水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
民族性とは、進化の結果のこと

ダーウィンの進化論は、
ガラパゴス諸島に住んでいたフィンチと言う鳥の観察によって、
その構想が築き上げられた、と言われています。
これは、島が変わるとそこに住むフィンチの形態が変化していたのを見て、
ダーウィンはある仮説を立てます。
そして、島ごとの違いはあるものの、
これは、元になる種は同じだったのではないか、と。
島のそれぞれの微妙な環境の違いが、鳥に変化を与え、
結果として、今見られる個体の違いにつながっていったのだろう、と。
要は、生物は、環境に適応しようと少しずつ変化し、
時間が経ってみると、積み重ねてきた変化が際立つようになり、

個体差に現れてくると言う事に気がついたのです。
.
これは、すべての生物種に言えることで、そ

の環境の変化と言うのは、違いとは言い切れないほどのわずかなことでも、

地域の個性の差が大きく表れてきます。
例えば、コンゴ川流域に暮らすチンパンジーですが、
たまたまこの川を挟んで分れて棲息するようになった
チンパンジーにとっては亜種ともいえる近縁種に、ボノボと言う種がいます。
ちょっと見は、ほとんど変わらないのですが、
生物学的には別種として区分されています。
チンパンジーは、雄主導の群れを構成していますし、その分粗暴な行動をとります。
時に、共食いまですることもあるくらいです。
一方、ボノボは、メス主導の群れを構成し、
穏やかな性質を持ち、ほとんど争いのない生活をしています。
この二つの種は、一つの川を挟んで西と東に分かれて暮らし、
川が広く大きいので、渡ることができず、
そのまま個別に進化した結果、違う種となるまでの進化をし、
存在するようになったわけです。
.
さて、われらが人類ですが、
およそ20万年前にアフリカの東で発生し、何万年かアフリカ大陸内を右往左往し、
10万年ほど前に、アフリカ大陸を出ると、世界の各地に散らばってゆきます。
まずは、中東を経て、西北に向かいヨーロッパを中心に暮らしの拠点を構えた者たち。
また、マンモスを追いながら、西北を目指し者たち。
また、インドを経由し、アジアに散っていった者たち。
さらには北から、アメリカ大陸に渡り、次にそこから南下し、
北アメリカ、南アメリカに生息域を広げた者たち、などなど。
ほぼ1万5千年前までに、地球のありとあらゆるところに進出します。
北の凍てつく大地に根を下ろしたものもいますし、
南の赤道直下の灼熱の地を選んだものもいて、
まさにそれぞれの環境は、天と地ほどの違いがあったのです。
.
そこで、世代を繋ぎながら、何万年と地域の環境になじみながら暮らしてゆけば、
当然ですが、土地柄ともいうべき資質がDNAとして固定化されてゆきます。
ガラパゴスのフィンチのようにです。
見た目も変わってきますし、性格も異なる。
穏やかな気質の者たちもいれば、争いごとの絶えない連中もいる。
それを、民族としても気質の固定化することもあったわけです。
自立心の強い気質と、自立心の弱い気質では、当然生き方が変わってきます。
これは、まさに民族的な差と言えばそれまでなんですが、
たまたま、そういう歴史を作り上げ、その中から生まれた差異であるという事です。
.
例えば、中国も朝鮮も日本も、おそらく世界から見れば、
同じ地域の同じ気質を持つアジア人とみなされるでしょ。
私たちアジア人から見れば、
イギリス人もフランス人もドイツ人もその違いが見た眼で分からないようなものです。
しかし、中国も朝鮮も日本も、どこか微妙に気質の違いがあるでしょ。
中国人の大声での会話だとか、公共性の欠如は、
ちょっとDNAとして刷り込まれているだけの問題だろうか、
と感じるほど違和感があります。
朝鮮人の恨みの強さ、感情の表現など、日本人とは異なる、と感じます。
ほぼ同じ地域なのに、この違いは、
まさに島ごとに異なる進化をしたフィンチのごときです。
.
NHKのロシアの近代史のようなドキュメンタリーを見ました。
私たち日本人にとって、ここ100年ぐらいの中で、
あの国は驚くほど多くの国民を殺害してきました。
要因は、何回か繰り返された政治体制の変化の中で、
反対の位置にいるものの粛清とか、
近隣諸国との戦争の前線に、命と言う価値観もないまま多くの国民を戦場に送り出し、
死をも平然と受け止めてきたという、民族が持つ残忍さを感じました。
このような素地が前提で、この国を眺めてみると、
私たち日本人には不思議でならない、プーチン支持の8割越えと言う現象が、
わずかながら理解できるような気がします。
正にとっかえひっかえ、専横的な立場のものが登場し、
権力を肥大化させてゆく。
それによって、国民は彼らのなすがままにされても、余り疑問を持たない。
そして唯々諾々と強権の指導者を選択してゆく。
彼らには、自由より価値のあるものがあるのですね。
それがロシアのDNAなのです。
そう思うと、あの大統領選挙の結果が、さほど不思議と感じなくなります。
.
ま、結論は日本人でよかった、という事でしょうか。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 00:39 | comments(0) | - | - | - |
針千本飲ます

