水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
平成もあと10日あまり

平成もあと10日余り。
天皇陛下は、ここにきて、退位のためのさまざまな行事、儀式に連日のように関わられ、
その都度、それがニュースで報じられています。
美智子さまとともに、それぞれの地の人たちの歓迎に、にこやかに手を振られているシーンを見ると、
今までご苦労様でした、と、その労をねぎらわずにはいられられません。

 

私は、昨年、退位をしたいと陛下から要望が出された時に、
どんな立場の人なのか、どんな考えでそういったのか、よく分かりませんでしたが、
その時期も含めて、ややこしい議論を持ちだした人たちがいましたね。
単純に、天皇陛下がそういってるんだから、そうすればいいじゃないか、と思ったんです。
第一その理由が、お年を召され、健康にも体力的にも不安を感じたんだろうと思うんです。
そして、責任感の強さと、誠実な人柄から、

形ばかりの立場にいることがたまらなく思えたんでしょうね。
まあ、ある意味、責任感のなせるわざとして、身を引く、という決断をされたんだと思うんです。


かなりの紆余曲折のもと、

勘違いした政界、また皇室関係者たちが、生前退位を受け入れることになりました。

この退位に関わる諸行事を見ていて、やはり大変な役務を負ってきたんだなあ、

というのが、改めての感想です。

 

昭和が終わった時、私は44歳でした。
まだまだ現役パリパリ。
全国の青年会議所のさまざまな勉強会などに講師として飛び回っている最中です。
平成に改元されて、三日目。
たまたま沖縄地区の青年会議所の新年総会の、後援を依頼されていました。
確か、ダークスーツを着、黒いネクタイを締めて行ったと思います。
その新年総会で、何人かの役職者が、いわゆるえらい順に、

新年のあいさつ代わりに、スピーチをするのですが、
この様子を出番待ちで、ステージの横で聞いていました。
雰囲気としては、新しい時代が始まる、という明るい意気込みと、
昭和天皇の崩御を悼む気持ちが混ざり合って、何とも、半端な雰囲気だったんですね。
何より、違和感を感じたのは、会長の挨拶が終わっても、

その他の役員の挨拶が終わっても、一切拍手無し。
これは妙なもんです。

「…と言うことで、どうか本年も皆で頑張りましょう。…」
と、スピーチが終わると無言で頭を下げる。
会場のメンバーも、頭を下げる。
もちろん無言で。
で、私はなぜ拍手をしないのか、と司会の人に聞いたんです。
崩御の報があってから、日本全体で喪に服し、歌舞音曲を控え、

お楽しみ的なイベントは次々と中止を発表していましたので、
派手なふるまいを慎もう、ということで、

その会場でも拍手をやめようということになったのだそうです。
とはいうものの、スピーチする人も、また聞いている人も、

なんとなく、違和感を感じていたんですね。
セレモニーの進行に、区切りがないというか、締まりがないのですね。
そこで、私は、司会の人に、
拍手をしないことが、慎みを持っているということではないでしょ。
拍手が、弔意を損なう事はない、と考えます。
確かに、天皇陛下の崩御は、忌むことではあるけど、

新しい時代の幕が開けるということとセットなわけだから、
これを受け入れるということは、礼を失することだとは思えない、と言ったのです。
司会の人は、では拍手をしてもいいですかね、と念を押すので、
私は、いいのではないか、と答えました。
で、次の登壇者から、拍手が復活したのです。

 

昭和から平成への転換は、このような雰囲気の中で進められたので、

なんとなくじめじめした状態だったんですね。
しかし、平成から令和への転換は、生前退位ということもあって、
実に、腰を入れて、平成を振り返ることができましたし、
あたらしい元号への思いも、様々に受け止められ、
その意味では、明るく、希望に満ちた空気の中での改元になった、と、
改めて、前の改元の時との比較をしてしまいます。


その意味でも、生前退位というのは、素晴らしい選択であったと思います。

 

美智子さまとの婚約の報は、私が浜岳中学3年の時、
たまたま用事があって出向いた職員室で、女性の先生が号外のようなものを手にして、
一騒ぎしていたのを見て、私も、何やらめでたいことになったようだ、と認識したのです。
その時の職員室のシーンは今でも覚えています。
ですから、私たちの世代は、そこから天皇陛下と時代を共にした来たのです。
もちろん、勝手に共にした、と思っているだけですが。

 

先日の天皇の記者会見で、在位30年に渡る様々な思いを語られましたが、
一言一言に、誠実さがにじみ出ていました。
ただ単に、天皇陛下のお言葉、として聴いた方も多いと思いますが、
美智子さまへ、人生の旅をともをしてきた、という思いなど、
誠実に生きるということの教えに満ち満ちていたと思うのです。
私は、人生の伴侶として、共に暮らしてきた我が妻への思いを、
お言葉に重ねて聞きました。
おかげさまなんだな、と。

 

昨日の伊勢神宮への訪問で、天皇陛下としての最後の地方訪問になった、ということですが、
この後、上皇としての気ままな旅行を楽しまれることを期待しています。
もちろん、美智子さまともどもです。

 

話しは変わりますが、
天皇家の継承として、男子であることの条件が、前面に出ていて、
女性・女系天皇に対するアレルギーがまだあるようですが、
今回の改元で、元号と、その時の天皇の関係を調べていて、驚いたのですが、

かつて女性天皇は何人かいたんですね。
その数、10名です。

いまさら、タブーでもなんでもないでしょ。

その時の状況に応じたものだと思うんです。
男が跡を継ぐというのは、もう古い考えですね。
男女均等社会を作ろうと、下々は考えているわけですから、
天皇家の継承も、そこは、も少しフレキシブルになっていいんじゃないか、と。

 

まずは、例の、政界、皇室関係者の人たちが、頭を切り替えないといけないですね。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 10:22 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
教育は協調性・社会性涵養の場

PTAにおける強制入会については、しばしば問題化されてきました。

法的な拘束もないのだから、参加しようと参加しなかろうと勝手じゃないか、と言うことです。

 

そもそも、日本でPTAが発足し、学校教育の一つの組織として定着したのは、
必要に迫られていたからです。
終戦後の、財力もない地方自治体で、十分な教育的環境を整えることが難しく、
ここは、父兄の支援をいくばくかいただけないか、というのが、本音だったわけです。
ま、一応、父兄と先生とのアソシエーションとかいうことになっていますが、
実態はそんなところだったと思います。

 

私が、中学3年生の頃、浜岳中学で、ブラスバンド部を立ち上げよう、ということになりましたが、
なんとしても楽器を買うお金がない。
そこで、全校生徒の協力の下、廃品回収と称して、家での不用品を集め、
これを売って資金を確保しよう、ということになったんですね。
当時、すでに結成されていた応援団(ま、ちょっとばかりガラの悪い連中が仕切っていましたが)が、
先頭に立って、企画を進め、なんだかんだと購入の資金を集めたんですね。
まあ、これも親の理解と協力のおかげでの成果だったわけでしょ。

 

時代は流れ、物的な支援がそれほど要求されなくなってきました。
また、教室の運営も、当時、50人から多いクラスは60人弱の生徒数だったのが、
今は、ほぼその半数。
教室の運営も以前から見れば、きめ細かに出来るようになったはずです。
したがって、以前から見れば、学校として、PTAの存在意義が薄くなってきたのでしょうね。
そうなると、学校運営で、PTAに関わるエネルギー、時間が負担になってきたんですね。

