水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
コロナ終息は、政策次第

今朝のニュースで、菅官房長官が、コロナ対策として、
PCR検査を積極的に実施してゆく体制を作り上げた、とかの内容のスピーチをしていました。

気のせいか、胸を張って話をしていました。
.
なんだかんだと感染経路不明がゼロにならない限り、
なんとなくその辺をコロナウィルスが漂っているんじゃないか、
という不安があるでしょ。
.
で、そんな不安を解消するには、検査を受けて身の潔白を確認するしかない。
そこで、保健所にどうしたらいいのか、確認したのです。
すると、明確な自覚症状がない限り受けられない、と。
しかも、医師に診断してもらって、要請の可能性がありそうな場合、

保健所から改めて指示をし、しかるべき医療機関で検査を受けられる、というんですね。
まあ、この辺は今までの情報でもそれらしきことは聞いていたのですが、

実際やり取りしてみると、結構話がややこしいのですね。
つまり、症状があるというのは、自覚症状として、陽性かもしれない可能性が大きいということでしょ。
陽性らしいと言うことで検査して陽性と分かって、だから何なんだ、と思いませんか。
今、必要なことは陽性かどうか歴然とする前の不安も含めての段階での検査ではないか、と思うんですね。
で、この官製システム以外にも検査ができるところがあるんだそうです。
でも、そこでは3万8千円かかるんだとか。
しかも、この辺りでは、茅ケ崎に一軒だけだとか。
平塚にはないそうです。
金額の問題ですが、医師を経由しての流れでは、保険適用になるのが、
医師の診断をショートカットしてしまうので、保険適用にならないのですね。
.

そこで、現状の問題点を考えてみました。
最大の問題は、このあいまいな状態の人の判定なんです。
それともう一つ、どの段階で、感染させてしまうのか、がよく分からない。
段階を整理してみます。
.
まず、完全陰性と陽性に分かれます。
というのは、偽陽性と言おう分類がされているのですが、
実態は、陽性化陰性化のどちらかで、偽陰性というのは、検査精度の問題なので、
ここは単純に2つに分類します。
で、陽性の場合次のいくつかに分かれます。
〔犠評 軽症 C翕症 そ転
無症状は、自覚がない、ということなんですね。
いや症状としては、他から認知できないということでしょ。
でも、陽性なわけですね。
.
重症の場合、治療のかいあって 回復に向かえば、中等症に移行します。
そして、残念ながら、死亡ということもあり得ます。
中等症の場合、軽症になるか、重症になるかです。
軽症の場合、中等症になるか、完治するか、に分かれます。
要はフローチャートですから、まあわかりきっていることですが、こういう流れになるわけです。
厳密にいえば、完治と言いながら再発する可能性もあるので、
ここの部分は、妙な表現ですが、完全完治かどうか、ということですね。
.
さて、問題はこの無症状と軽症の段階のことなんです。
伝えられている諸症状が人によって異なることはありえますでしょ。
体温一つとっても様々でしょ。
そもそも体温が平素から高いとか、低いとか。
それが37.5度とかの基準と聞きましたが、これって目途にすぎないわけです。
おそらく、中等症レベルだと、歴然と自覚症状があるはずですし、
日常活動もしにくくなってくるような体調だと思うんです。
まあ、紙一重で入院するかどうかでしょ。
ですから、ここは分かりやすい。
したがって問題は、無症状と軽症です。
ここが判然としていないので、本人は何でもないと思て、うろうろする。
これに接触した人が感染する。
要は、現在の感染者拡大の実態は、ほぼ自覚症状がない人が動き回っているということですね。
.
つまり、コロナ終息へのストーリーは、3密とかの行動規制もさることながら、
無症状、軽症の人が自覚することでしょ。
留め具が緩んでいる手りゅう弾を腰にぶら下げているようなものです。
この無症状、軽症レベルの陽性者を、あぶりだすことが基本ではないでしょうか。
つまり、もっと本気になって検査体制を拡充することなんです。
医者経由の、保健所経由のと言ってないで、
もしかしたら、と不安を持った段階で、検査できる体制を作ることでしょ。
得意げに記者会見で、官房長官が積極的な検査体制を作った、などと言うんだったら、
あの3万8千円というルートじゃなくても検査できることが重要でしょ。
しかも、何カ所か複数の医療機関でです。

.
終息ストーリーは、検査体制を簡便化すること、
もっと気軽に、多くの医療機関で、安価に検査できるようにすることです。
正にこれは政策でしょ。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 07:11 | comments(0) | - | - | - |
責任を痛感する

線状降雨帯という厄介なものが登場しますが、
これって前からあった気象現象なのでしょうか。
もしかすると地球温暖化の産物なんでしょうか。
詳しいことは私は分かりませんが、
とてつもない大きな恐怖を感じますね。

次から次えと雨雲が覆ってくるのですから。
九州はまさにコロナ禍が治まる間さえなく、とんでもない災害に遭遇してしまいました。

犠牲になった方々のご冥福をお祈りするとともに、

被災者の心痛が和らぐよう、念じています。
.
更に、東京を中心に、コロナは全然勢い衰えず、
大雨被害とコロナの二本立て状態になって、テレビのワイド枠が組まれています。
で、ついつい、そちらに目が行きがちなんですが、
時が時なら、つまり、コロナもなく、大雨被害もなければ、
テレビの主役になるべき出来事は、河井夫妻の選挙違反疑惑でしょうね。
ここにきて、さらなる内幕が徐々に明らかにされてきました。
まあ素人ながら、これが最終、不起訴にでもなろうものなら、
正に日本の民主主義は死んだ、ということになるでしょうね。
ま、それほど明々白々の状況です。
この事件のすべてが、胡散臭い流れになっていて、
こんなことが堂々とある地域で行われていた、ということ自体おぞましさの限りですね。

