水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
風速80メートル

テレビで盛んに警告をしていますが、台風10号がやってきそうなんですね。

と言うかやってくる。

で、こいつの最大風速が80メートルですって。

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小学校に上がるちょっと前、キャサリン台風と言うのがやってきました。

子供心の記憶としては、床下から吹き上げてくる風で畳が持ち上がってしまい、

放っておくとそこからさらに風が吹き込むので、持ち上がった畳に家族で乗って抑え込む、

なんてことをしたものです。

子供は無邪気ですから、これが結構楽しい思い出になっているんですね。

当時の家ですから、雨戸があって、これを父が釘で打ち付けて台風に備えていました。

このキャサリン台風による死者・行方不明者は1930人。

家屋の損壊9300棟、浸水385,000棟で、関東地方を中心に、戦後間もない日本に大きな打撃を与えたものです。

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そのことと比較しても、この10号は実に巨大は台風のようです。

大体台風が持つエネルギーは、中心の気圧が基準になっていますが、

なんとなくの標準的な感覚では、

南の海上で発生した熱帯性低気圧はその後徐々に発達して、

中心は950ヘクトパスカル、半径100キロ以内は最大45メートルの暴風となっています。

なんてところが始まりでしょ。

でも大体は、日本に近づくにつれて、気圧は上がり始め、

980ヘクトパスカルあたりになってしまう。

もうそうなると、上陸した後は、熱帯性低気圧、つまり台風としては解散と言う状態にあるのがほとんどでしょ。

これは、日本近海に来ると海水温度がそれほど高くないので、

台風にエネルギーを供給しなくなる。

と、台風も、パワーを失って、ではここまで、とかなるわけです。

大体、半日ごとに、10ヘクトパスカルぐらいの気圧の変化がありますよね。

..

ところがです。

最近の台風は、沖縄辺りの緯度でも、エネルギーを吸収する。

なんて言ったって、台風発生の条件の一つである、海水温が日本近海でも30度ぐらいあるのだそうでから、

日本近海がすでに台風の孵化場所みたいなもんです。

南大東島南海上、とかではなく、石垣島東海上、とかが発生地点なんてことがありうるんですね。

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最近のテレビの気象解説の地図を見ていると、海水温が示されていることがありますが、

日本沿岸は、ほぼ赤い色。

所によっては31℃なんてところもあるくらいで、

台風としては、実に成長しやすい環境になってきた、と言うことです。

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風速80メートルと言う状況はほぼ想像の世界なんですが、

きっと大型のトラックなのでも風の通り道に置いてあったら、転がってしまうでしょうね。

気象庁では倒壊する家屋が出てくるとまで注意しています。

正直、古い家は災害に弱いので、昭和56年以前に建築したものは、要警戒です。

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台風の進路と中心の位置によって、風向きが変わりますから、

基本的には八方に注意を払い、風対策をすべきです。

家なんか簡単に壊れるものか、と甘く見ないほうがいいです。

防災系のテーマの時に、いつも言っていることが、正常化バイアスです。

自分に不利な出来事は起きることはない、と何の根拠もない状況を信じ込むことです。

家なんか飛ぶものか、とか、水が出てきたって、うちには届かない、とか、

まあ都合のいい状態を本気になった想定してしまうんですね。

だから、対応が遅れる、さらに生命の危険にさらされる、と言う状態です。

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台風10号は、九州方面にやってきそうなので、関東の人間にとっては他人ごとですが、

この後、太平洋高気圧が後退すれば、台風は関東直撃何てことは十分にありますし、

昨年並みの、15号、19号クラスの風が吹く可能性は大です。

わがマンションはこの二つの台風のおかげで、およそ2千万円の被害を出してしまいました。

残念なことですが、そこまでの被害を想定出来なかったんですね。

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考えてみれば、この現象は、去年今年の限定的な問題ではありません。

地球の温暖化は進む一方なわけで、

それによれば、今後も海水温は高くなり続け、

例えば、海水温32℃とか33℃とかなれば、ヘクトパスカルはさらに下がり、

900ヘクトパスカルなんて台風が目の前で発生するかもしれません。

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冷静に考えてみましょう。

今まで、私たちの記憶で、この日本のどこかで日中の気温が40℃を超えるなんてことはなかったでしょ。

でも今は、あるじゃないですか。

ともかく、地球は変わりつつあるのです。

もちろん私たちが経験していないような変化です。

正常化バイアスと言うのは、変化の乏しい安定した状況に安住しているからこそ発生してくる心理的状況なんです。

ここはえいっと切り替えましょう。

風速80メートルは脅しじゃないみたいですよ。

| 水嶋かずあき | 環境 | 10:14 | comments(0) | - | - | - |
分水嶺図の作成を急げ

五月雨を集めてはやし最上川  芭蕉

なんて句を鑑賞している場合じゃないですね。
今朝のニュースは最上川が豪雨を集めて、泥流が轟轟と流れているさまを映していました。
鉄橋のわずか10数センチ下。
何とか治まりますように、と祈るばかりです。
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昨年、仲間と一泊の小旅行で山形を楽しんできました。
主に、村山を中心に、山寺を巡り、さくらんぼうと将棋の駒の天童の温泉、

それと地元の十四代のお酒を味わってきました。

この時、村山市にある、最上川美術館・真下慶治記念館に行きました。
地方のこじんまりとした、しかも基本的には館名のとおり真下慶治さんの
作品中心の美術館です。
この、真下さんは、この美術館になっている場所にアトリエを構えて、
ただひたすら最上川を描き続けたのです。
美術館の川岸寄りのところに広めのバルコニーが張り出して、
そこから最上川の流れを見ることができます。


