水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
またまたびろうな話

屁の突っ張りにもならない、
と、いきなりびろうな話になります。
これは、何の役にも立たない、何の意味もない、といった意味。
まある意味無駄な抵抗というか、空しい抵抗というか、と言ったところ。
で、どうして屁の突っ張りか、というと、
屁が出そうになって、一応は何とかしなきゃと思ったんでしょうね。
音といい匂いと言い、場面によってはまずいでしょ。
いや、基本的には一人っきり以外の時以外は、すべてまずいですよね。
そこで、何とかしようと、手かなんかで抑える。
まあこれが突っ張りという状態なんですね。
でもその程度の対応では、屁は出てしまう。
ですから意味ないことですよ、という意味です。
昔から、出物腫物ところ選ばず、と言いますからね。
こればっかりは仕方ないのでしょうが、
やはり放屁してしまった人は、ちょっとばかり恥ずかしいですよね。
.
びろうついでに屁にかかわる小話。
その1 落語の枕から
ケチで有名な男がいて、この男をみなケチ兵衛と呼んでいたんです。
ある時、男二人で道端で世間話をしていると、そのうちの一人が屁を催した。
そこで近くにいたケチ兵衛さんを呼び寄せると、
これから屁をするけど、何だったら、俺の屁をあんたに上げよう、と。
するとケチ兵衛さん、もらえるものは何でももらっちゃうというタイプなんで、
ありがとうございます、とさっそく両手を男のしりに差し出します。
男は殊の外息んで、ぶい、と一発。
ケチ兵衛さんはそれを両手でしっかり挟んで、慌てて駆け出し、裏の畑へ飛んでゆく。
男は何をするんだろうとケチ兵衛さんのあとを追うと、
ケチ兵衛さん、握っていた手のひらを大きく広げて、畑の上にもらった屁を放つ。
そこで一言、ただの風よりましだろう。
分かりますかのこの話?
今時でいえば有機栽培の一種かもしれませんね。
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その2 フランス小噺から
田舎の道を2頭立ての駅馬車が走ってました。
詰襟の黒服を着た年輩の神父さん。
向かい側には、華やかなドレスをまとったうつくしい娘さんと、
そのおつき風の年増の女性。
道が悪くやたら馬車が揺れたせいもあったのかもしれませんが、
馬車が大きく揺れたついでに、娘さんが、思わず大きな音で放屁してしまいます。
娘さんは、あ、と思ったのですがもう遅い。
何とか取り繕うと、手首を口に当て、息を吹き出し、ブーと音を立てます。
神父さんはそれを聞いて、おもむろに、音はそれで何とかなったとしても、
匂いはどうするんですか、と。
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ついでにその3 同じくフランス小噺から
これもまた駅馬車というシチュエーション。
乗っている乗客は先ほどと一緒。
ネタはもちろん放屁。
道半ばで、娘さんが大きな放屁をしてしまいます。
ここまでは一緒。
で、娘さんは言い訳がましく、私は月に一度だけ、我慢できないほど腹が張って、
つい、放屁してしまうんです、と。
あまりに必死に訴えるものですから、
馬車の中は、まあ仕方ないだろう、という雰囲気に包まれます。
所が言い終えるかいなや、二度もの放屁をしてしまいます。
神父さんは、静かな口調で、
確か月に一度、とおしゃってましたね。
娘は、どぎまぎしながら、
ええ、今のは来月の分です。
.
これは私の体験です。
もう50年ほど前のこと。
私の父と、弟であるおじさんと私の3人で、山梨に銃猟をしようとライトバンに乗って向かっていました。
我が家で飼っていたポールという名のポインターが後部の荷物置き場に、
私たちの銃と着替えなど詰めたリュックともに、乗っていました。
しばらく走ってゆくと、くさい屁のにおいが車内に漂ってきたのです。
しかし、誰も沈黙していました。
正に、言い出しっぺになるのを恐れていたのか、相当なにおいにもかかわらず話題にしなかったんですね。
同乗の仲間を傷つけたくなかったのだと思います。
その匂いも消えたころ、また匂ってきました。
今度もみな黙っていました。
5分ほどすると、また匂ってきたのです。
三度とも強烈なにおいです。
さすがに、我慢できず、運転していた叔父は運転席の窓ガラスのレバーをクルクル回して、外の空気を入れました。
そのころの車ですから自動ではありません。
さすがに三度目となって、父が、誰か屁をしったか、と口火を切りました。
運転をしていた叔父は、いいや、と否定。
私も否定。
父も、おれじゃなよ、と否定。
ということは、後ろに乗っていたポールかとなり、
私はポールの尻のにおいをかいだら、そこにはまだ先ほどの悪臭の残り香(というか?)が漂っていたのです。
当然ですが、ポールは何が問題だ、という顔をしていました。
そこで思ったのです。
放屁に関する羞恥心は、人間だけなんだと。
ま、どうでもいいことですが。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 09:52 | comments(0) | - | - | - |
びろうな話ですが

