水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
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きらきらネームその後

最近、時々きらきらネームについての話題の記事を目にするようになりました。
何やらまたはやりだしたのか、と思いきや、実は沈静化に向かっているそうです。
赤ちゃん本舗が、2018年赤ちゃん命名・お名前ランキングを発表しましたが、
微妙に、古風な名前に回帰しつつある、と言うんですね。
まあ結構なことです。


日本人で、普通の国語力があっても、人の名前が読めない、なんて、やはり妙な事でしょ。
北海道のアイヌ語を発生の源とした地名はしばしば読めませんが、これと意味が違いますからね。

 

きらきらネームの話題が目に付くようになったのは、
よくよく考えると、きらきらネームの世代が、世に出てきたことによるものです。
これらの名前が出始めたのは1990年代半ばからで、2000年代に入ると急激に増加しました。
赤ちゃん本舗などの企業等の発表では、新規の命名で、読めないものが増加してきたのです。
でも、まだ最初のうちは、家族内の問題で、親と兄弟、祖母祖父が分かっていれば、なんてことないでしょ。
で、これが幼稚園、小学校と進んでくると、最初は先生も、おや、と思うでしょうが、
まあ、本人がそういってるんだし、友達もいつも一緒にいるわけですから、なんてことなく受け入れるわけです。
ところが、これらの世代が、高校を卒業して、または大学を卒業して世の中に出てくる。
と、世間では、読めない人も続出するわけで、
それまでの閉鎖的空間で通用したことも、世間では、違和感を持って受け止められるのです。

 

まあ一種の専門用語に近い感覚でしょうか。
いい例ではないかもしれませんが、
私が身を置いていた鰻屋の世界では、独自の数の符丁が通用していました。
正直何の意味があるのだろうと思いましたが、その世界ではそのように使われていたので、
否応なしに覚えざるを得ないでしょ。
例えばです、1は「せん」2は「り」3は「かわ」4は「つき」5は「ちょう」と言うようにです。
以下、てん、か、つ、がん、まる、です。
578は、ちょうかつと言います。
ついでに、2019年を符丁で言えば、りまるせんがん、ということになります。
で、これは世間では通用しないでしょ。

 

きらきらネームと言うのは、なんかこれに似ている気がするんですね。
名付けた親は自分の世界の中で納得している。
成長後とか、世の中での名前の意味を、あまり想定していない。
ちょっとばかり奇抜なアイディアに満足したり、そこに知性としてのメッセージを込めたつもりでも、
いざ、世の中に出てみると、なんて読むの、から始まってしまう。
これは、見様によっては、インパクトがあって、覚えてもらいやすい、と言うかもしれませんが、
逆に、先ずはちょっとしたハードルがあるんだ、ということを認識すべきでなんです。

 

私の場合です。

父が私の名前を決めるのに、三種類の候補を用意したそうです。
一つは「一之」も一つは??忘れました。
で、もう一つは今の「一耀」です。
で、姓名判断に詳しい方が、一耀を選択し、父はそれを受けて、私を一耀と名付けました。
いい名前かどうか、私は評価しきれません。
なぜなら、耀の字の説明に、ばんたび手間取るんですね。
ある時、警察に用があって、出かけてゆき窓口で名前を尋ねられ、口で説明したのです。
曜日の曜、洗濯の濯のヘンを光に変えたものです、と。
係りの人は、何度か聞き返しました。
ピンとこないらしい。
そこで、すみません、と、その盛っていたメモ用紙に直接自分で書き入れたことがありました。
こんな経験はいまだにしょっちゅうしています。
ですから、ややこしい文字である事を快く思っていない部分もあり、
一方で、かがやくという意味を持つことに、誇りも持ちました。
でも、それは私の中での誇りで、世間では読みづらい文字であることは変わりないんですね。

 

私は、10代の後半から、大学を卒業するぐらいの間、なぜか姓名判断にこったことがあります。
で、調べれば調べるほど、姓名判断の基準があいまいなことに気が付いたのです。
基本、姓名判断は苗字としての姓と、名前としての名のそれぞれの画数、
さらに、総画、天画、地画、外画などに分かれ、それなりの意味を持つて総合的に判断するのですが、
たとえば事故で早死にした人の画数など調べると、長命の相が出ていたりするんですね。
なんだこりゃ、でしょ。
で、よくよく考えてみれば、占いの類は、過去の経験則の規則性をもとに、

その延長として、現在の状況から未来を予測するものです。
とするなら、日本人の姓名とは、

明治になって、初めて姓を名乗ることができるようになった庶民が圧倒的に多く、
それまでは、クマゴロウとか、おみよとか、まあ名前だけなわけです。
と言うことは、苗字込の姓名判断の歴史と言うのは、
経験則を数値化するなんて言うには、問題があるほど、例が少ないわけでしょ。

ま、端的にデータ不足なわけです。
たかだか、150年の歴史ですから。
そう考えると、姓名判断の根拠がぐらついてきたんですね。
で、結局信ずる根拠を失ってしまい、姓名判断をすることをやめたのです。

 

私には、5人の娘がいます。
長女が生まれたころは、まだ姓名判断に頼っていたので、理にかなった画数を選択しました。
で、その後、一挙にそういう気持ちが失せてしまったので、次女からは、
言葉の意味を大切にしようと心掛け、あわせて、読みやすことや明るい語感を心がけました。

ですから、命名は親の責任ですし、親の人生観が反映されてしまいます。
表面的に、かっこいい事が大事、と価値観の親は、そういう命名をします。
何か、言葉尻を捕らえるように、奇抜な視点を前面に出したり、思い付きをそのまま文字にしたりとかは、

子どもが一生背負ってゆく名前なんですから、一考すべきでしょ。
もっと堂々たる人生観による命名を心がけるべきすね。

 

林修先生が、ある時、大学受験者の名前を成績順に並べてみたんだそうです。
で、上位の人はまず読める名前だったそうです。
成績が悪くなるほど、きらきらネームが増えてきたと、言ってました。
なんとなく、そういう親だから、そういう教育環境だったのか、とも思います。
可哀そうなのは、なかなか正しく読んでもらえない子ですよね。

正しく読んでもらうことは、名前なんですから、とても重要なことです。
まあ、最近の傾向として、いくぶんか、脱きらきらネームの傾向にある、と言うことですから、
まずはホッとする所ですね。


名前の乱れは言葉の乱れに通じるような気がしますし、
言葉の乱れは心の乱れに通じますから。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 11:47 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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