私たちがよく見る川辺と言うのは、大体がコンクリートの土手で護岸されていて、
普段は砂利が露出している河原があって、その中央辺りを川が流れている、と言う感じでしょ。
ところがここでは、川辺はいきなり川岸で、流れぎりぎりにさまざまな植物が生い茂っているんです。
その流域の経験的なものもあるのでしょうが、総じて私が見た最上川の風景は、
遠くに山の峰、手前にちょっとした林、わずかながらの草地、そしていきなり川なんです。
まあこれがある意味、とても絵画的で、もしあそこがコンクリートの土手で、
河原の砂利と流れる川だったら、
真下さんは風景画の題材にはしなかったでしょうね。
ま、それほどゆったりとした情緒あふれる風景だったのです。
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しかし、このような非常事態となると、却ってそれが凶とでるかもしれないでしょ。
とても心配ですね。
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やはり温暖化が原因と言われていますが、
日本各地で何かと洪水が発生しています。
おそらく、温暖化が急に収まるわけもないので、
日本各地で洪水対策が積極的に行われるべきだと思うのです。
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川と言うのは、そもそも、山野に降った雨水が集まって流れを作っている状態のことでしょ。
で、あるところに降った雨水が、どこに流れるのか、というのは決まっています。
昔、地理かなんかで勉強しましたが、分水嶺と言うのがあるでしょ。
例えば、連なった峰が南北にあったとすると、
その峰のラインより東に降った雨は東斜面を流れ、いずれどこかの川に流れ込む。
西は西で同様です。
つまり、どんなことがあっても分水嶺を越えて反対側に水は流れない。
そこで、日本全国の分水嶺を地図に落とし、マークして、

一体どこに流れ込むのか、と言うデータを作ればいいのです。
よく、洪水が出ると、その流域の川のラインが絵として表現されますが、
あわせて、その川の分水嶺を地図化すべきじゃないか、と。

単に川の流れだけでなく、分水嶺に囲まれた地域全体を単位としてとらえるということです。
金目川は秦野のヤビツ峠の先あたりから始まって、唐沢、葛葉、水無、室川などが合流し、
平塚に入ってきます。
市内に入ると土屋の座禅川、河内川、高根川などが流れ込み、
東側からは、鈴川、渋田川、歌川などが合流してきます。
それぞれ、地形に沿って、何らかの分水嶺があって、川を構成し、
川は地形に沿って合流をし、最後は一本の流れになって海にそそぐわけです。
で、できれば支流ごとの分水嶺による面積を計測し、
歌川エリアで何ミリ降ったとか、座禅川エリアでは何ミリ降ったとか、細かに出せれば、
小河川ごとの面積とそのあたりの降雨量によって、川に流れ込む水の量が算出できるでしょ。
で、水量はどんどんと足し算されて、金目川全体としてどのぐらいの水量になるのか、計算できるでしょ。
要は、ち密なシミュレートをしておけば、何時間後にどこらが危険か、なんて予測できるはずです。
洪水ハザードマップもさることながら、分水嶺別の面積図があれば、
かなり精度は上げられるはずです。
それと傾斜でしょうか、これもデータの要素に組み込む。
大体どこにどのぐらい降ったら、時間の経緯と共に水流の位置も確定できるはずなので、
これをしっかりとコンピューターで、予測をさせればいいのではないでしょうか。
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以前、このブログでも書きましたが、政治とはその重要な仕事の一つに治水があるのです。
政治の治は、治水の治なんです。
今後増えるであろう大雨の対策として、住民の安全を確保すえるという意味で、
もっと緻密な警報を出すべきで、実は、さほど難しいことではないと思うんですね。
ともかく、政策として、分水嶺別ハザードマップを早急に作成する必要があります。

| 水嶋かずあき | 環境 | 09:26 | comments(0) | - | - | - |
景色の賞味期限

いつものように、何気なく街を歩いていると、
とつぜん、そこにあったお店や建物が無くなっていることがあります。
まあ、それぞれの事情でしょうから、今まで通りが正しい、なんてことはないでしょ。
特に、商店などの場合、その業界自身が斜陽になれば、なし崩し的に商売が傾き、
廃業といういことになります。
もう根性とか、忍耐とか、先見性とか、そんなこと関係なしに、だめはダメなんですね。
例えば、ある池に一匹も魚が泳いでいなければ、釣り糸をたれても釣果ゼロでしょ。
釣り糸を垂れるなら、魚がたくさん泳いでいるところが基本です。
ですから、これも時の流れ。
いい時もあれば悪い時もある。
で、見切り千両といって、どのタイミングで閉じるのか、と言うことが肝心なところなんですね。
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大体、そう言いつつ店を閉じ、建物を取り壊すとなると、
大体が、駐車場になってしまいます。
次の計画がなければ、放っておくよりは日銭が稼げるんじゃないか、とばかり、
タイムパーキングに衣替えです。
と、そういえば、ここは前はどんなだったっけ、となるでしょ。
店名ぐらいは思い出せても、姿かたちと言うの、つまり、視覚的情報と言うのがあいまいになる。
まあ、新しい景色を受け入れる、と言うことなんですね。
なにより現実が見えているわけですから.
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私たちの身の回りの風景が変わってしまうと、今までの記憶が更新されます。
建物だけではなく、自然の風景もそうです。
なんとなく、ひとは、今見えているものへのこだわりがありますが、
実は、自然界も、かなりの速度でその形態を変えているのです。
まあ、とくに、人間が手を入れている場合はそれが顕著ですよね。
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私が子どものころとは、このまちの様子も大きく変わってきました。
高麗山の頂上から見下ろした万田辺りの景色と言えば、一面田んぼでしたものね。
20代の初めのころ、松風町から花水川の土手に行って、
土手沿いにウズラの銃猟をしたことがあります。
まずは、銃を撃ってもいけないという環境ではなかったんですね。
ほとんど人家がありませんでしたから。
だから、住宅地から土手に向かう間、何百メートルか畑が連なっていて、
春先には、空にはひばりが鳴きながら、ホバリングをしていたものです。
今は住宅が際々まで建っているでしょ。
昔の面影はいずこ、ですね。
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小さく言えば、まちかどの景色、お店が駐車場になるなるなど。
更には、野原に家が建ったり、畑が工場になったり、変化は変化でありますが
実はこの大地も大きく変わっているんですね。
今でこそ、日本列島はご存じの形をしていますが、
これとて、今後、永遠にこの形を維持できるわけじゃありません。
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私は、いつもこういう考えがあるせいか、大地が今の形をとどめているわけがない、
と思っています。
例えば、大水で山肌が崩れ、山の姿が変わってしまった、と言うことなどもその一つ。
何処かの山で、奇跡のように巨岩が細い峰の上に載っている。
微妙にバランスはとれているものの、地震があったら転がり落ちるかもしれない、
なんて景色のところもあるでしょ。
今の形はいずれ変わってゆくんですね。
止まっていると思っているのは今の一瞬に過ぎない、と思っていたほうが正解です。
もっとも、私たちの寿命では、その変化を見届けることはできませんが、
大きな時間の流れの中では、十分にありうる変化なのです。
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日本列島もほぼ今の形になったのは、2万年前の話。
46億年の地球の時間でいえば、ちょっと前のことです。
パンゲニア超大陸が今から2億年ほど前に分裂を始め、
現在の5大陸に分かれました。
この過程で、日本列島は形成されるのですが、それまでユーラシア大陸と地続きだったのが、
大陸と現日本列島との間に海水が割って入り、日本海が形成されます。
そしてこれがどんどんかくだいして、現在に至るのですが、
日本列島としてはおよそ180万年前に形勢が終了します。
もちろん多少のでっこみへっこみはありますが、原形の基本はこのころに完成しました。
もっとも、伊豆半島などは、その後フィリピン海からやってきて、
つまり地殻移動によって、本州に近づき、ついに最後は接岸し、伊豆半島となります。
あの大きな塊は50万年前までは太平洋上に浮かぶ島だったんですね。
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ともかく、姿は絶えず変わっている、と思ってください。
平塚の東を流れる相模川は、以前は、東京湾に流れ込んでいたんだそうです。
それが歳月とともに、西に西にと移動し、10万年ほど前に三浦半島を渡って、
西に河口を移動し、今に至っているのだとか。
なぜ、西に移動するのかはわかりませんが、
例の源頼朝が馬から落ちたといわれているのが、相模川橋梁跡が残っているあたりだそうです。
場所は茅ヶ崎。
直線で現在の馬入川は、2〜300メートルは西に移動しています。
この出来事が西暦1200年として、800年間で、こんなに川は移動するんだ、と言ういことが分かりますよね。
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今の姿かたちは、今でしか見れない、と思ってください。

