水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
選挙制度の疑問

日本国における選挙制度は、脆弱なものでした。

これは民主主義の未熟さに起因します。

明治14年、はじめて、衆議院議員選挙法が公布され、選挙が実施されました。

その内容は、何回か改正されたもの、税金の納税高の制限があって、

すべての男子に選挙権が認められたわけではありませんでした。

で、大正8年、制度改正があり、男子の年齢25歳以上と言う年齢制限のもと、

すべての男子に選挙権が認められました。

女性に選挙権が与えられたのは、戦後です。

 

いい意味で、少しづつ進歩してきたのですが、

どこかから、進歩と言う変更ではなく、退歩に近い変更もありました。

何の不都合があったのか、
選挙制度は、たびたび手を加えられて、変更されてきました。
今回の参議院選挙区の6議席増と言うのもその一つです。

参議員と衆議院の定数の削減をしたのが、2000年です。
で、18年経ったら、今度は増やすというのですね。

でも、いかにも定見がないでしょ。

 

まあ、世の中は変動していますから、それに合わせるのは一向に構わないのですが、
18年前に減らそう、とした議員さんたちは現在も在籍しているわけで、
で、なぜ今度は増やすんですか、にどうこたえるんでしょうね。
そもそも、選挙制度で、これが正解と言うものはないと思うんです。
ですから、状況に応じ変更をする事は構わないと思うんですが、
それにしても大局、目指すところが見えない。


基本はいかに民意を反映するか、ですよね。
前回の総選挙の時は、総得票数は過半数を割ったのに、

獲得議席数は3分の2を超えた、という現象がありました。
このことについて、政権与党の中から全く問題にされなかったですね。
確かに、わが身を脅かすような発言はしないとは思うのですが、
常識的に考えて、このいびつな選挙結果を、余計なことは言うまい、と口を閉ざしていいのでしょうか。
だって明らかに、民主主義の根幹にかかわる大問題ではないですか。
誰か一人でも、この選挙結果は、民意を忠実に反映していない、と言うべきでしたね。

で、選挙制度と言うのは、過去のさまざまな制度が、時に試行錯誤の一つにすぎなかったとしても、
その瞬間すら、望ましい形態であった、と認識されたことはないでしょ。


そもそもが小選挙区制の弊害が、多くでているのに、
政権与党に有利になったいるため、議論の俎上にも上がっていないように感じるんです。
まず、この現行の小選挙区制について、問題を整理すべきです。

例えば、国会議員で、不都合な事態を引き起こしたりしても、
なぜか、地元では無かったことにして、再選出されることがあります。
明らかに不倫をしていたと思われる女性議員さんも、そこそこの得票で再選され、
本人はみそぎを受けたので、過去は水に流して、などと言っているでしょ。
贈収賄に近いような口利きをしたと問題になっても、秘書の一存で進めたことになり、
次の選挙では復活してくる。
在任中大臣の資質として、あまりにも能力不足じゃないか、と言われても、
地元にとってはヒーローなんですね。
常識的に考えて、どうしてあんな人が議員なんだ、と思っても、
それは地元にしてみれば、宝のような人材なんですね。
つまり、地元の人間関係が支えている議員が、大半だという事です。
これは、与党野党、保守革新に関わらずです。


そこで、思い切って、地元と言う領域を広げてしまったらどうなのでしょうか。
ま、せめて、中選挙区です。
今の小選挙区では、原則、地方に行けば、立候補者の数は少なく、
選挙民にしてみれば、選択肢が狭い。
党別に、5党分ぐらいの選択肢があってもいいでしょ。
基本的に、民主主義とは、選択肢の多さに裏付けられるのです。
ですから、せめて中選挙区でしょ。
そして複数選出です。


もし二人立候補し、51:49であっても、一人選出という事だと、
敗れた側の49%の有権者は見捨てられてしまうわけです。
アメリカの大統領選挙でも独特のシステムですから、これに近いことが起きています。
何より、獲得総票数ではクリントンが上回っても、トランプが大統領になったわけでしょ。
日本では、この選挙制度になじみがないので、
なんでなんだ、と思った方も多いと思いますが、制度云々の前に、
素朴に、これって民主主義の制度なのか、と思いますよね。
そういう意味で、多数の権利を尊重するとともに、
少数の権利を確保するという事もまた民主主義の根幹にある考えなんです。
ですから、単に過半数と言う考えだけで物事を推し進めずに、
いかにしたら、より多くの人の意見を反映できるか、と考えれば、
小選挙区制の一人の選出と言う制度は、再考すべきでしょ。


中選挙区制の意見としては、多くの人に、候補者の人となりを伝えにくくなる、なんてことを言いますが、
じゃあ、参議院の全県一区と言う制度は何なんだ。
知事選(ま、これは当たり前ですが)は、いわゆる全県一区でやってきているではないか。
領域が広くなることと、有権者がより緻密に立候補屋の政策を吟味するという事がしづらくなる、
という意見は、そもそもが国政選挙においてはなかなかの問題で、
現在のように、情報伝達手段が発達していても、この問題は解消しがたいのです。
実は、候補者の政策に投票する、と言う習慣が日本にはないんですね。


一票の格差だって、中選挙区制を取ればかなり差が縮まるはずです。

その昔、まだ学生だった頃、平塚は神奈川5区で、なんだかんだと5人ほどの立候補者がいました。
で、その時、私には選挙権こそありませんでしたが、

この中選挙区制をとやかく言う世論はなかったと思います。


参議院では、全国区と言うのがありました。
全国レベルの組織の代表などが出馬し、看護師さんの組織のトップとか、弁護士会のトップとか、
まあ、いわゆる良識の府としての人材が選ばれていたと思うんです。
あの時代にあっても、選択する側から、候補者の情報不足だ、なんて不満は聞いたことが無かったですね。
ですから、私は、選挙の原則は、全国区だ、と思っています。
いや、あくまで原則ですが。

世論が時に制度の改革改善を進めますが、この選挙制度ばっかりは、
政治家が自分たちの都合で改善改革をしてゆくように思うんですね。
その結果、民意とはますます離れてゆく、という事になっているんじゃないでしょうか。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 10:32 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
思いは風化する

毎年のことですが、8月15日をピークに、
太平洋戦争の戦没者を慰霊し、これに伴い、
なぜ開戦に至ったのか、とか、軍部のさまざまな動きやら、沖縄の惨劇やら、
敗戦に向かって坂道を転がるように戦況が悪化した経緯やら、
さまざまな角度で、その履歴をたどります。


