水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
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政治家に求められる本質

政治家が、しばしば、その言動によって、批判にさらされることがあります。
ま、よくあるのは、口が滑ったというか、不遜な言葉遣いと言うか、
まあ、もうちょっと配慮した言い回しができないのか、という失言に対する批判です。
その批判によくさらされるのが、麻生財務大臣でしょうね。
ま、この人は、ざっくばらんな口調なので、しばしばその物言いに、批判が集まります。
また、行動としては、あまりにお粗末な知性であるということで、
桜田五輪担当大臣などが、やり玉に挙がっています。
そういえば、桜田さんとセットだった片山さつき大臣は最近納まったんでしょうか。
あまり話題に上がらなくなりました。


こういう政治家がらみのスキャンダルめいたことでは、
金がらみの問題と、女がらみの問題が、厳しい目で見られます。
金がらみは、その証拠が重要で、あいまいだと、大体逃げられてしまいますね。
釣りで言えば、釣った魚を水面まで引き寄せたものの、たまに入れる寸前ばらしてしまう、というやつです。

ま、ご当人は所業が露見すると、なんだかんだと謝ったりとぼけたりと、
火の粉を振り払うのに必死のようですが、
いったん収まると、何食わぬ顔で政治の場で動き回っているのを見ると、
まさに、人のうわさも75日だな、と思います。
きっと、時間が過ぎてゆくと、人の心の中で、ま、いいか、と言うやさしさが生まれてくるのでしょうね。
鬼のような顔して怒っていた人も、まあ少しづつどうでもよくなってゆくんですね。

 

随分前の話ですが、
アメリカのクリントン大統領が、ホワイトハウス内で、研修生のモニカさんと娘と
不適切な関係を持ったと、ちょっとしたスキャンダラスな話が、拡散しました。
この時初めて、私は、ああいう行為を不適切と表現するんだ、と知りました。
あれは、適切な行為と不適切な行為に分かれるわけです。
でもまあ、不適切な行為の魅力って捨てがたいでしょ。
正に、浜の真砂は尽きるとも、と言う石川五右衛門の辞世ですね。
さて、考えてみれば、いくら男と女とは言え、公邸内で、いやらしいことをしてしまったわけでしょ。
ま、クリントンは、最後までやってないと言ってますが。
大胆と言えば大胆、好きものと言えば好きものですよね。

で、この時、全米で批判が起き、クリントンは平身低頭。
かみさんは、のちに大統領選に出馬するぐらいの野心家だったので、
ここは一番、冷静な受け止めが受けがいいだろうと考えたんでしょうね。
騒がなかった。
ま、ともかく、クリントンは、辞職することなく大統領職にとどまります。


この騒ぎの最中に、なんだってそんな大騒ぎをするんだ、と思ったんですね。
ま、確かに、男女の話は興味深いものがあるとは思うのですが、
ここでの焦点は、大統領としてふさわしいのかどうか、という点だったでしょ。
そもそも、完全人格の人なんかいやしないでしょ。
おだやかで、人への配慮も深く、慈愛に満ちた人間観を持ち、
聖人たらんとする生きざまを体現している人でも、
組織を動かしたり、アイデアを生み出したり、緻密な行動計画を立てられるとか、

と言った能力に欠けることは大いにありうるでしょ。
ローマ法皇が、一国の大統領になれるか、と言うとそうはいかない。
人は完全ではないのですから、
どこかすぐれた能力を持っていれば、どこか驚くほど間の抜けた側面を持っているものです。
あれもこれもというのは分かるけど、そりゃ無理な話ですね。


だから、この時も、大統領としての能力に疑義があるなら、大統領辞任だと思うんですが、
どちらかと言うと凡人でも犯しがちな不適切な行為が問題だったわけで、
そのことと引き換えに、アメリカと言う国が、有能な指導者を失うとしたら、
それは正しい判断だったのか。
そもそも、何が本来なのか、と言う事でしょ。

 

確かに、身の回りにも、政治家として十分な能力がある、とは言い難い人はいるものです。
様々な資質で、良い評価を与えられない人もいます。
しかし、そこは、お人よし人格の選挙ではないのですから、
どのような局面をこの人は打開してくれるのか、という政治的能力の要因をしっかりと整理し、
その点で投票し、評価すべきでしょ。

 

さて話は変わります。
明石市長選についてです。
ご存知の通り、区画整理が思うに任せず、その担当者の無能ぶりに頭にきた市長が、
火をつけろ、ぐらいの暴言を吐いたと問題になりました。
ま、その言葉だけ取り出せば、ものすごく粗雑な感覚の持ち主だ、と思いますよね。
ところが、マスコミがよくやる手口で、前後のいきさつを曖昧にしたまま、
ドラスティックな言葉を抜き出し、伝えるものですから、
世間は当然誤解し、これはとんでもないことばだ、となったわけですね。
続いて、続報があり、その前後の経緯が明らかになってきた。
そしたら今度は、改めて、擁護論が持ちあがった。
私は擁護派でした。
この一連の騒動の報道の中から、泉氏の政治家としての能力を、垣間見たからです。
ですから、辞任のことを聞いた時に、やめることはないだろうと思ってました。
で、結局、市長選が行われ、出馬するのかどうか、と不透明だったところ、
一部支持者に押されるように出馬。
投票、三日前と言う急な動きだったにもかかわらず、
結局、大勝で、市長に返り咲きました。

 

でこれは、市民として反省すべきなんですが、
まずは寄ってたかって、批判をしてきたこと。
つまり、実態を知ることもないままの批判だったわけで、
その意味では単なる誤解事件ですね。
誤解と言うものは、その基本はよく知らないために発生するものなんです。
知れば大半の誤解は解ける。


で、マスコミの第一報で誤解が広まり、第二報で誤解が解けたわけです。
そん結果、多くの市民は信頼を表明した、と言うのが選挙結果でしょ。
ま、間違いなく舌禍はあった。

でも彼の政治家としての能力を、明石の人たちは必要としたんですね。


学ばなければいけないことは、よく知りもしないで安易に批判することです。
ときに、何が必要かという本質を十分に認識することですね。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 10:33 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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