 

| 水嶋かずあき | 環境 | 17:26 | comments(0) | - | - | - |
何やら地震が頻発してますね。

なにやら関東地方に地震が頻発し、大きめの地震が来るんじゃないか、
と心配されている方が多いようです。
もし心配なら、そのための備えをすることでしょ。
大丈夫か、大丈夫か、なんて百篇言ったって、
何の足しにもなりません。

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今回の一連の地震は、東日本大震災の時の余震と言われています。

あれから9年も過ぎたのに、余震?と思うでしょ。

地球にとっての9年なんて、私たち人間が感じる1秒程度のことでしょ。

十分に余震の領域なんですね。

心配なのは、これらの余震の影響で、首都直下型の地震が誘発されないか、でしょ。

可能性は否定できない。

コロナと地震のダブルショックを東京は受けるかもしれない。

用心するのに越したことはないでしょう。

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防災の基本は死なないことです。
したがって、死につながりそうな要素を排除してゆくべきです。
阪神淡路大震災での直接死者数(関連死を除く死者数)は、5500人。
これは、神戸大学をはじめ、多くの医療関係者が、死者全員の検死をしています。
その結果、おおよそ、9割の方が圧死でした。
建物の崩壊、家具の下敷きなどです。
ざっと5千人の方が圧死、さらに、その1割の人が家具の転倒による圧死です。
つまり、家具をちゃんと止めていれば500人の人が死なずに済んだ、ということになります。
くどいようですが、防災の最大の目的は、死なずに済んだ人は死なせないようにする、ということです。
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つまり、第一は壊れない家に住むということです。

コンクリートの頑丈な家で生活するか、
今の家を耐震補強するか、まあどちらかです。
もっとも出先などで、建物の崩壊に巻き込まれてしまえば、それまでですが、
でも、圧倒的に自分の家で災害に会うというのが多いんですね。
ですから、何より、壊れない家に住む、ということが重要なんです。
ちなみに、平塚市内の世帯数およそ10万世帯ですが、
そのうち、50%はマンションや集合住宅に住んでいます。
木造系の家屋でも、おそらく昭和56年以前の建物というのは少なくなっていると思いますが、
それでも耐震基準などが脆弱な時代の建物ですので、
耐震診断をする必要があります。
死なないための基本的な手順です。
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で、第二は、家具を固定する、ということです。
家具転倒での死者数500人というのは、信じられない数ですが、
検死の結果のデータですから、人ごとと思わないことが大事です。
固定の方法はいろいろありますが、
一番単純で安上がりなのは、壁にL時金具で固定する方法です。
ただ壁の位置によってはグズグズでビスが効かない場合がありますので、
壁の芯を見るけることが大事です。
それと、賃貸の部屋の場合、壁に傷をつけられないので、
別の方法が必要です。
マンションなどの場合も壁が石膏ボードの場合が多いので、
これまたビスが効かない。
そこで、ツッパリ棒的なもので抑え込むのですが、様々な機種があるので、慎重に選びましょう。
特に、取り付け場所によっては効果が半減するので、
基本は壁に寄せて、設置することです。
要は、家具の天板の奥に着けるということですね。
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一番簡単なのは、家具と天井の間を丈夫な段ボールなどでふさぐことです。
ま、できるだけぴったりとはめこめば、ほぼ倒れることはありません。
要は地震の揺れによって、家具が徐々に上部を振り始め、

何処か限界点で、どたーんと倒れるわけです。
例えば冷蔵庫などですが、あんなに重いものが倒れるのか、
と考えられがちですが、
私の知人が、中越地震の時の自宅の様子を写真の撮って見せてくれたのですが、
アップライトのピアノが、部屋の対角線の位置にそっくり移動してしまったそうです。
とてつもない力が働くもんだ、と思ってください。
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とまあ、まずは圧死から逃れる、ということが防災のイロハです。
それ以外では、割れたガラスとか、落下物にあたったとか、怪我がありますが、
これは原則自宅治療をすべきです。
つまり救急用の医療品のセットは準備すべきです。
最低限の応急治療は家でできるようにしておくべきです。
この最大の理由ですが、病院には、一挙に怪我人が殺到します。
阪神淡路では3万2千人が負傷しました。
この人たちが一斉に病院に押し掛けるわけです。
ある病院の外科部門では、10倍、100倍の患者がやってくるわけです。
当然ですが対応できるわけがないでしょ。
それによって医療崩壊を起こします。
それで、救えるべき人を死なせてしまうことがあるのです。
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防災の基本は死なない、ということと、死なせないということなんです。
「葉隠」に、侍とは、死ぬことと見つけたり、と書かれていますが、
防災とは、死なせないことと見つけたり、なんです。