この悔恨の思いは、15日を過ぎると急速にしぼみ、
一週間もたつと、恒例の行事が終わった、という感じになってしまいます。

これは、極端な話、1945年の終戦の日から、
年々、ゆっくりとその悔恨の思いは薄らいでゆき、
時に、戦争体験者の逝去とともに、語る人も減り、
聴く人の意識も脆弱になり、
日本全体で、昔話化しているような気がしてなりません。


現に、我が父も、今同居しているかみさんの義父も、
それぞれ国外の前線での戦争体験があるのですが
多くを語ろうとはしません。
きっと忌まわしい出来事の一つなんでしょうね。
そんなことがベースにあるわけですから、
忌まわしいこととして過去に葬ろうとする、事柄が戦争体験なのかもしれません。
しかし、それでは、310万人が犠牲となった貴重な戦争忌避の思いが薄らいでしまいます。

まして、時薬のように、時間の経過が忌まわしい思い出を柔らげるように、
歳月が、大事に維持すべきものまで、風化させてゆくわけです。


確かに、70年も過ぎれば、その風化度も進んでゆくのでしょうが、
怖いのは、その風化度に反比例して、好戦的な考えの人が台頭してくるという事です。
きっとドイツでも、第一次世界大戦の後、平和希求動きはあったと思いますが、
わずか20年後にはナチスが台頭し、やがて第二次世界大戦へと突入します。
人の中でも思いの風化と言うのは、まちがいなく進んでゆくのですね。

妙な置き換えですが、日本が太平洋戦争に敗れ、
昭和40年代に入ると、新たに戦争をしてもよいという考えの人が登場する、という事でもあるのです。
ドイツの場合ですが、わずか20年でそういう変化があるという事なんですね。
ま、その意味では、70年にわたって、先細りはするものの平和を求め続けてきたものの、
矢張り微妙に好戦的な動きが目立って来ました。


何より、現在の自衛隊の位置づけが不安定だ、と、
9条の改定を主眼とした憲法改定が議論されています。
きっと安倍三選が成ったら、憲法改定論は進んでゆくと思うのです。
目的は軍事国家化です。
何しろ、今の憲法では自衛隊の存在がはみ出していて、収まっていない、と。
ベスト体重でウエストも75造世辰燭箸靴泙靴腓Α
でもどうやらいくらか腹も出てきて、どうも80センチぐらいらしい。
そこで、ウエスト80センチのズボンに買い替えよう、という事です。
つまりウエスト75造従来の憲法。
でもこれでは収まらない、と言うのが改定後の新しいズボン。
この議論の方法だと、ウエストが太くなれば太くなるだけ、
ウエストの大きなズボンを買い替えるという事になります。
まあ、こんなもんだろう、と言う限界点は見えないままないです。
つまり、75造納まる範囲の体重のコントロールが必要と言うことではないですか。

 

さて、心の風化と言えば、
国会で、散々もめた集団的自衛権ですが、いざ決まってしまえば、これまた風化の道をたどります。
現に、北朝鮮の脅威を立てに、陸上イージスの導入を決めました。
当時は確かに、北は、核実験は繰り返す、ミサイルは打ち上げる、と、
狂気と言わんばかりの核化の道を邁進していましたから、
我が国土をどのように守るのか、みたいなことに関して、比較的関心がありました。
で、結構金がかかるらしいけど、何やらミサイル防衛システムを整備するらしい、と。
ぼんやりと受け入れたような気がするんです。
もちろん、その効力とか、現実性など、懐疑的な人は多くいましたが、
手をこまねいて見ているわけにはいかないだろ、と言ったところでした。
ところが、まあ、見た目だけですが、北の態度が変化を見せた。
となると、あんな高い買い物の意味はあるの?となるでしょ。

 

そもそも、当初予算は、一基1000億ぐらい、と。
で、よくよく聞いてみると、2基ないと日本全体をカバーできない、と。
で、いきなり×2の2000億円。
でさらによくよく聞いてみると、周辺機能の整備が必要だから、と、
さらに20%ぐらいは予算が必要とのこと。
で、これはいわばピストルの費用。
弾代は別。
ここで発射するミサイル一発40億円ですって。
で、これは最低20から30発は準備しなくちゃいけない。
と言うことで、なんだかんだとその運用の費用を合わせ、

ミサイル網の整備には、6000億円とか計算されているんですね。
話が違いすぎるでしょ。
オレオレサギの方がまだかわいい。
完全な詐欺じゃないですか。
1000億円からはじまり、さらに計算すれば6000億円ですって。
この高価な買い物は、誰に支払われるのか、と言えば、

そうですアメリカです。
トランプが、シンゾーはベストフレンドだ、というわけです。

 

思いの風化は、一人一人がそうなってはいけない、と言う心構えに関わっているのです。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 11:16 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
古木克明さんと野球

古木克明さん。
そう、知る人ぞ知る、と言う元プロ野球選手。


ざっとその履歴を紹介すると、
今、盛んにニュースに流れる高校野球の甲子園の戦いでは、
かつて、実に華々しい活躍をしました。
まず、豊田大谷高校2年時の第79回全国高等学校野球選手権大会では、
1回戦の長崎南山高校戦で2打席連続本塁打を打つなど、チームの主力打者として活躍しましたが、
2回戦の甲府工高戦で敗退。
翌年、3年生の80回の甲子園、では、ベスト4に進出。
高校通算52ホーマーと言うスラッガーだったのです。


この80回大会では、平塚から平塚学園が出場。
私も甲子園まで観戦に行きました。
いい思い出です。


で、その年のドラフト会議、なんといっても松坂大輔が各球団のねらい目。
その時の横浜ベイスターズは、松坂を指名。
くじ引きで外れてしまい、外れ1位として、古木選手を指名。
つまり、なんだかんだとドラフト1位指名の選手だったわけです。
で、ベイスターズ入団後、1999年、2000年と一軍での登用はありませんでしたが、
翌年から1軍昇格、打つときは打つのですが、粗削りなところは多く、
三振が多いのと、失策が多いのが玉に傷。
ちなみに2003年シーズンでは、
出場試合125試合とレギュラー定着なんですが、本塁打22本とまあまあ。
ところが打率が.208と低打率。
そして三振が、131と、やたら多い。
極端な話、一試合一回は三振することになります。
で、守備はと言うと、18失策。
これって、プロでは珍しい数字なんですね。

 