その主導が、自民党の中核で行われていたとすると、最悪の政権ということになります。
.
詳しくは様々に報道されていますが、どんなに贔屓目に見たって、
金銭を受領した側が、市長だの地方議員だのの職を辞退しているんですから、
その気がなかった、つまり収賄の意思を持って渡したわけではない、
なんて言い訳が通るわけがない。
一庶民としては成り行きを見守るしかできないわけですが、
司法が持っている正義を信じるしかないですね。
.
さて、この問題でまだ問題が残っています。
それはこの件に関する安部ちゃんの謝罪会見です。
その席でこう言いました。
「かつて法相に任命した者として責任を痛感する。
国民におわび申し上げる。
批判を真摯(しんし)に受け止め、緊張感を持って政権運営に当たる」と。
まあ解説するまでもないですが、
これは私の能力のなさであって、こういう事態になったことの責任を痛感する、と言っているんです。
で、この会見を見た方も多いと思うのですが、少なくとも私は、
責任を痛感するって、どういう意味なんだ、と思ったんですね。
.
私たちの日常で考えてみましょう。
どえらいミスをして、そのことを関係者に詫びようと、
しかるべき場所で頭を深々と下げて、
責任を痛感します、と言ったとします。
で、それで終わりですか?
痛感するといえばいいのですか?
つまり文脈としてはただの前段に過ぎない。
責任を痛感し、それゆえ…という言葉が必要でしょ。

痛感した責任のとり方です。
.
人を殺した奴が警察署の玄関先で記者団に囲まれ、
頭を下げて、責任を痛感します、では、と立ち去ったら、
責任をとれ、と周りはがなり立てるでしょ。
どのような責任の取り方があるのか、それはともかくです。
要は言えばいいってもんじゃない。
責任の取り方をきちんと見せる必要がある、と思うんですね。

安部ちゃんは、政権運営にあたる、と言ってるんです。

このような状態を招いた能力ですが、でも、政権を担当する、と言うことですよね。

確かに形容詞的に緊張感をもってとか付け加えていますが、

1億2千6百万人の暮らしをコントロールしようというのですから、

どうであれ緊張感は持っているでしょ。

で、政権運営にあたる、というんですから、今まで通りじゃないですか。

責任を取る具体的な行動はみじんもない。

.

なぜ、安部ちゃんのそういう言葉に引っかかるのか、と言えば、
実は安部ちゃんは、年がら年中責任を痛感している、と言っているんです。
.
思い出せる限りの事例を書き連ねますと、
河井法相と菅原一秀経済産業相(当時)が汚職匂いふんぷんとする中で辞職。
これに対して任免責任者として責任を痛感している、ということでした。
森雅子法相が失言をし、かなり国会でもめ、それを収拾すべく
責任を痛感している、と言いました。
更に、森友学園問題の公文書改ざんがより明確になった時も
責任を痛感している、という会見をしました。
そして、例のかけマージャンで辞任した黒川弘務前東京高検事長の定年延長問題の時も、
責任を痛感している、と言ったんです。
まだまだあります。
新型コロナウイルス特別措置法に基づく緊急事態宣言の期間延長の時も、
読みが甘かったということで、責任を痛感している、と。
さらに、拉致被害者有本恵子さんのお母さんの嘉代子さんと
横田めぐみさんのお父さんの滋さんの逝去にあたって、何もしてあげられなかったと、
責任を痛感したのだそうです。
.
で、です。
6回も責任を痛感していながら、その責任を取るという具体的な行動は一切ないでしょ。
口にするだけ。
最近、口先だけじゃん、と言う思いが強いのか、
安部ちゃんの様々なスピーチが白々しくて仕方ないのです。
まだまだそれなりに支持している人はいるとは思いますが、
私は、言葉に信頼できないんですから、当然政策にも疑心暗鬼です。
.
例の河井夫妻へ配られた1億5千万円のうち、国民の払った税金で賄われている政党支援金から、
1億2千万円が支出されているということですね。
つまり、俺の金じゃん、ということです。
それが、安部ちゃんの悪口を言ったとか言わないとかで逆恨みをして、
溝手顕正前参議院議員への刺客として杏里を立候補させた、と言われています。
こうなると、責任を痛感しています、なんて言葉だけじゃすまないでしょ。
民主主義への冒涜ですから。
.
で、気になるところなんですが、
結局、責任を痛感しただけで終わりなんですかね。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 09:32 | comments(0) | - | - | - |
情報の断捨離

何でもかんでもそうなんですが、時と場合によりけり、ケースバイケースなんですが、

誰もが、一律に何かすべきなんてことは、ないはずです。
この、一律であることの問題を感じていることがありました。
一時、ネットの検索サイトに、プロが選んだ防災備品セット、なるものが売り出されていました。
だいいち、プロってどういう資格なのか、きっと防災士としての認定が前提なんでしょうね。
でも、この商品の内容を見てみると、プロが選んだとは思えない。

本当にプロだったら、こんな商品は出さないと思っています。
なぜなら、防災備品なんて、家や人によって必要なものが変わるからです。
おそらく、同じだとしたら、必ず、不足するものや、余分なものが出てくる。

正に、防災備品こそ、その家の事情に応じたものを取りそろえるべきなんです。

そのためにこのようなセットは過不足が生まれる。
問題は、実は余分なものなんです。
不要なものを持って動くことになるでしょ。
小さいとか軽いとかではないんです。
不要なものは不要なわけで、もしかすると不要なものまで一律に備品として
まとめられていたら、これはおかしい。

