水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
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栄枯盛衰、人間万事塞翁が馬

人生山あり谷あり、とか、よくいいます。
確かに、その通り。
いい時もあれば悪い時もある。

いいことが続くこともない代わりに、
悪い時ばかりが続くわけじゃない。

 

最近そんな人生経験を顕著に体験した人が、
テレビのバラエティ番組で、面白おかしくそのプロセスを紹介する番組をよく見ます。
実際経験しているということは、つまらないドラマよりはるかに説得力があり、
ツイツイ見入ってしまいます。

「激レアさんを連れてきた」というのは、オードリー若林の仕切りもさることながら、
弘中アナの整理されたボードも興味深く、なかなかのレベルのバラエティだと思うのですが、
何より登場人物の貴重な体験が面白いですね。
正に、山あり谷ありの典型のような人ばかりなんですが、
その数奇な経験は、激レアと言うだけのことはありますね。


NHKの『逆転人生』はまさにそのもの。
仕切りがちょっと、しゃべり過ぎでうるさい感じがしますが、
全体の状況を、足で稼いで、構成に厚みを持たせているところなんか、さすがNHKだなと感心。
また、『THE突破ファイル』などもあって、ちょっとした流行りのようです。
この類で言えば、しくじり先生も、まあそうなんでしょうか。
登場する先生役が、基本、芸能人なんですが、
まさに山あり谷ありのプロセスとその裏話を巧みに組み合わせて、
教室スタイルのスタジオで、かつてしくじった人が、なぜしくじったのか、を解説します。

 

改めて考えてみれば、これらの番組は、人生そのものなんですね。
だから人気があるのかも知れません。

この類のものを、逆転バラエティーというのだそうです。

 

まあ、これ等で言わんとすることは、人間万事塞翁が馬、ということですね。
ご存知と思いますが、この物語、なかなかよくできていますので、
ちょこっと解説を付けます。
これは、中国の淮南子(えなんじ)の人間訓に出てくる話で、
「昔、中国の北辺の塞(とりで)のそばに住んでいた老人がいました。
ですから塞翁というのですね。
で、その老人が飼っていた馬が、胡(こ)の地に逃げてしまうのです。」
胡というのは、中国にとっての外国という意味があります。
胡桃(くるみ)胡瓜(きゅうり)胡椒(こしょう)胡麻(ごま)など
食べ物だけでもいろいろと胡がつくものがあって、これらは、外国から中国に持ち込まれた食材で、
よその国から来た桃、ということで胡桃なんですね。
瓜は瓜でも外国から伝えられた瓜なので、胡瓜というわけです。
さて、この馬は胡、つまり、国外に逃げて行ってしまったのす。
「すると近所の人たちは、何と不運な事だろうか、と塞翁に同情します。。
しばらくすると、この馬が帰ってきます。
そして、うれしいことに、胡の駿馬(めすうま)を連れて帰ってきたんです。
すると、これはもうけものと、一頭増えたことを近所の人たちは祝福します。
ある時、この馬に塞翁さんの息子が乗って、落馬し、足を折ってしまいます。
すると、近所の人たちは、その不幸を慰めます。
とんだ災難だったと。
やがて、隣国と戦争が勃発します。
村の若い者は兵隊に駆り立てられます。
そして、何人かが戦死するのですが、塞翁の息子は足を折ってしまったので、
兵隊に取られることはありませんでした。
そこで、近所の人たちは、なんと運がいいことか。
戦争に行ったものは戦死したのに、塞翁の息子さんは、足を折ったばっかりに、
兵隊にとられることもなかった。
だから戦死せずにすんだ。
なんという幸運な事だろうか、と口々に言うのでした。」


これは禍福は縄のあざなえるがごとし、と言われ、
不幸は時に幸福のもとになるし、幸福は時に不幸のもとになる。
ということで、不幸と幸福は縄をよるように、ねじれて交互に入れ替わってゆく、と言うことです。


で、先ほど上げた多くの逆転人生のようなストーリーに登場する人は、
現時点で逆転したわけです。
例えば、数年前だったら、出演できなかったかもしれない。
つまり、谷という状況の中にいたとしたらです。
言い換えれば、テレビに登場した時が山の状態だったわけでしょ。
しくじり先生だって、かつては絶頂期というか、山だったのに、
何かの拍子に谷底まで落ち込む。
で、今は底から這いあがってきて、一息ついている、という状態なんですね。
出来れば、自分のしたしくじりを、皆さんしないでください、ということを伝える先生なんですね。
谷の状態の人をもし登場させれば、
ただの落ちぶれ人生でしょ。
つまり、誰だって山谷を経験する。
そこで、山の時点で物事を考えるのか、谷の時点で判断するのか、
どっちなんだ、ということになりませんか。
なんだかんだと入れ替わってゆく可能性があるんですから。

 

さ、そこでです。
山ばっかりの人生もない代わりに、谷ばっかりの人生もない。
交互に縄のあざなわれるがごとく、いい時、悪い時が来るとしたら、

出来れば、山の状態で人生を終わりたいでしょ。
だって、いくら大儲けをしたとしても、死ぬ間際がすっからかんだったら、

みじめな思いを持ちながら死んでゆくわけでしょ。
でも、どんなに不運と不幸に見舞われたとしても、

死ぬ間際に、金の心配もなく、多くの人の縁を得ながら死を迎えるとしたら、
いい人生だったな、と思いながら、あの世に向かうことができたはずです。

 

奢るもに久しからずの栄枯盛衰というか、

いいも悪いも、どっちにせよ固定されないのですから、
結局は、人生最後の10年間ぐらいを、

どっちがいいと思うか、によって生きざまの選択をすべきなんですね。

 

| 水嶋かずあき | - | 00:14 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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