水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
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再び寛容について

先日の広島における平和祈念式典で、松井広島市長が、
そのあいさつの中で、ガンジーの言葉を引用した、と言うことを
私のブログで紹介しました。
どんな言葉だったのかと正確に言うと、
「不寛容は、それ自体が暴力の一形態であり、
真の民主主義精神の成長にとって障害となる。」という言葉の引用です。

以来、私は寛容と言う言葉についていろいろと考えました。
結論を言えば、すべての人間が寛容の心を持った時に、
(可能不可能はさておいてです)
この地球の上に、真に平和が実現するのだろう、ということですね。


南アフリカ大統領だったマンデラさんも、要は寛容の精神を説いていました。
いま、国を代表して、ぎゃんぎゃんと相手をののしる事が流行っているようですが、
彼らに、ガンジーさんやマンデラさんの爪の垢を煎じて飲ませたら、
地球の上に穏やかな時間を瞬間的にでも取り戻せるるのではないか、と思います。

人に様々な歴史があるように、国にも民族にもさまざまな歴史があり、
若いころぐれていた人が、大人になって見違えるほどの人格者になった、
と言ったような国自体の変遷だって有ります。
部族間で、際限ない殺戮が繰り返されていたアフリカのある国が、
優れたリーダーを輩出したおかげで、
見違えるような民主的で先進的な国に変貌させた、なんて例だってあります。
南米の国で、一触即発の状態にあった隣国同士で、
それぞれの首相、大統領の奥方が話し合い、

このまま行けば自分達の愛する子どもを戦場に送り込むことになる、と、
危機感を共有し、それぞれのご亭主に働きかけ、衝突を回避させたばかりでなく、
軍隊を放棄させるなど、この地球の国にとっての理想的な状況を作り上げた国もあります。
要はリーダーが何を考えるかです。


北のカリアゲ君とか、アメリカのトランプ君とか、南のムン君とか、
もしかすると日本のアベ君とか、もっともっと寛容の心を持てたら、
隣国とのぎくしゃくした状態にはならなかったでしょうね。

さほど、寛容の精神と言うのは大事なことです。

 

私達は、寛容と言うと、
「心が広くて、よく人の言動を受け入れること。他の罪や欠点などをきびしく責めないこと。
また、そのさま。」とあるような解釈をしています。
ま、いいじゃない、と受け流すことも含め、人間相互の穏やかな関係を保とうとすることです。
そもそも人は、普通に、寛容と言う状況を得るための努力をしていると思うんです。

 

この寛容と言う概念は、現在の解釈とは全く別次元で生まれたものだったのです。
元来は、異端や異教を許すという宗教上の態度についていわれたのですね。
そもそも宗教の原点は実は寛容にあるんですね。
人は多かれ少なかれ欠点を持ちます。
その欠点とは、人と人の融和の障害になるものです。
ですから、宗教では、寛容を目指すということこそ、本来の宗旨になるものなのです。


そしてこの寛容の精神は、

やがて少数意見や反対意見の表明を許すか、否かという言論の自由の問題に転化します。
正に、表現の不自由展での議論のようなものです。
そしてその概念が推敲されてゆき、ついには民主主義の基本原理の一つとなるのです。


ガンジーさんが語り、マンデラさんが訴えたことは、何より寛容と言う人の心の温かさこそ、
民主主義の根幹ではないか、という認識ですね。

フランスの18世紀の哲学者、ボルテールは
「君のいうことには反対であるが,君がそれをいう権利は死んでも守ろうと思う」と語り、
これは寛容の精神をよく示した言葉として引用されます。
しかし、寛容にも限界があるはずです。
寛容が成立する条件として、理性、良心、真理への信念に基いたものへのことであって、
民主主義を破壊しようとする言動に適用するのはまちがいである、ということです。
ここを間違えると、ワイマール共和国のような悲劇を招いてしまいます。
まさに、自由を侵害する力まで自由として認めるのか、ということですね。
正しいとされる想念から外れたものまで、寛容を当てはめるのは危険だ、ということです。
とは言え、またその線引きが難しいのですが。

 

大体、国民が不寛容に陥って、周辺の国などとの間で、不寛容な動きが生まれてきたら、
まあまあ皆さん、ここは寛容の精神を取り戻し、もう少し穏やかな心を持ってください、と
国民を指導するのが、指導者の役割でしょ。
なぜなら、私達のようなちっぽけで、心の狭い人間より、国、国民を指差し導びく役割があるのが、
国会議員であり、各大臣であり、首相なわけでしょ。
多くの人の代表ですから、私達より、ずっと大人(たいじん)と言う事でしょ。
大きな器を備えている、と言ったらいいでしょうか。
ですから、国民がちまちましたことで右往左往しているなら、
安定と平穏に導く役務があると言うことです。
不寛容の空気を、寛容に切り替えさせるのが、リーダーの使命の一つではないかと思うんです。
ま、現状では、正直、立場が逆になってますけどね。

細かい経緯とか理屈はさておいて、あとちょっとだけお互いが寛容になることで、
どれほど過ごしやすい環境になるのか、ということを考えるべきでしょうね。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 11:45 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
世界中で争い事が絶えません。国のリーダーたる人達は争い事は自分流の考えで解決できると思い込んでいるようです。国民は混乱するばかり。仰る通りリーダーの「寛容さ」は大事なことですね。
| もっちゃん | 2019/08/13 10:45 PM |









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