下品な話、卑猥な話など話す前に、ちょっと言い訳がましくいう言葉があります。
普段はあまり使いませんが、尾籠な話ですが、とか言うんですね。
音としては「びろう」です。
つまり、尾籠な話になりますが、などと断りつつ、品のない話題を口にするわけです。
これはもともと「おこ」という言葉が語源で、くだらない、品がない状態を言い、
歴史的かなづかいでは「をこ」とも書かれます。
で、この「お」「こ」のそれぞれを尾と籠(「こ」とも読みます)の漢字で表記し、
逆にそれを音読みし、びろう、と言うようになったようです。
正に、二転三転ですね。
.
で、言い訳がましいのですが、本日の話しは
大変尾籠な話です。
トイレでの大の処理の仕方です。
まずいくつかの疑問を整理してみました。
尻を拭くって人間だけでしょ。
一説によると、食べ物のせいで、粘りが出てきて、周りに残る。
で、拭く必要が出てきたとか。
基本は肉食が影響している、という説があります。
確かに、うさぎとかヤギの大便はコロコロしてますから、
あれなら拭く必要ななさそうでしょ。
.
で、人間はなんだかんだとやはり拭きますよね。
どんな拭き方か、というと、国、地域によって多少異なるようです。
この時代になっても、紙じゃない、選択があるんですね。
そのうち最もポピュラーなもの。
これは水です。
汲み置いたもので、左手を使って濡らし濡らし拭くのだそうです。
まあ、これの超現代版がウォシュレットでしょ。
まあ最近のウォシュレットも進化しましたね。
トイレの扉を開けて便器の前に立つだけで、上蓋が自動で空いたりしますよね。
温度、水量、それとビデなど分かれていて、一度ウォシュレットを使ったら、
これがないトイレは不安でしょ。
私は、若いころ、実は痔持ちだったんです。
で、年取ったら、いずれ手術するようだろうな、と覚悟していたんですが、
ウォシュレットを使うようになって、その気配が無くなりましたもんね。
すごいことでしょ。
で、水以外では、わら縄とか、葉っぱ、木のへラなどがあるそうです。
ま、少なくとも、日本の公衆便所に、縄がぶら下がっている、なんて光景はないですけどね。
昔も紙を使わなかったわけではないようですが、
これとて、高貴なお方しか使えなかったとか、
江戸のころは、浅草紙といって、廃品回収した紙類を再生したものを使っていたそうです。
.
これは私たちの年代で終わった経験だと思うのですが、
戦争直後、当然のようにトイレのしりふき紙なんかありませんでした。
で、普通の家庭では、新聞紙を2〜30センチ四角い状態に切って、
これが重ねておいてありましたね。
ですからトイレにしゃがみ込むと、まず何枚かの新聞紙の紙を手で柔らかくもむんです。
そして始末していましたね。
昔々の話です。
.
さて、現代ですが、ウィシュレットプラストイレットペーパーです。
で、我が家の巻紙は、なぜかダブル、ミシン目入り。
ダブルって、なんかの拍子に、本来のペアリングが1周分ずれると、
切り口の長さが半端になるでしょ。
まあどうでもいいと言えばどうでもいいのですが、じっと座り込んで、見るともなしの目の前の景色を見ていて、
トイレの紙がそろっていないと、外側のものだけ1周回して長さを揃えます。
なんとなく、いいことした、って感じになるんですね。
なんか、俺ってきちんとした性格だと、そんなときは自画自賛です。
で、最近気づいたんですが、トイレの巻紙は、大体、ステンの半円のカバーがついているでしょ。
これに引っ掛けるように切り取る。
なんか、食品ラップを切るという感じですね。
ところがもともと薄っぺらな紙ですから、切り口が汚くなるんですね。
ミシン目がついてる意味がない、と。
で、その気づいたことというのは、ある程度引っ張り出した後に、
もう一つの手で、空手の如く、えいや、と振り下ろすのです。
一度やってみてください。
そうすると、きれいに切り取れるんですね。
すいません、どうでもいいことをぐだぐだと。
.
で、今日トイレのなかで、そういえばこのロールはいったいいくらなんだ、と。
で、ネットで調べたら、まあ長さとか、シングル、ダブルなど仕様によってばらつくんですが、
おおむね一本80円から100円。
長さは、シングル150メートル。
そこで一回の使用量、1,5メートルとして、
25センチ1周半、つまり75センチでワンセット、これ2回分、
と言った前提での1,5メートルということです。

で、ウォシュレットでの下処理済をしたうえで、ということですが、
これだと、100回分でしょ。
ま、男一人暮らしの場合ですね。
きっと女性はその倍ぐらい使うでしょ。
ま、ともかく、わが家3人ぐらしですが、
一巻、3〜4日分でしょうか。
結構な消費ですね。
でも金に記換算すれば、1500メートルを1,5メートル使って、1巻100円とすれば、
1回の処理代1円です。

ま、大したことないんですね。
.
つまらないうんちくでした。

 

| 水嶋かずあき | あれこれ | 11:25 | comments(0) | - | - | - |
行政改革の基本

菅内閣が、いくつか目玉的に取り上げている政策の一つに
縦割り行政の打破、があります。
まあ、一種の行政改革なんでしょうね。
で、河野太郎大臣がこれを担当しています。
世間は、大臣の動きに注目しているようで、
そうは簡単にゆくまい、と高みの見物派から、
彼の独特の能力から、なんだかんだと成果を出すのではないか、という応援派まで、
様々なようです。
これは、まさに伏魔殿にお丸腰で乗り込むようなもので、
一歩間違えば、森の石松が都鳥一家に滅多打ちにあったように、
あっけない結果になるか、
前人未踏の偉業として、政治歴にその名を刻むか、大きな分かれ目となるかもしれません。
.
最近の政権は、官僚の生殺与奪権を握っているようにも見えるので、
政権としてのテーマである、ということが公表され、国民注視の中での動きには、
抵抗とか、隠蔽とか、非協力などをつぶさに明かしてしまえば、
その、彼ら官僚にとっての不都合な部分が露呈されるわけで、
それこそ、ネットの情報発信の在り方が、

大きな影響を与えるのではないか、と思うんですね。
ま、それにしてもこのご時世の中で、
安部政権当時のモリカケサクラなどが、公文書改ざんとか、明らかな偽証とか、文書廃棄とか、
何とも稚拙な手段で、既得権益を守ろうとし、その手先となった官僚連中の非人間的思考に、
国民はただただもうあきれ返ってしまったわけでしょ。
情報あふれかえっている時代ですよ。
ちょっとした市民の行動ですら、道端の監視カメラに映る時代です。
あおり運転の一部始終を車載カメラが記録する時代です。
密なる情報時代に、口を拭えば分からないと思い込んでいる政治家の頭が古すぎる。
だんだんと嘘がつけない時代になってきているんです。
だから、既得権益など言ってないで、

さっさと国民権益に切り替えるべきでしょ。
.
そんな行政改革の成果をきっと誰もが期待していると思うのです。
その期待にしっかりと応えることが、日本のためであり、ご自身のためであると思います。
そんな意味をこめて、河野太郎大臣の手腕を期待します。
.
行政改革というのは、そこに確保されている権益もさることながら、
権威という訳の分からないものが障害になっているんですね。
きっと一度この権威を手にしてしまうと、
実に爽快なんでしょうね。
.
ある上場企業で重役にまで上り詰め、定年で引退した方が、
私が関わるあるボランティア組織に入ってきました。
その組織の会長の友達ということもあり、皆温かく迎い入れたのです。
しかし、暫くすると、顔を出さなくなりました。
で、最近顔を見ないけど、と会長に聞くと、
会をやめた理由をこんな風に話してくれたのです。
あの大会社の重役さんですから、在職中はまさに飛ぶ鳥を落とす勢い。
タバコを咥えれば、脇からさっとライターが出てくる。
社用車で出かけると言えば、車に乗るときは部下が扉をあける。
咳払い一つで秘書が飛んでくる、といった環境だったんですね。
しかし、ボランティア組織というのは、皆平らな人間関係です。
新入りは新入りで、それなりの雑巾がけをしなきゃいけない。
で、この方、この間までのちやほやされていた癖が抜けないまま、
いきなり、並の人間として動かなければならなくなったわけです。
で、やめるときの言葉が、