子供の頃のによく言っていた言葉が「嘘ついたら針千本飲ます」っていう言葉です。なにしろ針を千本ものですから
これはとてつもない過酷な刑罰です。
ですから嘘というのはこのような重い罪であるということですね。
 .
もし私は嘘を言ったことがありません、などと言ったら、
もうそれが嘘ですよね。
人は、嘘の質にもよりますし、その頻度にもよりますが、
微妙に嘘を言うことがあります。
昔、子供の頃、友達がせんみつというあだ名で呼ばれていました。
これはいうことが1000の中で三つぐらいしか本当のこと言わない、
という意味でいわばいい加減なことを始終言うとかの
代名詞のようなもんですね。
まあでもこのせんみつ君はちょっと話がオーバーなだけ
といえばそれだけのことです。
せんみつくんは、ある意味場を盛り立てようと、
妙なサービス精神があったのではないか、と思うんですね。
ですから、ただ嘘つきと非難してしまうのは
ちょっと見当違いなのかもしれません。
.
しかしですね、
先日の政治倫理審査会のテレビ中継を結構長々と見たのですが、
世耕議員の、弁明から始まって質疑に対する答えを聞く限り、
なんとなくこの人ちゃんとしていたのじゃないかと感じさせてしまう
なかなかの弁舌ぶりでしたね。
冷静に考えればそんなわけないという矛盾があちらこちらにあって、
結果的に責任逃れをに終始していたという印象です。
大半の人がこのように感じたようで、
いかにも清廉潔白のごとく振舞っていましたが、
結果として嘘つきという事が明々白々だったでしょ。
間違いなく嘘以外の何物でもないでしょ。
でないと矛盾が解きほぐせませんから。
今回の政倫審のやり取りを聞いて、
シラを切るというか、嘘を言うというか、
色々な表現を取りながらも結果として責任逃れをしているわけです。
.
話が変わります。
例えばその辺の一般の人がものを盗んでしまった、
また、嘘をついて金品を巻き上げる詐欺をはたらいてしまった、
なんて言う犯罪を犯したとします。
結果として警察に捕まり取調べを受けます。
で、この時に警察官は犯行の様子を細々と確認をして行きます。
そこで、記憶にありませんと答えたら、罪にならないのでしょうか。
目の前に物証を並べた上でも、知らぬ存ぜぬを通す。
この場合罪に問われないのでしょうか。
.
あの政倫審に、犯人を落とす達人がいて、この名物デカがやってきて
様々な角度で責め立てたら、もしかすると、
本当のことを言うかもしれないですね。
しかし、通り一遍のやり取りの中では、
知らぬ存ぜぬで逃げ切ってしまうかもしれません。
嘘と分かっていてもそう言う以上、
しかたがないと半分分かった上で質問してるんじゃないか
という気がするくらい、なんとも生ぬるい追求ですね。
一般の人が犯罪の容疑をかけられ厳しい取調べを受ければ
どこかで心折れて自白をするということは充分あるわけです。
でも政治家並みの屈強な精神を持って、
身の保全のために何があっても口を割らない、としても
記憶にありませんぐらいのこと言ってれば、
本当に罪に問われずにすむのでしょうか。
あのように公の場で質問をされ、
その答えが、どう見ても嘘じゃないかと思うことでも
顔色一つ変えずに、胸を張って質問に答えて様を見ていると
これってもしかしたら、
政治家の資質の一つなのかもしれないと勘違いしてしまいそう。
面の皮が厚いというか、良心のかけらもなく
平然と白を切り通すこの精神は、なかなか大したもんです。
でも結果としてそんな鉄面皮の人間を国会議事堂に送り込んだのは
私たち国民なんですね。
なんかどこかで民主主義のシステムが
ずれてるような気がしてなりません。
ロシアほど酷くないにしても、日本の国はどこかで
もう一度、真の民主主義が機能するような
きちんとした議員の選出方法を考えなきゃいけないでしょうね。
何かというと選挙という手段が最優先していますが、
どこかで微妙に本来のものになっていないような気がするんです。
よくよく考えると日本のそういう国民による審判もどう考えても
それほどのレベルじゃないなという気がします。
残念ですね。
民主主義というのは私たちの生き様そのものだったと
自負をしてきたのですが、
もしかするとそうじゃないのかもしれません。
.
毎日新聞は、全国世論調査を実施し、
自民党派閥の政治資金パーティー・裏金事件を巡り、
衆参両院で開かれた政治倫理審査会に出席した派閥幹部らが
十分に説明したと思うか尋ねたところ、
「十分に説明したとは思わない」が89%
「十分に説明したと思う」(5%)を大きく上回った、とのこと。
いつまで続くこのぬかるみの道、ですね。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 23:21 | comments(0) | - | - | - |
職業柄

