水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
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健康記念日

今から7年前の6月6日、
おそらく私にとって、死ぬまで忘れないであろう心に留め置く日となりました。

病気からUターンし、健康の日々を迎えることができるようになった記念日なんです。

 

それは、重症筋無力症が発生して、その治療の中で大きな山である胸腺摘出手術をした日です。

そもそもは、2012年の3月ごろから体調が妙に崩れ始めたのです。
最初の症状は複視と言って、物が二重に見えるようになったんですね。
ともかく、画像が一つにならないんです。
で、眼科医に行って診てもらったんですが、
あれこれ調べて結論はドライアイじゃないか、と。
そうこうするうち、妙に筋肉に力が入らなくなってきたんです。
特徴として現れたのは、首の筋肉でした。
普段と言うか、普通は肩の上に首がありますが、
首に力を入れているなんて意識はないでしょ。
体を起こせば普通に首は垂直に肩についています。
しかしこれも実は筋肉がそうしているんで、もし、首の筋肉が弱体化すれば、
頭の重さに耐えかねて、頭は、肩から真下に向いてしまうんですね。
まあ、うなだれている、という感じでしょうか。
いやただのうなだれるではなく、背骨と頭が直角になってしまうんですね。
これは頑張れば、しばらくの間は垂直になりますが、
とてもその状態が続かない。
で、首に力が入らないと、基本起きて行動しているときは、下を向いたままなんです。
次にジワリと来た症状が、咀嚼の力が弱くなったことです。
極端な話、普通の食事をするのに、途中、3回か4回休まないと、
顎が疲れて嚙めなくなるんです。
正に休み休み一食を食べる、という感じです。

 

これらの症状が、あれこれ出てくれば、こりゃまずい、となるでしょ。
で、医者に行って診断してもらったら、重症筋無力症だと宣言されたのです。
と言うか、その可能性が高い、と。
で、とりあえずレントゲンと血液検査をしなさい、ということで、
その検査のために窓口に並んで順番待ちをしたんですが、
このまち時間の間、頭の中では、まずいことになった、と。
重症筋無力症と言うのが、どんな症状になって、生命の危険性はどのぐらいか、
なんて何も知らないわけです。
漠然とその病名から、これは尋常な病気ではない、ということと、
素人ながら、最悪死ぬんだ、と思ったんですね。
まあ、こういう場合、最悪の状況さえ受け入れておけば
それ以下はないのだから、あとは、それ以上を想定すればいいことでしょ。
まずはボーダーラインを心にとめたわけです。
で結論を言うと、5年で死ぬかもしれない、と。

言い換えれば5年は生きるだろうと、適当な基準を想定したわけです。
ここは、素人が勝手な算段をしたのですが、
真っ暗闇の中の手探り状態ですから、最悪の想定を前提にしたんですね。

とは言え、5年で死ぬ、と言う感覚より、5年は生きられる、と言う捉え方だったですね。

そうか、あと5年は生きていられるんだ、と。

 

で、その後、家に帰ってから、ネットなど、それは様々な情報を集めた結果、
最近は、この病気で死ぬということはほとんどない、ということが分かりました。
とは言え、厚生労働省指定の特定疾患、つまり難病である事には変わりがないんです。

そこで、医師の治療計画が立てられ、検査入院が一週間ほどあって、
その中で、まずは胸腺切除と言う外科手術が行われることになったのです。
そもそもこの病気は、なぜか(ここがいまだにわからないのですが)自己免疫疾患の一つです。
人間の体の健康を維持するために様々な免疫システムがあるのですが、
体の中をくまなく、防衛隊が外敵を排除しようとパトロールしているわけです。
ところが、この隊員の一部が間違えた情報をうのみにしてしまい、
健全に働くためのアセチルコリン受容体の活動を、外敵だと思い込んでしまうんですね。
この間違いがかなりの隊員に浸透すると、筋肉活動の指令を伝えるアセチルコリンの受容体を攻撃してしまう。
そこで、筋肉活動がまともに出来なくなって、最終的には、無力症になってしまう、というわけです。

で、肺と胸膜の上に胸腺と言う臓器があって、これが、防衛隊の本陣なんですね。
胸腺から、防衛隊員を養成して送り出す。
ところがここに間違えた情報で動く連中が出現したものですから、
この防衛隊の本陣を破壊してしまおう、というわけです。

少し乱暴な手段なんですが、この胸腺を取ってしまえば、
少なくとも今までの様な勘違い隊員は激減するはずだ、ということで、
胸腺切除と言う手術が行われるわけです。

まあ、それまでに予備的な治療があって、いよいよ本戦である胸腺切除の手術が
7年前の6月6日に行われたのです。

決して大げさでなく、このような治療をしていなければ、
素人の読みではありますが、5年であの世に行っていたかもしれません。
でもおかげさまで、7年過ぎても生きながらえていると言うことは、
正に医療と言う健康確保の手段の優れた進歩のおかげですね。

 

この手術が終わって、1週間後に退院したのですが、
その時担当医が、私のベッドのところにやってきて、いくつかの注意をするとともに、

この病気であなたが死ぬことはありません、と宣言されました。

 

ほんと、おかげさまで、先ずは元気に手術7年目を迎えることができました。
ご迷惑かもしれませんが、あと、11年ほどこの世にとどまる予定ですので、
今後ともよろしくお付き合いのほど、お願い致します。

 

| 水嶋かずあき | あれこれ | 16:03 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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