誰も尊敬してくれないんだ、とぼやいたのだそうです。
.
職が持つ権限というのは、人を変えることがあります。
それを自分の人間性だと勘違いするんですね。
行政改革は、まずこの勘違いを正すところから始めなきゃいけない。
あなたは、ただの一メンバーです、と。
ですから、縦割り行政の打破は、プロジェクトによって進めるのが一番です。
つまり、既得権益をもっている人も、何十分かの一の存在にするということです。
.
厳密に言うとプロジェクトの造り方というのがあって、
メンバーの選択から、プロジェクト内の役割分担。
個々の存在意義の認定、組織の目的、予算の捻出と公明な資金の流れ、
会議の運営方法、さらに既得権の排除など、
極めて難しい運営をしなければならないのですが、
一番の問題は、プロジェクトのリーダーたる人材が少ないことですね。
ですから、行政改革の第一歩は、公明正大な組織運営を組織構成員の協調を引き出しつつ、
速やかに展開できる能力を持った人を育成するということです。
.
河野大臣の活動が成果多からんことを祈ります。

 

| 水嶋かずあき | あれこれ | 10:24 | comments(1) | - | - | - |
ネットの情報もいつか淘汰される

私は新聞を読む習慣がありません。
昔は、1紙は購読していたのですが、
ネットでの情報収集がだんだんと比率が高まると、
新聞を読まなくなってしまったんです。
まあ、性に合うとか、合わないとかの問題だと思っています。
ともかく、何回かそのたびに挑戦して新聞に購読を申し込むのですが、
一か月もすると、全く読むことなく、部屋の隅に積み上げられるだけなので、
さすがにかみさんからクレームが入り、読まないなら断ろう、と言い始めるのです。
でも、なんとなくぐずぐずしていると、繰り返し、口にするようになり、
結局、2か月もしないで断る羽目になるんですね。
そのうち、私に断りなしに断るようになって、
結局、もう10年近く新聞はとっていません。
ですから、マンションの玄関口に、古新聞の束が戸別に積まれていて、
しばらくすると、トイレットペーパーに変わっているという景色を見ますが、
あれを見るたびに、根気よく新聞を読んでいる人を尊敬してしまうんですね。
.
まあ世間の情報収集は、ネットで事足りる、と思っています。
私は、スマホでは、電話とスケジュール管理以外は使っていません。
したがって、机に置いてあるパソコンが唯一の便りの綱なんです。
最近買い替えたのですが、このパソコンは20インチクラスのモニターがあって、
この後ろに薄っぺらなリックサックでも背負うように
マシンの部分がついている一体型のものです。
で、なぜか、画面を開けると、検索のための小さな窓が下部にあって、
どんな作業をしていようと、ここに検索の言葉を入れると、
関連するものを開いてくれるんですね。
とても便利な機能です。
もちろんそれ以外にも、
正に新聞のページを開くように、元の検索用のアイコンが画面に、
yahoo、MSMトピックス、Microsoftedgeなどが並んでいます。
これは、新聞でいえば、朝日、毎日、読売の3紙が置いてるようなものです。
まあその時の気分で、このどれかを開けるのですが、
ときに、三つとも飛ばし読みすることがあります。
.
で、最近気になり始めたのですが、
基本的には、記事の数、一つが200ぐらいはあるんでしょうか、
これを閲覧するのですが、
タイトルによってはいちいち開けないでしょ。
で、気になるものを開ける。
3社を比較すれば、ある意味似たり寄ったりなんですが、
微妙に偏りがあるんですね。
まあ天下の情報公器を自認する三大新聞ですが、
これとて、色合いが異なるでしょ。
これと同じでしょうか。
一般新聞的な雰囲気もあれば、
スポーツ新聞的な内容のものもあります。
まあいずれにしても、見出しがあって、写真が付いていて、記事内容がある。
大体は、登録した日付が片隅に書いてあるんですが、
ついつい見出しの言葉に誘われて、開けてみたら3年前の出来事、なんてことがあります。
まあ、3年前はこんなことがあったんだ、という参考にはなりますが、
基本的にはそんなことも求めていないので、
そのあたりはよくよく注意していますが、それでも引っかかってしまう。
.
なんか三文新聞記事的な内容の場合、読んでみて、なんだこれは、となるのですが、
新聞と違って、読んだ人の批評が大体載っているので、
その見出しと記事の格差は、いつでもきちんと評価していますね。
何が根拠で、検索に乗ってくるのか、分かりませんが、
そもそもこのサイトの運営者が編集しているに決まっているわけですから、
もう少し、しっかりした基準をもって、厳選しないと、
くそみそ一緒の編集じゃあ、いつかぼろが出てくるんじゃないか、と心配なんですね。
極端な話、載せた記事の評点として、読み手はそれなりに評価しているわけですから、
ざっとした評判は把握できるはずです。
その結果を編集に反映させれば、三文記事は少なくなると思うのですが。
.
ともかく、ネットの良さは実はここにあって、正直な反応がある。
もっとも偏ってはいますが。
特に、韓国系のニュースでは、嫌韓論者が跋扈していて、
寄ってたかって悪口が羅列してあります。
ちょっと行きすぎか、とも思うのですが、一人の思いとしてはそれもありかと思うのですが、
これが10も20も連なっていると、いささか狂気じみた感じになります。
これも受けて次第なんでしょうか。
.

河野太郎さんの記事が最近多くなって、ま、それだけ注目されているのだと思いますが、
比較的好感をもって受け入れられているようですね。
極端なコメントは、次は河野さんで決まりだ、ぐらいのことが書き込まれていて、
私としては、とてもうれしい現象です。
.
以前、二度目の大臣、外務大臣に就任した時、
霞が関の外務省の一室で、クラブ番組としてインタビューをしたことがあったんですが、
このときの話で、外務大臣という役職について聞いたところ、
そもそも外務大臣にはなりたかった、とその胸の内を開けてくれたんですね。
で、さらに、総理大臣を目指している、とだれはばかることなく言っていたのが印象的でした。
まあ、その意味では、そこに向かって突き進んでいる、という印象を受けました。
ネットの時代にネットをうまく活用しているということも重要ですね。