 

まあ時代の流れで組織の変節は必ずあるもので、
これも仕方ないと思うのですが、
それでも、子どもの教育に親が関わるということは、教育の本質から言って当然のことなんです。
そこで、PTAという組織に参画するかどうかとは別問題にありますが、
その組織から外れて、本来の親と学校の連携等を含めた教育システムが機能するのか、

となると、教育の本質からそれることになるのではないか、と思うんです。

 

私は、教育という人間が作り出した一つの人間養成システムの目的は、
社会性の涵養にある、と考えています。

 

かつて、浜岳中学でPTAの役員をした時、こんなことがありました。
まず第一回目の役員会でのことです。
この回は、お母さま方も初めて顔を合わせるということもあり、

組織の基本になる役員選出のタイミングなんですね。
で、クラスで、それぞれ委員会に所属することを振り分けられると、
今度は、委員会別に集まって会合を開きます。
そしてそこで、委員長、副委員長以下の委員会役員を決めて、
委員長に選任された方が役員会を構成するんです。
ですから、委員会で決定された順に、会議室にやってきて、

揃ったところで第一回の役員会が開催される、という段取りなんですね。
で、毎年、広報委員会の委員長の選出が難航する。
つまり誰もやりたがらないんです。

というのは、当時、県でも表彰されたくらい浜中の広報誌紙が充実していて、
その編集には、やたら手間がかかるんですね。
まあ、顧問の先生の力と言えば力なんでしょうが、これにお母さんたちがなかなかついてゆけない。
で、そもそも各学級での広報委員になるだけでも難航するのに、それを束ねる広報委員長となると、
皆、尻込みをして、なり手がいない。
大体、第一回の役員会では、広報委員長を選任できす、不在となることが多かったんです。
その時、私は広報委員会担当の副会長を仰せつかっていたので、
広報委員会の第一回会議に出席しました。
そこで、担当副会長として挨拶をさせていただいたのです。
大雑把には、こんな内容でした。
「皆さんはご自分のお子さんに、物事に積極的に取り組む人間になってもらいたいと願っていませんか。
さて、親は子の鏡になるべきです。

そう願っているんだったら、まずは親自身が積極的に物事に取り組み、

その後姿を子供に見てもらうことも大事だと思うのです。
ここでは、そのいい見本として、積極的に委員会の仕事に取り組むことをお願いしたい、

と同時に、その役員も積極的に引き受けていただきたいと思います。」と。
すると、なぜか、数名の人から委員長候補として挙手していただき、

あっという間に、委員会役員が決定したんですね。
私が委員会を終え、役員会の部屋に戻ってきたとき、

あまりに早く決定したので、他の役員さんに驚かれたものです。

 

つまり、学校は教育の最前線。
家庭も教育の最前線。
ここでどんな人間になってもらいたいのか、という人間像が一致しなければ、真の教育はできないでしょ。

 

我が友人で、中学校のPTAの会長を経験したものが、がこんなこと言ってました。
夏前に、プールの清掃をすることになったのだそうです。

で、PTA会員に協力を求めたところ、
はかばかしい反応がない。
そこで、さらに募集を掛ける際に、こう言う文言を付け加えたのだそうです。
このプールはあなたのお子さんが泳ぐところです、と。
すると、改めて参加の意志を表す親が増えた、と言うのですね。

 

確かに学校の施設だけど、うちの子も使うんだ、という、
公的部分と私的部分をうまく重ねたわけです。

実はPTAの諸活動は、すべて、この公的部分と私的部分が重なり合っているんですね。
何より、社会性を涵養するという教育の大原則から考えても、
組織に参加しないということは、協調をしないということに通じませんか。
これが、子どもにいい影響を与えるわけがない。
全体との調和ができないということは、人間として問題を抱えこむことになるでしょ。

人間の根本をいかに涵養するか、という大原則を、法的な整備ができていないという理由で、
PTAの組織運営をないがしろにしていい理由にはならないと思うんです。

 

時代が変わったとはいえ、親の軟弱さが、

子どもに悪影響を与えなければいい、と願わずにはいられません。

 

| 水嶋かずあき | あれこれ | 10:03 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
なぜ拘束するんだ

おそらく、ほとんどの国、地域では、共通している問題を抱えているはずです。
それは、日本的表現で「地方創生」という言葉で表されます。


まず、人類が構成しているコミュニティ、つまり集団的な生活の場があって、
ここから外れて生きてゆくことはできない。
あの孤島で暮らしたロビンソンクルーソだって、最後は社会復帰しますし、
その途中だって、現地人のフライデーと生活を共にします。
まあ、何かを食べ、衣服をまとい、雨露をしのぐとなったら、
よほどの事情がない限り、世間とのすべての縁を切って一人で暮らすということ自体はありえない。
要は人類は、社会的集団的生存方法のもとで棲息してい動物なわけです。
で、たくさんのさまざまな個性が寄り集まっているのですから、
そこに様々な差が生じる。


たとえば、なにか危険な状態が発生して、ともかく逃げなきゃいけない。
さっさと安全圏まで逃げるものもいれば、もたもたする人もいる。
足の速さ、体力、様々な肉体的能力の差があるわけですから、逃げ遅れる人も出てくるわけです。
全員が同等の安全性を確保できるわけではありません。


当然、これは生活の質の問題にも当てはまります。
経済的な格差はここに大きな影響を及ぼします。

そして、現代社会では、この格差というものが、
都会と田舎、という地域性にまで影響するようになってきます。
まあ体で言えば、手足の先というか、毛細血管がますます細くなっているわけでしょ。
心臓近くの細胞と、指先の細胞の差になってくるんでしょうね。

 

ま、当たっているかどうかわかりませんが、
明治維新の時の薩摩、長州、土佐は、それぞれ、江戸から見れば、
薩摩は九州の先端、長州は本州の先端、土佐は、四国の裏側、という地理的な位置でした。
きっとなんだかんだと中央の恩恵が受けにくい所だったでしょうし、
距離がある分、情報も不十分なものだったのではないか、と思うんですね。
ですから、その分、自立をする精神が培われたのだと思うのです。

 

世界の国の中でも、独立するとか、中央ともめるのは大体離れた地方です。
スペインのカタルーニャ地方。
イギリスの北アイルランド。
中国のチベット、新疆ウィグル。
まだまだたくさんありますが、
そのほとんどが首都とは離れた地域なんです。

日本でも歴史的にみると、地域によっては独立運動と無縁でないところがあります。
ま、表面化していませんが、沖縄は独立を選択する可能性ゼロではないですね。
なんと、終戦後ですが、かつてあの伊豆大島で独立運動が起きたことがありました。
首都には近いのですが、海の上の島ですから、その意味では、
前々から、中央との十分なコミュニケーションがとれていなかったんでしょうね。
もし独立していれば、最も近い海外になっていたわけです。

 

要は、世界中、どんな政治体制の国であっても、中央との物理的、心理的距離があって、
そこが遠いほど、やはり関係も薄くなるわけです。
薄くなれば、中央に対する反発も生まれてくるというものですね。

 