職業柄という言葉があります。
これはさまざまな職業がありますが、それぞれの職業上のノウハウだとか
商品だとかサービスなどを提供することの上で
その人そのものが求められるある種の能力、人格というものが、
どうしても必要になってくるはずです。
そこで少しずつ必要な物、求められるものを身に着けていく、
これが結果として職業柄と言われるものなのではないかと思うのです。
.
それこそ、この反対の言葉で言うなら
医者の不養生、紺屋の白袴といったような言葉もありますが、
職業というものが、その職業を選択したその瞬間から、
いやおうなしに、その世界における規制、あるべき姿というものを、
身につけなくてはいけないということです。
.
私の友人で教師を選択したものがいました。
彼と仕事の合間にたまに合って、酒などを酌み交わしていると
水嶋はいいな、自由でいいな、
例えば飲んだくれよと飲み屋の女性をからかおうと、
誰も厳しい目では見ないと思う。
でも俺は教師という職業から、やはり踏み外してはならない何かがいつもあって
その枠の中で生きて行くんだ、と。
確かに望んで得た職業ではあるけど、
いささか窮屈なので、たまにはこうした息抜きが必要なんだ、
といっていました。
その言葉の端々から、
いろいろなものを我慢しているという雰囲気があったんですね。
でも彼自分の職業に誇りを持っていたので、
とはいうものの正しい生き方というものを心がけていたような気がします。
教室で教える教科を先生として教える以外にも、
人としての生き方を後ろ姿で示さなければならないという自覚が
強かったのだと思います。
その想いのもと時にストレスがたまると、
私を呼び出しては一杯やるということになるんですね。
.
職業を選択した途端何らかの制約というものが生まれてきます。
飲食業を選択するということは、人にとっての優しさを
自分の中に精一杯培っていくということが前提になります。
時々つっけんどんで偉そうなことを言う食べもの家のおやじがいますが、
あれは間違いですね。
人に喜んでもらおうという職業なんですから、
その基本的な部分で、その人間は優しくなきゃいけない。
表面的な職業観で言うならば衛生観念が強くて、
身奇麗で、几帳面でなきゃいけない、なんてこともあるかもしれません。
さまざまな職業があってその職業で身を立てるわけですから、
なんでもかんでも自由であるというわけにはいかない。
.
今朝のテレビのワイド番組である議員が、
後援者に高級なクッキーをプレゼントしたということが取り上げられていました。
聞いてみると様々な事情があったようなので、
ただ単に公職選挙法違反と目くじらを立てるには厳しすぎるかなとは思います。
こういう自民党系の不祥事、
例えば女性議員がパリの研修旅行でエッフェル塔の前で手を頭の上にとがらせて
記念撮影をした例のエッフェルねーさんの問題でも、
こういう場面で再度表面に出てくるわけです。
そのどれも些細なことですよね。
誰だってあの憧れのパリ旅行をしたらそれは気が高揚するでしょうし、
ちょっとばかり気が緩んでそんな風なおどけた記念撮影をするかもしれません。
いつもお世話になっていて会食をしても割り勘をさせてくれないという鷹揚な後援者が
いたとしたら、たまには何かお返しをしなきゃと思うでしょ。
どれもこれも些細なことです海。
しかし、国会議員というのも職業と考えれば、
その職に着いた途端に
その辺のおじさんはちょっと違うモラルのレベルを維持しなきゃならないはずです。
こと言葉遣いも、人との接し方も、時間の使いかたも含めて、
さすがと言われるような生きざまを見せる必要があると思うんです。
いやそんなこと言ったっていろいろストレスも溜まるしさ、
と言うんだったらその職業を選択しなきゃいいんです。
しかし、さまざまな理由で国会議員という職を選択し、
そのことについて多くの国民が承認してくれたわけですから、
その瞬間にいろいろと制約を受け、
いろいろと我慢しなきゃいけないことが出てくるというのは、
大前提になるんじゃないでしょうか。
申し訳ないけど一般国民と同じレベルで見てはいけないと私は思います。
それだけの報酬を国からもいただいてますし、
それだけの責任を負っているわけですから、
ちょっとなんかあってとやかく言われるというのは、
これはそうならないようにするという神経の使いかたを求められるということですね。
.
職業柄という言葉のとうり、
政治家としての道を歩むのであったらば、
自己規制をしっかりする能力が求められるということです。
法律云々の前に一人の人間としてしっかりした人格を養うことが、
職業柄という言葉の意味だと思います。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 10:03 | comments(0) | - | - | - |
国会議員が多すぎる

あの若手の女性大臣のしどろもどろの国会答弁を聞いていると
よくこの人が大臣に任命されたものだ、と驚きます。
逆にあんなにたくさん議員がいるのに、
どうしてこんな選択がなされたのかと疑問に思いますよね。
.
現在の国会は衆参合わせて713人という多数の議員によって構成されています。
今回の派閥の問題も含め、
なんとたくさんの議員が存在しているのかとふと疑問に感じます。
.
ちなみに地方の議会では、状況に応じてその定員数が変化してゆきます。
ほぼ傾向としては数が少なくなってきています。
あくまでも全国平均の数ですが、
5万人未満の市区町村では、平均約17人。
また5万人以上20万人未満の市区町村では、平均約20人となっています。
平塚市の場合26万人の人口ですから、これより多く26人となっていて、
1万人に一人という感じですね。
地方では財政上の問題もあるのだと思いますが、
極端な話、選挙のたびにその定数が少なくなってきているような気がします。
これはある意味大人数でなくても、ある程度の判断ができるということの
実体験的なものが基礎にあって定員を減らしてきているのではないかと思います。
.
しかし、国会はこのような考え方をが反映されていないように感じます。
何しろ選挙のあり方、選挙区のあり方や形態、そして議員の数については
自らの首を絞めるような判断を国会議員がするわけがないですから、
財政がどうであれ、さまざまな要因も無視されて、
議員数を減らそうなどという動きは出てきていません。
ちなみに衆議院議員465名、参議院議員248名、
そして、それぞれが選挙区と比例生徒の比率があって、
1.5対1の比率で、比例制の議員数が抑えられています。
そもそも比例選出による議員というのは、
基本的に選挙が不得手な人がいて、
これらの人でも有能な人材であったら議員として国政に寄与してもらおう
と言う意図があったはずです。
ですから、選挙区で負けたから回り込むというのは、
読みが浅いというか、保険をかけているというか、
いささかせこいやり方ですね。
選挙に強いということと人間としての有能さは必ずしも一致するものではありません。
どうみてもあの厳しい選挙戦には勝てそうもないけど、
優れた知識、経験を持っているし、
見識が豊かであると言った人が国の政治を支えていくということは
人材活用という意味でもとても大事なことです。
しかし、こういう人が選挙に勝てるとは限りません。
したがって政党としては、
そのような人を比例制で議員にするというシステムなわけですから
これはこれでその本来の意図が生かされたら
素晴らしい選挙システムと言えると思います。
まあ、しかし実態はご存知のように、
本戦で負けた人が敗者復活のように上がってくる場合も
かなり多く見受けられるわけです。
残念なことですね。
.
さて、ここで言いたいことは713人もの議員が必要なのかどうかと言うことです。
私はさまざまな組織で様々な活動を進めてきました。
大体の場合、実行委員会のようなものがあって、
その場でしっかりと議論を戦わせながら、
より優れた方向を見出すというのが組織の会議のあり方です。
しかし、冷静に考えてみるとその席に出席していながら結果として
会議時間を通しても一言も発言しないという人が居るものです。
これはおかしな話で、情報を共有するという意味では、
出席も意味がありますが、そこで出される結論にその人の意見が反映されないとしたら
極端な言い方をすれば必要のない存在とも言えます。
ひとりひとりの意見を充分に引き出しながら中身を煮詰めていくというには
どう考えても最大30名、理想は15名から20名ぐらいでしょうか。
これより少ないと、逆に意見の幅が狭くなってしまいます。
そう考えると国会の本会議などをテレビ中継で見ると、
あの何百人かが席に座って議論をしているとはとても思えないでしょ。
要は、それまでに踏まえたステップを前提に
決議決定をする場であると捉えなくてはいけません。
したがって本来的な議論というのは委員会などがあって
そこで行われているということが前提です。
が、さまざまな委員会のテレビ中継を見ても
議員同士の議論が行われているとはとても思えない。
議長がいて発言者がいて、そこで質疑応答があって、
みたいないわば一つのしきたりの中で行われている議論のように思えます。
もっとフリーディスカッションのように感じたものを発言して、
それに対する反論が行われるといったような丁丁発止ろ議論の中から
より優れた結論を導き出すというのが本来の民主主義ではないかと思うのです。
その意味ではっきり言って713人の国会議員は必要ないとわたくしは思います。
地方が人数を削減しているにも関わらず、
地方行政が劣化したという話は聞いたことがありません。
しかし、国会はたくさんの議員がいますが、
国会の運営は劣化していると国民は感じているわけです。
一人ひとりの人間の個性、存在意義といったものを大事にするのが
民主主義です。
その意味で713人は多すぎないでしょうか。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 10:25 | comments(0) | - | - | - |
八十歳、老害