 

| 水嶋かずあき | あれこれ | 13:26 | comments(0) | - | - | - |
ゾウリムシ

ペイズリー (paisley)と言われる模様というか、ある種のデザインがあります。
見ようによっては、ちょっとばかり奇妙な柄なんですが、
これはペイズリーという柄だ、ときかされて、そうなのか、と。
それだけのことで、奇妙と思いつつも私もペイズリー柄を受け入れてしまったんですね。
ネクタイにあしらわれているものも何本か持っています。
でも、あまり最近は見かけなくなりました。
きっと時代遅れなんでしょうか。
用途としては、衣類、壁紙、カーテン、家具のデザイン、ネクタイなど使われてきました。
これは、19世紀にイギリスのペイズリーという町でこの柄の織物が量産され、
その模様は生産地の名前を取ってペイズリーと呼ばれるようになったとか。
まあここまでくどくど解説しなくてもご存じの方はご存じですよね。
なぜ、このペイズリー柄から話が始まったのか、というと、
実はぞうりむしの拡大動画をみていたら、どう考えてもこれはペイズリーそのものじゃないか、と。
で、なぜゾウリムシの拡大動画を見ていたのか、というと、

これがメダカの餌に最適である、ということが分かったのです。
.
先日もこのブログで触れましたが、
毎日の日課的なことでいえば、ブログの打ち込み、食事の支度とその食材の買い出し、

そしてメダカの世話、なんです。
かつての社会的活動時間が少なくなったところに入り込んできたのが、メダカです。
.
何回か失敗を繰り返しました。
よくよく考えれば基本的な知識がないまま、水の中にメダカを入れて、
すいすいと泳いでる様を眺めて、満足していたのです。
でも、何かとお亡くなりになってしまう。
その理由もわからず、二代目、三代目と成魚を買ってきて、飼うのですが、
多少のパターンの違いと、期間の差はあるものの、結局全員お亡くなりになるんですね。
さすがに、これを何回か繰り返していると、多少の情報を求めるようになります。
まあ、こういう時はネットに限りますね。
何しろ教えたくて仕方ない人の集団がネットにはおいでになりますから。
そこでメダカで検索しているうち、
基本的な注意事項が理解できるようになりました。
とくに、これはよくない、というマイナスの条件は、

自慢じゃないですが、一通り経験しているんですから。
とはいえ、しっかりと整理できているわけではなかったので、
やはり先輩諸氏のアドバイスを取り入れてゆきますでしょ。
また全滅という悲哀を味わいたくないですから。
.
しかし、千差万別。
環境がそれぞれ違いますものね。
特に、こういうところでTOUTUBEあたりにアップされている動画の主人公は、
そこそこ広い庭があって、いくつもの水槽を平らに並べていて、
まさに、どっぷりとした感じでメダカに携わっている人が多いんですね。
そこへ行くと私なんかはベランダの軒先でアクリル水槽の小サイズをいくつか並べている程度です。
経験の違いよりも、まず規模が全然違う。
例えば、このまま増えてゆくと来年はどうなるのだろうか、
と先のことが心配位の規模なんですね。
飼育可の最大容量が見えているわけですから。
生まれて、きっと2か月もすると再生産年齢に達するんですね。
まだ子供じゃないのか、と思うサイズです。
もっとも、メダカですから、もともと小さいのですが、それにしても、まだいいとこ中学生ぐらいか、
という成熟度のメダカでも、卵を産むんです。
産んだら、そのうちの何割かは孵化するでしょ。
針子と言って、糸くずみたいな全長1ミリにも満たないような魚と思しき生物体が、
水の中で泳ぎ始めるのです。
これを無視はできないでしょ。
そこで、あまりに小さいので親と一緒だと食べられてしまうことがあるというので、
卵のうちから、孵化槽と位置付けている水槽に分けるのです。
そして、見るからにどこにいるのか分かるような体長3〜5ミリぐらいになると、
育成槽に分けます。
その先は大人の泳ぐ水槽に移り、産卵槽というところで、すいすいと泳ぎ、
人の見ていないところで、いつの間にか卵を産む、ということになるのです。
すると、水草の根に着いた卵を分離し、孵化槽に入れる、というローテーションをしているんですね。
なんとなくそうしたほうがいいのかな、という体験的育成方法です。
.
で、それなりの世話をしていると、少しづつ増えてきます。
何しろ、感覚的ですが、100匹いるとすると、メスが半分。
最低でも大人のメスは二日に1個の卵は産むと思うんです。
と、大人の水槽では、1週間で100〜200の卵が産み付けられ、
それが半分孵化したとしても、
年がら年中針子が孵化槽で泳いでいるということになります。
つまり、驚くほど繁殖力が強いのですね。
こうなると、飼育というよりブリーダー的な感覚になってくるんですね。
.
そこでよりしっかりした飼育法を学ぼうとネットを探るわけです。
そしたら、メダカの稚魚用にゾウリムシを与えると丈夫な子が育つ、ということが、
いくつかの動画で共通して言われいたんですね。
だったらゾウリムシか、という事になったのですが、
そんじょそこいらでは売ってない。
で、ここもネットですね。
調べてみると瓶に入れたものを送ってくれるというんです。
早速申し込みました。
そもそもが全長、1ミリ程度の微小な原始的な生物です。
顕微鏡などで覗いた映像を見る限り、まさにペイズリーそのものですね。
とはいえこれが生育に絶大な効果がある、と聞けば、興味を持つでしょ。
今日、明日には届くはずです。
これを、米のとぎ汁を混ぜた水に放すと、あっという間に大繁殖するのだそうです。
まあ一週間ぐらいはかかるでしょうか。
これを種に次々と繁殖させてゆけばいいのですから、
メダカとゾウリムシの二刀流の繁殖を手掛けることになるわけです。
でも、本当に来年の春先には、増えたメダカをどうすればいいのでしょうかね。
.
そんな目前の問題も解決できていないのに、

来年は多少希少なメダカを手掛けてみようか、と考えています。
今のメダカはMIXなので、ただ増やしているだけなんですね。
少しはレベルアップを図ろうか、と。

 

| 水嶋かずあき | あれこれ | 10:05 | comments(0) | - | - | - |
マスクの効用

振り返れば3月、4月とほぼ毎日コロナ関係のコメントを書き続けてきましたが、
ここにきて、世間様同様、なんとなくコロナ離れしてきました。
まあ、ネタが尽きたというか、新鮮味を感じないというか、
マンネリっぽくなってきたということは事実ですが、
冷静に見てみれば、まだまだ渦中にあるわけですね。
.
世界では、驚くような惨状です。
ご存じとは思いますが、改めて現状を見てみると、
新型コロナウィルスによる死者数は95万人を突破しました。
感染者総数3000万人。
単純に死亡率3%です。
死者に関しては、残念な予想ですが、100万人は突破するんでしょうね。
死者数のランキングは、
米国19万9千人、 次いでブラジル13万6千人、3位が、インド8万6千人、メキシコ7万3千人、英国4万2千人。
と続きます。
日本は1500人ですから、アメリカメキシコ当たりの100分の1。
逆に見れば、かの国は、日本の100倍ということでしょ。
何が違ったんでしょうね。
これは政治的な対応策とか、国民性、公衆衛生概念とかを超えた、

