アウシュビッツを含め、ナチスのユダヤ人迫害でその犠牲となった数は、
580万人と言われています。
算出の根拠はいろいろあって議論百出なんですが、
おおむね、この数字が妥当なところのようです。
ま、凄い数でしょ。
比較にはなりませんが、比べてみると、
(ちょっと首相の答弁のようでしょ。「募集してないが募ってる」みたいですが)
世界にある229の国と地域の人口で、580万人と言うと、
107位のシェラレオネ、108位のニカラグア当たりのところ。
つまり、そこそこの国が一つなくなったようなもんです。
例えば、北欧三国のデンマーク、フィンランド、ノルウェーの人口は、
これ以下なんですね。
数の凄さと、その殺戮の理由ですが、今更ではありませんが、
人類史上最大の汚点だろうと思います。
いま、中国発の新型コロナウィルスの感染拡大で、
世界中が、最大限の警戒をしていますが、
それでも、3%の致死率のようですね。
現に、日々刻々と変わる感染者数と死亡者数の推移をみていると、
確かに3%という範囲で収まっています。
とは言えこの先どう変化するか分からないですから、
国際社会は戦々恐々としているわけです。
確率ということでは、アウシュビッツに収容されたユダヤ人の生還率というのは、
ほんの一握り。
実はその実数すら把握できていないのですが、
感覚的に1%いかないのではないか、と思われます。
つまり、死亡率99%ということですね。
人類の危機は、エボラ熱でも、SARSで、MERSなどの細菌やウィルスでもなく、
なんと、人間自身がもたらしているのです。
確率で私達はその可能性を理解しようとしますが、
そもそも人類の死亡率は100%ですし、
多分生きながらえているであろう年齢以前に死を迎えるとしたら、
これが大騒ぎなんですね。
それが人の手によろうと、病気であろうと、感染症であろうと、事故であろうとです。
とかく、確率で理解しようとしていますから、
今回のように、罹病しての死亡率が3%と聞くと、
何が基準か、それほど恐れることはない、なんて専門家が言い出す。
で、それを聞いて、ど素人連中は、ちょっと安心したりする。
つまり確率による可能性を、まさに正常化バイアスの中で受け止めるんですね。
よく言えば楽天的、ポジティブなんですが、だからと言って問題は解決しないんです。
考えてみてください。
新型コロナウィルスで亡くなった方にしてみれば死亡率は、100%でしょ。
で、かつ、完治した人はそれはそれで100%でしょ。
死んじゃった確率が3%ということは、それぞれ個人にあっては、100%なんです。
私は、10万人に1人という重症筋無力症が発症しました。
実際それが分かった時は、なんとなくですが、「やっちまったな」という感じでした。
宝くじだって当たらないのに、どうしてこんなことになるんだ、と。
その確率からいえば、希少な例でしょ。
でも、私本人は、罹病率100%なんですね。
私達は、確率のとらえ方が、まさにひとそれぞれなんだ、ということを知るべきです。
一般的傾向は傾向として意味を持ちますが、
いざ、そのご本人になれば、3%だから3%分の苦しみなのか、ということでしょ。
なっちまったら、3%で死ぬか、97%で生還するかなんです。
1人の生身の人間として、3%分死ぬなんてことはないんですから。
この%に対する考え方は、実に難しいとは思うんです。
ポジティブに考えれば、何とかなると思うでしょうし、ネガティブに考えれば、困ったことになります。
問題は、このような危機的な状況での考え方としては、ネガティブに考えるべきなんです。
このブログでもしばしば触れてきましたが、
防災活動をしてきて、その大きな障害は正常化バイアスなんです。
正常化バイアスとは、
自分は何とかなる、大したことはない、という都合のいい結論を想定しがちなことを言います。
この正常化バイアスが、こういう時は働きがちなんですね。
国のトップも、官僚も、保健衛生関係者も、
正常化バイアスに侵されやすい。
なぜなら、その考えは、対策に本腰を入れなくてもいい、ということにつながるんですね。
確率はあくまでも確率です。
悪い数字に当てはなることを想定してこそ、対応になるんですね。
あとで臍をかまないように、心すべきです。