以前のブログでも再三にわたって、触れてきましたが、
日本という国が、何を政治理念として運営されてきたか、ということですが、
このような地方が持つマイナス要因をいかに埋めるべきか、
ということが重要なテーマとして認識されていて、
それを地方創生、という概念で実行してきたのです。
全国総合開発計画がそれです。
これは、時代とともにその選択領域を変えてきましたが、
基本となる概念は、中央に集まりがちな様々な力を地方に分散させようという、

政治的なメカニズムの一つでした。
この考えは、基本的にはどんな国の中央政府でも持っているものです。
それは、中央政府、立法府を形成しているいる議員の先生方が、
地方出身であり、それぞれの地盤の利権代表でもあるからです。
日本でもその通り。
ですから、その本質が肯定される限り、

塚田前国交省副大臣の下関北九州道路に関する発言が、世間には避難されましたが、

別な角度で見てみれば、
代議士は国のことと併せて地域の事との二面的な利権代弁者なわけですから、
さして非難するには当たらない、と思うんですね。
まあ、たまたま、忖度とかの言葉に敏感になっている政治家が多かったという事でしょ。
私は、ごく普通の現象だと思っています。

 

さて、地方創生が基本的な理念になって、政策の展開を進めてきているものの
その実は上がりにくいんですね。
それが証拠には、この全国総合開発計画は、4回にわたって書き直しをし、

様々な要因をその対象としてきましたが、
結局、中央がますます肥大するという現象を食い止めることはできなかったのです。
あたかも、引力の大きい惑星が、周囲の隕石などを集めて大きくなってゆくのに似ているんですね。
これは、企業などの金力の強い所が、収益を上げて、拡大してゆくのと同じようなことです。
金力だか、引力だかはともかくです。

 

ですから、これは地方の宿命のようなもので、何らかの流れを作り出さない限り、
水が高きから低きに流れるように、中央から地方への逆流現象は生まれないのです。
ま、ほぼ、そのための政策的な手は尽きた、と思っていたところ、
ふるさと納税というシステムが発案されました。
まあ、最初はどんなもんだか、と疑心暗鬼だった地方も、

少しずつそれによる税収が見込める実例が出てくると、
本腰を入れ始めたのです。


地方は、人口は増えない、さらには減少する。
高齢化が進む、つまり、生産性の高い住民は減る、ということで、
人口という売り上げ、生産性という客単価の両方が目減りしてゆくわけですから、
個性的なまちづくりに回す余力がなくなってきているんですね。


そこで、やりようによっては、わずかながらでも知恵と努力でいくばくかの収入を得られる、
というのがふるさと納税だったんです。
これは、原則としてですが、単に自治体の収入が増加すること以外に、
地域の地場産業の振興にも結び付いていました。
都城で、宮崎牛の返礼品が人気を博せば、新たな販路が開拓できたようなものでしょ。

今回、返礼率3割以下、地場産品、というせっかくの制度を拘束しました。

この新制度の中で、ふるさと納税の制度取入れに手を挙げたのは、46道府県。
唯一、東京は手を挙げませんでした。
だってそうでしょ。

東京への集中解消の一手段としてのふるさと納税なんですから。

 

せっかく、地方への血流を良くしようという政策陽の目を見てくるようになったのに、
その基本的視点すら失い、中央の言い分を受け入れてしまう議員連中も、

頭悪いんじゃない、と思いますね。
考えが浅すぎます。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 09:51 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
女のサガ、男のサガ

さるタレントさんが、美容整形をしたと公表し、

その行為にあれこれ意見が飛び交っています。
問題は二つ。
公表自体に関する賛否。
もう一つは美容整形に関する賛否。


で、どちらも、まあまあ穏やかな受け止め方のようで、
要はちょっとした話題に過ぎないようです。

ま、そもそも、体にメスを入れるって、不調な部分の改善の為なので、
美容整形となると、見た目の不調なので、体の内部の不調とは意味が違うと考える人が多いようです。
まあ、大体の言い分は、親にもらった体にメスを入れるなんて、と非難しますが、
見た目だって親にもらったものですし、内臓のどこかの不調だって、親にもらったものでしょ。
まあ、どっちにしても大差ない原因ですよね。

 

最近は、昔と違って、美容整形は気軽に行われるようになったようです。
少なくとも、私たちの青春時代、昭和30年代後半から40年代初めぐらいまででは、
ちょっとしたタブーに近いもので、美容整形そのものが、恥ずかしい選択とされていました。
ですから、それを公表するなんて、考えられない時代でした。

 

とは言え、見てくれが良くなるというのは、女性の願望の一つでしょ。
何より、朝起きると、せっせと鏡に向かっているかみさんを見ていると、
もう、ちょっとでも見てくれをよくするというのは、女のサガなんだな、と思いますね。

美容整形まで行かなくても、見てくれをよくしようというのは、先ずは、化粧でしょ。
私はいつも思うんですが、自分の顔にあれこれ塗りたくって、化粧をしている様を見るたびに、
きっとどこかに、ベストの顔が想定されていて、それに近付けようとしているのだろうと思うんです。

 

たとえの話ですが、王義之という書道の大先生がいます。
おそらく地球上で最も美しい字を書いた方です。
この方の字体は、書家は、少なくとも書道をする上で、一度は手本したことがあるはずです。
で、先ずはこの字体を美しい形と言う前提で、頭に叩き込みます。
それを自分流に解釈しつつ、字を書くんですね。
ま、一種の最高にバランスのとれた形の再現です。

で、化粧というのは、自分の顔かたちを前提に、その最高の美形に近付けようとする努力のことを言うわけでしょ。
つまり、字で言えば王義之の字を手本にするように、

女性で言えば、楊貴妃かクレオパトラか、
まあ今時で言えば、自分の顔かたちに近い女優さんとかモデルさんの美しさに近付けようとするわけでしょ。
例えば、そもそもが、最高の美顔だったら、化粧する必要がないわけですよね。
理屈から言えばそうでしょ。
肌のつやと言い、目、眉の形と言い、顔の骨格と言い、鼻筋の通り具合と言い、

唇の格好と言い、それらの色つやが、何もしないでベストだったら、
化粧は必要ないでしょ。
それでも、きっと楊貴妃もクレオパトらも化粧はしたんじゃないか、と思うんですね。
いやあ、なんの確証もないのですが、きっとそうだと思うんです。
つまり、化粧は女性のサガなんです。

 

いまや、男にとっても、もちろん女にとっても、女性が口紅をぬるというのに何の抵抗もないでしょ。
でもよくよく考えてみれば、口紅を塗った唇が、最高の美とは思えないでしょ。
色つやが悪く、形もいまいちなら、そりゃあ修正のために塗るのはありでしょうが、
なぜか、猫も杓子も口紅を塗るでしょ。
今や女子高校生は、何のためらいもなく口紅を塗りますよね。
色つや形の良し悪しに関係なくです。
つまり、これは人類の文化なんですね。
そういうものだ、という。
ま、勘ですが、口紅というのは、化粧の最古の美化の方法なんだと思いますね。
で、その後、目のまわり、まゆなど手を加え始め、肌の下地をぬり始めた。
と考えると、化粧も進化しているわけでしょ。
まつ毛のエクステなんか見てると、これでもか、という感じがしますもんね。

 

ですから、その延長として、美容整形があっても不思議じゃない。
化粧が良くて、整形が悪いなんて、こと女性の美の追求から行くと、
そんなこと言ってられないでしょ。
男たちのうろうろしている間に、女性たちは、いかに美しくなるかにまい進しているんです。