おそらく孔子自身の経験的な言葉だと思うのですが、
人生の節目節目にその年代のもたらすもたらすべき目標のようなもの
人としての在り方のようなものを論語の中で言葉にしてきました。
で、ご存知と思いますが、ざっと振り返ってみます。
.
15歳で志学、としています。
わが身を思うなら、その基礎に学ぶ姿勢が必要だ、
ということなんでしょうね。
まず様々な知識を身につけなさいと言う言葉です。
.
30歳で而立。
これは自立のことで、要はしっかりした経済基盤を確立し、
わが身を養うようになっていくということでしょう。
自分の行動が自分自身の生活を支えてゆくということを
自立と考えたのだと思います。
.
そして40歳は不惑です。
私は40になるときに、40になったら不惑の年だから
色々な迷いごとから解放される、
そういうものの考え方が身についているのではないかと
妙な期待をしたことがありました。
しかし実際は何一つ迷いからは解放されないんですね。
で、私はわが心の師である境野先生に不惑というけど、
なんか惑いっぱなしのような気がするんですよね、と言ったら
これを惑わずと捉えるのではなくて、
惑うまい、と考えればいいのだと言われました。
人生のさまざまな要素の中で時に誘惑に近いような
心揺さぶられるような出来事が目の前に生じますが、
それに応じることなく、惑うまいという、
しっかりした信念が必要だと言うことなんですね。
.
そして50歳。
五十にして天命を知る、と言われていますが、
私は、天明と知るではないかと考えています。
これは50年も生きてきたのだから、
その生き様というのはただ成り行きで選択してきたわけではない。
とすると、これはそのように生きて行くということ、
生き様そのものを天の命によるものではないかと、
まさに人生そのものを一つの宿命として
受け止めていく意味を持ったことではないかという気がします。
50年こうやって生きてきたのだからこの先も命があるのだったら
そのように生きていこうという一つの視点が
知天命ではないかと思うんですね。
.
で、60になると耳従、じじゅん、耳に従うと書きます。
耳から入ってくるさまざまな情報にとやかく自分の考えを挟むことなく
まずは聞いてみる。
ついつい60年も生きてくると自分の主張というものが存在しますが、
その前にまず聞いてみると言うその素直さ、
人を受け入れるという心の容量がこの耳順じゃないかと思います。
.
そして、70になると従心と言って、心に従うという意味の言葉を
孔子は言っています。
これは、もうそこそこに人生を積み重ねてきたのだから、
心の思うまま、感ずるものにしたがって生きていたとしても
大きな間違いはないだろうという意味です。
目の前のさまざまな現象さまざまな出来事を
素直に受け入れつつ、自分自身の行動を取っても
それは世の規範から、はみ出たものにはならないということですね。
.
そして、80代。
私も80代に突入しました。
で、孔子は80代を何と言ったのだろうと、改めて調べてみたのですが、
何も言ってないのです。
もっとも、孔子は74歳で亡くなりました。
したがって80代を経験していないんですね。
ですから耳順だとか従心だとかまでは言葉に表現できたとしても
80代は何の表現もない。
.
まあ当たり前の事ですで、もし孔子が80代を全うしていたとして、
一体何と言うだろうかと考えてみたんです。
勝手な想像ですけれども、老害といったのではないか、と。
80歳になりますと、それは自分はいくら元気だと思っていても
体力も落ちてきていますし、脳の働きもぼやけてきている。
にもかかわらず俺が俺がの意識の中でしゃしゃり出てきて
何かを言ったり、何かをしたりするというのは、
それはただ害にしかならないのではないか、と。
.
私がまだ40代の頃、よく仲間とこの町の将来について
語り合ったものですま。
さに幕末の頃の勤王の志士のようなものかもしれませんね。
そして、その会話の中に必ず出てくるのは老害という言葉でした。
当時70後半から80代のもう隠居してもいいんじゃないか、と思うような人たちが
結構、権力の中心にいて、その人達の言動が、
私たちの世代にとってみれば、何かズレを感じるようなものがあったのです。
.
しかし、自分がその年になってみるとよくわかりますが
世の中の流れにもうついていけない。
しかし自分は自分なりの経験があるからこの経験をもとに
若造が何を言ってるんだとばかり、存在感を示す、
という意識が根底の中に少しはあるものなんです。
実際、私はこんな思いを最近何回かするようになりました。
で、このままいるとまさに次なる世代のためになるようなことはなく、
ただただ、老害となってしまうんじゃないだろうかと思ったんですね。
これはどんな優れた人でもいやおうなしにそういうものになると思うのです。
.
政治家の中にもいるじゃないですか。
80を過ぎても大御所のような顔をして、
国会議事堂をうろうろしてる人たちが。
見ようによってはただの老害ですよね。
もし孔子が80代を生きていたとしたら、
そんなふうな視点で老害と表現し、
必要以上に出しゃばることを戒めたんじゃないかという気がします。
そこで私も老害を認識しながら
これから少し身を引いた位置にいようかと思っています。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 14:39 | comments(0) | - | - | - |
徒然なるままに

