入っていて、スプーンですくって食べたものです。

 

第2次ブームは、2008年ごろにはじまった台湾ブームのころ。
白いミルクに入っている黒い粒粒をストローで吸い上げ、
ぐにょぐにょしたものを嚙んだり飲み込んだりして、食べる。
なんとなく、ミルクを口に入れる量と、タピオカの量とのバランスを取らないと、
最後に、無味なタピオカばかり吸いこむことになるし、

その逆だと、結局ミルクを飲むだけになる、という、
多少なり計画的な食べ方が必要ですね。

 

で、今が、第三次と言うこと。

 

そもそもこのタピオカは、キャッサバと言ういも類のでんぷん質を練って丸めたもの。
キャッサバは、里芋の親せきで、南方ではごく普通に栽培されています。
実は、このキャッサバは有毒植物で、その皮には毒性があって、ここは剥きとり、
残りの身の部分を、茹でたり、水にさらしたりして食用にします。

あの黒いのは、キャラメルなどで着色しているそうです。
もともとは白いものですね。
で、実は、このキャッサバ、ハワイなどでも主食に近い食べ方をされていて、
実においしいものだそうです。
で、ついつい食べ過ぎて太ってしまう。

 

以前ハワイに行った時に、失礼ながら、小錦風の太った方が多くて、びっくりしましたが、
聞くところによると、キャッサバの食べすぎなんだそうです。
実はキャッサバ、かなりカロリーが高く、ジャガイモのほぼ2倍。
よく売れれているタピオカミルクなどは、Mサイズ一杯で、およそ400キロカロリー。
ラーメン一杯とか、生ビール中ジョッキー3杯分のカロリーに当たるのだとか。
おいしいおいしいで、太らないように気を付けてください。

 

先日第三次ブームにあやかって、自作タピオカミルクを作りました。
一つは、乾燥の小粒のタピオカ。
何分か茹でて、水にさらし、冷やしたところで、ココナツミルク、砂糖、牛乳の混合したものに投入。
まあ、普通のタピオカミルクがいたって簡単にできます。
正直、デザートとしてはあっさりしすぎていたので、
二度目は、これに練乳を混ぜてみました。
タピオカの無味な風味を、コクのあるミルクで、うまい具合のハーモニーとなり、これは正解でした。
冷凍のタピオカも売っています。
これは熱湯で30秒ほどで戻して、簡単に使うことができます。

改めて、専門店とかで買うこともないほど手軽に作れます。
ただし、高カロリーなので、ほどほどにしないと、デブになりますよ。
あの小錦風の。

 

旨い旨いがデブの元。

| 水嶋かずあき | グルメ | 16:03 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
お通し不要論

ある記事からです。

テーマはお通し。

というか、お通し不要、もしくは拒否可能なシステムにせい、と言う意見についてです。


うちは居酒屋ですからお客様が着席し、飲み物のオーダーをいただくと、
原則お通しを付けて出します。

で、トラぶったことは無いですね。

ひとつは、めまぐるしく内容が変わる、と言うことと、

出来合い品をさらに盛り込むなんてことはしていないからです。

 

で、サイトでああだこうだと言ってるのは、
頼みもしないのにお通しの代金が伝票についてくるのは
理不尽だ、と言うんですね。
そして、なぜお通しと言うシステムがあるのか、
関西では突出しと言いますが、
これについてあれこれ書いてあるんです。
特に、外国からの観光客など、頼みもしないものが出てきて、
なおかつ料金に乗っているということに、疑問を持っているとか。
で、支払料金のほぼ一割がお通しの料金で、
これはいかがなものか、みたいな意見なんですね。
で、断ることができるので、そこはきちんとしたほうがいい、と。

なるほどですね。


で、順に言い訳とと主張を展開します。
まず、注文を受け、料理が出てくるまでに、カラ酒にならないよう、

という意味が最大の意義です。

ですから、最初のオーダーが出てくるまでのつなぎ的な要素は確かにあるのですが、

店によっては、我が店の最初の料理ですから、

最大の神経を注いで作ってます、と言う所もあります。
大体、居酒屋に行くと、先ずは飲み物の注文から始まるでしょ。
少なくとも、先ず料理の注文を取って、
では、と一息入れて飲み物なんて手順は経験したことがありません。
したがって、おしぼりだの小皿だのとともに、飲み物が出てきます。
さて、それから料理の注文となると、出来上がりまでのタイムラグがあるので、
ここをつながなくてはいけない。

そこで、今日のお通しみたいなものが出てくるわけです。

 

