水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
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茄子の記念日

そういえば、我が4女5女が生まれて、2年ほどした時、
母が、この双子の将来のためにと、ブリタニカの百科事典を買ってくれました。
専用の書棚がついてきて、いくらぐらいしたんでしょうね、相当の価格だったと思います。
その母もなくなり、4女5女は30の半ばになり、4女が子供3人、5女が子供2人と言うことで、
まあ、それなりに母親になったわけです。
で、この月日の流れの中で、母の買ってくれたブリタニカは、ただの一度も読まれることなく、
何年か前に古紙商に引き取られてゆきました。
まさに、どぶに捨てる、と言った感じです。
時代の流れですね。


で、代わりに、ネットでの情報を拾えば、より速やかに、多様な意見を調べることができます。
ブリタニカなんか目じゃない。

当然、私もネットでの検索をかなりします。


最近集中的にしたのが、家康の好物というテーマです。


徳川家康は何を好んで食べたのか、ということです。
もはや江戸の頃の話ですから、その伝聞も、原典もぐちゃぐちゃになっていて、
誰かが言ったことがそのままコピーされていたりして、情報の信頼度と言うのは、低いのですが、
まあそれでも、あれこれ数多くチェックすると、ぼんやりと真実に近づけるような気がしますね。

 

で分かったこと。
家康はどうも疑い深く、いささか臆病な気質を持っていたようです。
例の、明智光秀が信長を本能寺で討ち取った時、当然ですが、この情報が家康にもたらされます。
家康は、その頃、大阪の西方面にいて、事態が不穏になったと、岡崎の居城に戻ろうとするんです。
信長とは親交厚かったので、光秀側から見れば敵に当たります。
そこで、残党狩りのごとく、追い打ちを掛けられてはたまらない、とばかり、退却するんですね。
ところが淀川河口で、対岸に渡る手段がない。
色々手配して、やっと西成の川洲の集落に佃村という猟師村があって、
ここと交渉をし、船を出してもらって、無事に川を渡るんです。
そして、這う這うの体で岡崎城にたどり着くんですね。
この時、正に命からがらだった思いが強く、

無事であったことはこの佃の連中のおかげだ、という気持ちが強く残ったのです。
後に、秀吉の時代になり、さらに、大坂夏の陣で、豊臣の衰退が決定し、
家康は天下人となります。
江戸に居を移し、そこで日本の執政を取ることになりますが、
この時、以前助けてもらった佃の村人を、江戸に招き、開拓した地域を授け、
なおかつ、漁業権を認可し、彼らが江戸湾で生計ができるように取り計らったんだそうです。
この江戸に移ってきた漁師たちの集落を、以前大阪での
村をとって佃島と名乗るようになったんですね。
いろいろ調べた中で、家康が大阪湾を突っ切って、

岡崎に向かう途上、腹が減った時に足しにしてください、と
その頃、雑魚を煮た、いわば佃煮があって、これを家康に献上したとかの話が出てきました。
家康はこの魚の煮ものを殊の外気に入って、助けてもらった恩とともに、終生思い出深い食べ物として、
しばしば食したそうです。
後に、江戸でもこの佃煮が評判になり、参勤交代の武士たちが、江戸を引き払い国元の戻るときには、
江戸みやげとして持ち帰ったとか。
そんなこんなで、佃煮は全国的に広まってゆくわけです。

 

そもそもなぜ家康の好物なんてテーマで検索したのか、と言うと、
観光協会から、「家康弁当」なるものを企画してほしいという依頼があったんです。
中原御殿は、家康の鷹狩りの拠点の一つとして建てられたもので、
しばしば、中原や、豊田あたりには、やってきて鷹狩を楽しんでいたようです。
ですから、これらの家康関連のことを、街歩き的に訪ねて、その途上で、弁当を食べる、
どうせなら家康にちなんだもので献立できないか、と言う打診があったんですね。

いろいろ調べてみて、結構いろいろな素材があることを知りました。

 

そもそも、家康は今でいう健康おたくで、鷹狩も、趣味的なことと併せて、野山を歩き回り、
足腰の衰えを防ぐ、という意味があったようです。
まあ年配者のゴルフと言った位置づけでしょうか。
ですから、食べ物も随分と気を使い、体にいいものを食す、と言う意向が強く、
生涯、麦飯だったそうです。
ある時、家来が、たまには白飯をどうか、と用意し薦めたところ、
主が贅沢をし、領民の大事な米を貪り食うわけにはいかん、
と領民への思いやりを言葉にしたそうですが、自身の健康の為という意味合いもあり、
さらには、戦費をしっかりためるための質素倹約の一環でもあったようです。

 

殊の外の好物が、茄子です。
これは、三保ノ松原で有名なところの一角に、折戸と言う集落があり、
ここで取れる小型の丸茄子がお気に入りだったようで、あれこれとアレンジした料理をよく食べたようです。
一富士二鷹三茄、とめでたいものの代表のように言われますが、
これはすべて家康の好物で、駿府育ちの家康には、いつも富士の雄姿を眺めてきて、
いわば家康のランドマークのようなもの。
何より日本一高い、と言うことも、天下人を目指していたんですから、
象徴的な思いもあったんでしょうね。
それと、幼少のころからの趣味としての鷹狩り。
さらに、武将として戦に明け暮れた中での、地産品としての折戸の茄子。
これらが好物だったことは、間違いない所のようです。

 

そして晩年、やたらと好んだのが、鯛の天ぷら。
鯛と言ってもアマダイだったようですし、天ぷらと言っても今の衣をつけたものとは
ちょっと趣が違ったようですが、まあ、一言で言えば鯛の天ぷらです。
これを食べ過ぎて腹を壊し、73歳の生涯を閉じた、と言われていますが、
まあほかの要因で亡くなったんでしょうね。
今だったら大腸がんとか。
しかし、どの情報も、家康の死因は鯛の天ぷらの食べ過ぎ、ということになっています。
家康は4月17日に亡くなりました。
後に、茄子が大好物だったとかいうことも踏まえて、4月17を音で読んで、
よいなすということで、茄子の記念日になったそうです。
まあ、そんなことほとんど知られていませんけどね。

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