なんか肉体的な要因があるような気がするんですね。

DNA的要因です。
たとえが悪いのは百も承知ですが、お許しください。

.
一つの水槽で飼っているメダカですら、丈夫で長生きもいますが、
何が原因か、お亡くなりになるものもいます。
まったく同じ水槽の中でですよ。
これはもう、個体がそもそも抱え込んでいる体質としか言いようがないでしょ。
その意味で、コロナでお亡くなりになってしまった方々は、
潜在的病因もあるとは思いますが、ウイルスに対応する力が弱かったんじゃないでしょうか。

これは人種的な意味を含めた肉体的要因ということです。
ま、それにしても100倍というのは、もちろんそれだけではないですね。
.
日本ではインフルエンザへの対応のための体制がかなりきちんとできています。
まずは、全国に5000カ所の拠点治療施設(病院・医院)があって、
インフルエンザではないか、と受診した人で、明らかにインフルエンザと認められると、
しかるべきルートを通じて報告され、
最終的に厚労省のある部署にこの情報が集約されることになっています。
つまり、365日、インフルエンザの発生状況を、即日把握できるようになっているのです。
で、状況に応じて、その対応をとるということですね。
ま、冬場になるとそのための情報が発信されて、注意喚起がなされるようになっているのです。
で、夏場はそもそも罹患者がすくないのですが、それにしても現況では皆無に近いそうです。
で、これは、コロナ対策として、人と人の接触密度に気を付けているのと、
マスク着用が大前提になっていることで、どうもインフルエンザも抑えられているのではないか、
ということなんですね。
まあ、コロナ取るかインフルエンザ取るかみたいな二者択一だとしても、
どっちもどっちでしょ。
ちなみに、コロナの死者数は、1500人(9月中旬現在)。
インフルエンザの死者数、2018年3323人、2019年3412人、ということですから、
コロナの倍になります。
まあ、しかし、感染者という母数が違うので、インフルエンザの場合致死率0,06%だそうですから、
コロナの致死率1,9%は、インフルエンザから見ると恐ろしいということになりますね。
まあしかし、検査体制も不十分ですからこの致死率は多少ぼけているかもしれません。
でも、単純に、死者数で比較するなら、インフルエンザのほうが怖いでしょ。
でもそのインフルエンザの感染者数が少ないということは、これは画期的なことですね。
私はなによりマスクのおかげではないかと思っています。
.
マスクも、コロナの初期の奪い合い、またアベノマスクの全戸配布、

さらには、様々な供給ルートが確保され始めるとともに、
手作りマスクの登場、またファッショナブルなマスクが使われるようになるなど、
実に激しい変化がありました。
中には、マスクをつけるつけないでのトラブルなどもありましたが、
他の感染症にも影響するなど、まさにかなり利点も多かったと思うのです。
手作りマスクなんですが、初期のころ、ノリやらホッチキスで自作しましたが、
まだまだ、白いマスクが大半。
そのうち、少しづつファッショナブルになってきて、
ちょっとした柄物では驚かなくなりました。
きっとそのうち、コマーシャル入りのマスクが出てくると思います。
白いマスクの下の方に、TOYOTAとかSONYとか印刷したものです。
きちんと計算すれば、広告収入としての採算性はあるはずです。
.
今回のコロナ騒動でのマスクの効用の一つは、
美人が増えた、(正確には美人に見える女性が増えた)ということです。
生前、父がある歯科医に通っている頃のことです。
担当してくれている歯科助士さんが、
とてつもなく美人だ、と帰ってくるたび言うんですね。
そのうちその美人歯科助士さんに会うのが楽しみで、出かけるようになってきたのです。
で、ある時、意を決してその方に、一度マスクを取って顔を見せてくれと頼んだそうです。
そして帰って、そのことについて、
マスクを取ったらさ、並みの顔立ちだったんだよな、と言ってました。
まあ夢が壊れたようですが、
以来、私もマスクに隠されているからといって、過剰な期待をしないように気を付けています。
それでもまあ、町中マスク美人にあふれていますね。
男の性なんでしょうか、

このマスクに隠された部分を想像する楽しさをゆるしていただきたいと思っています。
.
先日出がけに、ちょっとばかり無精ひげが伸び始めていることに気が付きました。
ところが出かける時間が迫っていて、ひげを剃っている間がない。
ふと思ったんですね。
ひげが伸びていてもマスクで隠れてしまう、と。
で、マスクもいいもんだな、と思ったんです。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 11:45 | comments(0) | - | - | - |
お役所仕事

お役所仕事、という言葉がありますが、
だいたいは、あまりよくない意味で使われているようです。
その一つ、結果が出てくるのが遅い、という、はたから見てだらだらした処置。
まあ、きっとそれなりに努力しているんだと思うのですが、結果としては、
どうも機敏に動いているとは思えない。
やろうと思えば、1時間後には答えが出るはずが、あえてて、明後日、とか言われてしまう、
と言った感じがあるでしょう。
.
以前、弦斎公園で、弦斎まつりを開催した時、併せて公園の前の道に
道路愛称をつけようということになったのです。
で、現在の弦斎通りと言う名称に決まり、
それを表す道標を立てることになったんですね。
これは、以前このブログでも書きましたが、御影石のそれは立派なものを立てました。
で、この工事は、それまでのアスファルト舗装の一部を60センチ角で切りとり、
そこに基礎工事を施し、その上に道標を立てるというやり方だったのですが、
この道標を寄付してくれた猪俣君から電話がかかり、
「あのまま工事が進むときっとまたアスファルトで埋め戻すだろう」と。
確かにそうなると、見ようによっては電柱のような無様なことになる。
そこで、「60センチ角に切ったふちに御影のピンコロ石を並べ、
せめて、竜のひげ(と言う派の細い草)でも植えたらどうだろうか」と言う提案があったんですね。
実にもっともな話です。
費用は持つから、と言うんですね。
そこで、この提案を道路の担当に話をしたんです。
ま、簡単な話、どう見ても間違いなく望ましい提案のはずです。
にも関わらず了解の返事が来るのに、3日もかかりました。
だって、工事はどんどん進むし、もう気が気じゃなかったんです。
誰が考えても、YES以外の答えがないようなものでも、
窓口から係長へ、係長から課長へ、順に上程される。

それぞれ半日がかりです。
で、課長はいいんじゃない、となると、係長に伝える、
係長はそのことを窓口に伝える、これまたそれぞれ半日はかりです。

まあ、のんきな伝言ゲームに3日かかったんですね。
その時のいい訳が、もともとアスファルトを掘削すると、元に戻すというのが、決まりだったもので、
と言ってました。

この、のろのろ対応に前例主義が関わってくると、とても厄介なんです。

.