 

でも、ま、結構な話です。
女性が美しいというのは、当の女性自身よりも、むしろ男たちが望んでいる事なのかもしれませんね。

不思議なんですが、アスリートでも、その身体能力の評価もさることながら、

美人かどうかが、併せてついてくるでしょ。
バトミントンとか、テニスとか、柔道とか一対一の戦いの中で、特にひいきが無ければ、
なんとなくかわいい子を応援してしまいますでしょ。
テレビのワイドなどで、コメンテーターとして、有能、雄弁の女性弁護士より、
美人の弁護士の発言のほうが、聞く耳を持ってしまうでしょ。
まさにこれは男のサガなんでしょうね。

 

そう、こう考えてみると、女性がきれいになりたいという本能にも近い行動をとるのは、
男という存在なしには考えられないでしょ。
つまり、男の評価を前提にしているんじゃないか、と。
間接的であれ、女性が化粧をしているのは男のサガに呼応しているのであって、
それが習いが性になって、女性のサガのようになってきたのは、
人類の延々と続いた、男女の相関関係によるものではないか、と思うんですね。

 

つまり、男の気に入る状況づくりに、女性が協力している、と。
そこに勇気を持って体にメスまで入れて、美しくなろうとしていること自体、
賞賛すべきことではないか、というのが結論なんですね。


いや、女性の皆さん、男のわがままに付き合っていただき、ありがとうございます。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 11:07 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
イベントとして考えると…

組織の運営というのは、
何もしないと、運営が日常に溶け込み、時にアクセントを失い、
その結果、だらだらし、活力が失われてゆくこをがあります。
そこで、なんだかんだとアクセントをつけるために、イベントの類を設定します。

 

私の父が、引退後、これと言ってすることが無く、正にだらだらした日々を過ごすようになったのですが、
それでも、何かにこじつけ人集めをするのが好きで、
誕生日はもちろん、よくぞそんなことを思いついたな、というようなことをテーマに、
人を集めて、食事会を開催していました。
すると、その数か月ぐらい前から、出席者の人選をはじめ、
場所、料理の内容など、結構こまごまと指示するんです。
で、案内を出す。
人数をまとめる。

こんなプロセスが楽しみの様にしていました。
で、数日前には、臨戦態勢のようになって、いよいよ当日を迎えるわけです。


私はそれを見ていて、人生の中で、だらだらした日々が続くのはつらいことなんだろうな、と思いました。
で、このイベントを設けることによって、退屈な日常から解放され、
少しは張りのある日々に切り替えられる、と。

 

今の私は、退屈の仕様がないほど、いろいろなことに手を出し、口を出していますので、
時に、予定が何もない日が、うれしく思えるほどです。
とは言え、なんだかんだと、そこここにイベントを設定するんですね。
まあ、これはこれで、一種の癖なんでしょうね。

今のところは、五月末のすさび会の会展です。
21日から26日まで、平塚市の美術館、市民ギャラリーで開催されます。
で、それが終わると、七夕祭りですね。
今年の飾りは、飲食店仲間で掲出を予定している一般飾りの部と、
紅谷町のシニア会、子ども会で掲出する市民飾りの部の、2本立てです。
ま、この内容は、間際で、ブログでご報告させていただきます。

それと、5月18日には、ミニライブをさる歌手の方と開催します。

 

ともかく、人には、日常とそれに刺激を与える非日常の適当な配分が、必要なんですね。

その意味でも、世間はいろいろと非日常のネタを提供してくれますが、
これは、国としてもある程度必要なんでしょ。
いい例が、2020年のオリンピック・パラリンピックがそうでしょ。
そこに向けて頑張ろう、みたいな人たちがいて、
国民としては、日の丸背負っている人を応援しよう、と。
これって、大きなイベントですよね。
2025年には大阪万博ということですが、少なくとも、関西のエリアの人たちは、
時にこのイベントが日常を打破するアクセントになるはずです。

 

その意味でも、結果としてですが、改元も大きなイベントですよね。
あの日の新聞の号外が、すでに5000円で取引されているとか、と聞くと、
その感心度とともに、結果としてこれは大きなイベントになったな、と思うんです。

 

ここで、国は、もう一つイベントを打ってきました。
新札への切り替えです。
なぜこの時期に、何の理由で、という疑問符は付きますが、
ま、これも一種のイベントだと考えれば、それはそれで納得するしかないでしょ。
テレビで、経済評論家と称する人が、新札切り替えの解説をしていました。
正直、違和感がありました。
その評論家の言い分。

まず、国内に眠っている78兆円のタンス預金を新札発行により、
表に引き出そうという狙いがある、と。
ちょっと待て。
新札発行後は、新札でなけりゃ、通用しないのか、と思いません。
福沢さんでも通用するはずなので、無理して、渋沢さんに変えることはないだろう、と。
よしんば、渋沢さんに変えたとしても、欲しいものがないにもかかわらず、
それを使うことはなく、またタンスに入れてしまうだろうと思うんです。
世の中、そんなお人よしばかりじゃないでしょ。
ある訳あって、タンスにしまっているわけだから、お札の肖像が変わったぐらいでは、バタバタしないでしょ。

 

その昔、私は、訳があって、ある人に数万円を渡すことになっていたのですが、
何故か、その人が取りに来なかったんです。
で、そうこうするうちに行方が分からなくなって、

その金を入れた封筒は、私の机の引き出しにしまったままになっていました。
で、この金はその人のものだから、と言う気持ちがあるので、どうしても手を付けられません。
そうして、もう、50年近くの歳月が流れました。
いまだにこの封筒は、引き出しの中にあります。
この一万円札は、聖徳太子の肖像です。
何時発行の札かどうかより、その札に込められた思いの方がずっと重いでしょ。

 

この渋沢さんが取り上げられたことで、
例によって、韓国からいちゃもんが出てきたようです。
「朝鮮半島の経済利権を侵略した急先鋒に立っていた男が、
新紙幣に描かれようとしている」と。
まあ、どう解釈しようと勝手ですが、
よその国の紙幣のデザインまで口出しするって、異常じゃないでしょうか。
もしこの議論が本格化するようなら、その議論そのものが、品格を欠く、本性を露呈したものになります。
人の頭のハエを追う前に、自分の頭のハエを追った方がいいんじゃないかと思いますね。

 

ま、20年経ったから、とか、偽造を防ぐとか、国の説明も明快ではないでしょ。
偽造防止というのは、偽造紙幣が出回って、言えることですものね。
また20年周期の新札発行も、そんなこと誰が決めたんだ、となるでしょ。


でも不思議なことに、新札を最初に手にする日が、妙に待ち遠しいですね。
その意味でも、これは立派なイベントかもしれません。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 10:07 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
猫がナンバーワン

犬と猫の飼育頭数が、ここ二年間ぐらいで逆転したようです。
例えば、平成26年の統計では、犬の方が猫より多く飼われていました。
で、平成30年の統計では、犬が減少し猫が増加して、逆転したのです。
その数、犬:890万3千頭 、猫964万9千頭。

猫に関しては、家猫の数です。

野ネコは含まれていません。


内訳をみてゆきますと、犬を飼っている世帯数は、715万9千世帯。
猫を飼っている世帯数は、553万9千世帯。
世帯としては犬が多いのですが、猫の場合複数飼育をするようで、

