水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
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お経のありがたさ

一昨日、昨日、今日と三日連続で葬儀がありました。
12日は、我が叔母清乃さん(享年99歳)の通夜。
まさに大往生でした。
13日はその告別式。


葬儀をいろいろ経験しましたが、納棺後、皆で記念撮影。
集合写真を撮るなんて初めてでした。
喪主のたっての希望で、斎場から出棺する時は皆で拍手をしました。
これも初めての経験。


で、13日夜は、鳥海さんの通夜。
予想を上回るたくさんの方が参列されました。
翌14日、今日はその告別式。
告別式と言うと、最近参列者が少なくなって来ていて、
場合によっては家族とごく親しい方が10名ほど、という状況を多く経験してきましたが、
とりさんの告別式は驚くほどたくさんの方々がお見えになり、
とりさんの人徳と言うものを実感しました。

 

葬儀を経験するたびに、実に多種多様な進行の手順があって、
そもそもが読まれるお経も様々で、

大げさに言えば、お寺の数だけ作法があるんじゃないか、
と思えるくらいです。

導師入場の時も様々で、鐘をチーン、チーンと鳴らしながら、入場の場合もあれば、
予告もなしに、喪主に一礼しただけで、着席するという方もおいでです。
それだけに、お経も、ほとんど理解できないただの音のようなお経もあれば、
口語文で、分りやすく言う場合もあったりとか、これまた千差万別。
総じて、参列者の数に応じ、焼香に掛かる時間の長さで読経しているようですが、
先日、やたら長い読経を経験しました。


まず、参列者に経本の簡易版のようなものを手渡し、
1ページ目から読経してゆくわけです。
途中、区切りのいいところで、では次は23ページをあけてください、とかの指示あって、
なんだかんだと、43ページ全部を読むことになったんですね。
いやその長いこと。
読経の途中、まさか全部じゃないだろうと高をくくっていたのですが、
ともかく1ページ1ページ進行してゆくんです。
こんな読経もあるのか、と思いました。

 

先日のある葬儀で、気のせいかどうも短いな、と感じるお経があって、
隣の参列者が、短くていいね、と耳打ちしてきました。
私は同意しました。


考えてみれば、音のようなお経であれ、口語文的お経であれ、
実はそれほどその内容を理解しようと聞いているわけではありません。
むしろ、体調によっては、子守唄のような心地よささえ感じるくらいで、
そうなると、一体お経ってなんなんだ、と思うんですね。


まあ、仏教的には、お釈迦様の教えを、のちに弟子たちが文章化したもので、
当然ですが2600年も経てば、宗派も分かれ、そこでの意味や解釈もばらけ、
伝承する言葉も、大きく変化してきているのだと思います。
何より、その言葉を聞いて、本当に私達は何かを理解できるのか、
そして、それを死者の傍らで読経することで、死者の魂は浄化されるのか、
さらにはそういう効用を私達は、確認できたのか、など、
大変、不敬な疑問かもしれませんが、私は、正直感じてきました。


でも、それでいいじゃん、と言われれば、敢えて反対やら否定はしません。
要は、葬儀とは残されたもののセレモニーなんですから。
そう言うもんだ、と受け継がれてきたものですから。

 

そして、私の年も年なんですが、
そう言う葬儀を経験する中で、一歩一歩私自身が、あの世に近付いている、
という事実を気付くべきなんでしょうね。
そのための、お経と思えば、意味が分からなくても、
そういう時間を経験するということの意味があるような気がします。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 20:30 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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