そういえば、松戸市役所で、すぐやる課と言うのを創設した時は話題になりましたものね。
民間のどんな会社だって、いつでもどこでもすぐやるでしょ。
にも関わらず、お役所では、普通のことでも話題になる、と言ういのがお役所仕事なんですね。
.
で、お役所仕事のもう一つの典型が、その前例主義による決済です。
前はこの案件はどう処理したか、と言う前例に沿って、物事を決めるというわけです。
ま、確かに、以前と同様の案件だったら、前はYESだったら、今度はNOとは言いにくい。
そこで、以前どんな判断をしたかが基準になるんですね。
前例とは、以前、優秀な人間がある判断をし、これ以上の判断はない、と言う事例のことです。
でも、いいかえれば、10年前の判断が今も継承されているとすれば、

10年間何の進歩もなかったということでしょ。
10年間、その判断をした人間の能力を超えた人が輩出されなかったということになりませんか。
.
この前例主義を何とか変えてゆかないと、行政体は、効率的な運営ができなくなる、と考え、
ある時、市の総務部長さんに面会を申し出、
前例主義を乗り越えるための考え方をトレーニングしたらどうか、と提案したことがありました。
実は、私は、この類のトレーニングプログラムを策定をしたことがあって、
これを行政体職員のプログラムに改編してみたのです。
このセミナーのタイトルは、
「未来を作る前例づくり」と言う妙なタイトルです。
直面する問題の状況分析をし、その解決法を、ロジカルに、時に情緒的にアイデアを出して、
具体的な問題解決策を策定する、と言うものです。
おそらく数時間かけて進めるセミナーですので、口で説明するのは難しいのですが、
いまの悪しき前例を打破するために、問題解決策を探し出そうというわけで、
時にこの答えが前例になる可能性はあるわけです。
そこで新たなる前例づくり、と称してセミナーをしたらどうか、と、
およそ2時間ぐらい熱心に説明しました。
この間、ずうっとにこにこ顔で、話しを聞いていて、話しが終わってから、
10日たっても一か月たっても、何の話もなかったんですね。
無視されてしまったんです。
ま、冷静に考えれば、そういうものを受け付けない、というのも前例なんですね。
今まで積み上げてやってきたやり方に、口出しをしてほしくないのです。
.
私が危惧していることは、前例主義を大前提に事業を組み立てている限り、
職員の創造性は伸びませんし、アイデアとかが活かされない。
正に旧態然とした組織運営の中で、そんなもんだ、で満足する行政体になってしまう。
財源の自主的活用部分がどんどん減ってきているのですから、
つまりお金がないのですから、この状態で市民生活を充実させようと言うのは、
正にアイデアをいかに活用するしかなんですね。
その源泉を封じ込めてしまうのが、前例主義なんです。
.
河野太郎さんが、行政改革担当大臣ですって。
ちょっと残念なポストではないか、と思うのと併せて、
最も得意とする分野なんですから、思う存分、前例主義の打破をしていただきたいと期待しますね。
国が動けば、地方も動くかもしれないでしょ。

 

| 水嶋かずあき | あれこれ | 14:01 | comments(0) | - | - | - |
正々堂々と顔を出しなさい

私は、SCNで番組制作のボランティアをしています。
SCNクラブと言って、およそ10人ほどで、構成し、
月ごとに、会員の提案で番組内容を決め、提案をした担当者が、
シナリオを作り、撮影対象者と交渉をし、撮影をする、と言うものです。
この時チームを作るのですが、まさにその時次第。
顔ぶれもこれと言って一定しているわけでもないので、
まさにプロジェクト的な体制をとっているのです。
私は、仕事を持っている人から比べたら、結構暇なので、
とかく番組制作に多くかかわっています。
今年も3月の「本を読もう」から始まって、
4月、6月、7月、8月と関わってきました。
この後、11月、12月、と予定していますから、
年間7回の担当と言うことになります。
皆さん、何かと多忙なようなので、
ついつい、ではここは私が、と言った感じで、結果としてはしゃしゃり出て、
番組を制作しているわけです。
.
したがって、市民の中に入り込んで撮影することも度々で、
この時問題になるのが、顔出し許可です。
例えば、3月作品の本を読もうでは、横内小学校の読み聞かせの現場撮影がありました。
また、盲学校での読み聞かせもあり、撮影対象者に、いわゆる一般市民が登場するわけです。
となると、撮影し、編集し、いざ本番で放映した時、
いわゆる肖像権的なクレームが入ると、その対応やら、
時にその作品自体が没になってしまうので、番組編成上大きな穴が開いてしまいす。
そこで、このようなことが無いよう事前に了解を取るようにしているのですが、
善意のテーマで、善意の出演にもかかわらず、こんなにも神経を使わなくてはいけないのか、
と、この肖像権とか、プライバシーとかの問題について疑問に思うことがあります。
.

「本を読もう」では事前に学校から通達し、

読み聞かせのシーンの撮影では、事前に学校側から顔出し可能な人のみ集まってください、
と言った情報を各家庭に流したようです。
基本的には、子供自身はこのことをなんとも思っていないんですね。

むしろ積極的にカメラに映りたがる。
そもそもが学校生活の一部の撮影なんですから、
隠すことも恥じらうこともないわけでしょ。
子供があっけらかんとしているのに、

親がもじもじするのは、いかがなものか、と思っているんです。
少々この辺が神経過敏になっていると感じるのです。
これは、学校もそうですが、親もです。
.
一方、盲学校では、それなりに気を使いました。
本を読む方はともかく、聞く方はそれなりの障害があるわけですから、
顔出しに抵抗があるのは当然です。
ですから、親と本人にくどいくらい念を押して確認をしたのです。
もっとも、このことは想定していたので、盲学校のすべての本読みのシーンは、
読み手の顔は出しましたが、聞き手の盲学校の生徒さんは後ろ姿にしました。
.

