水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
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悪いのは誰か

ある程度の地位権力を得た人が、その立場を脅かすかもしれないという事態になった時、
保身のための発言や、不誠実な行動をとることはよくあることですよね。
これは古今東西の権力者たちの言動を伝えられている情報として観てみれば、
ある種普通のことでもあるのじゃないか、と勘違いするほど、当たり前になっていますでしょ。

 

言葉にすれば、虚言、虚証、黙秘、責任回避など、先ずはその場を切り抜けるための
不誠実な行動のことです。

たとえていえば、モリカケの問題での政権の姿勢がそうでしょ。
特に、安倍首相の言動は、誰がどう見ても、虚証、回避、黙秘の連続だったでしょ。
私は、自民党が政権奪還をした時に、安倍さんが声を上げ、党総裁になった時、
それなりに期待をしたのですが、
政権半ばから、嘘が多い位と感じてしまい、彼への評価はガタ落ちになりました。

 

誰でも嘘は嫌いだと思うのですが、宮迫博之さんとの田村亮さんの金銭授受に関する嘘は、
まあかわいいはなしだ、と思うのです。
だって、保身の気持ちが働けば、もらってないって、そう言うでしょ。
ここまでの彼らの人生を振り返れば、保身の気持ちが働かないわけはない。
つまり、ごく自然に、きっと誰でもそうするだろうということです。


テレビなどでは、嘘がよくなかったと言っていますが、
問題はうそをついたことなのか、と思いますね。

ワイド番組のコメンテーターが、うがったような表情で、
あの時嘘をつかなければ事態はもう少し変わっていたんじゃないか、と。
で、本人も、嘘をついてしまったことの後悔を記者会見で口にしていました。
つまり、世間はうそについて評価を中心にこの問題を考えてきたのです。

 

嘘はよくない、と言うコメンテーターに、
あなたはうそをついたことがないのですか、と聞きたいですね。

 

キリスト教の聖書に出てくる話です。
姦通罪で捕らえられた女性をめぐって、イエスと律法学者たちが対決します。
旧約の律法では、姦通罪は石打ちの死刑にされることになっていました。
判断を求められた主イエスは
「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず石を投げなさい」と言ったのです。
すると年長者から始まって一人また一人と立ち去ってしまい、
誰も女に石を投げることができまなかった、という話です。

まあレベルが違いますが、嘘を言ったことがある人は、

人の嘘をとがめる事ができるのか、と言うことです。
なんだかんだとイエスの罪の女への石投げの刑とは異なりますが、
我が罪に対する贖罪的な気持ちと言うより、
人間の弱さに対する、ある種の共感、
そして、寛容、ということがこのパラブル(例話)の本来です。


ま、一言で言えばゆるしですね。
みな同じ人間として、弱みがある。
この弱みを罪と捉えているのでしょう。
この弱み、イコール罪を持った生き物であると言うことを大前提とした人間観と言うことです。

まあ許す許さないというのは、その時の状況かもしれせんが、
今回のことは、仕方ない状況での展開だったのではないか、と思います。

 

逆に、なんでもかんでも人の弱みに付け込んで、

旧悪まで穿り返すというメディアの姿勢に多いに疑問を感じます。
ジャーナリストの正義ってなんなんだ、と思うんですね。
まあ、未熟なジャーナリストが多くなった、ということでもあるんでしょうね。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 10:28 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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