 

| 水嶋かずあき | 環境 | 11:54 | comments(1) | - | - | - |
脱プラの問題点

コロナの話題もいささか鮮度を失ってきたのか、
メディアは話題性の高いものを鵜の目鷹の目で探し出し、
何とか番組のネタに仕立てようと躍起になっているようです。
そこで白羽の矢が立ったのが、レジ袋の有料化です。
昨日のワイド系の番組ではそのほとんどが取り上げていました。
で、省令で決められた有料化について、何の疑問もなかったのか、
吹かれている笛に踊っている、という印象でしたね。
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基本は脱プラで、廃棄されるプラスチックそのものが問題なわけです。
その目標は、数値化されているわけではありませんが、
現行の無制限に使われているプラ製品を減少させ、
さらには廃棄されたものを有効利用しようというものです。
当然ですが、コントロールできずに地球に捨てられる総量も少なくしようというわけです。
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この脱プラについては、したがって、いくつかの段階に分かれます。
まずは、下流に位置する問題から考えてみますが、
自然界に捨てられるプラ製品が及ぼす被害を減らすということです。
よく、亀の胃袋やクジラの胃袋からレジ袋が出てきたとか、が写真付きで報道されることがります。
それと、分解されずに地中に埋まるとか、
マイクロプラスチックによる海洋汚染とともに、
それが魚に取り込まれ、その魚を食べる人間にも蓄積されるのではないか、
とその危険性が指摘されています。
まあ、どこをどう取っても、あまりいいことじゃなさそうです。
そこでこれらの不安と問題を抜本的に解決するには、というのが脱プラのテーマです。
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もちろん抜本的に解決できません。
一つは、あまりにも便利な素材のため、これを使わない生活など考えられないからです。
さらに、ほぼ、現在目にする身の回りのプラ製品は、
基本的に捨てることを前提としているものが多いように思われます。
つまり、プラごみを出す体制は完備している、ということでしょ。
したがって、何をどのように規制するのか、と言っても、
生活全般に大きなダメージを与えかねませんし、
その意味でも、経済的なダメージも伴うと思うのですね。
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そこで、問題は、たとえわずかであろうと、プラ製品に消費量を抑えられないか、
ということと、いかに効率的にリサイクルするか、の二つが考えられます。
今回のレジ袋有料化は、消費量を抑えようとする試みです。
いくらマイバッグを普及しようと、実はそれほどの効果はないのではと思っています。
結局、レジ袋は使い終わったら、単純に捨てられているということはほとんどない、と思うんですね。
何らかの形で、ごみの整理のために使われる。
最後にはプラごみに分類されて、ごみ収集に出される。
マイバッグだって、基本プラ製品の場合が多く、結局は多かれ少なかれ、
プラ製品の消費を下げることはなかなかできないのではないかと思うんです。
そもそもが、プラスチックの原料となる石油の量は全体の3%にすぎず、
目に見えないところでの問題もかなりあるということです。
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ですから、現状では、分解可能な素材の開発と、
有効なリサイクルシステムの構築だと思うんですね。
日本は、リサイクル率80%と言ってます。
諸外国では、この数字を驚いているそうですが、
実は、熱処理、つまり燃やしてしまうのが、そのうちかなりあって、
世界標準でいうリサイクルに回されるプラスチックごみは4分の1くらいにすぎず、
いささか、こ狡いデータを出しているんです。
なんとなく中国みたいでしょ。
.
話は突然変わりますが、ウソかホントか、
中国医師の告発によると、かなりの数のコロナによる死亡者の数が、
他の死因として処理するように、当局から指示があったというんですね。
その医師の感覚では、少なくとも一桁違うはずだ、と。
私も、あのテレビから伝わってくる様子から、案外死者数が少ないな、
と思っていたんです。
もし、事実だとしたら、不都合な真実を隠すのは、どこの国の政権も同じなんだな、と感じました。
.
さてプラごみの問題です。
要は、レジ袋を使わなくなるんじゃなくて有料なんですから、
絶対数を減少させるのには、あまり効果がないと思われるんですね。
だって、3円とか5円で買えるんですから、
1000円、2000円の買い物に占める割合でいえば、たか知れたものでしょ。
多少は影響がありにせよ、大山鳴動し鼠一匹と言ったところでしょ。
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何より、国及び地方行政体は、ごみの収集の真の姿を明らかにすべきだと思うのです。
あのペットボトルをラベルをはがし、キャップを分け、時に中を洗浄して出していますが。
それ相応の市民の協力は意味を持っているのか。
特に、プラごみですよね。
神経使ってキッチンでは仕分けしていますが、
どのように扱われているんでしょうか。
時に、ごみ焼却の補助的な燃料として使われているとか。
としたら、何のために仕分けているんでしょうね。
いささか空しくなるでしょ。
これらのごみ処理の行方をもう少し可視化する、というか明確に情報公開することが必要でしょ。
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レジ袋有料化によって新しい性格基準を作ろうということですが、
確かに、コロナは強烈でしたが、
マスク着用は標準的になりましたよね。
更に手洗いの励行とか、より衛生観念は進化したと思うのです。
まあ、これと同等、脱プラの政策も、いつかしっかりと習慣化されてゆくとは思いますが、
その道筋を、不都合な真実を隠すことなく、国民に見せて、協力を仰げば、
日本人は従順ですから、先は見えてくると思います。

