水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
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要は、人としての生き方でしょ

以前、大みそかにテレビで、K−1を中継したことがありました。
で、その日の昼ごろ、おじいちゃん(かみさんのお父さん)に、
今夜のテレビは何かを見るのか、と聞いたんです。
なんとなくですが、紅白でも観るのかな、と思っていたんですね。
すると、「ケイイチを観る」と。
なんとかけいいち、と言う役者でも出るドラマか、と一瞬思ったんです。
で話を進めたら、なんと「K−1」のことだったんですね。
確かに、ケイイチでもいいかもしれない、と。

 

そういえば、最近、しばらくK−1などテレビで放送しなくなったな、
と思っていたんです。
格闘技も、様々な団体が立ち上げられ、いろいろな名前を名乗り、
それぞれに微妙にルールが異なっていたりするので、
そのあたりがちょっと違和感を感じていたりするのですが、
見ていればそこは理解できますし、
何より、リングで戦う格闘技は、真剣そのものでしょ。
その真剣勝負のだいご味が、なんといっても魅力の一つですよね。

 

その意味で、例の日馬富士暴行傷害事件ですが、
まあ、だらだらと言った感じで事の展開があり、
あろうことか、テレビ局が朝から晩までなんだかんだと取り上げる。
露骨な言い方すれば、あるスポーツ団体が、不祥事を起こし、
その問題解決にもたついているという事を、
あんなに時間を使って情報を流すという必要があるのか、と思うんです。


だって、その分、本来必要な情報を流せないわけでしょ。
これは、国民にとってある種の損失じゃないですか。
この問題はたかだか暴力問題とその対応のまずさに過ぎず、
そこに焦点があてられていますが、
問題の本質は、大相撲というものが、多少の八百長を含んでもよしとする
観戦型のスポーツなのか、
それとも、一切そういうことを許さず、ガチの真剣勝負のスポーツなのか、
そのどちらをみんなが望んでいるのか、でしょ。


はっきり言って、相撲関係者や、ワイド番組の関係者が
したり顔で問題の裏側の解説をしていますが、
殆どと言って、観客の心理、相撲ファンの心情と言うものを汲み取ろうとしていない。
これは、相撲協会を含めて問題の当事者が、何で食っているのか、という認識と、
相撲ファンへの謙虚な思いが欠落している、と思うんですね。
にも関わらず、貴乃花対協会、とか、日本人力士対モンゴル力士の様な、
ある種の構図ばかりに目が行っている。


この問題の根底は、要は、ガチ対注射アリの対決でしょ。
注射アリとは、勝ち負けを時に金銭で左右したり、
ある種の忖度で左右したりするという事です。
ガチでなくともいい、と言う人だっているはずです。
また、ガチでなくちゃあ格闘技とは言わない、と言う人もいるはずです。
例えば、プロレスって、どこまでガチかよく分からないでしょ。
でも、あれを一種のショーとしてみつつ、
格闘技としての肉弾戦を楽しむという観方だってあるんです。
だから、勝負事と言うのは、ガチでなくてはいけない、という考えは決してすべてではないんですね。
でも、人によってはガチを喜ぶわけですから、ここが悩ましい所でしょ。
ま、ともかく、ここのガチかガチでないかの認識の違いが
日馬富士事件の評価につながってゆくと思うんです。
ガチ派は、貴乃花の思いを受け入れますし、
そのことを二の次にする考えの人は、協会派を支持するんですね。

 

さて、その意味では、私はガチ派なんでしょうか。
例のK−1なんか、興味津々で試合を観ますから。
このK−1に、久々に日菜太が登場しました。
今や、この類の格闘技はマイナーな存在なので、テレビなどでもあまり放映されませんが、
久々に、見ることができました。
一応今回のタイトルは『K-1 WORLD GP 2017 JAPAN〜SURVIVAL WARS 2017〜』
という長いものなんですが、
要は 来年の3月21日にさいたまスーパーアリーナ・メインアリーナにて開催される
『K-1 WORLD GP 2018 JAPAN〜K'FESTA.1〜』と言う、

これまた長い名称の大会の予選として開催された試合なんですね。
で、日菜太はこの予選で廣野祐との次期挑戦者決定戦を戦い、
勝利して、決勝に進むことになった、というわけです。


日菜太は、平塚出身で、以前、ナパサの「この人と60分」と言う番組で
対談をさせてもらったんですが、
まあ、こう言うのもなんですが、その人柄のいいこと。
こんな性格で、格闘技ができるのか、と思うほど、純粋な人物なんですね。
話をしていて、その場でファンになってしまいました。
私は彼を見ていて、格闘技の中に道を求めていると感じたんです。
つまりそのことに関わることの中から、人間としての生きざまを探求する、
とでも言ったらいいでしょうか。


柔らを究めようとすることから柔道があり、
お茶を探求する事から茶道があるように、
何とか道、と言うのは人の生きざまに関わることなんですね。

その手段、テーマに関わることの中から人間の生きざまを体得してゆくというのが「道」です。

 

話が行き来しますが相撲道という言葉を使うなら、
その先に人としての生きざまの追及を意味しなくてはいけないと思うんです。
ま、その意味では、今回の大相撲のドタバタ劇は、どっちもどっちですね。
人間道を求めているとは思えない。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 07:36 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
当事者の意図や思惑を別にして、私は今回の騒動を開かれた社会派と閉ざされた社会派のガチンコとみています。開かれた社会派はまず問題をオ−プンにしなければいつまで経っても解決に向かわないと主張するでしょうし、閉ざされ派はそうはいっても不祥事を内部で解決していくようでないと、伝統的な文化を守っていけないしまたこれは伝統文化に携わるみんなのためでもある、と考えているのでしょう。
| やぶ枯らし | 2017/12/29 10:44 AM |









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