水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
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繰り返される悪循環

例の結愛ちゃんの虐待死事件の余韻が、いまだ頭から離れず、
虐待死そのものについて、考えてみました。

 

今回の事件は、残された手紙の言葉が衝撃的だったので、
特別大きく扱われていますが、
虐待死は、実は、日本では、ある意味日常茶飯事の出来事なんです。
少なくとも、統計的に把握されている虐待死は、年間でおよそ50件以上。
一週間に1人という事です。


そんなに、と思うでしょうが、私達の虐待死の概念がずれているんですね。
年間50数名と言うデータのうち、およそ半数が0歳児なんです。
しかも、その8割が、出産日当日なんです。
つまり産み落とすとその場で命を奪ってしまうんですね。
これも虐待死なんだそうです。
ま、いたいけない大事な命が、親に奪われるという実態に違いはないのかもしれませんが、
私達の虐待死の概念とは、ニュアンスがちょっと違う気がします。
そんなことも影響していると思うんですが、
虐待死の主体は、実母が50%となります。
ちなみに、実父が25%。
これはどちらかが一方的な行為として行われた、という数字で、
両親ともどもを入れると、9割ぐらいが生みの親の手によるものです。
残りの大半は、再婚の相手、義父、義母という事になります。

 

こういう悲惨な出来事が発生すると、
もっと罪を重くして再発を防げ、という論調が高まります。
私は、犯罪の量刑は、犯罪防止に影響すると思っているので、
刑を重くすることは賛成です。

ところが、この虐待死の刑は、実に微妙な解釈がとられていて、
普通は殺人罪にはなりません。
それは、親たちは、口をそろえて殺意はなかった、と言うんですね。
まあ、確かに、行き過ぎたけど、しつけの一環だった、とか、
いわば、親が子に下す懲罰と言うレベルで解釈されてしまうんです。


そして、このような解釈が前提になる法曹界の、いわば基準があって、
法格言と言うべきもののようなんですが、
「法は家庭に入らず」という事が言われているようなんです。
つまり、家庭内の問題については、法関与せず、
あくまで 家庭内の問題は家庭内にゆだね、公権力使用控えるべきである、という
伝統的な考え方があるのです。
例えば、親族間の窃盗は、親告罪で、訴えがないと取り調べすらしないのです。
ですから、虐待と言うのは、
この考え方に影響されていて、
法曹界としては、余り触りたくないんですね。


こんな背景もあって、殺人罪と言う適用がされないんです。
ですから、傷害致死と言ったところに落ち着くんですね。
まあ、よほど悪辣なら、懲役7年ぐらい。
普通には、環境的事情を考慮して、3年とか、5年ぐらいの懲役が精一杯なんです。
殺すつもりはなかった、という事ですから、殺人にはならないんですね。
殺意がないんだからと、日本の刑法も妙な視点で判断するんですね。

 

これらの事案が取りざたされるようになって、
データがとられるようになりましたが、
なかなか日本では、表面化しずらく、

統計の裏側に隠れてしまうケースも、さぞかしあるんだろうと思います。
その意味では、外国、特にヨーロッパなどでは、子どもの権利が強く守られていて、
時に、第三者による告発で子どもの権利を確保した、という例は山ほどあるようです。

日本でもここのところは見習うべきです。

隣の人が物音を聞いて不審に思った、などと言う社会全体での監視が必要でしょ。

 

よく、街なかとか、ショッピングモールの中で見かけるんですが、
まだ、3〜4歳の幼児が、母親から少し遅れてついてきて、
親が、もっと早く歩けとか、その他、もろもろの注意をしていることがあります。
この時、さすがに人目があるのか、手を挙げることはないにしても、
子どもに掛ける言葉の汚いこと。
きっとこの母親は、若いころやんちゃ系の仲間と徒党でも組んでいたんだろうな、と。
まさに、品格も何もあったもんでない。
子どもにしてみれば、精神的な罵倒ですよね。


私は親がああいう風に言葉を使うと、
きっと子供もそういう言葉の概念を持ってしまうのではないか、と思ってしまいます。

大きくなってから、母親の小言を、うるせーくそばばあ、なんて言われてしまうのは、

その種を、かつて母親が撒いていたからではないか、と思うんですね。
現実的なデータとして、
虐待をする親は、多かれ少なかれ自分が親から虐待に近いことを受けている、と言うデータがあります。
正に、輪廻ですね。

これを悪循環と言います。
どこかで絶たなければ、この循環は回り続けるんです。


ですから、これこそ、社会がやるっきゃないでしょ。
個人に任せたり、家庭にゆだねていては、

解決の糸口は、いつまでたっても見つからないのです。
子どもが幸せな環境で成長できるような国づくりがもっと力強く進められなくては、
日本は何時まで経っても、2流国家のままです。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 09:22 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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