非常時というのはあれこれではなく、これだけと絞り込むことなんです。

急に出水し、水位も上がってきた。

こんな時にあれこれではないでよ。まず命を守ることですから、

余分なものを切り捨てることが重要なわけです。

.
一番の問題は、この防災備品セットを買ったら、なんとなく一安心してしまいそうな気がするんです。
防災なんてそんな気休めではないんですね。
くどいようですが(昨日から言い続けているので)命を守るかどうかが第一義ですから、
1万8000円で、何とかなるわけではないでしょ。
そのバッグの中に、建物の補強資材や家具転倒防止器具でも入っていれば別ですが。
.
要は、不用なものを冷静に判断し、切り捨てることです。
.
その意味で、身辺にいかに不要なものが氾濫しているか、ということを感じます。
生活用品に目を転じれば、断捨離とか言って、不要なものを整理すべきだ、
と主張する人も多いようです。
実際はその気になって、えいや、と捨てるんですが、
もう、5年以上も袖を通していないスーツがやはり捨てられない。
ウエストはたるんできているのでズボンはそのままでは入らないにもかかわらずです。
.
余分なものの最大のものは、情報でしょうか。
もちろん、ざっと目通ししたら、取り入れなければいいのでしょうが、
少なくとも、見出しとして並んでいれば、見出しだけでも見てしまうでしょ。
検索サイトもそうですが、複数あって、それなりの特徴があります。
ですから、基本飛ばし読みをするんですけど、
結果としてまったく同じニュースソースの場合もあって、
要は読み手の良識で判断するしかないのですね。
.
ネットサーフィンとはよく言ったもので、
ずるずると関連をたどりつつ、少しずつ違う世界に引き込もうとしています。
いや、引き込まれてゆくんですね。
興味あるところをうろうろしてると、最後はとんでもないところで我に返る、なんてことがあります。

.

まあ基本は自覚なんでしょうが、

それにしても百花繚乱という感じ。
それだけに、情報過多になっていませんでしょうか。

で、まあ、見出し読むのもうっとうしい類の情報も多く、

典型なのが大きなお世話的内容です。
誰それが誰それと熱愛関係にある、というやつ。
好き勝手にさせとけばいいじゃないか、余計なお世話だ、と。
この余計なお世話記事はまだまだあって、
結婚したという情報、
離婚したという情報、
挙句の果てに妊娠したという情報、さらには第一子誕生なんて情報。
もう、ほっといてくれ、と言いたくなるでしょ。
どうして人は、人のことが気になるんでしょうか。
まあ情報と言えば情報ですが、そんなことの情報を集めるエネルギーがあったら、
ほかのことに使ってもらいたいものです。
.
それと批判コメント。
特に芸能界で、だれそれが不倫した、とかなると、
清廉潔白ぶって、ああだこうだと批判する。
それがなぜか、検索サイトに掲載される。
的確なコメントならともかく、
ちょっとばかりいびつな見方で、とくとくと人を批判している。
じゃあおまえはどうなんだ、と言いたくなるようなことも多いですね。
.
確かに要不要は自分で選択するものです。
ですから不要なものは切り捨てればいい。
それにうっかり目を通して、不快を感ずるなら、目を通さなければいいことです。
確かに自己責任の最たるものなんですが、
防災持ち出し品リュックに詰め込まれているような不用品のごとき
不要な情報も、もう少し整理できないものだろうか、
と思っています。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 09:54 | comments(0) | - | - | - |
高齢者の犠牲は仕方ないのか

まだコロナ騒動の真っただ中というのに、
線状降水帯の出現で、熊本を中心に、ほぼ九州全域が大雨に見舞われ、
悲しいかな、多くの犠牲者を出してしまいました。

あの勢いよく流れる濁流の映像を見ていると、水の力ってものすごいものがあるんですね。
そして悔やまれるのは、
千寿園での14名もの死者を出してしまった高齢者の集団的な被害です。
.
水害等の災害時に避難が難しい高齢者施設で被害と言えば、
4年前の8月、台風10号による大雨で岩手県岩泉町の小本川が氾濫し、
川沿いに建っていた高齢者グループホーム「楽ん楽ん(らんらん)」の

入所者9人全員が亡くなった出来事です。

全員です。
きっと、生前ご本人も、家族の方も、豊かな自然に囲まれて、
のんびりと余生を過ごすには、とても望ましいシチュエーションだ、
と評価していたはずです。
今回の悲劇も、実によく似た立地でした。
しかも、想定できないような出水量であることも、よく似ていました。
教訓は生かせなかったのか、です。
.
施設管理者の責任は重いと思います。
自分の処の立地条件を検討すれば、万一の時の対応をどのようにしたらよいのか、
もし対応策が思いつかなかったら、どうしたらいいのか、周囲に相談すべきです。

それこそ行政の出番でしょ。
少なくとも、そのコミュニティの知恵を結集して、対応策を考える。
そして何より重要なのは、万一の時のために、手助けしてくれそうな人手の組織化です。
実際には、さほど機能しないものですが、
それでもゼロよりはましでしょ。
何より、このような施設に関していえば、
家族は、厄介者を放り出すように預けて、あとはお任せといった印象があります。
そうではなく、入所者の家族会のようなものを作り、
万一に備えたサポート体制を自主的に運営すべきでしょ。
.
うちの実情を話しますと、
今、私とかみさん、そしてかみさんの父、義父というか岳父というか、
3人で暮らしています。
ちなみに、この三人で、朝食の食卓を囲むのですが、平均年齢80歳なんです。
3人合計で240歳。
超高齢者の食卓でしょ。
ちなみに義父は、96歳。
なのに、一切薬を飲んでいません。
基本健康なのですが、1月ほど前、ベッドから落ちて、腰椎の圧迫骨折。
もちろん医師の診断です。
救急車で運ばれ、なんだかんだと病院を回り、数日の入院で戻ってきました。
ちなみに、寝たきりになってしまいそうだったので、市の介護関係の担当者にきてもらい、
診断をしてもらったのですが、要介護5という判定。
いやこれは大変なことだぞ、と思いましたが、
まあ、私もかみさんも、何とかなるだろうと、その後の入院とか、介護施設へ預けるなど、
微塵も考えませんでした。
一応、専門家に相談し、ベッドや車いすなど、必要と思えるものは準備しましたし、
訪問介護もお願いしています。
しかし、本人はボケておらず、自分で何かをしようという意欲が強く、
徐々に回復に向かっています。
一年もすれば要介護1ぐらいまで向上するんじゃないか、と話しているんです。
とはいえ、万全ではないですから、それなりに手助けしたり、ひそかに見守っていたりと、
今までよりはずっとエネルギーがかかりますが、
幸い、私も時間がありますので、さほど問題なく、対応できています。
当然ですが、もし、介護系の施設に預かってもらったら、楽だろう、とは思います。
でも、出来るんだったら、一緒に暮らすべきじゃないか、と。
.
ですから、施設に預けているご家族にしてみれば、
それなりの事情があることは分かりますが、
みんなで力を合わせて、施設に不足するところは補う、という姿勢が大事だと思うんです。
だって、預かってもらった分、時間的余力が生まれている言わけでしょ。
それを何分の一かは施設のために使ったって罰は当たらない。
そして、望ましい老後を過ごせるようにすべきでしょ。
.

