水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
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県が湘南の地域規定をしたそうです

湘南に関わる記事がありましたので紹介します。

 

湘南と言う地域的な規定に、様々な意見があり、これと言った決定的な領域の確定ができていなかった。
そこで、その論争に終止符を打つことになった、と言うのです。


県が進める新プロジェクト「かながわシープロジェクト Feel SHONAN」に、湘南の範囲がはっきり明記されました。
ここで、いくつかの疑問。
まず、この組織はオーソライズされたものだったかどうか。

確かに、黒岩知事、木村太郎さんなど、権威としては存在足しますが、

湘南を語るにふさわしい、裏付けを持っていたかどうかは疑問ですね。


つまり、なんとなく知識を持った人たちが議論して、
こんなもんだろうと、論争を終わらせるための提案をしたのではないか、という感じがするんです。

 

この記事の中で、
『そもそも「湘南」という言葉の語源として有力なのは、中国の湖南省の景勝地から取られ、
「相模国の南部地方」=相南に引っかけているという説だ。
この考えに従えば相模湾一帯をまとめて湘南と呼んでもよさそうだが、
「平塚から大磯にかけて」「葉山から茅ヶ崎にかけてのエリアが一般の湘南イメージに沿う」
「ウチは湘南ではありません」など諸説あってはっきりしない。』と。

 

まず第一の反論。
語源として有力なのは、中国の湖南省の景観地から取られ、とありますが、すでに前提で間違えているんです。
湘南と言うのは、湖南省を三つに分け、北から湘北、中央が湘央、南が湘南と、区分して呼ばれていて、
そのうちの南の地域の呼称のことで、景観地として特定されているわけではありません。
ただ、湘南がらみの景観地的な事で言えば、
中国の五名山と言われる山があります。
東岳泰山、南岳衡山、西岳華山、北岳恒山、中岳嵩山の五つ。
このうちの、南岳衡山が、いわば湘南のランドマーク的存在なんです。
さらにその傍らを流れ、洞庭湖に至るまでの川を、湘江と呼び、
この湘江、および洞庭湖沿岸が、かつて、盛唐の時代に李白や杜甫によって、
優れた漢詩が詠まれ、これが日本に伝わって、湘南の地は風光明媚なところ、という認識になったようです。
この湘江、および洞庭湖沿岸を中心として、湖南省としての八景が定められ、
瀟湘八景として、美しい景色とそのたたずまいの八選が、当時の中国に定着したのです。
近江八景や、金沢八景の大もとになったものです。

 

したがって、厳密な地域的規定をすると、
景観として愛でられた地域は、洞庭湖付近、省都長沙、また湘江流域などで、
湘南に地域に由来するものは、一つだけです。
ですから、清絶地としての意味合いは間違いなくあったと思いますが、
景観地としての認識は、希望的感覚で、実際にはそぐわない観点なんです。

 

湘南の語源的なルーツは

「中国の湖南省を全体として湘と呼ばれていて、この湖南省の南部を湘南と言っていた」と

客観的事実から主張するべきでしょ。
そして、さらに、ではどうして、日本で湘南と言う言葉が発生し、定着していったのだろうか、
という歴史的事実が論拠のベースにあるべきです。

結果として、相模の国の南部に引っ掛けている、と言うのは、
湘南という地域名のいきさつから言って、いわゆる後付の説で、
諸説の一つに過ぎません。
正確には、大磯の鴫立案の石碑がすべての原点なのです。

 

かつて、私達、当時平塚で結成された平塚ひと・まち研究会で湘南のルーツを探ろう、と言うプロジェクトを作り、
中国湘南をこの目で確かめる旅を企画したのです。
この企画に中心的な立場で携わる中で、私は、4回ほどの湖南省のお役人と事前折衝をしました。
で、先ずは行き先の確定をしようと言う事なんで、
私は、洞庭湖沿岸を主張したのです。
理由は、湘南の海岸の風景に似ているところと言えば、広い水面が条件で必要だと思ったからです。
だって、湖南省はそもそもが山に囲まれているところなんで、海があるわけじゃない。
そんな地域で、湘南に似ているという条件は、先ずは広い水面がある洞庭湖沿岸だろうと考えたわけです。
ところがお役人たちは、かたくなに、そこではない、と言い張るんですね。
湘南はもっと南の地域なんだ、と。

 

湘南の中心的な街が衡陽市です。
洞庭湖沿岸からは200キロほど南です。
ですから、海に模した広い水面とは程遠い場所なんです。
つまり、極めて単純に、湘南は山の文化の地なんですね。
自然豊かな地域で、野や山には多くの草花が育ち、
この地で取れる薬草などが丸薬として、地産品で作られてきたそうで、
その湘南出身の末裔として、小田原の外郎さんの生計を支えてきたのが、
湘南の地をベースに伝統的な医薬を作ってきた地域伝承のノウハウだったわけです

 

湘南ナンバーのエリアが確定した時、箱根までが含まれていて、
当時、浅学菲才の輩が、なんで箱根までが湘南なんだ、と言ってましたが、
実は箱根こそ湘南だったわけですね。
これは、実際湘南を訪れ、様々に地域の特性を検証した結果が、そういう結論だったのです。

海辺の地の鴫立庵に立つ石碑に湘南の文字があり、その石碑には、清絶なる湘南の地によく似ている、

と刻まれているのですから、じゃあきっとそうだろう、ということで、

白砂青松の海を見て、湘南に似ている景色はこれに違いないと、海を見つめてしまった。

ま、当たり前ですが、十分な知識も経験もないまま、勘違いして、その認識が広まったんですね。
以来、日本の、この地における湘南のイメージは、海の文化として認識されてゆきます。

 

したがって、今回の神奈川県の認識も、海への誤解から解け切れていないんですね。
ま、これがの日本の湘南です、というのなら、それはそれでもいいのでしょうが。
ただ、県と言う公共体が、オーソライズするには、あまりにも基本の認識が甘すぎませすね。
私は、湘南は誰もののでもない、と思っています。
日本人の幻想の上での地域名ですから、これは正しいとか、正しくないとかの論争ではなく、

ある種の夢をみんなで共有しているんですから、
それをとやかく言うものではない、と思うんですね。
正直、そんな規定は必要ない、と思います。
夢をオーソライズしたからって、なにも生み出さないのではないか、と。

夢は夢で茫漠としていてよかったんじゃないか、と思うんです。

 

| 水嶋かずあき | - | 11:13 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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