水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
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80年前の古傷を見せられてもねぇ

昔、ある人が交通事故を起こし、相手に甚大な被害を与えてしまった。
そこで、その補償のための話し合いが行われ、あれこれやり取りがあって、
どうやら話がまとまった。
そこそこの補償金が支払われ、これによって、一件落着となった。
その後、それまであったわだかまりは、幾分かおさまっていたが、
ここにきて、あの補償では不十分だ、と、再度ごね始めた。

 

とまあ、こんな簡単はたとえ話では済まないほど、

もっとややこしい話があるんですが、
徴用工訴訟って、こんな感じじゃないですか。

 

事は1965年にさかのぼります。
昭和20年、太平洋戦争で日本が敗戦をしますが、
と同時に、それまでの植民地だった朝鮮半島から手を引きます。
まあ、これは当然ですよね。
明治43年、今から109年前、日本は大韓帝国(その頃はそう名乗っていたんです)と調印、
日本の植民地としたのです。
まあ、銃を突き付けてうんと言わせたんでしょうね。
どこの誰が喜んで植民地になります、なんて言うか、と言う事でしょ。
いきさつがいきさつですから、ここは、大いなる反感が韓国内に内在していたのです。
そこで、終戦、しかも日本は敗戦国。
一気に、韓国は攻めに転じます。
植民地時代を含め、戦争によるさまざまな物的、人的損害を補償せよ、ということになったのです。
この交渉は、それぞれ、日本は少なくしたい、韓国は多くしたいという思惑があり、
かなり、難航したのです。
ぶっちゃけ、いくら払うか、いくらもらえるかの金額の問題だったんですね。
いま要求されている、謝意などは二の次だったのです。
交渉が始まって、まとまるまで15年と言う歳月がかかりました。
そして1965年、日韓基本条約として、それまでの韓国併合条約を無効とし、
それまでのいくつかの条約を廃棄するとともに、
総額8億ドル(無償3億ドル、政府借款2億ドル、民間借款3億ドル)の援助資金を支払うことになったのです。
この金額は、その頃の韓国の国家予算の2倍の額でした。
そして、補償金支払いに合わせて、韓国側は請求権を放棄することになったのです。
つまり、もうこれ以上いちゃもんはつけません、と言いうことですね。
要は、一件落着、と言うことになりました。

で、改めて、それぞれの独立国家として対等なお付き合いが始まったわけです。
ところが、ここにきて、やれ慰安婦の問題だとか、徴用工の問題だとかが再燃してきたわけでしょ。
話しはとっくに終わっていたんじゃないの、と、日本としては思うでしょ。

 

何より不思議なのは、
1965年にけりがついたことになって、50年ほどのブランクがあるわけです。
いま、元慰安婦にしろ、元徴用工にしろ、50年のインタバルはなんだってのか、
と私は思うんですね。
この50年間、日韓基本条約が結ばれた途端、おかしいじゃないか、と言いつけてきたのならともかく、
空白期があって、事は収まっていると、世間では認識していたのに、
再燃したわけでしょ。
しかも、最終かつ不可逆とまで言われているのに、何か理解できないことですね。

 

それはさておき、かつて、大日本帝国として、国益を外国に求めたことがあったわけです。
そもそもが帝国と言うことは、他国への侵略、植民地化、収奪、搾取と言った

えげつない目論見があるわけです。
特に、ヨーロッパの国々が競うように、

アジアやアフリカなどに進出し、植民地化することを
当然のようにする風潮があって、

そのことが、民族やその国の文化、庶民の暮らしに大きなひずみをあたえてきた、

なんてことは、意に介さなかったのでしょうね。
まあ、人を人と見ていなかったんです。
そんな時代だったんですね。


ですから、帝国主義と言うのが地球上で横行しているとき、

日本も欧米列強に負けていられないとばかり、
植民地を探し、それを韓国に求めたわけです。
まあ、吾らが先祖のそういう志向は褒められたものじゃないですね。
たまたま侵略する側でしたが、これが、イギリスとか、スペインとかに侵略されていたら、
日本はどうなっていたんだろう、と思いますものね。

 

その意味でも、ひどいことをした、という反省は必要です。

 

話しは変わりますが、

南アメリカの国々で、大半が、スペイン語を公用語として扱っているのに、
ブラジルだけがポルトガル語(と言っても純正なポルトガル語ではありませんが)

なのは、どうしてだかご存知ですか。
実は、ヨーロッパの国々が浮かれたように、他国を植民地化し、それなりの栄華を得ていたころ、
無秩序に進めるのは、問題がおきる、と、スペインとポルトガルの間で協定を結んだんですね。
よく考えれば、ずいぶんと勝手な話ですね。

その時の基準が、西経何度、と言う経度でラインを引き、

その東側をポルトガル、西側をスペイン、という風に分け合ったのです。
傲慢なやり方でしょ。
で、結果として、ブラジルがポルトガルの権利になり、その他の国がスペインの権利になったんですね。
ですから、ブラジルはその時の協定の影響で、ポルトガル語を使うようになったのです。
まあ、おそらく今後、植民地的な発想で他国を侵略することはないと思いますが、
そういう経験は、いまだ色濃く各国に残っているんですね。

いやあ、あのときは悪かったね、では済まないのでしょうが、

50年もたって、昔の古傷を見せ、傷を負ったときは痛かったんだから、と言われても、
何を今頃になって、と言う事でしょ。

 

それとも、徴用工としての古傷は、今でも傷むのでしょうか。
何しろ、「恨」の国ですから。

 

| 水嶋かずあき | あれこれ | 20:38 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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