水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
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佐々木小次郎

4月13日。
佐々木小次郎の命日だそうです。
ということは、ご存知「巌流島の決闘」で、宮本武蔵と戦い、
敗れ、命を落とした日、ということです。

13日には、小次郎の慰霊祭が勝負の舞台となった山口県下関市の巌流島で開かれました。

 島にある舟島神社で神事の後、小次郎の名が刻まれた石碑の前で約100人が冥福を祈り、

小次郎の剣術を継ぐとする京都府亀岡市の道場の代表と門下生約40人が、

小次郎の技「つばめ返し」を再現したそうです。

 

この決闘が行われたのは、戦国の騒乱も収まった1612年のこと。
あの巌流島、もともとは舟島と言われていたのですが、
武蔵と小次郎の決闘により、その名称を巌流島と変えました。
これは佐々木小次郎が、岩流小次郎と名乗っていたためだろうと思います。

 

で、たかだか400年前のこと、しかもすでに様々な事象は文献に書かれていたということを考えても、
もう少し歴史の正確な部分が、今に伝わってもおかしくないと思うのですが、
どうもあれこれ調べても、何一つこれだ、という核心的な真実を感じるものがないのですね。
それは、文献の筆者の主観がやたら前面に出てくることと、
ちょっとした詳細は、記憶の中で、書き換えられているということもあるようなんです。

 

例えば、武蔵側の見方としては、武蔵の養子である宮本伊織が、
武蔵の死後9年目に建立した小倉の顕彰碑「小倉碑文」に刻まれている文言によると、
「岩流(小次郎)は、三尺の白刃を手にして決闘に挑み、武蔵は、木刃の一撃でこれを倒した」と記されています。
ま、吉川英二の小説の通りですね。
しかし、小次郎側の文献では、
豊前国の細川家小倉藩家老、門司城代の沼田延元の家人が記した書によりますと、
武蔵は、小次郎との決闘の際、一対一の約束に反して弟子四人を引き連れ巌流島に渡り、
決闘では武蔵は小次郎を倒しますが、仕留めるまでには至らなかった。
その後、しばらくして息を吹き返した小次郎を、武蔵の弟子らが撲殺した、とあるのです。
小次郎の弟子らは決闘の真相を知り、大いに怒り、武蔵を襲撃するのですが、

武蔵は門司城に逃げ込んだ、とあります。
なんか、吉川文学の武蔵とは、イメージが違い過ぎるでしょ。

 

で、そもそも、なぜ決闘することになったのか、と言うと、
これも諸説あり、
武蔵も小次郎も、いわば流派を構えていましたので、弟子たちも多くいたわけです。
で、弟子らが互いの師の優劣で揉めたことが発端になり、
門人らの争いが一連の騒動を引き起こし、

その決着をつけようと、舟島での決闘が約されたとしている説があります。


一方、細川忠利に仕えていた武蔵は、忠利に従い、京から小倉に赴く途中で
小次郎から挑戦を受け、下関での決闘を約したと言う説もあります。


何より、滅茶苦茶なことは、
小次郎が、巌流島の決闘で敗れたのは、18歳、という文献もあれば、
50歳を過ぎていただろう、というのもあります。
これはあまりにも、ばらつき具合が激しいでしょ。
18歳と言えば、紅顔可憐の青年剣士とイメージになりますでしょ。
あの、背の高い桃太郎みたいな衣裳と顔つきは、18歳説が基本になっていると思うのです。
でも、18歳で、流派を構え、細田家に抱えられるとは思えないでしょ。
いくら天才とは言え、物干し竿というおよそ1メートルクラスの長太刀を操り、
つばめ返しという超高度な技を取得するのは、ちょっと想像しにく。
ま、真実は定かではありませんが、
諸説がどうしてこんなにばらつくのか不思議ですね。

 

で、小次郎の名前なんですが、
武蔵の伝記『二天記』の本文では「岩流小次郎」、注釈で「佐々木小次郎」と言っています。
また、他の文献では、津田とか、渡辺とか、
他には、上田宗入、多田市郎なども上がっています。
一体何が本名なのか、ですよね。

 

大体、何か、ある時代を代表する文書が、ばらつきの影響を与えてしまうようで、
正直、吉川英二さんの宮本武蔵の影響は、現代においては大きいようですね。

きっと誰もが覚えていると思いますが、巌流島の決闘のシーンです。
武蔵が遅れているので、いらいらしながら佐々木小次郎が待っている。
すると小舟で島にやってきた武蔵がひらりと岸辺に降り立つ。
小次郎は駆け寄って、波打問際に立つ武蔵に、
武蔵、遅い、と時間に遅れたことを非難する。
もうこの時点で平常心を失った小次郎が描かれます。
で、小次郎は、物干しざおをすらりと莢から抜くと、一気に武蔵に斬りかかる。
武蔵は、ひらりとそれを交わし、
舟の櫂を削った木刀を、頭上から打ち下ろす。
この一撃で、小次郎は絶命する。
勝負は一瞬のうちに着く。

というシーンでしょ。
そもそも、武蔵は時間に遅れていなかったそうです。

 

ま、すべて小説なんですから、作られているのでしょうが、
なんだかんだと私達は、それが真実に思い込んでしまうんですね。

何の因縁か、昨日、福井の一条の滝に行きました。
そこは、小次郎がつばめ返しを会得したという記念の地で、
小次郎の銅像が建っていたんですね。
一枚、小次郎と並んで記念写真を撮ってきました。

| 水嶋かずあき | - | 10:51 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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