水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
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百科事典教育

人間は、教育と言う制度の中で、生きてゆくうえで必要な知識、技能を獲得し
いわゆる一人前の人間になってゆきます。

 

しかし、単純に他の動物と比較すると、
まずはそもそも与えられている本能、DNAに刷り込まれている情報に従って、生きてゆきます。
ヒツジや馬は、産み落とされるとしばらくして立ち上がり、自分が歩いて母親の乳を探ります。
哺乳類や鳥類の一部は、餌の確保の仕方を親に教わりますが、
魚や昆虫などは、本能的に餌を確保します。

これらの中にあって、群れで生活する動物は、特に本能にプラスして群れとともに生きるための能力が必要で、
その多くは、後天的に身に着けてゆきます。
まあ、見様見真似と言ったことでしょうか。

 

この後天的に、生き方を身に着けることを教育と言います。

 

通常教育と言うと、知識や技能、考える力や創造する力、表現する力などを習得することを言います。
ま、間違いはないんですが、その根底に、群れで生活する知恵が基本に無ければいけないんです。
どうも、最近の教育が悪いのか、群れで共に生きる能力が不十分な人が、多くなってきているような気がします。
このいわば社会性と言うか協調性と言うか、人格形成の基本になるような能力はもっと重視して、
教育システムの中に組み入れるべきではないでしょうか。

 

そもそも、現在の教育システムは、いわゆる公教育と言われるもので、
それはイギリスの産業革命による社会構造の変化に対応したものとして形作られたのです。
産業革命は始まったのが、1700年代の半ば。
これにより、消費材の大量生産が始まり、併せて、それに伴う消費が促されてゆきます。
人々は、この新たな経済システムの発現で、私権獲得の可能性を感じ取り、
人口は都市に集中し、近代国家の礎が形成されてゆきます。
そして、国家の運営的観点で、国民の教育の必要性が問われ、
1870年、イギリスで公教育が始まります。
日本では、明治に時代が変わった時です。
やがてこれは人種、宗教、国境を超え、必要なものとして認識を得、
多くに国々が、当然のように公教育を取り入れます。
そしてさまざまな形態の進化とともに現在いたるわけです。

と言うことは、それ以前はどんな教育をしてきたのか、ということですね。


その代表として、ヨーロッパの貴族階級が子弟に行ってきた教育があります。
さまざまな内容があったと思いますが、それは、お抱えの家庭教師がいて、子弟を教育するんです。

今の教育は、いわゆる科目別に学ぶべき内容が整理され、
国語、英語、数学、社会、人文地理、歴史、理科、音楽、芸術など、整理されています。
そしてコンピューターに関する科目まで加わり、時代に対応した教科に分類されています。
当然ですが、相応の教科書があり、その専修を履修した先生がいて、
教師のマニュアルにそって、子どもたちを指導します。
正に、精一杯システム化した教育が施されています。

 

ところが、中世の教育と言うのはこれほど整理されていなかったわけですね。
当然教科書がない。
で、どうしたのか、と言うと、いわゆる百科事典教育というものです。
百科事典には、ありとあらゆる項目が記載されています。
で、これをランダムに知識として取り入れてゆくわけです。
もちろん、ギリシャ語はギリシャ語として勉強したとは思いますが、
歴史の、地理の、と言うような区分はされていなかったはずです。

 

私の母が、4女、5女の双子が生まれた時に、将来必要になるはずだ、と、
ブリタニカの百科事典をセットで買ってくれました。
当時で何十万かしたはずです。
専用の本棚の中に整理してしまってありましたが、
ほんの数回、私があることを調べるために手に取った以外は、ほとんど手つかずで、
結局、紙として廃品回収に回ってしまいました。
すでにもう時代遅れだったわけです。


その頃、電子百科事典が出てきました。
それも今よりは収納容量が小さかったのですが、それでも数万円はしましたから。
金額は10分の1、内容は倍ぐらいだったわけで、はるかに使いやすかったわけです。
しかし、ネットでの情報はそれをはるかに超えたものでした。
時に母にとっては、なんのことやら、という状況でした。

 

今は、百科事典教育は、公教育には取り入れられていませんが、改めて、その意義が見直されています。
特に、私は見直しています。
そう、ウィキペディアがそうです。
これに限らず、ネットで公教育と検索すれば、ほぼ、欲しい情報は得られますでしょ。
実際、ブログを打ち込みながら、時に不安になる言葉遣いや細かな情報は、ネットで確認します。
そして、ほう、そうだったのか、と感心するんですね。

今になって、いわゆる百科事典教育をされているんです。
改めて、求めた情報・知識以外は身に付かない、ということがだんだんわかってきました。

 

小学校1年生の時から教育を受け、大学卒業まで、途中浪人1年を含めると
17年間の長きにわたって、公教育を受けてきました。
でも、卒業してから身につけた知識の方がずっと多いんですね。
公教育の中で、求めてもいない知識を詰め込まされるのは、学ぶというメカニズムの基礎を身に着けるためなんですね。
三角関数は必要か、なんて議論がありますが、確かに、学ばねばならない、と言う人もいるでしょうが、

一律必要かどうかは何とも言えないでしょ。
高校時代、ある先輩が、家計簿にルート100円なんて数字は使わないだろ、と言っていたことが思い出されます。


まあどっちがいいのか、そろそろ考えなくてはいけないんじゃないか、という気がします。

 

| 水嶋かずあき | あれこれ | 10:32 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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