水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
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家族の絆

ナショナルジオグラフィックの番組の話です。
テーマは、幻の白いオオカミ。
これは北極圏の永久凍土地帯に生息する北極オオカミの生態の記録映画で、
オオカミの一種なんですが、全身が真っ白になる種で、
北極の地で生きてゆく生態が描かれています。


まあ、普通のオオカミのように群れで獲物を狩って、
子どもを作り、育てるというところは何ら変わりはありません。
そして他のオオカミ同様、北極オオカミの群れにも、序列があって、

これは厳格に守られています。

で、物語は、群れのリーダーのメスが3〜4頭の子を育てているところから始まります。
途中、この群れに見知らぬオオカミが近づいてきます。
普通、よそ者は排除されるので、時に厳しい争いが起きるのですが、
この時はみな穏やかに接しています。
それどころか、結構仲良さ気なんです。
解説によると、このオオカミは雌、リーダーの娘で、
なんかの事情で、しばらく群れを離れていたのですが、
群れに戻ってきたのでした。
関係としては、いま育てている子供たちの姉さんに当たります。


撮影のスタッフは、この戻ってきた姉さんオオカミをエルザと命名します。
群れは、エルザを加えて暮らすことになります。
エルザは、まだヨチヨチ歩きの幼い兄弟の面倒を見る係になります。
リーダーは時に狩りに出かけますので、その留守を守って、実にこまめに幼いオオカミたちの世話をするんですね。
ところが、理由は分かりませんが、エルザは出戻りのため、群れの順位が最下位になんです。
エルザにとって一番の問題は、確保した餌を、上位のものが優先的に食べると、
ほとんど残っていないということです。
それでなくても、獲物の乏しい北極の永久凍土ですから、限られた種の獲物しか狩ることができない。
エルザは、日に日に痩せ衰えてゆきます。
明らかな栄養失調。
そして、ある日、とうとう巣穴から姿を見せることができなくなりました。
そして翌日、巣穴の中で餓死している姿が発見されます。
あんなに、群れのために献身的に尽くしていたのですが、
身分と言うか、序列というか、野生の動物の宿命ですが、

十分な獲物の分け前にあずかることが無かったのです。


これは大変、もの悲しい物語で、
併せて、人間の社会生活の在り方に置き換えて、深刻に考えてしまいました。

 

人間は、社会的動物です。
今でこそ、何万、何十万、何百万と言う塊で暮らしていますが、
アフリカで、ホモサピエンスとして種が確立したころは、
いくつかのファミリーが束ねられた群れで生活していたはずです。
おそらく、多くて数十と言う数です。
群れで行動するということは、当然ですが序列が必要です。
でないと群れとしての秩序が保てないでしょ。
そこで必然的に、ファミリーと言う結束がその基本になったんですね。

ファミリーという小さな群れの鉄則は、相互補助。
狩りをしたり、子を育てたり、外敵を排除したりと、
群れの安全安定のための仕事を、それぞれが分担するわけです。

つまり、私たち人間は、社会的な生き方の中で、家族と言う絆を培うことが、
個と種を維持する重要な要因であることを、

少なくとも20万年前からDNA的に承知してきたわけです。


ところが、以前から見ると、はるかに「食える社会」になってきたのです。
少なくとも日本において、物理的な理由で餓死として死亡したのは、
昭和26年が最後です。
以来、拒食症的な事やその他の病因ではともかく、
食べたくて食べれなかったという状況で栄養失調になり、餓死した人はいません。
皆生きながらえる環境は整ったものの、

群れを作り守る技は、衰退していってるように思うんですね。
一番の問題は、家族の結束を保つのが、難しくなってきたことでしょう。
それは、核家族化から始まりました。
親子のきずなが薄くなる。
親が子供の教育をきちんとしない。
子は親に敬意を持たない。
生活の接点が薄くなる。
要は、本来家族で生き延びてきた時代から、

少しばかり食べれるようになったからと言って、
人間の本質である家族としての営みが、やたらと脆弱になってきたんですね。

このことは今の社会現象に、表れ始めているのではないか、と思うんです。


例えば、例の池袋のさる上級国民と言われた87歳の方が起こした交通事故。
これだって、ではどうしたら防ぐことができたのか、と考えると、
要は、高齢化による身体能力の衰えは、家族が一番知っているだろうと。
本人の自覚が足りない場合は、周囲で認識してもらうしかない、と言う世間の意見が圧倒的でした。
要は、家族にも責任がある、と。
たしかにそのとおり。

 

川崎での小学生殺傷事件。
正に通り魔のような出来事ですが、
はっきり言って、狂人を野放しにしてしまったわけでしょ。
これって、警察だって、学校だって、ましては地域だって、
なんとも責任の取りようがないでしょ。
煎じつめれば、家族がなんとかするしかなかったわけです。
報道によれば容疑者の家族が既に崩壊しているらしい。
ま、逆に手の打ちようがなかったと言うことになりますが、
家族の崩壊が、このような出来事を生み出した基本にある、と言いう認識が必要でしょう。

改めて、家族の在り方をもっと真剣に考え、
人間の絆の根底の効用をもう少し評価すべきではないか、と思うんですね。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 18:07 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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