先日、古木さんと話をする機会があり、どうしてあんなに傑出したスラッガーなのに、
三振が多く、失策が多かったのか、と聞いたら、
ご本人いわく、グラブに球を収める寸前、微妙に焦点がずれてしまう、という事でした。
これは、打撃の時もよくあることで、ミートの寸前に、球がぶれて見えるんだそうです。
で、結論を言えば、現役時代は分からなかったのだそうですが、
重度のドライアイで、特に片側の目が、涙ゼロという異常な状態だったのです。
つまり、ドライアイのひどい状態では、眼球の動きがスムースにいいかないため、
焦点にぶれが出てしまうんですね。

この話に私は納得しました。


実は、重症筋無力症の症状の一つに、複視と言って、焦点が定まらず、物が二重に見えてしまうことがあるんです。
この症状が発症し、私は眼科に行ってたのですが、その時の診断がドライアイでした。

重症筋無力症の診断はその後のことです。
つまり、逆に、ドライアイは、焦点がヅレてしまうという症状が出るのです。
古木さんが、現役時代にこの目の弱点を知り、その治療を適切に行っていれば、
三振も、エラーも少なく、打率ももっといい数字になったいたはずだったんですね。
ま、時すでに遅し、という事でしょうか。
この目の欠陥が分かったのは、現役を引退した後のことだったようです。
まあ、返す返すも残念でしたね。

 

で、その後紆余曲折があり、オリックスに移り、結果、10年のプロ野球生活が終わり、
ユニフォームを脱ぐことになったのです。
とは言え、野球一筋にやってきたので、
なかなか野球から離れられない。
そこで、えいっと、野球を見限り、なんと格闘技の世界に入ります。
身長、体重もさることながら、肩幅の広さ、胸板の厚さなど、その上半身の見事さは今でも健在で、
なるほど、格闘家としての肉体的な資質はありそうだ、と感じます。
しかし、これも戦績1勝1敗で、格闘家としては引退します。
これは、目がいい、悪いではなく、競技をしながら、絶えず野球に置き換えて物事を考えている、
という事に気づき、やはり野球は捨てられない、と感じたんだそうです。


そこで、もう少し、楽しむ、と言う野球の普及は出来ないものか、と言う挑戦を始めます。


実は、そういう趣旨のイベントが、今朝、平塚のビーチパークで開催されました。
私は、ネコちゃんに運転してもらって、海に向かいました。
朝6時開会です。
で会場に着いてみると、30人ほどの人たちが集まっていました。
これと言ったインフォメーションもなく、もしかしたら数人か、と危惧していたのですが、この人の数を見て一安心。
ちびっこ達もちらほら。
女性もそこそこの数集まっていました。
このイベントで使う球は、ソフトボールの直径が小さくなったもので、
グローブなしでもキャッチ出来るようなキャッチボール用の球なんです。
で、キャッチボールから始まり、ノックやらがいろいろとあって、
最後は三角野球で仕上げ。
なにしろ15人対15人のゲームです。
外野8〜9人。
内野が4〜5人。
ともかく人だらけの守備陣形。
でも、下地が砂浜ですから、打球はイレギュラーで跳ね、フライも足がとられて、思うようには落下点まで到達できない。
まあ、要は珍プレーの続出なんですね。

まあ年中笑いが起きている、と言う和やかな試合でした。
打順と言ったって、その時次第。

突然俺が打つ、と言った感じでバッターボックスに立つわけです。
ちなみに、バッターボックスと言う四角のエリアは、ありません。
線が引いてあるわけでもなく、なんとなくホームベースの代わりにグローブが置いてあるんですから。
まあ、実に大雑把なルール。
何しろチェンジが5アウトという事ですから、100%遊びなんですね。
でも、砂浜の上を走って、転がって、球を追いかけているのを見てると、
野球というものも、甲子園のように、歯を食いしばって取り組んでいる人たちがいる半面、
それなりに楽しくやる、というのも、これまた野球なんだろうな、と思いました。

 

野球と言う競技をより楽しんでもらおうという試みは始まったばかりです。

古木さんにも、第二の人生を楽しんでもらいたい、と思いました。

 

| 水嶋かずあき | あれこれ | 16:47 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
首相の選択方法

マスコミが多少フィルターを通して情報をばらまきますので、
私達庶民は、ある程度の偏向を前提に、その情報を受け止めます。
とは言え、白、と言われているものを、確たる裏づけもないまま、黒、とは判じがたいものです。

 

そんな前提で政界の動きを見ていると、

私にとっては、どうも安倍政権の基本的な姿勢が理解しがたいんですね。
これは政策とか、状況の判断力とかではなく、政権を担うものの人間的な姿勢のことです。
結局あれだけ騒がれたモリもカケも最近は、誰も口にしなくなりました。
安倍政権に対して、疑念が晴れたわけでもないでしょ。
なんとなく今更、という感じで飽きたんでしょ。
人のうわさも七十五日とはよく言ったものです。
なんだかんだと、興味や思いは時間とともに薄れますから。
さらには、次々とマスコミを躍らせる出来事が登場しますから、
怪しげな政策も、疑惑も、
整理ダンスの奥にしまわれたら、もうそれで終わりなんですね。


そんなことは百も承知の猛者連ですから、
いずれ誰も何も言わなくなる、と踏んでいたんでしょうね。
正にもくろみ通りです。

 

正直な思いを言えば、あの尾畠さんの爪の垢でも煎じて飲ませたい政治家がゴロゴロしていますね。
風呂も断る、謝礼も断る、飯すら断るという姿勢、
清廉潔白を絵に描いたような人です。
人を助けることはしても助けられることは遠慮するという、
この謙虚な人生観には共鳴してしまいます。
インタビューで語った座右の銘、
かけた情けは水に流せ、受けた恩は石に刻め、ですって。
よく立派な言葉を言う人は多いですが、
その通りの生き様って人は稀有ですものね。


尾畠さんには、名誉欲とか、支配欲などかけらもないでしょうから、
あの状態の中で、今後もコツコツとボランティア活動をするのだと思いますが、
この精神のせめて十分の一、百分の一でも政治家の先生に理解してほしいものです。
そうしたら、国民はいくらか政治への信頼をも持ち直すかもしれません。

 

そういえば、もう一人爪の垢を煎じて飲ませたい人がいます。
世界の、男・山根です。
話は変わりますが、テレビで山根氏を取材している画面に彼の玄関先の様子が映っていました。
表札です。
普通、表札って、まあいいとこ氏名でしょ。
時に家族の名前が列記してあることもありますが、
履歴書じゃないんですから、単純にここに住んでいます程度のことで、苗字と名前がせいぜいじゃないですか。
ところが山根氏の玄関先には、日本ボクシング連盟会長、と役職名があって、