で、お通しに対する不満は、頼みもしないのに、と言う部分と、
もうひとつ、ここが重要なんですが、取ってつけたようなものが出てくることです。
それこそ出来合いの、ビニール袋を開封し、小皿に盛り分けるだけの小料理。
いわば心無いお通しです。
まあ、つなぎだから、この程度でいいだろう的なものですね。
これはよくない。
だって、お通しと言えどその店の料理なわけで、
雑に考えてはいけないはずです。


つまり、お通しに不満があるのは、お金の問題じゃないんですね。

私が、知り合いのお店に飲みに行く場合、
ほぼ100%お通しが出てきます。
なんとなくそういうもんだとも思っていますが。
で、料金に1割とは言え、それが気になったことはありません。
だって、料金て、飲み物、料理の総合計額でしょ。
生中だって、店によって値段が違いますし、やきとりだって、
一本いくらかなんて全部違うでしょ。
あるメーカーのあるカップヌードルが、1個100円なのか、120円なのか、とは意味が違うでしょ。
例えば、キリンの生中が、400円なのか、450円なのか、店によって違うでしょ。
でも、それを指摘はしないでしょ。


つまり、飲食店の料金体系は、きわめて個性的なんです。
トータルで、安かったか、まあまあなのか、ちょっと高いか、なんですね。

つまり、お店によってきわめて個性的な内容なので、お通しひとつを取り上げて
要不要の議論とか、値段をつけろとか、断れるシステムを明示しろと下の提案は、
野暮と言うものなんです。
要は気に食わなければ、その店に行かなければいいことです。
行ってみて知ったというなら、それは野暮な話です。
日本では、大昔から、お通しと言う食文化が根付いているからです。

お通しの料金に不満があるというのは、
その店に何らかの不満があったことに通じると思うんですね。

調理を運んでくれる姉さんが、ちょっと色っぽくて、好みのタイプ、

しかも、ものを運んでくれるたびに、結構人懐こい話題が交わされて、

いや良い子だね、また来るよ、とか言いながら、勘定の時にお通しなんか頼んでないよ、

なんてクレームはつけないでしょ。


トータルに店の雰囲気とか、接客のレベルとか、料理の味とか、
要は、満足すれば、お通しの料金など関係ないでしょ。
結論を言えば、あまりうまくもないお通しだったことと、

そのお店の何かが気に入らなかった、と言うことなんですね。

| 水嶋かずあき | グルメ | 15:07 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
おいしい鰻の食べ方

今日は土用丑の日。
ま、なぜ土用なのか、(たまたま今日は土曜日ですが)とか、
ウナギのこの時期に食べるようになったいきさつとか、
色々とテレビのワイド枠で、恒例のように紹介されます。
柿本人麻呂の歌や、平賀源内の看板説など、いろいろと紹介されますので、
今日は、専門的にうな重の現状について書いてみます。

 

ま、どうせだから、年に一回ぐらいはうなぎを食べるか、という感じだと思うのですが、
どこで食べるかがすべての基本でしょ。
そこで、まず専門店。
大体、うなぎ屋専門店と言うのは、テーブルが5,6個の小さな店が多いですね。
大きくしても普段はそれほどの客が来ないので、
取り敢えず、持続可能な規模にします。
となると、小さいお店になってしまうんですね。
専門店がバカ儲けするとは考えられないのですが、
それでもうな重の上なら4000円ぐらい。
並みとか、うな丼で、3000円と言ったところ。
 

ちなみに、並みと上の違いですが、うなぎの質が変わると言うことはありません。
ただ単に、付けるウナギの量が変わるだけです。
さて、専門店ですから、当然、自家で、割いて、焼いて、蒸して、色付けをして出されます。
ウナギの一番おいしい食べ方は、生きたウナギを裂いてから、食卓に届くまでに、
ロスタイムゼロが、最もおいしいんです。
裂いてから焼くまでに時間がかかったとか、焼きあがってから食卓に上がるまでに時間がかかったとか、
要はどこのステップであれ、その間のロスがあればあるほど、味は落ちます。
ですから、専門店以外では、一味もふた味も落ちるんです。
だって、どこかの工場でベルトコンベアーに乗って焼かれて、出来上がるとそのまま冷凍庫に入れて、
凍ったところをサイズわけして、消費地に送る。
これが、販売店に送られるわけです。


牛丼チェーンがこぞってこの時期うな丼を売りますが、
当然冷凍品の解凍です。
魚屋の店頭も冷凍品の解凍です。
デパートの地下売り場のうな重なんて弁当も冷凍品の解凍です。
つまり、専門店以外は、どう考えてもロスタイムたっぷりなんですね。
専門店でも、この日に向けて、白焼きしたものを冷凍するか、
冷凍の白焼きを仕入れるかしているはずです。
でないと、あのお客様の行列を捌ける生産ができるわけない。


