水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
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キティ台風

終戦直後の話です。

その頃は、代官町に家があって、
これも平塚大空襲で、奇跡的に焼け残った家でした。
何しろ、左右の家は焼け落ちていて、焼け野原に我が家だけぽつんと残っていた状態だったのです。
そのぐらいですから、正直、ぼろ屋でした。

 

1949年、8月31日、私が5歳半の時です。
キティ台風と言う名のついた台風が関東地方に上陸したんですね。
記録によれば、956ヘクトパスカル(その頃はミリバールと言ってましたが)
中心付近の最大風速45辧△海譴砲茲詒鏗欧箸靴討六犲垤塋不明者160人と言うのですから、
結構強烈な台風でした。

住戸の全半壊・流出が17200戸。

わが家が壊れずよくもったものでした。

 

その頃はまだ米軍占領下で下から、当時の国際的慣習に沿って、
ABC順に台風のネーミングが付けられるんですね。
キティですから、3番目の台風だったのでしょうか。

 

幼心に、この台風の様子は頭に刻みつけられています。
何しろ強風で、我が家の構造は、当然その頃のものですから、
南向きに縁側があって、その奥が居間になっているわけです。
で、この強風が、縁側の下に吹き込み、居間の畳に圧力がかかるんですね。
畳のどこかがふわっと浮く。
いやほぼ5センチぐらいでしょうか。
畳の厚さです。
これが浮くんで、ほっとけばそこから風が部屋に入り込む。
で、必死になって、みんなで浮いた畳に乗って抑えるわけです。
と、今度その隣が浮く。
まるでもぐらたたきみたいなもんです。
父と母が、今度はその畳に乗れ、とか指示出します。
私と姉は、言われるままに畳に飛び乗る。
なんとなくですは、何時間かこんなことをしていました。
あの空襲に耐えたくらいですから、この台風でも、何とか持ちう答えたんですね。

 

70年経った今でも、その時のことはかなりはっきりと記憶しています。
正直、不安よりちょっとばかり楽しい時間でした。
子どもだったんですね。

 

天気予報によりますと、台風15号が関東を中心に襲来。
最大瞬間風速60メートルの強い勢力を保ったまま8日夜遅くから9日未明に上陸するとのこと。
ま、無視するわけにもいかないので、
この後、バルコニーの植木鉢を片づけたり、それなりの迎撃態勢を整えようかと。
飛散したもので、ガラスぐらいは壊れるかもしれませんが、
あの、キティの時のような、夜中中バタバタすることはないでしょ。
ただ、このマンション、風音が強くて、
特に上の階はひどいようです。

取り敢えずは、息をひそめて、やり過ごすしかないんでしょうね。

 

息をひそめたやり過ごしたくても、隣の国の反日台風は、
950ヘクトパスカルぐらいのパワーが維持されていますね。

しかも通り過ぎない。

 

ま、ご近所の方々、十分気を付けましょうね。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 14:30 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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