平均飼育頭数は、犬1.24頭に対して、猫1.74頭ということになっています。
つまり、猫好きな人は、複数頭飼うという傾向があるようです。
よく、犬がいいか、猫がいいか、という論争をする人がいますが、
あれはやめた方がいい。

だって、単純好みなんですから。

 

ま、逆に、それほど犬と猫は好対照の要素を持っていると言いう事ですね。
犬好きでも、猫ほどの数を飼う人はあまりいないわけですが、
犬に関しては、世話が大変である、ということを挙る人が多いですね。
先ず、散歩ですね。
うちのマンションに、年がら年中散歩に連れて行っている人がいて、
余りに頻繁なもんで、よく散歩に出られますね、と話しかけたら、
一日4回行くのだそうです。
4回もですか、と驚いていたら、このわんちゃん、家では一切、大小の便をしないんだそうで、
そのために、トイレタイムとして散歩をするんだそうです。
ま、可愛くてしょうがないんだと思いますが、ちょっと手間がかかり過ぎですね。
ですから、2頭目を飼おうとは思わないようです。

 

猫派の主な言い分は、孤高の良さを挙げます。
まあ簡単言えば、人間との距離を保っている、ということでしょうか。
犬は逆ですね。
密接な関係を持とうとするわけで、人によってはその情の深さがいい、という人もいれば、
その密接度で疲れてしまう、という人もいます。
猫の孤高ぶりは、逆によそよそしいとか、呼んでも来ない、とか、

ある種の冷たさに物足りなく感じているようです。
まあ、それぞれペットとして求めるものが、異なるんですから、
どっちがいい、なんて論争は実に馬鹿げたものなんです。

 

私は、どちらも飼いました。
今は、めだか1匹がせいぜいですが、その昔は、犬も猫も飼いました。
正直な感想は、正にどっちもどっち。
犬の面倒くささと、猫の薄情さのそれぞれが、自分には向いていない、と感じました。
ですから、今はめだかです。

 

私が、かつて身に着けた猫の知識は、猫が日本の渡来したのは、平安の頃、と聞きました。
瞬間的に、紫式部を思い浮かべたので、その頃なんだろうな、と。
そのきっかけはこういうことだ、と聞きました。
当時、中国と多少の貿易をするために、船が行き来していたわけですが、
中国からやってきた船の上に猫がいて、その猫を見た当時の人が、
余りに可愛いので、譲ってほしいと頼み込んだんだとか。
ここが日本に猫が上陸した最初、と聞いたのです。
そもそも、猫はアジアにはいなくて、西から渡来してきたものだそうです。
中国で、十二支が定められたわけですが、そこには猫は居ません。
ですから歴史的には、かなり遅くなって登場したのではないか、と言われています。
十二支に猫が入っていないことを、寓話風に伝える話がありますが、
もともと十二支が定められた時代には、まだ猫は飼われていなかったわけです。

 

古い中国の伝統的な新年の迎え方は、年明けとともに、その年の占いをします。
基本的には、身近な動物から占うのですが、大事な家畜たちがまず占われます。
ですから、うま、牛、ヒツジ、豚、鳥など、さらに犬などの家畜、

そして、新年になって七日目に人間の占いをします。
これは五節句の一つ、人日と言われる日です。
一月七日に相当します。

この日は七草を食べて、その年の無病息災を祈ります。
この大事な、家族のような動物たちの運勢を占い中に、猫は居ません。
つまり、そのころは、やはりいなかったということでしょうね。
で、したがって、日本に登場するのも、遅かったわけです。

 

ところが、どうもそうではないらしい、なんて証拠がぞろぞろと出てきたのです。
そもそも、メソポタミアから古代エジプトに伝わった猫は、そこで家畜化が進み、

現在の猫の姿になったと言われています。
そののち、地中海を渡ってヨーロッパにも広がり、

さらにその後、大陸を東に向かい、中国に伝わります。
で、中国から日本へ持ち込まれたと言うわけです。
ですから、最近まで、中国から日本に渡ってきた年代は、

奈良時代から平安時代の初期頃とされてきました。
私が聞いたのはこのころだった、ということです。
しかし、10年ほど前に行われた遺跡の発掘によって、

猫伝来の時期はさらにもっと昔だったらしいということになりました。

 

2007年に兵庫県姫路市の見野古墳から、猫の足跡のついた須恵器が見つかったのです。

ちなみに「須恵器」とは、古墳時代中期から平安時代にかけて作られた土器のことです。

で、この足跡はどう見ても猫だ、ということになり、

この須恵器が作られた時には、猫が日本にいたという事になるわけですね。
時代的には、今からおよそ1400年前の、

飛鳥時代には、猫が確実に日本に存在していたという証拠となったのです。
紫式部のイメージは完全に崩壊しました。
とは言え、1400年前なんですから、
長い歴史で考えたら、東洋人にとっての猫は新参者にすぎないでしょ。

 

その出遅れた猫が、今やペットナンバーワンの地位を得たのです。
だからなんだ、ということですが。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 10:59 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
不倫も男女平等

ブルネイの刑法が強化されたというニュースを読みました。
多分、もともと、イスラム系の国ではありがちだった刑法ですが、
時代とともに曇ってきた対応を、ここで一気に磨きをかけた、という感じでしょうか。


で、ブルネイってどこだ、と思う方もおいででしょ。
私もそうでした。
まあ、申し訳ないですけど、気にもかけていなかったということでしょうか。
で、調べてみたら、こういう国です。
まずは東南アジアの地域で、ボルネオ島の北部に位置します。
インドネシアに囲まれていて、海を隔てて北西に700キロほど進むと、ベトナムのホーチミンに着きます。
もともとはイギリス領でした。
で、独立して、ブルネイ・ダルサラーム国を名乗ります。
ここは、君主国家で、王様がいます。

かなり強力な権限を持っているようで、首相も兼任とか。
きっとこの王様、超敬虔なイスラム教徒なんでしょうが、ここにきて、冒頭のように刑法を強化したんですね。
不倫は石投げの刑だそうです。
窃盗は、両手を切り落されるそうです。
これは強烈ですね。
日本でこんな解放を実施したら、毎日何百、いや何千、何万人と石投げの刑にあいそうです。
町中に手首から先の無い人がウロウロしそうですね。
いや、そうなると、不倫はしたくてもしない、ということになるのでしょうね。
石投げの刑を覚悟してまで、一線を越えようとは思わないでしょ。
と、正に目には目をの世界です。

 

江戸の頃、公事方御定書という法律書では、不義密通に関する刑罰が記載されています。
それによりますと、両者死罪の重罪とされているばかりか、

協力者もまた追放か死罪だったようです。

飲酒運転者の助手席に座っているようなものです。
結構厳しいでしょ。
でも人のサガは、それでも抑えきれないんですね。
で、ついつい魔がさしてしまう。
いや、なぜか女性の方を処罰対象にしているんですが、
その夫が現場を押さえた場合、姦男と妻を殺害しても罪には問われることがなかったんですね。
なんかのセリフに、二人重ねて一刀両断、というのがありましたが、
夫の権限として、そこまでのものを与えていたということです。
正に男尊女卑の思想です。
さて、見つかってしまった場合、男は殺されても仕方がない、

