水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
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奴隷船が発見されたとか

アメイジング・グレイス「素晴らしきかな神の恵み」と言う讃美歌を聴いたことがあるでしょ。
アメリカでは最も一般的に歌われる讃美歌だそうです。


この歌ができたいきさつは、例によって、諸説あるのですが、
はっきりしているのは、作詞はジョン・ニュートンなんです。

彼は1725年、イギリスに生まれました。
長じて、商船の指揮官だった父とともに船に乗り、船乗りとして活動をするのですが、
ひょんなきっかけで黒人奴隷を輸送するいわゆる「奴隷貿易」に携わるようになります。
そして巨万の富を手に入れるのです。

当時は、アフリカに乗りこみ、黒人を拉致します。
そして、主に、アメリカ大陸に送り込み、奴隷として売買するんですね。


当時奴隷として拉致された黒人への扱いは正に家畜以下。
輸送に用いられる船内の衛生環境は劣悪で、狭い船倉にぎっしり詰め込まれ、
船内は、悪臭が漂い、便の処置もせず、衛生環境は最悪な状態でした。
食べ物もろくに与えられず、狭い船内では寝返りさえ打てないほど寿司詰め状態。
このため多くの者が輸送先に到着する前に感染症や脱水症状、栄養失調などの原因で死亡したそうです。
で、ニュートンは、奴隷船を生業としていたのですから、このような人非人の扱いをすることは、
普通のことと、していたわけです。


で、ある航海の時、とてつもない大きな嵐に遭遇します。
大荒れの海の中で、船底に穴が開き海水が浸水してきて、
ニュートンは一巻の終わりとばかり覚悟はしたものの、
そこを何とか、と神に祈りをささげるんです。
まさに、苦しい時の神頼みですね。
たまたま積み荷が崩れて、船底の穴をふさぎ、命は救われます。
この奇跡ともいうべきことを経験したニュートンは、以後、改心し、
奴隷貿易から足を洗い、酒や賭け事、不謹慎な行いを控え、聖書や宗教的書物を読むようになります。
そして聖職に付き、牧師となります。


1772年、「アメイジング・グレイス」が作詞され、讃美歌として歌われるようになりますが、
作曲者の名前は、いまだによく分かっていません。
一説には、彼がかつて携わった奴隷船で、黒人たちが口ずさんでいたメロディーが、
ベースになったのではないかともいわれています。
そういえば、なんとなく黒人霊歌的な雰囲気がありますよね。
このアメイジング・グレイスの中では、黒人奴隷貿易に関わったことに対する悔恨と、
それにも拘らず赦しを与えた神の愛に対する感謝が歌われています。

 

ま、この時代ですから、様々なる奴隷貿易の実態が語られていますが、
どこをどう取っても、実に非人間的な制度でしたね。
何しろ、黒人と言う理由だけで、

最下層の奴隷としての生き方しかできない時代があったわけですから、
アメリカの開拓史の時代が、無法な時代であろうと、
人間としての感性で受け止めれば、
やはり奴隷と言う制度は、とんでもないことだったのです。

 

私達がよく知っている「聖者の行進」ですが、
サッチものトランペットとともに、いつまでも記憶に残る歌ですが、
テンポと言い、歌が作り出す雰囲気と言い、なんとなく陽気な感じがして、
手拍子でたたきそうになるでしょ。
でも、この聖者の行進は、実は葬送行進曲なんですね。
いや、えっと思われるでしょうが、こんな背景があるんです。

 

黒人仲間のだれかが無くなり、死を悼み葬儀が行われます。
当然、しめやかな歩みで、墓場に向かい、埋葬します。
よく映画なんかで出てくる、葬式が執り行なわれます。
で、埋葬が終わると、一転して雰囲気が変わるんですね。
それは、彼は、生きている間中、いいことは一つもなかったし、
体にムチ打って働きづめに働いた。
毎日が喘ぐような苦痛の日々だった。
何より、いつかこの生活から抜け出て、どうにかなるという期待や願望は、
考える事すら意味のないことだったのです。
で、こうして死を迎え、神のみもとに行くことになった。
これからは、あの辛い日々はもうないんだ、と。
良かったじゃないか、とその死を祝福するんですね。
そして墓地からの帰り道は、陽気に彼の死を称えるんです。
この時の歌が、聖者の行進です。
ですから、葬儀の時の歌、と言う事なんですね。

 

1860年にアフリカから米国に奴隷を運び、最後の奴隷船とされるクロチルダの残骸が
米アラバマ州モービル近くで見つかった、というニュースがありました。
真偽のほどは、学術的な専門家の調査により、
実態が判明すると思いますが、
1860年と言うと、明治維新のちょっと前。
実はそんな時期まで、アメリカにアフリカの人たちが奴隷として送り込まれていたんだ、
と言う事でしょ。

名目的には、1808年に奴隷の輸入が禁じられたのですが、
綿花生産の労働力確保の必要性から奴隷の需要が高く、

南部の農場経営者らによる密輸が続いたわけです。
アメリカと言う、経済第一主義の国が、その発展のかげに、

奴隷と言う過酷な人間以下の扱いをしてきたと言いう履歴が、
ここでまた明るみに出てきたんですね。

 

人間の業の深さを感じますね。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 16:51 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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