ノーベル賞ウィークが始まりました。
日本人が受賞すれば、それなりに話題になりますが、選外となると、あっさりしたもの。
せめて、受賞者とその理由位、もう少し丁寧に解説してもよさそうなものでしょ。
だって、彼らの功績は、自分の国に対するものではなく、人類に対しての功績だからです。
つまり、私達が生きてゆくうえで、大いなる恩恵を受けたということですから、
日本人かどうかより、私たち人類にとってどうかについて位、
情報をしっかりと流すべきだと思うのです。
ノーベル賞に関して言えば、米英などは、今更なのかもしれませんが、
まだまだ日本は、日本人が受賞することを気にしすぎます。
特にひどいのが韓国ですね。
どうもノーベル賞受賞渇望症にかかっているみたい。
だって、そもそもはノーベル賞は結果でしょ。
目標として目指すものではない。
それを、受賞者をいかに排出するか、みたいな狙いを持って、
国家予算を付けて研究者を養成するとなれば、
全然話が違う。
目標は、あくまで、人類の幸せな未来のためです。
さて、今年のノーベル賞のなかで、気になるところは、例の気候変動に関して
国連でスピーチをしたグレタさんです。
平和賞の候補の一人だとか。
私は彼女の演説を聞いて、深い感銘を受けました。
なんて勇気のある子だろう、と。
ところが、何故かこの子に対して、否定的な考えを持つ大人がいるようです。
彼女が言ってることは、
私たちの世代が今後生きてゆくうえで、
現在の気候変動は、決して望ましい状況ではない。
そうしてしまったのは、あなたたち大人でしょ、と。
まあ簡単に言えばそういうことです。
子どもたちに付けを回してしまった大人としては、彼女を否定する理由はない。
情けないことに、そこそこの知識人すら、自分たち大人の責任を感じていない。
「16歳の考えに世界が振り回されたらダメだ」(橋下徹・元大阪市長)。
「洗脳された子供」(作家の百田尚樹氏)。
「お嬢ちゃまがやってることが間違ってる」(作家の竹田恒泰氏)
などで代表されますが、私はすべての大人が、多かれ少なかれ現在の気候変動の引き金となった
経済活動の片棒を担いでいると思うんです。
もちろん私もです。
何かしなくてはと思いつつ、実際の行動まで踏み込めない。
時に、70億分の1の責任だから、と、気持ちの上で、逃げに入る。
しかし、敢然と、これに立ち向かった少女がいたわけです。
上記の批判的な知識人、それに彼女を否定する大人たち。
あなたたちは、現状を正しく認識したのか、大いに疑問です。
オゾンホールがどうしてできたのか、説明できるか。
一年間で減少してゆく森林の面積がどのぐらいか知っているのか。
人類が手にする食料の偏りを認識しているのか。
この地球が持続的に生産できる食料の量と、人口のバランスをどう考えるのか。
過去5回の生物種の大量絶滅の記録を承知しているのか。
プラスチックごみの海洋汚染の対策として、どんな手が打たれているか、知っているのか。
おそらく、生半可な環境知識で、物事を判断していて、
彼女の言う、現状の把握とその起因を熟知していないのではないか、と思うんです。
何より、彼女を非難する前に、環境問題に対して、
何か具体的な行動をとったかどうかでしょ。
彼女の行動から、改めて多くのの人が啓発され、
世界中のあちらこちらで、Fridays For Futureを評価し、
彼女の勇気をたたえ、賛同の行動を示し始めました。
それがすべての要因ではないかもしれませんが、
今年の9月下旬の気候マーチウィークでは、
なんと世界185カ国で、760万人以上がこのマーチに参加したのです。
彼女を批判した知識人と思しき人たち、また同様の誹謗をした人たち、
あなた方は、彼女の勇気と行動力のかけらもないじゃないか。
何を言おうと、世界を動かす力のかけらもないじゃないか。
たかだか小娘が、というねじれたおとなの思いがあるんでしょうね。
なさけない嫉妬に過ぎない言葉を吐くのは、ただ品性に欠ける行為に過ぎません。
同じ大人として恥ずかしい。
せめて、ノーベル賞を受賞し、さらなる活動につなげてほしいと願わずにはいられません。