その横に氏名が書いてあったんです。
私は大笑いをしました。
何処かの自己顕示欲の強い方がいて、例えばさる会社の社長さんで、
表札に、何々会社・代表取締役、何の誰べえ、なんて書かないでしょ。
あの方、まあ、まさに自己顕示用の権化ですね。
矢張り、スプーン一杯でいいから、この人にも尾畠さんの爪の垢を煎じて飲ませたいです。

 

話は横道にそれました。
まあ、私たちが得られる情報では精度が低いと思いますが、
ぼちぼち、自民党の総裁選が始まっています。
で、制度としては、議院内閣制ですから、
基本的な最終決定は、国会議員にゆだねられているわけでしょ。
勘なんですが、自民党内で、石破氏を支援する人はある数いるわけですよね。
でも、自民党内の予選で勝てなければ、国会での首班指名に名前を出すことができない。
で、各野党も、それぞれ党内で予選をするわけですから、
決勝に出られるのは、各党一人という事でしょ。

 

さあ、ここで、国会議員の総意と言う事で、
党の枠を取り払って、立候補の意志あるものをべたに並べてみたらどうなんでしょうか。
自民党からは、数名が立候補し、他の野党でも複数名の立候補があるかもしれない。
なんだかんだと十名そこそこの人が首班指名の選挙に立つわけです。
もちろんこういう場合の原則として、第一回投票で過半数を超えればそれでよし。
票が割れたら、再度投票が行われます。
当然、上位二名に絞るられるはずです。
すると、今度は、改めて、他党の候補者をチェックしなければいけない。
このことが、国会内のコミュニケーションの活性化につながらないだろうか、と思うんです。

 

私達は、通常の組織では、皆仲がいいはずです。
多少、気にくわない、虫の好かない人も交じりますが、
原則、こちら側と向こう側で、喧嘩状態にはなりません。
国会を見ていると、主義主張の差があんなにあるものか、という事が普通に驚きですし、
絶えず角突き合っています。
あの切磋琢磨ぶり、が、もっと前進的エネルギーに転換できるならいいのですが、
ただ、足の引っ張り合いをしているだけで、何の生産性も生まれてこない。
すくなくとも、日本中の最も優秀な人材が集まっているですから、

議論の生産性という事も前提にして、主張をし合うべきでしょ。


ま、ともかく、こう言う首班指名の制度にすれば、
正に国会議員が選出した首相が誕生するわけです。
今の制度では、ある党の国会議員と、地方の党員の意見で日本のリーダーが決まってしまう。

議院内閣制の精神は国会議員によって選出される、とされています。

ここに、一部国民の意見が反映される、と言う制度は、法的にどうなんでしょうね。

いかにも、国民が介在できるという民主的な気がしますが、

これは少なくともある党の党友と言う偏ったものですし、

本来の法の精神をかんがみれば、決して民主的な選択方法である、とは言い難いでしょ。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 10:20 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
ボランティア精神

私は自営業で、その企業の代表でしたから、
誰かの指示で、自分の進退を決めるという事はなかったんです。
つまり定年とかいう概念がなかったんですね。
体がもつ限り現場にいよう、と。


現実としては、71歳で、現場から退きました。
肩書きとしては相変わらず代表取締役なんですが、まさに肩書きだけの話。
で、引退のきっかけは、やはり病気をしたことが大きかったのですが、
それ以前から、いったいいつまで現役で現場に立っていなくてはいけないのか、
という疑問があったのです。
と言うのも、周囲の同業者の仲間が、何かの理由で廃業するという人が出てくるんですね。
理由はあれこれありますが、主だったものは、やはり年を取ったから、という事です。
しかし、自営の人間には、具体的な数字がありません。
世間で言う、65才を過ぎたから、とかの定年制の年齢制限ですね。
自分で、68才とか、72才とか、それこそ80才とか決めていい。
元気だという自覚があれば、それ以上でもいいし、それこそ終身現役でもいいんです。
で、何人かの店じまいに立ち会ったんですが、そのすべてが、
ほぼ、体力的に余力がなくなった時なんですね。


つまり、引退した時と言うのは、時に病院通いの始まりだったり、
体が言うこと利かなくなっているわけですから、
近場の温泉すら出向いてゆく体力がない。
これって、せめて最後のわずかな瞬間でも、労働から解放されて、
もう少し穏やかで、楽しい時間の過ごし方があるんじゃないだろうか、と。
それこそ、あんたの人生なんだったの、と聞きたくなるような、
働き蜂のような一生を送ってきているんですね。
これが疑問でした。


もう少しましな老後の過ごし方があるんじゃないだろうか、と。
そこで、せめて、もう少し余力のあるうちに、
いい人生だったな、と思えるような老後の過ごし方のために、
私は、ちょっとだけ早めに引退しよう、と考えていたんです。
目標としては70才でしたが、ちょっと遅れて、71歳。
まあ、正解でしたね。

 

で、改めてその引退した身になって、この時間の意味は何なんだ、と。
毎日が日曜ですもんね。
時にカレンダーンの予定表の空白が続く。
なにものにも拘束されず、のんびり過ごせる日が、今日も明日もなんです。
で、考えてしまったわけです。


実際には、あれこれとボランティア活動に手出し口出ししています。
飲食業組合のこと、マンションのこと、ラジオやテレビの番組制作のこと、
防災諸活動のこと、などなど、スケジュールとしては、そこそこ埋まっているのですが、
暇だからボランティアなのか?と。

で、じっくり考えて結果、
こんな結論に達しました。

 

そもそもが、人生って、基本的には選択した職業での在り方が大半でしょ。
調理の世界に身を投じ、終生飲食業にかかわったとすれば、
板前としての人生ですよね。
旨いものを作ることに集中し、技を磨き、心も磨いてきた。
で、それが生き方だったわけです。
ま、人、それぞれ何らかの仕事をしてきているわけですから、
そういう人生だったわけでしょ。


で、その仕事をして過ごしてきた人生をよくよく分析してみれば、
要は食ってゆくための仕事の部分がたいはんだったわけです。
つまりいくばくかの稼ぎで生活してゆくという事です。
時にお客様のおかげで、パートのおばさんのさんのおかげ、
また、いい商品を納入してくれた業者さんのおかげでしょ。
そして、仕事をするためのコンディションを作ってくれたかみさんのおかげですよね。
なんだかんだと支えてもらって今日がある、と考えれば、
今までの現役ではおのれの存在で稼いできた、と自負するかもしれませんが、
支えられた事実を冷静に眺めれば、支えられっぱなしの人生だったのです。