施設に預けたまま、いささか距離を作ってしまい、
挙句の果てに、洪水で水死させてしまった、という現実に直面したら、
私だったら施設を恨む前に、自分の在り方を後悔するでしょうね。
悔いなく対応してきたのか、と。
.
ハザードマップを大体の自治体は作ってあると思うんです。
そして、その状況を設定する条件ですが、最大級の状況を想定すべきでしょ。
.
地震対応として、震度6強ぐらいまでは大丈夫です、と言ったって、
7という上がある。
超周期振動という問題もある。
最大級の被害を想定して、対応は万全と言えるんじゃないですか。

防災とはそういうものです。
.
ですから、今回の問題は、行政体の対応もずさんだったといえそうです。
ハザードマップをしっかりと眺め、ここは大丈夫か、ここも大丈夫か、と

きめ細かなチェックをしていれば、今回の悲劇は免れたかもしれません。
行政体がよく使う常套句のように、「安全安心」などの生ぬるい文言ではなく、
命を守る、というダイレクトな意識が必要です。
.
これって、国もなんとかすべきでしょ。
国土交通省なのか、厚生労働省なのか、総務省なのか、
縄張りは分かりませんが、緊急に全国の高齢者の施設の安全について、
物理的な立地だけではなく、組織的なことがらも含めて、
対応策を打ち出すべきです。
.
コロナと言い、災害の被害者と言い、間違いなく年を取った順に犠牲にあってしまいます。
これって、自然の節理の一つなんでしょうけどね。
 

| 水嶋かずあき | あれこれ | 09:40 | comments(0) | - | - | - |
言った通りじゃないか

何か不都合なことが発生すると、
人は誰かに責任を求め、時に詰め腹を切らせます。
本来、責任を取るのはトップのはずですが、そのトップがグダグダ言い訳を言って、
トカゲのしっぽを探すんですね。
まあ、人間の悲しい性ですが、よくあることです。
.
今回のコロナ騒動でも、いまだ収束していないにも関わらず、
トカゲのしっぽ探しが始まっているようです。
そこに白羽の矢が立てられたのは、西浦教授。
別名8割おじさんとか言われている、いや自称?方です。
.
ここにきて、なぜか8割おじさんに非難が集中し始めました。
私は、非難すべき要因は一つもない、と思っているのですが、
今回の騒動で、人それぞれスタンスが異なり、
ざっと仕分けると、病理解明優先派と、経済復興優先派の分かれます。
一般庶民にしたって、経済的打撃をもろに食っている人は、
なぜ8割だったんだ、ぐらいの批判をしています。

挙句の果てに、

経済的な落ち込みによって自殺者が増える。

その数2000人と想定すると、ウィルスから人を救うのか、

経済の困窮から人を救うのとどっちなんだ、と。

これって比較すべき内容なんですかね。

その人の価値観に問題あり、と私は思います。

.
冷静に整理してみましょう。
中国でどうもとんでもないウイルスによる感染が拡大しているようだ、
という情報が日本で表面化したのは、1月の半ばです。
で、もしかしたら、きちんと備えないとこれは日本も巻き込まれるぞ、
と警戒すべき論が一般化したのは、2月のはじめです。
恐れていた通り、日本の水際作戦はいとも簡単に崩壊し、
3月には、感染先進国になってしまいました。
.

そこで専門家チームが正に日夜奮闘しその対策を立てましたが、
当時その対策に私たちはあまり実感を持って理解していなかったと思うんです。
それこそ3密ってなんだ、ぐらいの調子だったでしょ。
挙句の果てに、人で8割削減といういことが出てきた。
ロックダウンが現実味を帯びてきたわけです。
.
さ、ここで問題です。
あの8割説が出てきたときに、これに対抗する理論的な根拠がある対応策を誰かが示したのか、
ということです。
ただただうろたえていただけでしょ。
まして、このまま何もしなければ42万人死亡、と言われたのです。
ここで、この42万人死亡の条件を思い出してほしいのですが、
何もしなければ、ということです。
もちろん、対応策を専門家の意見をベースに打ち出したわけです。
おかげさまで、地獄を見ないで済みそうです。
この42万人について批判めいたことを言う人がいますが、
よくある、主張をする上での良いとこどりの主張ですね。
何もしなければ、という言葉を省いています。
.
話は変わりますが、時に、認識を深めるために、

多少は内容を膨らませていうことって多いでしょ。
よく使うのが、みんな言っていた、というやつです。
私はその言葉を聞くと、誰と誰なんだ、貴方の言うみんなって何人のことなんだ、
と聞き返すことがあります。
まあ、正直一番使ってはいけない言葉ですね。
それはともかく、
例えば、南海トラフ地震の発生率が、今年になって、30年70%から
30年80%に上方修正されました。
つまり発生確率が高まった、というわけです。
この数値の修正はだれがどのような根拠で決めたのか、ということが気になっていました。
当然専門家の人たちの意意見が集約されていると思ったのです。
ここで、コロナ騒動と構造が重複してくるのですが、
純粋に科学的見地としての推論と、それによる社会的影響への考慮について、
時に相反することがあるものです。
で、どうも漏れ聞こえてくる情報として、

70%が80%に上乗せされた具体的根拠は希薄なようなんですね。
ただ、大いに警戒を要するという点では一致していたようで、
70%より80%のほうがその気になる可能性が高い、と考えたようなんです。
結果、なにも起きなくても、20%は起きないという部分を取り上げて、

