水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
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子どもの教育に大人の偏見は無用

そもそも私たちが手にしている情報とは、
当たり前ですが、誰かが発信したものです。
その誰かが、そんなことは下らないことだ、と思ったら発信しません。
逆にちょっとでもそのテーマに敏感だとしたら、

ささやかな情報を、時に盛りに盛って発信するかもしれません。
針小棒大という言葉がありますが、あたかも見てきたように表現します。
講釈師、見てきたような嘘を言い、というわけですね。
で、いずれにしても様々な情報が飛び交っていて、
その中から、アンテナに引っかかったものについて、自分の中に取り込みます。
つまり、情報は、さまざまな価値観によって分別され、

そのまま消えたり、大事に受け止められたり、
そして、またその情報は、起点を改めて、再度流れます。
誰かが発信した情報を、YAHOOで言えば、200ぐらいあるコラムに記載され、
それの中から、引っかかったものをさらに読み込みます。
時に関連するコラムを覗いたり、あるテーマに食いつきますが、
その反面、受け流すテーマも山ほどあるわけです。

最近、このように情報を整理しながら、

今までになく引っかかるテーマがちらちらしてきました。


それは、韓国に関わる多くの主張やら、情報などです。
一つは、反日的社会活動にかかわるニュースです。
さらに、もう一つ、反韓的な日本の反応です。
韓国の反日運動の根源はともかくとして、
それらの日本から見ればでたらめとも思える国家としての姿勢が、
たんに現政権の考えの表れなのか、
そう言わないと、ローソクで政権を民衆に奪われてしまうから、そういっているのか、
そのあたりがよく理解できていないのです。
ただ、客観的に見て、前政権が、ことごとく政権交代とともに、哀れな結末にな状況は、
韓民族のある種の民族性なんじゃないかと思うんですね。
少なくとも、日本で、総理経験者が、投獄されたなんていうのが、田中角栄位のもので、
普通は、その労に敬意を払って、功績は功績として評価するでしょ。
ですから、韓国では、政治と言うパワーバランスの問題よりは、
権力の座を降りたものへの、慰労とか、敬意などは、あまり持たないところがあるんですね。

 

その基本は何か、と考えたのですが、
ごくごく単純に、人が人に払うべき敬意の量が少ないんじゃないか、と。
仲のいい夫婦は、なんだかんだとともに敬意を抱きあっているでしょ。
人と人の関係において、その根底に必要なものは、敬意です。
その人の人格を認め、様々な思いを受け入れる。
どこか長所を探し出し、その長所の素晴らしさを認識する。
それだけのことでしょ。
自分の能力なんかと比較することじゃない。
単純に、その人の個性を絶対的なものとして認識し、

その素晴らしさを、何らかの言動で表す。
それだけで、多くの人間関係は穏やかなものになりますし、

その穏やかな空気は、めぐりめぐって、自分の個性の評価につながってくるものです。

 

つまり人のことをよく言い、高く評価すれば、そ

ういう評価をしたということ自体が評価されるようになるわけです。

逆に、理由や相関性はともかく、人のことを卑下し、見下し、欠点を暴き出そうとすると、
それは巡り巡って、自分のところにはねかえってくるものでしょ。

 

正に余計なお世話なんですが、韓国発の情報でこんなことを目にしました。
一つは、毎週水曜日に定期的に開催されるソウルで行われるでもです。
まあ、様々な思いの人がいるんですから、そういうことが行われているということ自体は、
とやかく言うことではないのですが、気になったのはこういうくだりです。


このあいだのデモの人数は、いつもよりやや少なかったそうです。
「それでもざっと120人くらいはいるのだが、そのほとんどが小学校高学年だという。
彼らは「日本政府は謝罪しろ」「世界の平和を願う」などと書いたプラカードを掲げ、
嬉々としながら「謝罪しろ」を連呼している。
その傍では付き添いの教師と思しき中年の男女数人が笑顔で拍手を送っていた。」
と言う事なんですが、
まだ価値観の形成もできていないような年端の子等に、
政治的意図を持った活動に引きずり込むのは、よくない、と思うんですね。
価値観が定まって、自分なりの判断力が身についてくれば話は別で、
いま、人間教育のど真ん中に居る子供を、
誹謗やら中傷やらの概念を植え付けるというのは、
その子の将来にとってどうなんだろうか、と。
つまりそのことで社会正義に対する考えが養われたとして、
その先を考えると、一抹の不安が残るんですね。

 

先ずすべきは人間を温かい目で見ることができる視点を養うことです。
やさしい心を持った子供は、将来を展望する視野が広く、
先ず多くの価値観を受け入れ、

その中から個性に応じた考え方を選択してゆく、というもののはずです。
最初から、何か偏った考えを植え付けるということは、
極めて視野を狭くしてしまうのではないか、と。
少なくとも、我が子が小学生の頃に、そういう社会的なしかも偏り、

誹謗中傷を眼目とした活動があったとして、参加させることはないと思うんです。

 

もうひとつ、独島の問題です。
いや竹島と言えばいいのでしょうか。
この問題で、
独島はわが領土、と従来から主張していて、まあこれは二国間の領土問題ですから、
どっちが正当な意見かは、それぞれの言い分を受け入れるしかないのですが、
韓国では、これを教育の現場に持ち込んでいるんですね。
小学校の低学年から領土教育として、

「日本人が独島のアシカを絶滅させた」と主張しているのだそうです。
まあ、これも様々な問題があって、

どうも実際はそんなことはないようなんですね。
いくつかの文献でそれは確認できるのですが、
なんでもかんでも日本は悪者と言う教育課程では、
どうもでっち上げのネタのようなんです。

で、史実を曲げてまで、子どもを洗脳し、どういう国を作り出そうというのか、
そこが疑問なんです。


言っちゃあなんですが、日本に生まれて、日本で育てば、
もっとおおらかな人格を形成できるんじゃないか、と感じたんです。

そもそも大人って、健全な子供を育成する責任があるでしょ。
大人は良いですが、子どもを巻き込むのはやめた方がいい。


でないと韓国の未来は狭まってしまうと思うんですね。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 15:15 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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