まずは、昨日の報告
午後1時から、スターモールで東海大学の箱根駅伝初優勝を祝賀して、
パレードが行われました。
東海大学のマーチングバンドの先導で、4〜5台のオープンカーに乗って、
東海道を駆けた選手、そして監督が笑顔で手を振ってました。
沿道にはかなりの市民がやってきましたが、まあまあの数でしょうか。
広報がうまくいけば、人垣は二重三重になって盛り上がったのに、と感じました。
でも、まあ、結構楽しい瞬間でした。
さて、今日の本題です。
先月改正入管法が成立、施行されました。
正式な名称は「出入国管理及び難民認定法及び法務省設置法の一部を改正する法律」と言うことです。
まあ、大雑把にいえば、従来より、日本で労働目的として入国、在留する条件が拡大され、
緩くなったということですね。
当然ですが、日本で働きたいという人の受け入れ枠が広がったので、
今後、外国人労働者の数が増えてゆくと思われます。
ま、すでにそういう枠はあったわけですが、実態として、適切な運用がされてこなかった、
いわゆるブラックな面も多く、これでいいのか、と言ったことの指摘が多くあったものの、
経済界のせっぱつまった人手不足に対するニーズを受け、
与党がごり押しと言った感じでこの法律の成立を促したわけです。
冷静に考えてみれば、きれいごとを言っていますが、
日本人がいやがる職種、いわゆる3K労働の補てんが実態でしょ。
3K労働とは、「きつい」「 汚い」「危険」な労働を、頭文字をとったものです。
一般的には建設・土木、ゴミ処理などの肉体労働や、介護士など勤務・労働条件の厳しい職業を指しています。
そう言えば、先月まで、このマンションは大規模修繕工事をしていたのですが、
足場の組み立て、解体、タイルの貼り替えや、ペンキ塗りなど、大半が日本人労働者ではありませんでした。
国籍まで確認しませんでしたが、見た目東南アジア系の人たちでした。
日本人、特に若者はこの類の仕事にはつきたくないんでしょうね。
そこで、相対的な人手不足になるわけです。
ですから改正入管法は、ここを補おう、と言う魂胆でしょ。
最近、外国からの、いわば、出稼ぎ労働者の実態がいくらか明らかになり、
今までの3K労働から、視点が変化し新3K労働と言われるものになったそうです。
「帰れない」「厳しい」「給与が安い」などのローマ字の頭文字を取って新3K労働だそうです。
ですから、ぶっちゃけこの法律は、みんないやがっているんで、誰かやってくれない、と言う呼びかけでしょ。
なんか、一段下に見た労働の現場のニーズを、それでも稼げるんだからいいんじゃない、と言った感じですね。
外国との生活格差を前提に、相手の足元を見たような法律と言うことです。
しかし、日本に幸せを求めてやってくるわけですから、
こういう状況の人の足元を見る前に、きちんと人間としての経緯と、彼らが望む待遇を保障すべきでしょ。
悪く言えば、奴隷のごとく扱う企業もあるようで、まさにこれは日本の恥でしょ。
私達が子供の頃の、特に終戦後4〜5年のうちでは、
外国人というイメージは、主としてアメリカ人のことでした。
ま、もうほとんど死語でしょうが、軍服をカッコよく来た兵隊さんがいると、
ギブミーチョコレート、などと言って物乞いをしたものです。
ですから、街角で、外国人、特に白人を見かけると、
ツイツイ目で追ってしまったものです。
まあ、珍しいものを見ると言った目つきだったと思います。
そして、日本は朝鮮戦争の軍需景気をもとに、経済的な立ち直りをし、
国家として自立してゆきます。
それとともに、外国人の人たちも少しづつ増えてきましたが、
その国別の変化が出てきたのが、東京五輪前後からですね。
大学生の頃、高田馬場の裏道を歩いていて、向こうから子連れの主婦がやってきたんです。
道が分からなかったので、すみません、と声をかけて道を尋ねると、
何語かで、多分、よくわからない、とか言ったんじゃないかと思うんですが、
要は日本語が通じない国の人だったんですね。
その頃は、見た目で日本人らしい人で、外国籍の人と言うのは珍しく、
そんな経験を学校に戻って一話したものです。
そのぐらいですから、このころから、中国、韓国、タイ、フィリピンなどの人が
少しづつ増えてきたような気がします。
ところで、我が平塚ですが、在住外国人は4779人、人口比で1.9%。
50人に1人は外国籍の人なわけです。
ちなみに、その国籍ですが、中国876人、フィリピン785人、ブラジル660人
ベトナム403人、韓国398人、ペルー164人、タイ108人と続いています。
さて、できれば、この人たちに、平塚って住みやすいまちですか、とか聞いてみたいですね。
きっと彼らの望むものと私たちが望むものは、そう大きくは変わらないはずです。
私達が見慣れてしまった景色を、彼らは新鮮な感覚でとらえているかもしれません。
その感覚こそが、まちづくりに有効なヒントになるはずなんです。
ただ単に、このまちにやってきた外国籍の人、と言うだけでなく、
このまちの良さを享受してもらいたいですし、
このまちをもっとよくするための考えを聞かせてもらいたいですね。
そしてこのまちで暮らす以上、このまちの情報が十分に伝わり、できるだけ言葉の障害を越えて、
普通に生活できる環境になったら、素晴らしいことだと思うのです。
東京五輪誘致の時に、お・も・て・な・し、という言葉がはやりましたが、
何も、イベントとか観光とかの限定された期間の来日する人たちだけが対象になるのではなく、
日々、共に暮らす人々に対しても、日本人の心優しさとして、
おもてなしの国として、接することが出来たら素晴らしい、と思うのです。
まずそのためにも、必要なのはこのまちのおもてなしです。