まして、公訴されれば死罪は確定ですから、どっちにしても命がない。
そこで、そこをなんとか、と命乞いをするわけです。
で、和解をするためにいくばくかの金を巻き上げられるんですが、
その相場が、なぜか、七両二分と決まっていたようです。
これは、その頃の文献にも書かれていますし、
落語などで語り継がれていて、間男は七両二分、という言葉が登場します。
この金額は、今の金額に換算すると、およそ150万円から200万円相当だそうです。
ま、高いのか安いのかはともかく、
話しが壊れて公訴になると死罪ですから、命乞いのお金としてはまあだとうかな、と。
でもそれが不義密通の対価としては、割に合わないでしょ。
でも、我慢できない連中と言いうのはいるんですね。


で、この姦通罪というのは、明治になっての刑法にも反映されました。
その内容は、夫のある妻と、その姦通の相手方である男性の双方に成立するものとし、
夫を告訴権者とする親告罪とされたのです。
ただし、夫が告訴するには、姦婦との婚姻を解消し、または離婚の訴を提起した後、という制約がありました。
まあ、その後も水に流して一緒に暮らしている場合は、姦通罪は成立しないのです。
そして、この姦通罪は、内縁の夫のある女が他の男とやっちまっても姦通罪は成立しないのです。
つまり正式な夫婦にのみ適応されるということですね。
さて、ここが問題なんです。
それは、正妻のある男が他の婦女と私通しても姦通罪は成立しない。
と、あるんです。
つまり姦通罪は、原則、女性に適応され、男性には適応されないんですね。
この男尊女卑的な思想は、江戸の頃から受け継がれてきました。


で、終戦後の刑法改正では、あれこれもめたそうです。
つまり男女平等社会を目指そうという事ですから、
男だけ優位に置くのはおかしい、と。
じゃあ、女にも、男を処罰できる権限を与え、
男女平等にしようか、と議論されたのですが、
なぜか、男女平等ということにするなら、
男に許された不倫を女にも許そう、という考えになったんですね。
まあこれは一歩前進なんでしょうか。

 

新しい刑法の解釈では、夫婦間の信頼がどうこう、という問題をのぞけば、
いままで男には許されてきた不義密通を女にも許そうというわけですから、
かなり、お好きのどうぞ、の世界に切り替わったんですね。
まあ、法的にはの話です。
道義的には、むしろ厳しくなっていますが。

 

江戸の頃の死罪、ブルネイでの石打の刑。
ま、命がけでも不義密通は行われてしまうんですね。
なんというか、男のサガなんでしょうか。

江戸の頃の言葉で、
一盗、二婢、三妓、四妾、五妻、ということを言われてきました。
ま、解説するまでもないんですが、
解説好きなので、解説します。
一盗は、人妻を相手にするということです。
二婢は、家で使っている下女と出来てしまう、ということです。
三妓は、いわば商売女、芸妓など色を売り物にしている女性と事をなすことです。
で、四妾は、言葉通り妾としてかこっている女性との関係です。
最後が奥さまです。
この順番は、男がもっとも興奮する相手という事なんです。
確かに、この中で死罪に相当するのは、一の「盗」ですから、
そりゃ、命を懸けるだけの精神的高揚はあるんでしょうね。
今は、お好きにどうぞの世界ですから、その意味では
命を懸けているわけではない。
つまり、精神的高揚はかなりレベルダウンしているはずです。

さて、そんなことで高揚を求めるなら、ブルネイに行って不倫相手を探せばいい。
ブルネイの刑法では、外国からやってきた人間も同等の処罰をする、と書いてありますから。
正にブルネイでは命がけですよ。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 10:43 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
そこまで報道するのか

最近、耳にするニュース、いや、目にするニュースで気になることがありました。
公園の鳩を、毒薬を混ぜたエサで殺したとかで、逮捕されたある大学准教授のことです。
まあ、ニュースで伝えられて範囲では、どちらかというと変人のようで、
常識的判断ができない人が、しばしば引き起こす社会的な問題の一つです。
例えば、ゴミ屋敷の住人など、要はこの類で、社会性の欠如は、健全な人間とは言い難い側面もあるようです。
したがって、隣人とのトラブルが発生したりとか、最後の最後は警察が登場し、
なんとかかんとか法に違反で事情聴取が行われたとか、テレビで報道されることがあります。
ま、今回の鳩騒動もその一種と言えば一種なんでしょうが、
ここでも法的解釈が、どうも微妙なような気がするんです。

 

適応の法律は「動物の愛護及び管理に関する法律」、
いわゆる動物愛護法です。
で、これによると、
「すべての人が動物は命あるものとして認識して虐待などを無くし、
人間と動物が共存できる社会をつくる」という法律です。
すべての人であって、すべての動物ではありません。
ここがややこしいところなんですね。
すべてといいながら、規定としてはすべてではないんですね。
規定としては、牛、馬、豚、めん羊、やぎ、犬、猫、いえうさぎ、鶏、いえばと及びあひる
とあります。
規定されているとはいえ、牛や豚は最後に殺して食っちまうでしょ。

これって愛護なんでしょうか。

そもそもが牛や豚をペットで飼っている人はほぼいないでしょ。

さらには、ここから外れた動物たちはどのように扱えばいいのか、でしょ。

 

准教授の行為は、肯定されるものではありませんが、
法文としては、「いえばと」と書かれているんですね。
公園の鳩はいえばとなのか、と。

誰が飼ってるわけではないだろうと。

今時の言い方で言えば、コミュニティハトですよね。

 

なんとなくですがここに例示された動物たちは、人から餌をもらって飼われている、という感じがするでしょ。
つまり家畜とかペットとかの類です。
ですから、家畜やペット以外では、そこで出てくるのが、野生動物の関する保護法です。
正式には、鳥獣の保護及び管理並びに狩猟の適正化に関する法律といいます。
この目的は、鳥獣の保護及び管理並びに狩猟の適正化を図ることと、
生物の多様性を確保し、自然環境の恵みを得られる生活環境の確保などを目指しています。
主には、野生動物の保護を図る中から、狩猟とによる制限を設けています。

 

さて、公園の鳩は、この中に入るのか、ということになりますね。
まあ、野生とは言い難いんでしょうか。

ですから、一般的には、鳥獣保護管理法よりは、動物愛護法での違反と捉えるでしょ。

 

つまりです、このように解釈がばらつきそうであるということ自体、

日本では動物一般に関する概念がどうも低いようなんです。

 

国際間の法的な整備度の比較では、圧倒的にその法整備が遅れています。
その背景は、国民の意識が低いからなのです。
それと現状の人間と他の動物たちとの関係、

とくに、ペットと野生の間の関係が、とてもあいまいになっていて、
さまざまな法で、実態を押さえきれていないんですね。

 

例えば、ネズミです。
これは昔から、ネズミ取りなる道具がありますし、それで捕獲したネズミは、
大体水死させますでしょ。
私は、子どもの頃、海岸で火をかけて殺したことがあります。
あれって残虐な殺し方だ、と、今なら問題になったかもしれませんね。
ま、ともかく、ネズミは、この制約にはありません。
したがって、いわゆるネコイラズの類で毒殺をしても、愛護法の違反にはなりません。
つまり、動物が人間に危害を加えるというような場合は、その処分がおおむね認められているんですね。

 

