水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
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七夕そうめん

中国から伝来し、日本に古くから伝わってきた生活行事に、
五節句と言うものがあります。
1月7日の人日、3月3日の桃の節句、5月5日の端午の節句、
7月7日の七夕の節供、9月9日の重陽の節句と、5つの節供です。


これはなぜか、明治6年、時の政府が、節供廃止令を出して、
それまで庶民の間で熱心に伝えられてきた伝統の行事に水を差したのです。
しかし、それまで習慣的に行ってきたわけで、
おいそれと、それで終わり、というわけにはいかなかったようです。
何より、お雛様を飾り、鯉のぼりを青空に泳がせてきたわけですから、
今考えると、何が根拠で廃止令を出したのか、その背景がよく分かりません。

 

ま、ともかく、そんなことで、若干これらの行事が、ひずんで伝えられてきた傾向があります。
その一つが、七夕の行事食である、そうめんがないがしろにされてしまいました。
3月は三色の菱餅に、あられ、白酒、5月はちまきに柏餅、とそれぞれの節供に付きものの行事食がありますが、
これで言うと七夕はそうめんなんですね。

歴史を紐解くと、その始まりは中国にあったようです。
よくある表現ですが、昔むかし、ある男の子が病で倒れ、亡くなってしまいます。
そしてそののち、その地方に流行病が広がり、これに困った人々が、
その男の子の好きだった「索餅」を供え、病が鎮まるのを願った、という言い伝えがありました。

 

この索餅は、一種の餅のようなもので、小麦粉と米粉を練り、今のうどんより少し太めのサイズに切ったもののようです。
このような言い伝えから、七夕には、索餅を食べる、と言う風習が日本にも伝わり、
およそ1100年前の927年、宮内の儀式・作法を集大成した延喜式にも記載されていて、
そうめんの原型とされる「索餅」が7月7日の七タの儀式に供えられたのだそうです。
この平安時代に始まったものですが、その後、索餅はそうめんに形を変えてきました。

 

では、なぜそうめんなのか、ということは
そもそもが尾ひれがついて伝えられるもので、諸説が登場します。

まあ根本は食べ物ですから、その時期に食べやすく栄養があるもの、と言うことになります。
旧暦では、7月7日の頃(今より一か月ほど後になる)は、正に猛暑の日々です。
食欲減退の時に、つるっと喉を通るそうめんは、うってつけの食べ物だったんでしょうね。

 

また、そうめんを天の川に見立てているという説があります。
確かに水に浮かんだそうめんは、ちょっとした川の流れのような風情があります。

 

また、そもそも「七夕」とは、日本の文字で表現すると、「棚機」と書きます。
棚はそのまま「たな」、機は機織り(はたおり)のはたです。
ですから本来七夕と言う文字では、しちせきと読むのが正解。
しかし、なぜか古来より日本に伝わる棚機と言う行事と重なり、文字は七夕、読みはたなばたと言うようになりました。
つまり、日本で進化した七夕の行事は、布を織ることの意味を強く持っていたのです。
したがって、布を織るには糸を並べるところから始まるわけで、
そうめんの細い麺から、機織り機に通す糸のイメージを重ねたのかもしれません。

まあ、いずれにしてもいささか忘れがちになっていた伝統食を、
出来れば復活させたい、と言いう思いがあります。

 

七夕は、恋愛成就の祭りでもあり、そもそもが技芸の上達を願う祭りでもあります。

出来れば、そうめんを食べながら、願い事をかなえよう、と言うのもなかなかいいでしょ。

 

この七夕のまちだからこそ、そうめんを食べる習慣を広めたい、と。

今年はまだまだわずかですが、飲食連合会のお店で、七夕は素麺、ということで、
そうめんを提供することにしています。

是非ともご利用ください。

 

| 水嶋かずあき | グルメ | 06:47 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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