水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
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日本人の品格が問われている

どうも、このまま行くと入管法は成立することになりそうですね。
グローバル化する世界では、ある意味、国境という壁が少しずつ低くなってゆくものですから、

壁を低くする法案については賛成です。
とは言え、アメリカやヨーロッパ諸国は逆行しているようですが、

これもそれぞれの国内事情があるわけでしょ。

ま、日本は日本ですから。


だって、世の趨勢としては資源、製品、人材、資金、情報が

これほど行き交っている時代はかつてなかったでしょ。
そして、この上昇角度は、今後下がって来るとは思えません。
多少の摩擦は起きるかもしれませんが、ボーダーレスの時代は、間違いなくやってくるはずです。
その意味でも、私は、多くの国の人が、望む国に出かけてゆき、

それなりの人生を過ごすことについて、なるべくゆるい制限で済ませるべきだと思っています。
まあ、ぼつぼつと、日本の国も、いわゆる移民的外国籍の人たちは、増え続けるはずです。


その意味でも入管法の改正は進めるべきだと思うのですが、

やり方と、その背景に疑問が残ります。


かつて、集団的自衛権について容認したいわゆる安保法案の成立時も、
大荒れに荒れましたが、なんだかんだとごり押しで、成立。
働き方改革の法案の時も、作為に満ちた資料もさほど明確な説明がないまま、

これまたごり押しで成立。
そして今回の入管法も、きっとこの後ごり押しで成立するんでしょうね。

 

もめる、ということは絶対的な正義に欠けているからです。
つまり、いいのか悪いのか判然と整理できていない。
賛否両論はどんな場合もあるものですが、それが、拮抗してくると、
結果として、どっちもどっちと言うことになるわけですから、
絶対的な正義度が低くなるわけです。

しかし、なぜ集団的自衛権なのか、なぜ、働き方改革なのか、なぜ、入管法改正なのか、
と言う素朴な要因が整理されていないということが、
賛成、もしくは反対の人たちのそれぞれの説得ができないわけです。


こう言う場面で不思議なのは、
国民的レベルでのニーズが、普遍的に存在する、と思えないことです。
つまり、みんながそうは思っていない、ということです。
しかし、法案として提案され、その必要性を文章化し、さまざまな実情や、そのデータなどで、
説得をしようと言う事なんでしょうが、これが極めて不備な状態になっている。
働き方改革でも入管法でも、担当の役所が、法案成立を第一に考え、
問題意識の共有をする手順を省いていますでしょ。
つまり、多少の盛り込んだ部分があろうと、

見てくれよく仕上げるという、いつもの手段で、法案を通そうとする。
逆に、どこから生まれてきたニーズなんだ、となりませんか。


例えば、法務省が窓口で法案を提出する。
つまり、法務省ではこのこと問題を解決するために法的な改定をしなくてはいけない、
と、誰かが思い、それを省庁の意志として、文章化し、担当大臣を含めた省内の議論をし、

国会に挙げてくるわけでしょ。
問題は、どうして、彼らがそれが問題であると認識したかなんです。
恐らくとっかかりは、国会議員の誰かが、そういうニーズがある、と言い始めるんですね。
つまりこれは、ある特殊な世界でのニーズです。
逆に言えば、彼らが議員であり続ける為に必要な人々のニーズなんです。


今回の入管法は、以前からテーマではありましたが、財界から、人手不足解消法として、
外国人の労働力を確保できないか、と言う働きかけがきっかけだったんです。
で、議員も担当省も動いた。

まあ、悪いことじゃないでしょ。


そこで、いろいろ調査をしたところ、根深い問題が表面化してきました。
簡単に言うと、外国人労働者(技能研修とか言ってますが、これが実態です)の

負の部分があぶりだされてきました。

いわゆる、無断退職のようなことです。

私たちは、これをバックレと言います。


私は1971年に、たまたま返還前の沖縄問題を青年会議所で担当することになりました。
その頃、我が店に調理師見習いで沖縄出身者が在籍していて、彼を通じ、
沖縄から本土に就職でやってきた彼らの仲間と懇談会を持ったことがあったのです。
その結果、とてつもない比率で、しかも短期間で、

最初に就職した会社を辞めていることが分かりました。
ひとことで言うと、本土の生活になじめないのです。
当時はまだ沖縄の通貨はドルでした。
円のなじみがないので、貨幣価値がヅレる。
方言の偏差がひどく、言葉がなかなか通じない。
本土的生活テンポが合わない。
などなど、職場にも社会にも違和感を感じてしまうんですね。
そこでストレスをため込む。
で、突然無断退職をし、どこかに行ってしまう。
そんな若者が結構な数いたんですね。
そこで、これはこちらの生活になじむためには、
優しく彼らを受け入れる仲間が必要だ、と考え、
すでに本土の生活になじんで、落ち着いていた沖縄の先輩達を組織化し、
これからやって来る後輩を受け入れてゆく為の組織づくりをしたことがあったのです。
翌年、沖縄は返還され、この組織の活動も、数年でその使命が終わったのですが、
私は、この経験から、外国からの研修生たちが、バックレる気持ちが理解できます。


外国から日本にやってきて、労働環境とか、生活環境とかが、
話が違う、と言う違和感を持たれていることは、ありうることなんです。


日本人として、彼らを迎える時に、言葉の問題、生活環境の問題、価値観の問題など、
多面的に、ケアすることも含めて受け入れるべきだと思うんです。
ただ、日本人の代わりの働き手、という意識では、無断退職されても、反論できないだろう、と。
こう言う、人としてあるべき優しさこそ、入管法に盛り込まれるべきではないでしょうか。
数の問題、給料、待遇の問題と言う、物理的な事だけでは、
日本の国は、真のグローバル化時代についてゆけないんじゃないかと思うんです。

 

| 水嶋かずあき | あれこれ | 10:48 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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