昨年のシラスウナギの相場は、1キログラム300万円でした。
シラスウナギの重量ですが、一匹2グラム、1キログラムにおよそ500匹います。
つまり、あの糸のような幼魚が一匹600円です。
ですから、これに餌代だとか、養殖する手間、設備の維持費など考えれば、
1匹あたりの値段が相当するということは想像できるでしょ。
ですから、最近は太化と言って、一匹の重量を大きくするということで、
相対的にコストを下げようという傾向が生まれています。
大体、うなぎはベストと言われているのが、

一匹生で(頭も骨も丸ごと)200gから250gのサイズと言われています。
これは、江戸の頃、うな重と言う食べ方が定着し、この重箱のサイズにぴったりとおさまるというので、
このサイズのものが重宝されたのです。
一方で、このサイズだと、骨もまだ細く、さほど気にならない。
あわせて、油の乗りも程よくなる、ということで、ごく普通に鰻と言えば、200gから250gが中心でした。

 

ところがシラスウナギがバカ高い。
そこで、もう少し大きくしてしまおうというのです。
確かに、大きくなればなるほど油は乗ってきますので、味としてはコクのあるものになります。
しかし、一方ではどうしても骨が気になる。
正に痛し痒しなんです。

 

さて、なんだかんんだ言ったって、土用丑の日なんだからやはりウナギを食べよう、

と言うことなら、おいしく食べる調理法をご紹介します。

家で食べましょう。
まず自家製のたれを作ります。
醤油1、味醂0.8、砂糖0.7、酒0.5ぐらいに比率。
これを弱火で10〜20%煮詰めます。
絶対に焦がさない事。
で、出来上がり
次に、冷凍解凍品のかば焼きを買ってきます。
大体、1200円から1400円ぐらい。
目方で言えば、生で300gレベルのもの。
付いているたれを水洗いし、落とします。
手のひらに抱えるように持ち、たわしかなんかでやさしくこすります。
で、これを皮を下にして、フライパンで沸騰したお湯の中に入れます。
時間は、2分前後。
フライ返しで、そおっと取り上げ、水気を切ります。
これにたれをぬりガスレンジの魚焼のところで、弱火で、2分ほど焼きます。
絶対に焦がさないように。
そもそもが味がついているわけですから、たれは一度塗れば大丈夫。
この時魚焼のトレーに、茶葉をぱらぱらと敷いておき、香り付けするとさらに結構ですね。

少なくとも手間をかけただけ、一味おいしくなります。
ま、専門店の「並み」に近付けるはずです。

せっかくの土用丑の日なんですから、
その辺のチェーン店で、取り敢えずうなぎを食べた、なんて気休めはやめましょう。

 

| 水嶋かずあき | グルメ | 05:31 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
日本の民度

嫌韓の人って、二種類あると思うのです。
それは根っからの嫌韓思想を持っている人。
まあ、一種の偏見でしょ。
人はとくに理由なく、主としては教育的な環境、成長の過程で、周囲にある考えを持った人がいると、
その影響を受ける、と言ったことがあります。

もう一つは、諸事情に対する受け入れ方によるもの、いわばその時の思いと言うことです。

 

以前、岡山のある町に行った時のことです。
その地方では、まあまあの企業で、著名な人物、いわゆる創業家の直系のオーナーと、
会食をすることになりました。
その方は、生粋の岡山県人で、岡山県人の気風をまとっていた方でした。
で、その席上、いわゆる部落の人への差別的な偏見が話題に上ったのです。
彼は、自分の企業に部落出身の人が求職してきたら、断る、と断言したのです。
私は、本人の能力を考慮することなしに、断るんですか、と聞きただしたら、
私達(その地域に住む人と言う意味)は、そういう環境にあって、
部落の人間は受け入れられない、と身に染みて教育されてきた、と言うんです。
正直、関東の、そういう意識の無い私達には、どうしてそう思うのか全く理解できませんでした。
で、私はさらに彼に質問したのです。
あなたの娘さんが、もし結婚相手に部落の人を選んだらどうしますか、と。
言下に、許しません、と。
その類の人間と結婚するなら、知性や品性に欠け、見てくれも悪く、ぐうたらな性格であっても
部落以外の人間だったら、ゆるしますよ、と。
そこまで、体に染みついた嫌悪の感情として、人を見下すことができるんだ、と驚いたのです。


この時、そういう偏見を叩き込まれることなく成長できた環境を、ありがたく思ったのです。
そう言う偏見は、誰の罪と言うわけではありません。
地域、周囲の環境のある種のものの考え方が、強い影響を与えただけのことです。
人を差別するものの見方を持たず、公正に見る力を得ることができたとしたら、
それは幸せなことの一つです。