ですから、公園の鳩はいえばとではありませんが、

野生動物としての対象になるんだと思います。

ま、解釈がどうであろうと、あのような残虐な殺し方というのは、

それなりの処罰を受けるべきでしょうね。
だって、あの鳩たちがその准教授を攻撃したわけではないですもんね。

 

我がマンションの付近には、

朝になると大量のカラスがやってきて、路上のごみ袋を食いちぎり、
餌をあさっています。
これがベランダの手すりに止まって、糞をしたり、大声で鳴いたり、

住民の中には、カラス恐怖症なっている人もいるのですが、
これは処分するにも、簡単にはいかないんですね。
それは狩猟の方法が認可されないからです。

そうなると、いい迷惑、と言えることでも、人間が作った法律に人間が縛られているわけです。

これは線の引き方にグレイゾーンが多く、実態と動物保護、愛護の精神が一致していないということなんですね。

 

日本の国会でも動物愛護の法律については、しばしば手を加えてきましたが、
昨年成立か、と言われたこの法律の改定案は、見送られてしまいました。
国会としては、どうでもいいじゃん、という扱いなんでしょうね。

 

確かに、まだまだ愛護されるべき存在として、
動物以前に人間そのものの問題も山積しているわけですから、
ここはちょっと後回し、といいうことになったようです。

正に考え方一つなんですが、どこがどうというわけではありませんが、

私たち自身の中に、あいまいな部分があるからこその
法の未整備ということになっているのではないでしょうか。

 

それにしても、昔だったらこんなことでいちいちテレビのニュースでは取り上げないだろう、

ということが、多く報道されるようになってきました。
メディア自身のチェック機能が過敏になりすぎていないでしょうか。
どうでもいいことまでいちいち取り上げるな、という感じがしますけどね。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 15:19 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
元号考

一昨日、新元号の公表があり、一日たった昨日、
より一層のさまざまな情報が公開されていました。

思いの外、ネタが簡単に割れましたね。

あのガチガチの秘密主義は何だったんでしょうね。

まさに、余韻冷めやらぬどころか、ますますヒートアップしているという感じですよね。

 

冷静に様々な人々のコメントを見てみると、
当然ですが、容認派と否定派に分かれます。
まあ、どっちでもないというか、関心がないというか、

これといった反応もない中間的な人もいるわけですが、
各メディアの世論調査では、おおむね好意的に受け入れられている、ということでしょうね。

 

私は容認派です。
否定派の人の意見を聞いていると、

まず、元号という制度の意味を理解していないようにに感じます。
ただ、気が付くと世間でそう言っている、といったところで、

今まで唯々諾々としたがってきた、という事なんでしょうか。
ここで、改めて元号の意義みたいなものを考えたところで、国民主権の民主主義国家が、
なんで、象徴にすぎない天皇家の看板を一緒に掲げなくてはいけないんだ、みたいな論調ですね。
基本的にネガティブな視点だと思うんです。

 

この元号の制度は、すでにメディアでもさんざん解説していますが、

大化を祖として、1374年余り続いている日本民族の伝統的な文化なんですね。
そう、文化なんです。
よその国にはありません。
ま、かつて中国にも、東南アジアの国々にも、元号があったそうですが、これは途絶えてしまった。
日本は、地球上最も長い歴史を持った国家形態の整えられた国なわけです。
中国4千年とか言いますが、現国家の中華人民共和国なんて、100年の歴史すらないでしょ。
秦の始皇帝の末裔が国家の中核的存在なわけでもない。
それに比べて、現日本国、天皇家に至っては、

神武天皇から数えて、皇紀二六〇〇年を超えるわけですし、
昭和20年以来、天皇は、象徴として存在することになり、今や国民主権の立派な民主主義国家です。
しかし、その中核であった天皇の存在を受け入れているわけですから、
懐の広い民族性があると思うんですね。
歴史と伝統を肯定する、その上で未来を展望するという民族性です。

 

さて、改めて元号の意味を考察してきたんですが、
昨日も書いたように、元号で言い表さんとする意味、意義は、

国としてのある種の目標なんではないか、と。
会社で言えば社是です。
組織で言えば、綱領のようなものです。
忘れてはいけない基本的姿勢、指針ですね。

 

ですから、ここで新たな目標設定をしたわけですが、
令:品性豊かで潤いのある心をもって、
和:敬意を持ちあってともに生きようとする
そういう日本の国にしたい、という時代目標にすべきでしょ。

 

そこで、そもそもなぜ元号を制定するようになったのか、ということです。
その前に、改元と言いますが、これは、元号を変えることによって、その始まりが元年になるからで、
ま、それまでの流れの初期化と思えばいいでしょうか。
現在は、一世一元の制といって、天皇の現役の間、元号は同一になっています。
明治以降、こういう制度になっているので、私達は、天皇の在位の限り、元号は変わらないと思いがちですが、
実は、大化以来、しばしば在位中に改元が行われていました。

 

例えば、鳥羽天皇の時ですが、5回の改元をしています。
ですから、元号の使われている期間というのは、やたら短いんですね。
過去248の元号の期間をチェックしてみますと、一年ぽっきり、というのが、26回もあります。
全体の1割以上です。

まあ、何でそうなのか分かりませんが、ある要因で改元したようです。

 

元号の期間なんですが、1374年間で、248ですから、平均で5年と半年。
まあ、昭和が最長ですから、この64年間を平均で計算すると、
昭和のあいだに11.6回の改元が行われていた、ということですね。
こうなると、ややこしくて、
例えば、昭和6年には次の元号になっているということです。
昭和以降、5〜6年で、正仁・久安・慶文と続いたとしましょう。
で、私は慶文2年に生まれました、と言われてもいつなのかよく理解できないでしょ。
何しろ5年ちょっとで元号が変わるんですから。


それでも、2ケタの元号期間というのは当時でもあって、その階数31。
この2桁があって、次の2桁まであいだが最長で315年間空きました。
言い換えれば、315年間1ケタだったということですね。
この間に96回の改元が行われ、その平均は3.2年。
ともかく、やたら改元したようで、実際昭和の64年間に当てはめてみると、
なんと20回の改元です。
オリンピックのインタバルより短いんですから、もし今の時代がそうだったら、
こんなに国民の注目を浴びなかったでしょうね。
何だか、また変わったらしいね、ぐらいで終わりでしょ。
もし、今の時代だったら、カレンダーとかその他さまざまな書類も

いちいち元号を追いかけなければいけないんで、
きっと西暦にしてしまうでしょうね。
かえって、元号の存在感が薄れてしまうのかもしれません。
一世一元で正解ですね。

 

じゃ、なぜ当時は頻繁に改元したんでしょうか。
それにはどうもこんな理由があったようです。

その基準なんですが、

 

1.天皇の交代による代始改元
つまり、新任の天皇になったのだから元号を併せて変える、というものです。
しかし、現実には、いわば就任後、2〜3年後に改元という例もあるようです。

 

2.吉事を理由とする祥瑞改元
ま、東京オリンピックが開催されるのでこれに合わせて、改元しよう、というようなことです。
多分、当時国営に近いような大寺院の建立などがあり、

その開眼とともに改元なんてこともあったんじゃないでしょうか。

 

3.凶事に際してその影響を断ち切るための災異改元
これはその頃のコレラなど流行病などで、疫病が蔓延したとか、
気候不順で、凶作が何年も続いたとか、
大地震、豪雨、火山の噴火など、自然災害の被害を蒙ったなど、
まあ、凶事を断ち切りたいなどの祈願を込めた改元などもあったようです。
ま、いずれにしても、この元号の時は、