| 水嶋かずあき | 環境 | 09:09 | comments(0) | - | - | - |
金になるというモチベーション
人間の行動で、もっとも単純な動機が金になる、ということです。
逆に、回避されがちなのが、金をとられる、です。
買い物ぶくろを有料化しようという機運が高まり、実際、いくつかのスーパーは有料ですし、
別途料金を取らないところはポイントを付けているようです。
と言っても袋の有料価格はいいとこ3円4円5円の世界。
したがって、払いたくないというより、もらった袋の活用を考えると、さほどの負担感はないものです。
むしろ、脱プラ世界へのささやかながらの挑戦と考えるかどうかのほうが、その動機が図れます。
したがって脱プラ効果があるかどうかより、そういう意識啓蒙のほうが意味があるわけでしょ。
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話は変わりますが、私たちがまだ子供のころ、つまり昭和20年代。
朝鮮動乱あたりの時代です。
まだまだ掘っ立て小屋が一部残っていたり、
犬は放し飼いが多く、犬殺し、と人は呼んでいましたが、野犬狩りをする人がいたり、
街角には、傷痍軍人の人たちが、義手や義足を付けて
アコーデオンを弾きながら街頭で募金を募っていたり、
学校の給食は脱脂粉乳とコッペパン一個だったり、
シラミやノミに悩まされていたり、
まあ、ともかく貧しい生活だったころです。
もちろん戦争中から見れば、多少はましになったのだと思いますが、
それにしてもひどい生活環境だったと思います。
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そのころでも子供は子供、何もみじめさを感じることはなく、
目の前に広がる生活については、そういうもんだ、という程度の認識だったんですね。
あっけあかんとしたものでした。
で、そういえばいつの間にか見ることが無くなったというのが、ネズミです。
今は、生活をしていて、その姿すら見ないでしょ。
でも当時はごく普通に、人間と同居していました。
とはいえ、病原菌を運び込むといって、忌み嫌われていました。
何とか退治しようとあの手この手で捕まえようとしたものです。
特に我が家ではすでに飲食業をしていたので、ネズミは大敵。
仕事の一つがネズミ退治でした。
普通には針金で作ったネズミ捕り捕獲機を仕掛けて、翌朝何匹か入っていると、
捕獲機ごと水につけて水死させるのです。
きっと、下水管なんかが不十分な構造だったんでしょうね。
近隣の家から伝わって侵入してくるので、まさにイタチごっこならずネズミごっこ状態で、
捕まえても捕まえても次々と家に入ってい来るのです。
まあ、ネズミはその意味で最も身近な動物に一つだったと思うんですね。
昭和でいえば、20年代後半ぐらいまで、ネズミを捕まえて交番に届けると、いくらかお金をもらえたのです。
いくらだったのか、その制度がいつごろまで実施されていたのか、記憶は定かでないのですが、
ともかく交番にネズミを持ってゆけば小遣いになった、ということは確かです。
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これは何とか撲滅したい、というある種の公衆衛生的な政策なわけで、
国家予算を組むほどのことはなかったと思いますが、
あることを推進するのに、金になる、ということはそこそこの成果を得るものなんですね。
だから、一匹いくら、という報酬を与えたわけです。
それによって、ネズミが減ったという実感はありませんでしたが。
ま、いずれにしても何か成果を求めたいなら、賞金というか、報奨金を付けるという、
手があって、場合によってはそこそこ成果は上がる場合もあります。
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西部開拓時代に、小さな町の片隅に保安官事務所があって、その入り口近くに、
極悪人の似顔絵かなんかに、この者を捕えたら賞金を出す
といったポスターが貼ってあった、なんて西部劇で見たことがあるでしょ。
WANTED DETH OR LIVEとかで、死んでいてもかまわないみたいな文言が書いてある。
平穏な生活を乱すものに賞金を付ければ、付けないより退治できる可能性がある。
で、賞金稼ぎが登場するわけです。
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で、現代社会でも平穏な生活を脅かすものというのは必ず登場してきます。
ごく普通には、警察とかがその退治にあたるんですが、何も人間とは限らない。
そこでそういう場合様々な対処法が使われるわけです。
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コロナ騒ぎの陰に隠れて、あまり報道されませんでしたが、
なぜか今年の春、東アフリカでバッタの大群が発生しました。
それはニュースで見たのですが、こいつらがその後勢いを増して、
中東を横切りインド・パキスタンに侵入。
一部は中国に上陸したというんですね。
なんという生命力でしょう。
コロナは目に見えませんがバッタはよく見える。
それはそれなりに恐怖ですね。
何しろ、植物という植物を食べつくしながら移動するので、
これによる食糧生産への影響はかなりありそうだ、ということです。
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バッタの大群による被害で食料供給危機に直面するパキスタンで、
対策の一環としてバッタを養鶏の飼料とする試みが行われているのだそうです。
なかなか賢い政策です。
パキスタンの首相は、穀倉地帯パンジャブ州でのバッタ対策として、実証実験を承認したのだそうです。
それは、バッタを飼料として利用しようという作戦です。
かつて、紛争で荒廃したイエメンで
飢餓対策にたんぱく質豊富なバッタを食べるよう推奨した取り組みを参考にしたのだそうです。
そういえば、日本でもイナゴを食べる習慣がありますが、まあ似たり寄ったりです。
害虫駆除と同時に、食糧問題の一助にする、という一石二鳥の作戦です。
そもそも人類の先祖が東アフリカの大地溝帯に現れた時、
何を食べていたかというと、木の実と昆虫だったようなんですね。
きっとバッタは当時にご先祖にとって好物の一つだったんじゃないかと思われるんです。
だから、いまさらでしょ。
まあ、パキスタンでの取り組みは、人が直接食べるのではなかったようです。
まず、村人たちが集めたバッタを当局が買い取り、乾燥して粉末状にし、飼料に混ぜる。
場所は、バッタが飼料用に適さなくなってしまう殺虫剤を農家が使用していなかったことから、
パンジャブ州オカラ地域が選ばれました。
殺虫剤を回避したところはさすがですね。
で、バッタを捕まえる方法なんですが、地元住民にこのように教えたんだそうです。
網は使い物にならない、と。
バッタは夜になると木や植物に群れをなして止まっており、
日が昇るまでの涼しいうちは動かないため捕まえやすい。
この寝込みを襲って直接捕まえてしまうという方法です。
そして、バッタ1キロ当たり20パキスタン・ルピー・約13円が支払われることになりました。
地元住民らは夜通しバッタを採集したのだそうです。
金になるってすごいモチベーションを与えるでしょ。
.
ところがですね、20トン集まった時点で当局の予算が尽きて、この計画は終わりになりました。
まあ、ちょっと情けない話なんですが、それでも効果は歴然とあった。
彼ら地元民にしてみれば、農作物を守れると同時に、いくらか金になるわけですから、
それは頑張りますよね。
集められたバッタは、同国飼料生産最大手の会社に送られ、
養鶏飼料に使われている大豆の10%をバッタで代用することになったそうです。
まあこれがすべての解決につながったわけではありませんが、もう一つ副産物が見えてきたそうです。
それは、殺虫剤をむやみに使用しないということへの啓もうになったのではないか、ということです。
.
このあと、奴らがやってくるかもしれない中国などにとってはいい参考になりそうですね。
こういう人海作戦というのは中国のお得意とするところですものね。
| 水嶋かずあき | 環境 | 11:03 | comments(0) | - | - | - |
不吉な警告
今日、8時58分、茨城県沖、深さ50キロのところでマグニチュード5.5の地震が発生しました。
震源に近くの町の震度が3程度でしたので、
まあ、最近たびたび発生している地域の小規模の地震の一つですね。
とはいえ、地震って何が怖いかというと、通常、前震・本震・余震の三段階に発生することが多いのです。、
特に、大地震といわれるものは、ほぼこの形態をとります。
で、実際発生した地震、例えば、今日の茨城沖地震は、千葉での地震などとの関連性など考えれば、
前震なのか、これが本震なのか、という判断がなかなかできない。
まあ、結果として、あとで仕分けはされていますが、起きた時は判断できない。
つまり、もし本震だとすると、さほど警戒することもないのですが、
これが前震なら、もうひとつこのあと、本格的なのがやってくる、と考えるべきでしょ。
なにしろ、ここが分からない。
.
恐ろしい統計があります。
ある地震学者が、仲間の地震学者、いわば地震学会に所属している人たちに、
