水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
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嘘を排除する宣誓

目鼻口、手足に胴体、その形状とか動かし方とか、
いくつかの要因を整理し、その条件に適った動物を人間と言っています。
例えば、DNAの比較をしても、わずか数%しか違いがないと言われている
類人猿の、チンパンジーやボノボ、オランウータンやゴリラなども、
二足直立歩行と言う動きが違うので、人間とは別に分類されています。


じゃあ、これらの機能を兼ね備えていれば、人間なのか、ということですが、
時に、「奴は人間じゃねえ」などと人格を否定することがありますが、
何かが欠けているからなんですね。
これは肉体的な何か、またはその動きの問題ではなく、いわゆる精神、心の問題なわけです。
あえて一言で言うなら、それは良心と言うことだと思います。
不思議と、ほとんどの人間は良心を持っています。
良い心を持ちなさい、などと教育を受ける以前に、普遍的に備わっています。

テレビの旅番組などを見ていると、現地の人々と様々な触れ合いの中で、
いい人と出合えた、という印象を持つことが圧倒的に多いのは、
いい人=良心を持った人、ということだろうと思うんですね。
つまり、人は原則、良心を持ったいい人なんです。
これは性善説とか、性悪説とは関係なく、もともと人間としての機能として備わっている、
と言う事なんですね。


ただ、残念なことに、人の姿かたちのように、目には見えない。
そこが最大の問題なわけです。

この良心に反することが、日常の中でしばしば現れます。
地位、立場、面子にすがること。
金銭欲に負けること。
希薄な責任感による自己保存に陥ること。
(人のせい、部下のせいにすること)
怨恨、差別による偏見を持つこと。

この良心を希薄にする要因は様々ですが、人は自分をよく見せようと、
しばしば良心に反した行動をとります。
要するに嘘です。
嘘は、良心の反対語なんですね。


自分は心中、気が付いていても、人は疑うことが精いっぱいで、
心の中までは手出しができないんですね。
だから、せめて、嘘はつくなよ、という言葉で自制を促すしかないのです。
この良心に反する言動への規制は自覚にゆだねるしかない。

 

キリスト教徒の国々では、その両親の代名詞として「神」が登場します。
神こそ反良心を規制する存在、概念と捉えているのだと思います。
外国の映画などの裁判所のシーンで、証人が発言をする前に、
聖書に手を乗せて、神のもとに、何事も隠さず、付け加えず、真実のみを話します、と
宣誓する場面を見たことがあるでしょう。
日本では、聖書に対する概念が希薄ですから、
この「神」という自己規制の代わりに、良心と言う言葉を使います。
つまり、神=良心、と捉えて間違いではないのです。

 

例えば、国会で証人喚問が行われますが、これについての法律が定められています。
「議院における証人の宣誓及び証言等に関する法律」と言います。
その第三条に、宣誓を行う場合は、証人に宣誓書を朗読させ、且つこれに署名捺印させるものとする。
とあって、宣誓の文言までが定められています。
その宣誓書には、「良心に従つて、真実を述べ、何事もかくさず、
又、何事もつけ加えないことを誓う」と記載されていなければならない、とあるのですね。
国や文化、宗教の違いはあれ、人には最後の最後ぎりぎりに自覚できる良心と言うものがあるのです。
そこに唯一頼るしか嘘を排除できない、と言う情けない所があるのですが、
様々な自己保存が働くと、人は簡単に良心を捨ててしまうんですね。
人間として重要な要因を放棄するということです。

 

このような宣誓文に署名捺印し、かつ読み上げるということは、
嘘つき排除のシステムとしてこれしか手がないからなんですね。
確かに、様々な状況を想定すれば、時に証人喚問をして、

ことを明らかにしなければいけないということはよく理解できますけど、
と言うならですよ、平素の議論も、これまた国会と言うこの国の最高の言論の符であるなら、
良心に基づいた言葉であることを要求されるわけでしょ。
わけありの人を呼び出して、嘘つくんじゃないぞ、と言ってるんですから、
その立法府における言論も、嘘であってはならないはずです。

 

そもそも議員としてバッジを付けた瞬間に、この宣誓をしたことになる、と考えるべきですね。

正式な手続きは知りませんが、当選証書を受け取るときに、

この宣誓書にサインをする、と言うことになればいいと思うんです。

国会中継など見ていて思うんですが、平然と自分たちは良心をかなぐり捨てて、
嘘の付き合いをしているじゃないですか。

 

少なくとも、総理大臣と言うのは行政府のトップです。
1億2千6百万人のトップに立っているんです。
つまり、国民の範として、最高の良心を持っていなければならない。
と思いませんか。
私は、安倍さんの基本的な考えなどについて、著しい違和感は感じませんが、
あの嘘だけは受け入れられない。

 

嘘つきは泥棒の始まり、ということを子供の頃聞かされました。
泥棒とは犯罪者であり、人間として端くれ、クズだという概念でした。
嘘をつくと、そんな人になってしまうよ、という諭の一つだったと思います。

大人になると、みんな忘れちゃうのかな。

 

| 水嶋かずあき | あれこれ | 12:45 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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