水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
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如是我聞

お釈迦様が、自分の悟ったことを後の人々に、より正確に伝えたい、と思い、
弟子の阿難に、経典としてまとめる時には、それぞれの節の頭には、
如是我聞、と必ず付記することを言い定めました。

 

これは、私は、釈尊にかくのごとく聞きました、という意味です。
つまり、お釈迦様の弟子たちが、お釈迦様亡き後、
乱れるように、様々な説法を繰り広げ、
時に、自分が考えたが如く伝えたり、さらには、ずれた表現をし無いように、
また、その真意が損なわれることが無いように、と配慮したため、と言われています。

要は、様々な言葉を、私は釈尊からこのように聞きました、

と言う伝聞形をとり、より忠実に伝える事を守らせたのです。
そしてこれをもとに、仏典が整えられてゆきます。
したがって、基本はお釈迦様の言葉でしたが、書いてまとめたのは、
弟子たちで、これは代々受け継がれてゆきました。

 

これは、たとえばキリスト教においても、
12使徒たちが、イエス亡き後広く布教活動を始め、

これが後世に受け継がれてゆきましたが、
そこに大きな役割をした聖書の言葉は、イエスが直接書いたものはありません。
すべて弟子たちがまとめたものです。

お釈迦様の法典もイエスの聖書も、同じような形態をとったわけです。

 

しかし、代が進むにしたがって、本来の精度はずれはじめます。
時に、そもそもお釈迦様はそんなこと言ってないだろ、と言う事まで付け加えられ、
あたかも、それぞれの宗派の言い分が正当であるが如く伝えられてしまうのです。

 

例えば、キリスト教においても実に様々な宗派に分かれました。
A派とB派は、当然どこか違うからこそ、袂を分かったのです。
しかし、どう考えても、イエスはそんなこと望んだわけがない。
左の頬を打たれたら右の頬を差し出せ、とまで言った方です。
自分の教えを解釈上の違いで、A派とB派が争うなど、思ってもいなかったでしょ。

 

お釈迦様にしてもそうです。
いつの間にか、三千世界の形態の中に、
極楽と地獄が存在しているがごとき経典、教えがありますが、
お釈迦様は、あの世の存在を一度も口にしていないんですね。
弟子が、私達は死んだらどうなるのでしょう、という問いに、
お釈迦様は、ただの一度も答えていないそうです。

あの世がどうなっているかなんて心配するより、
今を精一杯生きなさい、とでも言ったんでしょうね。


ところが、なぜか、後世になると、地獄と極楽が存在し、
死んで極楽に行くために経文を唱えよ、みたいな宗派が登場します。
これはきっとお釈迦様が一番恐れていたことではなかったのではないか、と。

 

ま、ともかく、この類の人から人への引き継ぎと言うのは、
どんなに注意しても、オリジナルを100%維持することは難しいことです。
伝承を繰り返すたびに、伝承者の思いが付け加えられ、少しづつ変化をしてゆくものです。

しかも、多くは、そのような多少のずれはまさに時代の要請だ、

ぐらいに処理してしまおうとするんですね。
まさにこればっかりは、何を引き継ぎ、何をそぎ落とすのか、

の整理が正しくできていないのですね。

 

さて、ここ数日のテレビ番組の中で、

日本の原爆被爆体験をより忠実に次代に引き継ごうと、活動している人のことが紹介されています。
これはとても大事なことです。
この時代ですから、イエスやお釈迦様の時代より、
より客観的に色あせることなく、そのデータは残せるはずです。
しかし、問題はむしろ、それ以前に、

引き継いで後世に伝えようというエネルギーが先細りしてゆくんじゃないか、と。

二度とこのような経験をしてはいけない、というメッセージ性自身が、
時間とともに、薄らいでゆくような気がします。


こういうことは、くどいくらい繰り返し再認識することが重要なんですね。

おじいちゃん、またその話、と言われようとです。

| 水嶋かずあき | - | 10:12 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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