水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
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なぜ拘束するんだ

おそらく、ほとんどの国、地域では、共通している問題を抱えているはずです。
それは、日本的表現で「地方創生」という言葉で表されます。


まず、人類が構成しているコミュニティ、つまり集団的な生活の場があって、
ここから外れて生きてゆくことはできない。
あの孤島で暮らしたロビンソンクルーソだって、最後は社会復帰しますし、
その途中だって、現地人のフライデーと生活を共にします。
まあ、何かを食べ、衣服をまとい、雨露をしのぐとなったら、
よほどの事情がない限り、世間とのすべての縁を切って一人で暮らすということ自体はありえない。
要は人類は、社会的集団的生存方法のもとで棲息してい動物なわけです。
で、たくさんのさまざまな個性が寄り集まっているのですから、
そこに様々な差が生じる。


たとえば、なにか危険な状態が発生して、ともかく逃げなきゃいけない。
さっさと安全圏まで逃げるものもいれば、もたもたする人もいる。
足の速さ、体力、様々な肉体的能力の差があるわけですから、逃げ遅れる人も出てくるわけです。
全員が同等の安全性を確保できるわけではありません。


当然、これは生活の質の問題にも当てはまります。
経済的な格差はここに大きな影響を及ぼします。

そして、現代社会では、この格差というものが、
都会と田舎、という地域性にまで影響するようになってきます。
まあ体で言えば、手足の先というか、毛細血管がますます細くなっているわけでしょ。
心臓近くの細胞と、指先の細胞の差になってくるんでしょうね。

 

ま、当たっているかどうかわかりませんが、
明治維新の時の薩摩、長州、土佐は、それぞれ、江戸から見れば、
薩摩は九州の先端、長州は本州の先端、土佐は、四国の裏側、という地理的な位置でした。
きっとなんだかんだと中央の恩恵が受けにくい所だったでしょうし、
距離がある分、情報も不十分なものだったのではないか、と思うんですね。
ですから、その分、自立をする精神が培われたのだと思うのです。

 

世界の国の中でも、独立するとか、中央ともめるのは大体離れた地方です。
スペインのカタルーニャ地方。
イギリスの北アイルランド。
中国のチベット、新疆ウィグル。
まだまだたくさんありますが、
そのほとんどが首都とは離れた地域なんです。

日本でも歴史的にみると、地域によっては独立運動と無縁でないところがあります。
ま、表面化していませんが、沖縄は独立を選択する可能性ゼロではないですね。
なんと、終戦後ですが、かつてあの伊豆大島で独立運動が起きたことがありました。
首都には近いのですが、海の上の島ですから、その意味では、
前々から、中央との十分なコミュニケーションがとれていなかったんでしょうね。
もし独立していれば、最も近い海外になっていたわけです。

 

要は、世界中、どんな政治体制の国であっても、中央との物理的、心理的距離があって、
そこが遠いほど、やはり関係も薄くなるわけです。
薄くなれば、中央に対する反発も生まれてくるというものですね。

 

以前のブログでも再三にわたって、触れてきましたが、
日本という国が、何を政治理念として運営されてきたか、ということですが、
このような地方が持つマイナス要因をいかに埋めるべきか、
ということが重要なテーマとして認識されていて、
それを地方創生、という概念で実行してきたのです。
全国総合開発計画がそれです。
これは、時代とともにその選択領域を変えてきましたが、
基本となる概念は、中央に集まりがちな様々な力を地方に分散させようという、

政治的なメカニズムの一つでした。
この考えは、基本的にはどんな国の中央政府でも持っているものです。
それは、中央政府、立法府を形成しているいる議員の先生方が、
地方出身であり、それぞれの地盤の利権代表でもあるからです。
日本でもその通り。
ですから、その本質が肯定される限り、

塚田前国交省副大臣の下関北九州道路に関する発言が、世間には避難されましたが、

別な角度で見てみれば、
代議士は国のことと併せて地域の事との二面的な利権代弁者なわけですから、
さして非難するには当たらない、と思うんですね。
まあ、たまたま、忖度とかの言葉に敏感になっている政治家が多かったという事でしょ。
私は、ごく普通の現象だと思っています。

 

さて、地方創生が基本的な理念になって、政策の展開を進めてきているものの
その実は上がりにくいんですね。
それが証拠には、この全国総合開発計画は、4回にわたって書き直しをし、

様々な要因をその対象としてきましたが、
結局、中央がますます肥大するという現象を食い止めることはできなかったのです。
あたかも、引力の大きい惑星が、周囲の隕石などを集めて大きくなってゆくのに似ているんですね。
これは、企業などの金力の強い所が、収益を上げて、拡大してゆくのと同じようなことです。
金力だか、引力だかはともかくです。

 

ですから、これは地方の宿命のようなもので、何らかの流れを作り出さない限り、
水が高きから低きに流れるように、中央から地方への逆流現象は生まれないのです。
ま、ほぼ、そのための政策的な手は尽きた、と思っていたところ、
ふるさと納税というシステムが発案されました。
まあ、最初はどんなもんだか、と疑心暗鬼だった地方も、

少しずつそれによる税収が見込める実例が出てくると、
本腰を入れ始めたのです。


地方は、人口は増えない、さらには減少する。
高齢化が進む、つまり、生産性の高い住民は減る、ということで、
人口という売り上げ、生産性という客単価の両方が目減りしてゆくわけですから、
個性的なまちづくりに回す余力がなくなってきているんですね。


そこで、やりようによっては、わずかながらでも知恵と努力でいくばくかの収入を得られる、
というのがふるさと納税だったんです。
これは、原則としてですが、単に自治体の収入が増加すること以外に、
地域の地場産業の振興にも結び付いていました。
都城で、宮崎牛の返礼品が人気を博せば、新たな販路が開拓できたようなものでしょ。

今回、返礼率3割以下、地場産品、というせっかくの制度を拘束しました。

この新制度の中で、ふるさと納税の制度取入れに手を挙げたのは、46道府県。
唯一、東京は手を挙げませんでした。
だってそうでしょ。

東京への集中解消の一手段としてのふるさと納税なんですから。

 

せっかく、地方への血流を良くしようという政策陽の目を見てくるようになったのに、
その基本的視点すら失い、中央の言い分を受け入れてしまう議員連中も、

頭悪いんじゃない、と思いますね。
考えが浅すぎます。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 09:51 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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