ですから、人に偏見を持つと言うことは、

ちょっとばかり、不運な環境であったということにすぎないのではないでしょうか。
それは成長とともに、あたかも正しい考え方、見方であると思い込む。
決して言動としては望ましくない事ではあるのですが、
私としての感覚は、早くそのマイナスの循環から抜け出して、
心爽やかな空気をいっしょに吸いませんか、という感覚なんですね。

 

で、最近とみに嫌韓的な情報があふれています。
例の輸出規制が始まってから、露骨にそれが出てきましたね。
まあ、こういうのって、どっちが先かなんて判断は、極めて不明瞭なものです。
あいつが先に手を出したから、殴り返した、と言うのか、
いやいや、もともと根の深いものがあって、
どっちが先かなんてことは実はただのいんねんに過ぎない。
とした、問題は争いごとをしていること自体にあるわけです。
どちらかが、人としての器量の大きさを表すなら、
問題は必ず収束に向かうものです。


心の広さ、寛容さ、大局観など、人の品格に近い概念の思いを精一杯発揮することです。

韓国から、この輸出規制の問題解決の糸口を探そうと、二人の担当者がやってきました。
いわゆるごく初歩的なステップです。
どういう役職の人がやってきて、何を目的としたかは知りませんが、
その会議場の風景をテレビで見た時、かなり雑な扱いをしている、という感じを受けました。

まあ、考えられないくらい雑な設営です。
嫌韓的な人は、ざまあ見ろ、と思うかもしれませんが、
私は違和感を感じました。


少なくとも実に品格の欠如した対応だと思うんです。

日本人の役人の感覚ってこんなもんかい、と恥ずかしくなりました。
どんな状況であれ、人として敬意を持つことと、相応の扱いは、正に日本の民度でもあるわけでしょ、
なんか勘違いしてませんかね。

 

これもまた、時流を読んだ選挙用の行動なのでしょうか。

| 水嶋かずあき | グルメ | 10:53 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
鳥さんへの感謝の言葉

死因は、くも膜下、と聞いています。
鳥海義晃さんが、亡くなりました。

ご存知、鳥保貴柳庵のご主人。

享年80歳。
20代から寿司職につき、沼津で修業をし、
平塚に戻ってくると、親父さんが手がけていた鳥保で仕事を始めます。
私が出会ったのは、とりさんが平塚青年会議所に入会をしてきたことがきっかけでした。
近所で商売をしていたのですが、それまで縁もなかったのです。
で、当時、青年会議所の例会と言うと商工会議所の2階で開催されていてのですが、
終わって、三々五々、皆帰り路を急ぐんですが、紅谷町に私も向う、鳥さんも向うということで、
同じ方向に歩いていたのです。
この時、数メートル離れた距離で歩いていて、言葉を交わすことはありませんでした。
まあ、なんとなくよく知らなかった、ということもあったのです。
で、梅屋さんの裏道、鳥保のお店がある道なんですが、
そこで、店への細い路地に入りながら、とりさんは振り返ることもなく、右腕をふりながら、
同業だしよ、これからもよろしくな、と言ったんですね。
もちろん相応の返事を返しました。
この、いかにもぶっきらぼうな最初の接触が、くっきりと記憶しているということは、
その後の濃密な関係と際立って対比されたからなんです。

 

以来、特に飲食業という同じ土俵でずいぶんとパートナーを組んで活動してきました。
このブログでもたびたび登場した伊藤雅易さんを師匠にした料理研究会の立ち上げです。
これは、それまで碌に板場の修業もしてこなかった私にとって、
とてつもなく新鮮で、実りの多い会合となりました。


1990年、相模湾アーバンリゾートフェスティバル、略称SURF90が開催されたんですね。
この時、今の弦斎公園で、伊藤師匠との包丁式が行われたのですが、
介添えに一番弟子を自負していた鳥さん、私は進行を解説する役で参加しました。
こういうことには、妙に張り切るところがとりさんにはあったんですね。

 

思い返してみると、何ともたくさんの調理関係者を紹介してくれました。
道場六三郎さんもそうですし、故人となった阿部狐柳先生もそうです。
そうして、彼は、日本料理探求のために、東京の調理師の組織に参画します。
何度か、とりさんの料理が、料理本のカラーページを飾りました。

特に、剥きものの技に秀でていて、大根を使ってバラの花を作ったりするなど、
その包丁さばきは秀逸なものを持っていました。

 