徒然(つれづれ)とは、やるべき事がなくて、
手持ち無沙汰なさまなことだそうです。
平安のやんごとなきご婦人は、待っていてもやってこない殿御を思って、
時間つぶしをしているさまなどが、徒然と言ったそうです。
現代で、年を取って、ご隠居に近い時間の過ごし方をしている
私たちも、暇つぶしのネタ探しをしているのは、
徒然なんでしょうね。
.
そういえば、と思いついたように
吉田兼好の徒然草の一部を読み返してみました。
まあ今更ですが、枕草子、方丈記と並んで日本三大随筆と
言われるだけの中身がありますね。
そこで気になったのが徒然草という言葉の意味です。
これが、やるべきことがなくて手持ち無沙汰な様なので。
言いたい事を書いてみようか、ということの意味のようです。
まあ、もちろんそれなりに繊細な言葉が使われていますが、
気持ちとしては世間の様々な動きを、
多少皮肉ってみるところがあり、
その視点の絶妙なところは、爽快な感じさえします。
.
さて、改めて吉田兼好という人の履歴なんですが、
19歳で後二条天皇の即位に伴い、
六位蔵人に任じられる、とありますので、
それなりに将来を期待されていたのではないか、とも思えます。
そして後二条天皇の下で仕事をするようになりますが、
何年かして、後二条天皇が崩御されると、
おそらく、居所が悪くなったのではないか、と言う気がします。
しばらくして、兼好は出家し、職を退きます。
なんと30歳そこそこのことです。
言葉変えれば、若いご隠居と言えるのでしょう。
少なくとも私たちのイメージの隠居という概念では
若すぎますよね。
人生これからこれからじゃないかと思うんですが、
何を思っての出家なのか、色いろ詮索する研究者はいますが、
これといった確証は得られていないようですね。
まあ、そういうもんでしょ。
出家と言っても、食っていかなきゃいけないわけで、
厚生年金があるわけじゃないし、
かと言って金の生る木が庭先に生えているわけでもないし、
よほど実家がしっかりしていたんでしょうね。
.
下司の勘繰りですが、経済的な背景がどこかにあるんでしょうかね。
そして、歌人としてもそれなりに才能を発揮した人ですから
文章を作るのにも長けていて、
結果として三大随筆とまで言われた徒然草を書くことになったわけです。
最初の一部を書き上げたのが、30を迎えたばかりのことです。
そも割には、妙に年配者を想像させる文でしょ。
これは兼好のそもそもの才がなせる業なんですね。
.
私たちの歳になると
何か新しいことをしようなんて言う時間的な展望はできませんし
まあ、とりあえず目の前の手遊びに近いような時間つぶしの
ネタを探し回ってうろうろとするわけです。
幸いかなわたくしは人生の大半をかけて
ボランティアの活動をしてきましたので
その延長で暇つぶしというのは失礼ですが、
退屈をしたりやることがなくなってみたいな
よくあるご隠居さんの年齢になった人の
時間の使いかたということはありません。
.
その意味で、兼好は
若くして出家し、いわゆる生産性の伴うような仕事を
してきたわけではありませんが
30そこそこで世の中の現場から離れたものの、
ほぼ生涯をかけて徒然草を描き続けてきたということは、
どこかにそのことに没頭する為の時間の作り方というのを考えた上での
出家だったのかもしれません。
それにしても延々と年をとっても書き続け、
その間、さまざまな視点で世の中を見極めた認識力というのは
非常に優れていると思います。
おそらく自分の内側にある種の文才があると感じていたのかもしれませんね。
そしてその才能を生かすための身の振り方だったと考えれば
年が30そこそこであったということも納得できるような気がします。
ある意味その年で自分の将来を見据えて
その道を歩んだということはものすごい決断だったわけですね。
まあ間違いなく優れた文筆家であり、
何よりも秀でた哲学者だったと思います。
.
高校の頃にちらっと習っただけのことですが
改めてこの年になってその言わんとするところは
汲み取れるようになっているはずだという経験を認識しながら
もう1度目を通してみたいと思っています。