特に、南海トラフ地震について、私たちが予報を出したとすると、
(ぼちぼち地震が起きそうです、という警報のこと)
どの程度の正確性があるだろうか、とその自信のほどをアンケートとして取ったんですね。
すると、その集計結果では、99%不正確な警報となる、という答えでした。
つまりですよ、地震の予測って、まるでできない、ということでしょ。
100回出して、1回言い当てれるのが精いっぱいということですから、
こんなこと繰り返していたら、オオカミ少年の話になってしまいます。
オオカミ少年現象は、「習慣化による受信濾過」 といって、何度も繰り返されているうちに、
大脳として、取るに足らない情報、として処理されると、
いつの間にかその情報に鈍感になってしまう、ということで、
オオカミ少年の訴えを、正面から取り上げられなくなる、ということですね。
ちなみに、日本ではなぜか、その結果少年がオオカミに食べられてしまう、という結末になっていますが、
本来は、羊(少年は羊番をしていた)が食べられてしまった、というのだそうです。
まあ、どっちでもいい話ですが。
したがって、地震学者の先生は、予知できません、と言ってるんです。
それほど、大地の営みは複雑で、人間が知りえないことが多すぎるわけです。
.
ですから、今回の千葉、茨城の群発的地震については、前震としての位置づけができないんですね。
さ、そこで、素人地震学者の登場です。
はい、水嶋かずあきです。
私の見解。
要は、東日本地震(東日本大震災というのは災害名です)というのは、太平洋プレートの沈み込みによって、
日本海溝の西側にひずみが溜まりました。
で、これが割れたわけです。
この地震の驚異的な点は、はじめ北のほうで始まったプレートの崩壊が、順に南に降りってきて、
ほぼ茨城沖まで連続して近く崩壊があった、ということです。
まあ一種のドミノ倒しの原理ですね。
まさかこれほどの範囲で地殻がこわれるって想像していなかったんですね。
あの時のマグニチュードは「9」です。
マグニチュードというのは、例えば、6と7の違いはおよそ30倍。
7と8との違いも30倍、そして8と9との違いも30倍なんです。
つまり、マグニチュード7に比べるとマグニチュード9というのは、およそ900倍になる、ということです。
ちなみにマグニチュードというのは、地殻が壊れて発生するエネルギーのことです。
通常マグニチュード7というと、結構な地震です。
今年1月27日にトルコ東部で発生した地震では、36名の死者が出ました。
この時のマグニチュードは6.8です。
おそらく建築の様式も原因と思いますが、マグニチュード6.8で死者が出るんです。
それが、マグニチュード9というのは、トルコ東部の地震の1000倍のエネルギーということですから、
これはとんでもない経験をしたわけです。
この時に、地図でいえば日本海溝の西側が、上から徐々に割れて下まで降りてきた。
で、今回の群発的地震が発生している部分は、その時の割れ残りではないか、と思うんです。
まあこれが全面的に割れたとしても、さほど大きなものにはならないのではないか、と考えるんですね。
むしろ、それによって、地殻に別な力が働いて、お隣の地殻に影響することが怖いですね。
もしそうなると、首都直下型地震です。
人間は地べたの下のことはよく分かっていないですから、単なる推測ですが、
茨城沖と東京直下の地盤の関係は、結構親しい間柄かもしれないでしょ。
.
やはり本命は南海トラフでしょ。
なぜか、地震学者の専門家たちは、南海トラフの割れはじめは駿河湾トラフということにしていますが、
私としては、相模湾トラフと駿河湾トラフは双子のようなものですから、
南海トラフから相模湾トラフが外れることがいささか問題だと思っています。
駿河湾トラフと相模湾トラフは、フィリピン海プレートが、楔のような形で訪米プレートに突き刺さっているんですね。
いわば二等辺三角形の右辺と左辺の関係です。
ですから、駿河湾トラフの動きには、相模湾トラフも連動するんではないか、と。
.
ま、いずれにしても、コロナ騒ぎで、すっかりそちらの意識が言っていますが、
ここに南海トラフ地震、予想ではマグニチュード9クラスの地震が発生したら、
正に日本沈没ですね。
避難所では、超過密状態で、コロナはあっという間に広がる。
医療崩壊はいとも簡単に起きる。
コロナで手いっぱいのところに地震の負傷者が押し寄せるんですから。
きっと地獄図になりますでしょ。
.
まあ、情けないですが、そうならないように祈るばかりです。
| 水嶋かずあき | 環境 | 10:15 | comments(0) | - | - | - |
南海トラフは大丈夫か
今日、午後1時30分から、FM湘南ナパサで「ナパサで防災」
という番組が30分間放送されます。
担当は私水嶋です。
で、頭の中がコロナだらけになってしまって、その意味で間違いなくコロナに感染してしまったんですが、
ふと、そういえば、今日は防災番組の担当があった、と。
で、改めて、従来取り扱ってきた災害に対する問題意識などが、隅に追いやられている、
と実感したんですね。
考えてみれば、コロナコロナと騒いでいるからと言って、
大地の中で生まれてくるひずみはひずみでたまってくるわけで、
地上ではコロナで取り乱しているようなので、暫くこちらは遠慮しましょうか、とはならないでしょ。
.
改めて、まずは地震の脅威を再認識すべきなのではないか、と。
喫緊のテーマは南海トラフですよね。
ここのデータも、いくらか再計算されてようなので、
一応新数値を紹介しておきます。
.
まずは、党南海トラフ地震が最大規模で発生した場合です。
それによる死者数は、32万人から23万人に減りました。
これは、地震で発生する直接死の基本が建物や家具の倒壊による圧死が、
およそ9割なので、耐震化などの対応が進んで来ていることと、
当初計算していたより、津波の被害が少なさそう、ということなどが関連して、
およそ30%ほどの数値を引き下げました。
なんとなくこういう数字を知ると、妙に安心するでしょ。
死ぬ人がざっと10万人ほど減った、と。
なぜか、減った数の中に自分は入っているんですね。
ここでも正常性バイアスですね。
自分は助かる、と。
とはいえですよ、23万人の方々が亡くなる。
東日本大震災の10倍です。
どう考えてもとんでもないことでしょ。
.
で、被害の金銭的な面ですが、
総額で220兆円ですって。
コロナでの財政出動の倍です。
平年の一般会計と特別会計の半分を足した金額。
おおざっぱに、日本の年間運営費の7割ほどの被害が発生する、と言われています。
これによる福祉的費用の増大などは見込んでいません。
今回のコロナのような、一人10万円とか、休業補償とか、そんなものは想定していません。
各建物資材などの損失、道路や鉄道、電機、上下水道などの公共的インフラの損失などです。
.
この南海トラフ地震は、駿河湾トラフが、実はかなりの年月割れていないんですね。
ですから、ぼちぼちじゃないか、と考えられています。
そこで、かつて東海地震なるものが取りざたされていたんですが、
東日本大地震で、トラフが連続して割れる、という状況を目の当たりにしたものですから、
これって、東海でもありうるんじゃない、ということになって見直したんですね。
そもそも南海トラフという自信に対する警戒心は以前からあったんですが、
ここにきて、東海、東南海、南海が一連托生で、一気割れするんじゃないか、というわけです。
まあそうなると、東日本並みのマグニチュード9とかのクラスになるだろう、と。
.
そこで、再チェックして、様々な被害想定を出したわけです。
それによりますと、平塚は、
震度5強、津波の高さ2〜3メートル。
そうなると、バランスの悪い家具は倒れます。
食器は棚から飛び出して割れます。
風呂の水は半分飛び出します。
もし夕方なら、かなりの火災が発生します。
けが人や時に死者が出る可能性があります。
津波は、3メートルとして、駆け上がってくるので、海岸の地域は建物被害が出るはずです。
まあ、のんきに家にいる人は、津波で命を落とすかもしれません。
結構な被害でしょ。
.
で、私個人としての疑問なんですが、これらの国の防災計画の中に、
南海トラフの震源的位置づけに、なぜか相模トラフが入っていないんですね。
そもそも、フィリピン海プレートが南から押し込んできて、北米プレートとぶつかって、
その下に潜り込んでいるわけなんです。
そのひずみとして相模トラフがあるわけなんですね。
この相模トラフは、三角形の楔のように日本列島につきっ刺さっているのですが、
その三角形の右の稜線が、相模トラフで、左の稜線が駿河湾トラフなんです。
つまり、電車でいうなら、二人座席の隣り合わせて座っている状態なんです。
で、片方が崩れる、というんでしょ。
それこそ肩が触れ合っている相模湾側が何でもない、というのがよく分からないのですね。
多少の影響があるんじゃないか、と。
何しろ、相模トラフこそ、」あの関東大震災の震源だったんですから、
まあ、立派な前科持ちなわけです。
.
南海トラフの対応もいいのですが、平塚の防災そのものを、上からのデータだけで判断するのではなく、
もっと自律的にチェックする必要があるんじゃないのでしょうか。
天災は忘れたころにやってになる来ますから。
ボーとしていると飛んでもないことになるかもです。
| 水嶋かずあき | 環境 | 09:54 | comments(0) | - | - | - |
鎖国が始まった

