水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
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命の尊厳と言うガイドライン

少しややこしい問題なので、理屈っぽくなるかもしれません。
あらかじめその点をご理解ください。

 

これは今マスコミで取り上げられている公立福生病院での透析を巡る問題です。
で、この類の問題は、時に藪の中に近く、
言った、言わない、やったやらないの類の幾分か主観的判断で、食い違いが主張されがちなので、
メディアから流れてくる情報で判断するしかないのですが、
やはり、それぞれの言い分がずれているようなんですね。


病院は、本人に透析治療を中止するということの同意を得ている、と。
しかし、患者側の親族は、なぜかこの期に及んで、中止したことを問題にしているわけです。

もうご存知でしょうがこの出来事の概要は、
当該の女性以外にも数人の患者に透析治療中止の選択肢を提示し、
3人の患者さんが亡くなったということです。

で、問題は、医師が患者さんに選択肢を提示すること自体が

医療倫理に反するのではないか、ということです。
治療を継続すれば生きながらえますし、中止すれば死に直結するわけです。
その選択を提示するということが、医療を担うものとして、いかがなものか、というわけですね。

 

私は、父が大腸がんで二度の手術をし、いよいよ末期の時が迫ってきたと実感した時に、
往診に来てくれたホームドクターからアドバイスを受けたのです。
それは、今後いつか、お父様の状況が変化しする時が来るでしょう。
家族としてはこれは一大事と、救急車を要請しようと思うはずです。
この時、救急車は呼ばないでください。
先ず私に電話をください、とその医師は言うんです。
私はなぜですか、と聞きました。
すると、この状態で救急車を呼んで応急処置をしたとしても、数時間、数日命が長らえる状態です。
本人にしてみれば、苦しむ時間をその分、経験するだけのことなんです。
と、きっぱりと言われたんですね。
医療の専門家から、そういわれれば、延命をよしとするのは、身内の勝手な思い込みかもしれない、と感じて、
実際その通りにしました。
私は命を雑に扱ったとか、薄情な選択であったとは思っていません。


世間では、命が大事だと言います。
これは間違いなくその通りなんですが、
これまた状況によりけりなんですね。
その状況の判断で死の選択をした場合に薄情者のそしりを受けるとしたら、
これは間違いではないか、と。
本人の状況、思い、また医学的な見地での肉体的状態を十分に知りもしないで、
一般論として、命の大切さを、声高に主張すると、いかにも人道主義者のごとく感じさせますが、
これは本来の命が持つ個性的な在り方を無視していることにならないでしょうか。

 

患者の同意、医師の判断とで、中止を選択したもので、
唯一、問題として、疑問を提示されているのが、ガイドラインを順守しているのかどうか、です。
現場の最前線でなければ判断しきれない状況で、第三者として、いい、悪いを決める要因はただ一つ、
ガイドラインに沿った倫理委員会の開催とその判断です。
特に、中止の決定には、倫理委員会の助言が「望ましい」としているんですね。


福生病院に立ち入り検査した管轄の都は、
いずれの事例もガイドラインから逸脱していたとみて調べている、という事なんです。
実際、死亡事案の全てについて病院内の倫理委員会が開かれなかった、ということです。

 

さて、このガイドラインと言うものです。
それは病院側の考えもあったとのことですが、
倫理委員会を開催する必要性について、どうも躊躇があったようですね。
その躊躇は、なんとなくわかります。
だって、細かい症状、病状は病院担当者の判断が、その倫理委員会では提示されるはずです。
いくら専門家でも、紙に書かれたこと以上に判断を深めることはできないでしょ。
つまり、病院側の意向を受け入れる、と言うのが倫理委員会だと思うんですね。
現場がそう思うんならそうでしょうと、追認するのが精いっぱいのはずです。
きっとそんなことを繰り返してきて、病院担当者は、何の意味があるんだ、と感じたのではないでしょうか。
確かにガイドラインに沿ってないと言えば言えるのですが、

そもそもこのガイドラインは何の意味があったのか、でしょ。

 

日本においては、物事の細則を決めるのに、
先ず大もとになる法令が存在します。
これは国会で審議され、公式にその内容が国の方針として決められます。
そしてその大枠の法令をより具体化するために政令が閣議で決定されます。
要は、立法府で概略を決めると、行政府でその細則が決められます。
そして、各管轄省で、省令でより細部を定めるという構造になっています。
実務では、法律は「本法」、政令は「施行令」、省令は「施行規則」という呼ばれています。
このように細密化をしつつ、現場にこれが落とされてくるのですが、

さらにこれを「基準」として内容を煮詰めます。
基準とは、法令ではないものの、最低限満たすべき義務的ルールのことです。
すなわち、基準で定められた事項を遵守しなければ、基準に違反している、

または基準を取得できないということになります。
例えば、環境省が定める「水質汚濁に係る環境基準」には、遵守すべき様々な事項が定められています。


そしてさらにその下にガイドラインと言うものがあります。
「ガイドライン」とは、自主的に遵守することが推奨されるルールです。
自主的に定めたものですから、法的な拘束力も無く、
まあ緩やかな取り決めの、推奨されるルール、ということですから、

法令や政令、また基準を逸脱しているとか、ということではないんですね。
ですから、法令や奨励、基準などと違って、これと言った拘束力はないんです。

それを、都はガイドラインから逸脱していたとみて調べる、と言う事ですから、
何か、弱みに付け込んだお役所仕事にしか思えないんですね。
こんな事で、問題は解決するのか、と言う事でしょ。

 

これは命の尊厳、ということが根底のテーマだと思うのです。
人間として、生物として、命の限界はいずれやってくるのです。
その限界が近付いてきた時、
さらに、生きるという意志も、もうこれで終わりにしたいという意志も、
それぞれに尊厳に満ちた選択だと思うのです。
命第一主義と言うのが、最上級の考えとは限らないと思います。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 10:24 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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