80%の妥当性を説明できるわけです。

つまり、防災に携わると実感すると思うんですが、
まずは他人ごとだと思って、真剣に防災対策に取り組まない人が多いのです。
正に正常性バイアスの集団みたいなところがあるんですね。
したがって、コロナ対策でも同じようなところがあったのじゃないでしょうか。
このコロナでは、著名人の死亡が影響をしたと思うんです。
一挙に、正面から取り組むきっかけになりました。
.
でも、42万に死亡に関しては、ここにきて、ちょっと大げさだったんじゃない、とばかり、
反論が出てきたんですね。
そのせいか、新たなコロナウイルス対策の会議に、
西浦教授は外されてしまいました。
ちょっと反応がエキセントリックですね。
わたしは、IT系の理論派は絶対に必要だと思います。
実際ここにきてスパコンの富岳を使って様々な趣味レーションをし、
これを映像化して、3密対策の意味などを裏付けていますが、
基礎データの取扱いとしては専門家の知識が必要でしょ。
何人かのうちの一人としては必要な存在だったのだはないか、と思ています。
.
6月半ば、いささか自粛にうんざりしてきた世論に後押しされ、
わきが甘くなってきたときに、
西浦教授はこんなことを言いました。
「生活を戻せば都内は7月にはまた1日100人に戻る」と。
.

