水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
<< 丹波篠山かに道楽 | main | 起きて半畳寝て一畳 >>
鐘の音か、金の値か

今朝、かみさんに言いました。
なんだか、6週間も早く大晦日が来てしまったようだ、と。
かみさんは、なんで?と私の言い分を確かめます。
だってよ、ゆんべもそうだったし、今朝もそうだ。
テレビを付ければ、ゴーン、ゴーンとうるさくてしょうがねえ、と。
かれこれ、108回は聞いたような気がする。

 

とまあ、皆さんもそうでしょ。
なんとなく、そうだったのか、と。
おそらく、日本人の大半が、ゴーン逮捕に、驚くとともに、
ざまあみろ、欲掻いて、金に執着するからだ、と思ったはずです。
私は、たびたびこのブログでも、疑問を呈してきました。
食って寝て、暮らす家があるなら、
それ以上ものを何に使うんだ、と。

人によっては、少なくとも、それは個人の才能に対しての対価なんだから、
人よりも何百倍、何千倍の報酬を得ようと、自由でしょ、とくる。
でも、こういう反論をしたいと思っているは人もいると思うんです。
政治家や、企業家、芸能人やアスリートなど、年間で、億単位の報酬を得ていようと、
きっとこの先なんかあったら困るから、取れるうちに戴いておきましょう、となるのだろうが、

でも、それって際限がないだろう、と。
じゃあ、この先、いくらあったら、安泰なんですか、でしょ。


まあ、世界を見渡せば、10億台の年収のある人はざらです。
でも、東南アジアから正に出稼ぎに来ている人たちの中には、
月収10万にも満たない人がいる。

よく公共広告で登場する、東南アジアのどこだかで、はだしでゴミの山を歩きながら、
金目のものを拾っている少女が出てきて、
こんな暮らしから抜け出すために、あなたの善意が必要です、と言って、
まあ、月に数百円の募金を集めています。
アフリカの肌の黒い幼児が、なんだか病気にかかっていて、肩で息をしている。
この子を救うのに、あなたの善意が必要です、と訴えています。

これも数百円単位。

 

ゴーンに限らず、億単位の収入を得ている人が、自家用ジェット機に乗らずに、
普通の飛行機のせめてファーストで我慢すれば、こんな問題は簡単に解決できるでしょ。

いや、我々庶民が、ただ単に羨んだりやっかんだりして言ってるのではないのです。
本当に今の経済のシステムは正しいのだろうか、と。

 

今の資本主義、自由経済のシステムが正しいとしているこの世の仕組みでは、
時に、企業は搾取の構造に陥るんですね。

ゴーンが就任して、コストカットを大胆に行いました。
それで整理された社員が2万人。
我が友人もなんだかんだと追い出されてしまいました。
彼は、外に出されて、改めて新しい世界の堪能していましたが、
でも心中は面白くなかったんだろうと思います。
こう言う思いを持った2万人の人にしてみれば、

今回の逮捕劇に、じゃあなぜ私は首になったのか、と思っているはずです。


企業は、会社自体の健全な成長もさることながら、
収益を、資本家、社員、顧客に公正に分配する、ということに、その意義があるのではないでしょうか。

存在することの正義です。
しかし、トップの人たちが、何が基準か、首にした社員の取り分だったものを分け合っている、

という印象を持たれても仕方ない。
株主が、配当に回せというのも正当な主張でしょうし、
たとえ、一円でも安く車を販売するのも大事でしょ。
まあ、なんだかんだと言っても、企業によくあるお家騒動に一つ、
で片づけてはいけないような気がします。

 

これは、資本主義とか、自由経済と言いう現代の社会を管理しているものの考え方自身が、
本当にこれでいいのかということを問われていることの象徴でしょ。
かつて、公害が、ぼつぼつ表面化し始め、水俣病の日本窒素、またカネミ油症事件のカネミ、
その他、排気や排煙による川崎病のようなものまで含めて、
生産第一主義だった世の中が、これでいいのか、と言う自問自答をするようになったことがありました。
当時の名前は忘れましたが、通産大臣が、
企業と言うものは、市民の幸せのために存在しているんだ、それが不幸の原因を作ってはいけない、
と、発言しました。
私はこの内容を鮮明に覚えています。


一人の人間も、一つの企業も、人の幸せのために存在するわけです。
不幸や苦しみや悲惨さなどを対価に成立することがあってはならない。
その意味で、時に、企業は搾取と紙一重のところで企業活動をしていることがあります。
単純に言えば、普通に暮らせる以上の収益を得ているとするなら、
それは、何らかの搾取と考えるべきです。
その額が大きくなればなるほど「みんなのしわせ」から遠のいて行くんです。
全く実感がありませんが、例えば、億単位の報酬を得たとします。
にもかかわらず、もっと欲しいて、なんの為に欲しがるんでしょうか。
ここが分からない。
自分が取った分だけ、誰かの位取り分が減っている、と考えないのでしょうか。


みんなの幸せを阻害すると思うからこそ、
イエスはこう言っているのです。
「何度も言ってくどいようだが」
と言う前置きがあります。
つまりくどいくらい今まで、何度も言っているんですね。
それほど大事なことだということです。
「金持ちが天国に行けるのは、ラクダが針の穴を通り抜ける事より難しい」と。
私は、聖書を読んだことはありませんが、
この記述はなんかで知りました。
言い換えれば、この言葉しか知りません。


でも、人間が幸せに生きる権利を持っていて、みんながしわわせに暮らすということが、天国だとしたら、
その阻害するものを本質として、見事に指摘しているじゃないか、と思うんですね。
しばしば、私はこのことを口にするので、
さすがにかみさんも、最近は、あなたがよく言う、金持ちは天国に行けない、と言うのは本当かもしれない、
と同調してくれるようになりました。
ただ、こういうことを言うと、貧乏人の僻みじゃないか、と言われそうですが、
まあそう非難されてもいい、と思っています。
だって、これは真実ではないか、と思うからです。

 

ゴーンて鐘の音にあらず、金の値なり。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 10:00 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
ウ−ン、ついに鬼の首をとったか!
| やぶ枯らし | 2018/11/21 10:55 AM |









http://blog.mizushima-kazuaki.com/trackback/2851
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031     
<< December 2018 >>
+ SELECTED ENTRIES
+ RECENT COMMENTS
+ CATEGORIES
+ ARCHIVES
+ MOBILE
qrcode
+ LINKS
+ PROFILE