もしかすると、このあと、爆発的感染拡大があるかも、と専門家委員会のコメント。
まあ、油断するなよ、ということですね。

 

有史における、人類としての感染症に関する最大の危機は、14世紀の発生したペストでしょう。
何しろ当時の世界人口4億5千万人いたのが、このペストで3億5千万人になってしまったようです。
1億人も亡くなったんですね。
凄いことでしょ。

ヨーロッパを中心に拡大したのですが、ある村では90%の人が亡くなったそうです。

ですから、コロナに関しては、現状では、まだまだ比較にならない数字ですが。


で、現在のコロナと14世紀のペスト大流行と単純な比較をしてみます。

時代を経てのプラス要因
1、医療技術の向上
2、公衆衛生の向上
3、情報伝達の向上
まあ、それ以外のいくつかの要素もあるでしょうけど、
まずはこんなところでしょうかね。
で、マイナスの要素です。
1、人口の拡大密集化
2、往来の増大、接触チャンスの拡大
3、都市化の進展
と言ったところでしょうか。

 

さて、マイナス面で考えてみます。
当時の世界人口は4億5千万人ですから、ざっと現在の17分の1。
つまり、600年から700年の間で、17倍に膨れ上がったわけです。
地球の面積は変わらないわけですから、人口密度は平均で17倍になったということです。
ちなみの現在の世界の人口密度は、1平方キロあたり50人です。
およそ300メートル四方に50人の人がいる、ということですね。
このコロナ騒動の初期に濃厚接触と言うことが言われましたけど、
人口密度が高くなるということは、そのチャンスが増えるわけでしょ。

 

