水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
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おかげさま、本当におかげさまです

本日、1月6日は、私の生誕75年目。
おかげさまで、後期高齢者のお仲間に入れてもらえることとなりました。

 

昭和19年、まだ戦火激しいさなかに生まれ、終戦を迎えたのは1歳と8か月。
私はよく、私も戦争の生き残りです、と言ってきました。
赤ん坊が、銃を持って戦ったわけでもないのに、なぜ生き残りなんだ、と言われますが、
少なくとも、あの戦争がなければ、小学校、中学校のクラスの仲間は、
あと一人か二人、場合によってはもっと人数が増えていたはずだ、と。
当時、クラスは50人ほど。
ですから、52番目か53番目の子がクラスメートとしていたんじゃないか、と。


空襲の時に、親に背負われたまま、焼夷弾を被弾し、そのまま息を引き取ったとか、
火事で逃げ遅れて焼死したとか、栄養失調で、餓死に近い状態で命を落としたとか、
あれこれ違いはあるものの、ひとくくりにすれば、戦争で死んだんです。
ですから、今生きている私達は、死なずに済んだので今日がある、と考えれば、
間違いなく戦争の生き残りでしょ。

 

で、一面の焼け野原。
我が家では、家が焼けて引っ越してしまったところの近所の土地を借りて、麦を栽培していました。
今の代官町のど真ん中です。
庭先には、夏になると胡瓜がなって、そのうねの先には、掘立小屋のような鶏小屋があって、
ニワトリが産んだ卵は、食卓に上がっていました。
風呂は五右衛門風呂、と言っても分からないかもしれませんね。
風呂桶はドラム缶です。

どうも、終戦のどさくさでどっかで拾ってきたらしい。
このドラム缶の風呂桶に、スノコを敷いて、それを踏んで中に入るんです。
ドラム缶の下は、レンガを積んで隙間を作り、そこに薪をくべて湧かしました。

多分、この煉瓦もどこかから拾ってきたんでしょうね。
台所では、井戸で汲んだ水を使っていました。

そんな生活でしたが、なぜか、貧しい生活だった、という感覚はありません。
みんなそんなもんでしたから。


私は、この子供の頃の環境は、実にすばらしかった、と思っています。
何しろ物がない。

貧しいということは、暮らしの要素としてはぎりぎりと言うことです。

まずは、ぎりぎりでも足りている、と言うところから出発します。


着る服だって、ズボンはケツミットが縫い付けてありましたし、ひざも当て布付きが普通でした。
冬は、大人が来ていたコートなどを縫い直したジャケットをまとい、

セーターは一冬同じものを来ていました。
でも、なんの不満も感じなかったですね。


そして物心ついたころ、世の中はそれでもいくらかましな暮らしができるようになりました。
生まれて初めて食べた海老フライは小学校の2~3年の頃でしたでしょうか。
食べ物も、幾分か、まともなものを口にすることができるようになりました。
生活全般が、向上してきたのです。
やがて、高校、大学と進み、東京オリンピック、大阪万博。

所得倍増の掛け声で、日本は活力を身に着けてゆきます。
私が社会に出たのが、昭和43年。
まだまだ経済的には未熟でしたが、繰り返しやってくる何とか景気で、少しづつ地力を付け始め、
やがてバブルの時代に入ります。
まあ、ぜいたくな時間を過ごしたもんです。
怖いもの知らずと言った経済的な状況でしたものね。
しかし、バブルははじけ、厳しい経済環境になりました。
あとは四苦八苦の日々です。
まあまあ、食いっぱぐれることもなく、年を積み重ねてきました。
ふと気づくと後期高齢者です。

 

75年の歳月を振り返ってみて、なんと恵まれた時代だったろうか、と。

わが生涯の社会的な状況に感謝です。
これが、ものにあふれ、利便性の極みみたいな社会環境だったら、
少なくとも、今のような、足るを知る、なんて心境にはなれなかったかもしれません。


だって、水道をひねって水が出るのは、当たり前、と思うでしょ。
でも、水の調達は井戸汲みから始まっているのですから、

水道はひねるだけでいい、なんてありがたいことなんです。
風呂は、スイッチひねれば、暖かい湯が張られるなんて、なんて贅沢でしょうか。
中学生ぐらいまで、薪割をしていました。

と言うよりさせられていたんですね。

で、その薪をくべ、火吹き竹で、風呂を沸かしていたことから見ると、今は、まさに天国でしょ。

 

貧しい環境であったことが、つまり底辺からひたすら上がってきたという社会環境でしたから、
すべて、節々の変革が、ありがたいことなわけです。

逆に、今後のことを考えると、どうも不安材料ばかり見えてくるんですね。
地球環境もそうですし、国際関係もそうですし、
中国・韓国の隣国とは、ぎくしゃくした関係が改善されません。
経済だって、現在は、もしかすると世界的なバブルなのかもしれません。

 

まあ、私達は、そう何年も地球にいられないので、
ひどくなる状況のとばっちりは受けない前に、いなくなると思うんです。
そう考えると、いい時に生まれ、いい時に去って行くんじゃないか、という気がするんですね。
実に恵まれた時代に生を授かったものだ、と感謝です。

 

このさき、そうは長居も出来ないので、先ずは、無事に75年間生きてきたことをありがたく受け止めています。
もうしばらくお付き合い下さい。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 10:12 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
お誕生日おめでとうございます!
命のありがたさを子供を授かってしみじみ感じます。この子もいつか75歳になって、人生を振り返る時、幸せだったと思ってもらいたいとブログを拝見しながら思ってしまいました。
弥栄!
| まさやん | 2019/01/07 8:35 AM |









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