その通りになったでしょ。

だから言ったじゃないか、と。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 09:44 | comments(0) | - | - | - |
一隅を照らそう
おおよそ、宗祖が登場し、その人生観・哲学観などを説き、
人としての生きざまを指導するようになると、
その周辺に、弟子たらんとする人々が集まってきます。
そしてその教えを布教し、広めてゆきます。
しかし、およそどんな宗祖も、自らが文字を書き、その言わんとするところを
文章にとどめるということはしませんでした。
聖書にしろ、仏教の経文にしろ、のちの弟子たち、さらにはその弟子たちがまとめたものです。
ですから、書き手の意思がどうしても混じってくるのです。
.
時に、布教の折にあるたとえ話を思いつき、
それを口にしたところ、大いに人々は理解を深めた、とすると、
これが常套句になってゆくわけです。
キリスト教も、仏教も放蕩息子の話が出てきますが、
おそらく両方とも、弟子の創作ではないか、と思われます。
.
つまり、後世で、様々な解釈が付け加えられるのです。
その布教を使命と感じたものにしては、何とか、あの手この手で理解を得たいと考えるわけですね。
お釈迦様は、弟子たちからこんな質問をたびたび受けたそうです。
人は死んだらどうなるのか、と。
お釈迦様は、この質問に対しては、一切答えなかった、と伝えられているんですね。
にもかかわらず、現在に伝わっている様々な宗派の教えの中には、極楽と地獄が出てくるでしょ。
これはキリスト教も同様です。
きっとイエス様は、人は死ぬと地獄か天国かどっちかに行くことになる、なんて言ってないと思うんですね。
そう思う最大の根拠ですが、宗教はもともと今をどう生きるか、ということを解いている哲学なんですね。
.
先日、日本の天台宗の祖である最澄に関するNHKの番組を見ていました。
改めてものすごい人だったんだな、と再認識したのですが、
その中で、最澄が書いたとされる巻物が紹介されたのです。
で、その中に「照干一隅」字がアップになって登場します。
これは天台宗が、宗派のキャッチフレーズのように「一隅を照らそう」と言うことを掲げていますが、
その出典となったものです。
まあ意味としては、一人一人それは小さな光でも、何処かそれぞれのたとえ片隅であろうと、
照らすことによって、明るい世の中を作り出しましょう、といった意味があると思うんです。
まあ、素晴らしい考えじゃないですか。
で、その言葉の出どころですが、中国の天台の仏典の中に文言としてしたためられています。
いきさつとしては、中国、隋代にまとまられた仏教書、
10巻の智(ちぎ)の教説を弟子の灌頂(かんじょう)が筆録したものとされています。
俗に、摩訶止観と言われるものです。
まあその辺のいきさつはともかく、中国に渡った最澄はこの天台で学びました。
さらに、日本に帰ってきて、仏教布教のテキスト的なものを作り、
その中に登場するのが「照千一隅」という文字です。
で、一隅を照らそうという言葉の中で、この干もしくは千の文字がどこかに行ってしまっているんですね。
だって、一隅を照らそう、だけなら、照一隅、でいいわけでしょ。
.
以前から私もこのことを疑問に思っていました。
いったいどういう解釈をしているんだろう、と。
調べてみると、干(干物の干)の本来の意味なんですが、
犯す、触れる、関係する、地位を求める、と言った動詞、
群れ、岸辺、乾物のほか、
形容詞として、
乾いている、空っぽである、中身がない、
副詞として、労せずして、無遠慮であるなどの意味があるのだそうです。
で、その解釈の上で、照干一隅を理解しようとしても、なんかピンときません。
私はテレビに映った文字をみて、どう見てもこれは「千」だろうと。
これは書道の専門家に鑑定してもらえば、一目瞭然です。
つまり「照干一隅」ではなく「照千一隅」としか読めないんですね。
干物の干ではなく数字の千なんです。
.
そしてその意味は、
千隅を照らために一遇を照らすということで、
これなら、中国天台の教えにも沿うのです。
つまり、一隅を照らしなさい、では、時に視野が狭くなるでしょ。
何のためにの目的とか動機があいまいじゃないですか。
でも千隅となると、あちらこちらに光を照らすことになりますでしょ。
つまり目的としては、世の中全体をよりよくするために、あなた自身の力が必要なんです、
という解釈になりませんか。
本来はこれに近い言葉に要約すべきでしょ。
一体「干(干物)」の文字はどこに行ったんだ。
千(1000)の解釈をどうするんだ、ということですよね。
.
比叡山というのは、一時は、政権の言動にあれこれ口をはさむまでに勢力を拡大しました。
最澄を慕って多くの修行僧が集まりました。
その中には、法然、親鸞、栄西、道元、日蓮などのそうそうたる名僧が輩出されています。
いわば、日本仏教のメッカみたいなものです。
そこが、どうして、一隅を照らそう、なのか疑問ですし、
多くの学者先生方が、間違いじゃないの、と言ってるにもかかわらず、
既成事実のように、勝手な解釈をキャッチフレーズにしている、という事情が理解できないのです。
なんか、修正してはいけない背景があるんでしょうか。
素直に、間違いは間違い、とみとめることも仏の道だと思うのですが。
| 水嶋かずあき | あれこれ | 09:03 | comments(0) | - | - | - |
老兵は消え去るのみ
都市伝説のようなものですが、
死期を悟った猫は、人前から姿を消す、と言われています。
まあ話半分にしても、実際、飼い猫がある日突然姿を消したしまったという経験を持っている人はいると思います。
よく野生動物の場合、年老いて、群れの中での力を示すことができなくなると、
群れから離れて、ひそかに姿を消してしまう、と。
老兵は死なず、ただ消え去るのみ、とか言われていますが、
消え去り、そして死を迎える、というのが現実なんです。
.
で、猫の場合なんですが、ある猫に詳しい人に聞いた話ですが、
猫も年を取ると、一種の認知症みたいになるらしいのです。
特に、犬と比べて、猫は拘束されていません。
隣の庭に行って昼寝するなんてよくある話でしょ。
犬の場合はほとんどない話ですよね。
まあ、猫の方が自由にうろうろしています。
ですから、年を取ると、自分のテリトリーの境が分からなくなるのだそうです。
それでうろうろするので、自分の家に帰る道が分からなくなるらしい、と。
道に迷って、歩けば歩くほどそもそものテリトリーから離れてしまうこともあり、
結局戻れなくなって、飼い主にしてみれば、行方不明ということなんですね。
時に交通事故にあったり、よそのテリトリーを侵害したために
壮絶な争いの末、傷を負い、それが元で命を落とすこともあります。
以前、我が家で飼っていたアメリカンショットヘアーのオス猫が、
少し頭が悪かったんですが、その分、やんちゃなところがあって、
近所の猫とよくケンカしていたんです。
ある時、行方不明になって、暫く帰ってこない。
私はどこかで死んでしまったかもしれない、とあきらめたのですが、
10日ほどすると、よれよれになって帰ってきたのです。
見るも無残、もう全身傷だらけ。
