水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
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PTSD・心的外傷後ストレス障害

昨日アップしたブログ、自転車事故の後日談です。

 

病院に運び込まれたものの、二の腕の擦過傷は、かなりの面積でしたし、
皮膚に砂利がめり込んでいて、時間が過ぎてもひりひりが続くんですね。
素人ながら、消毒して、砂など取って、包帯でも巻くのかと思ったら、何もしない。
私は思わず、このままですか、と聞いたら、こう言う傷はまず乾かすことなんです、と。


で、レントゲンを撮ってきてください、と言われたので、
もうその頃は、初期の痛みは少なくなっていましたので、
歩いて行って、レントゲンを撮ってもらい、戻ってくると、
医師は、そのレントゲンを白く光るアクリル板の前に止め、
しばらく見ていましたが、振り返って、何の異常もありませんね、で終わりなんです。
つまり、病院では治療的な事は一切されませんでした。

私は診察も終わったんで、タクシーで店に戻り、
治療を受けるほどのけがではなかった、ということで、
そのままディスクワークを始めたんです。
ところが、なんとしても強打した胸のあたりが痛い。
で、2時間ほどして、やっぱ今日は家に戻るわ、と退社したのです。

 

病院では、様子を見たいから2週間後に来るように、と言われたんです。
で、2週間たって、診療に出かけました。
まず、レントゲンを撮るようにと言われ、撮って、診察室に戻ると、
例のレントゲンを見るための白いアクリル板の前に写真を貼って、
医師がしげじげと見て、こういう診断を下しました。
肋骨が一本折れています、と。
私は、だろ、と思いました。
なんでもないのに、あんな痛いわけがない、と。
で、胸にマジックテープで留める幅広のバンドのようなものを渡され、
これを胸に巻いてください、少しは痛みが和らぎますから、と言われたのです。
基本的には、肋骨の場合、呼吸のたびに動くわけですから固定することができない。
したがっておれた部位に仮骨ができて、自然に直すしか方法がない、のだそうです。
およそ、一か月もすれば治るだろう、と言われました。
で、その一か月後にまた来るように、と。

 

それから一か月して、9月の半ばに病院に行くと、

いつも通り、レントゲンを撮って、その判断を聞く。
例によって医師は、レントゲンをしげじげと見て、その判断を告げます。
肋骨が2本折れています、と。
いやちょっと待て、この間は1本だったじゃないか、と。
何故かこの一カ月間で、一本追加されたわけです。
つまりです。
この二本目が付くまでにさらに一か月必要なわけでしょ。
当然ですが、激痛はないものの、胸はじわじわ痛いわけです。
これがあと一か月続くんですね。

 

そしてさらに一か月後、10月の半ばごろでしたが、病院に行きました。
例によって、レントゲンを撮って診察室のイスに座って、
医師の判断を聞きます。
医師は、肋骨が3本折れていますね、と。
ここまで来ると、もう驚かない。
私も冷静に、まあ、あと一か月胸のバンドを巻き付けるんだ、と。
ま、それだけのことですから。

 

で、そうこうするうち、サンフランシスコで七夕太鼓の公演があり、
帰ってきて、11月の半ば、もうこれでけりがついただろう、と病院行きました。
で、例によって、レントゲンを撮って、医師のご宣託を聞くわけです。
医師は、凄く冷静に、4本折れています、と言うんです。
厳密には4本5か所折れている、と。
一本は2カ所折れていたんですね。
私もまじまじとレントゲンを見ました。
あばら骨が、上の方はまともですから、「つ」と言う字のように写っているんですね。
で、その下は折れているので、「く」の字を逆さまにしたような形です。
さらに、4本目は、二カ所折れてるので、「コ」の字のようなんです。
つまり、レントゲンに、つつつくくくコ、と書かれているんですね。
私は、どうしてレントゲンを撮るたびに増えるんだろうと、思いました。
そうでしょ、なぜかと思うでしょ。
医師はそんな私の表情を見て取って、何か疑問ですか?と質問。
私は、当然ですから、はい、と答えました。
医師は、そばにいた看護師に、今までの写真を全部持ってくるように言い、
1枚目からその広めのアクリル板の上に貼っていったんです。
1枚目ゼロ、2枚目1本、3枚目2本、4枚目3本、5枚目4本5カ所。
得意げに医師はその展開を、ほら、と言った感じで見せるわけです。
で、医師は、もし、この先さらに増えるようでしたら、学会に報告します、と。
私はそれを聞いて学会に報告と言うことがちょっぴりうれしかったんですね。
だって自分の症状が学会に報告されるなんて機会はめったにないでしょ。
私はうれしさを悟られないように、表情を崩さず、分りました、と。

 

で、年の瀬も押し迫った12月の半ば、病院に行きました。
6枚目のレントゲンを撮るためです。
結局、4本5か所以上には増えていませんでした。
痛みもその頃は一切なくなっていたんです。

まあ、この経緯を振り返ってみて、病院で診察はしてもらいましたが、
救急車で運び込まれてから、6回の病院通いで、一切の治療を受けていないんですね。
ま、これも良しとするか、です。

ちょっと残念なのは、学会に報告される可能性が無くなったことです。

 

私はそれから1年ほど、自転車に乗ることができませんでした。
恐怖感が取れなかったのです。

| 水嶋かずあき | 思い出話 | 10:08 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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