国家安泰で、国民が幸せに安寧に過ごせますよう、

という願いが込められていたことは間違いありません。

 

今は、人類は、文明的に大きく進歩しました。
つまり、人間の意志によって、時代は作り上げられてゆくわけです。
だからこそ、あるがままを脱却して、望ましい希望に溢れた時代を形成してゆくべきでしょ。

 

その意味で、元号は国家目標なのではないか、と思うんです。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 10:43 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
元号は日本国の目標

いやはや、恐ろしいほどのスピードで、日本中が一挙に令和を取り入れました。
ほぼ一瞬という感じでしょ。
ゴム印業者は、2,30分後には訂正印が出来上がっていましたし、
名入れのTシャツも昼過ぎには出来上がっていました。
子どもたちのお習字でもすでに令和を書き上げましたし、
弁当屋でも、ネギトロを絞って令和と書いたネギトロ弁当が売られていました。
これはランチタイムに間に合うというんですから、
まあ、せっかちと言えばせっかちですよね。
もちろん、私もご午前中の予定はすべてゼロにして、テレビの前に座り込んでいました。
で、ご存知、菅官房長官が新元号を掲げた時、???と思ったんですね。
なんだこりゃ、と。
かみさんの父が、一緒にテレビを見ていたんです。
御年95歳。
まあ、この年で薬を一切飲んでいませんし、誰の手を煩わせることもありません。
すべて自分で行動するんですね。
矍鑠たるもんです。
この義父は、戦争中兵隊にとられ、南方の島に送られて、戦況が悪くなったんで、
後退をすることになり、迎えに何とかという船が向かったのだそうです。
で、なんの理由か、部隊の数名が残ることになり、その居残り組に入れられたのだそうです。
ところが本隊の兵隊を乗せた船が、島の沖合で撃沈され、あらかたが犠牲になってしまったとか。
島に残された時は、これで最後かと覚悟したそうですが、逆に命拾いをしたわけです。
戦争でそうなったのか、性格なのか、私にはわからないのですが、
まあともかく寡黙で物静かな人なんですね。
この義父が、テレビで「令和」の文字を見た途端、何だこりゃ、と怒ったんです。
声を出して、不満を言うなんて珍しいことです。
きっと令という文字から、命令の令、和から、従うという解釈をしたんでしょうね。
和するということは、その根底に自分を捨てるという意味が含まれます。
言われたことを進めるために、心ひとつにせよ、みたいな解釈だったのだと思います。
戦争中の、横暴な上官の言葉でも思い出したんじゃないでしょうか。
夕方のワイドでこのことが繰り返し放送されましたが、そのたびに、怒ってました。
まあ、そういう解釈もありでしょうね。

 

そもそもが平成に切り替わった時、妙な違和感を持ちませんでしたか。
履きなれない新しい靴をおろした時みたいに、
なんかフィット感がない。
でもいつか慣れるもんで、
今回も、すぐに慣れると思うのですが、義父には長く違和感を持ち続けるでしょうね。
まあ、なんだかんだと、大正、昭和、平成、令和と生きてきたんですから、
なにか、思うことがあってもそれはそれで、受け入れてあげなければ、と思っています。
ま、義父もいずれ慣れるとは思うのですが。


実際、典拠となった万葉集では、令月という表現ですから、
このましい、とかすぐれた、とかの意味なんですが、
令そのものを辞典で引けば、
,いい弔韻襦L燭犬襦いいつけ。「令状」「命令」
△里蝓きまり。おきて。「訓令」「法令」
おさ。長官。「県令」
い茲ぁりっぱな。「令色」「令名」
ヂ梢佑凌涜欧紡个垢觀評痢「令室」「令嬢」
とあります。
命令系の解釈と令名系の解釈の二つがありますが、
通常、辞書を読み取るとき、書いてある順序がプライオリティの高いものなんですね。
つまり、普通は命令形の解釈が主で、令名系の解釈は従になってしまいます。
ですから、そういう解釈をする人がいても不思議ではないんですね。


でも、令和を選択した理由は安倍首相が説明した通りなんでしょうから、
勘ぐった解釈をして、いちゃもんをつけることはないでしょ。

夜のワイド系の情報番組で、野党各党のコメントを紹介していましたが、
左寄りの党は、なんだかんだといちゃもんをつけていました。
正直、国民の心情を汲む能力がないのか、もしくは、
党の体面として、一言言わないと、野党としてのアイデンティティが失われると勘違いしているのか、
まあどちらかでしょ。
令和と墨痕鮮やかに習字を書いた子が、テレビのインタビューで、平和の世の中になるとうれしい、と言ってました。
これが本来のコメントでしょ。
いくら政治家と言えど、このような手立てで決まった元号を、修正、変更できるわけないでしょ。
だったら、国民に希望を与えられるようなコメントをすべきでしょ。
私は子供の方がよほどましだと感じました。
なんでも文句を言うというのは、冷静に見ていると、品性に欠けますね。
物事をプラスの視点で見れないやつって、何をやっても駄目ですもんね。

 

さて、改めて、日本の国って、なんで元号で、ある期間を表すんだ、と思ったんですね。
まあ、大化以来続いている国の根本的な制度なんですが、
確かによその国にはなく、世界広しと言えど日本独自の制度でしょ。
例えば、西暦だと単に数字での表現ですよね。
私は1944年生まれ、つまり、イエスが生まれて1944年後に生まれたという事でしょ。
2019年は、2018年の次の年、ということに過ぎないでしょ。
でも、よく考えてみれば、元号はその時代のタイトルでしょう。
平成というタイトルの期間が終わり、令和というタイトルの時代が始まったわけです。
2018の次の2019とは意義が違うでしょ。

 

日本民族として、そのタイトルはいわばテーマであり、
言葉の意味をしっかりと理解すれば、それは国民としての目標になるんじゃないでしょうか。
平成に生きる、ということから、令和に生きるという転換になるわけです。
まあ元号をそう考えると、単に時間の流れの一区切り、と言うだけでない、

深い意味を与えることができるでしょ。
これは、よくよく考えれば素晴らしいことですよね。
万葉の頃に日本人が持っていた感性を取り戻そう、という時代が始まるんですね。
武道場に、鍛練とかの文字が掲げてある。
会社の社長室に敬愛とかの文字が掲げてある。
これと同じように、この後何十年か、

日本という国に、令和という文字が掲げてある、と言うことですね。
大事なことは、飾り物にしないで目標として実践的に扱うことです。

 

過ぎてしまったのですが、昭和とはどういうテーマだったのか、というと、
四書五経の一つ書経尭典が典拠だそうですが、
「百姓昭明、協和萬邦」からとったそうで、
人々はすべて聡明で、様々な国が仲良く助け合うという意味を持ち、

それは、平和への願望であると言われていました。
で、昭和の64年間はどうだったのか、と言えば、

最初の20年間は真逆の時代を作り上げてきたのでしょ。
正に、戦争の時代でした。
真に昭和という時代のタイトルを国の目標にしていたら、
あんなばかばかしいことはしなかったはずです。

 

大事なことは、元号を唯の飾りものにしない、ということですね。

 

| 水嶋かずあき | あれこれ | 01:23 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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