そして、まだ紅谷町に私の店があって事務所があったころのことです。
事務所にやってきて、小さなタッパーウエア―に入った南京豆の煮ものを差し出したのです。
1粒試食しました。
これがなかなかのもの。
褒めると、実はね、これは村井弦斉の食道楽に書いてあった通りに作ってみたんだ、と。
で、これがきっかけとなって、ゲンサイ豆を作り販売することになったり、

また、全般的に弦斎食道楽の再現料理を手掛けたりと、
いわゆる地域食文化の振興にかかわるようになったのです。

 

今、松風町と八重咲町の境を通っている弦斉通りですが、

これは、とりさんの提唱によるものなんですね。
地域のご婦人方を集めて料理教室を開催したり、
地方のタウン誌に連載で、料理に関する記事を書いたり、

食育に関する講演会を開いたりと、
ただの寿司屋ではありませんでした。

 

先月初め、紅谷町に引っ越してきたんですね。
近くだから、近所のカフェで、コーヒーでも飲みながら、じっくりと平塚食文化に関して、
語り合いたいものだ、と楽しみにしていた矢先の訃報です。


色々と多くのことを教えていただきました。

本当に、ありがとうございました。

心からご冥福を祈ります。

| 水嶋かずあき | グルメ | 09:35 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
七夕そうめん

中国から伝来し、日本に古くから伝わってきた生活行事に、
五節句と言うものがあります。
1月7日の人日、3月3日の桃の節句、5月5日の端午の節句、
7月7日の七夕の節供、9月9日の重陽の節句と、5つの節供です。


これはなぜか、明治6年、時の政府が、節供廃止令を出して、
それまで庶民の間で熱心に伝えられてきた伝統の行事に水を差したのです。
しかし、それまで習慣的に行ってきたわけで、
おいそれと、それで終わり、というわけにはいかなかったようです。
何より、お雛様を飾り、鯉のぼりを青空に泳がせてきたわけですから、
今考えると、何が根拠で廃止令を出したのか、その背景がよく分かりません。

 

ま、ともかく、そんなことで、若干これらの行事が、ひずんで伝えられてきた傾向があります。
その一つが、七夕の行事食である、そうめんがないがしろにされてしまいました。
3月は三色の菱餅に、あられ、白酒、5月はちまきに柏餅、とそれぞれの節供に付きものの行事食がありますが、
これで言うと七夕はそうめんなんですね。

歴史を紐解くと、その始まりは中国にあったようです。
よくある表現ですが、昔むかし、ある男の子が病で倒れ、亡くなってしまいます。
そしてそののち、その地方に流行病が広がり、これに困った人々が、
その男の子の好きだった「索餅」を供え、病が鎮まるのを願った、という言い伝えがありました。

 

この索餅は、一種の餅のようなもので、小麦粉と米粉を練り、今のうどんより少し太めのサイズに切ったもののようです。
このような言い伝えから、七夕には、索餅を食べる、と言う風習が日本にも伝わり、
およそ1100年前の927年、宮内の儀式・作法を集大成した延喜式にも記載されていて、
そうめんの原型とされる「索餅」が7月7日の七タの儀式に供えられたのだそうです。
この平安時代に始まったものですが、その後、索餅はそうめんに形を変えてきました。

 

では、なぜそうめんなのか、ということは
そもそもが尾ひれがついて伝えられるもので、諸説が登場します。

まあ根本は食べ物ですから、その時期に食べやすく栄養があるもの、と言うことになります。
旧暦では、7月7日の頃(今より一か月ほど後になる)は、正に猛暑の日々です。
食欲減退の時に、つるっと喉を通るそうめんは、うってつけの食べ物だったんでしょうね。

 

また、そうめんを天の川に見立てているという説があります。
確かに水に浮かんだそうめんは、ちょっとした川の流れのような風情があります。

 

また、そもそも「七夕」とは、日本の文字で表現すると、「棚機」と書きます。
棚はそのまま「たな」、機は機織り(はたおり)のはたです。
ですから本来七夕と言う文字では、しちせきと読むのが正解。
しかし、なぜか古来より日本に伝わる棚機と言う行事と重なり、文字は七夕、読みはたなばたと言うようになりました。
つまり、日本で進化した七夕の行事は、布を織ることの意味を強く持っていたのです。
したがって、布を織るには糸を並べるところから始まるわけで、
そうめんの細い麺から、機織り機に通す糸のイメージを重ねたのかもしれません。

まあ、いずれにしてもいささか忘れがちになっていた伝統食を、
出来れば復活させたい、と言いう思いがあります。

 

七夕は、恋愛成就の祭りでもあり、そもそもが技芸の上達を願う祭りでもあります。

出来れば、そうめんを食べながら、願い事をかなえよう、と言うのもなかなかいいでしょ。

 

