私たちの世代と言うのは、ともかく働く、休まず働く、
ということに価値を見出していたように思うんです。
休まずやることを偉い、と思っていたんですね。
根性がある、とかしっかりしているとか、責任感が強い、とか。
一年間休まず学校に行けば皆勤賞でした。
会社なんかでもそうでしょ。
皆勤手当なんていうものがあった。
ボーナスなんかの査定でも、出勤率は大きく影響したでしょ。
生産性とか、能力などもさることながら、皆勤と言うのは人柄のように考えられていましたね。
ですから、休むということは怠惰な時間と捉えていたくらいです。
私は、以前七夕を造るのに、豊田にある谷地工務店の作業場を借りていました。
様々な専門的な工具があるのと、
そこそこ広かったので、製作物を置いておけるという大きなメリットがあったのです。
仕事の合間を縫って、紅谷町から20分近くかけて作業場に行き来していました。
つまり行き帰りなど考えると、かれこれ1時間弱ロスするわけです。
ですから寸暇を惜しむように作業しました。
大体早くて午前10時ぐらいから作業開始です。
で、昼飯も食べずに黙々と作業を続け、夕方になると片づけをしてその日の作業は終わります。
およそ、7〜8時間は動き続けるわけですね。
谷地工務店の大工さんたちは、その作業場で次の建築予定の下仕込をします。
材木を切ったり、ほぞを掘ったりです。
で、見ていると、午前10時に30分の休憩をします。
この間、ほとんどだらっとしています。
で、10時30分に作業再開、12時にお昼の休憩。
弁当食べて、お茶飲んで、時間があれば、まただらっとしています。
午後1時再開、で、3時になるとまた30分の小休憩。
仕事は5時に上がります。
つまり8時から始めて、2時間仕事、30分休憩、1時間半仕事、
1時間休憩、2時間仕事、30分休憩、1時間半仕事と言うことです。
つまり9時間の拘束で2時間の休憩を取っているわけです。
つまり、私が10時からぶっ通しで仕事している間、3回休むんですね。
時に、休憩とらねえと体が持たないよ、とかアドバイスをいただくんですが、
忙しい合間を縫ってやってることですから、そんな余裕はない、と答えるわけです。
で、ある時、と言っても何年か経ってのことですが、
ふと、私も休憩をとってみようと思い立ったのです。
多少年も取って疲れやすくなっていたのかもしれません。
で、ほぼ、彼らと同じように休むようにしたんですね。
そこで、気が付いたのですが、
休んでも作業の効率は変わらない、と言うことです。
休むことによって時に生じていたミスが激減しました。
頭が回る等になりますから、道具を探す時間が減りました。
私達、素人が大工仕事などすると、仕事が形になっていませんから、
その場その場の作業をするんですね。
つまり、使った道具を適当にその辺においてしまう。
そして、次にその道具を使う時に探すんです。
切り端の山に埋もれていたりするとなかなか見つけられない。
疲れてくると、この道具探しの時間が多くなるんです。
結局、休憩を取ることで、集中力も体力も回復し、
結果としては、そこそこの生産性を維持できますし、何より安全になるんですね。
大工道具と言っても今時は大半がモーターを回した電気工具を使います。
ちょっとぼおっとしてると怪我をするんですね。
元横綱の稀勢の里、現荒磯親方が、現役最後の肝心なところで怪我で万全の態勢が整えられず、
結果、引退に追い込まれましたね。
そこで色々と反省したそうです。
「ケガをしてからは、人間の体についていろいろと勉強させてもらいました。
暇さえあれば、人体模型のアプリを見ていたり。と。
骨格、関節、そして筋肉はどんな動きをするのか。
動きを頭で理解しつつ、復帰したらどんな動きをしようかとか、あれやこれやと考えていました。」
そうした勉強を進めていく中で、荒磯親方は、なぜケガをしたかがわかってきました。
「それは、稽古のし過ぎです。
人間の体にとって必要な、休養の重要性をわかっていませんでした。
私は1年365日、基本的に稽古を休まない人間でした。
それが強くなる唯一の道だと信じていたのです。
ところが、場所前と場所後にエコーで筋組織を調べてみると、
場所が終わってからは、1ミリか2ミリほど、筋肉が削れていました。
稽古をすればするほど強くなれると信じていた自分にとっては衝撃的な事実でした。
やればやるほど負担も大きく、筋肉が痩せていく。
私に必要だったのは休養だったのです。」
かなり重要な認識でしょ。
休むことも重要なんですね。
仕事を引退し、毎日が休みの人間が言うことではないのですが、
休んでいるばっかりの人には、聴かせたくない話ですね。