水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
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義務教育の本質

ユーチューバーとして活動している「ゆたぼん」と名乗る人がいます。
御年10歳。
で、この子が、自由登校を選択しているというのです。
つまり、行きたいときにはいくけど、行きたくない時は登校しない、というわけ。
で、このことで、多くの人がわがままな行為として批判したんですね。
すると、心理カウンセラーをしている父親が、自分のブログで反論したのです。
その内容。
「これが本当にわがままでしょうか?

自分の気持ちに従って生きる事の何がいけないのでしょう。
そして、そう言ってくる方に聞きたいのですが、

あなたにゆたぼんが何か迷惑をかけたのでしょうか?

(ちょっとこの部分は、経緯が分からない)
『行くか、行かないかハッキリ決めろ!』と言う人もいますが、

なぜハッキリ決めなければならないのか?」と。

 

さらに、こんなやり取りについても、意見を述べていました。
『宿題くらいしろ!』とか

『宿題をしないとロクな大人にならない!』と書き込んだ人がいたんですね。
で、これに対し、
「その人がそう思い込んでいるだけで何の根拠もありません。

(たしかに)
実はアメリカの調査結果でも『宿題は学力向上に効果なし』という衝撃的な結果が出ています」と。

(何でもアメリカのデータが正しいわけではない)
そして、こんなことも。
「もちろんこれも『宿題をしたい』と言う子にはさせてあげればいいと思います。
でも宿題をしたくない子どもに強要する権利が学校や親にあるのでしょうか?」

(えっ?何のための学校、何のための親なんでしょうかね)
さらに続けて、
「与えられた課題をこなすだけじゃなく、自分で何を学ぶかを自分で選ぶ事の方が大切だと僕は思う。
だから僕は学校に行かなくても子どもたちの可能性に目を向ければ、
子どもたちは自ら学ぶべき事を学ぶべきタイミングで自ら学んでいくと信じています」と主張したんですね。

確かにそうなんですが、全般に我田引水型論理ですね。

ううん、難しい問題ですが、

私はどちらかというと、このお父さんの意見は受け入れられません。
確かに、心理カウンセラーと言う事ですから、物事のロジックがしっかりしています。
まあ、簡単にいえば、頭のいい人なんでしょ。
ですからああ言えばこういう。
しかしどこか、根本で、何か世間では感じる違和感について、

きちんと説明できていないように思うんです。

 

先ずその一つです。
日本では、9年間の義務教育と言う制度を取っています。
この義務教育と言うのは、国によって制度はかなりばらつきます。
単純に、年数だけでも色々で、マカオとか香港はなんと15年です。
日本で いえば大学3年までが義務教育ということです。
13年と言う国もあります。
ベルギー、オランダ、ドイツなど。
逆に、アンゴラ、ミャンマーなどは4年。
ま、ともかく少なくとも、日本は小中で、9年間が義務教育です。
きっと日本人の何割かは、義務教育と言うのは、
無償で国が子どもの教育のをめんどうみる、と言う国が負っている義務、
と理解していると思うのです。
しかし、憲法における義務教育の定義は、親の義務としているのです。
学校教育を受けさせる義務を、親が負うというのが本来の義務教育なんですね。


ですから「ゆたぽん」のお父さんは、義務教育を根本で負っていないというわけです。
こう言う義務違反が何らかの違反行為となり、

罰則が与えられるのかどうかまでは分かりませんが、
親として、好きにしてればいいんだ、と言うのは、

少なくとも日本の国民として日本国憲法のもとで生活しているなら、
少し勘違いの主張ではないか、と思うんですね。

 

こうなると、不登校の子の親はどうなるのか、と言う事でしょ。
で、法的解釈としては、学校に通える体制ができているのなら、
親の義務は果たしている、とみなされるのだそうです。
まあ、解釈としては、長々休んでいる、ということなわけです。
通わせない、と言う事とは違うようです。
これは、やはり、行かなくていい、と言うのは、

やはり義務教育の解釈を勘違いしているとなりますでしょ。
「自分の気持ちに従って生きる事の何がいけないのでしょう。」
と言ってますが、これは放任主義のような印象を受けます。
放任主義と無責任主義とは紙一重。


自由な選択をさせていると思っているでしょうが、

自由と言うことの意味はいささかそういうことではないでしょ。

 

何より大事なことは、教育の基本理念が欠落していると思うんですね。
教育と言うのは、個として生きてゆく生活能力を後天的に身に付けさせることなんです。
この世の中で生きてゆく能力ということです。

多くの動物は、生れ落ちると、その環境で生きてゆける自動的なシステムを持っています。
哺乳類なら、母親の乳を飲む行為をします。
鳥のヒナなら、親鳥が運んでくる餌を大きな口をあけて要求します。
誰に教わるわけではありません。
先天的な能力なのです。


しかし、人間は、現在の社会的規模での生活と、

人間に授けられた先天的DNAとの間に格差があり、
これを何とか埋めなくては集団生活が全うできないんですね。
そこで、後天的に生活能力のトレーニングをするわけです。
これが教育なんです。
生きてゆく直接的スキルを身に着けることも、もちろんありますが、
教育の基本は、社会性の涵養なんです。
時に協調性とか、社交性とか、要は集団の中にあって、

有用な存在として生きてゆくわざの取得なんです。

好きな時だけ行く、と言う独善的な姿勢を受け入れているということ自体に、
私は違和感を感じます。

ま、古いタイプの人間なんでしょうか。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 21:42 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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