この七夕のまちだからこそ、そうめんを食べる習慣を広めたい、と。

今年はまだまだわずかですが、飲食連合会のお店で、七夕は素麺、ということで、
そうめんを提供することにしています。

是非ともご利用ください。

 

| 水嶋かずあき | グルメ | 06:47 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
山椒の実

その昔、丹波篠山に行ったことがありました。
この時、ある人とさしでコーヒーを飲みながら世間話をしていたのですが、
話題がうなぎになったのです。
もちろん私がうなぎ屋であることを知っていたので、そういう流れになったんですね。
で、彼が言うには、ウナギのかば焼きって、大きめだったら一匹、
中くらいでも、一匹半食べたら、もうごちそうさん、とならないですか、と。
確かにそうですね。

その位で十分。
特にうな重なんかは、どんなに贅沢に食べようとしても、
ご飯の量とうなぎの量のバランスがあって、
うなぎがたくさん載ってるうな重がいい、とは思わないですよね。


で、彼はつづけるんです。
こう言う食べ方だったら何枚でも食べられると。
それはウナギの白焼き。
ただし、付けるたれは、山椒の青い実をすり鉢で当たり、
これに醤油を注ぎ込み、さらにかき回す、と。
これに白焼を付けて食べたら、こんなうまい食べ方はなく、
何枚でも食べられる、と言うんです。
一度やってみようと思いつつ、なかなか実山椒が手に入らなくて、
実現していません。
で、さらに彼が言うには、この山椒は朝倉の部落で獲れたものに限るんです、と。
平塚に帰ってから、早速調べてみると、そもそも山椒は海を渡って伝来されたもので、
それが最初に伝わったのが、今の養父市の朝倉なんだ、とか。
今の養父市です。

まあ伝来の話はよく分からないのですが、朝倉の山椒は知る人ぞ知るなかなかのもので、
その実がなった6月ごろだけの、うなぎのおいしい食べ方なわけです。


娘の嫁ぎ先の庭で実を付けたという山椒の実を先日もらい、
これの下処理をしました。
まずは、小枝と言うか、軸と言いうか、実からちょっとばかりついているものを取り除くのですが、
これが大変。
小粒でピリリと辛いとは言うものの、数が多いですから、いくら小粒でも大仕事なんです。

なんだかんだと二掴みほどで、
30分もかかってしまいました。
こう言うのって、ちっとは趣向を入れてやらないと飽きてしまうでしょ。
で、なんと粒の数を数えたのです。
すると、1400粒。
だから何てことないんですがね。
そこそこの作業でした。

 

この実山椒なんですが、小分けにして冷凍をして、何かの時に取り出し、
風味づけなどに使うのですが、滅多な事ではお呼びがかからないので、
今ある冷凍山椒の実は、おそらく2年ぐらい寝ているんじゃないでしょうか。
1400粒となると、いつごろまでに消費しきるのか、見当が付きません。

 

念のため山椒料理を、ネットで検索したのですが、
是非とも作ってみたい、というものはありませんでした。
辛味の質にもよりますが、麻婆豆腐なんかに、花山椒代わりに使えるかもしれませんね。
またすりつぶして、塩に混ぜ、ゆずの皮と併せて、ゆず胡椒を作るとか。
もっとも、ゆず胡椒の胡椒は、青唐辛子を使います。
山椒を使ったらどうなるのか、一度試してみましょう。

 

ところで、あすから七夕祭り。
今日は、市民プラザの6階にある駐車場で作っていた作品を
パールロードに運び込みます。
どうか、雨と風、これだけはないといいですね。
祈る思いです。

 

5日からの七夕にぜひお越しください。

パールロード中ごろに、春令花、秋礼花の飾りがあります。

パチンコのコキーナの前に、歌い継ぎたい日本の童謡の作品があります。

是非ともご覧ください。

 

| 水嶋かずあき | グルメ | 11:37 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
食品ロスと賞味期限

世の中には、変わった人と言われる人が大勢いますが、
人間の進歩の多くは、この変わった人たちによるものです。
それは従来の価値観や、常識と言われるもの、保守的で安全な考え方からは、
新しい視点は生まれてきませんし、
旧習を打ち破り、新たな分野への進出もできないからです。

ま、その意味で、無理に変わった人間になる必要はありませんが、
変わった人への偏見は考え直すべきですね。

 