で、経済活動に距離を置いてみて、与えられた、まさに天賦の時間なんですから、
これをぶらぶら過ごすのは罰当たりじゃないか、と考えたんです。
時間的にはもう先はないし、体力も半減してるのだから、
決してバランスがとれるほど十分なことはできないかもしれないけど、
支えてもらったんだから、せめて、百分の一、千分の一、支え返すという事は、
なさねばならぬことなんじゃないか、と思うようになったんですね。
これがボランティアの原点です。


支えられた実感があるなら、(なけりゃそれだけのことです)
支え返す、と言うのは人の道だと。

よくよく眺めてみれば、そういうボランティアに携わるチャンスとしては山ほどあるんですね。


一歩踏み出すことです。

本来、理屈はいらないでしょ。
なんとなく気がかりで、なんとなく手助けしたい、と言うそれだけの動機で十分です。

 

なんかそういう精神の見本ような人が、昨日、クローズアップされていました。
尾畠春夫さんです。
三日間、行くへ不明だった二歳の藤本理稀(よしき)ちゃんを山中で発見した方です。
尾畠さんの履歴をよくよく読むと、

実に立派な精神のもとにボランティア活動を実践されている方だ、と思いました。
正に、支える側としての純粋な心の持ち主のようです。

 

尾畠さんのインタビューの答え。
寝袋など一式持ち歩いている様子への質問で、
「(ボランティアの現場に)来てから、ここの人にいろいろなものを頼ったり、
もらったりするのは、しちゃいけないことだなと。
自己完結、自己責任。怪我しても自己責任。
何があっても自分で責任を取らんほうが悪いと思ってる。」
とボランティアの在り方について述べていたのです。

 

この精神が、人を助けようというエネルギーになるんだ、と実感しました。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 11:15 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
あの頃に似てないか

私が生まれて、1歳と7か月と9日たった8月15日。
日本は3年8か月かけて戦った太平洋戦争の幕を閉じました。


この間の日本人の犠牲者は320万人とも、310万人とも。
これはいまだに正確な数字は出ていません。
ざっとですが、
軍人・軍属など軍関係者の戦没者230万人、
外地での戦没、一般邦人30万人、内地での戦災死者50万人、
計310万人がその後の政府の公式な数。

 

で、これまたあいまいなデータなんですが、
終戦の年の1945年の日本人の平均寿命は
男性23・5歳、女性32・0歳と言われています。
これまた別の説があって、
男性23・9歳、女性37・5歳という数字もよく取り上げられます。
結論的な言い方をすれば、この年はきちんとした公式の統計がないので、
どうも、そんなもんだろう、と言う誰かが言ったことが、
その後、独り歩きして、定着してしまったようです。


で、本来、平均寿命と言うのは、その年に生まれた赤ちゃんが、
今後何歳まで生きられるか、と言うデータ−なので、
23歳とか32歳など、少なくとも近代に入ってはなかった数字ですから、
この数字は、全く別の観点で計算されたものだと思うのです。
ま、これは推測ですが、
その年に亡くなった方の年齢の総和を、人数で割った数なのではないか、と。
つまり寿命と言えば寿命ですが、そもそも何歳まで生きられるか、と言うのが寿命ですから、
この場合は、死亡年齢、という事になります。
例えば、その年、二人の男が亡くなったとします。
1人は生まれたての0才児。
1人は高齢のおじいちゃん、100歳。
足して100ですから二人で割れば平均50歳という事になります。
こういう算出方法だったと思うんです。


ですから、終戦の年ですから、多く若者が戦死し、
女性もこれに巻き込まれた、と言う想定をすれば、
男23・9歳、女37・5歳と言うのも、当たらざるとも遠からず、という気がします。

まあ、過酷な時代であった、と考えれば、単に公式記録がないから、
誰かの当て推量だ、で終わらせてはいけないでしょうね。

 

軍人軍属が230万人だったのですが、これらの兵隊さんは、名誉の戦死を遂げたわけではなく、
多くは、東南アジアの激戦地へ送りこまれ、
その後の武器、食料、弾薬の補給路が断たれ、
後方支援が届かず、結果として餓死をしたのだそうです。
なんだか、よく言う、二階に上がれと言われて上がったら、
はしごが外されていた、というやつですよね。
たまったもんじゃないでしょ。


軍の偉い人は、東京に居座っていて、そりゃ空襲など受けたかもしれませんが、
泥水をすすり、草の根を食べ、でも結局餓死をした、なんて環境ではありませんからね。
何時でも戦いは、偉い人たちは安全なところにいて、
一兵卒が戦いの戦前に送り込まれ、命を捨てざるを得ない状況に追い込まれるのです。
名誉の戦士ならまだ浮かばれるでしょうが、
食料が届かなかったので、餓死をしたというのは、まさに犬死ですね。
この犬死をした軍人軍属は、140万人。
帝国日本軍の戦場に送られて戦死した人の6割が、餓死と言うもっともみじめな死に方をしたのです。
そもそもが無謀な戦争でしたが、
あまりに無責任すぎませんか。

 

ある時、たまたま独裁者、という検索語で調べ物をしていたら、
普通に出てくるのが、毛沢東、スターリン、ヒトラーなどの名前なんですが、
ある資料では、ベスト10に東条英機の名前がありました。
なんとなく、私達の通常の概念では、独裁者というイメージはありませんが、
多くの人を死に追いやった強権を発動した人、という解釈をすれば、
確かに独裁者なんでしょうね。
国のかじ取りとしてはそれなりの正義感と大局観を持っていたとは思うのですが、
ちょっとした目の曇りが、大きな犠牲につながった、と考えれば、
独裁者が歩む末路としては、東京裁判の結論は否定できないですね。
310万の死をどう償うのか、という事ですから。

 

私は、空襲の時の逃げ込んだ防空壕での記憶とか、戦時のどさくさした戦争の実感はありませんが、
間違いないことは、戦時中に生まれたという事です。
幼いころのおぼろげながらの記憶には、戦後の荒れて、貧しい生活が記憶に残っています。
0才児、1歳児、2歳児など、幼子たちの中には、
空襲で亡くなったとか、病気になり、ろくな手当も受けられず亡くなったとか、
十分な食べ物もなく餓死をしたとか、

生きていたら、同じ教室で学んでいたはずの子等もいたはずです。
幸い、私は生き残りました。
戦争の生き残りです。

 

だから、戦争の実感はないけど、
戦中派としての言うべきこと、やるべきことはあると思うんですね。
その意味で、昨今の世界情勢、日本のトップの連中の考え方に不安を持ちます。
赤字国債を発行しながら、防衛費だけは毎年膨れ続け、
ついに5兆円を突破、やがて、5・5兆円になろうとしています。
この、ガサツな世界の空気が、穏やかになることを願っていますし、
その空気づくりに、日本の政治家は使命を感じなくてはいけない。