 

| 水嶋かずあき | あれこれ | 19:33 | comments(0) | - | - | - |
のど元過ぎれば熱さ忘れる

人の価値観は、ある程度の共通しているのだそうです。
また、感情や情緒などもある程度共通していると考えられています。
確かに、そりの合わない人もいますし、
虫の好かない人も世の中にはいます。
かと思えば一目で気に入ってしまう相性のいい人もいます。
しかし、多かれ少なかれさまざまな要素で、
人は構成されていて、そのどこかに同調することが
距離を作ったり、距離を縮めたりということになるのじゃないでしょうか。
中国で昔から性善説、性悪説というものが議論されました。
けれども、やはり基本は性善なるものだろうということが
ベースになっているはずで、そうでないと、社会の構成が崩壊します。
ぎくしゃくした世の中なんて嫌ですものね。
したがって、人には善意があるということが前提になります。
誰もが人とは仲良くしたいと思っています。
ですから、人が幸せであることを肯定的に考えることも
普通にあることです。
しかし、一方で私利私欲を捨て去ることができず、
これが膨らむと野心になったり、
横柄な人柄につながってしまうことがあります。
こういったことを前提に考えても、人は実にさまざまなものなんですが
このさまざまなものをしっかりと把握して、
人との接点を作っていく人たちがいます。
これが基本的にはリーダーと目される人たちのことです。
会社で言えば社長であり取締役であり部長であり、
世の中一般で言えば政治家であり、
さまざまな組織のリーダーということになります。
この、人に共通する考え方、思いというものをたくみに使ったものが
あの占いです。
さまざまな占いが今までも登場し、消えていきましたが
その大半はある一定の法則に従った判断の仕方をするために
この占いは当たっていると思うんですね。
例えばこの辺ではあまり見かけませんが、
街頭に易者の人が小さなテーブルを前にして座っている風景を見かけたものです。
迷える子羊が一歩進み出て、手のひらを出して、生年月日とか名前とか
いくつかを伝え、自分の人生の指針を言ってもらえると期待します。
そして易者は、概ねその人の自分自身が
不運だった不幸だったと思うことをさりげなく触れ、
あなたは自分がなしたことに対する見返りが充分でないと思っている、
と言います。
誰もが私はこれだけやったのに、その報いが少ない、
という不満を持っているのだそうです。
だからこのことを言葉にして伝えると、
この易者は当たる、と思うんですね。
.
さて人の特性としてさまざまなものがありますが、
それらを概略で捉えて言葉の中にちりばめて行く人たちがいます。
主に政治家の先生方はこれが得意です。
人心を把握すると言いつつ一定の概念を当てはめてゆくわけです。
その言葉に多くの人は信頼を置き、
この国を任せられる度量を持っていると思い、判断し、投票するわけです。
.
しかし、国会での質疑等を見ていて、
人格的な厚み、幅、重厚さを持った政治家のなんと少ないことでしょうか。
薄っぺらな理屈のやり取りの中で、
相手をへこませば自分の力量があると勘違いしているようです。
本質的な議論よりも表面的な言葉のやり取りの方が
どうも目立つのが昨今の国会です。
.
人間とは、幸せとは、国家とは、民主主義とは、などの
人が生きる拠り所となる考え方に対しての議論が
なされたのを見たことがありません。
いつもいつも方法論のやり取りと相手方のミスに対するツッコミ、
そしてそのツッコミに対して曖昧模糊とした回答で
時間を過ごしているような気がします。
この先生方の特徴は、
人の噂もし75日、喉元過ぎれば熱さ忘れる、
といった人間の特性を前提にして議論をしているような気がします。
思い出してください。
モリもカケも、サクラもすべて消化不良だったにもかかわらず、
いつの間にか表舞台から消え去ってしまい、
今となっては誰も口にしなくなりました。
喉元過ぎれば熱さを忘れてしまうんです。
人の噂も75日なんです。
私たちも情けないといえば情けないけど、
この人間の弱点を周知している政治家も
情けない能力で、職務をこなそうとしているわけですね。
.
この泥沼から、いつになった抜けだせるのでしょうか。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 16:58 | comments(0) | - | - | - |
眼鏡拭きの不思議

