水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
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阪神淡路大震災のこと

1994年7月、FM湘南ナパサが開局しました。
私は、取締役に就任するとともに、番組制作を担当しました。
そして、特に、災害対策としての使命を強く感じていたので、
防災番組なども担当し、ナパサ全体としても、そういう意識付けを進めていたのです。
とはいうものの、ラジオ局の在り方についてはまさに暗中模索。
そんなさなか、翌1994年1月17日、あの阪神淡路大震災が発生したのです。


当時、ボランティアのために被災地に向かう、という考えはまだありませんでした。
でも、防災と言う観点の意識は強かったので、
なんとしても神戸に行って、現況を見ておきたいと思ったのです。
しかし、日常のことがどうしても優先し、なかなか機会を作り出すことができませんでした。
で、半月ほどした時、たまたま、近くに行く用事ができて、
これに便乗して、神戸の被災地を直接見ることができたのです。

 

例の大火災を発生した長田地区はさすがに鎮火していましたが、
倒壊した建物や、焼け焦げた建物、それは連日テレビで報道されて見てはいたものの、、
実際見てみると、それは凄まじいもので、相当のショックでした。
聞くと見るとでは大違いなのです。

 

被災直後、神戸の友人に電話をしたのですが、そもそもがつながらない。
どうなったか心配でしょ。
翌日かけてもつながらない。
当然、悪い予想をしてしまいます。
もしかすると、とか。
でも、きっと大変な状況になっていて、それどころじゃないんだろう、と勝手に思うことにしたのです。
で、4日目ぐらいの時、電話が通じました。
この時の話によると、携帯電話は自室のテーブルの上に置いてあったのだそうですが、
部屋中がかき回されたようにものが散乱し、見つからなかったのだそうです。
で、すこしづつ整理して、やっともつけられた、と。
私はその話を聞いて、やはり、大変な状況なんだなと思ったのです。

 

神戸では、三宮の商店街を中心に見て歩きました。
なかに、さる全国チェーンの宝石店があり、店頭のシャッターには、
しばらくの間休業する、と書いたポスターが貼りだしてありました。
ま、考えてみれば、被災後のどさくさした中で、宝石を買いに来る人なんかないでしょうから、
これは相応の処置なんだろう、と。
まして、全国チェーンなんですから、

これによって、全体の経営状態に大きく影響するということもないでしょうし、
従業員もそれぞれに大変な状況でしょうから、まあ休業もありだな、と思ったんです。
その先の角の所に、美容院がありました。
きっと地震で入り口の扉がひしゃいで、開け閉めができなくなったんでしょうね。
そもそもの扉は外されて、代わりに厚手のビニールのシートが張ってあるんです。
よく、事務のテーブルマットに使われるような素材のもので、
透明なもので、サイズは90×180センチぐらい。
これがまん中にスリットを入れ、めくるようにして出入りするわけです。
この美容院を見た時に、これはがんばってるな、と思いました。
お客様は一杯でした。
そもそもこのお店が、ここで営業してきたのは、そういうニーズがあったからです。
ですから、自分がどうこうより、お客様のニーズがある以上、歯を食いしばってでも仕事をしよう、と。
実際、被災すると、入浴機会がほとんどなくなるので、
特に女性は、洗髪など考えると、美容院はなくてはならない存在でしょ。
こういう非常時に、被災者目線に立って、やはり商店も運営されてゆくんですね。

 

この一角に、スーパーのダイエーがありました。
まだ全国にチェーン店があったころです。
被災直後、全国のチェーン各店から、工具とか、ロープとか大工道具など、
要は、復旧の仕事に必要な商品を集めたのです。
それぞれ手持ちの在庫を転送させたのですね。
で、売り出しました。
多くの人が必要としていたので、これは売れたそうです。
地震と言う、まさにそういうニーズが発生したわけです。
で、一通り売りつくしてしまうと、休業してしまったんですね。
まあ、町全体が被災しているわけで、その後消費行動が活発化するという風には判断しなかったのでしょう。
効率を考えたんですね。
私は、このことを知った時、確かに商売ですから効率は前提になるでしょうが、
日頃、お客様に支えられてきたんだから、
何らかのニーズがある以上、営業して、地域に消費材を提供し続けるべきだった、と思うんですね。
でも、そろばん勘定が先行したんでしょうね。
なんて企業だ、と思いました。
地域全体が痛みを感じていたんです。
でも、工具を売るなど、おいしい所の商売だけして、あと、一抜けた、と言う事でしょ。
これはない。
結局、ダイエーはこの後、あっという間に、規模を縮小し、看板を下ろすことになってしまうわけです。
ま、そういう企業だったんですね。


こういう時に、地域と商店の関係が明確にあらわれる、と思いました。

 

この阪神淡路大震災の教訓は、いろいろと多かったと思います。
防災の専門家から聞いた話です。
例の長田地区の大火災の時、近隣のまちから、多くの消防隊がやってきて消火活動をしようとしたそうです。
ところがなかなかうまくゆかない。
なんとばかばかしい話なんですが、消防車の動力をポンプにして、水を消化栓から引き込み、
放水するのですが、それぞれ持っているホースの口金の仕様と神戸市の消火栓の口金の仕様が合わなかったそうです。
つまり、行政体が違うと、そもそも行政体ごとの消防活動をするので、
これらの規格も同じではなかったんだそうです。
これは、実際行ってみて気が付いたとか。
あれ!合わない、ということです。
で、つながらないので、消火活動ができない、ということになってしまったそうです。
ま、これはその後改善されて、共通の規格になったそうです。

 

もう一つは通電火災ですね。
復電火災とも言います。
災害が発生すると、しばしば停電となります。
この時、断線した箇所の修復が終わると、通電するのですが、
この地震の場合、冬のさなかだったこともあって、さまざまな暖房器具が使われていたようです。
で、地震発生、人々はともかく家から出てきて、家は空家になる。
この時、電気器具のスィッチを切らずにいると、通電後、これが作動して、火災のもとになってしまったということです。
長田区の火災の原因はこのようなことがおおきかった、と言われています。
以来、通電の時は、区画ごとに確認をしつつ、通電をするようになったそうです。
もっとも、この経験から、多くの暖房器具類は、ちょっとした揺れでスィッチが遮断出来る機能を備えるようになりました。
とは言え、最後の最後は、人間の確認が必要です。

 

多くの場合、こういった経験からさまざまな改善案が提起されるわけですが、
一番肝心なのは、明日は我が身、ということでしょうね。
防災活動の究極は、これに付きます。

 

| 水嶋かずあき | 環境 | 09:13 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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