水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
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神の存在証明

フランシスコ・ローマ法皇が、地獄はない、とおっしゃったとか。
昨日の続きです。

 

天国、地獄の前に、神はいるのか、という事が順序です。
もしいなければ、天国も地獄もないわけでしょ。

昔ちらっと読んだ話で、その出所が誰だったの忘れてしまいましたが、
なんとなくの記憶によると、
アリストテレスとか、カントとか、ソクラテスとか、その頃の哲人だったと思います。
で、なんと言ったか、と言うと、
まずは4つの分野を想定しました。


/世呂い襪隼廚辰神犬方をして、実は神はいなかった場合。
⊃世呂い襪隼廚辰神犬方をして、神がいた場合。
神はいないと思った生き方をして、神がいなかった場合。
た世呂い覆い隼廚辰神犬方をして、神がいた場合。
と分けたわけです。


で、,漏里にあてがずれたかもしれませんが、だからと言って、
その人の人生に問題があったわけではないでしょ。
生前の行いが、評価されるあの世そのものがないのですから。
でもまあ、きっといい人生を送れたんでしょうね。
△蓮△修Δい生き方をした結果、その通りだったのですから、
取り敢えず合格の人生じゃないですか。
天国があったとしたら、天国に行くことができるでしょ。
は、これの想定通りですから、問題はない。
これといった罰則受けることもないし、まさに天国も地獄もないんですから。
さて、問題はい任后
いないと思って、実は、我欲を規制することなく、結構不敬な振る舞いが多々あって、
いささか、いい加減な人生を送ったわけです。
で、その結果、あの世に行ったら神様がいて、
生前の行いをこっぴどくたしなめられたとします。
まあ、一種のばれないと思ってやったことがばれていた、という事です。
いるわけはない、と高をくくっていたら、とんでもないことになる。
で、結論としては、神はいると思って、敬虔な生活をした方がいい、と、
回りくどい説教なんですね。

ま、ともかくです。
おそらく中世の頃の科学的知識では、人体のメカニズムも、
地球の在り方も、よく分かっていないわけですから、
取り敢えず、天地の創造者をどこかに登場させないと、
この世が生まれてこない、という人間の存在を肯定するために必要で、
考え出したのが神だと思うのです。
で、どう説明してもなかなか理解されないので、
神は自分の姿に似せて人間を作った、と言ってしまったわけです。
となると、じゃあ何を召し上がっているんだ、とか、
睡眠はとられるのか、とか、
排せつはどうなってるとか、あれこれ、人間世界の在り方を当てはめてみるわけです。
これに対して、どうしても説明が付けられなくなる。
この発言に、何とかつじつま合わせをしようと、
あれこれ教典を整えたわけですから、
当然、改竄やら削除が繰り返されました。
今の国会の比じゃありません。
一番の問題は、この世のすべてのもととなった、とされているわです。
何しろ、光あれ、という一言で、光と闇の世界が登場するわけです。
では、すべてを作り出した神は、どのように作られたのか、でしょ。
鶏と卵の論争みたいなものです。

ま、でも、神の存在を作り出した人々は、
多くの安寧を人類に提供したのですから、
まさにそれこそ神業ですよね。

 

基本的には、生物が生きてゆくうえで、必要とする生きざまは、
多くは本能で賄われます。
個々の生物の特性は、長い長い時間をかけて、
DNAに刻み込み、その特性が故に存続しえたわけです。
何万年、何十万年、時に何百万年という時間の中で、
生き残れれることができた要因を後生大事に伝えてきたから、
現在見ることができる多様な生物種が存在しているんです。


で、人間はと言えば、たかだか20万年前、
しかも現在からさかのぼれば、ネアンデルタール人と交流があった辺りを、
中興の祖とすれば、たかだか5万年です。
こんな短い時間の中で、人類という種が繫栄を目指すには、
本能、つまり先天的な生きる術だけでは、無理があったんですね。
そこで、後天的な生きるすべを身に付けることが、
種の継承に役立つと考えたご先祖がいたわけです。
これが、広い意味での教育で、集団生活の技を教えるようになったのです。
つまり社会性です。
これに、死後の世界の不安というのが絡まって、
宗教的な要素が生まれてきたのではないか、と思うんです。


いいことさせる、つまり、集団としての存在が機能するようになるために、
今でいう教義のようなもので規定する。
で、中には分らんちんがいますから、地獄に落ちるぞ、

みたいな脅しも必要だったのでしょう。
当然反対の教義として、いいことすれば天国に行けます、と。


神の存在の真偽はともかく、ある意味効果的な集団の統率方法だったのではないか、
と思っています。

 

| 水嶋かずあき | あれこれ | 10:28 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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