 

微妙な不安を抱くのは私だけでしょうか。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 10:49 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
踊る、見るはともかく、ホントのアホは誰なんだ

現場の細かい事情とか、それに絡む人間関係などは知るすべもありませんが、
今回の徳島の阿波踊りの騒動は、
正直、行政と実行委員会側の感情的対立に過ぎないだろうと思います。
伝え聞くところでは、開催ごとに繰り返される赤字の始末に困って、
改善を求めたところから始まったようです。
つまり、すべての元凶は運営予算が赤字になってしまったことです。


ここから先はなんとなくの邪推です。

そもそも阿波踊りのような規模の運営組織は、
官民一体となった構成でなければ、実施できません。
さ、そこで赤字になってしまった要因ですが、
当たり前ですが、財務管理がルーズだったからです。
どうしてルーズになったのか、と言えば、
おそらくいくつものセクションに分かれて、事業の分担をしているはずですが、
それぞれのセクションの当初予算を守ると言う気風が無かったんでしょうね。

 

言い換えれば、雑居的な集団が、それぞれに好き勝手な要求をし、これをコントロールできなかった。
きっと、この好き勝手なことを主張した人たちはボランティアだったのでしょう。
往々にして、ただ面白そうというだけで集まってきたボランティアは、
心の底に、おれたちは一銭ももらっていない、と言う妙な自負心があって、
これが、彼らの思いを叶えようとするときの精神的な土壌になって、
一銭ももらっていない俺たちがせめてこうしてもらいたい、という事ぐらい聞いてほしいと。
ま、確かに一銭もらっていない、という事は言葉としては言わないかもしれません。
しかし、現実には、給料をもらって仕事としている行政側の実行委員と、
無給のボランティアの中には、言うに言われない妙な溝があるものなのです。
そこで、時に威圧的に予算の分捕りがはじまる。

 

不思議なもので、今、分捕ろうとしているいくばくかのお金は、
おそらく、市が補助金として拠出している部分かもしれません。
つまり、ボランティアをはじめとする市民の負担しているお金です。
にもかかわらず、なんとなく人の金のような感覚を持ってしまうんですね。

 

以前、マンションの年次の総会でこんなことがありました。
マンションの管理を委託している会社への不満が募り、
心機一転で、管理会社を見直そうという事になり、
その管理会社検討委員会なるものが設置され、私にその委員長がゆだねられたのです。
で、なんだかんだと公正な手続きを積み重ね、いよいよ最後の3社に絞られ、
最後の最後、1社を選択すると言う時に、見積額で、120万円高い会社を選んだんですね。
いや、これはマンションの住民の総意としてです。


私は、あれこれ交渉しながら、120万円差額を引き出したことに、

いささか満足していたのですが、
あっけなく、120万円高い買い物を皆さんがしたわけです。
ま、総意だからそれはそれでいいだろうと思うしかなかったのです。
これはこのとき、なんとなく感じたことですが、
お金の流れは、自分が支払っている管理費から支払われる、と言うメカニズムですから、
直接的でないんですね。
私は、ざっとですが、120万円は、我が財布を、年間ですが、1万円助けてくれる、
と言う風に受け止めていました。
でも、個々の財布の金銭感覚と言うのは、
財布に手を突っ込み、札なり硬貨なりを握って取り出すときにしか感じられないんです。

元々はいくばくか自分が出しているお金も、集められて一つになってしまうと、

不思議と他人の金になってしまうんですね。


こう言う心理的構造があるものですから、
大きな予算規模を誰と言う責任も感じることなく、大勢で寄ってたかって使ってしまえば、
それは赤字になってしまうはずです。
ま、この問題は、過酷な言い方ですが、徳島の人たちの金銭感覚が招いた結果だと思います。
それ以前に、阿波踊りと言う全国規模の大イベントをやってきたという自負心が、
ねじ曲がってしまったんでしょうね。
暴走する雑な金銭感覚をコントロールできなかった歴代の実行委員長、行政担当者に
その責任があると思うんです。
ともかく、ありがちなことですが、予算をコントロールするシステムが必要なんですね。

 

徳島と言えば、思い浮かぶことランキングで、
1位が、ダントツで阿波踊り、100ポイント。
2位が、鳴門海峡、56ポイント。
かなり落ちるでしょ。
で、3位が、お遍路さんで、32ポイント。
以下、4位、大歩危・小歩危(おおぼけこぼけ)で23ポイント。
5位、鳴門金時(サツマイモ)21ポイント、だそうです。
つまりなんだかんだと阿波踊りは町にとって、大いに誇るべき文化資産なんです。
何よりも、徳島空港は、徳島阿波おどり空港、という名前がついているんです。
言いかえれば、徳島の象徴そのものなんですね。

 

そういえば、10年ほど前ですが、徳島の阿波踊りの見物に出かけたことがありました。
で、なんと台風の直撃を受け、どうも中止になるらしい、と。
そこで、電車の都合もあって、ほうほうの体で帰ってきたことがあります。
つまり、ちゃんとした踊りを見ていない、という事ですね。
ま、残念と言えば残念ですが、
今回の騒動は、もっと残念ですね。

この誇るべき象徴が、官民割れて、総踊りをやるのやらないの、って、
ちょっとみっともないでしょ。

 

| 水嶋かずあき | あれこれ | 09:35 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ソリティアで一服

何かひと段落すると、気分を変えて、リラックスしたくなりますでしょ。
かつてはそれがタバコだったんですね。
要は一服と言うやつです。
で、タバコをやめてしまってから、しばらくその一服状態の具体的な手段がありませんでした。


そうこうするうちに、重症筋無力症が発症します。
当然ながら、大いに戸惑い、どうしたらいいんだ、と暗中模索が始まります。
もちろん、病院に掛かったのですが、微妙に信頼しきれない。
中央のしっかりした病院に切り替えるか、とか、色々悩むわけです。
何しろ、こちらは素人なんですから、情報、知識が圧倒的に欠けているわけです。
そこで頼りになるのが、インターネット。
検索文字を入れて、ありとあらゆる角度で調べ上げます。
そんな中、同じ重症筋無力症を発症した人のブログに出会いました。
30代女性。
この病気は女性の方が発症する確率が高いんですね。
で、しかも比較的若い世代が中心なんです。
私のように高齢者で男性と言うのは、極めてまれなんです。


