水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
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宗教の果たすべき役割

我が友人で、キリスト教徒の方に、こんな質問をしたことがありました。


チャールトンヘストン主演の、映画・十戒(正確にはじっかいと読みます)にこんなシーンがあります。
モーセは、民を引き連れ、紅海を渡り、安寧の地を求め、シナイ半島を旅するんですが、

その時に、神理を求めてシナイ山に立てこもます。
そして、神の啓示により、守るべきこととして、十の戒めを授かります。
これが、石版に刻まれるのですが、修行を終わったモーセが下山してみると、
引き連れてきた民は、出発前に残していったいくつかの注意事項を破って、
どんちゃん騒ぎをしているんですね。
これを見て、モーセは頭に来て、あれほど口酸っぱく注意したのに、何事だ、と怒り、
手にしていた石板を投げつけます。
ちなみに、この石板には、守るべき戒律十項目が彫りこまれていたのです。
石版は民たちの足元の地に突き刺さり、雷鳴とともに地は割れます。
何人かの民は、地の裂け目に落ちてしまいます。

映画・十戒では、生まれたてのモーセが、ナイル川の岸に流れ着くシーン、
エジプト軍に追われ、危機一髪のところで、紅海が割れるシーンとともに、
このモーゼの怒りで地が割れる阿鼻叫喚のシーンをよく覚えていたんですね。

 

で、私が質問したことは、この石板を投げつけたシーンのことなんですが、
石板には、汝、人を殺めることなかれ、と書いてあったろ、と。
でも、モーセはその石板を投げつけて、地が割れ、その結果人が命を落としている。
これって矛盾していない?という質問です。
友人は実に困った顔をしていました。
私は、その顔を見て、してはいけない質問だったんだ、と思ったんですね。
まあ、基本的にはごく軽い会話だったのでそれはそれで終わりです。

 

実は、これに関わらず、宗教とは、基本的に
善き思いを持たせ、善き行いをさせることを大いに薦めているじゃないですか。
例えば、十戒についてです。
日本語訳に関しては若干ニュアンスの違う表現もありますが、一応これを見本にしてみます。

1、主が唯一の神であること
2、偶像を作ってはならないこと
3、神の名をみだりに唱えてはならないこと
4、安息日を守ること
5、父母を敬うこと
6、殺人をしてはいけないこと
7、姦淫をしてはいけないこと
8、盗んではいけないこと
9、隣人について偽証してはいけないこと
10、隣人の財産をむさぼってはいけないこと
とあります。
1から4までについては、神と人との在り方についての戒めで、
5から10までは人と人に関する項目、社会的な基本ルールのことになります。
じつは、これは刑法の根幹になっているものなんです。

 

人を殺したら、状況人数にもよりますが、日本では死刑です。
死刑がいいかどうかはともかく、死刑と言う量刑は認めているのです。
つまり、まあそのぐらいの処分は仕方ないだろう、ということです。
物を盗むと、これまた、懲役何年という量刑を課せられます。
つまり悪いこと、という概念が前提になっています。
私たちの社会で、罪を犯すとその罰を受ける、ということが大前提で、世の中が動いています。
してはならない悪いことをすると罪を犯すということになります。
言いたいのは、それは悪いことだ、という概念を私達は共通して持っていることです。
極端な懐疑的は言い方をすれば、
だれが、どうしてそれを悪いことだと決めたんだ、と言う事でしょ。

チンパンジーの群れの中で、まれではありますが、仲間を殺す行為が発生することがあります。
でも、この殺猿者は、人間社会のような罪をとがめられるということなないんですね。
悪いことである、という概念がないのです。
オスライオンが、群れで新たな支配者に昇格することがあります。
すると、それまでの支配者のDNAを受け継いでいる子ライオンをかみ殺してしまいます。
人間世界だったら、これは死刑でしょ。
でも、周囲からとがめられることはありません。

 

私達は物事を、とかく、いい・悪いで判断します。
この大もとになったのは、世界で様々に信奉されています宗教の中で、

教義として伝えられてきていることが、刑法の源になっているのです。
つまり、ある要因で発生した様々な教義を持つ宗教が、

社会の秩序をより安寧に保つための基本になっているという事なんですね。

 

世界の宗教の実態です。

今更ですが、世界で最も支持されている宗教はキリスト教です。
一方、世界人口の3分の1はいかなる宗教にも関与せず生活しているそうです。
これはある機関が、全世界230カ国以上で調査をした結果で、
世界人口の32%にあたる22億人がキリスト教を信じており、

イスラム教23%、ヒンドゥー教15%、仏教7%」だそうです。

宗教とは何か、ということですが、
それぞれの信ずることの根拠が異なるので、総括的にしてしまうと、
いかに、善き思いを持ち、善き行いをなし、安寧の心を得るか、と言う方法論なわけです。
逆に、世の調和を乱し、人を非難し、悪き言葉で罵り、時に争いを仕掛け、
時にそれにより人に死をもたらす、なんてことを進める教義はないでしょ。
まあ、ざっくばらんにいえば、みんな仲良くして平和な世の中つくりましょ、と言うことが基本。

世界で7割近い人が何らかの宗教の教えを受けているんです。
それぞれの教えをもし忠実に守ろうとするなら、この世から戦争なんかとっくになくなっているでしょ。
正義とは何か、といいうことが教義の基本だったとしたら、
どうして、世の中、こうもざわざわとしているんでしょうか。

私はほぼ無宗教ですが、このざわざわを作り出しているであろう人たちよりは、
ずっと敬虔な日々を送っていると思うんです。
その目で見れば、彼らが敬虔なる教徒である、とばかりに身に着けている衣の下は、
鎧なんじゃないか、と勘繰ってしまうんですね。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 10:43 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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