私は40を過ぎるとすぐに老眼の傾向が出てきました。
そして、その実感があったので、すぐに老眼鏡を買ったのです。
初めの頃はごく弱い度数のものでしたが。
最近は2.5とか3.0とかいうレベルにまで衰えてきました。
.
人生の前半は目がいいことが自慢でした。
学生の頃、山手線に乗っていて、向かいのベンチシートに人が
読んでいる新聞が読めたくらい目が良かったのです。
これが逆に災いしたのか、早めに老眼になってしまったのかもしれません。
したがって、眼鏡というものに関する経験が
近眼の人から比べると少ないわけで、
メガネの取り扱いについては、結構雑なものがありました。
ですから、いくつも眼鏡を壊したものです。
ポケットにしまったまま座って、折ってしまうなんてことは、
しょっちゅうでしたが、実はなくすということが多かったんですね。
近眼の人はほぼ眼鏡をかけ続けていますが、
老眼の者にとってみればデスクワークの時なんかに眼鏡を使いますが、
それが終わって、立ち上がり動こうとすると、
急になんか視野の様子が変わってくるということがあって、
そうなると、老眼鏡が邪魔になってしまうから、
どこかに置いてしまうんです。
つまり、かけたりかけなかったりということが
頻度を持って行われるので、
何かの拍子にとんでもないところに置いてしまって
その後見つからなくなって、なくしてしまうということが多々あるわけです。
.
昨年の初めの頃でしたが、
どうも視力が弱ってきたのではないかと思って
総合病院の眼科を受診しました。
担当した医師がいろいろ調べた結果、
白内障の気があるので、なんだったら手術をしましょうかと
話を持ちかけてきたのです。
目の手術というのは妙に恐怖感がないですか。
そこで、手術しなきゃいけないほど悪化しているのですかって聞いたら
いや緊急というわけじゃありません。
でもやるならやった方がいいと思います、と。
そこで、私は抵抗し、
じゃあ否応なしにやらなきゃならないという状況になったら手術をします、
と言って私は手術は延期させてもらいました。
しかしいずれやらなきゃいけなさそうなので
心の中で徐々にその決心を固めなきゃと思ってはいたのです。
と、よく見回してみると
白内障の手術をしたという友人が結構多かったんですね。
で、私はその結果がどうだったかを聞きました。
すると、ほぼ全員が、とてもよく見えるようになったと
手術をしたことを納得しているようなのです。
で、続けての質問。
痛くなかったですか、と言う問いには、
いや大したことないよ、と言うんですね。
でも私は警戒心を取り除けません。
何しろ、目にメスを入れるわけですから、
これは大変なことだと思うのです。
ですから、もう少し状況が悪くなって、
どうにもならなくなって、つまり、まさにいやおうなしの状態になって、
手術するんじゃないかという気がしています。
.
老眼になってから、いままでに老眼鏡を随分買いました。
まさに、ピンからキリで、ある時は百均の老眼鏡を半ダースぐらい
まとめ買いをし、あちらこちらにばらまくように置いたことがありました。
ともかくトイレにまで常備するという事で、
動き回る先々に眼鏡を置いておいたのです。
しかし、老眼鏡暦40年ともなると、
それなりに訓練というのが経験を積んで、
結局100均のメガネは駆除されて、
もうちょっとましなメガネに切り替えました。
それも2個あるとだいたい間に合うことが気付いたんですね。
要は習慣です。
.
で、このメガネも不思議なことが一つあって
どうしてこんなに汚れてしまうんだろうと言うほどレンズが汚れますね。
メガネ拭きで必ず朝キュッと拭くくらいです。
翌日になると視界不鮮明なほど汚れてることがあるんです。
つるを持って付けたり外したりするわけですし、
レンズそのものを直接持つなんてことはまあ考えられないんですが
それでもなぜか汚れるんですね。
もう不思でなりません。
逆にあのメガネ拭きの布は魔法の布ですね。
ほぼきれいに落とすことができる。
どこかで仕入れた知識ですが、
繊維の直径がやたら細い繊維なのだそうです。
そのためにさまざまな汚れを絡め取るということの機能を持っているらしい。
.
まあもう80を過ぎたわけですから、
目がぼやけても仕方がないんでしょうね。
体の一つ一つの衰えをじっくりと受け入れていくのが
年を取ったということなのかもしれません。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 11:51 | comments(0) | - | - | - |
中央と地方との経済格差

ローカルの経済と言うのは、中央の経済のパワーに翻弄されながら
生きてきたわけです。
中央と言うのは、情報力、集約力、利便性においてそもそもが地の利があるわけですから、
基本的に経済基盤のレベルが異なるという事でしょ。
私は、今はすっかり田舎者になりましたので、東京に出かけるなんて、年に数回。
でもそのたびに、どうして東京駅にはこんなに人がいるのだろう、とか、
駅周辺の高いビルを見上げるたびに、
これだけの不動産物件が埋まるという事は、一体誰が借りるのだろうか、だとか、
まあ、まさに田舎者丸出しで、都会の空気を、他人事のように感じているわけです。
.
最近、労働賃金に関してある動きがありました。
それは地域でばらつきがある最低賃金について、全国一律にしようという事です。
一部地方議会あたりでこれを検討し始めたということですね。
中央と地方は当然のことのように経済格差があります。
したがってその経済格差に応じた賃金が設定されているわけですが、
私はこれは良い悪いを抜きにして、現状としてはやむを得ない事であると考えています。
例えば神奈川県の最低賃金は1071円です。
こう決められてしまうと、働き手を募集するのにこの金額を明示しないわけにはいきません。
つまり、そのお店の経済力その他諸々の条件を無視して、
この金額を払いなさいという規制になるわけです。
おそらくそれでなくても人手が少なく、人件費の高騰にあえいでいる店主にしてみれば、
しぶしぶ、そして、いやおうなしにこれに応じるで、
予定外に増えてしまう人件費をどこで補うのかというと、
これは自分が労働時間を多くすれば、なんとかなるのではないかと考えるんですね。
実は零細企業である地元の商店が時間とともに減って、
やがて閉店する。
その閉店したお店を中央の多少なりとも経済的に余裕のあるところが
借りに来る。
紅谷町のパールロードのお店を見てみると、その傾向が見受けられます。
昔から知り合いの店主の人たちは高齢化もあってほとんどが徐々に姿を消してゆきました。
じゃあ後を倅が継ぐのか、というと朝から晩まで働いている親の姿を見ていて、
俺は継がないと言って、どこかに就職してしまうんですね。
そしてぽっかりあいたお店には中央のチェーン店がやってくる。
これが地方経済の実態です。
.
私の学生時代の友人が自分の出身地に帰って就職をすると言ったので、
少なくとも東京で仕事をするよりは賃金が安いだろう、
それでもいいのかと確認をしたら、
彼は親の面倒を見なきゃいけないのでそうも言ってられない。
それに地方は地方で賃金が安いだけ物価も安いんだ、と
要は収入と支出のバランスはそれなりに取れているので、
結果として生活は成り立つんだと言ってました。
私は嫌味で、でもハイライトは東京と同じ値段だろと言ったら、
まあそれは確かにそうだけどと苦笑いをしていました。
.
まあ大雑把に言えば賃金が安いということは、
それで成り立つ地方の生活ですから、物価も安いということなので
それなりにバランスが取れているわけです。
そこで例えば東京の賃金基準を地方に持ち込んで、
中小企業企業を含めてこの金額を支払う様にと法的な規制をするのは、
その地域での生活のバランスが崩れるということです。
よく考えてください。
地方というのは中央と何が違うかというと、
そこで展開されている企業活動のそもそもの規模が違うんです。
つまり、東京の大きな会社が経営する基準と中小零細の企業体の集まりである地方の経営の基準は
基本が違うということですね。
例えば法律で東京の8割9割の最低賃金を同等にすると、
正直言って倒産してしまう企業、店じまいをしてしまうお店が増えてくるはずです。
するとその地域で働いて働く場を失う人が増えるということになります。
確かに見た目は全国一律の最低賃金というのは平等な扱いのように思うかもしれませんが
少なくとも地の利が違うというハンディキャップを無視しているとしか思えません。
.
前回神奈川県の平均賃金が新たな金額に定められたとき
平塚の経営者の多くは、これはきついなといっていました。
その時に改めて議論の焦点になったのが、
神奈川県内での経済基盤の強弱の問題です。
横浜、川崎あたりの経済力と平塚あたりの経済力の格差があるにもかかわらず、
十把一絡げで決められてしまったということです。
横浜の経済力が、神奈川県全県の評価につながり、
ある意味我々にとってのマイナスになっていると言うのが結論でした。
.
横浜の街を歩いてみると、
間違いなく平塚よりはるかに強い経済規模を持っていると感じます。
横浜と平塚は対等に経済活動を進めていかなきゃならないということなわけですから、
東京都どこかの地方の県との格差と同等に、
この神奈川県内にも横浜と県内の地方との格差はあると言うことですね。
残念ながらこれが自由経済の実態なんです。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 13:14 | comments(0) | - | - | - |
定番の茶番劇