例えば、世界で人口密度の低い所と言うと、モンゴルなんかその一つでしょ。
あの見渡す限りの大平原に、ぽつんと人が暮らしている、なんて映像を見た限りでは、
濃厚接触が起こりようもなさそうでしょ。
現に、極めて低い感染者数ですものね。

そのことで考えれば、ぽつんと一軒家に住んでいる人も、安全そうですよね。


ちなみに、日本の人口密度は、336人。
中国は広いですからその半分以下の140人。
最近、感染拡大でやばそうなイタリアは、199人。
イランに至っては、45人ですから、基本的にはその国の人口密度は関連性がないみたいですね。
むしろ、少なくとも14世紀と圧倒的に違うところは、都市化でしょうか。
あのころはまだ産業革命前ですから、農耕にしろ、牧畜にしろ、
人ひとりを養うのに、そこそこの面積が必要だったわけでしょ。
ちなみに14世紀の人口密度は、1平方キロに3人。
ところが産業革命以降、1平方キロ当たりの面積での人を養う能力が劇的に向上したわけです。
つまり、人の塊が偏在してきたわけです。
農耕牧畜以外で養える人の数が増えたこと、それが都市化の要因です。
つまり構造的に濃厚接触が可能になってきたわけです。

 

その昔、ゲルマン民族の大移動なんて言葉を世界史で習いましたが、
いまや、世界中の民族が年がら年中大移動している。
国と国の間の往来が極端に増えたわけですね。
正に、国境なき時代に突入しているわけです。
いいものもすぐに広まりますが、このような厄介な感染症もすぐに広まる。

ですから冷静に、ペストとの比較と言っても何の基準もないのですが、
もし、あのペスト菌が、現代であの勢いをもって登場していたら、
かなりの打撃を受けたでしょうね。

 

しかし、正に目に見えない強敵とは言え、
国境封鎖が続々とおこなわれていますが、
正に現代の鎖国になってしまうんでしょうか。

 

国単位での封鎖が始まって、改めて、国の意義を考えさせられます。
どっかに境目を引くわけでしょ。
たまたま人間が決めたあるラインですよね。
大阪と兵庫のこともそうです。
境界の境目に人にしてみたら、なんかの拍子にむこうだっかもしれないでしょ。
それなりの地域の境というのは行政上の区分なんでしょうけど、
こんな状態で、改めてなんなんだろう、と考えてしまいますね。

| 水嶋かずあき | 環境 | 10:32 | comments(0) | - | - | - |
3.11の記憶

アメリカの人々にとって、9.11は生涯忘れられない日になっていると思います。

正に前代未聞の航空機がビルディングに突っ込むというテロですから、ただただ驚愕と

それによって失われた犠牲者への哀悼として、心に刻むべき日になったんだと思います。


私達、日本人にとって、3.11は生涯忘れられない日になっています。

 

震災の翌年のことです。

この日を心に刻もう、と、3月11日、午後2時46分を期して、
みんなで黙祷をしたいと考えたのです。

 

2011年の10月ごろだったと思います。
私たち飲食業組合連合会で、被災地に炊き出しに行こうということになり、
バスに食料、資材など積み込んで、20名ほどで、東松島市に向かいました。
その町の一角にある仮設住宅で暮らしている人たちを元気づけ、
私達の町のおいしいものを味わってもらおうという企画です。

その時、昼ごろ到着し、先ずは市庁舎にお伺いし、
連合会として集めた義援金100万円を復興のために使ってくださいとお渡しし、
そのあと、市内の被災した現場をバスで見ることになったのです。
もう、数か月は経過していたので、いわゆる残骸はそこそこに片づけられていましたが、
逆に、土台しか残っていない住宅の跡地などみると、かえってその殺伐とした景色に、
心ふさぐ思いがしました。

 

あちらこちらの被災現場をバスで見て回っているときのことです。
何時もなら観光バスでも走っていそうな海辺の風光明媚な道路を走っていた時、
後部座席にいたメンバーから、ここで海に向かって黙とうしませんか、という提案があったのです。
私は、そう言われてそれはそうだ、と思い、運転手さんに停車してもらいました。
道には車は殆ど走っていませんでしたから、そこにバスを止めたからと言って、
さほど迷惑をかけることはあるまいと考えたのです。
その道は、松島を巡る観光道路として整備されたもののようで、

海辺の南岸をぐるりと回り込んでいたのです。
道の南側は海で、そこには高さ2メートルほどのコンクリートの堰堤がありました。
ここの階段を上がり、私達は堰堤の上に横一列に並んだんです。
正面には穏やかな初夏の海の水面がきらきらと光っていました。
きっと、あの沖の方から、黒い波が牙をむいたように、こっちにやってきたんだろうな、
と想像すると、まさに、背筋が寒くなるような感じがしました。
みなが堰堤に並び終わったところで、私は「黙祷」と声を掛けました。
何十秒か、静かな時が流れました。

 

東松島市での活動は様々に記憶に残っているのですが、中でもこの黙祷の瞬間が、
くっきりと脳裏に残っているんですね。

そんなこともあって、翌年の3月11日にひらつな祭が開催されたので、
その中で、2時46分にどうしても黙祷をしたい、と思い、
その時間のステージを使い、道行く人にも参加してもらって、黙祷をしたのです。

 

1人でも多くの人に、黙祷に参加してもらおうと、
黙祷と大きく描いたポスターを作りました。

もちろん自費です。
A2サイズのもので、カラー。
確か100枚ほど印刷したと思います。
事前に街なかにあちらこちら貼り出してもらいました。
出来れば、ひらつな祭の会場で、それが無理なら、自宅でも仕事場でも、
その時いるところで、東北の被災地に向かって黙とうして下さい、

とお願いをするポスターでした。

 

そのポスターの最後の一枚を私は、松風町の自室に貼っていたのですが、
引っ越しの時、たくさんの廃棄物が出て、その中に紛れ込んでしまったんですね。
今思うと、あれは捨てずに、新しい部屋の一角に貼っておくべきだったと。
災害への備えを、正しく進めることと、災害で失われた多くの命を悼み、
自分の中で、その思いが風化しないような意味も込めて、
マンションの自室にポスターを貼るべきだった、と後悔しています。

 

あれから9年。
確かに、少しづつあの時の思いは風化しつつあるように思います。

| 水嶋かずあき | 環境 | 10:51 | comments(0) | - | - | - |
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