水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
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死刑の基準

永山基準、という言葉があります。
これは、1968年に4人を射殺した犯行当時19歳だった永山則夫の裁判で、
1983年に最高裁が死刑を適用する基準として示した9項目基準のことを言います。
9項目とは、犯行の罪質、動機、計画性や残虐性、殺害された被害者の数、
遺族の被害感情、社会的影響、犯人の年齢、前科、犯行後の情状などです。
そして、これらを総合的に考慮し、「やむを得ない」ときに死刑選択が許されるとされるものです。

 

いいか悪いか、日本の裁判では、判例主義となっていて、
かつて示された判例が、裁判での判決に実に大きな影響を与えています。
ある意味、裁判長が、独自の判断を示すのは、それなりの強い思いと、精密な論理的構築が必要で、
実に、エネルギーのかかることなんです。
したがって、多くは、類似事案のかつての判例を参考にし、
当該の事案の判断をします。

まあ裁判での判決の基準ですから、安全と言えば安全ですし、前例があるので、
説得しやすいと言えば説得しやすいわけですね。


したがって、死刑という極刑を判決する場合には、裁判官としては精神的な負担を軽くするということもあって、
この基準に当てはめるんですね。
だって昔からそういうことになってるんだ、と。

この永山基準が生まれた背景は、日本の裁判史において、相当の苦悩があったと思われます。
死刑とは何しろ人ひとりの命を奪うわけです。
法という背景のもとに行われるとはいえ、殺人なんですから、
例えば銃殺刑の際に、銃を構える係になった人の苦悩のようなものです。
自分が撃った銃の弾が命を奪った、なんてことは耐えられないでしょ。
ですから、こういう時はそこそこの数の射撃手がいて、
多分、おれの銃から発射された弾丸ではないはずだ、と思える状況が必要なんですね。
裁判長とて、同じことで、自分ひとりの独自の考えで命を奪う決断は嫌なものだと思うんです。
で、この永山基準を参考にするわけです。

 

しかし、この9項目をそれぞれチェックし、そのレベル判断をするわけですが、
9項目中、明確な基準になるのは、殺害された被害者の数です。
それ以外は、何をもって残忍とするか、遺族の被害感情をどうくみ取るか、
社会的影響をなんで推し量るのか、などは、極めて主観的でしょ。
まあ、みんなそう感じる、というところがせめての基準じゃないですか。
しかし最終的な判断は、結果として裁判長の個人的思考傾向にゆだねられるわけです。

したがて、重大な犯罪、相模原の施設における事件だとか、京都アニメの放火事件だとか、
正に論外と言うべきもの以外は、微妙に死刑か無期懲役かのボーダーラインに上にあるんですね。
正に裁判長の考え一つなんです。

 

裁判員裁判は、重大な事件にのみ実施されています。
コソ泥とか、詐欺事件などでは裁判員裁判は行われません。
これは、死刑判決の可能性がありそうな事案に適応されます。
なぜなら、9項目の中で、8項目が、判断次第で右左に分かれるので、
裁判長の精神的負担を和らげる意味合いがあるからではないか、と私は思っています。
つまり、自分ひとりの判断より、みんなもそう思うという複数裁判員の考えを、
前提に判断するという事なんですね。

 

さて、5年前・兵庫県洲本市で、近隣住民を次々とサバイバルナイフで刺し、5人を殺害した
殺人事件の控訴審の判決が下されました。
一審の死刑判決を覆して、無期懲役になったんです。
その主な一審判決を棄却した理由は、
犯行当時、病状が悪化し、妄想の強い影響を受け、心神耗弱の状態だった、という点を挙げました。
9項目のどれに照らし合わせても、死刑が当然と関係者は思っていたのでしょうね。
ましてや、一審は裁判員裁判です。
みんながそう思ったわけです。
ですから、この判決を固唾を飲んで見守っていた被害者の関係者は、驚き、
思わず「バカ裁判長」と怒号を上げたそうです。

 

問題が二つあります。
一つは裁判員裁判がこのように形骸化されてしまうことです。
すでに裁判員裁判で死刑判決が出た裁判が、控訴審で逆転判決された例が5例もあるそうです。
なんのための裁判員裁判か、となるでしょ。
みんなで決めてください、と委託しながら、その結論は違いますね、と否定されるんですから。
二つ目は、実は裁判で一番ややこしい判断なんですが、
犯行の際の責任能力です。
この場合心身衰弱とか、精神的な病状などが挙げられています。
もともと、殺人を犯そうという神経は、正常ではないでしょ。
言い換えれば、正常でないから殺人をするわけですよね。
まあ半分冗談で、あの野郎ぶっ殺してやる、と息巻いたって、
普通正常なら実行はしませんよね。
人を、例えばナイフで刺すとか、こん棒で殴るとか、首を絞めるとか、
その行為そのものはいささか、まともでないわけですから、
精神的背景として責任能力ということ自体の解釈で、死刑と無期懲役のボーダーがふらつくのは、
9項目以外の判断になります。
判例主義を標榜している日本の法曹界ですから、
ここで、10項目目として、犯行時の責任能力、という項目を足せばいいことです。

 

私は、死刑制度には反対なんです。
なんかそんな権利が人間にあるのか、と思うんですね。
でも現実に日本ではあるので、だったら、もう少し、国民感情を納得させられる裁判をすべきだと思うんですね。
正直なところ、バカ裁判長という被害者遺族の方々の感情も理解できるように思いますね。

だって、9項目の最後に「やむを得ぬ」という判断がついているでしょ。

やむを得ぬとは思えない、つまり、しょうが無かったんだ、という

犯行の是認が、この判決のポイントなんです。

 

| 水嶋かずあき | あれこれ | 07:12 | comments(0) | - | - | - |









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