江戸の頃、庶民の間に人気の高かった歌舞伎ですが
こんな風習がありました。
それは、本番の幕が開くまでの間に、観客にお茶を振舞っていました。
このお茶を振る舞う係を茶番と言いました。
そして、この茶番は駆け出しの役者が勤めていて、
彼らも彼らで幕前の時間に、ちょっとした即興的な寸劇を披露したのです。
まあ、本番に出てくる役者から演技力も劣りますし、
しかも中身は雑なものでしたから、
この茶番による即興劇は、ほんの一時の暇つぶしのために
行われたようなものですから、
観客は、ばかばかしい芝居を見せられたということで、
これを茶番劇と言うようになったのです。
これが現在もばかばかしいことが行われることを
茶番劇といいます。
.
この茶番劇という言葉の内容について、
私は学生時代歌舞伎を学問的に研究する科目を履修していましたので
その時に得た知識です。
でも、あれから60年も過ぎているのですから
念のため茶番劇という項目をネットでチェックしてみました。
するとこの言葉の解説に例文がいくつか書いてあるのですが
「国会では相変わらずの茶番劇が繰り広げられている」
「質疑応答があらかじめ決められた茶番劇のようだ」と言った内容で、
なんと政治家が主人公になっていました。
つまり日本においては茶番劇を演ずる役者は政治家、
というのは定番になっているということですね。
.
昨日国会の政治倫理審議会の中継を見ました。
まさにあれこそ茶番劇の真髄ですね。
今まであちらこちらの報道で伝えられてきた彼らの言い分言い訳が
ただ繰り返されただけで改めて真実が見えてきたということは
一つも無かったと思うのです。
正直、まあこんなものだろうとは思っていました。
恐ろしいのは国民のほとんどがこんなものだろうと
最初から思っていたに違いありません。
ひどい国になったものです。
この国の舵取りを任された人たちが
どっちみちあいつらは嘘を付くに決まってるんだと思われていることです。
大人としての経験を積み、様々な局面で丁丁発止とやり合ってきた人たちが
いざ質問される側に立つと、
良心とに恥じらうこともなく平気で真実と程遠いことを口にする。
ちなみに、この茶番劇を演ずる役者に八百屋の親父とか、
料亭の主人とか、大工の棟梁とか、
そんな人は江戸の頃から登場していないのです。
見え透いたような嘘をつくのが主人公ですから、
その主人公になぞらえられているのが政治家というのは
少なくとも日本人の概念の中に政治家は嘘つきであるということが
ある程度認識されているということですよね。
.
彼らは自分の仕事を政治家という道を選択したときに
このような不名誉な概念で見られている職業であるということを
ある程度は認識していたと思うのです。
だったらそこを払拭していくための努力をなぜしないのでしょうか。
.
話は変わりますが、
私は子供の頃には料亭の一角にある住居区で生活をし、
学校にも通っていました。
そして自分が育ってきた職業と言うのは、
当時、水商売と言われていました。
水を売って金にするという侮蔑的な概念のもとに言われている言葉です。
私は親が既にそういう仕事をしていましたので、
その職業に対し、多少ともコンプレックスを持っていました。
でも心の隅で水商売と言われるような侮蔑的な概念を
どこかで払拭したいと言う思いを持ち続けていました。
そして、その親の職業を継いで
いわゆる水商売で生活をして行く中で、
水商売として精いっぱいの誠実な仕事をし、
なおかつ、少しは世の中に役に立とうと、生きてゆけば、
いつか水商売について回る侮蔑的な概念は、
薄れてゆくだろう、と思ったのです。
ですから、ことさら、様々なボランティア活動をしたり、
組合や組合の連合組織体である連合会などの中で、
世の中の役に立つという活動を随分と繰り広げてきました。
きっとそんなコンプレックスへの反発心が背景にあったのだと思います。
.
政治家が自分の身を置いている環境が、
決して高潔とみられていないことを自覚するなら、
今回のような裏金作りといった不透明な資金の流れを唯々諾々と受けて、
いざとなって説明のできないような行動をとってしまった
ということを大いに反省すべきです。
そういう根本的な部分での反省というのが
全くと言っていいほどなされていませんね。
政治不信をここで大きく切り替えるとしたら、
実は、ここはチャンスだったのです。
.
不信感が極まれば、殺意につながるような仕事なわけです。
安倍元首相の死を無駄にしてないでしょうか。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 07:33 | comments(1) | - | - | - |
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