私は、たびたびこのブログでも書いてきたように、
本を読むということが大の苦手なんです。
最大の理由は、その内容に集中するあまり、進行がやたら遅くて、
結果として途中で放棄しつぃまうからなのです。
で、段々と読書離れが進み、今ではほとんど読まなくなってしまいました。
そんな私ですので、正に、医者の不養生、紺屋の白袴みたいなことになりますが、
読書は大事なことではないか、と常々思っているんです。
まあその証左になるかどうかはともかく、
私の祖母が亡くなった時、祖母・チサの名前で、平塚の図書館の子ども図書室に
チサ文庫なる書棚とそれを埋める本を寄付しました。
これは私が提案し、おじおばをかき口説いて実現したのです。
その後、父が亡くなった時も、そこそこの書籍を寄贈しました。
今でも水嶋忠彦寄贈とラベルが貼ったものがあります。
そして、私が会長を仰せつかっている平塚の飲食業組合連合会では、
ここ数年、定例のようにして、市内小中学校の図書室に図書の寄贈を続けています。
まあ、単純に本があることが読書につながり、
その結果が、子どもたちに深い思考力を育て、豊かな感性を育むであろう、と期待しているからです。
さらに、この10月から、盲学校でのリーディングにボランティアとして参加しています。
これは、月に2回、盲学校に行き、そこの生徒さんに1時間ほど、本を読み聞かせするんです。
本に書かれた情景を心に浮かべることで、
想像力を持って、物事をとらえられるようになればいいな、と思っているんですね。
特に、彼らは通常の本が読めないわけで、点訳されたものには限界があるから、
本を読み聞かせする機械は大事なことだ、と考えたからです。
しかし、現実の世の中は、読書離れが進んでいるとか。
3日に公表された国際学習到達度調査で、日本の高校生の読解力低下が浮き彫りとなりました。
文部科学省では、その背景をいろいろと列挙していますが、
間違いなく、本や新聞などをよく読む生徒の方が平均点は高くて、
読解力低下の結果には、読書量の減少が影響しているようなんですね。
日本の読解力の順位は、前々回の2012年調査では過去最高の4位だったものが、
今回は15位と急落したのです。
また、読書習慣のある生徒の読解力のみならず、その他学科の平均点も高かったのです。
小説などを月数回以上読む生徒の平均点は531点で、読まない生徒より45点高く、
新聞を同頻度で読む生徒の平均点も、そうでない生徒より33点高かった、というデータがあります。
また、他のアンケートでは、活字離れが進んでいる実情も明らかになりました。
新聞を月数回以上読む割合は21・5%で、9年前の09年調査に比べ36・0ポイント減少。
雑誌を読む割合も30・8%で、33・8ポイント減少した、ということです。
間違いなく読書離れが、人として必要な資質を身に着けるのに、障害の一つになっている、
と考えてもおかしくありません。
だからこそ、読書習慣を身に付けられる環境を整備する事も大事なことなんです。
家庭環境として、家に蔵書数が多ければ、小さい頃からの読書習慣が学歴にも結びつくというデータもあります。
20〜39才を対象に、「15才の頃に家にあった蔵書数」と「大学進学率」の関係について、
早稲田大学人間科学学術院教授の橋本健二さんが分析しています。
それによりますと、家に10冊以下しか本がなかった人の大学進学率は23.1%。
対照的に501冊以上あった人は76.4%も進学していた、というのですね。
まあ、よく言う貧困問題をこれに絡ませることが多いのですが、
貧しいだけでなく、親が後ろ姿で、この教育をしてゆくという大原則を
今の大人が忘れてしまったのではないか、と。
物に目を奪われている間に、心を育てることをないがしろにしてしまったわけです。
先日、平塚信用金庫に年金を下ろしに出向きましたら、
店頭にあるパンフレットがありました。
それによりますと、本を寄贈する定期預金の制度がある、というんですね。
通常、0.01%のところ、0.03%の利息になるというんです。
ま、この程度の利息では焼け石に水みたいなもので、利率自身はどうってことないのですが、
肝心なことは、この定期を組むと、金庫として、その収益から本を寄贈する、というんですね。
すでに平塚の図書館に2700冊寄贈したとか。
いや、正に地域貢献のいい例でしょ。
どうせ、0.01%しかつかない普通預金ですが、
そのいくばくかを定期に切り替えようかな、と思っています。
そんなことの積み重ねで、日本の子どもたちの豊かな感性が身に付けられれば結構な事でしょ。