まあこのように事情にもよりますが、

そもそも顔出しに関してはマスコミは一般的に神経過敏ですね。
それは、報道の一部のシーンに登場する一般市民に対して、

何かというとぼかしとか、モザイクをつけて、よく分からないようにしているということです。
先日驚いたのは、牛泥棒の防犯カメラの映像です。
二人の男が、子牛の足を持って、盗み出している現場映像です。
確かに暗闇ですから、判然としないこともあるでしょうけど、
このシーンで、二人の男にぼかしが入っているんですね。
当然誰だか分からない。
盗難の現場映像です。
どうして顔が分かってはいけないのでしょうか。
盗人にも三分の理、と言うことなんでしょうか。
もし、不鮮明ながら顔が映っていたら、これを見た人からの有益な情報が入るかもしれないでしょ。
極端な話、この顔にピンときたら110番、とかのポスターがありますが、
これこそ、ネットの力を活用して、広く情報を集め、
悪者を懲らしめるべきでしょ。
子牛を盗まれた農家の方の落胆はものすごいものがありました。
何とかしてあげるべきでしょ。
マスコミは正義の味方だったんじゃないか、と。
牛泥棒のニュースの配信とともに、犯人の検挙、早めの対応で、農家の救済など、
やるべきことはあるはずです。
.
先日のマスクしないで飛行機から降ろされた男へのインタビューがありました。
きっと男は顔出しをしないならインタビューの応ずるとか言ったんでしょうね。
いわゆる肖像権を盾にとっての対応です。
私に言わせれば、そんな陰に隠れてこそこそ物言いするなら、むしろ黙ってろ、と。
正々堂々と顔を見せて、正々堂々と言うべきことがあるなら言えばいいじゃないか、と思うんですね。
いわゆる、昨今の風潮とでも言いますか、
顔が分からないからいい、と言うのは、
生き方として姑息すぎる。

.
SNSでしばしば問題なるのもこのことです。
私は私、と堂々と胸を張って生きることが大事じゃないでしょうか。

匿名性によって、自分の存在をアピールするのは、姑息と言えば姑息でしょ。

 

| 水嶋かずあき | あれこれ | 10:30 | comments(0) | - | - | - |
人種差別撤廃への主張が問題なのか

オリンピックが一年延期になって、
なんか急に熱が冷めてしまったような雰囲気ですね。
少なくとも一年後には開催予定でしょ。
つまり、去年の9月ごろに、来年はオリンピックだ、と言うある種の期待ワクワクムードがありましたが、
じゃあ、現在、これに近いものがあるのか、と言えば、ほとんどないでしょ。
再延期はないにしても、中止はありうる、と。
漠然とみんな感じているのだと思うのです。
.
春夏の甲子園が中止になり、これを目指して頑張ってきた球児たちの落胆は、
それはかわいそうなくらいのものがありましたね。
皆わが身だったら、とその不運を感じ取ったと思うのです。
で、代替え的に、地方だったり、甲子園だったりで、不満解消の大会が開催されたようです。
ま、これとは違うでしょうが、
オリンピックに出場内定していたアスリートは、
その対応に苦しんだでしょうね。
何しろ、一年間そのモチベーションを維持するって、結構大変なことです。
しかも、運動能力は下がってしまう可能性だってあるわけでしょ。
年齢的に、高めの選手は特にそうでしょうね。
年々、体力が低下するのは実感しているはずですし、

トレーニングではカバーしきれない肉体上の問題だってあるはずですから、
場合によっては、来年のオリンピックは、その人にとって幻となってしまうかもしれません。
.
さて、そのオリンピックですが、ここにきて政治的活動の排除を厳しくするような空気があるようですね。
いちおう、オリンピックの憲章として、
「 オリンピック・エリアにおいては、いかなる種類のデモンストレーションも、
いかなる種類の政治的、宗教的もしくは人種的な宣伝活動は認められない。
オリンピック施設の1部であると考えられるスタジアム、
およびその他の競技エリア内、およびその上空ではいかなるかたちの広告も許可されない。
スタジアム内あるいはその他の競技グラウンド内では、

商業目的の装置や広告用の看板などの設置は許可されない。」
と商業主義の排除、政治活動の排除を詠っています。
むむむ、本体は商業主義の権化なんですけどね。
まあ、それはともかく、政治的、宗教的、人種的な宣伝って、何が基準なんでしょうね。
.
例えば、全米オープンで優勝した大坂なおみ選手が、
7試合すべてに黒いマスクに、

黒人差別的行動で死に至った人の名前を書き込んだものを付けていました。
正直見事な活動だったと思います。
こういうのって、影響力のある人のある行動が、大きな変化のきっかけを与えることがあるものです。
しかも、時に、反対勢力から威圧を受ける。
SNSなんて手段で、反対のキャンペーンを打つとか、様々な抵抗があるはずです。
しかし彼女は敢然と実行しました。
まずは、第一試合でマスクをつけて登場。
みな、注目しましたよね。
さらに次の試合でも、次の試合でもさらに、準決勝、決勝と七つの試合で、

異なる名前のマスクをつけて登場しました。
彼女自身の素晴らしい試合内容もさることながら、このマスクによる人種差別への抗議は、
かなり有効な手段だったのではないでしょうか。
これが、もしオリンピック並みの規約に縛られていたら、第二試合以後は、マスクを禁じられていたはずです。
何より、優勝後のインタビューでの対応が、実に見事でしたね。
インタビュアーが、黒地に白い文字で犠牲者の名前を書いたマスクをつけた意図を尋ねました。
「あのメッセージの意図は何か」と。
すると大阪選手は実に冷静な表情で、「あなたはどんなメッセージを受け取りましたか?」
と逆に返したのです。
その先は、編集でカットされていたので、インタビュアーがどんな反応をしたのかは分かりませんが、
私だったら、言葉に詰まってしまったと思うんですね。
そうなんです、彼女はメッセージとしてなにを感じ取ったか、のために付けたマスクなんですね。
人種差別に対する抗議であることは、100%分かっていることです。
それがいいか悪いか、この場にふさわしいかどうか、なんてことは超えているのです。
.
つまりです、人間としての在り方の類のテーマに関しても、
政治的、宗教的、人種差別的と判断して、アスリートとしてのアピールではなく、
一人の人間としてのアピールまで制限しようとするなら、

オリンピックはただのスポーツマン大会に終わってしまうでしょ。
アスリートとしての様々な努力の上に、人としての何かを感じろ取ることはあるべきでしょ。
それを何らかの表現をすることは、あって当然でしょ。
ただ偏った主張、誹謗中傷、ヘイト、不偏性のかける内容は制限すべきです。
世界は戦争をやめよ、とか言う主張はあってしかるべきですよね。
馬鹿なやつが管理をすると、グレーゾーンの判断ができないから、
何でもかんでも禁止するんです。
それは相手へのけん制でもなんでもなく、

自分の判断力の未熟さを露呈しているのに過ぎないんですね。
.
オリンピックの健全な発展は、人類がこの星で、生きてゆくことを成功させたという証です。
異星からUFOに乗ってやってきたエイリアンの連中が、

オリンピックの会場の上空からその様子を見た時に、
この星はこのままにしておこう、とか言い出すはずです。
体力、運動能力の向上は、意識とか、情念の向上とともにあるべきです。
体と心、体と頭脳を分けて考えることがすでに時代遅れなんですね。
.
末尾になりましたが、一言。
大坂なおみ選手、全米オープン優勝おめでとう。

