水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
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教育は協調性・社会性涵養の場

PTAにおける強制入会については、しばしば問題化されてきました。

法的な拘束もないのだから、参加しようと参加しなかろうと勝手じゃないか、と言うことです。

 

そもそも、日本でPTAが発足し、学校教育の一つの組織として定着したのは、
必要に迫られていたからです。
終戦後の、財力もない地方自治体で、十分な教育的環境を整えることが難しく、
ここは、父兄の支援をいくばくかいただけないか、というのが、本音だったわけです。
ま、一応、父兄と先生とのアソシエーションとかいうことになっていますが、
実態はそんなところだったと思います。

 

私が、中学3年生の頃、浜岳中学で、ブラスバンド部を立ち上げよう、ということになりましたが、
なんとしても楽器を買うお金がない。
そこで、全校生徒の協力の下、廃品回収と称して、家での不用品を集め、
これを売って資金を確保しよう、ということになったんですね。
当時、すでに結成されていた応援団(ま、ちょっとばかりガラの悪い連中が仕切っていましたが)が、
先頭に立って、企画を進め、なんだかんだと購入の資金を集めたんですね。
まあ、これも親の理解と協力のおかげでの成果だったわけでしょ。

 

時代は流れ、物的な支援がそれほど要求されなくなってきました。
また、教室の運営も、当時、50人から多いクラスは60人弱の生徒数だったのが、
今は、ほぼその半数。
教室の運営も以前から見れば、きめ細かに出来るようになったはずです。
したがって、以前から見れば、学校として、PTAの存在意義が薄くなってきたのでしょうね。
そうなると、学校運営で、PTAに関わるエネルギー、時間が負担になってきたんですね。

 

まあ時代の流れで組織の変節は必ずあるもので、
これも仕方ないと思うのですが、
それでも、子どもの教育に親が関わるということは、教育の本質から言って当然のことなんです。
そこで、PTAという組織に参画するかどうかとは別問題にありますが、
その組織から外れて、本来の親と学校の連携等を含めた教育システムが機能するのか、

となると、教育の本質からそれることになるのではないか、と思うんです。

 

私は、教育という人間が作り出した一つの人間養成システムの目的は、
社会性の涵養にある、と考えています。

 

かつて、浜岳中学でPTAの役員をした時、こんなことがありました。
まず第一回目の役員会でのことです。
この回は、お母さま方も初めて顔を合わせるということもあり、

組織の基本になる役員選出のタイミングなんですね。
で、クラスで、それぞれ委員会に所属することを振り分けられると、
今度は、委員会別に集まって会合を開きます。
そしてそこで、委員長、副委員長以下の委員会役員を決めて、
委員長に選任された方が役員会を構成するんです。
ですから、委員会で決定された順に、会議室にやってきて、

揃ったところで第一回の役員会が開催される、という段取りなんですね。
で、毎年、広報委員会の委員長の選出が難航する。
つまり誰もやりたがらないんです。

というのは、当時、県でも表彰されたくらい浜中の広報誌紙が充実していて、
その編集には、やたら手間がかかるんですね。
まあ、顧問の先生の力と言えば力なんでしょうが、これにお母さんたちがなかなかついてゆけない。
で、そもそも各学級での広報委員になるだけでも難航するのに、それを束ねる広報委員長となると、
皆、尻込みをして、なり手がいない。
大体、第一回の役員会では、広報委員長を選任できす、不在となることが多かったんです。
その時、私は広報委員会担当の副会長を仰せつかっていたので、
広報委員会の第一回会議に出席しました。
そこで、担当副会長として挨拶をさせていただいたのです。
大雑把には、こんな内容でした。
「皆さんはご自分のお子さんに、物事に積極的に取り組む人間になってもらいたいと願っていませんか。
さて、親は子の鏡になるべきです。

そう願っているんだったら、まずは親自身が積極的に物事に取り組み、

その後姿を子供に見てもらうことも大事だと思うのです。
ここでは、そのいい見本として、積極的に委員会の仕事に取り組むことをお願いしたい、

と同時に、その役員も積極的に引き受けていただきたいと思います。」と。
すると、なぜか、数名の人から委員長候補として挙手していただき、

あっという間に、委員会役員が決定したんですね。
私が委員会を終え、役員会の部屋に戻ってきたとき、

あまりに早く決定したので、他の役員さんに驚かれたものです。

 

つまり、学校は教育の最前線。
家庭も教育の最前線。
ここでどんな人間になってもらいたいのか、という人間像が一致しなければ、真の教育はできないでしょ。

 

我が友人で、中学校のPTAの会長を経験したものが、がこんなこと言ってました。
夏前に、プールの清掃をすることになったのだそうです。

で、PTA会員に協力を求めたところ、
はかばかしい反応がない。
そこで、さらに募集を掛ける際に、こう言う文言を付け加えたのだそうです。
このプールはあなたのお子さんが泳ぐところです、と。
すると、改めて参加の意志を表す親が増えた、と言うのですね。

 

確かに学校の施設だけど、うちの子も使うんだ、という、
公的部分と私的部分をうまく重ねたわけです。

実はPTAの諸活動は、すべて、この公的部分と私的部分が重なり合っているんですね。
何より、社会性を涵養するという教育の大原則から考えても、
組織に参加しないということは、協調をしないということに通じませんか。
これが、子どもにいい影響を与えるわけがない。
全体との調和ができないということは、人間として問題を抱えこむことになるでしょ。

人間の根本をいかに涵養するか、という大原則を、法的な整備ができていないという理由で、
PTAの組織運営をないがしろにしていい理由にはならないと思うんです。

 

時代が変わったとはいえ、親の軟弱さが、

子どもに悪影響を与えなければいい、と願わずにはいられません。

 

| 水嶋かずあき | あれこれ | 10:03 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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