ま、ともかく、その方のブログでは、闘病日記風に日々の病状がつづられているのです。
まあ、読み込んでゆくと、私は、ありがたいことに、その方ほどの症状ではなかったんですが、
不安という面ではまさに同等。
で、ひどい症状の時の様子が書かれていて、
そんな時は、いったいこの後どうなるんだろう、という不安に襲われるんですね。
で、その中で、ほとんど毎日、その方はソリティアをするらしいのです。


ソリティアは、パソコンのどこかに必ずおさめられている、ゲームです。
トランプゲームなんですが、
要は、伏せられた山のカードをめくりながら、
赤のハートかダイヤ、黒のクローバーかスペードの数に従い、赤黒交互に並べてゆく、と言うゲームです。
ま、いくつかのルールがあるんですが、それほど難しいゲームではありません。
私の周囲の人は、大体、暇つぶし風にこのゲームをやっています。
で、これを最後まで並べおわると、上がり、というわけです。

ま、やったことのない方はよく分からないと思いますが、その気があったら挑戦してみてください。

よくできたゲームだと思います。

 

時に、どこかでカードの並び順に引っかかると、上がれないことがあります。
ま、どういうカード順なのかは、そもそもが伏せてあるカードをめくりますので、

次が何かなど分からないので、正に、運不運が付きまとうんですね。
で、この重症筋無力症の30代の女性は、毎朝、このゲームをし、
上がると今日は良い日になりそうだ、と。
つまり症状が軽くて済むだろう、と考えるんですね。
逆に、上がれないと、いささか不安が増してくる、というわけです。


私も初期の頃でしたので、この方の不安がよく分かり、
その指針みたいに、ソリティアが影響するというのも、よく理解できたのです。
ですから、時々、その人はその後病状は、どうなったかな、という事とか、
ソリティアを今もやっているだろうか、などと思いだすことがあるんですね。

 

私は、発病後、同じようにソリティアにはまりました。
何しろ入院中は、体調が良ければ、かなりの時間ノートパソコンで、
ソリティアをやっていましたから。


現役引退後は、かなりの時間ができましたので、

何かに付けては習慣のようにソリティアを楽しんでします。
特に、文書の作成とか、日課のブログを打ち上げたりとか、

パソコンに向かって一仕事片付くと、たばこの一服のように、
ソリティアをするんです。
で、ある時から、その成績を記録するようになりました。
少なくとも私のパソコンに内蔵されているゲームは、

その成績が累計されてゆくようになっているんですね。
そこで、1000ゲーム終わると累積データを初期化します。
ご破算と言うわけです。
で、この時のデータを記録します。
1000ゲームで何勝したのか、という事ですね。
勝率で言えば、ほぼ80%。
今まで最低が78%、最高が85%と多少ムラがありますが、
それでもそれ以上もそれ以下もありません。
勝率8割という事は、残り2割が、どうやっても負けてしまう札の並びのわけです。
それ以外はなんだかんだと勝ってしまう、という事です。


そして、今までどのぐらいゲームをしてきたのか、という事ですが、
記録によりますと、4万8千ゲーム。
ま、ちょっとばかげているでしょうが、残された記録ではそんなところ。
もう、こうなると、自分で言うのもなんですが、ほぼ達人に域に入ってきましたね。
大体、展開が読めるようになってきましたし、
時に、裏からカードが分かることもあります。

そもそもは気分転換のためのソリティアでしたが、
こうなると、修行のひとつになってしまいました。
まあ、これも性分なんですね。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 10:52 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
新聞と言う情報源

なぜそうなったのか、自分でもそのきっかけとか理由がわからないのですが、
私は、紙に書かれた文字を読むのが苦手なんです。
チラシの類の印刷物もそうですし、
取扱説明書もそう。

とくに、40歳なった途端老眼になり始め、

小さい字が苦手になったんです。

読むこと自体が苦手になって、
特に印刷された(コピーかも)手紙や案内の類は、真剣に目を通さないんですね。
ま、それによって不都合はしばしば生じますが、
これは性格だからとあきらめています。

 

この文字苦手の症状で顕著なのは、本です。
先ず本を読んだことがありません。
最後に読んだ本は、今から20年前、ある東大の助教授だった方が書いた、

地球の成り立ちと、生命の起源と、進化などの内容の「100億年の手紙」

という本で、珍しく最初から最後まで読み通しました。
一応、体裁やら世間体もあって、書棚には、本が並んでいますが、
読み通した本は、この一冊だけで、あとは、最初の数ページでギブアップ。

 

結構私の周囲には本を出版している人が多く、
名刺代わりにと言いつつ、著作の本を贈呈いただくのですが、
申し訳ないことに、これらも本棚を飾るだけのことになっています。

松風町から紅谷町に引っ越して来た時、思い切って捨てたものが多くありましたが、
本に関しては躊躇なく捨ててしまいました。
だって、今までも目を通さなかったのですから、今後も読むことはないでしょ。
結果として残ったのは、知人から贈呈された本だけ、という事になりました。

 

とは言え、ネットでの文字はよく読みます。
考えてみれば、パソコンの画面上で得られる知識で、結構間に合うものなんですね。

したがって、新聞も読みません。
マンションの玄関ロビーに、定期的に古新聞の束が置かれていて、
翌日は、そこにトイレットペーパーが置いてあるのですが、
要はちり紙交換ですね。
この新聞紙の束を見るたびに、我が家には該当しないことだ、と思っています。
要は、我が家は新聞を取らないのですね。

 

いや、何か思い出したように新聞を取ろう、と言いだすことがあります。
すると、かみさんが渋い顔をして、やめたら、と釘を差します。
でも、新聞を読むって、ちょっとばかりハイブローな感じがするでしょ。
そこで、配達所に電話して、来月からよろしく、なんてことを言うんですね。
かみさんはやな顔してます。
実は毎度のことなんですが、配達を頼んでも、ほぼ一か月後には断ることになるんです。
と言うのも、意気込んで新聞に目を通すのはいいとこ、3日ぐらい。
その後数日は、見出しだけ眺めて終わり。
一週間もすると、開きもしない新聞が山のように積まれてゆくんです。
で、かみさんは、だから言ったでしょ、と新聞配達所に断りの電話をするんです。
こんなことを何回繰り返したでしょうね。

 

で、さすがにここ10年ほど、新聞を取ろう、という事は言わなくなりました。

とはいえですよ、それなりに新聞て魅力的でしょ。
ですから、床屋さんに行くときは、待たされることを期待しつつ、
老眼鏡を持って行って、置いてある新聞を読むんです。
これはこれなりに新鮮でいいものなんですね。

 