 

| 水嶋かずあき | あれこれ | 13:07 | comments(0) | - | - | - |
公然わいせつ罪

様々な法律の中で、とかくその解釈において、有罪無罪の意見が分かれるものがありますが、
公然わいせつ罪もその一つだと思うのです。
.
判例の中で、よく使われるのが、劣情を催すとか、羞恥心を起こすとか、の言葉を記憶していますが、
それは人それぞれでしょ。
.
以前、青年会議所の研修船で、こんなことがありました。
その時の講師として永六輔さんが乗船していたのです。
で、研修船は、全国から集まった青年たち400〜500人が乗っていて、
10日前後、外洋を航海し、その期間、船中で様々な研修を行う、と言うものです。
わたしも講師として呼ばれて乗船していました。
.
研修船と言うのは全国から集まった初めて会う男女が乗り合わせるのですが、
事故があっては命にかかわるので、それなりの厳しいルールがあって、
一般の参加者には、時にそのルールがストレスになります。
ほぼ決まって、二日目か三日目あたりに、このストレスが参加者内に蔓延し、
時に不穏な空気になることがあるのですね。
何しろ、閉じ込められた空間ですから、

人間関係を作り出すのが不得手な人にとって見れば、

体調を崩さんばかりの肉体的な影響もあるのです
で、その時も、3日目あたりに、運営側に感じられるほど、空気が悪化してきたのです。
青年会議所のメンバーはどうしたらいいか、と永さんに相談したんですね。
すると永さんは、わかった、任せなさい、と、その日の夕食後の自由時間を使って、
後部甲板に、みんな集合するようと指示、それを船内放送で伝えたのです。
時間になると三々五々参加者が集まってきました。
永さんは例によって気さくな語り口でマイクを通して、皆に話し始めます。
と、突然と、北海道から来た人、と問いかけます。
何人かが手を挙げました。
じゃあその人、と指さし、そうあなたを代表にしましょう、と近くにいた男のメンバーに声をかけます。
北海道では、女性器のことをなんと言いますか、とびっくりするような質問をしたのです。
ちょっと答えにくいでしょ。
男の人が口ごもっていると、
大丈夫、あなた以外の人は、その言葉については何とも思っていないのですから、と。
確かにそうですね。

私のかみさんは九州の佐世保出身。
あっちではボボと言うのだそうです。
ですから、ある時期プロレスで、ボボ・ブラジルが試合に出てきて、
乱戦となる。
アナウンサーは絶叫しながら、ボボ、劣勢です、とか中継するわけです。
そのうち凶器か何かで額を割られる。
鮮血が顔に流れる。
するとアナウンサーはさらに興奮して、「ボボ、血だらけ」と。
するとテレビを見ていた親父さんは、娘(うちのかみさん)にむかって、

テレビ消せ、とぶっきらぼうに言ったとか。
まあそんなもんでしょ。
逆に彼女は、関東のお×××、と言う言葉に羞恥心がない。
たまに日常の中でその言葉が出ることがあるんですが、
私は恥ずかしく聞きますが、かみさんは何てことなく口にするんですね。
.
で、その北海道の男は、促されて、小さな言葉で、女性器の方言を口にしたのです。
すると、永さんは、500人の若者に向かって、じゃあみんなでその言葉を叫びましょう。
大丈夫、ここは太平世のど真ん中、誰も聞いちゃあいませんから、とか言って音頭を取ります。
せーので、500人は一斉に北海道の女性器の方言を叫びます。
では次は津軽海峡を渡って青森に行きましょう。
と言う具合に、順に南に向かい、九州沖縄まで、それぞれの方言をみんなで絶叫したのです。
当然長崎辺りではボボですね。

ま、結果としては、これを機に和やかな空気に変わりました。
.
この時、羞恥心と言うのは、その背景によって違うことがあるんだ、と言うことを改めて認識しました。
ある写真を見て、劣情を催すかどうかは、個人差が大きい。
芸術作品だとか言って、つくりあげたものが、多くの人に劣情を催させたら、
これは芸術とは呼ばれないんですね。
裁判官がこれは劣情を催す、と判断したら、

それは貴方がですか、それともほかの人が劣情を催すと考えたんですか、となるでしょ。
したがって、公然わいせつ罪と言うのは、しばしば、判断が割れるんですね。
.
でもまあ、歴然とその罪に問われるということはあります。
たとえば、よく、暗い路地で男が、もろ出しにして、女性に見せつける、と言うことをして、
公然わいせつ罪に問われる、と言うことがありますよね。
.
以前、友人たち20人ぐらいで近場の温泉に出向き、忘年会かなんかを開催したことがあったのです。
地元の芸者衆も何人か呼ばれていて、それなりに盛り上がっていたんですね。
すると酔った仲間が、まあそういう癖があるんでしょうが、浴衣を脱ぎ捨て、
素っ裸で、歩き回り、宴席に向いている人の背後から、

ひょろっとものを差し出して笑いを取る、なんてことをし始めたんですね。
で、ある年増の芸者さんのところにやってきて、同じようなことをしたら、
その人、一瞥すると、顔色一つ変えず、さっさとしまいなさい、と一言。
その冷静さに驚いたことがあります。
たしかに、暗めの路地でそんなことされたのとは違いますが、これとて個人差があるわけでしょ。
.
実はここまでが前置きなんです、長くてすみません。
いま、街中を歩くと、100%マスクでしょ。
近所の買い物だからと、うっかりマスクを忘れた時は、取りに帰りますもんね。
そのぐらい、「常識」になりつつあります。
極端な話、パンツ履かないで、ポロンと出して街中を歩いたら、これは大騒動でしょ。
即座に逮捕ですよね。
これは法律もそうですが、社会通念と言うものもあるわけで、
現状では、コロナ何とかしようと国民的協調ものと対応している最中ですから、
まだ法律には定められていませんけど、マスクなしは、相当に非難されてもしかたないでしょ。
.
飛行機にマスクをしないがために降ろされた人がいましたが、
まして、あの密閉した空間では、当然のことです。
何やらテレビカメラの前で、飛行機会社の対応を非難していましたが、
盗人猛々しいという印象ですね。
確かに法的な規制はないかもしれない。
でも人間社会の円滑な営みは、時に、法的な根拠など関係ない。
今大事なことは何か、と考え、法を超えてでも、やるべきことはやるべきでしょ。
マスクをしないのは、パンツを履かないで歩くのといっしょだ、

ぐらいの考えでも間違いじゃないでしょ。

 

| 水嶋かずあき | あれこれ | 09:26 | comments(0) | - | - | - |
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