結局感染症かなんかでしょうね、数日で息を引き取りました。
きっと認知も交じって、人のテリトリーに入り込み、
返り討ちにでもあったんでしょうね。
.
まあ猫の認知症と比較しては申し訳ないのですが、
人にも、認知症がらみで、行方不明になる人がいます。
認知症の行方不明者の内訳は男性9503人、女性7976人。
都道府県別では1位大阪の2007人、2位埼玉1960人、3位兵庫1778人
そしてわが神奈川は4位の1593人となっています。
一日あたり、4.4人。
.
以前、SCNクラブで高齢者の徘徊問題を取り上げたことがありました。
そもそもが、そのころ、徘徊110番とか言って、徘徊老人を探し出すための
ネットワークが作られていて、警察や市役所、民間ではタクシー会社、
そしてなぜか薬剤師会などが、協力をして、徘徊者を探し出す、ということをしていました。
FM湘南ナパサでも、市役所の担当から、徘徊情報が入ると、通常放送の合間に情報を流します。
市の無線広報でも流れることがあるでしょ。
「市内紅谷町に住む、水嶋かずあきさんというおじいちゃんの行方が分からなくなっています。
76歳ぐらいの男性で、身長は179センチ、体重は79,3キロぐらいです。(妙に詳しい)
時々わけの分からないことを口走ります。
グレーのTシャツに、ブルーのジーンズをはいています。
見かけた方は警察署までご連絡をお願いします。」
とか言った内容の臨時情報です。
で、こういう情報の下、それらしき人を見かけると情報が入り、家に連れて帰ることができるのですが、
なぜか、この情報のやりとりが、驚くほど組織化されていなくて、(そのころのことですが)
市役所と警察の連携はほとんどなく、どこが徘徊ネットワークだ、と思ったことがありました。
連携の仕方、責任の取り方など、
全然見当もつかない、ということが分かったんですね。
.
その年に発見されたのは1万7340人、このうち、警察や届け出人らが所在を確認したのが1万6775人。
死亡していたのが460人だったそうです。
ほぼ大半が1週間以内に発見されるそうですが、
それでも発見が一日遅れるごとに、37%も死亡率が高まるそうです。
当然ですがこの対象となる人は後期高齢者。
私もその一人。
もしどこかでうろうろと所在なさげに歩いているところを見かけたら、
家に連絡してください。
お願いします。
ま、冗談ともかく、
この後、熱中症などにかかる可能性は大でしょ。
冬場は冬場で、雪国などでの徘徊は凍死など直接命にかかわるそうで、
いずれにしても、いいことはありません。
市によっては、GPSを貸し出しているところもあるようですが、
いの一番は家族の注意。
更に、街中でこれらしき人を見かけたら、声がけするという民間の協力も大事だそうです。
ただ、本人が、状況が分からないので、おびえているそうで、
やさしく対処してほしいということ。
話す時は真正面で話すこと、という注意が必要なようです。
.
なんだかんだと、年を取ることは本人も大変ですが、
家族も大変なことが多いようですね。
| 水嶋かずあき | あれこれ | 09:07 | comments(2) | - | - | - |
分眠生活
日々の雑感です。
.
最近、いくらご隠居的立場とは言え、生活にリズムが失われてきたのです。
その主な要因は、睡眠時間ですね。
一回の連続しての睡眠時間は、おおよそ4時間が限界。
大体、小便かのどが渇くとか、それ以外の要因で目が覚める。
目が覚めると、なんとなくグダグダと起きてしまう。
何より気持ち悪いので、口を漱ぎ、うがいをし、ついでに顔を洗う。
となると、パッチリ目が覚めてしまうんですね。
こうなると、もう一度床にはいっても、眠れないんです。
したがって、理想を言えば、2時ごろに寝て、6時に起きる。
で、朝のルーチンに入る。
もっとも2時まで起きていられたらの話です。
で、
冷蔵庫を開けて、食材の確認をし、朝ごはんの献立を立てます。
我が家は3人暮らしですが、人数の多少はともかく、食事当番は私の仕事なんです。
原則、ご飯を炊いて、みそ汁、それに3品のおかずを作りますので、
肉、魚、野菜のチェックをしながら、
最近、作らなっかたものを献立します。
でも、朝飯は、8時10分から8時30分開始なので、まだ手掛けません。
内容にもよりますが、3品だったら20分前後で出来上がるでしょ。
ですから、時に8時まであえて手掛けません。
で、机に戻って、ネットをざっと飛ばし読みします。
ブログのネタ探しです。
そもそも心残りだったテーマと、タイミングよくネタに行きつくと、
ほぼそれで決まり。
ざっと構成をして、キーボードを打ち始めます。
ま、これは朝のルーチンです。
朝食を作ることと、ブログを打つこと。
.
そういえば、8年前の7月3日。
手術の結果も良好で、ステロイドの投薬の経過観察も終わり、
三度目の退院を済ませて、いよいよ、これで普通の生活に戻るぞ、
と言ったことが、あって、ブログを書いたんですね。
それまでは、入退院が、ばたばたと続いていたので、
ブログも、途切れがちだったんです。
改めて、普通の生活ですから、じっくりと生活自体に向き合わなくてはいけない。
で、何か、新たなルーチンを組み込もう、と考えたので、
ブログを書くこと自体をそれに充てよう、と。
で、以来、8年間、一日も休まず連続してブログを書き続けました。
そう、今日はある意味のブログ記念日なんです。
9年目突入です。
.
まともかく、そんな感じでの朝ですから、
午後になんか予定でもあれば別ですが、
昼前後になると、眠くなる。
誰も時間的な拘束をしているわけでもないので、何しようと勝手な話でしょ。
そこで、ベッドにもぐりこみ、寝ます。
正に昼寝です。
大体3時間ぐらい。
昼寝にしちゃあ長いですが、不足の睡眠時間の補給ですから、まあいいとこでしょ。
で、合計で一日7時間は睡眠が取れるわけです。
まあ、気ままな生活だからできる技ですが、
私はこれを、分眠生活と言っています。
一日二回分けて寝る生活ということです。
いや、正直なところ、ぐっすり連続の7時間が健全なのは分かっていますが、
年を取るとそうはいかない。
最近、どこぞの会社で販売している、ぐっすり眠れるというサプリでも飲んでみようか、
と、かなり本気で検討中です。
.
6月26日のブログでも紹介しましたが、
1日、2日と街角広場で、子供たちに書いてもらった3万枚の短冊を
掲出するベースになる星を作ってきました。
特に、1日は雨が降っていて、時にびしょぬれになりながらの作業でした。
で、これが結構体に応えたんですね。
そして、続いて2日目の作業。
もう体の節々が痛くて、筋肉は硬くなってしまい、
結構きつい状態になってしまいました。
驚いたのは、この作業を進めるために、なんだかんだと若者が集まってきて、
最終的には、4〜50人が携わっていました。
年寄は私一人。
まあ、適当な時間で抜け出してきたのですが、
ふと、こんな調子で来年の七夕は大丈夫か、と考えてしまいましたね。
.
日々の雑感ということですが、
日々に老いを感じる雑感でした。
| 水嶋かずあき | あれこれ | 04:32 | comments(0) | - | - | - |
コロナ第二期

