水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
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数より質

民主主義の良い所と悪い所は、まさに諸刃の剣で、多数決と言うシステムにあります。
1万人の有権者がいて、4.999人が賛成しても、5.000人が反対すれば、否決されます。
たった一人、多いか少ないかが、選択の要因となります。
多数決という事がこの世の中の最大の運営システムになっているからです。
たった一人の差で、反対意見、または賛成意見の人たちは、時に冷や飯を食うわけです。
これは、民主主義という事がそれ以上の対応策を持っていないので、
仕方ないことです。

 

私はこのご時世で、表面的な数だけで物事を決定してゆくという事に疑問を感じています。
7人の仲間がいたとします。
皆で食事をすることになり、何処に行こうかと意見を求めたら、
みんなそれぞれに好き勝手な希望を言ったんです。
そこで、リーダーが集約し、中華かイタリアンのどちらかにしよう、と。
で、この時、中華をどうしても食べたいという人も、まあどちらかと言えば中華がいいかなと言う人とか、
同じ中華支持でもばらつきがあったとします。
でそれぞれの中華度を数字にすると、
Aさん9、Bさん7、Cさん6、Dさん6、で、4人が中華支持でした。
で、イタリアン支持は三人でそれぞれのイタリアン度は、
Eさん10、Fさん10、Gさん9、でした。
採決すれば、中華4人、イタリアン3人で、中華に決定です。
でもその内訳をみると、中華度28で、イタリアン度29です。
つまりこう言う事ってありうるでしょ。
極端な言い方すれば、個々の中で決勝に残ったのが、それぞれ中華でありイタリアンであったわけで、
中華も、イタリアンもよくよく中身を精査してみれば、
それなりにニーズがあったわけです。
ですから、個々の最終的な意志の数の総和を持って、多数とかを決めるのは、
時に、偏ってしまう危険性があると思うんです。

 

私たちは、会議と言う場を経て物事を決定することがしばしばあります。

そこで、民主主義的に進める会議の原則は次のようなことが重要です。
‖真者の権利、⊂数者の権利、7臉兵圓慮⇒、がきちんと調整できるかどうかです。
ただ数だけで、結論を得ようとすると、時に間違いを起こしてしまうんですね。

 

でも、残念ながら、世の中は多数決を信奉している人が多く、
特に国会では、数の対決こそ、政策決定の基本なるがごとき様相を示しています。
ですから、何かというと、数を気にする。
そこで、より大きな数の塊を作ろうと、
政党は、離合集散を繰り返してきているのです。

私は、人間は個性の産物ですから、同床異夢が大原則だと考えています。
ですから、十把ひとからげにした政党そのものが大いに矛盾していると思うのです。
数百の人の考えが、また数十であっても、ぴったり一致するわけがない。
まして、政策と言う、国民生活、経済、教育、外交、安保など多岐にわたる事業が展開されている中、
それぞれすべての考えが同じである、なんてありえないでしょ。
ですからせめて、根幹は同じうしても、枝葉は異なるという程度の縛りが、
政党にとって重要なことだと思うのです。

 

にも関わらず、ここで、また政党の離合集散が繰り返されています。
民進党と希望の党による合流新党「国民民主党」が、旗揚げされました。
で、結局六十二名の参加で、当初の野党の大きな塊をつくるという構想は崩れ、
残念な結果となりました。
ここでの動きで、岡田克也元副総理、野田佳彦前首相ら民進党の重鎮だった人たちは新党には参画せず、
それぞれ独自の道を歩むそうです。

要するに、これらの人たちは政党の在り方の基本を理解していないんですね。
多少意見が異なるからと言って合同しない。
それを言っていたらきりがないと思うんです。
自民党は外から見れば、大きな塊ですが、実態は、何とかグループとか言われているように、
いわゆる派閥の集合体です。
細かいことで合同できないとしたら、
それこそ、とっくに分裂していたはずです。

自民党と野党の違いはそこにもあるわけです。


とは言え、党議とかに拘束され、議員、党員が金太郎あめのように同じことを言うというのも、
問題だと思いますが。
ですから、政治家のあり方は、是々非々に尽きると思うんです。
大きくは保守とか、革新とか、右とか左とか、基本的な主張はあって当然なんですが、
個別の案件にあっては、党で決めた方向性は、ぶれることなく守る、という必要はないと思うんです。
例えば、集団的自衛権は案件は賛成、でも原発はゼロを目指すべき。
また、集団的自衛権は案件は反対、でも原発はゼロを目指すべき。
さらに、集団的自衛権は案件は反対、そして原発再稼働は進めるべき、とかの
いくつかのパターンがあったとします。
だったら、それぞれの考えに沿った、項目別の是々非々が本来で、
集団的自衛権は案件は賛成、そして、原発再稼働も賛成と言うのが党議であっても、
これに縛られることはないでしょ。
より精密な意見を的確に集約するというのは、
党と言う塊が、賛成とか反対とかの数をまとめることではない、のではないかと思うんですね。
個別に一人一人の意見を自由闊達の言う、

そのことによって、問題の本質は緻密に求められるようになりますし、
そのことは対応策の多様化につながるはずなんです。

数も大事ですが、考え方の内容の濃さを求めて、離合集散ができないものでしょうか。

 

| 水嶋かずあき | あれこれ | 10:33 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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