昨日、病院に定期検診に行ってきました。
毎度のことなんですが、予約時間のちょっと前に行って受診手続きをするんですが、
早くて1時間、遅いと90分は待たされるんですね。
で、この間どうやって時間をつぶすかでしょ。
そこで、今回は新聞を買って、これをじっくりと読もうと思い、
売店で新聞を買ったんですね。
で、待合のベンチに座っておもむろに新聞を開いたのですが、
出がけにのぞいたネットのさまざまな情報の二番煎じみたいなものです。
ああ、このことは知ってる、この記事の内容は今朝読んだ、と言ったことで、
見出しだけざっとチェックすると、
中に入り込んで読んでみようという記事がほとんどないんですね。
とくに、テレビ・ラジオの番組表も、株式の市況のリストも感心なし。
で、まん中あたりに高校野球の特集のごとく写真と戦況が載っているんです。
ま、ここも読み飛ばしでしょ。
社会欄もテレビとネットニュースですでにチェック済みのことばかり。
なんだ、この錯誤感。
要は買わなきゃよかった、という感想なわけです。

 

一通りページをめくっても、まだ名前を呼ばれない。
で、時間は十分にあるのですから、ちょっと気になったことをチェックしました。
広告のボリュームです。
全ページ広告が数ページあって、
下段にある程度のスペースが罫線で囲われていて、
ここは広告スペース。
その全体の面積をチェックしたんですね。
つまり新聞の総面積の広告面積です。
その新聞は全部で32ページ。
うち広告面積は11ページ分。
一部140円でしたが、実質記事としての価値は、92円分。
48円分は、欲しくもない情報でしょ。

 

新聞離れが進んでいるようですが、

新聞が最適な情報源と言う時代は終わっているような気がしました。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 10:05 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
さらばステロイド

今日は、午前中、共済病院の神経内科の定期検診に行ってきました。

3か月に一度の外来診療です。


2012年の春に発病し、結果としてその年の6月に入院、手術。
あれこれあって、7月1日に最終的に、退院しました。

ブログでも何回かご報告していますが、病名は重症筋無力症。

ちなみに、厚生労働省指定の特定疾患、通称、難病と言われるものです。

何しろ10万人一人、と言われる病気なんです。


病理を簡単に説明すると、

筋肉の動きが、ある免疫抗体によって阻害され、正常に動かなくなるというものです。

そもそもが私たちの肉体は、脳がこのように動こうという意思を持った瞬間、
それに必要な筋肉が反応し、ある動きになるものです。
例えば、グーチョキパーの動作でたとえれば、
グーを出そうと思うと、五本の指をしっかりと握りしめます。
で、チョキの場合は、人差し指と中指は延ばしたまま、親指と薬指小指を曲げます。
パーなら全部の指を広げます。
実に何てことなくやるものですから、運動機能として筋肉の動きを意識することはありません。
これは、脳がグーを出そうと思った瞬間に、指の筋肉に指令が飛び、

5本とも筋肉を引き締め、にぎった形を作るのです。
この指令は、電気信号で指の筋肉に向かって、

瞬時に伝えられ、アセチルコリン噴出口に作用します。
アセチルコリンとは、筋肉に伸び縮みを指示する物質で、

各筋肉には、このアセチルコリンを受け止めるグローブのようなものがついていて、
これでアセチルコリンを受け止めると、筋肉は作用します。
このグローブのようなものをアセチルコリン受容体と言って、

重症筋無力症の病理は、
このアセチルコリン受容体に、免疫部隊の一部が、何を勘違いしたか、敵とみなして、
攻撃し、その機能にダメージを与えるんですね。

その結果、脳からの指令が届かなくなってしまうんです。
いわゆる自己免疫疾患の一つです。
なぜそんな反乱分子がのさばるようになったのか、という事は分かっていません。
ただ結果として、勘違い免疫部隊員が、うろうろと活動をしてしまうんです。


結果として、まず、頭にかかわる筋肉、眼球を動かす筋肉とか、
頭を支える首の筋肉とか、まぶたとか、あごの咀嚼筋などがやられて、
首から上の筋肉的動きに障害が出てきます。
眼球の場合、複視と言って物が二重に見えるようになります。
あごの筋肉は普通に食事をしていると、疲れて嚙めなくなり、一回の食事で、数回休むようになります。
固焼きそばを食べると、顎の筋肉がつかれるでしょ。
この病気の場合、何を食べても顎が疲れるんですね。
首は朝起きた時は良いんですが、2時間ぐらいたつと、頭を支えられなくなるんです。
つまり、こうべを垂れた状態でっすね。
見様によっては謙虚な風体なんですが、ただまっすぐできないだけのこと。
まあ、それなりの症状と戦いながら、反乱分子を沈めてゆくわけですね。

血液の血漿を交換します。

糖尿病の透析のようなものです。

全血液量の半分づつを二回に分けて交換します。

そして手術をし、胸骨の内側、肺の外部に位置する胸腺を切除します。
この胸腺はどうも反乱分子を製造している本拠地らしい、と思われています。
ですからこれを取ってしまう。


で、あとは薬で、反乱分子の活動を押さえる、という事をするんですね。
つまり、正式には、反乱分子の、抗アセチルコリン受容体抗体がどのくらいあるかが、

病状の指標になるわけです。
で、こいつをやっつけるために、当初、5咾離好謄蹈ぅ匹鬘横鮎も飲んだんです。
知り合いの医師に、今ステロイドを20錠飲んでいる、と言ったら、

えらく心配して大丈夫か、と心配されました。
ある医師は、知っている限り、20錠飲んでいる人はベッドに寝ていると言ってました。

私は、普通に仕事していましたけど。
まあ、それほど、ある種危険な薬なんですが、このステロイドも、
徐々に減らしてゆき、ある時10錠になり、二か月かけて、8錠まで落とし、と、
実にだましだまし、この薬を減らしてゆこう、というわけです。
まあ、それほど影響力の強い薬ですので、なるベく飲まない方がいい、と言われているんですね。


最近では、2錠が1錠になり、ついに半錠にまでなっていたのです。

で、今日の健診の結果、もうステロイドは飲まなくていいでしょう、と言われました。
まあまあの数値が確保できるようになったのです。
つまり、抗アセチルコリン受容体抗体のレベルが低くなり、安定してきたんですね。

 

なんと、まるまる6年と1か月ぶりに、ステロイドから解放されました。
ですから、何となくウキウキしています。
もう、明日から飲まなくていいんです。

いや、完治したわけではないんですが、かなり症状が軽くなった、と言うことですね。

ホントおかげさまです。

 

| 水嶋かずあき | あれこれ | 12:31 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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