さて、かなり変わった人を紹介します。
ネットに掲載されていたものです。

その人は、アメリカ、メリーランド州のスーパーマーケットチェーン「マムズ・オーガニック・マーケット」を

創業したスコット・ナッシュさん。
どこが変わっているのか、と言うと、

この1年、賞味期限切れの食品ばかりを毎日食べ、その記録をブログで発表したのだそうです。
私達は、時に賞味期限切れの食べ物を口にすることがありますが、

毎日となると、これまは変わっている人、と言っていいでしょうね。
まあ、きっと、自分の店から毎日、商品の中で期限切れが出てくるんで、
どうして賞味期限が付けられているのか、とか実際何が根拠でその日にちを設定したのか、など、
疑問があったんでしょうね。
で、なんだったら、自分で食べてみよう、と。
いや、一人じゃ心細いから、何とか大義名分をぶち上げて、

家族にも食べてもらおう、と考えたのだと思います。
で、一年たって、ご本人も家族もいたって健康なんだそうです。

 

こんな挑戦を始めたきっかけは、3年前に別荘に行った際に、
冷蔵庫の中に賞味期限が6カ月前に切れたヨーグルトを見つけ、
で、匂いをかいでみたところ、悪くなっていないみたい、ということで、
スコットさんはそのヨーグルトでスムージーを作って飲んでみると、
味はおかしくないし、体に変調があったわけではない。


この経験で、スコットさんは、そもそも『賞味期限』って何だ?と疑問に思うようになり、
様々な賞味期限切れの食品を食べる実験というか挑戦と言うか、

まあ勇気ある行動を始めることになったわけです。

で、様々な食品、さらには、最も古いので、1年前に期限が切れたトルティーヤとか、

10週間前に切れた生クリームなど、
あれこれと食べたところ、体に異常をきたした、と言う経験がなかったのだそうです。
もちろんなんでもかんでも、と言うわけではなかったでしょうね。
少なくとも腐敗臭のするようなものとか、日本で言えば、刺身とか、

明らかに時間とともに賞味も劣化すれば、

腐敗も進むというようなものまで、というわけではないでしょう。

 

で、その結論が、食品のラベルに記された日付は、食品の安全性にはさほど関係がない。
多くの場合、賞味期限の日付は、それを食べたら危険だということは意味していない。
製造サイドが、見た目や味が最上の状態ではなくなる日付に過ぎない、と言うのです。

 

私も以前から賞味期限に書かれた年月、日付などの数字で判断するな、と言ってきました。
食べれる食べれないは、鼻と舌で判断すべきだ、と。
鼻でチェックして、異臭、悪臭がしたら、これはもちろんパス。
で匂いで判断できなければ、触った触感、次に端を口に入れ、違和感がないかどうか、
おかしかったら吐き出せばいいことです。
そもそも舌とは、安全だから飲み込んでもいい、という判断をする器官なんです。
もちろん安全ではない、と言う時は吐き出します。

私は、食品製造業者が、正しい観点で賞味期限の日付を設定しているとは思っていません。
例えば、様々な実験をし、10日目ぐらいから歴然と劣化してきて、

安全が保障できない状態になった、としましょう。
絶対賞味期限です。

体調に異変が起きるかもしれない、と言う可能性の問題です。

 

で、賞味期限をいつにするかでしょ。
うん、少なくとも8日までは変化がなかった、とした場合、

きっとその会社は、5日間を賞味期限とするでしょうね。
何かあった時の言い逃れの為です。
もし、8日間にして、何かあった場合に責任を取ることを考えたら、
好きし短めにして安全策を取る、と言うのが企業の姿勢なんでしょうね。

 

「私達は、世界中で問題になっている食品ロスに対して、

あえて、弊社の賞味期限を延長しました。
大事な食料が安易に捨てられてしまわないようにです。
しかし、それはそれでリスクを伴いますが、

どうか、最後の最後はご自身の舌と口で食品安全の確認をしてください。」

とかを表明できる会社は出てこないのでしょうか。

| 水嶋かずあき | グルメ | 18:50 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
さめた弁当

大まかに弁当の製造は2種類に分かれます。


ひとつは、イベントなんかに出店し、作ったものを並べて売るという個売をするものです。
それなりの予測をするのですが、早めに完売すれば、

欲が張っているもので、もっと作ればよかったと後悔しますし、
多めに作れば、残るんじゃないかとやきもきします。
大雑把ですが、10個作って1個残ると、行って来い。
2個残ると、赤字と言うことになります。
もっとも、原価のかけ方ですが、今時、300円台で、弁当販売をしているところが多いので、
よほどの内容でないと、売れない。
つまり、それなりの原価を掛けないと売れないということになるので、
1割2割の売れ残りは、採算的にリスクが大きいということになります。


さらに、売り切れがいつだかわからないので、ときに長い時間並べておくという食中毒上の問題と、
やはり時間が経てば、味は幾分か落ちるので、これは望むところではないでしょ。

