水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
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抑止力の限界

集団的自衛権が容認されると、なお一層、自衛と言う大義名分で
戦闘能力の強化と軍備の拡充が進められようとしています。
日本の防衛費の総額は、5兆円を超えているんです。

どうしてそんなものまで必要なのか、という国民の疑問への答えは、
一言、抑止力の強化、ということです。
抑止力と言うのは、見えない恐怖への対応策で、
恐怖のレベルとか、内容はすべて想像です。
かもしれない、と言う。


かつて、十分に対抗できるだけの兵士、武器、軍隊を持っていない民族は、
欧米列強に侵略を受けてきました。
時に、多くの民が虐殺され、築いてきた文化は破壊され、
最後は植民地として統治され、搾取されてきました。
南米においてスペイン・ポルトガルがインカはじめとする南米の文化を破壊してきたのもそうですし、
アジア諸国が、イギリス、フランス、スペインなどの植民地化されたのもそうですし、
アフリカにおいては、多くの黒人が奴隷として拘束され、アメリカに送られてきました。
強者が弱者を銃などの武器で従わせて、自国の利益をむさぼったのです。
人間の業のなせるわざとして、肯定的に容認するのか、
二度とあってはならない罪深い経験として、記憶にとどめるのか、
人によってとらえ方が違うと思うのですが、
こういう経験を人類はしてきた、という事実の認識は必要でしょ。
その上で、またある事なのか、もうないことなのか、
あってはならない事だから、ないための努力をすべきだが、
ではどういう方法があるのか、
などなど、さまざまな考え方に対する、一つひとつの答えを出すべきでしょ。
そこで、よく分からないから、さしあたって、
攻め込まれないための軍備を拡充しよう、と言うのが、抑止力と言う概念です。

南米や、アフリカの黒人や、アジアの国々が彼らに対抗できる軍事力を持っていたら、

こんなことは起きなかった、と言うのは、意味のない仮定の話です。


抑止力とは、「行為の達成が困難、または代償が高くつくことを予見させ、
その行為を思いとどまらせる力」のことを言います。

つまり、人間は、我が利益の為なら、平気で人を殺すという事です。
一対一の殺人ならまだかわいいものですが、
国対国で、戦争と言う、何万、何十万、何百万と言う人の命を殺し合うわけでしょ。
これがまた起きるかもしれない、という想定をするのか、
いくらなんでももう起きないだろうとするのか、です。
ただ、まちがいなく、武器は進化してきていて、
自国兵士の安全は確保しつつ、大量に相手を殺傷しようというように、
残虐な兵器が次々開発されています。
要は、いかに人を殺すかと言う道具です。
この中でも、最も悪辣な兵器が核爆弾です。

 

例えば、北が南のどこかの都市に核爆弾を打ち込んだとします。
ま、その後の交戦はなくて、たった一発だけのこととします。
戦闘は拡大せずに済んだ、と、皆胸をなでおろすでしょ。
時に近隣国の日本はその程度でよかった、と安堵するでしょうね。
しかし、被爆した地の人々は、多くが死を迎え、死なないまでも、
強烈な火傷をし、そのような状況の地域に救護隊と言えど、
被曝の恐れがある以上近付けません。

何しろ、今の核爆弾は広島原発の100倍と言う威力なんです。
結局は、世界中で同情を受けながら、手も出せず、その復興には、
とてつもない歳月がかかり、その都市は消え去って行くのです。
標準的な核爆弾は500万トンの粒子を空中にまき散らすことになり、
これが太陽光線を10%遮蔽します。
この影響で、世界中の穀物が不作になり、核による飢餓が生じます。


このようなストーリーは、何も大げさなものでなく、
国のリーダーたるものは、一発の核爆発が、どのような結果をこの地球にもたらし、
どのような影響を神対が受けるかについては、常識なんです。


これが一発で済んだ場合です。
ですから、報復に次ぐ報復が行われ、何十何百もの核兵器が使われたら、
まあ、人類は、いや地球上の生物は、ほぼ絶滅することになります。

ですから、このことを常識として理解してるなら、
先制する方も、反撃する方も、共倒れになる、という前提ですから、
抑止力なんて概念は何の役に立たないわけでしょ。
戦い方の中に、自己犠牲を前提に、
肉を切らせて骨を切る、みたいな考えがありますが、
こちらの骨が切られなかったとしたって、時間の問題で、共倒れになるんですから、
抑止力なんて幻想は何の意味もないという事になりませんか。

代償が高くつくことを予見させ、その行為を思いとどまらせる力、なんですから、
相手が、思いとどまる予見力が必要です。
もし、この力が無かったり、そういう論理を無視する相手だったら、
抑止力として用意したものは何の意味も持たなくなるでしょ。
特に、戦争などの行為に進もうとするやつは、正常な神経ではないでしょ。
とてつもないナルシストだったり、情緒不安定な精神状態だったり、
時に狂気の判断を平然としたりするわけですから、
そういう人間に抑止と言う概念を理解できるかどうか疑問ですね。

つまり、抑止力が効かない以上、核兵器を持つことが抑止にはつながらない、
という事です。

 

1947年から、1989年の米ソ首脳による冷戦終結宣言まで、
42年間にわたって、東西冷戦が続きました。
なぜ冷戦と言ったのか、と言うと、具体的な武器、兵士による交戦が無かったからです。
米ソは、ただひたすら、抑止力と言う概念が敵方からの先制を防ぐ、
と言う抑止力神話を信奉し、相手を上回るミサイルと核弾頭を作り続けてきたわけです。
結局冷戦終結により、不良在庫となった核とミサイルの処分に今度は大いに苦労するわけです。

これはいい経験だったはずです。


冷静に考えれば、抑止力なんてことは、弓矢や単発の銃あたりが武器だったころの話で、
近代軍備装備の世界では、正に諸刃の剣になってしまうでしょ。
抑止力よる安全保障は、なんだか時代遅れも著しいのではないか、

という気がするんですが。

 

| 水嶋かずあき | あれこれ | 10:25 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
水嶋氏の多岐にわたる知見の広さに敬服。特に政治的な意見の発信には力づけられます。
| もっちゃん | 2018/02/26 10:37 PM |









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