水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
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服忌令

24年前の6月1日。
私はその年の七夕飾りを作るべく、
豊田の谷地工務店さんの作業場で材木の切り出しをしていました。
正に、七夕飾り製作の第一日目でした。
作業中に、友達から電話がかかってきたと、事務所からの伝言で、

急ぎ足で、電話機の所に行き、受話器を取り上げたのです。
と、我が大親友の戸塚保君が、急死したという知らせです。
そりゃ並みのショックではありませんでした。
電話の様子では、自死らしいということまでは分かりましたが、

と頭の中は大混乱です。

いったい何があったんだ、と。

 

この年ですから、身の回りの友達も、何人か亡くなっています。
その中でも彼は、最も早く亡くなってしまったのです。
その後自分の人生の節目ごとに、
必ずと言っていいほど、たもっちゃんが生きていたら、と、
恨み言のような、仮定をしたものです。


自分の両親はともかく、友達関係で、葬儀委員長的な役割や、
友人代表での送辞など、案外と数多く勤めてきました。
振り返れば、多くの人との別れがありました。

私の携帯に登録されている電話番号で、
名前を見ても、どこの誰だか思い出せない人が10数名います。
まあ、在るとき、それなりの必要性があって、やり取りしたんだろうな、
とは思うのですが、それがいつ、どんな要件での関係なんだか、
まるで思い出せないのです。


時々、電話を掛けようとした相手の名前そのものを思い出せなくなって、
「あ」から順にスクロールしながら、一覧を読むのですが、
ところどころ、亡くなった友達の名前が出てきます。
その数、19名。
登録後にお亡くなりになってしまったんですね。
それなりのお付き合いがあったんですから、
亡くなったからと言って、登録を消去する気にはなれないんですね。
ともかく登録したままです。
ですから、ある人の番号を探そうと、スクロールしているときに、
そういう名前を見ると、昔の元気だったころのこと、
さまざまなやり取りの思い出が浮かんできます。
少なくとも、私の携帯では、友たちは亡くなっていないのです。

 

よく人の存在を、人は二度死ぬ、と言われます。
最初は、肉体として死んだとき。
二度目は、その人の思い出を持っている人がすべてなくなった時、
と言われています。
そう、周囲の特に密接に関係のあった人たちの心の中には、
何かにつけ、心の中でよみがえり、生き続けているんですね。

 

さてかく言う私、来年は後期高齢者ですから、まあ、標準的には、ぼちぼちお迎えが来る年です。
ですから、周辺の人たちがいなくなってしまうのは、当然と言えば当然のことです。
私は、ある意味、臆病なのかもしれませんが、
死の瞬間をどのように迎えるのだろうか、とよく考えます。
そして、自分の死を、周囲はどのように受け止めてくれるのだろうか、と。
まあ、しょうもない考えを巡らせるのですが、
その度に、じたばたしまい、と心に言い聞かせています。

 

世の中変化の連続と言えばそれまでですが、
最近のお葬式にも変化が表れていますね。
特に、家族葬とか言って、内輪でこじんまりと済ませることが増えてきました。
遺族としては、身内が亡くなり、精神的なダメージがあるのに、
葬儀で神経が細る思いは、つらいことでしょうし、
経済的にも負担になりますから、規模は小さく済ませるというのも選択肢の一つですよね。
そこで、家族葬が多くなってきているわけですが、
家族以外の友人にしてみれば、友の死を悼む場がないというのは、
さみしい思いをすることがあります。
今までは殆どが、風通の通夜・告別式を執り行ってきたわけですから、
じゃあ、家族葬の場合は、どうしたらいいんだ、と。
家にまで押しかけて線香を上げるというのも、迷惑がかかるかな、と思えますし、
新たな習慣に対する対応方法がまだ決まっていないように思うんですね。
どうしたらいいんでしょうか。

 

こう言う事って、時代とともに変わるんですが、
ちなみに、明治7年、ぶっきょうれい、と言う法令が発令されました。
漢字では、服忌令と書きます。
これは、それまでのさまざまな服喪に対する慣習を、
法令で統一しようという事になったのです。
その一部に、妻が死んだ夫は、忌中50日間、喪中13か月と定めました。
夫を失った妻は、忌中20日間、喪中90日間、という事でした。
忌中とは、基本的に自宅謹慎という事で、
喪中とは、祝ごとの席には出ない、などのことです。
ま、いずれにしても、こんなことを法令で定める、というのも、それなりの時代だったんですね。
もちろん、今はこの法令はありませんから、お好きにどうぞ、という事です。
ま、それにしても、身内、または友を失った人も心の痛みは、
法令なんかで決められるものではないでしょ。
よしんば決まられたとしても、
それは自分の心の中で、その亡くなった人が生きているかどうかなんですから。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 09:55 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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