そもそも、弁当と言うのは、ある時間に作って、それを持ち歩いて、何時間か経って食べる。
言い換えれば、おいしく食べれるタイミングを失しているわけです。
ちょっとばかり気の利いた料亭とか、レストランなんかで、コースを頼めば、
順に出てくるでしょ。
料理って、一番おいしく食べられる瞬間と言うものがあるわけで、
ベストのタイミングで出すのも、その店の能力なわけです。

でも弁当は、すべて一緒ですし、しかも、時間がたっている。


まあ、なんだかんだ、一味ふた味落ちたものだ、ということが前提なんですね。
逆に、そんなハンディがあるわけですから、
調理側からすれば、冷めてもおいしいものと言う献立をするものです。
しかし、限界がありますね。

 

もう一つの弁当販売は、基本が注文に応じるということです。
つまり、なんかの会合があるんで、1000円のものを、20個とか、言う注文ですね。
これは売れ残りがないわけですから、経費的なリスクはない。
さらに、納品時間が分かっているわけですから、極力その時間に合わせて作れる。
まあ、メリットが多いタイプです。

とは言え、どちらも、食中毒と言う不安は付きまといます。
万全を期しても、目に見ることのできないミクロの世界で発生するのが食中毒ですから、
完全と言うのはありえないんですね。

 

弁当と言うものは、そんな条件が前提なんですが、
中国のある方が、日本の弁当について、評論していました。

 

まずは、冷めていてもおいしく食べられるように考えられているのが日本の弁当の特色だ、

と言うんですね。
一応、四つに分けて、こんな風な分析をしています。


1つめは、持ち運びを前提としているものの、夏の暑い日などに持ち歩くと、

暖かいものは、かえって、傷んでしまう。
そこで、食中毒防止と言いう意味で、あえて弁当を冷やす。

場合によっては、保冷剤を入れたりといった処置まで施して鮮度を保つ。


2つめは、日本人は食材本来の味を好む、と言うことで、

油を使った料理や調味料たっぷり使った料理が少ない。
温かいままだと、味が他の食材に移ってしまい、

冷たいほうが、食べ物本来の味を楽しむことができる、と。


正直、この項目は、疑問符が付きますね。

味の干渉を避けるというのは温度より、煮汁などの接触ですから。
ですから、味や匂い、色が移ったり、汁が流れたりするのを防ぐために、

日本人の弁当には多くの仕切りやアルミ箔が使用されている、ということです。
確かに、仕切りは重要な手段なんですが、
日本の弁当系の詰め合わせで、吹き寄せ、と言う技法があります。
これは、これと言った仕切りを使わずに、次々と素材を詰め込んでゆくのですが、
なんでもかんでもと言うわけではなく、隣同士は相性のいいものを詰め込むわけです。
これはまさに知恵ですね。


3つめは、他人に迷惑をかけないという発想、である、と。
??そんな発想があったのかしら。
公共の場所で弁当を食べる場合、温度が高いと、香りが強くなり他人の邪魔をすることになりかねない。
それゆえ、あまりニオイの出ない冷めたままの弁当を食べるのだ、と言うんですね。


そう言えば、以前、飛行機に乗った時、たまたまファーストクラスの席にしたのです。
まあ、いいとこ20人そこそこの席数ですが、いわば小さな個室のようなものです。
で、どういうわけか、最前列に、わけあり風のカップルが乗り込んできて、
離陸するなり、酒盛りが始まったんです。
で、いきなりつまみにどこかで買ってきた焼売の折をあけたんですね。
すると、その狭い部屋中が焼売のきついにおいが充満。
その不愉快な事。
あれは迷惑千万でしたね。
せっかくのファーストクラスの気分が台無し。

 

で、四つ目ですが、昔から日本人は冷たい弁当を食べていた、と言う日本の食習慣を指摘。
いやまて、どんな国でも、携帯食って、そもそも冷めているはずでしょ。
慣れとかそういう問題なんでしょうか。
弁当イコール冷たい、は前提でしょ。
ちょっと前、うなぎ弁当に発熱する何だかを仕込んであって、糸を引くと熱が出て、
しばらく待って、食べると温かいうなぎ弁当が食べられる、と言うのがありましたね。

でもまあ、そもそも、ホカ弁以外は、冷たいのが前提ですし、
冷たくてもおいしいのが大前提です。
中国の人にしてみれば、日本の食習慣が奇異に見えたのかもしれませんが、
まあ、私達にしてみれば、相応の食文化の歴史があるんですよね。

| 水嶋かずあき | グルメ | 17:07 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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