水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
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3.11の記憶

アメリカの人々にとって、9.11は生涯忘れられない日になっていると思います。

正に前代未聞の航空機がビルディングに突っ込むというテロですから、ただただ驚愕と

それによって失われた犠牲者への哀悼として、心に刻むべき日になったんだと思います。


私達、日本人にとって、3.11は生涯忘れられない日になっています。

 

震災の翌年のことです。

この日を心に刻もう、と、3月11日、午後2時46分を期して、
みんなで黙祷をしたいと考えたのです。

 

2011年の10月ごろだったと思います。
私たち飲食業組合連合会で、被災地に炊き出しに行こうということになり、
バスに食料、資材など積み込んで、20名ほどで、東松島市に向かいました。
その町の一角にある仮設住宅で暮らしている人たちを元気づけ、
私達の町のおいしいものを味わってもらおうという企画です。

その時、昼ごろ到着し、先ずは市庁舎にお伺いし、
連合会として集めた義援金100万円を復興のために使ってくださいとお渡しし、
そのあと、市内の被災した現場をバスで見ることになったのです。
もう、数か月は経過していたので、いわゆる残骸はそこそこに片づけられていましたが、
逆に、土台しか残っていない住宅の跡地などみると、かえってその殺伐とした景色に、
心ふさぐ思いがしました。

 

あちらこちらの被災現場をバスで見て回っているときのことです。
何時もなら観光バスでも走っていそうな海辺の風光明媚な道路を走っていた時、
後部座席にいたメンバーから、ここで海に向かって黙とうしませんか、という提案があったのです。
私は、そう言われてそれはそうだ、と思い、運転手さんに停車してもらいました。
道には車は殆ど走っていませんでしたから、そこにバスを止めたからと言って、
さほど迷惑をかけることはあるまいと考えたのです。
その道は、松島を巡る観光道路として整備されたもののようで、

海辺の南岸をぐるりと回り込んでいたのです。
道の南側は海で、そこには高さ2メートルほどのコンクリートの堰堤がありました。
ここの階段を上がり、私達は堰堤の上に横一列に並んだんです。
正面には穏やかな初夏の海の水面がきらきらと光っていました。
きっと、あの沖の方から、黒い波が牙をむいたように、こっちにやってきたんだろうな、
と想像すると、まさに、背筋が寒くなるような感じがしました。
みなが堰堤に並び終わったところで、私は「黙祷」と声を掛けました。
何十秒か、静かな時が流れました。

 

東松島市での活動は様々に記憶に残っているのですが、中でもこの黙祷の瞬間が、
くっきりと脳裏に残っているんですね。

そんなこともあって、翌年の3月11日にひらつな祭が開催されたので、
その中で、2時46分にどうしても黙祷をしたい、と思い、
その時間のステージを使い、道行く人にも参加してもらって、黙祷をしたのです。

 

1人でも多くの人に、黙祷に参加してもらおうと、
黙祷と大きく描いたポスターを作りました。

もちろん自費です。
A2サイズのもので、カラー。
確か100枚ほど印刷したと思います。
事前に街なかにあちらこちら貼り出してもらいました。
出来れば、ひらつな祭の会場で、それが無理なら、自宅でも仕事場でも、
その時いるところで、東北の被災地に向かって黙とうして下さい、

とお願いをするポスターでした。

 

そのポスターの最後の一枚を私は、松風町の自室に貼っていたのですが、
引っ越しの時、たくさんの廃棄物が出て、その中に紛れ込んでしまったんですね。
今思うと、あれは捨てずに、新しい部屋の一角に貼っておくべきだったと。
災害への備えを、正しく進めることと、災害で失われた多くの命を悼み、
自分の中で、その思いが風化しないような意味も込めて、
マンションの自室にポスターを貼るべきだった、と後悔しています。

 

あれから9年。
確かに、少しづつあの時の思いは風化しつつあるように思います。

| 水嶋かずあき | 環境 | 10:51 | comments(0) | - | - | - |









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