水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
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のど元過ぎれば熱さ忘れる

来週木曜日、15日は終戦記念日です。
私は以前からこの終戦記念日、という表現が好きでなかったのです。
なんとなく、片意地張った感じがするでしょ。
いさぎよく敗戦記念日と言うか、もしくは心機一転、平和記念日とするか、
どっちかでしょ。

 

話は変わりますが、
終戦の年、昭和20年の日本人男女の平均寿命です。
これが、不思議なことに、公式の平均寿命は昭和22年、1947年から、
データが始まり、20年、21年は空欄になっているんです。
戦後のどさくさで、そんなことカウントしている時間が無かった、のか
公式にデータとして公表するに忍び難かったのか、
どっちなんでしょうね。

 

ところが不思議なもんで、世間では男23.5歳、女30.0歳と言われています。
そんなくらいですから、いわゆる諸説あって、男25歳とか、女38歳とか説もあります。
ま、どっちにしても、現在から考えれば、とてつもない数字なんですが、
どうも、このころは平均寿命という考え方と、
その算出方法が今とは違ってたようなんですね。


そもそも平均寿命と言うのは、その年に生まれてきた子供の平均余命のことなんです。
今年男81歳、女87歳と言うことですが、今年生まれてきた子の平均的な寿命は
男の子なら81まで、女の子なら87まで生きるでしょう、と言う事なんです。
平均寿命と言うと、今生きている人のすべてが、大体その年まで生きられる、と考えがちですが、
これは違います。
だって、じゃあ81を過ぎたじいさんが生きているのはなぜだ、みたいになるでしょ。
正確には、それぞれの年齢に応じた余命と言うものがデータ化されていて、
これは、生命保険会社などが持っている、平均余命表に記載されています。

しかし、じゃあ、どのように算出するかなんですが、
まあ単純に、その年に亡くなった方の年齢の総和÷亡くなった人数、ということです。
多少はこれにややこしい算出方法が絡むんですが、それはともかく、ざっとはそういうことです。
したがって、昭和20年に亡くなった日本男子は、平均して23.5歳だったということです。
ま、これが戦争という事態の悲劇的な事です。
その国の平均寿命を著しく変えてしまうほど、偏って命が失われるのです。
戦争ですから、要は殺されるのです。


この戦争で亡くなった方310万人。
真珠湾攻撃からおよそ3年8か月、1344日。
一日平均で2300人、来る日も来る日も犠牲者を出しつづけました。
これだけの数の日本人が殺され続けたわけです。
数字だけ見てもすごいことでしょ。

ですから若いもので構成されていて兵隊さんがなくなれば、

平均寿命は若くなるんですね。

考えてみれば、ともかく若い人が死んでいたということです。

 

私の父は、習志野の騎兵連隊に所属し、シナ事変に出兵しました。
で、帰ってきて、首都防衛として再招集。
幸い戦死を逃れることができました。
いま、マンションで同居しているかみさんのお父さんも、出兵し、
南方の島に行きましたが、ひょんなことで無事帰還しました。
わが父は戦争体験をほとんど話しませんでした。

そしてかみさんのお父さんも、戦争体験は殆ど話しません。
こちらが、興味を持ったところを聞けば、それなりの答えはありましたが、
こと、戦争体験については寡黙を貫きました。
きっと忌まわしい思いに再度触れてくないんでしょうね。

ある種のPTSDですね。

 

多くの戦争体験が消えつつあります。
我が父は96歳でなくなりました。
かみさんのお父さんも今年95歳。
戦争の悲惨さを体で感じた世代は、消えゆくのみです。

 

どうしたら、この思いを次の世代に引き継ぐことができるんでしょうね。
なんとなく、そういう活動そのものがノスタルジックな感傷と捉えられそうな世相ですね。

 

のど元過ぎれば熱さ忘れる、と言う事なんでしょうね。

 

| 水嶋かずあき | あれこれ | 19:08 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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