水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
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シャボン玉

シャボン玉は迷惑だ、とSNSで論争が起きているのだそうです。
まあ、なんだって、いちいち目くじら立てて物を言うんでしょうね。
ちっとぐらいのこと、だからなんだ、と流せば済む話でしょ。
世知辛い世の中になったもんですね。

そもそもネットで、いろんな意見を言う人で、
だいたい、共通しているんですが、何かと否定的な意見を言う人は、
ろくな人生送っていないんじゃないでしょうか。
だって、人様のおかげで生かさせてもらっていると考えるなら、
多少のことは、ま、いいか、と水に流すのが大人の生き方でしょ。


まして、シャボン玉なんて、子どもの遊びじゃないですか。
あの虹色の光る表面に何の毒が含まれているんだ、と思いませんか。

このバカげた論争は、「シャボン玉が近所迷惑にならないか不安」という投稿がきっかけ。
「洗濯物につくから迷惑」「車にあとが残る」など否定的な意見があったそうです。
もちろん、
 「公園とかだったら別にいいと思うけど、バーベキューとか飲食したりする場所だったら、時間を考えてするべきかな」
??基本屋外でしょ。
と言うことは、屋外で飲食しているわけだ。

煙は出るし匂いも漂う。
これって、目くそ鼻くそが笑う、みたいなもんでしょ。
ま、基本的には肯定派が多いようですが、
 「子どもと一緒にやるからダメとは思わない。遊びの1つだと思う」
 「小さい時にやってると思うんで、今やられても自分もやったことだしいいかなと思う」
いや、そういう意味じゃないでしょ。

やっちまったから、後に続くを許すとかじゃないでしょ。
 「あんまり嫌じゃない。石鹸だからいいかなって」(30代・男性/会社員)
ま、もともとどうでもいい論争なんですが、
子どもが喜んで、目を輝かせているのを見ると、とやかく言うことないと思うんですね。

 

先日、市内のレストランで、ミニライブを開催しました。
で、女性シンガーの方が歌を歌い、ピアノとキーボードの奏者が伴奏する、という形。
わたしは、このライブの構成と進行を担当しました。
で、ミニライブとは言え、それなりのテーマを掲げるべきだ、と思って、
歌の背景を知ることで、歌を聴く時に情景が浮かんでくるものなので、
曲が始まる前に、ちょっとした解説をつけることにしたのです。

いくつかのコーナーの中で、童謡のコーナーを設けました。
で、そのコーナー最初の曲が「シャボン玉」。
野口雨情の作詞による有名な童謡です。

 

シャボン玉飛んだ 屋根まで飛んだ
屋根まで飛んで こわれて消えた

シャボン玉消えた 飛ばずに消えた
産まれてすぐに こわれて消えた

風、風、吹くな
シャボン玉飛ばそ

 

ま、誰でも歌える歌でしょ。
最初に会場にいる人に合唱してもらいました。

で、終わったところで解説。

ご存知の野口雨情の作詞によるものです。
野口雨情は、北茨城の出身で、家は回船問屋を営むそこそこの家柄でしたが、
常磐線が整備されると、物資の運搬は海から陸に転換されます。
そこで稼業は衰退してゆくのです。
雨情23歳の時、実家の経済力のテコ入れをしようと、

親族が薦める栃木の素封家の娘と政略結婚をすることになります。
まあ、金目当ての政略結婚ですから、雨情としては、戸惑いがありました。
しかし、背は腹に変えられない。
翌年、長男が生まれます。
続いて長女が生まれます。
この長女はみどりと名付けられ、雨情は、どちらかと言えば冷えた夫婦関係を修復する
いわば子はかすがい、を期待します。
しかし、生後1週間でこの子は亡くなります。
雨情は相当のショックを受けます。

 

しばらく、土地を離れ、あてのない放浪生活ともいうべき時期を過ごしますが
やがて故郷に戻ってきます。

きっと、近所の裏路地でシャボン玉遊びをしている子供たちを眺めていたんでしょうね。
そして、その子等の姿に、生きていればこのこぐらいだろうか、
と、亡くなった我が子の姿を重ねてみたのだと思います。

 

シャボン玉飛んだ 屋根まで飛んだ
屋根まで飛んで こわれて消えた

シャボン玉消えた 飛ばずに消えた
産まれてすぐに こわれて消えた

風、風、吹くな
シャボン玉飛ばそ

 

この歌の背景を知ると、この歌詞の意味の重みが理解できると思うんです。

この歌の背景の解説には、よくあることなんですが、諸説があって、
今私が書いた内容に否定的な人もいます。
しかし、私は、この説の方が歌詞とのなじみがよい、ということと、
雨情の記念館と言うのがあって、そこの館長をしているのが
雨情のお孫さんなんですが、この方が、
こう言う背景を書いているんですね。
ご本人の近くにいたわけですから、この方がそう言う以上、
私はみどりと言う赤子を失った哀惜の情が言葉になっている、
と考えるのが筋だろうと思っています。

素朴に子供の遊びを謳ったものです。


そもそもシャボン玉遊びとはそういうものでしょ。
とやかく言う話ではないでしょ。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 14:52 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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