水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
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民法822条

へえ〜、そんな権限があったのか、と改めて驚いたのですが、
親は、子どもをたたいてもよい、と言う権限です。
これは、民法822条に規定されていて、
「親権を行う者は(中略)監護及び教育に必要な範囲内でその子を懲戒することができる」
と言う事なんです。
ま、ざっくりですが、法的には、家庭内での体罰が容認されているんですね。
改めて、知りました。
これを盾に取れば、
しつけと言う名目で、子どもに体罰を与えることが、容認されているという事でしょ。
どういう理由なのか、どの程度なのか、なんて、物を十分に言えない子供が相手ですから、
客観的に、アウトと、セーフのラインが判定しづらいでしょ。
そこで、じわじわとしつけは虐待に変わってゆくわけで、
ついには、最悪、死に至ってしまうわけです。

 

実際、この類の痛ましいケースがニュースで伝えられてきています。
まあ、なんとかそれから逃れようと、子どもなりの対応をしながら、
恐怖に陥ったまま、死の時を迎えるわけです。
私は、気が弱いので、これらの記事を読むことができませんでした。
見出しだけ見ると中身には目を通すことができないのです。
正直、辛くなるのが怖いんですね。
その子は、どれほどつらかったろうか、という思いは、見出しだけで十分。

 

さて、虐待による死亡事案は、年間で50件を超えているんです。
加害者は、6割、7割が母親。
1割、2割が父親、残りが両親ともどもです。
ま、家庭の中での出来事ですから、一方が知らなかった、では済まないでしょ。
したがって、これは、主犯、従犯の差はあっても、共犯でしょ。

虐待の相談件数に至っては、年間で13万件を超え、これらの問題が、じわじわと拡大しているわけです。
我が血を受け継いだ子を、手掛けるというのは、
なんの言いわけも通用しないでしょ。


はっきり言えば、親になれる資格がないのに、子どもを産んでいるんですね。
これが、もし、出来ちゃった婚などを含めて、
子どもを持つ資格が整っていないうちに、言い換えれば、親として未熟なうちに、
子どもを生んでしまったということが基本にあるんでしょうね。
おぞましいことです。

 

さすがに、これらの状況を含めて、国会でも動きが出てきました。
先ほどの、監護や教育のため子どもを懲らしめる、虐待につながりやすい「懲戒権」を
民法から削除するするということです。
久しぶりに安倍晋三首相がまともなことを言いました。
「子どもの成長に必要な教育は、体罰や暴言、暴力であってはならない。懲戒権は削除すべきだ」と。
さらに「児童福祉法と児童虐待防止法を改正し、体罰禁止を明記すべきだ」とも。
そうです、トランプのノーベル平和賞なんかに関わっている場合ではないでしょう。

 

日本の実態です。
国際的NGOセーブ・ザ・チルドレン・ジャパンが、

日本で2万人を対象に行った子どもの体罰に関する調査では、
6割の親が体罰を容認していて、

子育て中の7割が少なくとも一度は子どもをたたいた、と言うデータがあります。
逆に、しつけのための子どもへの体罰は
「決してすべきではない」と答えたのは43%、残りの57%の人は、程度の差はあれ体罰の存在を認めたそうです。

問題は、その程度なんですね。
と言うか、体罰の質でしょ。


確かに、いくら我が子であっても、一個の人格を持っていますから、
意にそぐわぬ言動があれば、いらっとしますでしょ。
これが積み重なったり、親の精神状態が悪ければ、手を挙げてしまうでしょ。
いくら言っても言う事を聞かない、と言って。
問題は、そういう行動が、真に人格形成に意味を持っているのかどうかでしょ。


子どもなんだから、わけのわからないことをするわけです。
みんなそうだったわけでしょ。

まさに、子供叱るな、来た道じゃ 年寄り笑うな 行く道じゃ、ですね。

 

さて、国会でのこの問題の議論は、どう考えても反対の理由がないですから、
早々に、改正法が成立すると思うのです。
でもですよ、まあ、ないよりましかもしれませんが、
法の改正で、どの程度の抑止力が生まれるでしょうか。
だって、虐待をしてきた親たちが、民法822条に規定されていて、
親には、子どもに対して、懲戒権をもっているんだ、ということを
知っていたから虐待した、というわけではないでしょ。
だから、法律でしちゃあいけないんだって、と言われても、
家の中での出来事ですから、
ストレスが爆発すれば、それが子供に向かうことはありうるでしょ。

冷静に考えるべきです。
そもそも虐待とは何なのか、と。


その原点は、
子どもを望ましい人間に仕立て上げようという教育的指導でしょ。
つまり、未熟も含めて、こども側に問題があるという認識です。
私は、子ども側に問題がある子なんているわけないと思うんです。
子どもですよ。
大人から見ればはるかに純真で、無垢の心を持っているんです。

その存在が、問題があるというのは、問題があるとみる親に問題があるんでしょ。
つまり虐待のすべての事例の主体が親にあるわけです。

客体たる子供に非はない。
される側には、これっぽっちも問題はない。

どう考えても、あるのは、する側の親にある。
親子と言う立場、大人と子供と言う力の差、正に、パワハラの極致みたいな事でしょ。

確かに、法的な整備は意味があるとは思いますが、
「やるな」でやらなくなれば、泥棒も人殺しもいなくなるわけですもんね。


正に、日本で崩壊しつつある、社会の有機性が、悲劇を防ぐとしたら、
実は周囲にいる私たちの問題なんだと思います。
他人事にしない事でしょうね。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 10:33 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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