謹厳実直なんて、微塵も持っていませんが、
昨今の世情を見ていると、ただのクソじいとののしられようと、
この際、一言いわせていただきたい、と。

それは、例によって、新型コロナウイルスのことです。
.
この問題が発生した時から、二つの対極から意見がいろいろ出て、
きっとその間を国も国民も右往左往するんだろうな、と思っていました。
これについてはコロナ初期のころの私のブログで、くどくど触れています。
その対極とは、ひとつは医療上の事情をいかに優先させるか、という視点と、
経済への打撃をいかに軽減させるか、という視点の対立です。
かたや、国民の生命、健康の確保という視点ですから、

これは誰も文句はつけられないでしょ。
一方、どこかでしびれを切らして経済活動を再開したがる輩が登場するはずだ、と。
問題はここのところの説得をどうするかでしょ。
で、結局まだまだ余韻嫋々の状態で、経済優先にかじ取りをしました。
国も、各知事もそれなりに悩んだと思いますし、確たる信念もあやふやなまま、
経済再開の声に押されるように、訳の分からない基準を前提に、非常事態宣言を解除しました。
私はこの時の基準について、専門家ではないので、何とも言えないと感じていたのですが、
それでも時期尚早でないかと思っていたのです。
みな、きっとそう感じていたんでしょ。
諸外国の様子など参考にすれば、終息は確信できていなかったはずです。
それが証拠には、第二波なるものの存在におびえていましたし、
当然その状態になったらどうする、
と対策を練っていたはずです。
.
ざっとですが、一応コロナ第2期とでもしましょうか。
東京を含め、非常事態宣言が解除されて、から、という意味です。
相変わらず収まっていないでしょ。
特に第二期の傾向として顕著なことは、
日本国でいえば、東京が、神奈川でいえば横浜が、
要は都会ほど収まっていない。
都市型感染症なんでしょうか。
ともかく、言っちゃあ何ですが、田舎ほど安全でしょ。
これはコロナ対策として、いまだに忠実に守っている3密なるものから考えれば、
都市型になってしまうんですね。
ある地方の友人に、たまたま連絡することがあって、
そっちはコロナはどうか、と聞いたら、
感染が広がるほど都会じゃない、
何しろ、3密なんて状態は町中の力を合わせなくて作り出せない、と言ってましたから。
.
この都会型の感染では、時に第二期に入って、若い人が感染しやすくなったでしょ。
前出の友人にもう一度電話すれば、そもそも感染する若者がいない、とでもいいそうです。
だいたい、今回の拡大の要因は、
第一期では病院でしたね。
43人もの死者を出した病院の院長が記者会見で陳謝してましたが、
初めての経験であったこと、十分な知識がなかったこと、多少はなめてかかっていたことなど、
挙げていましたが、基本的には、病院での感染拡大が中心だったと思うのです。
ところが第二期になっての中心は、いわゆる夜の街感染ですね。
その主なところがホストクラブだって、
いやあ、クソじいとののしられて結構ですが、女が男と金出して遊ぶんでしょ。
そんな低劣な場所が感染源というのが、腹立つじゃないですか。
僕が病院長だったら、そんなところでかかったやつは、門前払いだ、となるでしょうね。
ほんと、むかむかするでしょ。
挙句の果てに、ライブだとか、昼カラオケだとか、ここにきて、
メイド喫茶ときたもんだ。
要は、遊びの場所で感染を広げているんじゃないですか。
工場とか、建築現場とか、仕事の場での感染なら、まだしも、
生産性と何のかかわりもない遊びでしょ。
.
もう一度自粛を進めるような発令をすべきじゃないの。
特に東京ですね。
感染者の分布と経路を精査して、23区でもいいですし、
新宿とか、池袋とか、特定の場所でもいいでしょ。
知事選でそれどころじゃないかもしれませんが、もう一度足元を見つめてもらいたいですね。
じっと第二波に襲われるのを待っているなんて、ばかばかしいでしょ。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 07:59 | comments(0) | - | - | - |
レジ袋有料化
明日からレジ袋が有料になるようです。
ずっと前から、マイバッグ・エコバッグ運動みたいなものが行われていましたが、
こと、レジ袋に関しては、私は、無関心でした。
.
そもそも私は、我が家の食事係ですから、食材を買うのも役割の一つです。
この買い物が結構楽しみで、おたおたすると、
一日の中で、この買い物以外、外に出ない、なんて日は結構あるんですね。
ですから、出不精の私にとっては、食材調達は、けっこうなたのしみでもあり、
重要な生活のリズムの一つなんです。
.
紅谷町で暮らしているので、日々の食材は、
まあ身近ないくつかのスーパーで買い物をするのですが、
それぞれに特徴があり、それに合わせて、どこの店にするか選択します。
ある店は、とっくに有料になっていて、3円でした。
私は、特に、プラごみを捨てるのに、どうしても大のサイズのレジ袋が重宝なんで、
たとえ有料でも袋をあえてもらっています。
それが、最近、大中小と価格が新たに設定され、
5円、4円、3円、となりました。
私にとってみれば1円、2円の違いではなく、プラがどれほど入れられるかが基準なので、
買い物の量というより、袋の容量が優先するわけです。
で、このお店で清算の時に、マイバッグの人もいるわけですから、
レジ袋はつけますか、と質問します。
はい、というと、大中小どれにしますか、と再質問。
その答えに従って、商品をレジに入力し、清算をするのです。
私は最初のころ、レジ袋を有料にしたころ、
レジ係の人にしてみれば、とてつもなく面倒な作業が追加されたな、と思いました。
.
きっとある時、その店の社長が、パートのレジ係の人たちを集めて、
レジ袋を有料化することになった、ということと、
それの対応方法を皆に伝えたと思うんですね。
まあきっと朝礼とかなんかで言ったのと、具体的な対応マニュアルかなんか作って、
皆に周知徹底したと思うんです。
で、その方針を聞いて、パートのおばさんたちは、
あらら、面倒なことをしなけらば行けなくなったのね、とかぼやいたはずです。
でも、このお店は、7月1日、なんて決まりをはるか前から、それを取り入れているので、
それなりに、前向きな経営をしているお店なんですね。
レジ係の人もみな親切ですし、よく教育されている。
でも、お店によっては雇われ店長さんかなんかが仕切っていて、
お客様への対応が不十分なところだってあるはずです。
そんなところは、面倒な余計な作業が増えた、と不平が出そうですよね。
.
まあこれも世の流れ、脱プラを目指すのですから、
ささやかな身近なところで、ささやかな行為を積み上げるということも大事です。
しかし、有料にする、という制度を作り、それを実施させるのは国家です。
当然、脱プラへの対応なんですが、
どう考えても、それ以外のプラ製品のボリュームがものすごいでしょ。
私が、レジ袋を有料でもマイバッグを使わないのは、
この日々排出されるプラごみの処理方法が、
レジ袋以外に思いつかないんです。
台所で調理を経験している人は分かると思いますが、
いったいどうしてこんなにプラごみがたまるんだ、と思うんですね。
もっとも、軽くてもかさばるので、容積として見た目多くなるのだと思いますが、
二日もすると、レジ袋いっぱいになります。
しかも、これにはペットボトルなどは一緒にしません。
主なものは、食品を入れているトレーの類です。
魚はもちろん、肉の切り身を入れたもの、更には、
野菜ですらパックに入っています。
これらは野放図に使えるのに、どうしてレジ袋に白羽の矢が当たったのだ、と。
片手落ちじゃないか。
レジ袋の何倍もプラ製品が出回ってるのに、それらは規制外なんですね。
正直おかしいと思いませんか。
.
食品衛生の観点では、トレーの規制はしにくい。
でもその外側の袋ならいいだろう、と。
ここいらが白羽の矢が立った要因かもしれません。
.
まあうがった見方とも思うんですが、マイバッグの拡大によって、
食品衛生の問題が出てくるのでは、と懸念されています。
確かに、使いまわしのバッグよりは、店頭のレジ袋のほうが、
はりかに衛生的ですものね。
人によっては、コロナ対策の注意を喚起する人もいます。
だったら、有料化なんてするな、と思うんですけどね。
.
どんな政策も、国はこうすると決める。
それにコストがかかろうと、手間がかかろうと、国民は従う。
なんだかんだとこの国はいい国ですよね。
国も国民も。
| 水嶋かずあき | あれこれ | 13:46 | comments(1) | - | - | - |
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 
<< July 2020 >>
+ SELECTED ENTRIES
+ RECENT COMMENTS
+ CATEGORIES
+ ARCHIVES
+ MOBILE
qrcode
+ LINKS
+ PROFILE